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Channel: 古代史の道
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佐久島に移住

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 都会から島内に移住する人もいる。これは愛知県佐久島の話である。知多半島の日間賀島や篠島などと異なって、交通の便が悪い。島に渡るには名古屋から離れた一色町に行って渡らなければならない。取り立てて観光資源もない。が、その代わり、日本の原風景と呼ぶに相応しい瓦屋根に埋め尽くされた集落を始め、都市化されていない地味なたたずまいを見せている。
 だが、そんな島にも都会から移住して、居酒屋を始めた一家がいた。ラクダを飼育し、花や野菜を作ってひっそり暮らしていた。おそらく経営的には成り立たないだろう。私が訪島した平成20年頃には320人ほどしか住んでいない島だ。
 が、これはまだ不便とはいえまだ都市に近い島の例だ。東京から山奥の過疎の地にわざわざ移住する若者もいるのだ。老齢化いちじるしい過疎の村に・・・。彼らは地元の人々にとけ込み、受け入れられている。これはテレビで見た例だが、移住する前は華やかなIT産業に従事していて、将来有望な若者とみなされていた。それをきっぱりと手を切り、過疎の村に一家で移住し、温室ハウスに打ち込んでいるという。
 老齢化いちじるしい過疎の村になぜわざわざ移住するのだろう。前回紹介した島内に留まり続け、答志島で一生を送る人とは反対のケースだ。人間何が幸せで何が不幸せなのか分からない。総理大臣までやった人も、身をしりぞいたら、四十八カ所の寺の巡礼に出て居る人もいると聞く。陶芸に打ち込んでいる人もいる。
 私はこういうことを考えていて、豊臣秀吉が残したとされる辞世の句を思い出した。秀吉は自分の人生を振り返って次のような歌を残したという。
   露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢
          (2015年6月9日)
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万葉集読解・・・166(2626~2646番歌)

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     万葉集読解・・・166(2626~2646番歌)
2626  古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ
      (古衣 打棄人者 秋風之 立来時尓 物念物其)
 古衣(ふるごろも)は着古した着物。他はこのまま分かる平明歌。「着古した着物を打棄てる人は、秋風が立ち始める頃が来ると、物思うものですよ」という歌である。
 本歌は着古した着物を女性になぞらえて解釈するなど色々な意味に解釈することもできよう。

2627  はねかづら今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く
      (波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解)
 「はねかづら」は具体的には分からないが、はねを鳥の羽のこととすれば羽根飾り状の髪飾りということになる。若い少女がつける髪飾り。「うら若み」の「み」は「~ので」の「み」だが、「笑みみ怒りみ」の「み」は「~たり」の「み」である。「怒りみ」は「緊張したり」と解すると分かりやすい。「はねかづらをつけた彼女はうら若いので、はにかんだり緊張したりして紐を解く」という歌である。

2628  いにしへの倭文機帯を結び垂れ誰れといふ人も君にはまさじ
      (去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益)
 倭文機帯(しつはたおび)は日本古来の織機で、それで織った帯を指す。上三句は誰を導く序歌。「古来からの織機で織った帯を結んで垂らしたというけれど、その誰(垂れ)よりもあなたはまさっておいでです」という歌である。
 本歌には「一書(ある文)にいえる歌」として次のような異伝歌が登載されている。
      いにしへの狭織の帶を結び垂れ誰れしの人も君にはまさじ
      (古之 狭織之帶乎 結垂 誰之能人毛 君尓波不益)
 歌意は本歌と同様である。「倭文機帯を」が「狭織(さをり)の帶を」になっている。

2629  逢はずとも我れは恨みじこの枕我れと思ひてまきてさ寝ませ
      (不相友 吾波不怨 此枕 吾等念而 枕手左宿座)
 「まきてさ寝ませ」は「頭に当てて寝て下さい」という意味である。「さ」は強意の「さ」。「あなたに逢えなくとも私は恨みに思いません。この枕を私だと思って頭に当てて寝て下さい」という歌である。

2630  結へる紐解かむ日遠み敷栲の我が木枕は苔生しにけり
      (結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生来)
 「解かむ日遠み」は「~ので」の「み」。「敷栲(しきたへ)の」は枕の美称。元々は「真っ白な」という意味。「あなたが結んで下さった紐を解く日が来るのはまだ当分先なので、敷栲の私の木枕は苔生(こけむ)してしまいました」という歌である。

2631  ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか
      (夜干玉之 黒髪色天 長夜(口+リ) 手枕之上尓 妹待覧蚊)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「黒髪敷きて」は「長き夜を」にかけた言葉とも取れる。が、実景に取った方が歌意が妖艶になる。「黒髪を敷いて長い夜をひとり手枕して彼女は待っているだろうか」という歌である。

2632  まそ鏡直にし妹を相見ずは我が恋やまじ年は経ぬとも
      (真素鏡 直二四妹乎 不相見者 我戀不止 年者雖經)
 「まそ鏡」は枕詞(?)。「鏡にはっきり見るように、彼女を見ないままだと、恋はやむことがありません。年は経っても」という歌である。

2633  まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時さへや恋の繁けむ
      (真十鏡 手取持手 朝旦 将見時禁屋 戀之将繁)
 「見む時さへや」は反語表現。「まして」を誘因する。「鏡を手にとって毎朝毎朝みずにはいられない彼女だ。まして毎朝見なければ恋心がつのる」という歌である。

2634  里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ
      (里遠 戀和備尓家里 真十鏡 面影不去 夢所見社)
 「里遠み」は「~ので」の「み」。「あなたの里が遠いので恋しくてわびしい思いをしています。鏡のようにその面影は去らず夢にでも出てきてほしい」という歌である。
 本歌には注が付いていて、「右一首はすでに柿本朝臣人麻呂歌集に見える。が、若干食い違っているので、ここにも載せる」とある。すでにとあるのは、2501番歌「里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ」のことである。

2635  剣大刀身に佩き添ふる大夫や恋といふものを忍びかねてむ
      (剱刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武)
 「大夫(ますらを)や」は「男子たる者」のことである。「忍びかねてむ」は「忍びかねるものなりや」という意味である。「剣大刀(つるぎたち)を見に帯びたる男子たる者、恋くらいに耐えられないものか(耐えられない)」という歌である。

2636  剣大刀諸刃の上に行き触れて死にかもしなむ恋ひつつあらずは
      (剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所g鴨将死 戀管不有者)
 「諸刃(もろは)の上に行き触れて」は「諸刃に当たって」、「死にかもしなむ」は「死ぬなら死んでしまいたい」という意味である。「剣大刀の諸刃に当たっていっそ死んでしまいたい。こんなに恋に苦しむのなら」という歌である。

2637  うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀身に添ふ妹し思ひけらしも
      (嚏 鼻乎曽嚏鶴 劔刀 身副妹之 思来下)
 「うち鼻ひ」は「くしゃみ」のことだが、くしゃみをするのは恋の兆しと考えられていた。「剣大刀(つるぎたち)身に添ふ」は「腰につける剣大刀のように寄り添う」という意味。「くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰につける剣大刀のようにぴったり寄り添ってくれている妻も私のことを思ってくれているらしい」という歌である。

2638  梓弓末の原野に鷹狩する君が弓弦の絶えむと思へや
      (梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋)
 「末(すえ)の原野に」は不詳。「絶えむと思へや」は「絶えると思うものでしょうか」という意味である。「梓弓(あづさゆみ)末の原野で鷹狩されるあなたの弓弦(ゆづる)が切れるなどと思いもしません」という歌である。

2639  葛城の襲津彦真弓新木にも頼めや君が我が名告りけむ
      (葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼)
 「葛城の襲津彦(そつひこ)」は仁徳天皇の皇后となった磐之媛の父である。弓の名手として知られる。「真弓(まゆみ)新木にも」の「真」は「立派な」という美称だが、「あの新しい真弓にも似て」ということ。「頼めや」とどうつながるのかはっきりしない。求婚という意味に解しておく。「あの葛城の襲津彦も使ったという新しい弓にも似て私を新妻にしようとなさったのかあなたは私の名を人にお告げになりましたね」という歌である。

2640  梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを
      (梓弓 引見弛見 不来者不来 来者来其乎奈何 不来者来者其乎)
 「引きみ緩へみ」は「引いたり緩めたり」である。他は文字遊び(万葉時代は音遊びか?)のような歌である。「梓弓を引くのか緩めるのかはっきりわかるように、来なければ来ない、来るなら来るとはっきりしてちょうだい。どう来ないの来るの」という歌である。

2641  時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし
      (時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠)
 時刻は時守が打ち鳴らす鼓の数によって一同に知らされた。後世暮れ六つなどはこれによる。「数(よ)みみれば」は「数をかぞえてみると」という意味。「時守の打ち鳴らす鼓の音の数をかぞえてみると、もうやってきてもよい時刻、なのに逢いにやってこないのは怪訝」という歌である。

2642  燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ
      (燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見)
 「かがよふ」は「ちらちら光る」、「面影に見ゆ」は「面影に見える」という意味。「灯火に影のようにちらちら光る目の前の彼女が笑う姿が、まるで面影のように見える」という歌である。

2643  玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも
      (玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 将見因<母>鴨)
 「玉桙の」は枕詞。「しきても」は「繰り返し」という意味。「稲席(いなむしろ)しきて」と「しきても」をかけている。「道を歩き疲れると稲席を敷いて休息をとるように、繰り返しあの方にお逢いできるてだてはないものかしら」という歌である。

2644  小治田の板田の橋の壊れなば桁より行かむな恋ひそ我妹
      (小墾田之 板田乃橋之 壊者 従桁将去 莫戀吾妹)
 小治田(をはりだ)は奈良県明日香村近辺、板田の橋は不詳。「な恋ひそ」は「な~そ」の禁止形。「小治田の板田の橋が壊れても、残った橋桁を伝ってでも行くよ。だから恋しがらないで彼女よ」という歌である。

2645  宮材引く泉の杣に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも
      (宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀<渡>可聞)
 「宮材(みやぎ)引く」は「宮殿を造る材木を切り出す」という意味。「泉の杣(そま)に」は京都の木津川沿いの地という。「やむ時もなく」までが序歌。「やむ時もなく恋ひわたるかも」を導く。「宮殿を造る材木を切り出す泉の杣(そま)山に入って立ち働く民が休む間もないように、私はあなたをずっと恋い続けています」という歌である。

2646  住吉の津守網引の浮けの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
      (住吉乃 津守網引之 浮笶緒乃 得干蚊将去 戀管不有者)
 「住吉の津守網引の浮けの緒の」は「住吉の津守が網引するその浮けの紐のように」という意味である。「浮け」は漁具のひとつ。「住吉の津守が網引するその浮けの紐のように浮かれたままどこかへ行ってしまいたい、恋に苦しんでいないで」という歌である。
           (2015年6月11日記)
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有人ドローンの夢

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 前回の英会話例会で「近い将来何が発明されると思いますか」が話題となった。「近い将来」とは人により差があるので、私は「数十年」と解し議論に加わった。私の関心は最近話題のドローンである。4~6本のマルチコプターによって飛ぶ無人飛行体である。現在は主として撮影用に使われ、趣味の世界で活躍が始まっている。これを交通に生かせないのか、これが私の夢である。
 私の想定する有人ドローンは8~12本のマルチコプターによって飛ぶ機体だ。交通に使う以上、機体の大きさは可能な限り小さい方が良く、多くのコプターが必要だからである。空を自由自在に飛べたならこんなに楽しいことはあるまい、と、これは少年の夢のような発想だが、日頃交通渋滞に苛まれている私の他愛ない夢である。
 さて、有人ドローンの登場はもう数十年以内に迫ってきているのではなかろうか。着陸方法、航空法の見直し等々関連問題が山積していると思われ、むしろ関連問題の整備や解決に時間がかかりそうである。けれども、私たちの移動には空間が使えるに越したことはなく、有人ドローンの登場は必然的な流れのように思われる。
 飛行機が飛んでいるではないかという意見がありそうだが、一人ないし二人で乗れる有人ドローンの手軽さ、利便さとは根本的に異なる。
 むろん大空を自由自在に飛び回れるのは、私たち人間の誰しもの夢なのだろうが、それがいよいよ現実のものとなろうとしている。そう考えるだけでも、わくわくする期待感が漂う。他方、何に使われるか分からない不安感の方も同時に漂ってくる。むしろ不安感の方が大きい。有人ドローンを使ったとんでもない事件の発生が予想される。墜落、接触等々。有人ドローンの登場にわくわくしつつ、他方でその不安感を心配しなければならない。人間とは因果な商売ですね。
          (2015年6月12日)
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安保法制再考を

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政治経済等時事問題おしゃべり
 アベノミクスで経済を立て直すことができた安倍総理の慧眼は支援に値すると思っている私であるが、今回の安保法制は何としても思いとどまってほしい。こちらの方が一国を戦火に導きかねない遙かに重大な問題である。事の性質上、行け行けどんどんの意見が通過しやすいので、反対論は立てにくい。が、ようやくさざ波が立ちだした。この重大事を与党内、さらには与党公明党内に反対論が出ないのが不可解。
 そう思っていたら、先ず、衆院憲法審査会で自民党推薦の憲法学者がこぞって安全保障関連法案を「違憲」と指摘したのに続き、中日新聞が報ずる所によればかって自民党重鎮だった四氏がこぞって反対した。その四氏とは山崎拓元自民党副総裁(78)、亀井静香元金融担当相(78)、藤井裕久元財務相(82)、武村正義元官房長官(80)の四氏で、6月12日に東京都内の日本記者クラブで会見した。
 ところで、我が国はすでに世界の中の軍事大国であることをご存知だろうか。SIRRI(ストックホルム国際平和研究所)の調査によると、日本は、インド、ドイツに並ぶ軍事大国。フランスやイギリスに肩を並べそうな所まできている。
 日本国憲法第9条は次のように規定している。
 1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定め、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」としている。
 武力の行使はもとより威嚇も駄目と明言しているのだ。「陸海空軍その他の戦力」とちゃんと「その他の戦力」も駄目と明言している。これによれば明らかに自衛隊は憲法違反である。専守防衛の自衛隊まで駄目となると、不安なので違憲ながらそれはよしとしよう。そもそも、世界有数の軍事大国にのし上がっている我が国がさらに「抑止力」を理由に増強する必要がどこにあるのだろう。
 さて、違憲をさらに拡大解釈する今回の安保法制、ようやくさざ波が立ち始めた。盛り上がった安倍人気も凋落し始めると一気に凋落する。そもそもこの重要問題が自民党内でけんけんごうごうの議論にならないのが不可思議。自民党内はもとより国民から総スカンを食う恐れがある。再考を願うのみである。
              (2015年6月15日)
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万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)

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     万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)
2647  東細布の空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや
      (東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也)
 古来難解とされる歌。「東細布の」は「東の細布なす雲を」、「空ゆ引き越し」は「空高くから引き垂らし」と私は解する。「目言(めこと)離(か)るらめ」は「目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど」という意味である。「東細布(しののめ)の細長い雲が幾重にも垂れ、空高くからカーテンのようになっている。遠いので目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど、そのカーテンが二人を隔てているわけではない」という歌である。

2648  かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に
      (云々 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二)
 「かにかくに」は「あれこれと」という意味。「飛騨人の打つ墨縄」は当時有名だったのだろう。「あれやこれやと思ったりしません。飛騨人の打つ墨縄のようにただ一筋にまっすぐあなたを」という歌である。

2649  あしひきの山田守る翁が置く蚊火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ
      (足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「置く蚊火(かひ)の」は蚊遣火。置くとなっているので大がかりなものではなく、番小屋に置いた蚊遣火であろう。「下焦れのみ」は「下が焦げるのみで」という意味。「山田を見張る番小屋の翁(をぢ)が置いている蚊遣火の下が焦げるように私は密かに恋焦がれるばかりです」という歌である。

2650  そき板以ち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ
      (十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼)
 そき板(そきた)は木を薄くそいで作った板だという。「あはざらば」は「合はざらば」と「逢はざらば」をかけている。「そき板を以って葺(ふ)いた屋根の板目が合わなくなったら(逢って下さらなくなったら)、どうしよう。共寝を始めた私は」という歌である。

2651  難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき
      (難波人 葦火燎屋之 酢四手雖有 己妻許増 常目頬次吉)
 難波人が火を焚く葦は有名だったのか?「常めづらしき」の「めづらしき」は「珍しい」という意味ではなく、「新鮮である」という意味である。「難波人が葦で火を焚くので家内は煤けているけれど、私の妻はいつも新鮮だ」という歌である。

2652  妹が髪上小竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば
      (妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者)
 「妹が髪上げ」に続いて「竹葉野の」を「たく(しあげ)」にかけて読み、「荒(あら)びにけらし」を「放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れる」と解する。すなわち、「彼女の髪をたくし上げるという竹葉野の放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れたらしい、逢ってくれないことを思えば」というのが定解である。が、この定解ではすっきりしない。第一に第二句の原文は「上小竹葉野之」となっている。「髪をあげ」を「竹葉野」にかけたければ「上小」が余分である。「妹が髪竹葉野の」とすれば十分である。彼女の気持ちを放れ駒に喩えるのもどこか変である。どう解したらいいのか分かり難い歌だが、「上小竹葉野之」は「かみしのはのの」と読むのではなかろうか。上小竹葉野は野原の地名だが不詳。「彼女の髪は上小竹葉野に放たれた馬たちのようにばらばら、そんな風に私と彼女は離れてしまったのだろうか、逢ってくれないことを思えば」という歌である。これが私の解である。

2653  馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つるけだし君かと
      (馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡)
 「とどとも」は擬声音。「どどどという馬音がすると、松蔭に出て様子を窺う。けだしあなたではないかと」という歌である。

2654  君に恋ひ寝ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足音ぞ我れに聞かする
      (君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為)
 「我れに聞かする」は「聞こえよがしに」という意味である。「あなたが恋しくて寝られなかった夜明けに誰が乗るやら馬の足音がする、この私に聞こえよがしに」という歌である。

2655  紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ [一云 裾漬く川を 又曰 待ちにか待たむ]
      (紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待])
 「紅(くれなゐ)の裾」は「紅色の裳裾」である。「中に置きて」は「中にはさんで」という意味である。「紅色の裳裾を引いて向かう道を中にはさんで私が通いましょうか、あるいはあなたが来て下さいますか」という歌である。
 異伝歌は「紅の裾引く道を」の部分が「(紅の)裾漬く川を」と道が川になっていて、こちらの方が本歌かと思われる。また「我れは通はむ」の部分が「待ちにか待たむ」となっている。

2656  天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも
      (天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛)
 「天飛ぶや軽の社(やしろ)の」は「天飛ぶ雁」を「軽の社」にかけたもの。「斎(いは)ひ槻(つき)」は神木の槻。「天を飛ぶ軽の社の槻の神木のように、いつまで隠し妻のままでいるのかしら」という歌である。

2657  神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの
      (神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物)
 「神なびに」は「神のいらっしゃる山に」、「ひもろき」は「神が降りてくる常緑樹」という意味。「神のいらっしゃる山に神が降りてくる常緑樹を立てて誓っても、人の心は守ることができない」という歌である。

2658  天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ
      (天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南)
 第三句「~鳴る神の」までは序歌。雲に隠れて鳴る神はむろん雷神のことである。「聞きわたりなむ」は「噂を聞き続けている」という意味。人の噂の比喩ととっても、そのまま雷の音ととっても通用するなかなかの秀歌である。「天雲の八重雲の奥から鳴り響く雷の音(噂)のみが聞こえてくる、逢えないあの人の噂を聞き続けています」という歌である。

2659  争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに
      (争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓)
 「争へば」は何を誰と争うのか分からない。が、歌意が通ると、逆に分かる。「神も憎ます」は「神もお憎みになる」という意味。「よしゑやし」は2031番歌、2301番歌等に使用例がある。「ええい、ままよ」という感嘆詞。「よそふる君が」は「噂を立てられるあの方が」という意味。そしてここまでくると、初句の「争へば」は世間の人と争う意味であることが分かる。「いたづらに世間の噂に抵抗すれば。神様もお憎みになる。ようし、噂を立てられるあの方が憎くもないのですもの」という歌である。

2660  夜並べて君を来ませとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
      (夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無)
 「夜並(なら)べて」は毎晩という意味。「君を来ませと」は「あなたいらっしゃい」と呼びかけた言い方。「ちはやぶる」はお馴染みの枕詞。「祷(の)まぬ日はなし」はお祈りしない日はありません」という意味。原文の「不祈日」の方がよく分かる。「毎晩あなたいらっしゃいと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。

2661  霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし
      (霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 ね無)
 「霊(たま)ぢはふ」は全万葉集歌中本例一例しかなく、はっきりしたことは言えない。「お守り下さる」くらいの意味でよかろう。「しゑや」は前々歌の「よしゑやし」の約まった形。「いつもお守り下さる神様、今回は私をお見棄て下さい。ええい、命の惜しいことなどありません」という歌である。

2662  我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
      (吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無)
 「ちはやぶる」も「祷(の)まぬ日はなし」も前々歌参照。「あの子にもう一度逢えないかと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。

2663  ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
      (千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無)
 「神の斎垣(いかき)も」は「神聖な垣根も」ということ。「今の私は神聖な神様の垣根も越えてしまいそうです。もう我が名など惜しいことはありません」という歌である。

2664  夕月夜暁闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねに
      (暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹)
 「夕月夜暁闇の」は「夕月夜だったその月も没し、暁に闇がきて」という意味。「夕月夜だったその月も没し、暁に闇がきて、早朝の光を受けて我が身は細長い影法師になってしまった。あなたへの思いに絶えかねて」という歌である。

2665  月しあれば明くらむ別も知らずして寝て我が来しを人見けむかも
      (月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨)
 「月しあれば」の「月し」は強調の「し」。「明くらむ別(わき)も知らずして」は「夜が明けたことも知らないで」という意味である。「空に月が出ていたので、夜が明けたことも知らず寝てしまった。家を急いで出てきたが、その姿を人に見られただろうか」という歌である。

2666  妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし
      (妹目之 見巻欲家口 夕闇之 木葉隠有 月待如)
 「見まく欲しけく」は「逢いたいと思う気持」という意味である。細かく言うと、「見たいと欲すること」で、動詞を名詞化しているわけである。「彼女にひと目逢いたいと思う気持は、夕闇になって木の葉に隠れた月がまた出てくるのを待っているようなものだ」という歌である。
           (2015年6月16日記)
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行け行けどんどん?

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政治経済等時事問題おしゃべり
 前回、私は安保法制再考を求めた。理由は、日本はすでに「インド、ドイツに並ぶ軍事大国。フランスやイギリスに肩を並べそうな所まできている」点にあった。もうこれ以上税金を使って軍備拡張を行う必要がない。さらに、自衛隊そのものはいくら理屈を並べ立てようと憲法第9条に照らせば、明らかに憲法違反だ。憲法を改正しないままどんどん拡大解釈するのはもうこの辺が限界。
 それと少し書き漏らしたことがあるので、もう一回だけここで述べさせていただきたい。 第一に、自衛隊は憲法違反である。これを改正しないまま内閣の判断で突き進めてよいのなら憲法は不必要ということになる。こんな単純なことがどうしてまかりとおるのか不可解だ。与野党を問わず、国民の代表たる国会議員ならけんけんごうごうの議論が巻き起こって当然の事態である。どうしても安保法制を進めたいなら、先ず憲法を改正してから発議するのが筋である。
 第二に、我が国日本はここ70年間、平和国日本の地位を築いてきた。国際会議で核の廃絶を訴え、唯一の核被爆国たる存在感を示してきた。世界の平和を訴え続け、せっかくその認識が広まってきた昨今である。ここで後方支援だの集団的自衛権だのの必要性をなぜ説かねばならないのか。抑止力(威嚇)によらない世界の平和実現に邁進しているのに・・・。一方で集団的自衛権を行使すれば相手側は当然日本を敵国とみなすのは当然ではないか。
 第三に、もし日本が攻められたら、という議論があるが、専守防衛を標榜する日本を攻める国があるとは思えない。万が一、攻められた場合は、我が国はインド、ドイツ、フランス、イギリスに肩を並べんとする軍事大国ではないか。何を恐れることがあろう。堂々と立ち向かえばいいではないか。
 以上、三点の理由によって、少しでも危険性をはらむ今回の安保法制は、なんとしてでもとめなければならない。一内閣の閣議決定後、こんなにあわてて安保法制が発議されるなんて・・・。私は未来の若者のためにも、こうした危険をはらむ安保法制はただちに引っ込めてもらいたいと思う。最低限、ただちに衆議院を解散し、国民の賛否を問うてもらいたい。これ以上、解散して賛否を問うに相応しい議題は他に見あたらない。それほどの重要案件である。私が不思議なのは、ただちに身に降りかかるかも知れないこの案件に、野党は当然のこと、なぜ自民党内からほとんど声が聞こえてこないのか不可思議。このまま行け行けどんどんで、本当によいのだろうか?
 最後に、さきの記者会見で述べたという、山崎拓元自民党副総裁の言葉を次に紹介しておこう。
 「今の自民党は(異議の)声を上げづらい雰囲気だ。(トップの意向ばかり気にする)ヒラメ状態で、安倍政権の権力にひれ伏している」
              (2015年6月17日)
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万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)

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     万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)
2667  真袖もち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
      (真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾)
 「真袖(まそで)もち」は片袖に対する言い方で両袖のこと。が、両袖で床を払うとはどういう図だろう。イメージしにくい。埃を払うのに両袖でする風習でもあったのだろうか。この点どの書にも何の解説もない。あるいは長い袖なので歩くたびに床を払うことをいうか?。もしもこの解釈が正しければ、部屋の中を行ったり来たりする状況を表している。歌意にはぴったりなのでこう解しておきたい。「あなたを待って(落ち着かなく)部屋を行ったり来たりするうち、すった両袖で床が払われ、いつの間にか月が傾いてしまったわ」という歌である。こう解すると、相手を待つ間の苛々を「真袖もち床うち掃ひ」で表現していることになり、秀歌であることが分かる。

2668  二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ
      (二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来)
 二上は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町に跨がる山。「妹が手本を」だが、通常「彼女の手枕」と解されているが、「彼女の元を」と解した方が適切。「二上山に隠れる月は名残惜しいけれど、彼女の元を離れて久しいこの頃とりわけ名残惜しい」という歌である。

2669  我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき
      (吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引)
 「雲なたなびき」は禁止の「な~」。「あの方がこちらの方を振り返りながら嘆いておいででしょう。清らかな月夜、雲よたなびかないでおくれ」という歌である。

2670  まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ
      (真素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益)
 「ゆつりなば」は「移りなば」で「月夜が移っていってしまえば」という意味である。「まそ鏡のように清らかな月夜が移っていってしまえば、あなたへの思いはやまず、いっそう恋しさがまさります」という歌である。

2671  今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし
      (今夜之 在開月夜 在乍文 公(口+リ)置者 待人無)
 「有明月夜」は次句の「ありつつも」にかけている。「今夜の有(あり)明の月夜のようにあり続けても、あなたをおいて待つ人はおりません」という歌である。

2672  この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも
      (此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨)
 「月の空なる」は月が中空高く上がった状態を示している。「この山の嶺に近いと(手が届きそうな)月と見ていたのが、やがて遙か遠い中空にかかっている(手の届きそうにない)恋をしているのかなあ」という歌である。

2673  ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ
      (烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「ゆつりなば」は2970番歌参照。「夜渡る月が移っていってしまったら、さらにいっそう私は彼女に恋い焦がれることだろうな」という歌である。

2674  朽網山夕居る雲の薄れゆかば我れは恋ひむな君が目を欲り
      (朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲)
 朽網山(くたみやま)は大分県竹田市にある久住山のこととされ、久住山の古名という。後はこのまま分かるだろう。「朽網山の夕方にかかっていた雲が薄れ晴れてくると、私はあの方が恋しい、一目あの方に逢いたくて」という歌である。

2675  君が着る御笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも
      (君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨)
 御笠の山は奈良県春日山の一峰。初句の「君が着る」は御笠の山にかかる枕詞という説があるが、本歌一例しかなく、枕詞(?)である。987番歌に「妹が着る御笠の山」とある。これからすると、笠をいただいた御笠山から「立派な着物を着た」という美称と取れる。「居る雲の」は「低くかかった雲が」、「立てば」は「立ち上れば」という意味。「継がるる」は「次々と立ち上ってくる雲のように」という意味である。「笠をかぶり立派な着物を着た御笠山。そこに低くかかった雲がかかり、 次々と上ってきて、湧いては湧いてはやってくるそんな恋をしている」という歌である。

2676  ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに
      (久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「ありてしか」は願望。「あったなら」である。「おつる日なしに」は独特の表現。「毎日欠かさず」という意味。「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌である。

2677  佐保の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜ぞ多き
      (佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸)
 佐保の内は奈良市法蓮町あたり。「佐保の内を嵐が吹き抜ける季節になったので、帰りはいつになるやら分からず、嘆く夜が多くなった」という歌である。

2678  はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥開けてさ寝にし我れぞ悔しき
      (級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸)
 「はしきやし」は嘆息の言葉。「玉櫛笥(たまくしげ)開けて」は「櫛箱を開けて」で、「いつでも櫛を手に取れるように」という「待つ身の」強調表現。「あーあ、吹いても来ない風なのに玉櫛笥を開けて寝ていた自分が悔しい」という歌である。

2679  窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしぞ思ふ
      (窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。後は解説不要だろう。「窓越しに皓々と照り輝く月が見える。嵐が吹きすさぶこんな夜はあの方のことを思う」という歌である。

2680  川千鳥棲む沢の上に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば
      (河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言)
 「いちしろけむな」は、立つ霧の白さと目に立つをかけた言い方。「相言ひそめてば」は「愛の言葉を交わすようになったなら」という意味。「川千鳥が住んでいるという沢の上に湧き上がる霧のように白く目に立つようになることだろうな。互いに愛の言葉を交わすようになったなら」という歌である。

2681  我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
      (吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓)
 このままで分かる平明歌。「あの方からの使いを待って笠もつけないで、戸口を出て今か今かと。雨が降っているというのに」という歌である。

2682  韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を
      (辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎)
 「韓衣(からごろも)」は漠然と大陸風の着物。「韓衣をあの人に着せてみたいものだ。と恋い焦がれつつ雨の降る日を暮らしました」という歌である。

2683  彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹
      (彼方之 赤土少屋尓 霂霂零 床共所沾 於身副我妹)
 「彼方の」は遠方に立てた小屋のことを指す。埴生(はにゅう)は赤土のこと。「遠方の埴生の上に立てた小屋。(二人でいたら)小雨が降り床まで濡れてしまった。妻よ私に寄り添ってくれ」という歌である。

2684  笠無みと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ
      (笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念)
 「笠無みと」の「み」は「~ので」の「み」。「雨障(つつ)み」は「雨に遮られて」すなわち「雨に降り込まれて」という意味。「笠がないのでと人には言って、雨に降り込まれたからと我が家に立ち寄ったあの方の姿が忘れられない」という歌である。

2685  妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
      (妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「雨も降らぬか」は「雨でも降ってきてくれないか」である。「そをよしにせむ」は「それを口実にして」という意味。「彼女の家の門を通りすぎかねる。雨でも降ってきてくれないか、それを口実にして立ち寄ることも出来ように」という歌である。

2686  夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ
      (夜占問 吾袖尓置 白露乎 於公令視跡 取者消管)
 「夕占(ゆふけ)問ふ」は、四つ辻に出たり、神社に詣でたり等々で行う夕占い。神社に詣でて夕占いをする際の様子か?。「夕占いをしていたら、私の袖に白露が降りてきた。その白露をあの方に見せようと、手に取れば消えてしまう」という歌である。

2687  桜麻の苧原の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも
      (櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知)
 「桜麻(さくらを)の」は麻の一種と思われる。「苧原(をはら)の下草」は「桜麻が茂る原」のこと。「い行け」の「い」は調子を整えたり意味を強めたりする接頭語。「桜麻が茂る原の下草は露に濡れていますから、夜を明かしてお帰りなさいな、母が知ることになっても」という歌である。

2688  待ちかねて内には入らじ白栲の我が衣手に露は置きぬとも
      (待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆)
 「待ちかねて」は反語的表現で、「待ちかねたからと言って~待ちます」という意味である。「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「待ちかねたからと言って家の庭には入りません。真っ白な私の着物の袖に露がおりてきても、私は待っています」という歌である。
           (2015年6月19日記)
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なぜ急ぐ?

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政治経済等時事問題おしゃべり
 前々回、安保法制の故に安倍内閣の支持率は急落するかもしれないと危惧を表明した。というのは新しい世論調査ほど安保法制に慎重たるべし、と出ている。たとえば、5月30日及び31日の共同通信の調査だが、その結果について共同通信は以下のように記している。
 「共同通信社が5月30日と31日に行った全国電話世論調査で、安保法制(安全保障関連法案)について「説明不足」と感じている国民の比率が81.4%に達したことが分かりました。「十分に説明されている」と答えた方は僅かに14・2%だけで、国民の大多数が安保法制を巡る政府の姿勢に疑問を投げ掛ける結果になっています。」
 81.4%は異常で、にもかかわらず、その議決を急ぐ安倍内閣の姿勢は危機的状況に近づきつつある、と断じてよい。一見、結束を誇っているかに見える自民党内だが、安倍人気の凋落につれて自壊作用を起こしかねない。内閣支持率も低下し始めており、さきに掲げた共同通信は以下のように記している。
 「安倍内閣の支持率は49・9%で、4月の前回調査に比べて2・8ポイント減った。不支持率は38・0%(前回34・9%)だった。」
 今月(6月)の結果が出そろい、さらに7月になれば見るも無惨な結果が予感される。なぜ、国民の大多数が反対している安保法制の議決を急ぐのか理解に苦しむ。さしもの安倍人気もこのまま強引に突っ走ろうとすると、見るも無惨な結果が現実のものとなろう。国民総スカン、そして遅ればせながら自民党総スカンとなりかねない。
 本当にようく考えていただきたい。安保法制、この重大な案件、慎重の上にも慎重であってほしい。国民は決して馬鹿ではない。それを感知できない政治家は信じられない。かっての自民党のように、ケンケンガクガクの議論を行ってほしい。安倍さん一人が言い出したからと言って一国の命運を決める安保法案をなぜ急ぐ?
              (2015年6月20日)
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口内炎

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 6月12日の有人ドローンの記事を最後に、ここ10日間、本欄から遠ざかっている。安保法制時事問題のおしゃべりにかまけていたこともあるが、その理由の大部分は実は意外にも舌が痛かったことにある。口内炎と思って様子をみていたが、これまで経験した口内炎なら4,5日もあれば消失する。が、今回はひどい。7日間も続いている。極めてものが食べづらい。ひどい日は水と糖分とエビセンベイ(???)しか食べられない。おかげでここ一週間でわが体重は5キロも落ちた。万歩計をつけたり自転車漕ぎをしたりして懸命に努力した時もあったが、それでも1キロも減らず、現状維持がやっとだった私が一週間で5キロ減った。
 たまりかねた私は本日日赤病院に足を運んだ。万が一舌ガンの始まりならと不安が頭をよぎった。その結果、「口内炎には相違ないが、傷が深いね。検査の要があるか否か7月1日に再来してもらって決めましょう」と言われた。まだ9日もある。随分のんびりしているな、と思ったが、逆にいうと、それまでには治癒するとドクターはみているのかな、といい方に解釈して病院を後にした。
 なんとも歯(舌)切れの悪い話だが、こんなわけで、神経を使う(使ってない?)エッセイはしんどかったのである。まだまだ痛みは続きそうでうっとおしくてたまらない。それほどひどい傷なのか。
 かくて私は人によれば口内炎ごときで音を上げそうである。この弱虫め、なんだ口内炎ごときでと自分自身を叱咤してみるのだが、ものが食べにくいのは事実。痛みが続いているのも事実。人間なんて弱いものですね。普段勇ましげにしていてもしょせんは草木の一本。その私をいっとき慰めてくれたのが日赤の庭に植えられた紫陽花だった。
          (2015年6月22日)
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かってきた道

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 私は口内炎の痛さに顔をしかめながら安保法制に賛意を表明している人々は、我が国の自衛隊がすでに世界の中の軍事大国であることをご存知だろうか、と思った。SIRRI(ストックホルム国際平和研究所)の調査によると、日本は、インド、ドイツに並ぶ軍事大国。フランスやイギリスに肩を並べそうな所まできている。
 この軍事大国が、さらに軍事を増強しようとしている。安保法制はその入口に過ぎない。しかもAFP通信によると、旧日本兵や元英兵捕虜が生存中なのに・・・。6月22日、二人はロンドン市内の社交クラブで対面したという。AFP通信は次のように記している。
 「戦争については、戦勝国の人間であれ、敗戦国の人間であれ、巻き込まれた人々はすべて犠牲者だと話し、「このような悲しみが繰り返されないことを切に願う」と語った。」
 こういう状況なのに一国の総理が安保法制を通そうとしている。私は他人事だから言える。戦争になったら真っ先に総理や閣僚が戦地に赴くのならいい。そうでないことを知っているから、超軍事大国への道も議論できるのだ。戦地に赴くのは自分たちよりうんと若い人々なのだ。
 私は頬を両手で押さえながら、天井を見つめ、まだ大戦が終わって70年、木下幹夫さん(94)やハロルド・アチャリーさん(96)のような人がまだ生存しているというのに、よくも軍備増強につながるような議論ができるもんだ。
 私は、こんなことは二度と繰り返してはいけない、軍備増強に道を開く安保法制などもってのほかだ、と考えてまんじりともしなかった。なんとしてでも、かって歩んだ道を歩んで欲しくない。自分より若い人々に負荷を強いるような議論をしているこの国の政治家たちは一体何と思っているのだろう。平和どころか軍備拡大競争につながりかねない議論をどうしてするのだろう。私には正気の沙汰とは思われないのである。
          (2015年6月24日)
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難渋

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 口内炎から10日余、やっと口内炎から解放される日がやってきた。まだ若干痛みが残っているが、食事がなんとか普通に取れるようになった。食事ひとつ取ることがこんなに辛いものとは思わなかった。
   毎日の食事取るのに難儀する地獄の沙汰はこのこというや
   たとえれば閻魔大王怖くなしこの目前の汁さえ飲めず
 顔をしかめ、やっとカステラを指先で口中に入れる。そして形ばかりの咀嚼を試みる。おそるおそるに・・・。最悪期など痛くてなかなか飲み込むことが出来ない。舌で味わうのに、その舌自身が邪魔になって、引っこ抜きたくなる。一切れ飲み込むのに難渋する。二切れ目はもっと難渋する。さりとて、カステラ以外に咀嚼したり飲み込んだり出来ない状況下。二切れ処理するのに十数分の苦渋。三切れ目を取ったものの、ああでもない、こうでもないと考えて、結局は食べるのをあきらめる。
 一回の食事がこんなにも苦渋に満ちた難行だとは知らなかった。これまでの口内炎とは桁違いの難渋だった。それでも、水くらいは嚥下しなくてはなるまいと、コップの水を口に含む。痛みに耐えて一気に嚥下する。一呼吸置いて、二口め。そろそろと口に含む。そして一気に嚥下する。
 大袈裟ではない。たかがコップ半分の水を飲むのにひと苦労。額に汗が噴き出している。なんということだ、本当にコップ半分の水だというのに・・・。
   あまりにも口内炎の痛さゆえ我が人格などどうでもいいや
 むろん、こんな風に思ったのは最悪期の二、三日。本日になってやっと解放に向かい、まるで嵐のようないっときだったと思う。もともと私に人格などあるはずもなく、それはどうだって構いはしないが、苦渋はほんの隣り合わせに存在すると思った次第である。
          (2015年6月26日)
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万葉集読解・・・169(2689~2708番歌)

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     万葉集読解・・・169(2689~2708番歌)
2689  朝露の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
      (朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待)
 「またをちかへり」は原文に「又若反」とあるように、「また若返って」という意味。
さて、「たとえ老いても、また若返ってあなたを待ちましょう」が歌意だが、よく分からない歌意である。前半部の「朝露のように消えやすい我が身」とどうつながっているのだろう。困った私はこう解した。「どうせ朝露のように消えやすい我が身ですもの。幾度消え失せようと老いようと、幾度でも生まれ変わってあなた様をお待ちしますわ」という歌である。と解した。

2690  白栲の我が衣手に露は置き妹は逢はさずたゆたひにして
      (白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶豫四手)
 「白栲の我が衣手に露は置き」は待つ身のつらさを詠っている。「たゆたひにして」は「ためらっていて」である。「真っ白な着物の袖に露がおりても、あの子は逢ってくれない。ずっとためらっていて」という歌である。

2691  かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに
      (云々 物者不念 朝露之 吾身一者 君之随意)
 平明歌である。「あれやこれやと思い悩みません。朝露のようにはかない我が身ひとつ、あなたさまの意のままに」という歌である。

2692  夕凝りの霜置きにけり朝戸出にいたくし踏みて人に知らゆな
      (夕凝 霜置来 朝戸出尓 甚踐而 人尓所知名)
 「夕凝りの霜置きにけり」は「夕方から凝り出した霜」すなわち「朝起きたら一面真っ白に地面を染めた霜」のことである。「いたくし踏みて」は「強く踏んで」で、「し」は強意の「し」。「一晩の内に染めた霜、朝起きたら一面真っ白、戸を出てお帰りに成るときは、強く踏んで人に知られることのないようにして下さいね」という歌である。

2693  かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを
      (如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾)
 「恋ひつつあらずは」は2636番歌や2646番歌の結句に「~恋ひつつあらずは」と使われていて、「~していないで」という意味である。「朝に日(け)に」は、「朝も日中も」という意味。「こんなに恋い焦がれ、苦しんでいないで、朝も日中も彼女が踏むだろう土になりたいものを」という歌である。

2694  あしひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し子に恋ふべきものか
      (足日木之 山鳥尾乃 一峰越 一目見之兒尓 應戀鬼香)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「一峰」は「ひとを」と読む。「山鳥の尾(を)の」を導く序歌。「恋ふべきものか」は「恋してしまうものだろうか」である。「山鳥の尾の、その一峰を越えた向こうでただ一目見ただけのあの子に恋してしまうものだろうか」という歌である。

2695  我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
      (吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有)
 「逢ふよしをなみ」は「逢う手段がないので」。「なみ」は例によって「~ので」の「み」。「彼女に逢う手段がないので、駿河の富士の高嶺のように燃え続けているのだろうか」という歌である。この歌の詠まれたとき、富士は噴火していたのだろうか。

2696  荒熊のすむとふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ
      (荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告)
 師歯迫(しはせ)山はどこの山か不詳。ここまでは序歌。「迫る」が「責めて」を導く。「荒々しい熊が棲むという歯迫山のごとく責められてもあなたの名は明かしません」という歌である。

2697  妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ
      (妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡)
 「立たば惜しみこそ」は「噂に立ってはまずいから」という意味。「わたれ」は「続けている」。「彼女の名も私の名も噂に立ってはまずいからこそ富士の高嶺のように燃え続けています」という歌である。
 或る歌にいう、として次の歌を登載している。
      君が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ
      (君名毛 妾名毛立者 惜己曽 不盡乃高山之 燎乍毛居)
 本歌が男性の歌なのに対し、この異伝歌は女性の歌となっている。「あなた様の名も私の名も噂に立ってはまずいからこそ富士の高嶺のように燃えていよう」という歌である。

2698  行きて見て来れば恋ほしき朝香潟山越しに置きて寝ねかてぬかも
      (徃而見而 来戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨)
 朝香潟(あさかがた)は所在不詳。女性の居場所か?。「行って逢って帰って来ると、恋しくなる彼女のいる朝香潟。山越にいる彼女を思うと寝るに寝られない」という歌である。

2699  阿太人の梁打ち渡す瀬を早み心は思へど直に逢はぬかも
      (安太人乃 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨)
 阿太人(あだひと)は奈良県五條市吉野川近辺の人。梁(やな)は魚を捕る仕掛け。「瀬を早み」は「瀬が急流なので」という意味。「阿太人が仕掛けた梁のあたりは瀬が急流なので渡れない。心ははやれど直接に逢うことができない」という歌である。

2700  玉かぎる岩垣淵の隠りには伏して死ぬとも汝が名は告らじ
      (玉蜻 石垣淵之 隠庭 伏<雖>死 汝名羽不謂)
 「玉かぎる」は枕詞。2509番歌に「~玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻」とある。「隠(こも)りには」は「隠って」という意味。「岩で垣根のように囲まれた淵に隠って、そのまま伏して死のうとも、決してそなたの名は漏らしません」という歌である。

2701  明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも
      (明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨)
 明日香川は現在飛鳥川と表記されている。奈良県明日香村、橿原市、田原本町などを流れる川。「石橋の遠き心は」は「飛び石のように遠い心など」という意味である。「明日香川、明日も渡ろうと思うその石橋のように飛び飛びの遠い心など思ってもいません」という歌である。

2702  明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ
      (飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝申自)
 「水行きまさり」は「水かさが増す」である。「いや日異(ひけ)に」は「日に異に」のつづまったもので、「日ごとに」という意味。「ありかつましじ」は484番歌等に使用されているが、「そのままでよいのでしょうか」、すなわち「そのままではいられない」という意味である。「明日香川の水かさが増し、日ごとに恋い心が増していけばこのままではいられない」という歌である。

2703  ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは
      (真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者)
 「水隠(みごも)りに」は「水に隠れる(ひたされる)」という意味。「ま薦刈る大野川原のように、水に浸されて密かに恋い焦がれてきた彼女の紐をいまこそ解くのだ、この私は」という歌である。

2704  あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも
      (悪氷木<乃> 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山下響み」は「山の麓を音を響かせて」という意味。「山の麓を音を響かせて流れ下る川水のように、時ともなく絶えず恋い焦がれ続けています」という歌である。

2705  はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ
      (愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳<沾>津)
 「はしきやし」は「ああ」という感嘆詞。「君ゆゑ」は「あの方なのに」。「ああ、逢っても下さらないあの方なのに、いたづらにこの川の瀬に玉藻を濡らしてしまいました」という歌である。

2706  泊瀬川早み早瀬をむすび上げて飽かずや妹と問ひし君はも
      (泊湍<川> 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳)
 泊瀬川(はつせがは)は奈良県桜井市を流れる川で佐保川と合流する。「むすび上げて」は「手にすくい上げて」である。「泊瀬川の流れが早いので、その早瀬を手ですくいあげて、十分飲んだかやお前、と優しく訊いて下さったあの方は、ああ」という歌である。

2707  青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
      (青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉<将>度 相縁乎無)
 青山は青々と茂る山。「水隠(みごも)りに」は「隠れた水」のこと。「よしをなみ」は「てだてがないので」。「~ので」の「み」が結句に来るのは珍しい。「青々と茂る山中に岩で囲まれた沼の水が隠れているように、恋い焦がれ続けなければならないのだろうか。逢うてだてがないので」という歌である。

2708  しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ寄そりし隠り妻はも [一云 名の    み寄そりて恋ひつつやあらむ]
      (四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母 [一云     名<耳>所縁而 戀管哉将在])
 「しなが鳥」はカイツブリかというが不明。猪名山(ゐなやま)の川は大阪府池田市から兵庫県川西市にかけて流れる川。「響(とよ)に行く水の」は「響かせて流れ下る水のように」という意味である。「名のみ寄そりし」は「評判ばかり立てられて」だが、「寄そりし」は妙な表現。「しなが鳥棲む猪名川が音を響かせて流れ下る、その響きのように、評判ばかり立てられて(気の毒だ)隠し妻は」という歌である。
 異伝歌は「隠り妻はも」の部分が「恋ひつつやあらむ」となっていて、「恋い焦がれているだろうか」という歌になっている。
           (2015年6月27日記)
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異常な文明発達

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 古代日本、それはいうまでもなく、人々が日本の原風景の中に溶け込んで生活していた。木造ないし茅葺きの家に住み、冬は薪をくべて暖をとっていた。ネズミが走り回り、青大将が天井をはい回っていた。一歩、外に出ると、蝶が舞い、赤トンボが飛び回っていた。むろん、蛾や蚊の類も飛び回り、蚤や虱も跋扈していた。夜になると、せせらぎや蛙の声が聞こえ、コオロギやスズムシの鳴き声が聞こえてきた。ツバメが軒下に巣を作り、池には亀がいて、鴨等の水鳥が泳ぎ回っていた。
 古代日本から延々と続く日本の原風景は、つい半世紀余前までは普通に見られた。すなわち、今でも離島に足を運べば、決して珍しくない風景である。それが一変するのは、ここ半世紀余なのだ。車が飛び交い、高僧ビルが立ち並び、マンションが林立する。
 つまり、こういうことである。一千年も、否、二千年も、ほぼ目立った変化もなかった日本の原風景。それが、ほぼ一瞬と言って良い、ここ半世紀余という短期間に、激変したのである。この未曾有の激変はいつまで続くのだろう。今後半世紀の間には考えられない世界が現出するに相違ない。私にはIT技術の進展と軌を一にして自動ロボットの飛躍的進展が透けて見える。人間に代わって働くロボットである。それも、これまでと異なるのは、ロボット自らが考え、ロボット自らが判断して処理する、ある意味、人間以上の思考力と判断力を備えたロボットの誕生である。そこから先は、決して考えたくないが、ひとたび敵とみなした者への攻撃である。つまり、ロボットとロボットとの戦い、代理戦争の勃発である。ロボット自らロボットを作れば際限がない。制御は人間様が持つなどと安心してはいけない。人の手を離れるよう設計されたロボットがひとたびできてしまえば、ジ、エンドだ。日本の原風景の中に溶け込んでいた人間があっという間に危機に陥る。そんな未来像は決してこないと信じたいのであるが・・。
          (2015年6月28日)
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もう屁理屈はごめん

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政治経済等時事問題おしゃべり
 安倍首相の不可思議な発言が飛び出したので、ひとことおしゃべりである。
 安保法制発議の根拠は砂川判決だと安倍首相は述べた。そこで、それを見てみようと思うが、その前におさらいの意味で憲法第9条を見ておこう。
 日本国憲法第9条は次のように規定している。
 1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 これによれば、 武力の行使はもとより威嚇も駄目と明言しているのだ。「陸海空軍その他の戦力」とちゃんと「その他の戦力」も駄目と明言している。
 つまり、自衛隊そのものが明らかに憲法違反だ。なのに自衛隊はなぜ存在できるのか。答えは憲法から離れて、国連憲章の「安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる。」(51条を根拠とする)としている。これは明らかに奇妙。条約はそうであっても、我が国の憲法は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めている。「自衛権はあっても、永久にこれを放棄する。」と明言している。そんなご無体な、といっても、そう明言されている以上、自衛隊は憲法違反。もしも国連憲章の規定が優先するのなら、何もかも条約に従えばよい。憲法など不必要。憲法は我が国の規定、したがって、条約がどうであろうと、憲法が優先される。
 我が国はあくまで日本国憲法に従わなければならない。では、自衛隊をなくし、無抵抗、無手勝流でいけというのか、ということになる。憲法はそれでいけと明言している。が、憲法違反であっても、ぎりぎり最低限の自衛はしなくてよいのか、となる。
 つまり、違反であるけれど、国が焼け野原になっていいのか、と開き直るしかないのである。
 そこで、首相が安保法制の根拠とする砂川判決だが、これは学生が米国基地内に立ち入ったとして裁判になった事件である。「えっ、なぜそれが安保法制と関係するのか」、「ましてそれが安保法制発議の根拠となるのか」である。強引も強引、基地に立ち入っただけの単純な裁判なのである。これは第一審の無罪判決(伊達判決)に原因がある。人の敷地内に入って無罪は奇妙。無罪の根拠に憲法9条を持ち出して、駐留米軍は9条に違反する
として無罪としたのである。つまり、事件と憲法9条とは何の関係もなく、人の敷地内に無断で入ったのだから、罰を受けるのは当然。ただそれだけの事件である。
 伊達判決が憲法9条を持ち出したので、最高裁も持ち出さざるを得なくなり、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない」との最高裁見解を引き出した。が、これもお読みになればお分かりのように、当たり前のことだ。「外国の軍隊は(我が国の)戦力にあたらない」と至極当然のことを言っているに過ぎない。憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことである」としている。これも極めて至極当然のことで、「憲法9条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことである」に決まっている。それも頭に「禁止する戦力とは」と付けている。つまり、憲法9条が禁止しているのは「我が国の陸海空軍その他の戦力であって、かつ、それを保持しない」といっているに過ぎない。では、「日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、」だが、これも当然。固有の自衛権はあるのだが、戦力を持つことは禁じられている、と最高裁の見解は当然のことを述べている。
 以上で、「固有の自衛権はあるのだが、戦力を持つことは禁じられている」わけで、これのどこが自衛隊を保持してよいと解釈出来るのだろう。いかなる戦力も持てないので、外交、国連、米国に頼るしか方法はないのだ。
 そこで、自衛戦力を持つには違憲だが、持たざるを得ないではないか、と開き直るしか道はない。こんなわけで、「主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず」は単に「自衛権は内包しているけれど」という文脈なので、これを安保法制発議の根拠に置くのはとんでもはっぷんということになる。
 つまり、どう拡大解釈しようと、現自衛隊が出来る最大限は専守防衛、この一点なのである。その専守防衛のために、日本は、インド、ドイツに並ぶ軍事大国。フランスやイギリスに肩を並べそうな所まできている。IT技術を考えれば、アメリカに次ぐ世界第二位の軍事力を誇っているとさえささやかれるに至っている。その世界に冠たる軍事力をもって専守防衛に当たれば十分すぎる力だ。
 この上、何のために集団的自衛権まで持とうとするのか。世界一の軍事大国を目指さないと気がすまないのか、と問いたくなる。
 もう安保法制に何が何でもかじりつきたいとしか思われない。国民は馬鹿ではない。政府の説明が十分でないからではない。そもそも無理に説明しようとしているのであるから、「ちょっと待ってよ」と国民は言っているだけなのである。かってきた道、それは決してやってもらっては困る、と私たちは言っているだけなのである。
 いよいよ、明日から7月。安倍政権の人気が急落を迎えると予感される月である。すでに安倍首相を取り巻く自民党員の中から強権体質を窺わせる発言が飛び出している。こういう発言が飛び出して来ること自体、通常は末期症状だ。
              (2015年6月30日)
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万葉集読解・・・170(2709~2728番歌)

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     万葉集読解・・・170(2709~2728番歌)
2709  我妹子に我が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべく思ほゆ [或本    歌發句云 相思はぬ人を思はく]
      (吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三<超>而 應逝衣思 [或本    歌發句云 相不思 人乎念久])
 「しがらみ」は、水流を塞き止める柵。通常杭を並べ竹や木を渡す。「彼女に恋い焦がれるのは、水流にたとえればしがらみさえ乗り越えて行くような気持ちである」という歌である。
 或る本には発句は以下のようになっているとしている。
 「相思はぬ人を思はく」(相不思 人乎念久)。「思ってもくれない人を思うのは水流にたとえれば~」となっている。

2710  犬上の鳥籠の山なる不知哉川不知とを聞こせ我が名告らすな
      (狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈)
 犬上の鳥籠(とこ)の山とは、滋賀県彦根市にある正法寺山。不知哉川(いさやがは)はそこを流れる川。その不知(いさ)を次句の不知(いさ)にかけている。「とを」は九九の2掛ける5(原文二五)のこと。「我が名告(の)らすな」は「私の名は伏せておいて下さい」で、実質的にはこの結句のみの歌。「犬上の鳥籠の山なる不知哉川といいますが、問われても不知とおっしゃって下さい。私の名は伏せておいて下さいね」という歌である。

2711  奥山の木の葉隠りて行く水の音聞きしより常忘らえず
      (奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘)
 読解不要の平明歌。「奥山の木の葉隠りに流れ下る音、その音のように噂だけを聞きました。以来、その噂が常に頭にあって忘れられません」という歌である。

2712  言急くは中は淀ませ水無川絶ゆといふことをありこすなゆめ
      (言急者 中波余騰益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目)
 「言急(ことと)くは」は「噂が激しいようでしたら」という意味。「中は淀ませ」は「途中でお休みになって」という意味である。「ありこすなゆめ」は「~にならないように」、「ゆめ」は禁止の「ゆめ」。「噂が激しいようでしたら途中でお休みになって下さい。が、水無川のように途絶えてしまわないように、決して」という歌である。

2713  明日香川行く瀬を早み早けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ
      (明日香河 逝湍乎早見 将速登 待良武妹乎 此日晩津)
 明日香川は現在飛鳥川と表記されている。奈良県明日香村、橿原市、田原本町などを流れる川。「行く瀬を早み」は次句の「早けむと」を導く序歌。「早み」の「み」は例によって「~なので」の「み」だが、ここでは「早く早く」と次句につなげて読むといい。「明日香川、その瀬は早く、早く早くと待っているに相違ない彼女だろうに、行けずにこの日を暮らしてしまった」という歌である。

2714  もののふの八十宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも [一    云 立ちても君は忘れかねつも]
      (物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾為鴨 [一云 立而    毛君者 忘金津藻])
 「もののふの八十氏」を「宇治川」にかけている。宇治川は京都府宇治市を流れる川。「立ちえぬ」は「立っていられない」。「氏の多いもののふですが、その宇治川の早い瀬には立っていられない。が、それでも私は恋いしています」という歌である。
 異伝歌は「その急流に立つことになっても、あなたは忘れられません」という歌である。

2715  神なびの打廻の崎の岩淵の隠りてのみや我が恋ひ居らむ
      (神名火 打廻前乃 石淵 隠而耳八 吾戀居)
 「神なび」は神社を指す。「打廻(うちみ)の崎」は所在不詳。「神社の打廻の崎にある岩だらけの淵はひっそりと隠れている。その淵のように私は恋い焦がれるばかりであろうか」という歌である。

2716  高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は
      (自高山 出来水 石觸 破衣念 妹不相夕者)
 「高山ゆ」の「ゆ」は「~から」の「ゆ」で「高い山から」という意味である。「高い山からほとばしり出てくる水が岩に触れて砕け散る。そんな風に砕け散る我が思い。彼女に逢えない夜は」という歌である。

2717  朝東風に井堤越す波の外目にも逢はぬものゆゑ瀧もとどろに
      (朝東風尓 井堤超浪之 世染似裳 不相鬼故 瀧毛響動二)
 「朝東風に」は「あさこちに」と読む。この、こち(東風)は菅原道真の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主無しとて春を忘るな」という有名な歌がある。
 「井堤(ゐで)越す波の」は「堤を越えて波が」で、次句の「外目(よそめ)にも」にかかる。「逢はぬものゆゑ」は「逢ってもいないのに」という意味。「朝の東風に吹かれて堤を越えて波があふれ出すように、あの子に遠くから逢ってもいないのに、噂ばかりが滝もとどろにやかましい」という歌である。

2718  高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
      (高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死)
 「岩もとたぎち」は「岩の根本をほとばしり」という意味。「高い山の岩の根本をほとばしって流れ下る音、そんな水音のように噂を立てられないようにしていよう。たとえ恋い焦がれて死のうとも」という歌である。

2719  隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
      (隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎)
 「隠(こも)り沼の下に」は「隠れた沼のように心密かに」という意味である。「人に語りつ」は「人に話してしまった」、「忌(い)むべきものを」は「慎まなければならないのに」という意味。「隠れた沼のように心密かに恋していたが、それでは飽きたらず、とうとう人に話してしまった、慎まなければならないのに」という歌である。

2720  水鳥の鴨の棲む池の下樋無みいぶせき君を今日見つるかも
      (水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨)
 「下樋無み」の「み」は例によって(~ので)の「み」。下樋は土中に埋められた水を通す管。「下樋が無いので水が淀んで」という意味である。「いぶせき」は「心が晴れない」という意味。「水鳥の鴨が棲んでいる池に下樋が無いように滞って心が晴れませんでしたが、そのあなた様に今日やっとお逢いできましたわ」という歌である。

2721  玉藻刈る井堤のしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも
      (玉藻苅 井堤乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞)
 「しがらみ」は、水流を塞き止める柵。通常杭を並べ竹や木を渡す。この歌、歌意がいまいち不明。というのは「しがらみが薄ければ」、恋は淀まずすらすら運ぶからである。各書はそう解しているが、???である。そこで第三句の「薄みかも」は願望に取れないだろうか。「玉藻を刈る堤のしがらみはもっと薄くなってくれないだろうか。恋が滞っている我が心なので」という歌である。と私は解したい。

2722  我妹子が笠のかりての和射見野に我れは入りぬと妹に告げこそ
      (吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞)
 「笠のかりて」は和傘の内側の輪の部分。「和射見野(わさみの)」は岐阜県関ヶ原という。「かりての輪」が「わさみ」の「わ」を導く序歌。「彼女がさしているかりての輪、その和射見野にやっとさしかかった。誰かこのことを彼女に告げてくれないだろうか」という歌である。

2723  あまたあらぬ名をしも惜しみ埋れ木の下ゆぞ恋ふるゆくへ知らずて
      (數多不有 名乎霜惜三 埋木之 下従其戀 去方不知而)
 「あまたあらぬ」はよく分からない表現。直訳すれば「数多くもない」であるが、それでは歌意が通らない。一応、「数あるわけではないたった一つの名」と解しておく。「埋れ木の下ゆぞ」は「埋もれた木のように密かに」という意味である。「数あるわけではないたった一つの名を惜しんで、埋もれた木のように密かに恋している。その恋の行方はどうなるか分からないまま」という歌である。

2724  秋風の千江の浦廻の木屑なす心は寄りぬ後は知らねど
      (冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知)
 千江(ちえ)は地名とみられるが、所在不詳。「秋風が吹く千江の浦辺の木屑のように、心はあなたの方に寄せられました。後はどうなるか分かりませんが」という歌である。

2725  白真砂御津の埴生の色に出でて言はなくのみぞ我が恋ふらくは
      (白細砂 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者)
 「白真砂(しらまなご)」は真っ白な砂浜。「御津」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す地名。埴生(はにゅう)は「黄赤色の粘土」で御津の一部は埴生で有名だったようだ。「真っ白な砂浜の御津が黄赤色の粘土で染まっているように、はっきり言葉に出して言いませんが、私は恋していますあなたを」という歌である。

2726  風吹かぬ浦に波立ち無き名をも我れは負へるか逢ふとはなしに [一云    女と思ひて]
      (風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二 [一云 女跡    念而])
 「無き名をも」は「何もないのに」という意味である。「風も吹かない浦が波立ったかのように、何もないのに噂を立てられてしまった。逢うこともない人と」という歌である。異伝歌は「私は女と思われて逢うこともない人と」という歌である。

2727  菅島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに
      (酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君)
 菅島は三重県にあり、私も訪れているが、その島のことか否か不詳。「菅島の夏身の浦に寄せる波のように、間を置いてではなく、四六時中恋慕しています」という歌である。

2728  近江の海沖つ島山奥まへて我が思ふ妹が言の繁けく
      (淡海之海 奥津嶋山 奥間經而 我念妹之 言繁<苦>)
 2439番歌に「近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく」とある。「奥まけて」と「奥まへて」と一字違いに訓じられているが、重複歌とみてよかろう。「ずっと思い定めている彼女には何かと噂が絶えない」という歌である。
           (2015年7月3日記)
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松葉菊

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 中山道(なかせんどう)69次の61番目の宿に醒井宿(さめがいしゅく)というのがある。滋賀県米原市にある。江戸時代の宿場町の風情を色濃く伝える。わたしはそこに二度足を運んだことがある。
 そこの路傍にかなり大きな松葉菊の群れが咲き誇っていた。花の葉が松葉に似ているところから命名されたのではないかと思う。
 さて、このたび私は小牧第一病院に所用があって訪れたのだが、その前の路傍にやはりかなり大きな松葉菊の群れが咲き誇っていた。それを見かけて私は咄嗟に醒井宿のことを思い出した。清流が流れ、古い郵便局があり、かっての旅籠とおぼしき跡が残っていた。が、それは単に風景であって、一番の思い出は二人で出かけ、帰路、お店で鯛焼きを頬ばったことである。その相手とはしばらく逢ってないが、いまごろ元気でいるだろうか、と思いを馳せた。お互いにまだそれなりに若く、思い出すと、胸がきゅんとなる。
    松葉菊醒井の宿を歩みたり
    あのころは二度とはこない松葉菊
 人生は残酷である。どんな場面も一瞬にして思い出に変わり、気が付けば、もう10年も20年も昔のことになっている。そして、その思い出はあくまで思い出であって、二度と蘇ることはない。
 私は、小牧第一病院の前に咲く松葉菊を眺めながら、とどまることを知らない歳月がうらめしかった。
    目の前に松葉菊あり戻らない歳月うらみ遠くを見やる
 私は、悔しいけれど、老いの身を感じ、うるうるとなった。いわば自らに認めたくないけれど、感傷的にならざるを得なかった。
          (2015年7月5日)
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いつの間に岸辺

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 昨日、英会話クラブの「One Day Camp」が行われた。すべて英語で通し、日本語は一切使用しないというCampである。毎年行われているが、私が出席したのは2012年5月及び2013年5月の二回である。なので今回は三度目の出席である。
 2012年といえば、わずか3年前である。その時の写真を見ると、今回とメンバーががらりと変わっている。共通の顔ぶれもあるが、わずか数名である。
 そして、2012年には私より年長者もチラホラいた。毎週土曜日の例会には年長者もチラホラいるが、今回の「One Day Camp」には、なんと一人もいなかった。すなわちこの私が一番の年長者だった。これを喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないが、わざわざ出かけていって若い人たちと交流できる元気が残っていることを前向きに捉えれば、喜ぶべきことなのだろう。
 英語の方はいまだになかなかすらすらと出てこない私だが、ともかく何とか対等に交流できることがうれしくてたまらない。
 それにしても、自然に押し出される形で、この私が年長者になるなど、3年前には思ってもみなかったことである。
 私は自然の摂理ともいうべき、巨大な歯車がゆっくりと回転していることを、今回ほど痛切に感じたことはなかったのである。
   知多の海大波小波の押し寄せるいつの間にやら我が身岸辺に
   歳月の流れを何ら意識せず泳ぎ来たりて地の果て近し
 むろん、やるべきことがある身の私、地の果てが近いからといって、呆然と立ち尽くす気分にはなれない。それどころか、背中をせっつかれるような気分である。よいしょ、よいしょと・・・。
          (2015年7月6日)
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万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)

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     万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)
2729  霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに
      (霰零 遠津大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君)
 「霰降り」。「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞としているが、枕詞(?)。「霰降り」は6例あるが、4例は「あられが降っている」でそのまま解してオーケー。「遠(とほ)つ」(原文:遠津)と続くのは本例と1293番歌のみ。いずれも遠江(浜名湖)が舞台。1293番歌は「霰降り遠江の吾跡川楊刈れどもまたも生ふとふ吾跡川楊」とある。「霰が降る遠江」と考えて差し支えない。「大浦」はどこか不詳。「よしも」は「たとえ」という意味。「霰が降るという遠江の大浦に寄せる波のようにたとえ噂が寄せられても構わない、憎くない人ですもの」という歌である。

2730  紀の浦の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに
      (木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓)
 「紀の浦の名高の浦」は和歌山県海南市名高町の海岸。音高きを導く序歌。「紀伊の国の名高の浦に押し寄せる波音のように、噂がすさまじい、逢ってもいないあの子なのに・・・。」という歌である。

2731  牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ
      (牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君 不相鴨将有)
 「牛窓」は岡山県瀬戸内市内にあった町。「寄そりし君は」は「噂が寄せられた人」という意味。「牛窓の潮騒が島中に響き渡るように、あの方との噂が立ってしまいました。いっそあの方に逢えればいいのに」という歌である。

2732  沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
      (奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞)
 「辺波(へなみ)」は「岸辺の波」のこと。「このさだ」は「この時」のことだが、「このしだ」ともいう。ここは「佐太の浦」にかけているので「さだ」を用いている。「沖からの波、また岸辺からの返し波がやって来る佐太の浦の、この時が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろうな」という歌である。

2733  白波の来寄する島の荒磯にもあらましものを恋ひつつあらずは
      (白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者)
 「あらましものを」は「ありたいものだ」という意味。「白波がやって来る島の荒磯であったなら(ひとりでに波がやってくるのに)こうして恋い焦がれている」という歌である。

2734  潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて
      (塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而)
 前歌と同趣旨の歌。「我はなりてしか」は「私はなりたい」という意味。結句の「恋ひは死なずて」は「恋ひは」は特殊な表現。「恋ひに」と考えると分かりやすい。「恋に死ぬことも出来ず」という意味である。
 「潮が満ちてくるにつれ、水泡(みなわ)に浮かぶ真砂(まさご)のようにただよっていたい。恋に死ぬことも出来ず」という歌である。

2735  住吉の岸の浦廻にしく波のしくしく妹を見むよしもがも
      (住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得)
 「しく波の」は「繰り返しやって来る波」で次句の「しくしく」を導く。「しくしく」は1236番歌「~しくしく思ほゆ」、1440番歌「春雨のしくしく降るに~」等「しきりに」という意味である。「見むよしもがも」は「逢う手段があればなあ」という意味。「住吉の岸の浦辺に繰り返しやって来る波、そのようにも彼女にしばしば逢いたい。そんな手段があればなあ」という歌である。

2736  風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ君は相思ふらむか
      (風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香)
 「風をいたみ」は「風が激しいので」、「いたぶる波の」は「激しく揺れて打ち寄せる波の」という意味。次句の「間(あひだ)なく」(絶え間なく)を導く序歌。「風が激しく揺れて打ち寄せる波のように絶え間なく私はあの方を思っているけれど、あの方も私のことを思っていて下さるだろうか」という歌である。

2737  大伴の御津の白波間なく我が恋ふらくを人の知らなく
      (大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久)
 「大伴の御津」は大伴氏の本拠として知られる。難波の御津。
 「大伴の御津に打ち寄せる白波の絶え間がないように私は恋い焦がれているけれどあの人は知ってくれていない」という歌である。

2738   大船のたゆたふ海にいかり下ろしいかにせばかも我が恋やまむ
     (大大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨)
 「~いかり下ろし」までは「いかに」を導く序歌。「大船がただよう海にいかりを下ろして留めるが、どのようにしたら私の恋は静まるだろうか」という歌である。

2739  みさご居る沖つ荒磯に寄する波ゆくへも知らず我が恋ふらくは
      (水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波)
 みさごは海浜に棲むタカ科の猛禽。「みさごが居つく沖の荒磯に押し寄せる波のように行方も知れぬ我が恋は」という歌である。

2740  大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
      (大船之 <艫毛舳>毛 依浪 依友吾者 君之<任>意)
 「艫(へ)にも舳(とも)にも」は「船首や船尾にも」。「~寄する波」は次句の「寄すとも」を導く序歌。「大船の船首や船尾にも波は打ち寄せて来ますが、どんな噂が打ち寄せようと、私はあなた様の御心のままにいたします」という歌である。

2741  大船に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし
      (大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨)
 特に読解を要しない平明歌。「大船に打ち寄せる波でも時には絶え間があるでしょうに、あなた様に恋い焦がれる気持にはやむときがありません」という歌である。

2742  志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
      (<壮>鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨)
 志賀は福岡県にある志賀町志賀島。「~塩の」は次句の「辛き恋をも」を導く序歌。「志賀島の海人(あま)が煙を立てて焼く塩の辛さは格別。そんな辛い恋を私はしています」という歌である。
 本歌の左注に「右一首は或いは石川君子朝臣の作という」とある。

2743  なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
      (中々二 君二不戀者 <枚>浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管)
 「なかなかに」は「中途半端に」という意味。比良の浦は滋賀県大津市北方の湖岸のあたり。「なまじあの方に恋しないで、比良の浦の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。
 或本歌曰 なかなかに君に恋ひずは留牛馬の浦の海人あらましを玉藻刈る刈る
      (中々尓 君尓不戀波 留牛馬浦之 海部尓有益男 珠藻苅々)
 留牛馬の浦は「岩波大系本」によると、「なはのうら」と読むようだが、所在不詳。「なまじあの方に恋しないで、留牛馬の浦の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。

2744  鱸取る海人の燈火外にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
      (鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日)
 鱸(すずき)は魚の一種。釣り舟が盛ん。「鱸取る海人の釣り舟の灯火のように、遠目には見づらい人なのに恋してしまったこの頃です」という歌である。

2745  港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも
      (湊入之 葦別小<舟> 障多見 吾念公尓 不相頃者鴨)
 「障(さは)り多み」の「み」は例によって「~ので」。すなわち「支障が多いので」という意味。「逢はぬころかも」は「近頃なかなか逢えない」という意味。「港に入る小舟が葦を押し分け押し分け進むように支障が多く、我が恋するあの方とは噂が激しく、近頃なかなか逢えない」という歌である。

2746  には清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
      (庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨)
 「には清(きよ)み」は「海面が平穏なので」、「楫取る間なき」は「梶を操る暇もなく」という意味である。「海面が平穏なのでひっきりなしに沖へ出て行く海人舟が梶を操る暇がないように、絶え間なく恋い焦がれています」という歌である。

2747  あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも
      (味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方)
 「あぢかまの」は全万葉集歌中3例存在するが、3例とも異なる語が続く。本歌のほかに3551番歌の「あぢかまの潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて」と3553番歌の「あじかまの可家の港に入る潮のこてたずくもが入りて寝まくも」である。意味も決まりもなく、不詳とせざるを得ない。ここでは「アジカモやカモの群れ飛ぶ」としておきたい。塩津は滋賀県長浜市。琵琶湖北端に塩津神社があるが、そのあたり。
 「アジカモやカモの群れ飛ぶ塩津をさして漕ぐ船の、その名を告げたのですもの。あなたにお逢いせずにおられましょうか」という歌である。船名と作者は同じだったか?

2748  大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも
      (大<船>尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨)
 「しみみにも」は「いっぱいに」。「大船に葦を刈り取っていっぱいにしてしまったように、彼女は私の心にいっぱい占めてしまった」という歌である。

2749  駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも
      (驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨)
 駅路(はゆまぢ)は駅に通じる道。「引き舟渡し」は対岸にロープを渡して引いた。「直(ただ)乗りに」は「一直線に」という意味。「駅路に出るため、舟を引いて一直線に渡すように、彼女は私の心を一直線に占めてしまった」という歌である。
           (2015年7月9日記)
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日々つれづれー13

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恋愛離れ

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 「恋愛離れ」とは奇妙なタイトルである。男女が引き合い子を産むのは自然の摂理だからである。もとより相手に恵まれない人々もいて、恋愛(婚活相手を含む)で結ばれない男女もいる。が、それは結果的にそうなったのであって、自ら恋愛を忌避したわけではあるまいと、私は思っていた。
 ところが、ある番組で、適齢期を含む相当大勢の人々が恋愛を忌避していると知って本当に驚いた。朝ご飯中だったので、あわててカメラを取りに走り、何とか一枚収めた。かなりピンボケだが、なんとか判別はできよう。
 さて、事の性格上、恋愛しない第一の理由は「機会がない」とか「対象者がいない」といったものだと、これまた勝手に思いこんでいた。こうした私の常識は見事にはずれ、はずれただけではなく、その回答は驚くべきものだった。その第一の理由はなんと「面倒くさい」なのである。複数選択なのだろうが、それにしてもこの回答を寄せた人々は46.2%に上る。続く第二の理由は「自分の趣味に力を入れたい」で、45.1%の人々がこう答えている。第三は「仕事や勉強に力を入れたい」。これはぐっと落ちて32.9%。第四が「恋愛に興味がない」で28.0%。第五が「友達と過ごす時間を大切にしたい」で15.4%になっている。以下は分からないが、私が予測した第一の理由、「機会がない」や「対象者がいない」は入っていない。「面倒くさい」だの「恋愛に興味がない」だの、はっきり恋愛を忌避しているのである。「所変われば品変わる」というが、わずか半世紀の間に本能的なものと思っていた恋愛観が、こんなにも忌避する対象になってしまったのだろうか。「相手に恵まれなかったのは結果的にそうなったのだろう」との思いこみはがらがらと音を立てて崩れ落ちた。こうした形で恋愛離れが進行すると考えると、私は暗澹たる気分に落ち込まざるを得なかった。これは子作り以前の問題だからである。
          (2015年7月10日)
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