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Channel: 古代史の道
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芭蕉と異性

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 芭蕉はむろん第一級の芸術家である。そして芸術家は異性との話題がつきものである。万葉集に数多く採録されている相聞歌(そうもんか)を始め、恋愛の喜びや悩みに明け暮れた人々の例は枚挙に暇がない。では、芭蕉はどうだろう。
 はっきりいうと、芭蕉の生涯に浮いた話はない。愛人もいなかったし、むろん結婚もしていない。これに対し、種々の解釈を施してなんとか芭蕉にも異性関係があったかのように印象づけようという色々な説がある。
 一番多いのは寿貞尼(じゅていに)という女性の存在である。「芭蕉が愛した唯一の女性」と言い切る説まである。芭蕉と同じく伊賀(三重県北西部)出身という解釈を施し、芭蕉を追って江戸に出たとする。が、彼女は三人の子(一男二女)持ちで、芭蕉の甥である桃印と夫婦であったというのである。出自も江戸に行ったのも、すべてはっきりしない。彼女は元禄7年6月2日、江戸芭蕉庵において死去。その時芭蕉は伊賀上野に向かう途中、京都嵯峨の落柿舎で6月8日に彼女の死を知らされる。
 その一ヶ月ほど後の7月15に伊賀上野での松尾家盂蘭盆会(魂祭=玉祭)に出て、次のような一句を作る。
     数ならぬ身となおもひそ玉祭     (松尾芭蕉)
 そして、この句の解釈まで寿貞尼と結びつけてしまうのである。「な~そ」は万葉集にいっぱい出てくる禁止句。「思わない」という意味である。「先祖の方々を粗末に思うものですか」という句なのである。これを「寿貞尼よ。あなたのことは数ならぬ身などと思うものですか」と解釈するのである。
 仮にそうだとすると最愛の唯一の女性が死去したと聞かされた割には芭蕉の動きは随分のんびりしていることになる。京都から江戸まで馬で飛ばせば数日もかかるまい。聞いたとたん江戸にかけつけ、寿貞尼を弔うことくらいしそうである。それをのんびり一ヶ月経って、故郷の玉祭りに出席する?。誠実そのものの芭蕉とは思われない。「寿貞尼は単に知り合いの尼さんだったに過ぎない」これが私の結論である。
 それはさておき、第一級の芸術家であった松尾芭蕉に一人の愛人もいなかった、とするのでは面白くない。なんとかその影を見いだそうとする解釈がもたらした、やはり影の存在なのだろう。旅に生き、旅に死去した、全体の芭蕉の生き様から考えて、そういう影の存在はにわかには信じがたいのである。
 
     バラに似て恋はあでやかハイタッチ    (桐山芳夫)
           (2019年6月9日)
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