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万葉集読解・・・186(3042~3060番歌)

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     万葉集読解・・・186(3042~3060番歌)
3042  朝日さす春日の小野に置く露の消ぬべき我が身惜しけくもなし
      (朝日指 春日能小野尓 置露乃 可消吾身 惜雲無)
 「春日の小野」は奈良県春日山の野。自分の命を消える露に喩えている。「春日の野に降りていた露が朝日が射してくるとはかなく消えてゆく、そんな露に似て消えてゆく我が身、惜しいことはありません」という歌である。

3043  露霜の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
      (露霜乃 消安我身 雖老 又若反 君乎思将待)
 「をちかへり」は原文に「若反」とあるように「若返る」こと。「君をし」の「し」は強調の「し」。「露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ老いてもまた若返り、あなた様を待とうと思います」という歌である。

3044  君待つと庭にし居ればうち靡く我が黒髪に霜ぞ置きにける(ある本の下句に云う(白妙の わがころもでに 露置きにける)と)
      (待君常 庭耳居者 打靡 吾黒髪尓 霜曽置尓家留)(或本歌尾句云(白細之 吾衣手尓 露曽置尓家類))
 「君待つと庭にし居れば」は「あなたを待とうと庭に降りていると」であり、「し」は庭にいることを強調している。「あなたを待とうと庭に降りていると、私の黒髪に霜が降りてきました」という歌である。
 異伝歌は下二句が「私が着ている着物の袖に霜が降りてきました」となっている。

3045  朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息の緒にして
      (朝霜乃 可消耳也 時無二 思将度 氣之緒尓為而)
 「時なしに」は「時を定めず」、「思ひわたらむ」は「恋い続けるだろう」という意味である。「息の緒にして」は「息長く」ないし「細々と」という意味である。「朝霜はたやすく消えていくが、そのようにはかなく消えてゆくのみだろうかこの恋は。時を定めず恋い続けるだろう細々と」という歌である。

3046  ささ波の波越すあざに降る小雨間も置きて我が思はなくに
      (左佐浪之 波越安蹔仁 落小雨 間文置而 吾不念國)
 「あざに(原文:安蹔仁)」の訓は確定していないが、田の畦か?。「間も置きて我が思はなくに」は「間を置いて思うことはなく」すなわち「絶え間なく思っています」という意味である。「さざ波が越えてくる田の畦、そこに降る小雨のように絶え間なく思っています」という歌である。

3047  神さびて巌に生ふる松が根の君が心は忘れかねつも
      (神左備而 巌尓生 松根之 君心者 忘不得毛)
 「神さびて」は「苔むした」と同意。「巌(いはほ)に生ふる松が根の」までは比喩。 「苔むした巌に生える松の根のようにしっかりしたあなたの心は忘れられません」という歌である。

3048  み狩りする雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ
      (御猟為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 戀社益)
 「雁羽(かりは)の小野」は未詳。「櫟柴(ならしば)の」は雑木。ここまで「なれ(慣れ)」を導く序歌。「まさらず」も「まされ」も「勝る」こと。「狩りをなさる雁羽の小野の櫟柴ではありませんが、恋心に慣れてしまうどころかますます恋心が募る一方です」という歌である。

3049  桜麻の麻生の下草早く生ひば妹が下紐解かずあらましを
      (櫻麻之 麻原乃下草 早生者 妹之下紐 下解有申尾)
 「桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草」は2687番歌に「桜麻の苧原の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも」とある。「桜麻が茂る原に生える下草」のこと。一読何の歌かよく分からない。手元にある3書の現代語訳を掲げてみる。
 1:桜麻の麻原の下草が(気づかぬうちに)伸びるように、誰かが早く言い寄っていたら、私が妹の下紐を解くようなことはなかったろうに(「岩波大系本」)。
 2:桜麻の麻畠の下草、その草が早く伸びるように、私があなたよりもっと早く成長していたら、あなたの下紐を解かなくてすんだであろうに」(「伊藤本」)。
 3:妻が、桜麻の麻原の下草のように早く育っていたなら、妻の下紐は私が解けなかったろうに(「中西本」)。
 本歌のポイントは「妹が下紐解かずあらましを」にある。「下紐を解く」というのはいうまでもなく「共寝をする仲になる」という意味である。各書とも「下草が早く伸びるように」という比喩に解している。それはそれでいいのだが、2は「私が伸びる」と解し、3は「妹(妻)が伸びる」と解している。両書とも、私ないし彼女が早く伸びたことがなぜ下紐を解くに結びつくのか判然としない。そこで1は「誰かが早く言い寄っていたら」としていて、これなら歌意はとおる。これがヒントになって私は解することができた。
 下草は隠れていて成長が分からない。「下草が早く伸びるように」とは「いち早く気づいて」という意味に相違ない。「桜麻の麻原の下草が知らぬ間に伸びるように、いち早くそれに気づいた私が行動を起こしたので恋仲になり、彼女が下紐を解くまでになった。もしも気づかなかったなら、そうはなっていなかったろうに」という歌である。

3050  春日野に浅茅標結ひ絶えめやと我が思ふ人はいや遠長に
      (春日野尓 淺茅標結 断米也登 吾念人者 弥遠長尓)
 「春日野」は「奈良県春日山の野」。浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」は「しめ縄を張って囲い込むこと」だが、ここでは目星をつけること。「いや遠長に」は「ずっとそのままでいてほしい」という意味である。「春日野にしめ縄を張るように、しっかりと目星をつけた私の思うあの人はずっとそのままでいてほしい」という歌である。

3051  あしひきの山菅の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を [或本歌曰 あが思ふ人を 見むよしもがも]
      (足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎 [或本歌曰 吾念人乎 将見因毛我母])
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「ねもころに」は「ねんごろに」。「山菅(やますげ)の根のようにねんごろに私は恋い焦がれています。あなたに」という歌である。異伝歌は「~わが思う人に逢いたいものです」となっている。

3052  かきつはた咲く沢に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ
      (垣津旗 開澤生 菅根之 絶跡也君之 不所見頃者)
 カキツバタはアヤメ科の多年草。池や沼に咲く。「カキツバタが咲く沢に生える菅の根も絶えてしまうのでしょうか。ちかごろあなた様はいらっしゃらないですけれど」という歌である。

3053  あしひきの山菅の根のねもころにやまず思はば妹に逢はむかも
      (足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞)
 「あしひきの山菅の根のねもころに」は前々歌参照。「山菅(やますげ)の根のようにねんごろにやむことなく恋い焦がれていれば彼女に逢えるかも」という歌である。

3054  相思はずあるものをかも菅の根のねもころごろに我が思へるらむ
      (相不念 有物乎鴨 菅根乃 懃懇 吾念有良武)
 「相思はずあるものをかも」は「相思相愛ではないのに」という意味である。「菅の根のねもころごろに」は前歌参照。「相思相愛ではないのに私の方は山菅(やますげ)の根のようにねんごろに焦がれています」という歌である。

3055  山菅のやまずて君を思へかも我が心どのこの頃はなき
      (山菅之 不止而公乎 念可母 吾心神之 頃者名寸)
 「山菅の」は「山菅の根のねもころに」の略。「心どの」は「平常心の」という意味。「山菅の根のようにねんごろにやむこともなくあなたに恋い焦がれています。この頃は平常心もありません。」という歌である。

3056  妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む [一云 直に逢ふまでに]
      (妹門 去過不得而 草結 風吹解勿 又将顧 [一云 直相麻<弖>尓])
 「草結ぶ」は「岩波大系本」に「類感呪術の一」とある。これでは分からない。単純に「草を結ぶ」でいいだろう。「彼女の家の門前を行き過ぎかねて二人の縁が合わさるようにと草を結んだ。風よその結び目を吹き解かないでおくれ。帰りにまた見てみるから」という歌である。異伝歌は結句が「~直接逢うまでは」となっている。

3057  浅茅原茅生に足踏み心ぐみ我が思ふ子らが家のあたり見つ [一云 妹が家のあたり見つ]
      (淺茅原 茅生丹足踏 意具美 吾念兒等之 家當見津 [一云 妹之家當見津])
 浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「茅生(ちふ)」は「原に生えている茅」。「心ぐみ」は「心が晴れ晴れしないので」。「~ので」の「み」。「浅茅原に生えている茅に足踏みをするとちくちくして鬱陶しい。心が晴れ晴れしないので顔を上げ、恋い焦がれる子らがいる家のあたりを見た」という歌である。

3058  うちひさす宮にはあれど月草のうつろふ心我が思はなくに
      (内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國)
 「うちひさす」は宮にかかる枕詞。「宮にはあれど」は「宮廷に仕えている身ではありますが」という意味。宮廷は華やかで人々も多く、目移りしやすい場所と考えられていた。「心」は「恋心」。「宮廷に仕えている身ではありますが、月草のようにうつろいやすい心であなたを思っているわけではありませんのに」という歌である。

3059  百に千に人は言ふとも月草のうつろふ心我れ持ためやも
      (百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方)
 「百(もも)に千(ち)に」は「色々と」。「色々と人は噂をまき散らしますが、月草のようにうつろいやすい心など決してもつものですか」という歌である。

3060  忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば生けりともなし
      (萱草 吾紐尓著 時常無 念度者 生跡文奈思)
 「忘れ草」はヤブカンゾウの別称。身につけると恋の苦しみを忘れられるという。2475番歌に「我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」とある。「忘れ草を着物の紐に付けたけれど、時なしに恋い焦がれ続けるので苦しくて生きた心地がしない」という歌である。
          (2015年11月19日記)
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