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Channel: 古代史の道
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感動的なオバマスピーチ

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核廃絶を考えてみよう
 前回、オバマ米国大統領が5月27日に広島記念公園を訪問すると発表されたとき、大統領には期待できる理由があるとして、彼が大統領就任間もない頃の2009年4月5日、チェコ・プラハのフラッチャニ広場で行ったスピーチをあげて、核廃絶になみなみならぬ決意を抱いていることを感じ取ったからである。
 オバマ氏の広島訪問は予定どおり実現し、そこで行ったスピーチは予想に違わぬ、否、予想以上にすばらしいものだった。
 スピーチは科学の力が人類に様々な利便をもたらしたが、一方では、効率的な殺人の機械を生み出し、ついには核分裂による核兵器を生み出したことを述べた後、次のように述べている。
 「しかし我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することはできないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。」
 核兵器を作り出した当の米国の大統領が「核兵器のない世界を目指す」と告げたのである。そしてそのしばらく後に次のように続ける。
 「軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。」
 まるで、わが国の憲法を読んでいるようなスピーチだ。そして、スピーチの終わりの方で次のようにも述べている。
 「我々はこうした物語を被爆者から学ぶ。原爆を落としたパイロットを許した(被爆者の)女性は、憎むべきはパイロット個人ではなく戦争そのものだと理解していた。日本で殺された米兵の家族を探し当てた(日本人)男性は、米国人も自分と同じように家族を亡くした喪失感を抱えていると感じた。」
 つまり、犠牲になった人々には、愛する家族がいて、生きている自分たちと同様、普通の人々なのだ、という。原爆を落としたパイロットさへ憎むべきではなく、憎むべきは戦争そのものなんだ、と言っているのである。
 以上のスピーチには政治的な意図やパフォーマンスは全く感じられず、オバマさん個人の熱い思いが伝わってくる。就任当初に行ったチェコ・プラハでのスピーチと同様、否それ以上の熱い思いが伝わってきた。感動的なスピーチだった。
 こうしたオバマさん個人の熱い思いがこもったスピーチであるから、米国内外の世論や政治家から様々な思いや意見が寄せられ、大統領自身は大いに苦慮したに相違ない。任期満了近くになってしまったのはきっとそのせいに相違ない。が、大統領の熱い思いは様々な慎重論や政治的意図をはねのけての広島訪問だったと思う。周囲の声をはねのけての広島行きは、それだけに政治的パフォーマンスのない純粋な思いがこもっている。
 今朝のNHKの日曜討論を拝聴していたら、どこの党の人とは言わないが、「大統領のスピーチはよかったけれど、具体策がなかったね」という趣旨の発言があった。人類全体の話が、まるで並の政策提言の感想みたいで、あいた口がふさがらなかった。
 核保有国同士が集まって核を廃絶するためにはどうしたらいいか、話し合うべきだ、と私は思っているのだが、何はともあれ、当の米国の大統領がやってきて、被爆者の方をハグして、その背をたたき、優しく 声を掛けた光景は、感動的だった。
          (2016年5月29日)
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