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私は前回母校の西陵高等学校を訪れたことと、その同窓会の案内状が舞い込んだことを記した。出席か否かで随分迷ったが、最終的には欠席をすることにした。よちよち歩きの歩行状態の自分では出席はおぼつかない、と決断したのである。
むろん、「よちよち歩き」は言葉の綾であって、文字通りなら出席出来る筈もない。歩行に難があることは事実だが、健康診査を受けた結果、異常はなく、杖を使っているわけでのない今なら、出席しようとして出来ないことはない。ただ、体力に自信のある人間だけが集まって来る同窓会。二次会にカラオケ店に行ったりして楽しむ面々。そこまでの体力はない自分なので、もしもつき合って転倒することがあったら、面々に大迷惑をかけることになる。という次第で、私は私なりの配慮から欠席を選んだわけである。要するに面々と対等につきあい、対等に楽しむには体力上、何の問題もないことが自分の責任なのである。私はここで「一区切り」をつけなければならないと判断したのである。
以上は体力的な面での難点なのだが、むろん、判断力や向学心等々精神面ではまだまだ衰えを感じる段階に至っていない。これが私の判断なのだが、その正否は人様の判断にかかっているわけで、私自身が判定すべきものではない。
とかく人間は歳をとっても「若い者にはまだまだ任せられない」と思って居座る仁が少なくない。が、やっぱり潮時が大切。後進に道を譲って自らはきっぱりと身を引く。これが要点。ここまで考えてきて、そうか、今回の欠席は「一区切り」ではなく、「潮時」なのだと思った。潮時にもかかわらず、いつまでも若いつもりで、くだくだと続けようとすると、醜態を招きかねない。
水仙は花盛りなり瑞々し潮時過ぎてしぼむ直前 (桐山芳夫)
潮時に可憐な白花つける今いよよ生き生き輝く水仙 (桐山芳夫)
(2018年10月13日)
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私は前回母校の西陵高等学校を訪れたことと、その同窓会の案内状が舞い込んだことを記した。出席か否かで随分迷ったが、最終的には欠席をすることにした。よちよち歩きの歩行状態の自分では出席はおぼつかない、と決断したのである。
むろん、「よちよち歩き」は言葉の綾であって、文字通りなら出席出来る筈もない。歩行に難があることは事実だが、健康診査を受けた結果、異常はなく、杖を使っているわけでのない今なら、出席しようとして出来ないことはない。ただ、体力に自信のある人間だけが集まって来る同窓会。二次会にカラオケ店に行ったりして楽しむ面々。そこまでの体力はない自分なので、もしもつき合って転倒することがあったら、面々に大迷惑をかけることになる。という次第で、私は私なりの配慮から欠席を選んだわけである。要するに面々と対等につきあい、対等に楽しむには体力上、何の問題もないことが自分の責任なのである。私はここで「一区切り」をつけなければならないと判断したのである。
以上は体力的な面での難点なのだが、むろん、判断力や向学心等々精神面ではまだまだ衰えを感じる段階に至っていない。これが私の判断なのだが、その正否は人様の判断にかかっているわけで、私自身が判定すべきものではない。
とかく人間は歳をとっても「若い者にはまだまだ任せられない」と思って居座る仁が少なくない。が、やっぱり潮時が大切。後進に道を譲って自らはきっぱりと身を引く。これが要点。ここまで考えてきて、そうか、今回の欠席は「一区切り」ではなく、「潮時」なのだと思った。潮時にもかかわらず、いつまでも若いつもりで、くだくだと続けようとすると、醜態を招きかねない。
水仙は花盛りなり瑞々し潮時過ぎてしぼむ直前 (桐山芳夫)
潮時に可憐な白花つける今いよよ生き生き輝く水仙 (桐山芳夫)
(2018年10月13日)