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万葉集読解・・・207(3326~3332番歌)

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     万葉集読解・・・207(3326~3332番歌)
3326番長歌
  礒城島の 大和の国に いかさまに 思ほしめせか つれもなき 城上の宮に 大殿を 仕へまつりて 殿隠り 隠りいませば 朝には 召して使ひ 夕には 召して使ひ 使はしし 舎人の子らは 行く鳥の 群がりて待ち あり待てど 召したまはねば 剣大刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし 臥いまろび ひづち哭けども 飽き足らぬかも
 (礒城嶋之 日本國尓 何方 御念食可 津礼毛無 城上宮尓 大殿乎 都可倍奉而 殿隠 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舎人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲尓 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞)

 「磯城島(しきしま)の」は十代崇神天皇及び二十九代欽明天皇が都を置いた奈良県磯城郡にちなんだ言い方。磯城島に代表される大和の国というニュアンスである。城上(きのへ)は奈良県北葛城郡広陵町にあったとされるので橿原市東部の藤原京から離れた北西部になる。そこに大殿(もがりの宮)を作って皇子の遺体を安置することを「つれもなき」と表現している。「剣大刀(つるぎたち)」は枕詞。前歌及び前々歌に続く皇子への挽歌。

  (口語訳)
 「礒城島(しきしま)の大和の国から、どう思われたのか、あの不便な城上の宮に御殿(もがりの宮)を作られて殿下はお隠れになり、そこにいらっしゃる。朝には召されて用を仰せになり、夕べになるとやはり召されて用を仰せになるものと待ちかまえる舎人(とねり)(お付き人)たちは飛ぶ鳥が群がるように群がって待ちかまえ、ずっとお待ち申しているのですが、一向にお召しにならない。心をとぎすましているのに、思いは天雲のように放心状態となり、ころがりもだえ、涙に濡れて泣き叫ぶけれども、それでも王が亡くなられたのはあきらめきれない」という歌である。

3327番長歌
  百小竹の 三野の王 西の馬屋に 立てて飼ふ駒 東の馬屋に 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふと言へ 水こそば 汲みて飼ふと言へ 何しかも 葦毛の馬の いなき立てつる
 (百小竹之 三野王 金厩 立而飼駒 角厩 立而飼駒 草社者 取而飼<曰戸> 水社者 は而飼<曰戸> 何然 大分青馬之 鳴立鶴)

 「百小竹(ももしの)の」は枕詞(?)。本歌しか例がない。「三野の王(おほきみ)」は3324番長歌以来続く挽歌の主を指すが、具体的にはどの皇子のことか未詳。駒はいうまでもなく馬のこと。「飼ふと言へ」は「与えてあるというのに」という意味である。

  (口語訳)
 「百小竹(ももしの)の群生する三野においでになった王(皇子)は、西に馬小屋を建てて飼い、東に馬小屋を建てて馬を飼っておられた。草を刈り取ってきて与えてあるというのに、また、水も汲んできて与えてあるというのに、どういうわけか葦毛の馬たちがいなないている」という歌である。

3328  衣袖の葦毛の馬のいなく声心あれかも常ゆ異に鳴く
      (衣袖 大分青馬之 嘶音 情有鳧 常従異鳴)
 [衣袖(ころもで)の]は「真っ白な着物の袖のように」という意味だろう。
 「真っ白な着物の袖のように白い葦毛の馬のいななく声は心あるかのようにいつもより悲しげに鳴いている」という歌である。
 以上長反歌二首

3329番長歌
  白雲の たなびく国の 青雲の 向伏す国の 天雲の 下なる人は 我のみかも 君に恋ふらむ 我のみかも 君に恋ふれば 天地に 言を満てて 恋ふれかも 胸の病みたる 思へかも 心の痛き 我が恋ぞ 日に異にまさる いつはしも 恋ひぬ時とは あらねども この九月を 我が背子が 偲ひにせよと 千代にも 偲ひわたれと 万代に 語り継がへと 始めてし この九月の 過ぎまくを いたもすべなみ あらたまの 月の変れば 為むすべの たどきを知らに 岩が根の こごしき道の 岩床の 根延へる門に 朝には 出で居て嘆き 夕には 入り居恋ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る 味寐は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らは 数みもあへぬかも
 (白雲之 棚曳國之 青雲之 向伏國乃 天雲 下有人者 妾耳鴨 君尓戀濫 吾耳鴨 夫君尓戀礼薄 天地 満言 戀鴨 匈之病有 念鴨 意之痛 妾戀叙 日尓異尓益 何時橋物 不戀時等者 不有友 是九月乎 吾背子之 偲丹為与得 千世尓物 偲渡登 万代尓 語都我部等 始而之 此九月之 過莫呼 伊多母為便無見 荒玉之 月乃易者 将為須部乃 田度伎乎不知 石根之 許凝敷道之 石床之 根延門尓 朝庭 出座而嘆 夕庭 入座戀乍 烏玉之 黒髪敷而 人寐 味寐者不宿尓 大船之 行良行良尓 思乍 吾寐夜等者 數物不敢鴨)

 「白雲の~下なる人は」の部分は要するに「この広大な天地にあって人は」という意味。「言(こと)を満てて」(原文:満言)はよく分からない。「言葉を尽くしても尽くしきれないほど」という意味かと思われる。「この九月を」以下を、「岩波大系本」以下各書は夫の言葉と解している。夫のいつの言葉か、また、九月にこだわるのはなぜなのかさっぱり分からない。そもそも本人が「私を偲んでくれ」というのは変な話だ。そこで私は九月は命日のある月で、その命日がきたら「私のことを偲んでくれ」と本人から言われているような気がする、と解した。「始めてし」は「九月の命日を大切にし始めた」という意味である。「あらたまの」はおなじみの枕詞。
 「為むすべの~数(よ)みもあへぬかも」の後半部は3274番長歌とほぼ同文。なぜこんな形になっているのか理由は不明。

  (口語訳)
 「白雲のたなびくこの国、青雲の向こうの下に伏す国の、この広大な天雲の下にいる人々の中で私のみであろうか、あなたを恋慕うのは。さらに私のみであろうか、あなたを恋い慕って言葉を尽くしても尽くしきれないほど天に満ち満ちたる言葉を吐くのは。それほどまでに恋い慕うので胸が病み、あなたのことを思うと心が痛みます。私の恋い慕う思いは日に日に増すばかりです。いつといって恋わない時はありませんが、特にこの九月は恋しさがつのります。この九月が来ると「私を偲んでおくれ、いついつまでも忘れないで偲んでおくれ」とあの人に言われているようで、さらにはこの九月を万代(よろづよ)まで語り継いでいこうと大切にし始めた。この九月が過ぎるとどうしようもありません。
 月がかわってしまうと(あなたに向き合う)機会がなくなり、為すすべのとっかかりも分からず、岩でごつごつした道を、どっしりした岩床のような門口なのに、朝には門を出て嘆き、夕方には門に入って思い嘆く。白栲の着物の袖を折り返しひとり床につく。折り返した袖に黒髪を敷いて人様のように共寝をすることもなく、ゆらゆら揺れる大船のようにああでもないこうでもないと思いつつ我が寝る夜は数え切れない」という歌である。

3330番長歌
  隠口の 泊瀬の川の 上つ瀬に 鵜を八つ潜け 下つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎を食はしめ 下つ瀬の 鮎を食はしめ くはし妹に 鮎を惜しみ くはし妹に 鮎を惜しみ 投ぐるさの 遠ざかり居て 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 衣こそば それ破れぬれば 継ぎつつも またも合ふといへ 玉こそば 緒の絶えぬれば くくりつつ またも合ふといへ またも逢はぬものは 妻にしありけり
 (隠来之 長谷之川之 上瀬尓 鵜矣八頭漬 下瀬尓 鵜矣八頭漬 上瀬之 <年>魚矣令咋 下瀬之 鮎矣令咋 麗妹尓 鮎遠惜 麗妹尓 鮎矣惜 投左乃 遠離居而 思空 不安國 嘆空 不安國 衣社薄 其破者 <継>乍物 又母相登言 玉社者 緒之絶薄 八十一里喚鶏 又物逢登曰 又毛不相物者 ?尓志有来)

 「隠口(こもりく)の」は枕詞。「泊瀬(はつせ)川(現在初瀬川)」は奈良県桜井市の北東部付近から西流し、北流し、やがて大和川と名を変える川。「鵜を八つ潜(かづ)け」の「八つ」は「数多く」という意味である。「隠口の~ 鮎を食はしめ」までは次句の「くはし妹に」を導く序歌。語句の繰り返しに悲しみがこめられている。その「くはし妹に」は「こまやかで美しい妻に」という意味。

  (口語訳)
 「泊瀬川の上流に鵜を多く潜らせ、下流にも鵜を多く潜らせ、上流の鵜には鮎をくわえさせ、下流の鵜にも鮎をくわえさせる。そんなくわしい(美しい)妻に、鮎が惜しいからと、惜しいからと川に放てば遠ざかり行くように、遠い妻を思いやれば心安からず、嘆いて心安からず。衣ならば破れても継ぎ合わせてまた合わせられる、玉の紐なら切れてもくくりなおせばまた合わせられるというのに、どうしても逢えなくなってしまった亡くなった妻よ」という歌である。

3331番長歌
  隠口の 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は 走出の よろしき山の 出立の くはしき山ぞ (あたらしき) 山の 荒れまく惜しも
 (隠来之 長谷之山 青幡之 忍坂山者 走出之 宜山之 出立之 妙山叙 惜 山之 荒巻惜毛)

 「隠口の」と「青旗の」は枕詞。ただし「青旗の」は3例あってすべてかかる言葉が異なるので枕詞(?)。「忍坂(おさか)の山」は本歌にしかない。「岩波大系本」によると「忍坂(おさか)の山は、奈良県桜井市忍坂の東の山」とある。「走出の」は本歌のほかに210番長歌の「~我がふたり見し 走出の 堤に立てる 槻の木の~」という例しかない。この例からすると、「麓から上がりだした」という形容と思われる。「出立」は本例のほかに3例あるが、文字どおり「出発」を意味する2例を除くと、やはり1例しかない。213番長歌に「~我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 ~」とあるのがそれである。どうも立ち姿という意味のようである。つまり本歌は両方とも山容を意味している。

  (口語訳)
 「泊瀬の山なる忍坂(おさか)の山は、麓から上がりだした形が美しい山。またその立ち姿は霊妙に麗しい山。その山が荒れていくのはいかにも惜しい」という歌である。

3332番長歌
  高山と 海とこそば 山ながら かくもうつしく 海ながら しかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人
 (高山 与海社者 山随 如此毛現 海随 然真有目 人者<花>物曽 空蝉与人)

 「山ながら」は「高山」の言い直し、「海ながら」は海の言い直し。「かくもうつしく」は「山は山として厳然と存在し」という意味。「しかまことならめ」は「海は海としてそこにある」という意味。

  (口語訳)
 「高山と海、山は山にして厳然と存在し、海は海にしてそこにある。が、人というのは散る花ぞ、いっときの世の人」という歌である。
 以上、三首は一体の歌。
           (2016年3月3日記、2019年3月23日)
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