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万葉集読解・・・212(3373~3387番歌)

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     万葉集読解・・・212(3373~3387番歌)
3373  多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき
      (多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎)
 多摩川は東京都大田区と川崎市川崎区の間を流れる川。「多摩川にさらす手作り」は次句の「さらさらに」を導く序歌。「さらさらに」は「更にいっそう」という意味。「ここだ」は2889番歌に「いで如何に我がここだ恋ふる我妹子が逢はじと言へることもあらなくに」とある。「しきりに」という意味である。
 「多摩川に布をさらして仕上げるが、そのさらではないが、更にいっそうこの子がどうしてこんなにも愛しいのだろう」という歌である。

3374  武蔵野に占へ象焼きまさでにも告らぬ君が名占に出にけり
      (武蔵野尓 宇良敝可多也伎 麻左弖尓毛 乃良奴伎美我名 宇良尓悌尓家里)
 「象(かた)焼き」は鹿の骨などを焼いて占うことをいう。「まさでにも」は「現実には」という意味である。
 「武蔵野に占う骨焼き、実際にあなたの名前など口に出さなかったのに、その占いに出てきてしまったわ」という歌である。

3375  武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ
      (武蔵野乃 乎具奇我吉藝志 多知和可礼 伊尓之与比欲利 世呂尓安波奈布与)
 「をぐきが雉」は「山穴に巣食う雉」という意味のようだ。ここまで次句の「立ち」を導く序歌。「子ろ」と異なって、「背ろ」は本歌に至るまで例がない。本歌以降に4例ある。「逢っていない」を意味する「逢はなふ」は本歌以外に全く例がない。「背ろ」も「逢はなふ」も方言であろう。
 「武蔵野の山穴に巣食う雉のように、飛び立つように別れていった、あの宵からあの人に逢っていませんわ」という歌である。

3376  恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ
      (古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米)
 「うけらが花」は広辞苑によると、「おけらの古名」とある。その「おけら」を引くと「キク科の多年草。山野に自生」とある。「なゆめ」は禁止形。おけらの花は山野に目立つ花だったのだろうか。
 「恋しければ袖も振ります。武蔵野のオケラの花のように目立つようなそぶりは決してなさいませんように」という歌である。
 本歌には次のような異伝歌が登載されている。
 或本歌曰: いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ
      (伊可尓思弖 古非波可伊毛尓 武蔵野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓悌受安良牟)
 「恋ひばか」は「恋すれば」という意味。異伝歌というより、内容からすると、問答歌である。
 「どのように恋すれば、あの子のいうように武蔵野のオケラの花のように目立つようなそぶりを出さずにいられようか」という歌である。

3377  武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを
      (武蔵野乃 久佐波母呂武吉 可毛可久母 伎美我麻尓末尓 吾者余利尓思乎)
 「もろ向き」は「いっせいに同じ方向に向く」という意味。「風を受けて草葉がいっせいになびく」ということ。「かもかくも」は「とにもかくにも」。
 「武蔵野の草葉が風を受けて同じ方向にいっせいになびくように、とにかくあなたの意のままになびき寄ってきましたのに」という歌である。

3378  入間道の大家が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね
      (伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流々々 和尓奈多要曽祢)
 「入間道(いりまぢ)の大家が原」は埼玉県川越市の東南方向の原。「いはゐつら」は強意の「い」。「はゐ」は「這う」という意味。「つら」は「蔓」の方言と思われる。「な~そ」は禁止形。
 「入間道(いりまぢ)の大家が原に生え延びる蔓のように、引いたらずるずる寄ってくるように、決して切れることがないようにね」という歌である。

3379  我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
      (和我世故乎 安杼可母伊波武 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 登吉奈伎母能乎)
 「あどかも」は初出。3494番歌にもう一例あって、「子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ」とある。「どう思う」という意味である。「うけらが花」は3376番歌参照。
 「あの人になんと言ったらいいのでしょう。武蔵野のオケラのように時無しに咲く花のように思い続けているものを」という歌である。

3380  埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね
      (佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢)
 「埼玉(さきたま)の津」は埼玉県行田市の南部にあった旧埼玉村の津。「風をいたみ」は「~ので」の「み」。「言(こと)な絶えそね」の「な~そ」は禁止形。
 「埼玉郷(さきたまごう)の船着き場につながれている船が激しい風を受けて、綱が切れるようなことがあっても、あなたの言葉(便り)は絶やさないようにしてね」という歌である。

3381  夏麻引く宇奈比をさして飛ぶ鳥の至らむとぞよ我が下延へし
      (奈都蘇妣久 宇奈比乎左之弖 等夫登利乃 伊多良武等曽与 阿我之多波倍思)
 「夏麻(なつそ)引く」は枕詞。4例ある。宇奈比は不詳。「我が下延へし」は「わが内心の思い」、しは強意の「し」。
 「あなた、宇奈比をさして飛ぶ鳥が到着する場所は私のところと、内心思っていますよ」という歌である。
 右九首武蔵國の歌(むさし。今の東京都と埼玉県及び神奈川県の一部)。

3382  馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我来なば汝は恋ふばぞも
      (宇麻具多能 祢呂乃佐左葉能 都由思母能 奴礼弖和伎奈婆 汝者故布婆曽毛)
馬来田(うまぐた)は千葉県木更津市の旧馬来田村。「嶺ろの」は「峰らの」、「来なば」は「来ぬれば」、「恋ふば」は「恋ふれば」の各々訛りないし方言。
 「馬来田(うまぐた)の山々の笹葉のように、露霜に濡れながらやってきたのはあんたを恋しく思えばこそ」という歌である。

3383  馬来田の嶺ろに隠り居かくだにも国の遠かば汝が目欲りせむ
      (宇麻具多能 祢呂尓可久里為 可久太尓毛 久尓乃登保可婆 奈我目保里勢牟)
 馬来田(うまぐた)は前歌参照。
 「馬来田(うまぐた)の山々を隔てた地に居る。こんなにも故郷が遠いとあんたに逢いたくてしょうがない」という歌である。
 右二首上総國の歌(かづさ。今の千葉県中部)。

3384  葛飾の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を
      (可都思加能 麻末能手兒奈乎 麻許登可聞 和礼尓余須等布 麻末乃弖胡奈乎)
 「葛飾(かつしか)」は千葉、埼玉、東京にまたがる一帯。真間は市川市内。「手児名(てごな)」は「少女」ないし「あの子」という意味。
 「まことかも」は「本当かいな」という意味。
 「葛飾の真間のあの美少女が、本当かいな、この私に寄っているという。あの美少女が」という歌である。

3385  葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに
      (可豆思賀能 麻萬能手兒奈我 安里之可婆 麻末乃於須比尓 奈美毛登杼呂尓)
 「葛飾の真間の手児名」は前歌参照。
 「ありしかば」は「ありせかば」の、「おすひに」は「磯辺に」の訛りとみられる。
 「葛飾の真間のあの美少女が本当にいたなら、真間の磯辺に寄せる波のとどろきわたるほど人々は大騒ぎしたことだろうな」という歌である。

3386   にほ鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも
      (尓保杼里能 可豆思加和世乎 尓倍須登毛 曽能可奈之伎乎 刀尓多弖米也母)
 にほ鳥はかいつぶりのこと。葛飾は前々歌参照。「饗(にへ)す」は新しい稲を神に捧げる、いわゆる新嘗(にいなめ)の神事(祭り)のこと。その日は男を家に入れてはいけないとされた。
 「かいつぶりがいるという葛飾の早稲(わせ)を神に捧げる今日は新嘗(にいなめ)祭。けれども愛(いと)しいあの人を外に立たせておけるでしょうか」という歌である。

3387  足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
      (安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟)
 「駒もが」は「馬があったらなあ」という意味。「葛飾の真間」は3384番歌参照。
継橋(つぎはし)は板を並べた橋。
 「足音立てずに行く、そんな馬があったらなあ。葛飾の真間の板の継橋を渡っていつも彼女の許へ通うことが出来るのに」という歌である。
 右四首下総國の歌(しもふさ。今の千葉県北部と茨城県南西部)
           (2016年4月2日記、2019年3月25日)
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