万葉集読解・・・219(3476~3490番歌)
3476 うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月のぬがなへ行けば恋しかるなも [或本歌末句曰 流なへ行けど、我ぬ行がのへば]
(宇倍兒奈波 和奴尓故布奈毛 多刀都久能 努賀奈敝由家婆 故布思可流奈母 [或本歌末句曰 奴我奈敝由家杼 和奴由賀乃敝波])
本歌は東国訛り(方言)の多い歌である。「子な」は「子ら」の、「我ぬに」は「我れに」の、「恋ふなも」は「恋ふらも」の東国訛り。「立と月の」は「立つ月の」の、「ぬがなへ行けば」は「ながらへ行けば」の東国訛り。「うべ」は「そうそう」という意味。
「そうそう、あの子は私に気があったんだな。月が流れていけばいくほど恋しくなるだろうな」という歌である。
異伝歌は次のような歌である。
「(あの子は恋しく思っているだろうな)月が流れて行けども私が行かないものだから」という歌である。
3476 うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月のぬがなへ行けば恋しかるなも [或本歌末句曰 流なへ行けど、我ぬ行がのへば]
(宇倍兒奈波 和奴尓故布奈毛 多刀都久能 努賀奈敝由家婆 故布思可流奈母 [或本歌末句曰 奴我奈敝由家杼 和奴由賀乃敝波])
本歌は東国訛り(方言)の多い歌である。「子な」は「子ら」の、「我ぬに」は「我れに」の、「恋ふなも」は「恋ふらも」の東国訛り。「立と月の」は「立つ月の」の、「ぬがなへ行けば」は「ながらへ行けば」の東国訛り。「うべ」は「そうそう」という意味。
「そうそう、あの子は私に気があったんだな。月が流れていけばいくほど恋しくなるだろうな」という歌である。
異伝歌は次のような歌である。
「(あの子は恋しく思っているだろうな)月が流れて行けども私が行かないものだから」という歌である。
3477 東路の手児の呼坂越えて去なば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
(安都麻道乃 手兒乃欲婢佐可 古要弖伊奈婆 安礼波古非牟奈 能知波安比奴登母)
「東路の手児(てご)」は3442番歌に「東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに」とある。「手児(てご)の呼坂」は所在不詳。「後は逢ひぬとも」は「後に逢うだろうけれど」という意味。
「あの人が東国の手児の呼坂を越えて行ってしまったら、私は恋しくてならないだろうね。後に逢うだろうけれど」という歌である。
(安都麻道乃 手兒乃欲婢佐可 古要弖伊奈婆 安礼波古非牟奈 能知波安比奴登母)
「東路の手児(てご)」は3442番歌に「東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに」とある。「手児(てご)の呼坂」は所在不詳。「後は逢ひぬとも」は「後に逢うだろうけれど」という意味。
「あの人が東国の手児の呼坂を越えて行ってしまったら、私は恋しくてならないだろうね。後に逢うだろうけれど」という歌である。
3478 遠しとふ故奈の白嶺に逢ほしだも逢はのへしだも汝にこそ寄され
(等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼)
「故奈(こな)の白嶺(しらね)」は所在不詳。「逢ほ」は「逢ふ」の、「逢はのへ」は「逢はない」の東国訛り。「はのへ」は前々歌の異伝歌に「行かのへ」の東国訛りとして出てきた。「しだ」は「時」という意味。「寄され」は「寄せられている」という意味で、「噂を寄せられている」という意味である。
「遠いという故奈(こな)の白嶺(しらね)に、逢う時も逢わない時もあんたに寄せられていると噂が立っている。なのに(なぜなかなか逢ってくれないの)」という歌である。
(等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼)
「故奈(こな)の白嶺(しらね)」は所在不詳。「逢ほ」は「逢ふ」の、「逢はのへ」は「逢はない」の東国訛り。「はのへ」は前々歌の異伝歌に「行かのへ」の東国訛りとして出てきた。「しだ」は「時」という意味。「寄され」は「寄せられている」という意味で、「噂を寄せられている」という意味である。
「遠いという故奈(こな)の白嶺(しらね)に、逢う時も逢わない時もあんたに寄せられていると噂が立っている。なのに(なぜなかなか逢ってくれないの)」という歌である。
3479 赤見山草根刈り除け逢はすがへ争ふ妹しあやに愛しも
(安可見夜麻 久左祢可利曽氣 安波須賀倍 安良蘇布伊毛之 安夜尓可奈之毛)
赤見山は栃木県佐野市赤見町にある東山とされている。「逢はすがへ」は「逢っておきながら」という意味である。
「赤見山で草を刈り払って逢っておきながら、抵抗する彼女がむしょうに愛しい」という歌である。
(安可見夜麻 久左祢可利曽氣 安波須賀倍 安良蘇布伊毛之 安夜尓可奈之毛)
赤見山は栃木県佐野市赤見町にある東山とされている。「逢はすがへ」は「逢っておきながら」という意味である。
「赤見山で草を刈り払って逢っておきながら、抵抗する彼女がむしょうに愛しい」という歌である。
3480 大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも
(於保伎美乃 美己等可思古美 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 欲太知伎努可母)
「来のかも」は「来ぬかも」の東国訛り。原文「伎努可母」からすると奴を努の字に誤ったとも取れる。本歌には他に訛りは見られず、奴を努の字に誤った可能性も十分にある。
「大君(天皇)の命令を畏んで愛しい彼女の手枕を離れ、夜、出立してきた」という歌である。
(於保伎美乃 美己等可思古美 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 欲太知伎努可母)
「来のかも」は「来ぬかも」の東国訛り。原文「伎努可母」からすると奴を努の字に誤ったとも取れる。本歌には他に訛りは見られず、奴を努の字に誤った可能性も十分にある。
「大君(天皇)の命令を畏んで愛しい彼女の手枕を離れ、夜、出立してきた」という歌である。
3481 あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも
(安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母)
本歌の類歌に、502番歌「玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも」がある。「さゐさゐしづみ」の原文は「狭藍左謂沈」。本歌の「さゑさゑしづみ」の原文は「佐恵々々之豆美」。両歌ともあわただしさを表現している。着物が沈むというのだから「脱ぎ捨てた着物が沈む」という意味だろう。「あり衣」は「絹の着物」ののようだが、「ありのままの着物」すなわち「普段着の着物」という意味だろう。
「あわただしく普段の着物を脱ぎ捨て、そのまま崩れ落ちたままにして旅装束に着替え、妻に物も言わずにあわてて出立してきたので、心苦しい」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂歌集に登載されている。なお前にも見えている」とある。502番歌のことを指しているのだろう。
(安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母)
本歌の類歌に、502番歌「玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも」がある。「さゐさゐしづみ」の原文は「狭藍左謂沈」。本歌の「さゑさゑしづみ」の原文は「佐恵々々之豆美」。両歌ともあわただしさを表現している。着物が沈むというのだから「脱ぎ捨てた着物が沈む」という意味だろう。「あり衣」は「絹の着物」ののようだが、「ありのままの着物」すなわち「普段着の着物」という意味だろう。
「あわただしく普段の着物を脱ぎ捨て、そのまま崩れ落ちたままにして旅装束に着替え、妻に物も言わずにあわてて出立してきたので、心苦しい」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂歌集に登載されている。なお前にも見えている」とある。502番歌のことを指しているのだろう。
3482 韓衣裾のうち交へ逢はねども異しき心を我が思はなくに
(可良許呂毛 須蘇乃宇知可倍 安波祢杼毛 家思吉己許呂乎 安我毛波奈久尓
「韓衣(からころも)」は中国服のこと。中国服は裾が合わせられるようにできていないため、「合はねども」と言った。「逢はねども」にかけた。「異(け)しき心」は「他(あだ)し心」のことで、「ほかの男に心惹かれる」こと。
「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんが、決してほかの男に心惹かれているわけではありません」という歌である。
異伝歌は次のようになっている。
或本歌曰:韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへの故に言痛かりつも
(可良己呂母 須素能宇知可比 阿波奈敝婆 祢奈敝乃可良尓 許等多可利都母)
「なへ」は「ない」の訛り。「言痛(ことた)かりつも」は「噂がひどい」という意味。
「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんし、したがって寝てもいないのに人の噂がひどいですね」という歌である。
(可良許呂毛 須蘇乃宇知可倍 安波祢杼毛 家思吉己許呂乎 安我毛波奈久尓
「韓衣(からころも)」は中国服のこと。中国服は裾が合わせられるようにできていないため、「合はねども」と言った。「逢はねども」にかけた。「異(け)しき心」は「他(あだ)し心」のことで、「ほかの男に心惹かれる」こと。
「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんが、決してほかの男に心惹かれているわけではありません」という歌である。
異伝歌は次のようになっている。
或本歌曰:韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへの故に言痛かりつも
(可良己呂母 須素能宇知可比 阿波奈敝婆 祢奈敝乃可良尓 許等多可利都母)
「なへ」は「ない」の訛り。「言痛(ことた)かりつも」は「噂がひどい」という意味。
「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんし、したがって寝てもいないのに人の噂がひどいですね」という歌である。
3483 昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ
(比流等家波 等<家>奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家)
「なへ」は「ない」の、「やすけ」は「やすき」の東国訛り。
「昼間解こうとしても解けない着物の紐も、あなたに相寄るのか夜になると解けやすい」という歌である。
(比流等家波 等<家>奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家)
「なへ」は「ない」の、「やすけ」は「やすき」の東国訛り。
「昼間解こうとしても解けない着物の紐も、あなたに相寄るのか夜になると解けやすい」という歌である。
3484 麻苧らを麻笥にふすさに績まずとも明日着せさめやいざせ小床に
(安左乎良乎 遠家尓布須左尓 宇麻受登毛 安須伎西佐米也 伊射西乎騰許尓)
「麻苧(あさを)らを」は「麻の繊維」すなわち「麻糸の原料を」という意味。麻笥(をけ)は紡ぎ取った麻を入れる容器。 「ふすさに」は本歌一例のみ。「いっぱいに」ないし「急いで」という意味。東国方言か?。「績(う)まずとも」は「細かく裂いて糸にしなくとも」という意味である。「着せさめや」は敬語及び反語表現が連なったもの。「お召しになるのでしょうか」という意味である。
「麻の繊維を細かく裂いて糸にして箱いっぱいにしなくとも、明日お召しになるものでもないでしょうに。さあ、いい加減にして床に入りませんか」という歌である。
(安左乎良乎 遠家尓布須左尓 宇麻受登毛 安須伎西佐米也 伊射西乎騰許尓)
「麻苧(あさを)らを」は「麻の繊維」すなわち「麻糸の原料を」という意味。麻笥(をけ)は紡ぎ取った麻を入れる容器。 「ふすさに」は本歌一例のみ。「いっぱいに」ないし「急いで」という意味。東国方言か?。「績(う)まずとも」は「細かく裂いて糸にしなくとも」という意味である。「着せさめや」は敬語及び反語表現が連なったもの。「お召しになるのでしょうか」という意味である。
「麻の繊維を細かく裂いて糸にして箱いっぱいにしなくとも、明日お召しになるものでもないでしょうに。さあ、いい加減にして床に入りませんか」という歌である。
3485 剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに
(都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓)
「剣大刀(つるぎたち)」は枕詞。「取り見がね」は「世話をしかねて」という意味。
「剣大刀のように身に添ってきた妻の世話をしかねて、私は声をあげて泣いてしまった。赤子でもないのに」という歌である。
(都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓)
「剣大刀(つるぎたち)」は枕詞。「取り見がね」は「世話をしかねて」という意味。
「剣大刀のように身に添ってきた妻の世話をしかねて、私は声をあげて泣いてしまった。赤子でもないのに」という歌である。
3486 愛し妹を弓束並べ巻きもころ男のこととし言はばいや勝たましに
(可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓)
弓を左手に握る部分を弓束(ゆづか)というが、「弓束並べ巻き」はその「弓束を巻き付ける」ことである。「もころ男(を)」は1809番長歌の一節に「~もころ男に負けてはあらじと~」とあるように「競争相手」のこと。
「愛しい彼女よ。弓束(ゆづか)を巻き付ける競争のことなら競争相手に勝ってみせるんだが、恋敵となると君の気持ちしだいだからなあ」という歌である。
(可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓)
弓を左手に握る部分を弓束(ゆづか)というが、「弓束並べ巻き」はその「弓束を巻き付ける」ことである。「もころ男(を)」は1809番長歌の一節に「~もころ男に負けてはあらじと~」とあるように「競争相手」のこと。
「愛しい彼女よ。弓束(ゆづか)を巻き付ける競争のことなら競争相手に勝ってみせるんだが、恋敵となると君の気持ちしだいだからなあ」という歌である。
3487 梓弓末に玉巻きかくすすぞ寝なななりにし奥をかぬかぬ
(安豆左由美 須恵尓多麻末吉 可久須酒曽 宿莫奈那里尓思 於久乎可奴加奴)
「かくすすぞ」は「のようにしてきたが」という意味。「寝なななりにし」は「寝ないままになってしまった」ということ。すなわち「共寝しないままになってしまった」という意味である。「奥をかぬかぬ」は「将来のことを考え考えて」という意味。
「梓弓(あづさゆみ)の弓末(ゆずゑ)に玉を巻こうと(飾り立てようと)大切にしてきたが、共寝しないままになってしまった。遠い将来のことを考え考えてきたのに」という歌である。
(安豆左由美 須恵尓多麻末吉 可久須酒曽 宿莫奈那里尓思 於久乎可奴加奴)
「かくすすぞ」は「のようにしてきたが」という意味。「寝なななりにし」は「寝ないままになってしまった」ということ。すなわち「共寝しないままになってしまった」という意味である。「奥をかぬかぬ」は「将来のことを考え考えて」という意味。
「梓弓(あづさゆみ)の弓末(ゆずゑ)に玉を巻こうと(飾り立てようと)大切にしてきたが、共寝しないままになってしまった。遠い将来のことを考え考えてきたのに」という歌である。
3488 生ふしもとこの本山の真柴にも告らぬ妹が名かたに出でむかも
(於布之毛等 許乃母登夜麻乃 麻之波尓毛 能良奴伊毛我名 可多尓伊弖牟可母)
「しもと」は広辞苑に「枝の茂った若い木立」とある。「~真柴にも」は同音の「しばしも(少しも)」を導く序歌。「かたに」は鹿の骨を焼いて現れた形象(かた)で占う占い。
「枝の茂った若い雑木、この山の麓の雑木の柴のように暫しも彼女の名は口に出さないようにしているが、形象(かた)占いに出てしまうかなあ」という歌である。
(於布之毛等 許乃母登夜麻乃 麻之波尓毛 能良奴伊毛我名 可多尓伊弖牟可母)
「しもと」は広辞苑に「枝の茂った若い木立」とある。「~真柴にも」は同音の「しばしも(少しも)」を導く序歌。「かたに」は鹿の骨を焼いて現れた形象(かた)で占う占い。
「枝の茂った若い雑木、この山の麓の雑木の柴のように暫しも彼女の名は口に出さないようにしているが、形象(かた)占いに出てしまうかなあ」という歌である。
3489 梓弓欲良の山辺の茂かくに妹ろを立ててさ寝処払ふも
(安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母)
梓弓(あづさゆみ)は枕詞。欲良(よら)は所在不詳。「茂(しげ)かくに」は「茂きくに」の東国訛りで「茂った所に」という意味。「妹ろ」は「妹ら」の東国訛り。親愛の「ろ」。
「欲良(よら)の山辺の茂った場所にあの子を立たせ待ってもらって、共寝の場所を雑木を払って確保するため」という歌である。
(安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母)
梓弓(あづさゆみ)は枕詞。欲良(よら)は所在不詳。「茂(しげ)かくに」は「茂きくに」の東国訛りで「茂った所に」という意味。「妹ろ」は「妹ら」の東国訛り。親愛の「ろ」。
「欲良(よら)の山辺の茂った場所にあの子を立たせ待ってもらって、共寝の場所を雑木を払って確保するため」という歌である。
3490 梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝をはしに置けれ
(安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼)
梓弓(あづさゆみ)は枕詞。「まさかこそ」は「現在でこそ」という意味。結句の「はしに置けれ」は「目のはしに置いた振りをしているけれど」という意味である。
「ゆくゆくは寄り添って寝る仲になるつもりだが、今は人目が多いので目のはしに置いた振りをしているけれど」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に登載されている」とある。
(2016年5月8日記、2019年3月27日)
(安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼)
梓弓(あづさゆみ)は枕詞。「まさかこそ」は「現在でこそ」という意味。結句の「はしに置けれ」は「目のはしに置いた振りをしているけれど」という意味である。
「ゆくゆくは寄り添って寝る仲になるつもりだが、今は人目が多いので目のはしに置いた振りをしているけれど」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に登載されている」とある。
(2016年5月8日記、2019年3月27日)