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万葉集読解・・・233(3688~2699番歌)

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     万葉集読解・・・233(3688~2699番歌)
 頭注に「壹岐嶋に到って雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が突然鬼の病に遇い死去せし時に作った歌一首並びに短歌」とある。
 壹岐嶋は長崎県。雪宅麻呂は3644番歌に「大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも」という歌がある。鬼の病はよく分からないが、突然死だったのだろう。
3688番長歌
天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君
      (須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國尓 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多祢可 多太未可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知祢能 波々尓麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴礼婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝<妣>等波 麻知故布良牟尓 等保能久尓 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我祢乃 安良伎之麻祢尓 夜杼理須流君)

  (口語訳)
 「遠(とほ)の朝廷(みかど)と韓国に」とあるが、「遠い朝廷(国)の韓国」という意味か、神功皇后の三韓征伐伝説にちなんでの表現なのかはっきりしない。「家人の」は故郷の家人。「斎(いは)ひ待たねか」は「お祈りが十分でなかったのか」という意味である。「正身(ただみ)かも」は「当の本人に」、「秋さらば」は「秋になれば」という意味。「たらちねの」は枕詞。

 「天皇の命を受けて遠い国(ないしは属国という意味か(?))の韓国に渡ろうとしたわが同僚は、一家のお祈りが十分でなかったのか、あるいはご当人に何か落ち度があったのだろうか。秋になれば帰ってきますと母に申して家を出た。時は過ぎ、月も経たので、今日は帰るか、明日は帰るかと、一家の人は待ち焦がれていただろうに、遠い国にいまだ到着せず、大和から遠く離れた、ここ岩が根を張る荒々しい島に永遠に宿ることになってしまった君」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3689  岩田野に宿りする君家人のいづらと我れを問はばいかに言はむ
      (伊波多野尓 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和礼乎 等波婆伊可尓伊波牟)
 「岩田野(いはたの)」は長崎県壱岐島の東南部石田町。
 「岩田野(いはたの)に眠っておられる君、もしも家の人が、どこにいるの、と訊ねたらどう答えよう」という歌である。

3690  世間は常かくのみと別れぬる君にやもとな我が恋ひ行かむ
      (与能奈可波 都祢可久能未等 和可礼奴流 君尓也毛登奈 安我孤悲由加牟)
 「世間は」は原文に「与能奈可波」とあるとおり「よのなかは」である。「常かくのみと」は「いつもこんなふうに」という意味である。「もとな」は「はかなく」という意味。
 「世の中はいつもこんなふうに別れが来るものなのか。いなくなった君にはかなく思いを負いながら、私は旅を続けなければならないのか」という歌である。
 左注に「右の三首は挽歌」とある。

3691番長歌
天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ
      (天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安<佐>都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊悌見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登<乃>奈氣伎<波> 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布<伎>弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟)
 「天地と」は「天地のように」ということ。「ありけむものを」は「このまま無事でいると」という意味。「はしけやし」は「ああ、いたわしや」という詠嘆表現。「裳の裾ひづち」は「裳の裾を濡らす」こと。「幸(さき)くしも」は「無事であると信じて」という意味。「君にあれやも」は「君ではあるまいに」という意味である。「仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて」は「仮の宿をこさえて」ということ。

  (口語訳)
 「天地のようにいつまでもこのままでいるだろうと思っていたのに、ああ、いたわしや。故郷の家を離れ、波の上を難渋しながらやってきて、月日も経ち、雁も次々にやってきては鳴いた。母上や妻も、朝露を受けて裳の裾を濡らし、夕霧に着物の袖を濡らしながら、無事であると信じてその帰りを門に出て待っているだろうに。こんな世間的な嘆きを知らぬ君ではあるまいに。秋萩が散る野辺にススキの初尾花を葺いて仮の宿をこさえ、故郷から遠く雲の彼方に離れ、国の辺境で露霜降りる、こんな寒い山辺に眠ってしまったのだなあ、君は」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3692  はしけやし妻も子どもも高々に待つらむ君や島隠れぬる
      (波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加尓 麻都良牟伎美也 之麻我久礼奴流)
 「はしけやし」前歌参照。「島隠れぬる」は「島で隠れた」すなわち「島で死去した」こと。
 「ああ、いたわしや。妻や子供が今か今かと待っているだろうに、この島で君は亡くなってしまった」という歌である。

3693  黄葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
      (毛美知葉能 知里奈牟山尓 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母)
 「人し」は強意の「し」。「黄葉(もみじば)が散り敷く山に眠っている君を帰ってくるものと信じて待っている人こそ悲しい」という歌である。
 左注に「右の三首は葛井連子老(ふぢゐのむらぢこおゆ)が作った挽歌」とある。

3694番長歌
わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人の ほつての占部を 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路に 別れする君
      (和多都美能 <可>之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武等須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美)
 「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。「畏(かしこ)き道を」は「恐ろしい道を」という意味。「喪(も)なく行かむと」は「凶事もなく」すなわち「無事に行こうと」という意味である。「ほつての」は「秀つ手」、すなわち「秀でた人」という意味。「肩焼きて」は鹿の骨ないし亀の甲羅を焼いて現れた形で吉凶を占う占い。

  (口語訳)
 「海神の司る恐ろしい道を難渋しながらやってきて、さあ今からは無事に行こうと、壱岐の海人(あまびと)の占いの名人に占ってもらった矢先、夢のように空の彼方に旅だってしまった君」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3695  昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも
      (牟可之欲里 伊比<祁>流許等乃 可良久尓能 可良久毛己許尓 和可礼須留可聞)
 「昔より~韓国(からくに)の」は「からくも」を導く序歌。「からくも」は「つらくも」という意味。
 「昔から言われてきた韓国にわたるつらさのように、つらくもここで君と別れることになるとは」という歌である。

3696  新羅へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも
      (新羅奇敝可 伊敝尓可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可祢都母)
 「~壱岐の島」は「行かむ」を導く序歌。「たどき」は「手段」。「壱岐の島から、さあ、新羅へ向かうのか、家に帰るのかどうしていいか思い悩む」という歌である。
 左注に「右の三首は六鯖(りくせい)が作った挽歌」とある。

  頭注に「對馬嶋に到り、淺茅浦に舶を停泊したとき、天候不順で五日間そこに泊まった。そこで風物を望み、心を痛めて各人が作った歌三首」とある。淺茅浦は対馬の中央部南側にある浅茅湾のことであろう。
3697  百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり
      (毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里)
 「百船(ももふね)の」は「数多くの船」のこと。浅茅山は地元に持山、城山、遠見岳等々小さな山がいくつもあってどの山のことか未詳。「もみたひ」は「紅葉」のこと。
 「数多くの船が停泊する対馬の浅茅山、しぐれの雨に紅葉してきた」という歌である。

3698  天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける
      (安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流)
 「天離あまざかる)る鄙(ひな)」は「遠く離れた辺境の地」のことある。
 「遠く離れた辺境のこの地にも月は皎々と照っている。思えば彼女と別れて遠くここまでやってきたものだ」という歌である。

3699  秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ
      (安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟)
 「秋されば」は「秋になると」という意味。「あへずして」は「抗しきれず」という意味。 「秋になると降りてくる露や霜に抗しきれず、故郷の都の山は紅葉してきたことだろう」という歌である。
           (2016年7月9日記、2019年4月2日)
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