Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

金言嫌い

$
0
0
日々つれづれ-11トップへ
 ずっと以前に本欄でも記した記憶があるが、基本的に私は金言、名言の類をあまり好まない。それでいて、私は数年前からそれに類したものが記されているカレンダーをトイレの壁に吊してひとり楽しんでいる。今年のカレンダーをパラパラと繰ってみたところ、たまたま「成功」の文字が入っている名言が目に付いた。以下の二句である。
    成功は「大胆不敵」の子どもである。  ベンジャミン・ディズレーリ
    希望は人を成功に導く信仰である。   ヘレン・ケラー
 名言の名言たるゆえんは功成り名遂げた人の言葉だからである。当然、含意が深い。
 そこで、私が名言、金言の類をあまり好まないのは、名言、金言の内容そのものに由来しているわけではない。名言、金言と言われるだけあって、その含意は深く、示唆に富んでいる。問題はその種の名言を引き合いに出して説教調にもの申す人が少なくないことにある。「なあ、君、人のふり見て我がふり直せっていうだろ。」式に頭ごなしに言われると、こちらは一歩も二歩も引いてしまうのである。「希望は人を成功に導く信仰である」。素晴らしい名言である。が、それを説教に使ってほしくないのである。なぜなら、それはヘレン・ケラー自身が発言したからこそ力を持っているのだ。この発言の背景には彼女自身の無限の精進や体験の積み重ねが存在している。それをしたり顔で説かれると、私などは「君はヘレン・ケラーなの?」と言い返したい気持に駆られてしまうのである。
 金言は説教の種に使ってほしくない。名言、金言の類は説教の種にしたり他者に押しつけたりするためにあるのではあるまい。下手をすると、金言風に言えば「説教の種になるもの、それを金言という」ということになりかねない。
 私が金言嫌いなのは、ですから正確に言えば、それを種に説教をかます人が絶えないからなのである。
           (2015年1月5日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles