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万葉集読解・・・272(4189~4202番歌)
頭注に「水烏を越前判官大伴宿祢池主に贈る歌と短歌」とある。水鳥は鵜のこと。越前は今の福井県。判官は掾(じょう)のこと。掾は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3番目の官。
4189番長歌
天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば うつせみは 物思ひ繁し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばむはしも 大夫を 伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子
(天離 夷等之在者 彼所此間毛 同許己呂曽 離家 等之乃經去者 宇都勢美波 物念之氣思 曽許由恵尓 情奈具左尓 霍公鳥 喧始音乎 橘 珠尓安倍貫 可頭良伎氐 遊波之母 麻須良乎々 等毛奈倍立而 叔羅河 奈頭左比泝 平瀬尓波 左泥刺渡 早湍尓 水烏乎潜都追 月尓日尓 之可志安蘇婆祢 波之伎和我勢故)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「大夫(ますらを)を」は「官吏仲間」ということ。叔羅(しくら)川は福井市を北に流れる日野川と目されている。坂井市を流れる九頭竜川本流に合流する、いわば九頭竜川の支流。「なづさひ上り」は「難渋して川をさかのぼる」こと。「平瀬には小網さし渡し」は「流れの緩やかな平瀬では小網を張って」という意味。
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万葉集読解・・・272(4189~4202番歌)
頭注に「水烏を越前判官大伴宿祢池主に贈る歌と短歌」とある。水鳥は鵜のこと。越前は今の福井県。判官は掾(じょう)のこと。掾は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3番目の官。
4189番長歌
天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば うつせみは 物思ひ繁し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばむはしも 大夫を 伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子
(天離 夷等之在者 彼所此間毛 同許己呂曽 離家 等之乃經去者 宇都勢美波 物念之氣思 曽許由恵尓 情奈具左尓 霍公鳥 喧始音乎 橘 珠尓安倍貫 可頭良伎氐 遊波之母 麻須良乎々 等毛奈倍立而 叔羅河 奈頭左比泝 平瀬尓波 左泥刺渡 早湍尓 水烏乎潜都追 月尓日尓 之可志安蘇婆祢 波之伎和我勢故)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「大夫(ますらを)を」は「官吏仲間」ということ。叔羅(しくら)川は福井市を北に流れる日野川と目されている。坂井市を流れる九頭竜川本流に合流する、いわば九頭竜川の支流。「なづさひ上り」は「難渋して川をさかのぼる」こと。「平瀬には小網さし渡し」は「流れの緩やかな平瀬では小網を張って」という意味。
(口語訳)
「都から遠く離れた田舎の地、そちらもこちらも同じだよ。都の家から遠ざかり、年が過ぎていく。この世に生きる身とて物思いにふけることしきり。それゆえに、心の慰めにせんとホトトギスの初鳴きに耳を傾け、橘の実を貫いて髪飾りにして心を紛らせています。貴君もきっとそうであろうと思う。その合間に、官吏仲間と連れだって、そちらを流れる叔羅(しくら)川を難渋しながら遡ってみて下さいな。流れの緩やかな平瀬では小網を張り、急流では鵜をもぐらせて、いつの月とも日ともいわず、随時、遊んで下され、わがいとしい貴君」という歌である。
「都から遠く離れた田舎の地、そちらもこちらも同じだよ。都の家から遠ざかり、年が過ぎていく。この世に生きる身とて物思いにふけることしきり。それゆえに、心の慰めにせんとホトトギスの初鳴きに耳を傾け、橘の実を貫いて髪飾りにして心を紛らせています。貴君もきっとそうであろうと思う。その合間に、官吏仲間と連れだって、そちらを流れる叔羅(しくら)川を難渋しながら遡ってみて下さいな。流れの緩やかな平瀬では小網を張り、急流では鵜をもぐらせて、いつの月とも日ともいわず、随時、遊んで下され、わがいとしい貴君」という歌である。
4190 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに
(叔羅河 湍乎尋都追 和我勢故波 宇可波多々佐祢 情奈具左尓)
叔羅(しくら)川、前長歌参照。「我が背子は」は、呼びかけ。「鵜川立たさね」は「鵜飼いをしてみて下さい」という意味。
「叔羅(しくら)川を遡りながらいとしい貴君よ。どうか鵜飼いをしてみて下さい。心の気晴らしに」という歌である。
(叔羅河 湍乎尋都追 和我勢故波 宇可波多々佐祢 情奈具左尓)
叔羅(しくら)川、前長歌参照。「我が背子は」は、呼びかけ。「鵜川立たさね」は「鵜飼いをしてみて下さい」という意味。
「叔羅(しくら)川を遡りながらいとしい貴君よ。どうか鵜飼いをしてみて下さい。心の気晴らしに」という歌である。
4191 鵜川立ち取らさむ鮎のしが鰭は我れにかき向け思ひし思はば
(鵜河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等尓可伎<无>氣 念之念婆)
「鵜川立ち」は「鵜飼いをして」ということ。「しが鰭(はた)は」は「そのひれくらいは」という意味。「我れにかき向け」は「取ったひれくらいは送って下さい」という意味。 「鵜飼いをして獲った鮎のひれくらいは当方に送ってくれませんか。親しい仲間と思っていて下さるなら」という歌である。
左注に「右、九日付で使いに贈り届けるよう手配しました」とある。
(鵜河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等尓可伎<无>氣 念之念婆)
「鵜川立ち」は「鵜飼いをして」ということ。「しが鰭(はた)は」は「そのひれくらいは」という意味。「我れにかき向け」は「取ったひれくらいは送って下さい」という意味。 「鵜飼いをして獲った鮎のひれくらいは当方に送ってくれませんか。親しい仲間と思っていて下さるなら」という歌である。
左注に「右、九日付で使いに贈り届けるよう手配しました」とある。
頭注に「霍公鳥(ホトトギス)と藤花を詠んだ歌と短歌」とある。
4192番長歌
桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ 娘子らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木の暗の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り 夕月夜 かそけき野辺に はろはろに 鳴く霍公鳥 立ち潜くと 羽触れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも
(桃花 紅色尓 々保比多流 面輪<乃>宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 (女+感)嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等<余米> 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥々尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母)
4192番長歌
桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ 娘子らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木の暗の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り 夕月夜 かそけき野辺に はろはろに 鳴く霍公鳥 立ち潜くと 羽触れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも
(桃花 紅色尓 々保比多流 面輪<乃>宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 (女+感)嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等<余米> 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥々尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「面輪(おもわ)のうちに」は「顔立ちの内に」。「朝影見つつ」は「朝の自分の姿を見ながら」という意味。「~まそ鏡」までは鏡の蓋から「二上山」を導く序歌。「はろはろに」は「遙か遠くを」という意味。「立ち潜(く)くと」は「くぐりぬけて」という意味である。
(口語訳)
「桃の花のように紅色に輝いている顔。その内に、青柳のように細い眉毛を微笑んで曲げ、朝の自分の姿を映し出して見る乙女、手に持つ蓋付きの美しい鏡。その二上山の木々茂る暗がりの谷間を鳴き散らしながら朝飛び渡る。夕月夜は夕月夜で、か細い光の野辺を遙か遠くを鳴くホトトギス。木々をくぐり抜けて行くときの羽ばたきで散る藤の花は何とも興が深い。藤の小枝を引きちぎって袖にこじ入れる。藤の花の色に染まるものなら構わないとばかりに」という歌である。
「桃の花のように紅色に輝いている顔。その内に、青柳のように細い眉毛を微笑んで曲げ、朝の自分の姿を映し出して見る乙女、手に持つ蓋付きの美しい鏡。その二上山の木々茂る暗がりの谷間を鳴き散らしながら朝飛び渡る。夕月夜は夕月夜で、か細い光の野辺を遙か遠くを鳴くホトトギス。木々をくぐり抜けて行くときの羽ばたきで散る藤の花は何とも興が深い。藤の小枝を引きちぎって袖にこじ入れる。藤の花の色に染まるものなら構わないとばかりに」という歌である。
4193 霍公鳥鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 [一云 散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花]
(霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花 [一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也])
「羽触れにも」は「羽ばたきによっても」という意味。
「ホトトギス、鳴きながら飛ぶ羽ばたきによっても散ってしまう、盛りが過ぎつつある波打つ藤の花」という歌である。
異伝歌は三句以下が「散りそうなので袖にこじいれた。波打つ藤の花を」となっている。
左注に「同じく九日作」とある。
(霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花 [一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也])
「羽触れにも」は「羽ばたきによっても」という意味。
「ホトトギス、鳴きながら飛ぶ羽ばたきによっても散ってしまう、盛りが過ぎつつある波打つ藤の花」という歌である。
異伝歌は三句以下が「散りそうなので袖にこじいれた。波打つ藤の花を」となっている。
左注に「同じく九日作」とある。
頭注に「更に、霍公鳥の鳴くのが遅いのを怨めしく思っての歌三首」とある。
4194 霍公鳥鳴き渡りぬと告ぐれども我れ聞き継がず花は過ぎつつ
(霍公鳥 喧渡奴等 告礼騰毛 吾聞都我受 花波須疑都追)
「告ぐれども」は「人は言うが」という意味。結句の「花は過ぎつつ」前歌に続けて「更に詠った歌」なので、花は藤波の花を指す。
「ホトトギスは鳴きながら渡っていったと、人は言うが、私はその鳴き声を聞いていない。波打つ藤の花が散っていくというのに」という歌である。
4194 霍公鳥鳴き渡りぬと告ぐれども我れ聞き継がず花は過ぎつつ
(霍公鳥 喧渡奴等 告礼騰毛 吾聞都我受 花波須疑都追)
「告ぐれども」は「人は言うが」という意味。結句の「花は過ぎつつ」前歌に続けて「更に詠った歌」なので、花は藤波の花を指す。
「ホトトギスは鳴きながら渡っていったと、人は言うが、私はその鳴き声を聞いていない。波打つ藤の花が散っていくというのに」という歌である。
4195 我がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ
(吾幾許 斯努波久不知尓 霍公鳥 伊頭敝能山乎 鳴可将超)
「ここだ」は「しきりに」。3805番歌の「~ここだ恋ふれば」等の例がある。「偲(しの)はく知らに」は「思っていることも知らないで」という意味。
「私がしきりに鳴き声を聞きたいと思っていることも知らないで、今頃ホトトギスはどこの山を鳴きながら越えているのだろう」という歌である。
(吾幾許 斯努波久不知尓 霍公鳥 伊頭敝能山乎 鳴可将超)
「ここだ」は「しきりに」。3805番歌の「~ここだ恋ふれば」等の例がある。「偲(しの)はく知らに」は「思っていることも知らないで」という意味。
「私がしきりに鳴き声を聞きたいと思っていることも知らないで、今頃ホトトギスはどこの山を鳴きながら越えているのだろう」という歌である。
4196 月立ちし日より招きつつうち偲ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも
(月立之 日欲里乎伎都追 敲自努比 麻泥騰伎奈可奴 霍公鳥可母)
「月立ちし」は「新しい月が始まって」、すなわち「月が代わって」という意味。「招(を)きつつ」は「招き寄せようと」という意味。「うち偲(しの)ひ」は「しきりに思い焦がれて」という意味である。
「月が代わった日から招き寄せようとしきりに思い焦がれて待っているけれど、一向にやって来て鳴いてくれないホトトギス」という歌である。
(月立之 日欲里乎伎都追 敲自努比 麻泥騰伎奈可奴 霍公鳥可母)
「月立ちし」は「新しい月が始まって」、すなわち「月が代わって」という意味。「招(を)きつつ」は「招き寄せようと」という意味。「うち偲(しの)ひ」は「しきりに思い焦がれて」という意味である。
「月が代わった日から招き寄せようとしきりに思い焦がれて待っているけれど、一向にやって来て鳴いてくれないホトトギス」という歌である。
頭注に「京(みやこ)の人に贈る歌二首」とある。
4197 妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし
(妹尓似 草等見之欲里 吾標之 野邊之山吹 誰可手乎里之)
「我が標(しめ)し」は「わが目星をつけておいた」という意味。標は本来「しめ縄を張ること」。が、ここは野辺の山吹のこと。目星をつけること。
「彼女(妻)に似ている草だと思って目星をつけておいた野辺の山吹、誰が手折ってしまったのだろう」という歌である。
4197 妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし
(妹尓似 草等見之欲里 吾標之 野邊之山吹 誰可手乎里之)
「我が標(しめ)し」は「わが目星をつけておいた」という意味。標は本来「しめ縄を張ること」。が、ここは野辺の山吹のこと。目星をつけること。
「彼女(妻)に似ている草だと思って目星をつけておいた野辺の山吹、誰が手折ってしまったのだろう」という歌である。
4198 つれもなく離れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひぞ我がする
(都礼母奈久 可礼尓之毛能登 人者雖云 不相日麻祢美 念曽吾為流)
「つれもなく」の「つれ」は「つれない」のつれで、「素っ気なく」という意味。「まねみ」は「~ので」の「み」。「多くなったので」という意味である。
「素っ気なく旅だっていったと人は言いますが、妻と会わない日々が重なってきて、思い焦がれています」という歌である。
左注に「右は、都に留まっている女性に贈るために、家婦から依頼されて作った歌」とある。さらに、この左注に細注が付いていて「女性とは大伴家持の妹なり」とある。家婦は家持の妻坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)のことだが、家持に妹がいたらしい。
(都礼母奈久 可礼尓之毛能登 人者雖云 不相日麻祢美 念曽吾為流)
「つれもなく」の「つれ」は「つれない」のつれで、「素っ気なく」という意味。「まねみ」は「~ので」の「み」。「多くなったので」という意味である。
「素っ気なく旅だっていったと人は言いますが、妻と会わない日々が重なってきて、思い焦がれています」という歌である。
左注に「右は、都に留まっている女性に贈るために、家婦から依頼されて作った歌」とある。さらに、この左注に細注が付いていて「女性とは大伴家持の妹なり」とある。家婦は家持の妻坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)のことだが、家持に妹がいたらしい。
頭注に「十二日、布勢の水海に遊覧し、多胡湾に船を泊め、藤花を望み見て各自思いを述べた歌四首」とある。 布勢の水海(みづうみ)は塩水湖で、今は現存しない。富山県氷見市に名残をとどめる。 多胡(たこ)浦は布勢の水海に浮かんでいたとされる島。
4199 藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る
(藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流)
「影なす海の底清み」は「湖の底が清らかで(藤が)くっきりと写る様」。こちらまで美しい湖底が目に見えるようだ。代表的な万葉歌の一つと言ってよかろう。
「波打つ藤が湖底にくっきり写っている。それほど湖底が透明で清らかなので、沈んでいる石まで真珠に見える」という歌である。
左注に「守(かみ)大伴宿祢家持作」とある。
4199 藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る
(藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流)
「影なす海の底清み」は「湖の底が清らかで(藤が)くっきりと写る様」。こちらまで美しい湖底が目に見えるようだ。代表的な万葉歌の一つと言ってよかろう。
「波打つ藤が湖底にくっきり写っている。それほど湖底が透明で清らかなので、沈んでいる石まで真珠に見える」という歌である。
左注に「守(かみ)大伴宿祢家持作」とある。
4200 多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため
(多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為)
「多胡(たこ)の浦」は前歌頭注参照。「底さへにほふ」は「底まで映し出す」という意味。
「多胡の浦の底まで映し出す波打つ藤、髪にかざしていきましょう。まだ見ない人のために」という歌である。
左注に「次官(すけ)内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきつなまろ)作」とある。次官(すけ)は守(かみ)に次ぐ官。
(多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為)
「多胡(たこ)の浦」は前歌頭注参照。「底さへにほふ」は「底まで映し出す」という意味。
「多胡の浦の底まで映し出す波打つ藤、髪にかざしていきましょう。まだ見ない人のために」という歌である。
左注に「次官(すけ)内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきつなまろ)作」とある。次官(すけ)は守(かみ)に次ぐ官。
4201 いささかに思ひて来しを多胡の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
(伊佐左可尓 念而来之乎 多?乃浦尓 開流藤見而 一夜可經)
「いささかに思ひて」は「さほどでもあるまいと思って」という意味。
「さほどでもあるまいと思ってやって来たが、多胡の浦に咲く藤に見ほれて一夜が過ぎていく」という歌である。
左注に「判官久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)作」とある。判官は掾(じょう)のことで、三番目の官。
(伊佐左可尓 念而来之乎 多?乃浦尓 開流藤見而 一夜可經)
「いささかに思ひて」は「さほどでもあるまいと思って」という意味。
「さほどでもあるまいと思ってやって来たが、多胡の浦に咲く藤に見ほれて一夜が過ぎていく」という歌である。
左注に「判官久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)作」とある。判官は掾(じょう)のことで、三番目の官。
4202 藤波を仮廬に作り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ
(藤奈美乎 借廬尓造 灣廻為流 人等波不知尓 海部等可見良牟)
「仮廬(かりほ)に作り」は「(停泊している船を)藤で飾って仮の宿としている」という意味である。
「(停泊している船を)藤で飾って仮の宿として、浦巡りしているだけなのに、そんな私とは知らないで、人は漁師と見るだろうか」という歌である。
左注に「久米朝臣継麻呂(くめのあそみつぐまろ)作」とある。
(2017年1月9日記、2019年4月13日)
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(藤奈美乎 借廬尓造 灣廻為流 人等波不知尓 海部等可見良牟)
「仮廬(かりほ)に作り」は「(停泊している船を)藤で飾って仮の宿としている」という意味である。
「(停泊している船を)藤で飾って仮の宿として、浦巡りしているだけなのに、そんな私とは知らないで、人は漁師と見るだろうか」という歌である。
左注に「久米朝臣継麻呂(くめのあそみつぐまろ)作」とある。
(2017年1月9日記、2019年4月13日)