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そ の 296 へ
万葉集読解・・・295(4475~4487歌)
頭注に「廿三日、式部少丞大伴宿祢池主(いけぬし)の宅に集って宴を催した時の歌二首」とある。廿三日は天平勝宝8年(756年)十一月廿三日。式部少丞(しゃうじょう)は式部省の三等官。式部省は国家の礼儀や儀式等を司った。
4475 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ
(波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都々之努波牟)
初雪に呼びかけた歌。「千重(ちへ)に」は「幾重にも」という意味。2334番歌に「沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ」とある。類歌というより同一歌といってよいだろう。「初雪」と「淡雪」、「多かる」と「日長き」が異なるが、あとは全く同一である。
「初雪よ、幾重にも降りかかっておくれ。恋い焦がれることの多い私なので、お前が降りかかるのを見ながら心を安らげよう」という歌である。
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万葉集読解・・・295(4475~4487歌)
頭注に「廿三日、式部少丞大伴宿祢池主(いけぬし)の宅に集って宴を催した時の歌二首」とある。廿三日は天平勝宝8年(756年)十一月廿三日。式部少丞(しゃうじょう)は式部省の三等官。式部省は国家の礼儀や儀式等を司った。
4475 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ
(波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都々之努波牟)
初雪に呼びかけた歌。「千重(ちへ)に」は「幾重にも」という意味。2334番歌に「沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ」とある。類歌というより同一歌といってよいだろう。「初雪」と「淡雪」、「多かる」と「日長き」が異なるが、あとは全く同一である。
「初雪よ、幾重にも降りかかっておくれ。恋い焦がれることの多い私なので、お前が降りかかるのを見ながら心を安らげよう」という歌である。
4476 奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ
(於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無)
シキミ(樒)はシキミ科の常緑小高木。山地に自生。「しくしく」を導く序歌。「しくしく」は「しきりに」、「恋ひわたりなむ」は「恋続けるでしょう」という意味である。
「奥山に咲くシキミの花の名のように、しきりにあなたを恋続けるでしょう」という歌である。
左注に「右二首は兵部大丞大原真人今城(おほはらのまひといまき)の歌」とある。兵部大丞(ひゃうぶのだいじょう)は兵部省の三等官。
(於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無)
シキミ(樒)はシキミ科の常緑小高木。山地に自生。「しくしく」を導く序歌。「しくしく」は「しきりに」、「恋ひわたりなむ」は「恋続けるでしょう」という意味である。
「奥山に咲くシキミの花の名のように、しきりにあなたを恋続けるでしょう」という歌である。
左注に「右二首は兵部大丞大原真人今城(おほはらのまひといまき)の歌」とある。兵部大丞(ひゃうぶのだいじょう)は兵部省の三等官。
頭注に「智努女王(ちぬのおほきみ)死去後、圓方女王(まとかたのおほきみ)が悲しんで作った歌」とある。
4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ
(由布義<理>尓 知杼里乃奈吉志 佐保治乎婆 安良之也之弖牟 美流与之乎奈美)
「千鳥」は「多くの鳥たち」。佐保は奈良市北部の丘陵地帯。坂上郎女が住んでいた佐保山があり、佐保川が流れている。「見るよしをなみ」は「~ので」の「み」。「お逢いする理由がなくなって」という意味である。
「夕霧に多くの鳥たちが鳴いていた佐保路も(あなたが亡くなって)荒れてしまうのでしょうか。お逢いする理由がなくなってしまって」という歌である。
4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ
(由布義<理>尓 知杼里乃奈吉志 佐保治乎婆 安良之也之弖牟 美流与之乎奈美)
「千鳥」は「多くの鳥たち」。佐保は奈良市北部の丘陵地帯。坂上郎女が住んでいた佐保山があり、佐保川が流れている。「見るよしをなみ」は「~ので」の「み」。「お逢いする理由がなくなって」という意味である。
「夕霧に多くの鳥たちが鳴いていた佐保路も(あなたが亡くなって)荒れてしまうのでしょうか。お逢いする理由がなくなってしまって」という歌である。
頭注に「大原櫻井真人(さくらいのまひと)が佐保川の辺に行った時の歌」とある。
4478 佐保川に凍りわたれる薄ら氷の薄き心を我が思はなくに
(佐保河波尓 許保里和多礼流 宇須良婢乃 宇須伎許己呂乎 和我於毛波奈久尓)
「佐保川」は前歌参照。「~薄ら氷(ひ)の」は「薄き心を」を導く序歌。「薄い心」すなわち「薄っぺらな心」とはまるで現代人のような表現である。
「佐保川に薄く凍りわたっている薄い氷のような、そんな薄っぺらな心であなたを思っている私ではないのに」という歌である。
4478 佐保川に凍りわたれる薄ら氷の薄き心を我が思はなくに
(佐保河波尓 許保里和多礼流 宇須良婢乃 宇須伎許己呂乎 和我於毛波奈久尓)
「佐保川」は前歌参照。「~薄ら氷(ひ)の」は「薄き心を」を導く序歌。「薄い心」すなわち「薄っぺらな心」とはまるで現代人のような表現である。
「佐保川に薄く凍りわたっている薄い氷のような、そんな薄っぺらな心であなたを思っている私ではないのに」という歌である。
頭注に「藤原夫人の歌」とある。藤原夫人は藤原鎌足の娘。細注に「浄御原宮御宇天皇の夫人で、字名を氷上大刀自(ひかみのおほとじ)という」とある。浄御原宮(きよみはらのみや)御宇天皇は天武天皇。
4479 朝夕に音のみし泣けば焼き太刀の利心も我れは思ひかねつも
(安佐欲比尓 祢能未之奈氣婆 夜伎多知能 刀其己呂毛安礼波 於母比加祢都毛)
「音(ね)のみし泣けば」は「声を上げて泣く」という「泣く」の強調表現。「利心(とごころ)」は「利いたような強くしっかりした心」という意味。
「朝夕、声をあげて泣くばかりで、焼いた太刀のような強くしっかりした心など持てません」という歌である。
4479 朝夕に音のみし泣けば焼き太刀の利心も我れは思ひかねつも
(安佐欲比尓 祢能未之奈氣婆 夜伎多知能 刀其己呂毛安礼波 於母比加祢都毛)
「音(ね)のみし泣けば」は「声を上げて泣く」という「泣く」の強調表現。「利心(とごころ)」は「利いたような強くしっかりした心」という意味。
「朝夕、声をあげて泣くばかりで、焼いた太刀のような強くしっかりした心など持てません」という歌である。
4480 畏きや天の御門を懸けつれば音のみし泣かゆ朝夕にして [作者未詳]
(可之故伎也 安米乃美加度乎 可氣都礼婆 祢能未之奈加由 安佐欲比尓之弖 [作者未詳])
「天の御門」は皇居の御門。「懸けつれば」は「心に懸けると」という意味で、「心に浮かべる」ということ。
「恐れ多くも、皇居の御門を心に思い浮かべると、声をあげて泣くばかり。朝も夕も」という歌である。細注に「作者未詳」とある。
左注に「右四首、兵部大丞大原今城(おほはらのいまき)が伝えて読んだ歌」とある。兵部大丞(ひゃうぶのだいじょう)は兵部省の三等官。
(可之故伎也 安米乃美加度乎 可氣都礼婆 祢能未之奈加由 安佐欲比尓之弖 [作者未詳])
「天の御門」は皇居の御門。「懸けつれば」は「心に懸けると」という意味で、「心に浮かべる」ということ。
「恐れ多くも、皇居の御門を心に思い浮かべると、声をあげて泣くばかり。朝も夕も」という歌である。細注に「作者未詳」とある。
左注に「右四首、兵部大丞大原今城(おほはらのいまき)が伝えて読んだ歌」とある。兵部大丞(ひゃうぶのだいじょう)は兵部省の三等官。
頭注に「三月四日、兵部大丞大原真人今城の宅でおこなわれた宴席での歌」。三月四日は天平勝宝9年(757年)。今城(いまき)は前歌参照。
4481 あしひきの八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
(安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安<可>米也 宇恵弖家流伎美)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「八つ峰の椿」は「多くの峰々に咲く椿」。
「山の峰々に咲く椿ではないが、つらつら見ていても飽くことがありましょうか。これを植えたあなた同様」という歌である。
左注に「右は兵部少輔大伴家持が庭に植えられた椿を見て作歌した歌」とある。「兵部少輔(せうふ)」は兵部省次官。
4481 あしひきの八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
(安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安<可>米也 宇恵弖家流伎美)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「八つ峰の椿」は「多くの峰々に咲く椿」。
「山の峰々に咲く椿ではないが、つらつら見ていても飽くことがありましょうか。これを植えたあなた同様」という歌である。
左注に「右は兵部少輔大伴家持が庭に植えられた椿を見て作歌した歌」とある。「兵部少輔(せうふ)」は兵部省次官。
4482 堀江越え遠き里まで送り来る君が心は忘らゆましじ
(保里延故要 等保伎佐刀麻弖 於久利家流 伎美我許己呂波 和須良由麻之<自>)
堀江は難波宮の堀江。「忘らゆましじ」は「忘れられるでしょうか」という意味。
「堀江を超えて遠いこの里まで送って来てくれた、君の心遣いは忘れようがありません」という歌である。
左注に「右は播磨介藤原朝臣執弓(とりゆみ)が任国に赴くに際し、別れを悲しんで作った歌。主人大原今城が伝え読んだもの」とある。播磨(はりま)は兵庫県南西部にあった国。介は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
(保里延故要 等保伎佐刀麻弖 於久利家流 伎美我許己呂波 和須良由麻之<自>)
堀江は難波宮の堀江。「忘らゆましじ」は「忘れられるでしょうか」という意味。
「堀江を超えて遠いこの里まで送って来てくれた、君の心遣いは忘れようがありません」という歌である。
左注に「右は播磨介藤原朝臣執弓(とりゆみ)が任国に赴くに際し、別れを悲しんで作った歌。主人大原今城が伝え読んだもの」とある。播磨(はりま)は兵庫県南西部にあった国。介は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
頭注に「勝寳九歳六月廿三日、大監物三形王(みかたのおほきみ)の宅で催された宴の時の歌」とある。天平勝宝9年(757年)の宴。同年8月18日より改元して天平宝字元年となる。大監物(だいけんもつ)は中務省の物品出納の鍵を司る監物の長官。
4483 移り行く時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも
(宇都里由久 時見其登尓 許己呂伊多久 牟可之能比等之 於毛保由流加母)
「昔の人し」は強調の「し」。「昔の人」は、前の年(天平勝宝8年)の5月に聖武天皇が崩御、この年(天平勝宝9年)の1月に左大臣橘諸兄が死去している。これを捉えて、「伊藤本」も「中西本」も聖武天皇と橘諸兄のことだろう、としている。が、家持に関係してきた人々は数多く、そう決めつける必要はない。歌の鑑賞者に委ねていいだろう。
「移りゆく時節を見ていると、心が痛み、昔の人が思い起こされてならない」という歌である。
左注に「右は兵部大輔大伴宿祢家持の歌」とある。家持は兵部省少輔(次官)から大輔(だいふ)(長官)に昇任していることが分かる。
4483 移り行く時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも
(宇都里由久 時見其登尓 許己呂伊多久 牟可之能比等之 於毛保由流加母)
「昔の人し」は強調の「し」。「昔の人」は、前の年(天平勝宝8年)の5月に聖武天皇が崩御、この年(天平勝宝9年)の1月に左大臣橘諸兄が死去している。これを捉えて、「伊藤本」も「中西本」も聖武天皇と橘諸兄のことだろう、としている。が、家持に関係してきた人々は数多く、そう決めつける必要はない。歌の鑑賞者に委ねていいだろう。
「移りゆく時節を見ていると、心が痛み、昔の人が思い起こされてならない」という歌である。
左注に「右は兵部大輔大伴宿祢家持の歌」とある。家持は兵部省少輔(次官)から大輔(だいふ)(長官)に昇任していることが分かる。
4484 咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅の根し長くはありけり
(佐久波奈波 宇都呂布等伎安里 安之比奇乃 夜麻須我乃祢之 奈我久波安利家里)
「移ろふ」は「変わりゆく」こと。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。
「咲く花々は変わりゆき、やがて散る時を迎える。山に自生する菅の根は長く延び、あまり変わらない」という歌である。
左注に「右は、大伴宿祢家持が風物が変化していくことを悲しんで作った歌」とある。
(佐久波奈波 宇都呂布等伎安里 安之比奇乃 夜麻須我乃祢之 奈我久波安利家里)
「移ろふ」は「変わりゆく」こと。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。
「咲く花々は変わりゆき、やがて散る時を迎える。山に自生する菅の根は長く延び、あまり変わらない」という歌である。
左注に「右は、大伴宿祢家持が風物が変化していくことを悲しんで作った歌」とある。
4485 時の花いやめづらしもかくしこそ見し明らめめ秋立つごとに
(時花 伊夜米豆良之母 <加>久之許曽 賣之安伎良米晩 阿伎多都其等尓)
「時の花」は「時節の花」のこと。「いやめづらしも」は「愛でる」ことで、「なんとまあ美しいことだろう」という意味である。「明らめめ」は「心を晴らそう」という意味。
「時節の花々はなんとまあ美しいことだろう。こうして花々を見て心を晴らそう。秋がやって来るたびに」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持の歌」とある。
(時花 伊夜米豆良之母 <加>久之許曽 賣之安伎良米晩 阿伎多都其等尓)
「時の花」は「時節の花」のこと。「いやめづらしも」は「愛でる」ことで、「なんとまあ美しいことだろう」という意味である。「明らめめ」は「心を晴らそう」という意味。
「時節の花々はなんとまあ美しいことだろう。こうして花々を見て心を晴らそう。秋がやって来るたびに」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持の歌」とある。
頭注に「天平寳字元年十一月十八日、内裏で催された宴の際の歌二首」とある。天平宝字元年は757年。内裏(だいり)は天皇の御殿、御所。
4486 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ
(天地乎 弖良須日月乃 極奈久 阿流倍伎母能乎 奈尓乎加於毛波牟)
「~極みなく」は天皇の地位を日月に喩えたもの。「何をか思はむ」は「何を思うことがあろう」という反語表現。
「天地を照らす日月の極みがないように皇位は無窮、何を思うことがありましょう」という歌である。
左注に「右は皇太子御歌」とある。皇太子は後の淳仁天皇。天皇は四十六代孝謙天皇。
4486 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ
(天地乎 弖良須日月乃 極奈久 阿流倍伎母能乎 奈尓乎加於毛波牟)
「~極みなく」は天皇の地位を日月に喩えたもの。「何をか思はむ」は「何を思うことがあろう」という反語表現。
「天地を照らす日月の極みがないように皇位は無窮、何を思うことがありましょう」という歌である。
左注に「右は皇太子御歌」とある。皇太子は後の淳仁天皇。天皇は四十六代孝謙天皇。
4487 いざ子どもたはわざなせそ天地の堅めし国ぞ大和島根は
(伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波)
「いざ子ども」は目上の者が身内の一同を呼ぶときの慣用句。「さあ、皆々の者」という呼びかけ。「たはわざなせそ」は「たわけた仕業をしなさんな」ということ。「大和島根」は「この日本の島々は」というニュアンス。
「さあ、皆々の者、たわけた仕業をしなさんな。天地の神々が固めた国ぞ。この日本の島々なる国は」という歌である。
左注に「右は内相藤原朝臣の申し上げた歌」とある。内相は紫微中台の長官。事実上、行政権一切を掌握。
(2017年4月30日記、2019年4月24日)
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(伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波)
「いざ子ども」は目上の者が身内の一同を呼ぶときの慣用句。「さあ、皆々の者」という呼びかけ。「たはわざなせそ」は「たわけた仕業をしなさんな」ということ。「大和島根」は「この日本の島々は」というニュアンス。
「さあ、皆々の者、たわけた仕業をしなさんな。天地の神々が固めた国ぞ。この日本の島々なる国は」という歌である。
左注に「右は内相藤原朝臣の申し上げた歌」とある。内相は紫微中台の長官。事実上、行政権一切を掌握。
(2017年4月30日記、2019年4月24日)