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そ の 139 へ
万葉集読解・・・138(2080~2100番歌)
2080 織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ
(織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長)
「常のごと」は、毎年繰り返される一年一度の七夕の夜のこと。「織姫は今宵牽牛と逢う瀬を迎えるが、明日になれば、いつものように、次の七夕がやってくるまで逢えなくなる。その一年はさぞかし長いことだろう」という歌である。
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万葉集読解・・・138(2080~2100番歌)
2080 織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ
(織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長)
「常のごと」は、毎年繰り返される一年一度の七夕の夜のこと。「織姫は今宵牽牛と逢う瀬を迎えるが、明日になれば、いつものように、次の七夕がやってくるまで逢えなくなる。その一年はさぞかし長いことだろう」という歌である。
2081 天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ
(天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟尓 棚橋渡)
棚橋は2062番歌等に出てきた打橋と同様、材木で川に渡した仮橋。「い渡らさむ」の「い」は動詞を強調する接頭語。918番歌「い隠りゆかば」等の例がある。「天の川に棚橋渡せ。織姫様がお渡りになれるように棚橋渡せ」という歌である。
(天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟尓 棚橋渡)
棚橋は2062番歌等に出てきた打橋と同様、材木で川に渡した仮橋。「い渡らさむ」の「い」は動詞を強調する接頭語。918番歌「い隠りゆかば」等の例がある。「天の川に棚橋渡せ。織姫様がお渡りになれるように棚橋渡せ」という歌である。
2082 天の川川門八十ありいづくにか君がみ舟を我が待ち居らむ
(天漢 河門八十有 何尓可 君之三船乎 吾待将居)
「川門(かはと)八十(やそ)あり」は「舟の渡し場はいくつもある」という意味。「天の川には舟の渡し場がいくつもございます。どこの渡し場で私はあなたの舟を待っていたらよいのでしょう」という歌である。
(天漢 河門八十有 何尓可 君之三船乎 吾待将居)
「川門(かはと)八十(やそ)あり」は「舟の渡し場はいくつもある」という意味。「天の川には舟の渡し場がいくつもございます。どこの渡し場で私はあなたの舟を待っていたらよいのでしょう」という歌である。
2083 秋風の吹きにし日より天の川瀬に出で立ちて待つと告げこそ
(秋風乃 吹西日従 天漢 瀬尓出立 待登告許曽)
織姫が使いの者に言伝を頼む歌。「秋風が吹き始めた日から私は天の川の瀬に立ってお越しになるのをお待ちしています、と伝えてちょうだい」という歌である。
(秋風乃 吹西日従 天漢 瀬尓出立 待登告許曽)
織姫が使いの者に言伝を頼む歌。「秋風が吹き始めた日から私は天の川の瀬に立ってお越しになるのをお待ちしています、と伝えてちょうだい」という歌である。
2084 天の川去年の渡り瀬荒れにけり君が来まさむ道の知らなく
(天漢 去年之渡湍 有二家里 君之将来 道乃不知久)
「道の知らなく」は字義どおりなら「道が分からない」であるが、前々歌と関連させて読むと、「どの瀬でお待ちしたらよいのでしょう」である。「去年お越しになった天の川の渡り瀬は荒廃してしまいました。いったい私はどの瀬でお待ちすればよいのでしょう」という歌である。
(天漢 去年之渡湍 有二家里 君之将来 道乃不知久)
「道の知らなく」は字義どおりなら「道が分からない」であるが、前々歌と関連させて読むと、「どの瀬でお待ちしたらよいのでしょう」である。「去年お越しになった天の川の渡り瀬は荒廃してしまいました。いったい私はどの瀬でお待ちすればよいのでしょう」という歌である。
2085 天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ
(天漢 湍瀬尓白浪 雖高 直渡来沼 時者苦三)
牽牛の歌。「直(ただ)渡り来ぬ」はこれ単独句だと「渡って来ない」とも解し得るが、原文に「不」がないので、「やってきた」という意味であることが分かる。「天の川の各瀬には白波が高く立っているが、瀬を選んで回り道をしていると遅くなるので、それが耐え難くて一直線に渡ってきました」という歌である。
(天漢 湍瀬尓白浪 雖高 直渡来沼 時者苦三)
牽牛の歌。「直(ただ)渡り来ぬ」はこれ単独句だと「渡って来ない」とも解し得るが、原文に「不」がないので、「やってきた」という意味であることが分かる。「天の川の各瀬には白波が高く立っているが、瀬を選んで回り道をしていると遅くなるので、それが耐え難くて一直線に渡ってきました」という歌である。
2086 彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の絶えむと君を我が思はなくに
(牽牛之 嬬喚舟之 引綱乃 将絶跡君乎 吾之念勿國)
「彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の」はややもたついた言い方に見える。そのせいかどうか分からないが、「岩波大系本」のように、「引き綱の」までを序歌とし、「この歌、七夕の歌ではなく、七夕のことを序に取り入れた歌」とする見方がある。不可解としか言いようのない見方である。七夕にかこつけた歌というのなら、七夕の歌はほとんどがそうなってしまう。えんえんと続く七夕歌群の中で、本歌だけぽつんと七夕歌ではない(?)。歌意は「二人の中は切れない」であるが、「引き綱の」を「引き綱のごと」の意だと分かれば明快な歌である。「彦星の妻を呼ぶ舟が引き綱に引かれていく。その綱のように切れてしまうことがあるあなたでは決してないと思っています」という歌である。
(牽牛之 嬬喚舟之 引綱乃 将絶跡君乎 吾之念勿國)
「彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の」はややもたついた言い方に見える。そのせいかどうか分からないが、「岩波大系本」のように、「引き綱の」までを序歌とし、「この歌、七夕の歌ではなく、七夕のことを序に取り入れた歌」とする見方がある。不可解としか言いようのない見方である。七夕にかこつけた歌というのなら、七夕の歌はほとんどがそうなってしまう。えんえんと続く七夕歌群の中で、本歌だけぽつんと七夕歌ではない(?)。歌意は「二人の中は切れない」であるが、「引き綱の」を「引き綱のごと」の意だと分かれば明快な歌である。「彦星の妻を呼ぶ舟が引き綱に引かれていく。その綱のように切れてしまうことがあるあなたでは決してないと思っています」という歌である。
2087 渡し守舟出し出でむ今夜のみ相見て後は逢はじものかも
(渡守 舟出為将出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛)
2072番歌同様、「渡し守」は船頭。「渡し守さんよ、舟出しよう」に呼応する形で出てくる結句の「逢はじものかも」。これを直訳すると疑問符がつく。「逢わないことがあるものか」と直訳したのでは、逢えないかも知れないという不安から思い切って舟出を促したような意味になってしまう。ここは意訳が必要で、「渡し守さんよ、舟出しよう。今夜のみ逢って来年は逢わないというわけではない。さあいつもどおり舟出だ」という歌である。
(渡守 舟出為将出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛)
2072番歌同様、「渡し守」は船頭。「渡し守さんよ、舟出しよう」に呼応する形で出てくる結句の「逢はじものかも」。これを直訳すると疑問符がつく。「逢わないことがあるものか」と直訳したのでは、逢えないかも知れないという不安から思い切って舟出を促したような意味になってしまう。ここは意訳が必要で、「渡し守さんよ、舟出しよう。今夜のみ逢って来年は逢わないというわけではない。さあいつもどおり舟出だ」という歌である。
2088 我が隠せる楫棹なくて渡し守舟貸さめやもしましはあり待て
(吾隠有 楫棹無而 渡守 舟将借八方 須臾者有待)
織姫が牽牛を引き留める歌。「舟貸さめやも」は「舟出してくれるでしょうか」という意味。「しましは」は「しばらくは」の意。「私が隠している楫や棹もなくて、船頭さんに舟出ができるでしょうか。しばらくお待ちになったらいかがでしょう」という歌である。
(吾隠有 楫棹無而 渡守 舟将借八方 須臾者有待)
織姫が牽牛を引き留める歌。「舟貸さめやも」は「舟出してくれるでしょうか」という意味。「しましは」は「しばらくは」の意。「私が隠している楫や棹もなくて、船頭さんに舟出ができるでしょうか。しばらくお待ちになったらいかがでしょう」という歌である。
2089番 長歌
2090 高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ
(狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳将偲)
2089番長歌を受けた反歌だが、長歌の内容を知らなくとも、すなわち独立歌として十分の歌になっている。念のために長歌の内容を寸釈しておくと、「原初の時代から彦星は妻の織姫と天の川をはさんで向かい合って住み、一年に一度だけ恋い焦がれる妻に逢っていた」というものである。
さて、本歌だが、先ず高麗錦(こまにしき)の紐。朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。『続日本紀』霊亀2年(716年)の条に、甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国の高麗人1799人を集めて武蔵国に移し、高麗郡を置いたことが記されている。その高麗郷は現在に至るまで埼玉県日高市高麗川にその名を留めている。高麗錦はこの高麗郷で精製されていたのかもしれない。
「天人(あめひと)の」の「天人」は牽牛、結句の「我れも偲(しの)はむ」の「我れ」は作者のことである。「今宵の天上は、牽牛が妻の織姫と逢って着物の高麗錦の紐を解いて共寝に入る日である。この私も二人に思いを馳せよう」という歌である。
2090 高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ
(狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳将偲)
2089番長歌を受けた反歌だが、長歌の内容を知らなくとも、すなわち独立歌として十分の歌になっている。念のために長歌の内容を寸釈しておくと、「原初の時代から彦星は妻の織姫と天の川をはさんで向かい合って住み、一年に一度だけ恋い焦がれる妻に逢っていた」というものである。
さて、本歌だが、先ず高麗錦(こまにしき)の紐。朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。『続日本紀』霊亀2年(716年)の条に、甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国の高麗人1799人を集めて武蔵国に移し、高麗郡を置いたことが記されている。その高麗郷は現在に至るまで埼玉県日高市高麗川にその名を留めている。高麗錦はこの高麗郷で精製されていたのかもしれない。
「天人(あめひと)の」の「天人」は牽牛、結句の「我れも偲(しの)はむ」の「我れ」は作者のことである。「今宵の天上は、牽牛が妻の織姫と逢って着物の高麗錦の紐を解いて共寝に入る日である。この私も二人に思いを馳せよう」という歌である。
2091 彦星の川瀬を渡るさ小舟のい行きて泊てむ川津し思ほゆ
(彦星之 河瀬渡 左小舟乃 得行而将泊 河津石所念)
万葉集では、語を飾ったり強調したりあるいは語調を整えたりするためにしばしば接頭語が使われる。その見本のような歌が本歌である。「さ小舟(をぶね)の」の「さ」、「い行きて泊てむ」の「い」、「川津し思ほゆ」の「し」がそれである。「牽牛の小舟が川瀬を渡って(織姫の待つ)向こう岸にいく。その港はどんな所だろうと、思いを馳せる」という歌である。
(彦星之 河瀬渡 左小舟乃 得行而将泊 河津石所念)
万葉集では、語を飾ったり強調したりあるいは語調を整えたりするためにしばしば接頭語が使われる。その見本のような歌が本歌である。「さ小舟(をぶね)の」の「さ」、「い行きて泊てむ」の「い」、「川津し思ほゆ」の「し」がそれである。「牽牛の小舟が川瀬を渡って(織姫の待つ)向こう岸にいく。その港はどんな所だろうと、思いを馳せる」という歌である。
2092番 長歌
2093 妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
(妹尓相 時片待跡 久方乃 天之漢原尓 月叙經来)
本歌も2092番長歌の反歌として詠われている。長歌の概要は「いち早く向こう岸に着いた牽牛が織姫の現れるのを待ち焦がれる」というものである。「片待つと」は「ひたすら待って」という意味である。「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「彼女に逢える時が来るのをひたすら待って天の川原で何ヶ月も過ごしてきました」という歌である。
以上、1996番歌から延々と続いてきた七夕歌は本歌をもって幕を閉じる。
2093 妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
(妹尓相 時片待跡 久方乃 天之漢原尓 月叙經来)
本歌も2092番長歌の反歌として詠われている。長歌の概要は「いち早く向こう岸に着いた牽牛が織姫の現れるのを待ち焦がれる」というものである。「片待つと」は「ひたすら待って」という意味である。「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「彼女に逢える時が来るのをひたすら待って天の川原で何ヶ月も過ごしてきました」という歌である。
以上、1996番歌から延々と続いてきた七夕歌は本歌をもって幕を閉じる。
2094 さを鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも
(竿志鹿之 心相念 秋芽子之 <鍾>礼零丹 落僧惜毛)
2094~2127番歌は花を詠んだ歌。
「さを鹿の」の「さ」は「さ夜」、「さ霧」等と同様、接頭語。牡鹿と秋萩はお似合いの風物として詠み込まれている。また、人間の男と女の寓意としても使われる。「牡鹿と相思相愛の秋萩の花が降る時雨に散っていくのは惜しいことだ」という歌である。
(竿志鹿之 心相念 秋芽子之 <鍾>礼零丹 落僧惜毛)
2094~2127番歌は花を詠んだ歌。
「さを鹿の」の「さ」は「さ夜」、「さ霧」等と同様、接頭語。牡鹿と秋萩はお似合いの風物として詠み込まれている。また、人間の男と女の寓意としても使われる。「牡鹿と相思相愛の秋萩の花が降る時雨に散っていくのは惜しいことだ」という歌である。
2095 夕されば野辺の秋萩うら若み露にぞ枯るる秋待ちかてに
(夕去 野邊秋芽子 末若 露枯 金待難)
「うら若み」の「うら」は未(うら)で、「み」は「~なので」の「み」。全体として「まだ若いので」という意味になる。788番歌、1112番歌等に使用例がある。「秋待ちかてに」は「秋を待ちかねて」の意。が、萩の花が秋の到来を心待ちにするわけはなく、「散り急ぐ」とするのがよかろう。「夕方になるとまだ若くて弱々しい萩の花は露に当たって枯れてしまう。まるで散り急ぐかのように」という歌である。
左注が付いていて「右二首は柿本朝臣人麻呂の歌集に収載されている」とある。
(夕去 野邊秋芽子 末若 露枯 金待難)
「うら若み」の「うら」は未(うら)で、「み」は「~なので」の「み」。全体として「まだ若いので」という意味になる。788番歌、1112番歌等に使用例がある。「秋待ちかてに」は「秋を待ちかねて」の意。が、萩の花が秋の到来を心待ちにするわけはなく、「散り急ぐ」とするのがよかろう。「夕方になるとまだ若くて弱々しい萩の花は露に当たって枯れてしまう。まるで散り急ぐかのように」という歌である。
左注が付いていて「右二首は柿本朝臣人麻呂の歌集に収載されている」とある。
2096 真葛原なびく秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る
(真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散)
「真葛原(まくずはら)」の真は立派な、真性等の意味で使われる接頭語。「真木」、「真野」、「真弓」等の例がある。「阿太(あだ)の大野」は奈良県五條市阿田に広がる大野のこと。「葛原の葛がなびく秋風が吹くたびに阿太の大野の萩の花が散ってしまう」という歌である。
(真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散)
「真葛原(まくずはら)」の真は立派な、真性等の意味で使われる接頭語。「真木」、「真野」、「真弓」等の例がある。「阿太(あだ)の大野」は奈良県五條市阿田に広がる大野のこと。「葛原の葛がなびく秋風が吹くたびに阿太の大野の萩の花が散ってしまう」という歌である。
2097 雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね
(鴈鳴之 来喧牟日及 見乍将有 此芽子原尓 雨勿零根)
「来鳴かむ日まで」は「やってきて鳴く日の来るまで」という意味である。結句は「な~そ」という禁止形。「雁がやってきて鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見ていたい。だから雨よ、萩原に降らないでおくれ」という歌である。
(鴈鳴之 来喧牟日及 見乍将有 此芽子原尓 雨勿零根)
「来鳴かむ日まで」は「やってきて鳴く日の来るまで」という意味である。結句は「な~そ」という禁止形。「雁がやってきて鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見ていたい。だから雨よ、萩原に降らないでおくれ」という歌である。
2098 奥山に棲むといふ鹿の宵さらず妻どふ萩の散らまく惜しも
(奥山尓 住云男鹿之 初夜不去 妻問芽子乃 散久惜裳)
「宵さらず」は「~さらず」の形。1057番歌に「朝さらず」(毎朝)、1372番歌に「夕さらず」(毎夕)とあるように「毎宵」ないし「毎夜」の意味。「奥山に棲むという牡鹿は、毎宵妻を捜しにやってくるが、その萩の花が散っていくのが惜しまれる」という歌である。
(奥山尓 住云男鹿之 初夜不去 妻問芽子乃 散久惜裳)
「宵さらず」は「~さらず」の形。1057番歌に「朝さらず」(毎朝)、1372番歌に「夕さらず」(毎夕)とあるように「毎宵」ないし「毎夜」の意味。「奥山に棲むという牡鹿は、毎宵妻を捜しにやってくるが、その萩の花が散っていくのが惜しまれる」という歌である。
2099 白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折りて置きや枯らさむ
(白露乃 置巻惜 秋芽子乎 折耳折而 置哉枯)
「折りのみ折りて」は「折れるだけ折って」すなわち「いっぱい手折って」という意味である。「白露に見舞われて散るのが惜しいので、萩の花をいっぱい手折って家に置いてみても枯らしてしまうだろうか」という歌である。
(白露乃 置巻惜 秋芽子乎 折耳折而 置哉枯)
「折りのみ折りて」は「折れるだけ折って」すなわち「いっぱい手折って」という意味である。「白露に見舞われて散るのが惜しいので、萩の花をいっぱい手折って家に置いてみても枯らしてしまうだろうか」という歌である。
2100 秋田刈る仮廬の宿りにほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも
(秋田苅 借廬之宿 <丹>穂經及 咲有秋芽子 雖見不飽香聞)
仮廬(かりほ)は秋の田を刈り入れるため寝泊まりする仮小屋。「にほふまで」は「染まるほど」の意。「秋の田を刈り入れるための仮小屋まで染めてしまうほど美しい秋萩。見ても見ても飽きることがないほど見事だなあ」という歌である。
(2015年2月3日記)
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(秋田苅 借廬之宿 <丹>穂經及 咲有秋芽子 雖見不飽香聞)
仮廬(かりほ)は秋の田を刈り入れるため寝泊まりする仮小屋。「にほふまで」は「染まるほど」の意。「秋の田を刈り入れるための仮小屋まで染めてしまうほど美しい秋萩。見ても見ても飽きることがないほど見事だなあ」という歌である。
(2015年2月3日記)