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そ の 188 へ
万葉集読解・・・187(3061~3077番歌)
3061 暁の目覚まし草とこれをだに見つついまして我れと偲はせ
(五更之 目不酔草跡 此乎谷 見乍座而 吾止偲為)
「目覚まし草」は草の名説と種(ぐさ)=何かの品説の二説ある。が、歌作の場合、何の品か分からないのを歌い込むのは通常しないので、ここは草の名とするのが順当。原文にも「目不酔草跡」とあって草の名であることを裏付ける。ただし、何の草を指すのか不明。「見つついまして」は「ご覧になりながら」である。「明け方の目覚まし草とお思いになってご覧になりながら私と思って偲んでください」という歌である。
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万葉集読解・・・187(3061~3077番歌)
3061 暁の目覚まし草とこれをだに見つついまして我れと偲はせ
(五更之 目不酔草跡 此乎谷 見乍座而 吾止偲為)
「目覚まし草」は草の名説と種(ぐさ)=何かの品説の二説ある。が、歌作の場合、何の品か分からないのを歌い込むのは通常しないので、ここは草の名とするのが順当。原文にも「目不酔草跡」とあって草の名であることを裏付ける。ただし、何の草を指すのか不明。「見つついまして」は「ご覧になりながら」である。「明け方の目覚まし草とお思いになってご覧になりながら私と思って偲んでください」という歌である。
3062 忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり
(萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼之志許草 猶戀尓家利)
「しみみに」は、2748番歌に「大船に葦荷刈り積みしみみにも~」とあるように、「いっぱいに」という意味である。「醜(しこ)の醜草」は「忘れ草」の言い換えである。「恋の苦しみを忘れさせるというから忘れ草を垣根いっぱいに植えたけれど、ちっとも効能がないではないか、この馬鹿草、やはり忘れられず、なお恋続けるばかりじゃないか」という歌である。
(萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼之志許草 猶戀尓家利)
「しみみに」は、2748番歌に「大船に葦荷刈り積みしみみにも~」とあるように、「いっぱいに」という意味である。「醜(しこ)の醜草」は「忘れ草」の言い換えである。「恋の苦しみを忘れさせるというから忘れ草を垣根いっぱいに植えたけれど、ちっとも効能がないではないか、この馬鹿草、やはり忘れられず、なお恋続けるばかりじゃないか」という歌である。
3063 浅茅原小野に標結ふ空言も逢はむと聞こせ恋のなぐさに [或本歌曰 来むと知らせし君をし待たむ]
(淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓 [或本歌曰 将来知志 君矣志将待])。又見柿本朝臣人麻呂歌集然落句小異耳
茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」はしめ縄を張って囲い込むこと。2466番歌に第三句までほぼ同じ「浅茅原小野に標結ふ空言を~」とある。「標(しめ)結ふ」は松の木とか岩とか本来しっかりした物に張り巡らす。が、浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しい嘘っぱちでもいいから「逢おう」と言って下されば、恋のなぐさめになります」という歌である。
異伝歌は下二句が「行くよとおっしゃって下さればそれを当てにお待ちするのに」となっている。さらに柿本人麻呂歌集にも異伝歌が見えるが、こちらは結句が少し異なっているだけである。
(淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓 [或本歌曰 将来知志 君矣志将待])。又見柿本朝臣人麻呂歌集然落句小異耳
茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」はしめ縄を張って囲い込むこと。2466番歌に第三句までほぼ同じ「浅茅原小野に標結ふ空言を~」とある。「標(しめ)結ふ」は松の木とか岩とか本来しっかりした物に張り巡らす。が、浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しい嘘っぱちでもいいから「逢おう」と言って下されば、恋のなぐさめになります」という歌である。
異伝歌は下二句が「行くよとおっしゃって下さればそれを当てにお待ちするのに」となっている。さらに柿本人麻呂歌集にも異伝歌が見えるが、こちらは結句が少し異なっているだけである。
3064 人皆の笠に縫ふといふ有間菅ありて後にも逢はむとぞ思ふ
(人皆之 笠尓縫云 有間菅 在而後尓毛 相等曽念)
有間菅は兵庫県有馬地方に産する菅。「~有間菅」まで「ありて」を導く序歌。「ありて」は「このようにして」という意味。「人々がこぞって笠に編むという有間菅ではありませんが、このようにして今後も逢いたいと思っている」という歌である。
(人皆之 笠尓縫云 有間菅 在而後尓毛 相等曽念)
有間菅は兵庫県有馬地方に産する菅。「~有間菅」まで「ありて」を導く序歌。「ありて」は「このようにして」という意味。「人々がこぞって笠に編むという有間菅ではありませんが、このようにして今後も逢いたいと思っている」という歌である。
3065 み吉野の蜻蛉の小野に刈る草の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
(三吉野之 蜻乃小野尓 苅草之 念乱而 宿夜四曽多)
「み吉野の蜻蛉(あきづ)の小野」は奈良県吉野郡吉野町宮滝付近の野。「~刈る草の」までは「乱れて」を導く序歌。「み吉野の蜻蛉の小野で刈る草が乱れるように、思いが乱れて独り寝る夜が多くなった」という歌である。
(三吉野之 蜻乃小野尓 苅草之 念乱而 宿夜四曽多)
「み吉野の蜻蛉(あきづ)の小野」は奈良県吉野郡吉野町宮滝付近の野。「~刈る草の」までは「乱れて」を導く序歌。「み吉野の蜻蛉の小野で刈る草が乱れるように、思いが乱れて独り寝る夜が多くなった」という歌である。
3066 妹待つと御笠の山の山菅の止まずや恋ひむ命死なずは
(妹待跡 三笠乃山之 山菅之 不止八将戀 命不死者)
御笠の山は奈良県春日山の一峰。御笠の山を漠然と「笠をかぶったように見える山」と取ってとれないことはないが、歌意がぼんやりしていただけない。彼女がいる特定の御笠の山方面ととりたい。「御笠の山の山菅の」は「止まず」を導く序歌。「彼女が待っているという御笠の山の山菅ではないが、止むことなく恋続けるよ、生きている限りは」という歌である。
(妹待跡 三笠乃山之 山菅之 不止八将戀 命不死者)
御笠の山は奈良県春日山の一峰。御笠の山を漠然と「笠をかぶったように見える山」と取ってとれないことはないが、歌意がぼんやりしていただけない。彼女がいる特定の御笠の山方面ととりたい。「御笠の山の山菅の」は「止まず」を導く序歌。「彼女が待っているという御笠の山の山菅ではないが、止むことなく恋続けるよ、生きている限りは」という歌である。
3067 谷狭み嶺辺に延へる玉葛延へてしあらば年に来ずとも [一云 岩つなの延へてしあらば]
(谷迫 峯邊延有 玉葛 令蔓之有者 年二不来友 [一云 石葛 令蔓之有者]
「谷狭(せば)み」は「谷が狭いので」。「~ので」の「み」。玉葛(かづら)の玉は美称。葛はつる草の総称。「延(は)へてし」の「し」は強意。「年に」は「年中」で間が空くことの強調。「谷が狭いので峰に向かって伸びる玉葛、伸びてつながっていれば、一年間お見えにならなくとも」という歌である。
異伝歌は下二句が「岩にからみついたつるが伸びているなら」となっている。
(谷迫 峯邊延有 玉葛 令蔓之有者 年二不来友 [一云 石葛 令蔓之有者]
「谷狭(せば)み」は「谷が狭いので」。「~ので」の「み」。玉葛(かづら)の玉は美称。葛はつる草の総称。「延(は)へてし」の「し」は強意。「年に」は「年中」で間が空くことの強調。「谷が狭いので峰に向かって伸びる玉葛、伸びてつながっていれば、一年間お見えにならなくとも」という歌である。
異伝歌は下二句が「岩にからみついたつるが伸びているなら」となっている。
3068 水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る子らが見えぬころかも
(水茎之 岡乃田葛葉緒 吹變 面知兒等之 不見比鴨)
「水茎(みづくき)の」は岡にかかる枕詞説がある。事例は5例あって、なるほど内4例は岡が続いている。が、一例は「水茎の水城の上に」(968番歌)となっている。よく見ると他の4例は実質的に岡にはかかっていない。4例は次のようになっている。
1:水茎の岡の港に(1231番歌)
2:水茎の岡の木の葉も(2193番歌)
3:水茎の岡の葛葉は(2208番歌)
4:水茎の岡の葛葉を(3068番歌)
ごらんのように「岡の」となっていて岡にかかっていない。かくて「水茎の水城の上に」(968番歌)という岡にかからないように見える事例も説明ができる。そもそも岡が登場する例は5例以外に40例以上もあってどの岡にも「水茎の」はかぶさっていない。
こんなわけで私は「水茎の」は「みずみずしい」と解することが出来るとした。
「~吹きかへし」までは「面知る」を導く序歌である。葛葉が吹き返されて裏葉が白く見えることにかけている。「瑞々しい葛葉が吹き返されて裏が白く見えるように、色白の見知った彼女たちは最近姿を見せないなあ」という歌である。
(水茎之 岡乃田葛葉緒 吹變 面知兒等之 不見比鴨)
「水茎(みづくき)の」は岡にかかる枕詞説がある。事例は5例あって、なるほど内4例は岡が続いている。が、一例は「水茎の水城の上に」(968番歌)となっている。よく見ると他の4例は実質的に岡にはかかっていない。4例は次のようになっている。
1:水茎の岡の港に(1231番歌)
2:水茎の岡の木の葉も(2193番歌)
3:水茎の岡の葛葉は(2208番歌)
4:水茎の岡の葛葉を(3068番歌)
ごらんのように「岡の」となっていて岡にかかっていない。かくて「水茎の水城の上に」(968番歌)という岡にかからないように見える事例も説明ができる。そもそも岡が登場する例は5例以外に40例以上もあってどの岡にも「水茎の」はかぶさっていない。
こんなわけで私は「水茎の」は「みずみずしい」と解することが出来るとした。
「~吹きかへし」までは「面知る」を導く序歌である。葛葉が吹き返されて裏葉が白く見えることにかけている。「瑞々しい葛葉が吹き返されて裏が白く見えるように、色白の見知った彼女たちは最近姿を見せないなあ」という歌である。
3069 赤駒のい行きはばかる真葛原何の伝言直にしよけむ
(赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉)
赤駒はむろん馬のこと。真葛原は葛の生える原。伝言(つてこと)はそのまま伝言のこと。「赤駒でさえ行くのをはばかる真葛原なのに、どうしてわざわざ伝言の形にすのか。直接逢って話せばよいのに」という歌である。
なお、本歌は日本書紀にも掲載されていて(書紀127番歌)、天智天皇御製となっている。同時に童謡(わざうた)とされていて本当に天智天皇御製か判然としない。
(赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉)
赤駒はむろん馬のこと。真葛原は葛の生える原。伝言(つてこと)はそのまま伝言のこと。「赤駒でさえ行くのをはばかる真葛原なのに、どうしてわざわざ伝言の形にすのか。直接逢って話せばよいのに」という歌である。
なお、本歌は日本書紀にも掲載されていて(書紀127番歌)、天智天皇御製となっている。同時に童謡(わざうた)とされていて本当に天智天皇御製か判然としない。
3070 木綿畳田上山のさな葛ありさりてしも今ならずとも
(木綿疊 田上山之 狭名葛 在去之毛 <今>不有十万)
「木綿畳(ゆふたたみ)」は木綿の布を重ね合わせ、手に持って神に供えるもの。枕詞(?)。田上山(現在は太神山と表記される)は滋賀県大津市の山。標高600メートル。「さな葛」がはっきりしないが「さな葛のように生き延びて」という意味か。「ありさりてしも」は「このままのまま」つまり「このまま無事に生き延びて」という意味。「しも」は強調。「木綿畳を太神山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて逢いたい。今でなくとも」という歌である。
(木綿疊 田上山之 狭名葛 在去之毛 <今>不有十万)
「木綿畳(ゆふたたみ)」は木綿の布を重ね合わせ、手に持って神に供えるもの。枕詞(?)。田上山(現在は太神山と表記される)は滋賀県大津市の山。標高600メートル。「さな葛」がはっきりしないが「さな葛のように生き延びて」という意味か。「ありさりてしも」は「このままのまま」つまり「このまま無事に生き延びて」という意味。「しも」は強調。「木綿畳を太神山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて逢いたい。今でなくとも」という歌である。
3071 丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに
(丹波道之 大江乃山之 真玉葛 絶牟乃心 我不思)
丹波道は奈良大和から京都丹波に至る道。大江山はその途上にある山。「さな葛」は前歌参照。「丹波道の大江の山のさな葛、二人の仲が絶える(つるが切れる)などと私は思っていないとも」という歌である。
(丹波道之 大江乃山之 真玉葛 絶牟乃心 我不思)
丹波道は奈良大和から京都丹波に至る道。大江山はその途上にある山。「さな葛」は前歌参照。「丹波道の大江の山のさな葛、二人の仲が絶える(つるが切れる)などと私は思っていないとも」という歌である。
3072 大崎の荒礒の渡り延ふ葛のゆくへもなくや恋ひわたりなむ
(大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南)
[或本の歌に曰ふ 絶えむと妹を我が思はなくに]
[或本歌曰 将絶跡妹乎 吾念莫久尓]
「木綿包み」は3070番歌の「木綿畳(ゆふたたみ)」と同様だろう。歌意も3070番歌と同趣旨。白月山は未詳。「木綿包み(あるいは木綿畳)を白月山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて必ず逢いたい。後々も」という歌である。
異伝歌は下二句が「彼女との仲が絶えてしまうと思わない」となっている。
(大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南)
大崎は和歌山県海南市下津町の岬とされる。「大崎の荒礒にある渡し場に生える葛が行方も知れないように伸びて漂うように、彼女を思って恋続けることになるのだろうか」という歌である。
3073 木綿包み [一云 畳] 白月山のさな葛後もかならず逢はむとぞ思ふ (木綿裏 [一云 疊] 白月山之 佐奈葛 後毛必 将相等曽念)[或本の歌に曰ふ 絶えむと妹を我が思はなくに]
[或本歌曰 将絶跡妹乎 吾念莫久尓]
「木綿包み」は3070番歌の「木綿畳(ゆふたたみ)」と同様だろう。歌意も3070番歌と同趣旨。白月山は未詳。「木綿包み(あるいは木綿畳)を白月山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて必ず逢いたい。後々も」という歌である。
異伝歌は下二句が「彼女との仲が絶えてしまうと思わない」となっている。
3074 はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて
(唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸經 事者不絶而)
はねず色は657番歌と2786番歌に例がある。はねず色は庭梅ないし木蓮の花の色と言われている。ただ657番歌には「~はねず色のうつろひやすき我が心かも」とあり、本歌の上三句もほぼ同様に「はねず色のうつろひやすき心あれば~」とあり、薄い紅色だったようだ。他方1485番歌に「夏まけて咲きたるはねず~」とあるのではねずは花の種類であることも分かる。「はねずの花の色のように移り気な心をお持ちですこと。伝言だけはお寄越しになり、気をもたせたまま年月が経ってしまいました」という歌である。
(唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸經 事者不絶而)
はねず色は657番歌と2786番歌に例がある。はねず色は庭梅ないし木蓮の花の色と言われている。ただ657番歌には「~はねず色のうつろひやすき我が心かも」とあり、本歌の上三句もほぼ同様に「はねず色のうつろひやすき心あれば~」とあり、薄い紅色だったようだ。他方1485番歌に「夏まけて咲きたるはねず~」とあるのではねずは花の種類であることも分かる。「はねずの花の色のように移り気な心をお持ちですこと。伝言だけはお寄越しになり、気をもたせたまま年月が経ってしまいました」という歌である。
3075 かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
(如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓)
「かくしてぞ」は「こんなふうにして」。「藤波の」は「垂れ下がる藤の花のように」という「美しい」の形容。「こんなふうにして人は死んでゆくというのだろうか。藤の花のように美しい彼女をたった一目見て恋い焦がれてしまったゆえに」という歌である。
(如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓)
「かくしてぞ」は「こんなふうにして」。「藤波の」は「垂れ下がる藤の花のように」という「美しい」の形容。「こんなふうにして人は死んでゆくというのだろうか。藤の花のように美しい彼女をたった一目見て恋い焦がれてしまったゆえに」という歌である。
3076 住吉の敷津の浦のなのりその名は告りてしを逢はなくも怪し
(住吉之 敷津之浦乃 名告藻之 名者告而之乎 不相毛恠)
「住吉(すみのえ)の敷津の浦」は大阪市住吉区西方にあった海岸。「なのりそ」はホンダワラの古名で広辞苑に「海産の褐藻」とある。「怪し」は「不思議」ないし「不審」。「住吉の敷津の浦のなのりそといいますが、名のってはいけないその大切な名をお教えしたのに、逢ってくださらないのはなぜかしら」という歌である。
(住吉之 敷津之浦乃 名告藻之 名者告而之乎 不相毛恠)
「住吉(すみのえ)の敷津の浦」は大阪市住吉区西方にあった海岸。「なのりそ」はホンダワラの古名で広辞苑に「海産の褐藻」とある。「怪し」は「不思議」ないし「不審」。「住吉の敷津の浦のなのりそといいますが、名のってはいけないその大切な名をお教えしたのに、逢ってくださらないのはなぜかしら」という歌である。
3077 みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも
(三佐呉集 荒礒尓生流 勿謂藻乃 吉名者不<告> 父母者知鞆)
みさごは海浜に棲む鳥。「なのりそ」は前歌参照。ここまで「告(の)らじ」を導く序歌。「みさごが棲んでいる荒礒に生えているというなのりそのように決して御名は申しません、たとえ二人の仲を親に知られても」という歌である。
(2015年11月22日記)
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(三佐呉集 荒礒尓生流 勿謂藻乃 吉名者不<告> 父母者知鞆)
みさごは海浜に棲む鳥。「なのりそ」は前歌参照。ここまで「告(の)らじ」を導く序歌。「みさごが棲んでいる荒礒に生えているというなのりそのように決して御名は申しません、たとえ二人の仲を親に知られても」という歌である。
(2015年11月22日記)