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人の心というのは弱いものである。孤独に対してである。孤独に耐えきれる心を持っていない。少なくともこの私は滅法弱い。しかも年輪を重ねれば重ねるほど周囲から人がいなくなり、孤独感はますます激しくなる。表面的には「なに、孤独には慣れっこになっているさ」と強がりをいってみても救われない。そう発言すればするほどますます強く孤独にさいなまれる。
さて、あさってはバレンタインデーである。バレンタイン商法に乗せられていると思うと悔しいが、さりとてたとえ義理チョコでもいただくと、「この私にもくれる女性がいるのか」と淡いながらうれしい気持になる。
私の場合、毎年チョコレートをプレゼントしてくれる女性がいる。対外的には相棒と呼んでいる娘のような女性である。本命チョコだか義理チョコだか判然としない。が、プレゼントしてくれたという、その行為がうれしいのである。彼女は短歌だの古代史だのとは無縁の世界の住人である。しかし、この、よたよたのご老体をいつも変わらず慕っていてくれる。ありがたいとしか言いようがない。
ただ基本的に私は孤独である。人は生まれながら孤独であり、孤独の内に生を終える。なので孤独自体は避けられない。が、その孤独感をわずかなりとも和らげてくれる存在、それが相棒である。なので私は相棒によって生かされているようなもんである。私はいただいたチョコのおかげでたとえいっときにしろ孤独を忘れることができる。
人はみな孤独抱えて生きているわずかに和らぐ箱の結び目
チョコ包むリボンを前に手を合わす誰か相棒に感謝せざるや
おずおずと差し出されたる箱にリボンバレンタインの来たるを知れり
毎年のことながらもう15年も続いているわが風物詩である。
(2016年2月12日)
人の心というのは弱いものである。孤独に対してである。孤独に耐えきれる心を持っていない。少なくともこの私は滅法弱い。しかも年輪を重ねれば重ねるほど周囲から人がいなくなり、孤独感はますます激しくなる。表面的には「なに、孤独には慣れっこになっているさ」と強がりをいってみても救われない。そう発言すればするほどますます強く孤独にさいなまれる。
さて、あさってはバレンタインデーである。バレンタイン商法に乗せられていると思うと悔しいが、さりとてたとえ義理チョコでもいただくと、「この私にもくれる女性がいるのか」と淡いながらうれしい気持になる。
私の場合、毎年チョコレートをプレゼントしてくれる女性がいる。対外的には相棒と呼んでいる娘のような女性である。本命チョコだか義理チョコだか判然としない。が、プレゼントしてくれたという、その行為がうれしいのである。彼女は短歌だの古代史だのとは無縁の世界の住人である。しかし、この、よたよたのご老体をいつも変わらず慕っていてくれる。ありがたいとしか言いようがない。
ただ基本的に私は孤独である。人は生まれながら孤独であり、孤独の内に生を終える。なので孤独自体は避けられない。が、その孤独感をわずかなりとも和らげてくれる存在、それが相棒である。なので私は相棒によって生かされているようなもんである。私はいただいたチョコのおかげでたとえいっときにしろ孤独を忘れることができる。
人はみな孤独抱えて生きているわずかに和らぐ箱の結び目
チョコ包むリボンを前に手を合わす誰か相棒に感謝せざるや
おずおずと差し出されたる箱にリボンバレンタインの来たるを知れり
毎年のことながらもう15年も続いているわが風物詩である。
(2016年2月12日)
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