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万葉集読解・・・205(3305~3317番歌)

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     万葉集読解・・・205(3305~3317番歌)
 問答歌(3305~3322番歌)
3305番長歌
  物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをもぞ 汝れに寄すといふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
 (物不念 道行去毛 青山乎 振放見者 茵花 香未通女 櫻花 盛未通女 汝乎曽母 吾丹依云 吾(口+リ)毛曽 汝丹依云 荒山毛 人師依者 余所留跡序云 汝心勤)

 「道行く行くも」は「道をずんずん歩いてゆくと」ということ。「寄す」は「親しい」という意味。「荒山も」以下は唐突な比喩で意味が取りづらい。
 「物を思わないで、道をずんずん歩いてゆくとき、青山を振り仰いでみると、ツツジが咲いている。匂わんばかりの少女のように。桜は盛りを迎えた乙女のように。そうした花々のようにきみは私に親しく寄っていると人はいう。むろん私の方もきみに寄っていると人はいう。荒山も人が強く引き寄せれば寄っていくというから、ゆめゆめ簡単には人に寄っていかないように」という歌である。

3306  いかにして恋やむものぞ天地の神を祈れど我れは思ひ増す
      (何為而 戀止物序 天地乃 神乎祷迹 吾八思益)
 反歌。このまま分かる平明歌。「どうしたら恋心がやむのでしょう。天地の神に祈ってみるのですが、私の思いは増すばかりです」という歌である。

3307番長歌
  しかれこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て
 (然有社 年乃八歳乎 鑚髪乃 吾同子乎過 橘 末枝乎過而 此河能 下文長 汝情待)

 「しかれこそ」は3305番長歌の「ゆめゆめ簡単には寄っていかないように」という忠言を受けて「だからこそ」と答えたもの。「年の八年を」は「長い年月」と解してもいいが、文字どおり「八年もの間」と解してもよかろう。「よち子を過ぎ」は「少女時代を過ぎ」という意味。「橘(たちばな)の ほつ枝を過ぎて」は「橘が上枝に実をつけるまで」ということ。「下にも長く」は「(川は長いけれど)下にも長く」という意味である。
 「だからこそ私は八年もの間、おかっぱ髪の少女時代を過ごし、橘が上枝に実をつけるまで、じっと川底にいてあなたの心が動くのを待っていました」という歌である。

3308  天地の神をも我れは祈りてき恋といふものはかつてやまずけり
      (天地之 神尾母吾者 祷而寸 戀云物者 都不止来)
 「祈りてき」は「お祈りしましたよ」という返答語。「天地の神にもあなたのことを忘れられるようにとお祈りしましたよ。でもあなたを恋い焦がれる思いは決して止むことがありませんでした」という歌である。

3309番長歌
  物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふや 思へこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝をすぐり この川の 下にも長く 汝が心待て
 (物不念 路行去裳 青山乎 振酒見者 都追慈花 尓太遥越賣 作樂花 佐可遥越賣 汝乎叙母 吾尓依云 吾乎叙物 汝尓依云 汝者如何念也 念社 歳八年乎 斬髪 与知子乎過 橘之 末枝乎須具里 此川之 下母長久 汝心待)

 「物思はず~汝れに寄すといふ」までは3305番長歌と全く同じ。そして後半部に入り、「年の八年を~汝が心待て」の後半部のほとんどは3307番長歌と同じ。したがって本来は本歌のように掛け合い歌だったのが、3305番長歌と3307番長歌に分離したのではないかと思われる。
  「物を思わないで、道をずんずん歩いてゆくとき、青山を振り仰いでみると、ツツジが咲いている。匂わんばかりの少女のように。桜は盛りを迎えた乙女のように。そうした花々のようにきみは私に親しく寄っていると人はいう。むろん私の方もきみに寄っていると人はいう。きみはどう思っているの。(女性の返答)あなたのことを思っているからこそ私は八年もの間、おかっぱ髪の少女時代を過ごし、橘が上枝に実をつけるまで、じっと川底にいてあなたの心が動くのを待っていました」という歌である。
 注が付いていて「以上5首は柿本朝臣人麻呂之歌集に登載されている」とある。

3310番長歌
  隠口の 泊瀬の国に さよばひに 我が来れば たな曇り 雪は降り来 さ曇り 雨は降り来 野つ鳥 雉は響む 家つ鳥 鶏も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ
 (隠口乃 泊瀬乃國尓 左結婚丹 吾来者 棚雲利 雪者零来 左雲理 雨者落来 野鳥 雉動 家鳥 可鶏毛鳴 左夜者明 此夜者昶奴 入而<且>将眠 此戸開為)

 「隠口(こもりく)の」はすべて泊瀬にかかる典型的な枕詞。泊瀬(はつせ)の国は奈良県桜井市初瀬で、都が置かれたことがある。「さよばひに」のさは強意の接頭語だが、よばひは原文に「結婚丹」とあるように、「結婚相手を求めて」という意味である。「たな曇り」は3012番歌に「との曇り雨降る川の~」とある「との曇り」と同意とみてよい。「一面にかき曇って」という意味。
 「泊瀬の国に結婚相手を求めてやってきたところ、一面にかき曇り、雪が降ってきた。おまけに雨も降ってきた。野の鳥の雉は鳴き立て、家鳥のニワトリもけたたましく鳴き立てる。夜は白み始め、この夜はすっかり明けてきた。中に入って寝たいものだ、さあ、この戸を開けて下され」という歌である。

3311  隠口の泊瀬小国に妻しあれば石は踏めどもなほし来にけり
      (隠来乃 泊瀬小國丹 妻有者 石者履友 猶来々)
 「なほし来にけり」のしは強意の「し」。「泊瀬の国に妻にしたい女性がいるので、石ころ道であるが、なおやってきました。」という歌である。

3312番長歌
  隠口の 泊瀬小国に よばひせす 我が天皇よ 奥床に 母は寐ねたり 外床に 父は寐ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠り妻かも
 (隠口乃 長谷小國 夜延為 吾天皇寸与 奥床仁 母者睡有 外床丹 父者寐有 起立者 母可知 出行者 父可知 野干玉之 夜者昶去奴 幾許雲 不念如 隠孋香聞)

 「泊瀬小国に」と「小国に」となっているのは意味がある。「我が天皇(すめろき)よ」の天皇は大君の天皇ではなく、泊瀬小国の領主ないし若様か。が、そうでもなくて、たんにあなた様という意味なのだろう。「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「ここだくも」は「こんなにも」である。
 「この泊瀬小国に妻にしたいとやっていらっしゃったわが君よ。奥の寝床には母が寝ていて、入口近くの寝床には父が寝ています。起き立てば母が気づくでしょうし、部屋から出て行けば父が気づくでしょう。ああ、こんなにも思うにまかせぬ私は隠し妻の身」という歌である。

3313  川の瀬の石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は常にあらぬかも
      (川瀬之 石迹渡 野干玉之 黒馬之来夜者 常二有沼鴨)
 「常にあらぬかも」は願望の「あらぬかも」。「川の瀬の石を踏んで渡ってくるあなたが黒馬でやって来る夜が毎晩であってほしい」という歌である。
 以上四首の問答歌。

3314番長歌
  つぎねふ 山背道を 人夫の 馬より行くに 己夫し 徒歩より行けば 見るごとに 音のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる 真澄鏡に 蜻蛉領巾 負ひ並め持ちて 馬買へ我が背
 (次嶺經 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背)

 「つぎねふ」は語義未詳。原文に「次嶺經」とあるので「峰越えて」と訓ずべきか?本例一例のみ。「人夫(ひとづま)の」は「ほかの夫は」という意味。「たらちねの」はおなじみの枕詞。「真澄鏡(まそかがみ)」は「立派な鏡」。「蜻蛉領巾(あきづひれ)」は「トンボの羽根のように薄い長い布」。
 「峰を越えて山背(京都)の道をほかの夫は馬で行くのに、わが夫は歩いていく。それを見るに付け、泣けてくる。そう思うと心が痛む。死んだ母の形見に私が持っている立派な鏡と蜻蛉領巾を持って行って、馬を買いなさいな。あなた」という歌である。

3315  泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣ひづちなむかも
      (泉川 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨)
 泉川は京都市左京区を流れる川。「渡り瀬深み」のみは「~ので」の「み」。「泉川の渡り瀬は深いのであの人がしている旅装の着物では濡れてしまうだろうな」という歌である。

 或本の反歌にいう
3316  まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば
      (清鏡 雖持吾者 記無 君之歩行 名積去見者)
 「験(しるし)なし」は「甲斐がない」すなわち「何の役にも立たない」という意味である。「なづみ」は難渋。「立派な鏡を持ってはいますが、何の役にも立っていません。あなたが徒歩で難渋しながら行くのを見ると」という歌である。

3317  馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我はふたり行かむ
      (馬替者 妹歩行将有 縦恵八子 石者雖履 吾二行)
 「よしゑやし」は「ええい、かまうものか」である。このまま訳すと「馬を買えばお前は妹歩で行くことになろう。ええい、かまうものか、石を踏んでいこうとも、私は二人で行こう」となる。各書ともこう訳している。が、どうも妙だ。二人で山背(京都)道を越えて行くと解すればこれでいいのだが、女を歩かせて自分だけ馬に乗っていくという習慣があったのだろうか?。私は第二句「徒歩(かち)ならむ」に歌意がこもっていると見る。「徒歩行かむ」となっていない。私は次のような歌意だと思う。「私が馬を買えば私はいいが、お前はどこへ行くにも徒歩だろう。ええい、いいよ、いいよ。石を踏んでいこうと徒歩でいいよ。ふたりともこのまま徒歩ですごそう」という歌である。
 以上四首の問答歌。
           (2016年2月20日記)
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