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万葉集読解・・・229(3627~3637番歌)
頭注に「物について思ひを發こせし歌一首並びに短歌」とある。
3627番長歌
朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも
(安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良<未>欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於<枳>敝乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能<未>尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛)
そ の 230 へ
万葉集読解・・・229(3627~3637番歌)
頭注に「物について思ひを發こせし歌一首並びに短歌」とある。
3627番長歌
朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも
(安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良<未>欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於<枳>敝乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能<未>尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛)
「朝されば」は「朝になれば」という意味である。「御津(みつ)」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯。「真楫しじ貫き」は「たくさんの梶をとりつける(穴に通す)こと」をいう。韓国は新羅国のこと。敏馬(みぬめ)は神戸市灘区。250番歌に「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」と詠われている。「わたつみの」は神話上の「海神」のことで、海そのものをも指す。「水脈(みを)引き行けば」は「航路を進む」。
「つららに浮けり」は「列なって浮かんでいる」という意味。にほ鳥はカイツブリ。「なづさふ」は「ただよう」。「家島」は兵庫県相生市の南方に浮かぶ群島のひとつ。姫路市に所属する。「玉の浦」は岡山県倉敷市内の旧玉島町が有力視され、他に同県玉野市玉という説もある。「家づとに」は「家へのみやげに」。「験(しるし)をなみと」は「甲斐がないと」という意味。
「つららに浮けり」は「列なって浮かんでいる」という意味。にほ鳥はカイツブリ。「なづさふ」は「ただよう」。「家島」は兵庫県相生市の南方に浮かぶ群島のひとつ。姫路市に所属する。「玉の浦」は岡山県倉敷市内の旧玉島町が有力視され、他に同県玉野市玉という説もある。「家づとに」は「家へのみやげに」。「験(しるし)をなみと」は「甲斐がないと」という意味。
「朝になると、彼女が手に持つ鏡のように、見る、すなわち御津の浜べで大船に 楫を取り付け、新羅に渡っていこうと、真向かいの敏馬(みぬめ)に行こうと潮目を待つ。潮がないで航路を進んでいくと、沖の辺りは白波が高い。なので浦辺沿いに漕いで進む。彼女に逢えるという淡路の島は夕方になってしまって雲に隠れてしまった。夜も更けてきて行く先も分からなくなったので、我が心が明るい内にと明石の浜に船を停泊させた。船上に浮き寝をしながら沖の方を見ると、漁をする漁民の娘子(おとめ)たちが小舟に乗って列なって浮かんでいた。
暁方に潮が満ちて来ると、葦辺には鶴が鳴き渡っていた。朝なぎの内に船出をしようと船上の人も水手(かこ・・・漕ぎ手)も声を掛け合った。 カイツブリのように波間を漂い行くと、なつかしげな名の家島が雲の下に見えてきた。ふるさとの家にちなむ島なら心もなごむかと、早く行ってみたいと われらは大船を漕ぎ進めた。が、あいにく沖から高波がやってきて、遠くから見るしかなかった。玉の浦に船を留めてその浜辺から家島の浦や磯を見ていると泣く子供のようにおいおい泣けてくる。海神が巻いておられるという腕飾りの玉を家のみやげに彼女に届けようと玉の浦で拾って袖に入れてみた。が、届けやる使いもないので、手にとってはみたものの甲斐がないとまた置いてきてしまった 」という歌である。
暁方に潮が満ちて来ると、葦辺には鶴が鳴き渡っていた。朝なぎの内に船出をしようと船上の人も水手(かこ・・・漕ぎ手)も声を掛け合った。 カイツブリのように波間を漂い行くと、なつかしげな名の家島が雲の下に見えてきた。ふるさとの家にちなむ島なら心もなごむかと、早く行ってみたいと われらは大船を漕ぎ進めた。が、あいにく沖から高波がやってきて、遠くから見るしかなかった。玉の浦に船を留めてその浜辺から家島の浦や磯を見ていると泣く子供のようにおいおい泣けてくる。海神が巻いておられるという腕飾りの玉を家のみやげに彼女に届けようと玉の浦で拾って袖に入れてみた。が、届けやる使いもないので、手にとってはみたものの甲斐がないとまた置いてきてしまった 」という歌である。
反歌二首
3628 玉の浦の沖つ白玉拾へれどまたぞ置きつる見る人をなみ
(多麻能宇良能 於伎都之良多麻 比利敝礼杼 麻多曽於伎都流 見流比等乎奈美)
「白玉」は真珠を指すという。「玉の浦に沖から寄せて白玉を拾ったが、それを見る人もないのでまた捨ててきてしまった」という歌である。
3628 玉の浦の沖つ白玉拾へれどまたぞ置きつる見る人をなみ
(多麻能宇良能 於伎都之良多麻 比利敝礼杼 麻多曽於伎都流 見流比等乎奈美)
「白玉」は真珠を指すという。「玉の浦に沖から寄せて白玉を拾ったが、それを見る人もないのでまた捨ててきてしまった」という歌である。
3629 秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波
(安伎左良婆 和<我>布祢波弖牟 和須礼我比 与世伎弖於家礼 於伎都之良奈美)
「秋さらば」は「秋になれば」。「忘れ貝」は「拾って捨てた真珠貝」のこと。「秋になれば、われらが乗る船がこの浦にまたやってきて停泊するだろう。その時はまたその貝を寄せてきてほしい。沖の白波よ」という歌である。
(安伎左良婆 和<我>布祢波弖牟 和須礼我比 与世伎弖於家礼 於伎都之良奈美)
「秋さらば」は「秋になれば」。「忘れ貝」は「拾って捨てた真珠貝」のこと。「秋になれば、われらが乗る船がこの浦にまたやってきて停泊するだろう。その時はまたその貝を寄せてきてほしい。沖の白波よ」という歌である。
頭注に「周防(すは)の國玖河郡(くかのこほり)の麻里布(まりふ)の浦に行ったときに作った歌八首」とある。現在、山口県岩国市役所の南側を今津川が流れている。その河口のあたりの浦が麻里布の浦だという。
3630 真楫貫き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを
(真可治奴伎 布祢之由加受波 見礼杼安可奴 麻里布能宇良尓 也杼里世麻之乎)
「真楫貫き」は「梶を取り付けて」。「船し行かずは」は強意の「し」。「梶を取り付けた船がかくも順調に進まなければ、いつまで見てても見飽きない、ここ麻里布の浦で一泊したいのだが」という歌である。
3630 真楫貫き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを
(真可治奴伎 布祢之由加受波 見礼杼安可奴 麻里布能宇良尓 也杼里世麻之乎)
「真楫貫き」は「梶を取り付けて」。「船し行かずは」は強意の「し」。「梶を取り付けた船がかくも順調に進まなければ、いつまで見てても見飽きない、ここ麻里布の浦で一泊したいのだが」という歌である。
3631 いつしかも見むと思ひし安波島を外にや恋ひむ行くよしをなみ
(伊都之可母 見牟等於毛比師 安波之麻乎 与曽尓也故非無 由久与思乎奈美)
今津川の河口付近の南方には大小様々な島があり、「安波島」はどの島を指すか定めがたい。「行くよしをなみ」は「~ので」の「み」で、「よし」は理由、「立ち寄るあてもなく」という意味である。「いつかは見たいと思ってきた安波島。その安波島もよそ目に恋うばかりで立ち寄るあてもない」という歌である。
(伊都之可母 見牟等於毛比師 安波之麻乎 与曽尓也故非無 由久与思乎奈美)
今津川の河口付近の南方には大小様々な島があり、「安波島」はどの島を指すか定めがたい。「行くよしをなみ」は「~ので」の「み」で、「よし」は理由、「立ち寄るあてもなく」という意味である。「いつかは見たいと思ってきた安波島。その安波島もよそ目に恋うばかりで立ち寄るあてもない」という歌である。
3632 大船にかし振り立てて浜清き麻里布の浦に宿りかせまし
(大船尓 可之布里多弖天 波麻藝欲伎 麻里布能宇良尓 也杼里可世麻之)
「かし振り立てて」であるが、1190番歌にも「舟泊ててかし振り立てて廬りせむ~」と詠われている。その際、「舟で湾内等を航行する時、長くがっしりした棒を積んでいた。そしてここぞという場所にその棒を振り立てて海底に突き刺し、舟を泊めた。この棒がかしである。」と記した。「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「かしを振り立てて大船を係留し、浜の清らかな麻里布の浦に船宿りしたいものだ」という歌である。
(大船尓 可之布里多弖天 波麻藝欲伎 麻里布能宇良尓 也杼里可世麻之)
「かし振り立てて」であるが、1190番歌にも「舟泊ててかし振り立てて廬りせむ~」と詠われている。その際、「舟で湾内等を航行する時、長くがっしりした棒を積んでいた。そしてここぞという場所にその棒を振り立てて海底に突き刺し、舟を泊めた。この棒がかしである。」と記した。「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「かしを振り立てて大船を係留し、浜の清らかな麻里布の浦に船宿りしたいものだ」という歌である。
3633 安波島の逢はじと思ふ妹にあれや安寝も寝ずて我が恋ひわたる
(安波思麻能 安波自等於毛布 伊毛尓安礼也 夜須伊毛祢受弖 安我故非和多流)
平明歌。「安波島の名のように逢わないなどと思う彼女であるものか、安らかに眠ることも出来ず、私は恋い続けるばかり」という歌である。
(安波思麻能 安波自等於毛布 伊毛尓安礼也 夜須伊毛祢受弖 安我故非和多流)
平明歌。「安波島の名のように逢わないなどと思う彼女であるものか、安らかに眠ることも出来ず、私は恋い続けるばかり」という歌である。
3634 筑紫道の可太の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
(筑紫道能 可太能於保之麻 思末志久母 見祢婆古非思吉 伊毛乎於伎弖伎奴)
「筑紫道(つくしぢ)の」は「九州に至る道の」という意味。「可太の大島」は山口県岩国市南方の屋代島(周防大島)のことという。「しましくも」は「しばらくの間も」ということ。「九州へと至る道の途次にある可太の大島、しばらくの間も見ずにはいられない妻を残して来てしまった」という歌である。
(筑紫道能 可太能於保之麻 思末志久母 見祢婆古非思吉 伊毛乎於伎弖伎奴)
「筑紫道(つくしぢ)の」は「九州に至る道の」という意味。「可太の大島」は山口県岩国市南方の屋代島(周防大島)のことという。「しましくも」は「しばらくの間も」ということ。「九州へと至る道の途次にある可太の大島、しばらくの間も見ずにはいられない妻を残して来てしまった」という歌である。
3635 妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを
(伊毛我伊敝治 知可久安里世婆 見礼杼安可奴 麻里布能宇良乎 見世麻思毛能乎)
「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「彼女の家が近ければ見ても見飽きぬ麻里布の浦を見せてやりたい」という歌である。
(伊毛我伊敝治 知可久安里世婆 見礼杼安可奴 麻里布能宇良乎 見世麻思毛能乎)
「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「彼女の家が近ければ見ても見飽きぬ麻里布の浦を見せてやりたい」という歌である。
3636 家人は帰り早来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く我れを
(伊敝妣等波 可敝里波也許等 伊波比之麻 伊波比麻都良牟 多妣由久和礼乎)
家人(いへびと)は家で待つ妻のこと。「伊波比(いはひ)島」は山口県熊毛郡上関町に属する小島祝島のことで、次句の「斎(いは)ひ待つらむ」にかかる。「家にいる妻は早く帰ってきてねと祝島ならぬ、神にお祈りしつつ待っているだろうな、旅行く私を」という歌である。
(伊敝妣等波 可敝里波也許等 伊波比之麻 伊波比麻都良牟 多妣由久和礼乎)
家人(いへびと)は家で待つ妻のこと。「伊波比(いはひ)島」は山口県熊毛郡上関町に属する小島祝島のことで、次句の「斎(いは)ひ待つらむ」にかかる。「家にいる妻は早く帰ってきてねと祝島ならぬ、神にお祈りしつつ待っているだろうな、旅行く私を」という歌である。
3637 草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ
(久左麻久良 多妣由久比等乎 伊波比之麻 伊久与布流末弖 伊波比伎尓家牟)
「草枕」はお馴染みの枕詞。「伊波比(いはひ)島」は前歌参照。同じく「斎(いは)ひ」にかかる。「旅人の無事を祈って、この祝島。幾代にわたって旅人の無事を祈り続けてきたのだろう」という歌である。
(2016年6月24日記)
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(久左麻久良 多妣由久比等乎 伊波比之麻 伊久与布流末弖 伊波比伎尓家牟)
「草枕」はお馴染みの枕詞。「伊波比(いはひ)島」は前歌参照。同じく「斎(いは)ひ」にかかる。「旅人の無事を祈って、この祝島。幾代にわたって旅人の無事を祈り続けてきたのだろう」という歌である。
(2016年6月24日記)