日々つれづれ-13トップへ
詳細は「万葉集読解」を読んでいただくしかないが、私は奇妙な歌に遭遇した。3791番長歌である。用語の解説に加えて、風習の理解に随分手間取ってしまったが、ここでは余談であろう。
長歌の内容をかいつまんで記すとこうである。
「昔、竹取翁(たかとりのおきな)という老人がいて、。丘に登って遠くを見ると九人の美しい娘たちがいた。その一人が火を吹いてといったので、加わると娘たちは老人を馬鹿にした。歌を披露するからと許しを乞うた。その歌はこうだ。生まれは上級家庭で幼少の頃から着飾って育った。長じて、華やかなスタイルと装いで人もうらやむ青年になった。それが今ではあなたがたに馬鹿にされる老人になってしまった」
というのである。
こう書くと単なる老人の自慢話だが、よく分からないのはこんな愚痴話を長々と続ける歌を、なぜ万葉集に採録したのか、である。読むと分かるが、これでもか、これでもかと綴られた自慢話だ。修辞の妙は認められるが、話にならない愚痴話だ。何かの寓意が含まれているかと頭を悩ませて考えたが、分からない。古代人と私のような現代人とは感覚が異なるかもしれないが、お話にならない。歌の結句は「老人を送りし車持ち帰りけり持ち帰りけり」となっているが、肝心の結句もこれでは不可解だ。この不可解句を万葉集の編者はもとより、どの解説者も言及していない。山に捨ててきた老人より車の方が大事だという意味ならますます理解しがたい。
ところが、それを聞いた9人の娘たちの歌(未読解)も載っているが、老人の歌に一様に称賛を送る歌になっている。ますますなんのことか分からない。いずれにしろ、現代人たる私たちも一考せざるを得ない歌なのである。
(2016年8月8日)
![イメージ 1]()
詳細は「万葉集読解」を読んでいただくしかないが、私は奇妙な歌に遭遇した。3791番長歌である。用語の解説に加えて、風習の理解に随分手間取ってしまったが、ここでは余談であろう。
長歌の内容をかいつまんで記すとこうである。
「昔、竹取翁(たかとりのおきな)という老人がいて、。丘に登って遠くを見ると九人の美しい娘たちがいた。その一人が火を吹いてといったので、加わると娘たちは老人を馬鹿にした。歌を披露するからと許しを乞うた。その歌はこうだ。生まれは上級家庭で幼少の頃から着飾って育った。長じて、華やかなスタイルと装いで人もうらやむ青年になった。それが今ではあなたがたに馬鹿にされる老人になってしまった」
というのである。
こう書くと単なる老人の自慢話だが、よく分からないのはこんな愚痴話を長々と続ける歌を、なぜ万葉集に採録したのか、である。読むと分かるが、これでもか、これでもかと綴られた自慢話だ。修辞の妙は認められるが、話にならない愚痴話だ。何かの寓意が含まれているかと頭を悩ませて考えたが、分からない。古代人と私のような現代人とは感覚が異なるかもしれないが、お話にならない。歌の結句は「老人を送りし車持ち帰りけり持ち帰りけり」となっているが、肝心の結句もこれでは不可解だ。この不可解句を万葉集の編者はもとより、どの解説者も言及していない。山に捨ててきた老人より車の方が大事だという意味ならますます理解しがたい。
ところが、それを聞いた9人の娘たちの歌(未読解)も載っているが、老人の歌に一様に称賛を送る歌になっている。ますますなんのことか分からない。いずれにしろ、現代人たる私たちも一考せざるを得ない歌なのである。
(2016年8月8日)