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万葉集読解・・・241(3810~3823番歌)

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     万葉集読解・・・241(3810~3823番歌)
3810  味飯を水に醸みなし我が待ちしかひはかつてなし直にしあらねば
      (味飯乎 水尓醸成 吾待之 代者曽<无> 直尓之不有者)
 味飯(うまいひ)は「たけばうまいご飯になる」つまり「上等の米を」という意味。「水に醸(か)みなし」は「水で醸造する」すなわち「米を使って酒を醸造する」こと。
「直(ただ)にし」は「直接本人が」という意味である。左注により、作者は女性で相手の男のやりかたを恨んで作った歌と分かる。「上等の米を水で醸造し、じっと待っていましたが、全く甲斐がありませんでした。あなた本人が来るわけでないので」という歌である。
 左注に「昔娘子(をとめ)がいて、夫と別れ、恋望んだまま幾年か経った。夫は別に妻をめとり、本人は顔を出さないで土産ものだけを贈ってよこした。娘子はこれを恨んでこの歌を返事とした」とある。

 頭注に「恋い焦がれる夫君に宛てた歌一首並びに短歌」とある。
3811番長歌
   さ丹つらふ 君がみ言と 玉梓の 使も来ねば 思ひ病む 我が身ひとつぞ ちはやぶる 神にもな負ほせ 占部据ゑ 亀もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我が身ぞ いちしろく 身にしみ通り むらきもの 心砕けて 死なむ命 にはかになりぬ 今さらに 君か我を呼ぶ たらちねの 母のみ言か 百足らず 八十の衢に 夕占にも 占にもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ
      (左耳通良布 君之三言等 玉梓乃 使毛不来者 憶病 吾身一曽 千<磐>破 神尓毛莫負 卜部座 龜毛莫焼曽 戀之久尓 痛吾身曽 伊知白苦 身尓染<登>保里 村肝乃 心砕而 将死命 尓波可尓成奴 今更 君可吾乎喚 足千根乃 母之御事歟 百不足 八十乃衢尓 夕占尓毛 卜尓毛曽問 應死吾之故)
 
 「さ丹つらふ」、「ちはやぶる」、「百(もも)足らず」等は枕詞。「玉梓の使」は「たまづさの枝にはさんだ手紙を届ける使い」という意味である。「玉梓の」の使用例は多く、万葉集中17例に及ぶ。「占部(うらべ)据ゑ」は「占い師を招いて」である。「いちしろく」は「はっきりと」、「むらきもの」は「もろもろの内蔵」という意味。「八十の衢(ちまた)に」は、道の四つ辻に立って占いをすること。
 「あなたの言葉を伝える使いもやって来ず、思い続けて病む我が身一つです。神のせいにして下さいますな。占い師を招いて亀の甲を焼いて吉凶を占ってくださるな。病の原因は恋しさから来ています。はっきりと身に染みとおり、心もちりじりに砕け、私は死ぬ身です。いまさら私の名を呼ばないで、それとも母さんの呼ぶ声かな。道の四つ辻に立って、どなたかが夕占いをする声なのかな、もう死んでゆく我が身なのに」という歌である。

3812  占部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも
      (卜部乎毛 八十乃衢毛 占雖問 君乎相見 多時不知毛)
 「占部をも八十の衢も占問へど」は前長歌参照。「たどき」は「手段」ないし「方法」。「占い師を招いたり道の四つ辻占いをして下さるな。あの方に逢える手段など知らないのですもの」という歌である。
 
 頭注に「或本の反歌にいう」とある。
3813  我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし
      (吾命者 惜雲不有 散<追>良布 君尓依而曽 長欲為)
 「さ丹つらふ」は枕詞だが、はっきりと「顔が赤く元気な」という形容詞になっている。「私の命など惜しくありません。顔が赤くお元気なあなたに逢いたいばかりに長く生きてきたばかりです」という歌である。
 左注に「昔、姓を車持(くるまもち)という娘子がいた。その夫は幾年も往来をしなかった。娘子は恋い焦がれて病の床につき、みるみるやせ衰えた。その果てに死が間近に迫り、使いをやって夫を呼び寄せた。彼女は嘆いて涙ながらにこの歌を口ずさんだ。そしてたちまち死んでしまった」とある。
 
 頭注に「知らずに求婚した一首」とある。
3814  白玉は緒絶えしにきと聞きしゆゑにその緒また貫き我が玉にせむ
      (真珠者 緒絶為尓伎登 聞之故尓 其緒復貫 吾玉尓将為)
 「白玉」は真珠のことだが、娘を真珠に見立てたもの。「真珠は紐が切れてしまったと聞いたので、今度は私の紐を通し、私の真珠にしたい」という歌である。

 頭注に「前歌に答えた歌一首」とある。
3815  白玉の緒絶えはまことしかれどもその緒また貫き人持ち去にけり
      (白玉之 緒絶者信 雖然 其緒又貫 人持去家有)
 平明歌。「真珠の紐が切れたことはそのとおりなんですが、別の人が紐を通して持ち去りました」という歌である。
 左注に「昔、娘子がいた。彼女は夫に見捨てられたので、改めて別の家に嫁いだ。男はそれと知らず、歌を作って父母に贈った。父母はその事情を歌にして返事を行った」とある。

 頭注に「穂積親王(ほづみのみこ)の御歌一首」とある。穂積親王は天武天皇の皇子。
3816  家にありし櫃にかぎさしおさめてし恋の奴のつかみかかりて
      (家尓有之 櫃尓カ刺 蔵而師 戀乃奴之 束見懸而)
 櫃(ひつ)は大型の箱。本歌は宴会の際好んで口ずさまれたという。「家にある櫃(ひつ)に蔵(しま)っておいた恋の奴めがつかみかかってきおって」という歌である。

3817  かるうすは田廬の本に我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ [田廬は田ぶせという]
      (可流羽須波 田廬乃毛等尓 吾兄子者 二布夫尓咲而 立麻為所見 [田廬者多夫世反])
 「かるうすは(原文:可流羽須波)」を「岩波大系本」は和名抄に「碓(うす)、加良宇須(からうす)、踏春具也」とあるのを引いて「から臼」のこととしている。和名抄は単なる昔の辞書であって、そこに「からうす」とあるから、本歌の「かるうす」と結びつけるのはいかがだろう。原文に「可流羽須波」とあるとおり「からうす」ではなく「かるうす」である。この「岩波大系本」に従ったのか、「伊藤本」や「中西本」も「からうす」と読み替えている。
 「かるうすは」はやはり原文どおり「軽臼は」であろう。「田廬」は脚注にあるように「たぶせ」と読む。1592番歌に「~小田を刈り乱り田廬に居れば都し思ほゆ」とあり、田廬(たぶせ)は田に作られた仮小屋。「にふぶに笑みて」は「にんまり笑って」という意味である。
 「軽臼のように尻軽なあいつ。田の仮小屋のそばにいる。にんまり笑みを浮かべて周囲の女に愛嬌を振りまいて突っ立っているのが見えるのさ」という歌である。

3818  朝霞鹿火屋が下の鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも
      (朝霞 香火屋之下乃 鳴川津 之努比管有常 将告兒毛欲得)
 上三句がほとんど同じ歌に2265番歌の「朝霞鹿火屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば我れ恋ひめやも」がある。鹿火屋の解説はその際に述べたので興味のある向きは2265番歌の項を参照されたい。ここでは、要するに蚊取り線香のようなものとさえ理解しておけば十分。「朝霞」は枕詞説もあるが枕詞(?)。「子もがも」は「子がいたらなあ」という意味。「朝霞がたなびき縁側に置いた蚊取り線香の下で鳴く蛙のように、お慕いしていますと言ってくれる娘子(をとめ)がいたらなあ」という歌である。
 左注に「右の二首は河村王(かはむらのおほきみ)が宴席の際、琴を弾きながら口ずさむのを常とした歌である」とある。

3819  夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露思ほゆ
      (暮立之 雨打零者 春日野之 草花之末乃 白露於母保遊)
 「春日野」は奈良市東方の野。「尾花が末(うれ)の」は「ススキの穂の先」。「夕方の激しいにわか雨が降ると、春日野のススキの穂先につく白露が思い起こされる」という歌である。

3820  夕づく日射すや川辺に作る屋の形をよろしみうべ寄そりけり
      (夕附日 指哉河邊尓 構屋之 形乎宜美 諾所因来)
 「よろしみ」は「~ので」のみ。「うべ寄そりけり」は「なるほど心ひかれる」という意味である。「夕日が射しているなあ、川辺に構えた家の形がよく、なるほど心ひかれるなあ」という歌である。
 左注に「右の二首は小鯛王(をたひのおほきみ)が宴席の際 琴を取ってまず最初に口ずさんだ歌である。王のまたの名は置始多久美(おきそめのたくみ)」とある。

 頭注に「兒部女王(こべのおほきみ)があざけり笑って詠った一首」とある。
3821  うましものいづく飽かじをさかとらが角のふくれにしぐひ合ひにけむ
      (美麗物 何所不飽矣 坂門等之 角乃布久礼尓四 具比相尓計六)
 「うましもの」は原文に「美麗物」とあるように「美しい女性」。「いづく飽かじを」は「どんな相手(男)とも」という意味。「さかとら」は左注から知られるように「尺度(さかとら)氏の娘子」を指す。「角のふくれにし」の「し」はこの第4句にくっつくもので、強意。結句の「ぐひ合ひにけむ」は「情交を交わした」という意味か?。「美しい女だもの、どんな相手だって結婚できるのに。尺度(さかとら)の娘は、よりによって角ぶくれのような醜男と情交を通じるなんて」という歌である。
 左注に「尺度(さかとら)氏の娘子(をとめ)は身分の高い男の求婚を拒み、身分の低い醜男と結婚した。そこで、兒部女王はその愚をあざけり笑って作った歌」とある。
 
 頭注に「古歌にいう」とある。
3822  橘の寺の長屋に我が率寝し童女放髪は髪上げつらむか
      (橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可)
 橘寺は奈良県明日香村の村役場の近くにある寺。「率寝(いね)し」は「連れてきて」という意味。「童女放髪(うなゐはなり)」は童女の髪型。放髪は髪を束ねずに首筋で切りそろえる。「髪上げつらむか」はしたがって「成人しただろうか」という意味になる。「橘の寺の長屋に私は連れてきた、あの放髪の童女は今頃成人しただろうか」という歌である。
 左注に「椎野連長年(しびののむらじながとし)が歌を見て言った。「寺の長屋は俗人が寝る所ではない。放髪は髪上げした成人女性に使う言葉なので結句と重複して使うべきではない」」とある。この注は「放髪も髪上げ」もごっちゃにした妙な注である。

 頭注に「正しくはこの歌という」とある。
3823  橘の照れる長屋に我が率ねし童女放髪に髪上げつらむか
      (橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪擧都良武香)
 前歌に比べ、「寺」の代わりに「照れる」となっている。「橘が照る長屋に私は連れてきた、あの放髪の童女は今頃成人しただろうか」という歌である。
            (2016年8月15日記)
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