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Channel: 古代史の道
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方言寸感

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 昨日の英会話クラブ例会で方言が話題になった。例によって5名前後のグループに別れての、いわばグループ・ディスカッションだが、こういう場になると不思議に方言が思いつかない。年輩の一員である私など真っ先に口から飛び出してきそうなものなのに「あー、うー」と考え込まないと出てこなかった。
 グループメンバーも同様だったようで、「あー、うー」の連続だった。私は名古屋生まれの名古屋育ちの人間だが、考え込んで出てきた用語が「やっとかめ」(久しぶり)と「まわしせなかん」(準備しなければならない)というたった二例。あとは語尾の「なも」(でね)だの「だぎゃあ」(ですがね)類、という散々たるものだった。
 用語を知らないわけではない。「けなるい」(うらやましい)、「なまかわ」(怠け者)、「からげる」(結ぶ)等々、人に示されれば「ああ、そうそう」となる。私が東京生活が長かったせいとか、特別私が無知のせいでもない。若干そんな面もあるが、根本的には普段使わないからだと思う。
 年輩の私にしてこの有様だから、若い世代ならなおさらに相違ない。方言は大事だと説く向きもあるだろうが、言葉は世につれ時代の変化につれて変わっていくのは必然。標準語さえきちんと話せれば十分。全国どこの誰とでも意思疎通が出来るから不満はなかろう。方言は大事だと説く人には申し訳ないが、いくつもの方言を残していく意味は小さいに相違ない。
 今や言語は大きく国際化の方向に向かっている。視野が広がるという意味でも言語の国際化は避けられない。方言に固執する意味は小さいと言わなければならない。
 人と人とがスムーズに意思疎通出来る環境こそ重要なのである。「おみゃさんがたがスムーズに分かりあえんといかんわなも」
              (2016年10月23日)
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