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万葉集読解・・・264(4101~4110番歌)

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     万葉集読解・・・264(4101~4110番歌)
 頭注に「京の家に贈ろうと願って作った真珠(しらたま)の歌一首及び短歌」とある。「京の家」は「奈良の家」。
4101番長歌
   珠洲の 海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鰒玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ
      (珠洲乃安麻能 於伎都美可未尓 伊和多利弖 可都伎等流登伊布 安波妣多麻 伊保知毛我母 波之吉餘之 都麻乃美許登能 許呂毛泥乃 和可礼之等吉欲 奴婆玉乃 夜床加多左里 安佐祢我美 可伎母氣頭良受 伊泥弖許之 月日余美都追 奈氣久良牟 心奈具佐尓 保登等藝須 伎奈久五月能 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 奴吉麻自倍 可頭良尓世餘等 都追美?夜良牟)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。珠洲(すす)は能登半島の先端部(石川県珠洲市)にあったという郡。当時は越中国の郡。沖つ御神は、石川県輪島市の北方に浮かぶ舳倉島(へぐらじま)のことという。周囲5キロ弱の小島で、アワビ等の絶好の漁場。鰒玉(あわびだま)はむろん真珠のこと。「五百箇(いほつ)もがも」は「どっさりほしい」。五百箇は多いという形容。「夜床片さり」は「相手のいない床」

 (口語訳)
 珠洲の海女が沖の舳倉島(へぐらじま)に渡って潜って取るという真珠。その真珠がどっさり欲しいものだ。いとしい妻どのと袖を交わして別れて以来、妻どのは相手のいない床を重ね、朝の寝乱れ髪をくしけずりもしないで、旅に出た私を、いつ帰ってくるかと指折り数えて嘆いていることだろう。そんな彼女の心の慰めに、ホトトギスがやってきて鳴くこの五月に、アヤメ草や花橘に交えて玉を通すだろう。これで髪飾りにしなさいと土産に包んで贈ってやりたい。

4102  白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね
      (白玉乎 都々美弖夜良婆 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢)
 白玉は真珠のこと。「あへも」は「合わせて」。「貫(ぬ)くがね」は「紐に通すだろうに」という意味である。「真珠を包んで土産に贈ってやれば、アヤメ草や花橘ともども紐に通してくれるだろうに」という歌である。

4103  沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒玉もが包みて遣らむ
      (於伎都之麻 伊由伎和多里弖 可豆久知布 安波妣多麻母我 都々美弖夜良牟)
 「沖つ島」は前々歌の舳倉島(へぐらじま)のこと。「潜(かづ)くちふ」は「潜くといふ」の縮まった言い方。「沖の島に渡って海中に潜ってとるという真珠を土産に包んで贈ろう」という歌である。

4104  我妹子が心なぐさに遣らむため沖つ島なる白玉もがも
      (和伎母故我 許己呂奈具左尓 夜良無多米 於伎都之麻奈流 之良多麻母我毛)
 「心なぐさに」は「心の慰めに」、「白玉もがも」は「真珠がほしい」という意味。「わが妻が心の慰めにするだろう真珠を贈ってやりたい、沖の島のその真珠がほしい」という歌である。

4105  白玉の五百つ集ひを手にむすびおこせむ海人はむがしくもあるか [一云 我がむぎはも]
      (思良多麻能 伊保都追度比乎 手尓牟須妣 於許世牟安麻波 牟賀思久母安流香 [一云 我家牟伎波母])
 白玉は真珠のこと。「五百(いほ)つ集ひを」は「どっさり盛った」という意味。「むがしくもあるか」は「ありがたいことよ」という意味。「真珠をどっさり両手にすくって贈ってくれる海女さんはありがたいことよ」という歌である。異伝歌ははっきりしないが、「我が感謝せし」か?。
 左注に「右は五月十四日、興に乗って大伴宿祢家持が作った歌」とある。「右」は4098番歌~4105番歌を指す。五月十四日は天平感宝元年(749年)か。

 頭注に「史生尾張少咋(をくひ)を教え喩す歌一首及び短歌」とある。史生は書記係員。家持の下僚。後述によると、少咋(をくひ)が遊行女に夢中になり、妻を棄てんとしたので、諭すために作った歌。妻を棄てることが出来る例を法令に照らして詳細に説明しているが歌には直接関係しないので、省略。
4106番長歌
   大汝 少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ [佐夫流というは遊行女婦の字也]
      (於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美々恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之部尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐 [言佐夫流者遊行女婦之字也])

 [大汝(おほなむち)と少彦名(すくなひこな)は『古事記』や『日本書紀』に記されている神。大汝は大国主命のことで、出雲大社の祭神。少彦名は波に乗ってやってきた小さな神。二神は協力して国を治めたとされる。が、これ以上詳しいことは不要だろう。ずっとずっと大昔くらいの意味。「ちさの花」はエゴノキ科の落葉小高木。初夏に白色の花を咲かせる。「射水川(いみづかは)」は富山県高岡市と射水市の間を流れる小矢部川のこと。「左夫流(さぶる)」は歌末の注参照。「奈呉の海」は富山県射水市(旧新湊市)。「さどはせる」は「惑う」「血迷う」の意か。

 (口語訳)
 大汝(おほなむち)や少彦名(すくなひこな)の、遠い遠い神代の時代から言い継がれてきた、「父母は見るに尊く、妻子は見るにいとしくいじらしい。これぞこの世の道理」と。そしてこれが世の人の誓いだよ。チサの花が咲く盛りの頃にいとしい妻や子と朝に夕にほほえみを浮かべながら言葉を交わしたものだ。「永久にこんな状態のままであろうか。天地の神々の御加護によって、春の花のように栄える時もあるだろう」と奥さんは待っておられた。その盛りの時が今ではないか。離れて暮らしている奥さんが、使いはいつ来るのやらと心寂しく待っておられよう。南風が吹いて雪解け水があふれ、射水川に浮かんで流れる水の泡のように寄る辺のない寂れるような名の左夫流(さぶる)という子に紐の緒のようにくっつき合って、かいつぶりのように二人並んで、奈呉の海の海底のように深く深くのめりこんで、血迷っている君の心のどうしようもない状態。(左夫流は遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり)

 反歌三首
4107  あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか
      (安乎尓与之 奈良尓安流伊毛我 多可々々尓 麻都良牟許己呂 之可尓波安良司可)
 「あをによし」は枕詞ないし「青く美しい」という形容。「高々に」は「首を長くして」。「しかにはあらじか」は「そういうものではないのか」という意味。ここは詰問調。「青く美しい奈良にあって首を長くして待っている妻の心。妻の心情とはそういうものではないのか」という歌である。

4108  里人の見る目恥づかし左夫流子にさどはす君が宮出後姿
      (左刀妣等能 見流目波豆可之 左夫流兒尓 佐度波須伎美我 美夜泥之理夫利)
 「見る目恥づかし」は「見る目を思うと私も恥ずかしくなる」という意味である。「さどはす」は4106番長歌に出てきたが、「惑う」「血迷う」の意か。「宮出後姿(しりふり)」は「国府(役所)を後にする様子」のこと。「地元の人が見る目のことを思うと、私も恥ずかしくなる。左夫流(さぶる)なる子に血迷って国府(役所)を後にする様子を見れば」という歌である。

4109  紅はうつろふものぞ橡のなれにし布になほしかめやも
      (久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母)
 橡(つるはみ)はクヌギの古名。ドングリを煮た汁で染めた黒っぽい布。「橡のなれにし布に」は「着古した黒い着物」のことで妻を暗示している。「紅(くれない)は派手だが、色褪せやすいものだぞ、着古した地味な着物にはやっぱりかなわない」という歌である。
 左注に「以上は五月十五日守大伴宿祢家持作」とある。五月十五日は天平感宝元年(749年)か。

 頭注に「夫からの使いを待たず、都の妻が自ら乗り込んで来たとき作った歌」とある。
4110  左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに
      (左夫流兒我 伊都伎之等乃尓 須受可氣奴 波由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓)
 「斎(いつ)きし殿」は「大切に奉仕していた殿舎」だが、具体的には少咋(をくひ)(3106番頭注参照)の家。愛人をからかった表現。「鈴懸けぬ駅馬」だが、ここは直接少咋の妻が乗り込んできたので、「鈴を付けない早馬」となる。「左夫流(さぶる)なる子が勝手に同棲していた少咋の家に都から本妻が早馬で直接乗り込んできたので、里の人々は大騒ぎになった」という歌である。
 左注に「同月十七日大伴宿祢家持作」とある。
           (2016年11月26日記)
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