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前々回、本欄で「枕草子」のことを取り上げ、その文章は簡潔かつ的確で詩文に近いと記した。その際、一例だけ紹介したが、今回、もう一例、紹介してみよう。第百五十一段に次のようにある。
「うつくしきもの、~中略~、二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来る道に、いとちひさき塵(ちり)のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる」
「うつくしきもの」とは「かわいらしいもの」という意味だが、その他は解説の用はないだろう。ただし、当時は数え年なので、今の感覚では一、二歳の幼児。いかがであろう。まるで眼前に稚児の様子が目に見えるようではないか。「春はあけぼの」という自然風景ばかりではなく、こうした日常茶飯事においても、清少納言の的確な観察眼と表現力が冴えわたっている。
だが、こういう清少納言も、どうかと思う、だらだらとした散文調の表現も随所に見られる。たとえば、「頭の中将」と自分とを巡る「歌の句」をめぐってのやりとりなどは、「そんなことどうでもいいではないか」と言いたくなるほど、だらだらと長く書き綴っている。頭の中将といえば高官。殿上人。こういう例をみると、すべてが簡潔かつ的確とは言い難い。が、清少納言の才はこうした例にも冴えわたっていて、具体的で目の前でやりとりされているように書かれている。この点、清少納言のために付記しておきたい。
抽象論などは一つも出てこない。それでいて、当時の宮中の様子が目に見えるように浮かんでくる。私が意図しているのは、枕草子論でもなければ、人物論でもない。したがって、枕草子は今回でおさらばだ。人を動かすのは具体的事例であり、決して抽象論などではない。今後もこの精神でペンを走らせていきたい。
(2017年19日)
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前々回、本欄で「枕草子」のことを取り上げ、その文章は簡潔かつ的確で詩文に近いと記した。その際、一例だけ紹介したが、今回、もう一例、紹介してみよう。第百五十一段に次のようにある。
「うつくしきもの、~中略~、二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来る道に、いとちひさき塵(ちり)のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる」
「うつくしきもの」とは「かわいらしいもの」という意味だが、その他は解説の用はないだろう。ただし、当時は数え年なので、今の感覚では一、二歳の幼児。いかがであろう。まるで眼前に稚児の様子が目に見えるようではないか。「春はあけぼの」という自然風景ばかりではなく、こうした日常茶飯事においても、清少納言の的確な観察眼と表現力が冴えわたっている。
だが、こういう清少納言も、どうかと思う、だらだらとした散文調の表現も随所に見られる。たとえば、「頭の中将」と自分とを巡る「歌の句」をめぐってのやりとりなどは、「そんなことどうでもいいではないか」と言いたくなるほど、だらだらと長く書き綴っている。頭の中将といえば高官。殿上人。こういう例をみると、すべてが簡潔かつ的確とは言い難い。が、清少納言の才はこうした例にも冴えわたっていて、具体的で目の前でやりとりされているように書かれている。この点、清少納言のために付記しておきたい。
抽象論などは一つも出てこない。それでいて、当時の宮中の様子が目に見えるように浮かんでくる。私が意図しているのは、枕草子論でもなければ、人物論でもない。したがって、枕草子は今回でおさらばだ。人を動かすのは具体的事例であり、決して抽象論などではない。今後もこの精神でペンを走らせていきたい。
(2017年19日)