万葉集読解・・・74-1(1050~1061番歌)
頭注に「久邇新京を讃える歌二首と短歌」とある。
1050番 長歌
現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
(明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛A怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜)
頭注に「久邇新京を讃える歌二首と短歌」とある。
1050番 長歌
現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
(明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛A怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「現(あき)つ神」は現存の神で大君のこと。すなわち四十五代聖武天皇。八島は日本のこと。大八島国ともいう。「たち合ふ里」は「川が合流する里」のこと。「山背(やましろ)の鹿背山」は「京都府木津川市に現在でも鹿背山という地区がある。木津川の南岸。「布当(ふたぎ)の宮」は皇居。「ををり」は923番長歌や1012番歌に使用されていたように、「枝もたわわに」という意味である。
(口語訳)
現人神(あらひとがみ)でいらっしゃる大君は、天下の大八島国を治めていらっしゃる。その大八島には多くの国々や多くの集落がある。その中でも山並みがよろしく、川と川が合流する山城(京都)の鹿背山のふもとに高々と立派な宮柱を立てられてお作りになった、布当(ふたぎ)の皇居。川が近く瀬の音が清らか、山が近く鳥の鳴き声が響き渡る。秋になると、山もとどろくばかりに牡鹿が妻を呼んで鳴き声を響かせる。春になると、岡の周辺がにぎやかになり、岩の周辺には枝もたわわに花々が咲き乱れる。なんと趣のあるすばらしい所よ、布当(ふたぎ)の原は本当に貴い大宮所。だからこそ、大君は臣下からお聞きになって皇居をここと決められたのですね。
現人神(あらひとがみ)でいらっしゃる大君は、天下の大八島国を治めていらっしゃる。その大八島には多くの国々や多くの集落がある。その中でも山並みがよろしく、川と川が合流する山城(京都)の鹿背山のふもとに高々と立派な宮柱を立てられてお作りになった、布当(ふたぎ)の皇居。川が近く瀬の音が清らか、山が近く鳥の鳴き声が響き渡る。秋になると、山もとどろくばかりに牡鹿が妻を呼んで鳴き声を響かせる。春になると、岡の周辺がにぎやかになり、岩の周辺には枝もたわわに花々が咲き乱れる。なんと趣のあるすばらしい所よ、布当(ふたぎ)の原は本当に貴い大宮所。だからこそ、大君は臣下からお聞きになって皇居をここと決められたのですね。
反歌二首
1051 三香の原布当の野辺を清みこそ大宮所[一云 ここと標刺し]定めけらしも
(三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 [一云此跡標刺] 定異等霜)
「三香の原布当(ふたぎ)の野辺を」は新京の地(京都府木津川市鹿背山)のこと。
「布当(ふたぎ)の野辺は清らかなので大宮所とお定めになったのだろう」という歌である。
異伝歌には「大宮所」を「ここだと標(しめ)を張って」とある。
1051 三香の原布当の野辺を清みこそ大宮所[一云 ここと標刺し]定めけらしも
(三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 [一云此跡標刺] 定異等霜)
「三香の原布当(ふたぎ)の野辺を」は新京の地(京都府木津川市鹿背山)のこと。
「布当(ふたぎ)の野辺は清らかなので大宮所とお定めになったのだろう」という歌である。
異伝歌には「大宮所」を「ここだと標(しめ)を張って」とある。
1052 山高く川の瀬清し百代まで神しみゆかむ大宮所
(<山>高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将<徃> 大宮所)
「神しむ」は「神さび」のことで「古びて」という意味である。
「山高く川の瀬は清らか、この大宮所は百代の末まで続いていくことだろう」という歌である。
(<山>高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将<徃> 大宮所)
「神しむ」は「神さび」のことで「古びて」という意味である。
「山高く川の瀬は清らか、この大宮所は百代の末まで続いていくことだろう」という歌である。
1053番 長歌
吾が大君 神の命の 高知らす 布当の宮は 百木盛り 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生れ付かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変るましじき 大宮所
(吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左<壮>鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處)
吾が大君 神の命の 高知らす 布当の宮は 百木盛り 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生れ付かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変るましじき 大宮所
(吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左<壮>鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處)
「布当(ふたぎ)の宮」は久邇新京。京都府木津川市鹿背山。「山下」は「山裾ないし山の麓」。
(口語訳)
我れらが大君、神の命(みこと)が、国をお治めになっている布当(ふたぎ)の宮は種々の木々が茂り、山の木々は木高い。たぎり落ちる瀬の音も清らかだ。ウグイスが来て鳴く春辺の岩の麓の野は光り輝いて錦をなして花々が枝もたわわに咲き誇る。牡鹿が妻を呼んで鳴く秋には空が曇ってしぐれが降り、紅く色づいた紅葉葉が散り敷く。かくて永遠に御子たちが生まれては天下をお治めになっていくだろう、百代後々までも変わることのない、この大宮所よ。
我れらが大君、神の命(みこと)が、国をお治めになっている布当(ふたぎ)の宮は種々の木々が茂り、山の木々は木高い。たぎり落ちる瀬の音も清らかだ。ウグイスが来て鳴く春辺の岩の麓の野は光り輝いて錦をなして花々が枝もたわわに咲き誇る。牡鹿が妻を呼んで鳴く秋には空が曇ってしぐれが降り、紅く色づいた紅葉葉が散り敷く。かくて永遠に御子たちが生まれては天下をお治めになっていくだろう、百代後々までも変わることのない、この大宮所よ。
反歌五首
1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ
(泉川 徃瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷徃目)
泉川(いずみがは)は現木津川のこと。「絶えばこそ」は「絶えてなくなることでもあれば」という意味である。「移ろひ行かめ」は反語表現、「決して絶えることはない」という意味である。
「瀬を流れ下る泉川の水が絶えるようなことがあれば、大宮所(皇居)もさびれゆくかもしれないけれど、決して絶えることはない」という歌である。
1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ
(泉川 徃瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷徃目)
泉川(いずみがは)は現木津川のこと。「絶えばこそ」は「絶えてなくなることでもあれば」という意味である。「移ろひ行かめ」は反語表現、「決して絶えることはない」という意味である。
「瀬を流れ下る泉川の水が絶えるようなことがあれば、大宮所(皇居)もさびれゆくかもしれないけれど、決して絶えることはない」という歌である。
1055 布当山山なみ見れば百代にも変るましじき大宮所
(布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處)
1051番歌の際に述べたように、「布当(ふたぎ)」は久邇新京の地(京都府木津川市内)。平明歌。
「美しい布当(ふたぎ)の山々を見れば永久に続いていくに相違ない大宮所は」という歌である。
(布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處)
1051番歌の際に述べたように、「布当(ふたぎ)」は久邇新京の地(京都府木津川市内)。平明歌。
「美しい布当(ふたぎ)の山々を見れば永久に続いていくに相違ない大宮所は」という歌である。
1056 娘子らが続麻懸くとふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ
(【女+感】嬬等之 續麻繁云 鹿脊之山 時之徃<者> 京師跡成宿)
「続麻懸(うみをか)くとふ」はカラムシやアサを細かく裂いて桛(かせ)にかけて巻き取ること。その「かせ」を鹿背の山に導く序歌。鹿背山は京都府木津川市を流れる木津川の南側。「時しゆければ」は「時が移り変わって」という意味である。
「娘子たちがカラムシやアサを細かく裂いて巻き取る道具をかせというが、その鹿背の山は時が移り変わってとうとう都になりました」という歌である。
(【女+感】嬬等之 續麻繁云 鹿脊之山 時之徃<者> 京師跡成宿)
「続麻懸(うみをか)くとふ」はカラムシやアサを細かく裂いて桛(かせ)にかけて巻き取ること。その「かせ」を鹿背の山に導く序歌。鹿背山は京都府木津川市を流れる木津川の南側。「時しゆければ」は「時が移り変わって」という意味である。
「娘子たちがカラムシやアサを細かく裂いて巻き取る道具をかせというが、その鹿背の山は時が移り変わってとうとう都になりました」という歌である。
1057 鹿背の山木立を茂み朝去らず来鳴き響もす鴬の声
(鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鴬之音)
「鹿背の山」は前歌参照。「木立を茂み」は「~ので」の「み」。「朝去らず」は「朝のないことはなく」、つまり「毎朝毎朝」という意味である。「響(とよ)もす」は字面どおり「響かせる」という意味。
「鹿背の山は木立が茂り、毎朝毎朝ウグイスがやってきて鳴き立てる」という歌である。
(鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鴬之音)
「鹿背の山」は前歌参照。「木立を茂み」は「~ので」の「み」。「朝去らず」は「朝のないことはなく」、つまり「毎朝毎朝」という意味である。「響(とよ)もす」は字面どおり「響かせる」という意味。
「鹿背の山は木立が茂り、毎朝毎朝ウグイスがやってきて鳴き立てる」という歌である。
1058 狛山に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠みここに通はず [一云 渡り遠みか通はずあるらむ]
(狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 [一云 渡遠哉 不通有武])
狛山(こまやま)は鹿背山が木津川の南側に位置するのに対し、北側に位置している。「遠み」は「~ので」の「み」。
「狛山では霍公鳥(ホトトギス)が鳴いているというが、泉川が大きく遠いのでこちらにはやってこない」という歌である。
異伝には「遠いので渡ってこないのだろうか」となっている。
(狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 [一云 渡遠哉 不通有武])
狛山(こまやま)は鹿背山が木津川の南側に位置するのに対し、北側に位置している。「遠み」は「~ので」の「み」。
「狛山では霍公鳥(ホトトギス)が鳴いているというが、泉川が大きく遠いのでこちらにはやってこない」という歌である。
異伝には「遠いので渡ってこないのだろうか」となっている。
頭注に「春の日、三香原が荒廃したのを悲しんで作った歌と短歌」とある。三香の原は久邇京のあった所。天平十六年(744年)二月に難波に遷都。
1059番 長歌
三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我れは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
(三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在<杲>石 住吉里乃 荒樂苦惜哭)
1059番 長歌
三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我れは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
(三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在<杲>石 住吉里乃 荒樂苦惜哭)
「三香の原」は鹿背山のふもと。そして鹿背山は京都府木津川市内。「ありよしと」は「居心地のいい」という、「かくありけるか」は「こうなってしまったのか」という意味。「みもろつく」は「神座を作った」すなわち神社。
(口語訳)
三香の原の久邇の都は山が高く、川の瀬は清らかで住みよいところと人は言う。私も居心地がよいところと思う。けれども、古くなった里なので、国を見ても人は通わない。里を見ても家も荒れてしまった。あの美しい都もこうなってしまったのか。神社が鎮座する鹿背山一帯は咲く花の色は美しく、たくさんの鳥たちの鳴き声もなつかしい。いつまでもこうであって欲しい住み心地のよい里。その里が荒廃していくのが惜しい。
三香の原の久邇の都は山が高く、川の瀬は清らかで住みよいところと人は言う。私も居心地がよいところと思う。けれども、古くなった里なので、国を見ても人は通わない。里を見ても家も荒れてしまった。あの美しい都もこうなってしまったのか。神社が鎮座する鹿背山一帯は咲く花の色は美しく、たくさんの鳥たちの鳴き声もなつかしい。いつまでもこうであって欲しい住み心地のよい里。その里が荒廃していくのが惜しい。
反歌二首
1060 三香の原久邇の京は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
(三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者)
「三香の原」は久邇京(くにきょう)の中心部で、久邇京そのものをさしている。
「三香の原の久邇京はすっかり荒れてしまいました。大宮人たちが移り去ってしまったので」という歌である。
1060 三香の原久邇の京は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
(三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者)
「三香の原」は久邇京(くにきょう)の中心部で、久邇京そのものをさしている。
「三香の原の久邇京はすっかり荒れてしまいました。大宮人たちが移り去ってしまったので」という歌である。
1061 咲く花の色は変らずももしきの大宮人ぞたち変りける
(咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易奚流)
「ももしきの」は大宮人の枕詞。「たち」は「去って」である。
「ここに咲く花の色は変わらないけれど、大宮人たちが去ってすっかり変わってしまった」という歌である。
(2018年3月21日記)
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(咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易奚流)
「ももしきの」は大宮人の枕詞。「たち」は「去って」である。
「ここに咲く花の色は変わらないけれど、大宮人たちが去ってすっかり変わってしまった」という歌である。
(2018年3月21日記)