万葉集読解・・・77(1100~1115番歌)
詠河
1100 巻向の穴師の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む
(巻向之 病足之川由 徃水之 絶事無 又反将見)
1100~1115番歌の16首は河を詠んだ歌。
「巻向の穴師の川ゆ」の穴師川は1087番歌で述べたように、現在の巻向川(奈良県桜井市)。「ゆ」は起点を示す「から」。「絶ゆることなく」は川の水のことだが、作者自身の思いもかけている。
「巻向山の穴師川から流れ出る水は絶えることがない。私自身も絶えることなくやってきて穴師川を眺めよう」という歌である。
詠河
1100 巻向の穴師の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む
(巻向之 病足之川由 徃水之 絶事無 又反将見)
1100~1115番歌の16首は河を詠んだ歌。
「巻向の穴師の川ゆ」の穴師川は1087番歌で述べたように、現在の巻向川(奈良県桜井市)。「ゆ」は起点を示す「から」。「絶ゆることなく」は川の水のことだが、作者自身の思いもかけている。
「巻向山の穴師川から流れ出る水は絶えることがない。私自身も絶えることなくやってきて穴師川を眺めよう」という歌である。
1101 ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き
(黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾)
「ぬばたまの」は枕詞。「夜さり来ればは「夜になると」という意味。結句の「あらしかも疾(と)き」は「嵐が近いのだろうか」という意味である。
「夜になると巻向川の川音が高く聞こえる。嵐が近いのだろうか」という歌である。
左注に「右二首は柿本人麻呂歌集に出ている」とある
(黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾)
「ぬばたまの」は枕詞。「夜さり来ればは「夜になると」という意味。結句の「あらしかも疾(と)き」は「嵐が近いのだろうか」という意味である。
「夜になると巻向川の川音が高く聞こえる。嵐が近いのだろうか」という歌である。
左注に「右二首は柿本人麻呂歌集に出ている」とある
1102 大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音のさやけさ
(大王之 御笠山之 帶尓為流 細谷川之 音乃清也)
「大君の」は「御笠(三笠)の山」の美称と考えていいだろ。三笠山は奈良公園の東側の若草山とその南に位置する春日山のどちらかを指しているとされている。
「大君が帯になさっているような御笠の山の細谷川の川音はなんと清らかなこと」という歌である。
(大王之 御笠山之 帶尓為流 細谷川之 音乃清也)
「大君の」は「御笠(三笠)の山」の美称と考えていいだろ。三笠山は奈良公園の東側の若草山とその南に位置する春日山のどちらかを指しているとされている。
「大君が帯になさっているような御笠の山の細谷川の川音はなんと清らかなこと」という歌である。
1103 今しくは見めやと思ひしみ吉野の大川淀を今日見つるかも
(今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨)
「今しくは」は「今しばらくは」ということで、「当分は」という意味。「見めやと」は「見られないだろうと」という意味である。
「当分は見られないと思っていた吉野の川の大きな淀をきょう見られたなあ」という歌である。
(今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨)
「今しくは」は「今しばらくは」ということで、「当分は」という意味。「見めやと」は「見られないだろうと」という意味である。
「当分は見られないと思っていた吉野の川の大きな淀をきょう見られたなあ」という歌である。
1104 馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
(馬並而 三芳野河乎 欲見 打越来而曽 瀧尓遊鶴)
「見まく欲(ほ)り」は「見たいと思って」ということ。
「吉野川を見たいと思って馬を連ねて山を越えてきて滝のほとりに出た。そこでゆったり遊んだ」という歌である。
(馬並而 三芳野河乎 欲見 打越来而曽 瀧尓遊鶴)
「見まく欲(ほ)り」は「見たいと思って」ということ。
「吉野川を見たいと思って馬を連ねて山を越えてきて滝のほとりに出た。そこでゆったり遊んだ」という歌である。
1105 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
(音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨)
「音に聞き」は「噂には聞いていたが」という意味。「六田(むた)の淀」は吉野川の大淀。
「噂には聞いていたが実際に見たことがなかった、吉野川の六田の淀をやっときょう見ることが出来た」という歌である。
(音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨)
「音に聞き」は「噂には聞いていたが」という意味。「六田(むた)の淀」は吉野川の大淀。
「噂には聞いていたが実際に見たことがなかった、吉野川の六田の淀をやっときょう見ることが出来た」という歌である。
1106 かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ
(河豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越来而 見乍偲食)
「かはづ」は河鹿(かじか)のこととされているが、魚の種類にもいる。ここは蛙の鳴き声を指している。
「蛙の鳴き声がする清らかな川原にやってきたが、またいつの日にかやってきたいものだ」という歌である。
(河豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越来而 見乍偲食)
「かはづ」は河鹿(かじか)のこととされているが、魚の種類にもいる。ここは蛙の鳴き声を指している。
「蛙の鳴き声がする清らかな川原にやってきたが、またいつの日にかやってきたいものだ」という歌である。
1107 泊瀬川白木綿花に落ちたぎつ瀬をさやけみと見に来し我れを
(泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎)
「泊瀬川」は「初瀬川」のことで、奈良県桜井市を流れ、大和川に流れ込む。「白木綿花(しらゆふばな)」は「白い花のような木綿花」のこと。泊瀬川の急流が真っ白な波を立てて流れ下る様子を詠ったもの。
「真っ白な木綿花のような泊瀬川の急流が流れ下る清らかなこの光景を見にやってきました、この私は」という歌である。
(泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎)
「泊瀬川」は「初瀬川」のことで、奈良県桜井市を流れ、大和川に流れ込む。「白木綿花(しらゆふばな)」は「白い花のような木綿花」のこと。泊瀬川の急流が真っ白な波を立てて流れ下る様子を詠ったもの。
「真っ白な木綿花のような泊瀬川の急流が流れ下る清らかなこの光景を見にやってきました、この私は」という歌である。
1108 泊瀬川流るる水脈の瀬を早み井提越す波の音の清けく
(泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久)
水脈(みを)は水量が多く流れる場所。井提(ゐで)は堰のこと。「早み」は「~ので」の「み」。
「泊瀬川の大量の水が早く、堰を越えて流れ下る時のごうごうたる音の清らかなこと」という歌である。
(泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久)
水脈(みを)は水量が多く流れる場所。井提(ゐで)は堰のこと。「早み」は「~ので」の「み」。
「泊瀬川の大量の水が早く、堰を越えて流れ下る時のごうごうたる音の清らかなこと」という歌である。
1109 さ檜隈檜隈川の瀬を早み君が手取らば言寄せむかも
(佐桧乃熊 桧隅川之 瀬乎早 君之手取者 将縁言毳)
「さ檜隈(ひのくま)檜隈川の」は「檜隈の地を流れる檜隈川の」という意味。「さ」は地名の美称。檜隈は奈良県明日香村にある。「言(こと)寄せむかも」は「言葉を引き寄せる」すなわち「噂がたつでしょうに」という意味である。「早み」は「~ので」の「み」。
「檜隈川の流れは速いので思わずあなたの手にひかれて歩めばきっと噂がたつでしょうに」という歌である。
(佐桧乃熊 桧隅川之 瀬乎早 君之手取者 将縁言毳)
「さ檜隈(ひのくま)檜隈川の」は「檜隈の地を流れる檜隈川の」という意味。「さ」は地名の美称。檜隈は奈良県明日香村にある。「言(こと)寄せむかも」は「言葉を引き寄せる」すなわち「噂がたつでしょうに」という意味である。「早み」は「~ので」の「み」。
「檜隈川の流れは速いので思わずあなたの手にひかれて歩めばきっと噂がたつでしょうに」という歌である。
1110 斎種蒔く新墾の小田を求めむと足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に
(湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓)
斎種(ゆだね)は新規開墾田に最初に蒔くいわば祭儀用の稲籾。「新墾(あらき)の小田」は文字通り新規開墾田。足結(あゆ)ひは袴を紐で結んだもの。旅に出立する際等にも結ぶので、「さあこれから行くぞ」という引き締まった気分が感じられる。
「斎種(ゆだね)を持ち、足結ひをして新規開墾田の適地を求めて家を出立したのはいいが、袴を濡らしてしまった、この川の瀬で」という歌である。
(湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓)
斎種(ゆだね)は新規開墾田に最初に蒔くいわば祭儀用の稲籾。「新墾(あらき)の小田」は文字通り新規開墾田。足結(あゆ)ひは袴を紐で結んだもの。旅に出立する際等にも結ぶので、「さあこれから行くぞ」という引き締まった気分が感じられる。
「斎種(ゆだね)を持ち、足結ひをして新規開墾田の適地を求めて家を出立したのはいいが、袴を濡らしてしまった、この川の瀬で」という歌である。
1111 いにしへもかく聞きつつか偲ひけむこの布留川の清き瀬の音を
(古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古河之 清瀬之音矣)
「いにしへも」は「遠い昔の人々も」という意味である。布留川(ふるかわ)は奈良県天理市を流れる川。
「遠い昔の人々もこのように聞いたことだろうと往時がしのばれる。この布留川の清らかな瀬音を」という歌である。
(古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古河之 清瀬之音矣)
「いにしへも」は「遠い昔の人々も」という意味である。布留川(ふるかわ)は奈良県天理市を流れる川。
「遠い昔の人々もこのように聞いたことだろうと往時がしのばれる。この布留川の清らかな瀬音を」という歌である。
1112 はねかづら今する妹をうら若みいざ率川の音のさやけさ
(波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左)
はねかづらについて私は705番歌の際に次のように記している。
「はねかづらは髪にさす飾りだが、具体的にはどんなかづらか知らない。はねを鳥の羽のこととすれば羽根飾り状の髪飾りということになるが・・・。」
「はねかづら」は本歌も含めて4例ある。面白いことにすべて「今する妹」が続いている。例外がないのだからこれこそ「今」にかかる枕詞と判定されそうである。が、それを明確に拒否する歌がある。706番歌である。「はねかづら今する妹はなかりしをいづれの妹ぞここだ恋ひたる」とある。これは大伴家持の705番歌に応えた歌で、「はねかづらをつけた女の子なんていませんわ。どこのどなたに一生懸命恋していらっしゃるのかしら」という歌なので、明確に飾りかづらのことと確認できるからである。
さて、本歌だが、「うら若み」は「初々しい」という意味。「いざ」は「さあ誘ってみようか」で、ここまでは「率川」は「いざかわ」を導く序歌。「率川」は奈良市春日山を発して佐保川に注ぐ小川だった。率川跡があり、奈良市最古の率川神社(いさがわじんじゃ)がある。
「はねかづらをつけた彼女は初々しいのでいざ誘ってみようか、という、その率川(いざかわ)の川音の清々しいこと」という歌である。
(波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左)
はねかづらについて私は705番歌の際に次のように記している。
「はねかづらは髪にさす飾りだが、具体的にはどんなかづらか知らない。はねを鳥の羽のこととすれば羽根飾り状の髪飾りということになるが・・・。」
「はねかづら」は本歌も含めて4例ある。面白いことにすべて「今する妹」が続いている。例外がないのだからこれこそ「今」にかかる枕詞と判定されそうである。が、それを明確に拒否する歌がある。706番歌である。「はねかづら今する妹はなかりしをいづれの妹ぞここだ恋ひたる」とある。これは大伴家持の705番歌に応えた歌で、「はねかづらをつけた女の子なんていませんわ。どこのどなたに一生懸命恋していらっしゃるのかしら」という歌なので、明確に飾りかづらのことと確認できるからである。
さて、本歌だが、「うら若み」は「初々しい」という意味。「いざ」は「さあ誘ってみようか」で、ここまでは「率川」は「いざかわ」を導く序歌。「率川」は奈良市春日山を発して佐保川に注ぐ小川だった。率川跡があり、奈良市最古の率川神社(いさがわじんじゃ)がある。
「はねかづらをつけた彼女は初々しいのでいざ誘ってみようか、という、その率川(いざかわ)の川音の清々しいこと」という歌である。
1113 この小川霧そ結べる激ちたる走井の上に言挙げせねども
この小川みなぎらひつつ滝ならむ八信井の辺に言挙げせねども(筆者訓)
(此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友)
「岩波大系本」は中の三句「白氣結 瀧至 八信井上尓」を古来難訓とし、したがって訓を施していない。ここでは「中西本」の訓を掲げておこう。「岩波大系本」は従来の訓として4説を紹介している。二句目の「白氣結」の訓について見てみると、折口信夫説の「みなぎらひつつ」以外はすべて「きりぞむすべる」と訓じている。多数説をとったわけではないだろうが、「中西本」はこれによっているようだ。
こういう問題は訓よりも全体の歌意を考えてみる必要がある。先ず「この小川」と言っているのだから目前の小川を詠っている。なので「激(たぎ)ちたる走井(はしりゐ)」ではどこかそぐわない。激(たぎ)つは渓谷や滝ないし瀬の場合に使用されるが小川の例はない。小川は本歌以外には316番歌と332番歌の二例しか使用例がない。いずれも「象(きさ)の小川」で吉野川に注ぐ小川のことを指している。したがって「白氣結」は小川が満ちて湯煙がたった状態のことで、折口説の「みなぎらひつつ」が適切のように思われる。第三句の「瀧至」を「激ちたる」と訓じるのは妙。原文は瀧であって激ではない。文字通り「滝ならむ」とすべきではなかろうか。「八信井上尓」が難解。八信井を地名とみて「八信井(やつしゐ)の辺(へ)に」ととると歌意が通じる。「言挙げせねども」は「はっきりしないが」という意味になる。そこで、私は次のように解する。
「この小川は湯煙をあげつつ八信井(やつしゐ)のあたりで滝になるのだろうか、はっきりとは言えないが」という歌である。
この小川みなぎらひつつ滝ならむ八信井の辺に言挙げせねども(筆者訓)
(此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友)
「岩波大系本」は中の三句「白氣結 瀧至 八信井上尓」を古来難訓とし、したがって訓を施していない。ここでは「中西本」の訓を掲げておこう。「岩波大系本」は従来の訓として4説を紹介している。二句目の「白氣結」の訓について見てみると、折口信夫説の「みなぎらひつつ」以外はすべて「きりぞむすべる」と訓じている。多数説をとったわけではないだろうが、「中西本」はこれによっているようだ。
こういう問題は訓よりも全体の歌意を考えてみる必要がある。先ず「この小川」と言っているのだから目前の小川を詠っている。なので「激(たぎ)ちたる走井(はしりゐ)」ではどこかそぐわない。激(たぎ)つは渓谷や滝ないし瀬の場合に使用されるが小川の例はない。小川は本歌以外には316番歌と332番歌の二例しか使用例がない。いずれも「象(きさ)の小川」で吉野川に注ぐ小川のことを指している。したがって「白氣結」は小川が満ちて湯煙がたった状態のことで、折口説の「みなぎらひつつ」が適切のように思われる。第三句の「瀧至」を「激ちたる」と訓じるのは妙。原文は瀧であって激ではない。文字通り「滝ならむ」とすべきではなかろうか。「八信井上尓」が難解。八信井を地名とみて「八信井(やつしゐ)の辺(へ)に」ととると歌意が通じる。「言挙げせねども」は「はっきりしないが」という意味になる。そこで、私は次のように解する。
「この小川は湯煙をあげつつ八信井(やつしゐ)のあたりで滝になるのだろうか、はっきりとは言えないが」という歌である。
1114 我が紐を妹が手もちて結八川またかへり見む万代までに
(吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 万代左右荷)
「岩波大系本」以下各書とも「我が紐を妹が手もちて結」までは「結八川(ゆふやがは)」にかかる序歌としている。「私の着物の下紐をあの子が自ら結んでくれる」というその「結八川」という意味だが、ここまでが序歌とすると歌の実質は「結八川またかへり見む万代までに」となる。が、これでは歌意が全く不明。結句の「万代までに」もあまりにも唐突。結八川が絶景とか聖なる川とかといった何らかの特性を持つ語句が入っていれば分かるが、「またやってきて見よう、いついつまでも」とだけ詠われてもとまどうだけである。色々考えていたら解が見えてきた。第三句までは序歌ではなく、歌の実質と考えるに至った。「結八川」は実在の川とは限らず単に語呂合わせなのだ。私が到達した歌意はこうである。
「結八川ではないが、私の着物の下紐をあの子が自ら結んでくれた。このことを思い出していついつまでも大切に心にしまっておこう」という歌である。。
(吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 万代左右荷)
「岩波大系本」以下各書とも「我が紐を妹が手もちて結」までは「結八川(ゆふやがは)」にかかる序歌としている。「私の着物の下紐をあの子が自ら結んでくれる」というその「結八川」という意味だが、ここまでが序歌とすると歌の実質は「結八川またかへり見む万代までに」となる。が、これでは歌意が全く不明。結句の「万代までに」もあまりにも唐突。結八川が絶景とか聖なる川とかといった何らかの特性を持つ語句が入っていれば分かるが、「またやってきて見よう、いついつまでも」とだけ詠われてもとまどうだけである。色々考えていたら解が見えてきた。第三句までは序歌ではなく、歌の実質と考えるに至った。「結八川」は実在の川とは限らず単に語呂合わせなのだ。私が到達した歌意はこうである。
「結八川ではないが、私の着物の下紐をあの子が自ら結んでくれた。このことを思い出していついつまでも大切に心にしまっておこう」という歌である。。
1115 妹が紐結八川内をいにしへのみな人見きとこれを誰れ知る
(妹之紐 結八河内乎 古之 并人見等 此乎誰知)
本歌も前歌に続いて難解な歌とされている。が、前歌の歌意にしたがって解すると平明歌と言ってよい。
「あの子が紐を結んでくれた結八川ではないが、その内(秘め事)を昔知る人とてなく誰が知ろう」という歌である。
以上で、河を詠んだ16首は終わりである。
(2014年4月26日記、2018年4月1日記)
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(妹之紐 結八河内乎 古之 并人見等 此乎誰知)
本歌も前歌に続いて難解な歌とされている。が、前歌の歌意にしたがって解すると平明歌と言ってよい。
「あの子が紐を結んでくれた結八川ではないが、その内(秘め事)を昔知る人とてなく誰が知ろう」という歌である。
以上で、河を詠んだ16首は終わりである。
(2014年4月26日記、2018年4月1日記)