Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・82(1177~1191番歌)

$
0
0

   万葉集読解・・・82(1177~1191番歌)
1177  若狭なる三方の海の浜清みい行き帰らひ見れど飽かぬかも
      (若狭在 三方之海之 濱清美 伊徃變良比 見跡不飽可聞)
[若狭なる三方の海]は福井県にある三方湖。「浜清み」は「浜が清らかなので」という意味。「い行き帰らひ」の「い」は強意の接頭語。
 「三方湖の浜は美しく、幾度行ったりきたりして眺めても見飽きない」という歌である。

1178  印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ [一云 飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし]
      (印南野者 徃過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 [一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思])
 印南野(いなみの)は兵庫県明石付近。「天伝ふ」は枕詞。「日笠の浦」は未詳。このままだと意味がとりにくいが、「波静かな印南野」として読めば、すっきりする。
 「印南野は通り過ぎたようだ。日笠の浦が波だっているのが見える」という歌である。
 異伝は「飾磨江(しかまえ)は漕ぎ過ぎぬらし」となっているが歌意は本伝とほぼ同様。飾磨江」は姫路市飾麿区の地名。

1179  家にして我れは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を
      (家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎)
 「家にして」は「家に帰ってから」ということ。「印南野」は前歌参照。浅茅(あさじ)は「たけの低い茅菅(ちがや)」のこと。
 「茅菅(ちがや)の上にこうこうと照っていた印南野の月夜、家に帰ってからも恋しく思うことだろうな」という歌である。

1180  荒磯越す波を畏み淡路島見ずか過ぎなむここだ近きを
      (荒礒超 浪乎恐見 淡路嶋 不見哉将過去 幾許近乎)
 「畏(かしこ)み」は「恐ろしくて」という意味。「ここだ」は658番歌、666番歌等で「ここだく」の形で使われてきた語で「非常に」、「しきりに」などを意味する用語。 「荒磯を越していく波が恐ろしくて、淡路島を見ずに通過していくのだろうか。こんなに近い島なのに」という歌である。

1181  朝霞止まずたなびく龍田山舟出せむ日は我れ恋ひむかも
      (朝霞 不止軽引 龍田山 船出将為日者 吾将戀香聞)
 龍田山は奈良県生駒郡の山の一つ。「止まずたなびく」とあるので、作者は常に龍田山を見ながら生活してきた人、すなわち大和を故郷とする人に相違ない。「恋ひむかも」は反語表現。
 「いつも朝霞がたなびいている龍田山。いよいよここを発って舟出する日を迎えたら、恋しくなるだろうか。いやいや恋しく思わずにはいられない」という歌である。

1182  海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ
      (海人小船 帆毳張流登 見左右荷 鞆之浦廻二 浪立有所見)
 「見るまでに」は「見まごうばかりに」という意味。「鞆(とも)の浦」は広島県福山市鞆町の海岸だという。白波をいっぱいの白帆に見立てた歌。
 「漁船がいっぱいに帆を張ったかと見まごうばかりに鞆の浦が真っ白に波立っているのが見える」という歌である。

1183  ま幸くてまたかへり見むますらをの手に巻き持てる鞆の浦廻を
      (好去而 亦還見六 大夫乃 手二巻持在 鞆之浦廻乎)
 「ま幸(さき)くて」は「無事に」という意味。「ま」は無事の強意。「ますらを」はときどき出てくる用語だが、男の美称。鞆(とも)は弓を射る時に左手に巻き付けた一種の防具。地名の「鞆(とも)の浦」(前歌参照)にかけている。
 「無事戻ってきたらまた見たいものだ、偉丈夫(ますらを)が手に巻き付けるという、あの鞆の浦を」という歌である。

1184  鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも
      (鳥自物 海二浮居而 奥浪 驂乎聞者 數悲哭)
 「鳥じもの」は「鳥らしきもの」すなわち「鳥のように」という意味である。結句の「あまた悲しも」は文字面上は「非常に悲しい」という意味になる。だが、詠われている状況や全体の歌意をつかんでから考えないと解はさほど安易に定められない。先ず、状況だが、作者は舟に乗っている。これを念頭に置いておいて読解しないとミスリードしかねない。
 先ず「鳥じもの海に浮き居て」は「鳥でもないのに鳥のように海に浮かんでいて」という場面。「沖つ波騒くを聞けば」は「沖からざわめいてくる波に舟がひどく揺れ動いている」状況を詠んでいる。そこで、結句の「あまた悲しも」は「おそろしく心細い」とか「とても恐ろしい」という意味であることがわかる。
 「乗っている舟が海に浮かんで揺れている。ざわつきだした波を見て心細く不安でたまらない」という歌である。

1185  朝なぎに真楫漕ぎ出て見つつ来し御津の松原波越しに見ゆ
      (朝菜寸二 真梶榜出而 見乍来之 三津乃松原 浪越似所見)
 「御津(みつ)の松原」は、895番歌に「大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ」とあったように、大伴氏の本拠地とされる所である。大阪湾内の浜。
 「平穏な朝の海に漕ぎ出し、御津の松原を見つつやってきたが、次第に遠ざかって、その松原も、やっと波越に見られるほど小さくなってしまった」という歌である。

1186  あさりする海人娘子らが袖通り濡れにし衣干せど乾かず
      (朝入為流 海未通女等之 袖通 沾西衣 雖干跡不乾)
 読解に悩ましい点がある。そのためか否かわからないが、「岩波大系本」は本歌の口語訳を示していない。
 「伊藤本」は、第四句「濡れにし衣(ころも)」を「海人娘子(あまおとめ)らの衣」と解している。これに対し、「中西本」は「作者の衣」と解し「海人娘子らの衣のようにわが衣は」という取り方をしている。確かにいずれとも取れる。が、結句の「干せど乾かず」には主語がない。「海人娘子」が主語と解するのが常識的だが、主語は略されているとみることも可能である。主語が略されている場合は、作者自身が主語というのが実作者の暗黙の了解。「中西本」のように解することも可能なのである。
 「伊藤本」のように常識的に解したいが、ひっかかるのは「あさりする」である。「あさりする」とは漁をすることで、漁師のほかに、鶴だの子供だの大宮人といった例がある。が、海人娘子の例は本歌だけである。通常漁は男の役目だったに相違ないから、娘子たちが漁をする光景と言われてもどこか違和感がある。娘子らが行うのは「玉藻刈り」で「玉藻刈る娘子」を歌にした例は10例ほどに及ぶ。一例だけ紹介すると936番歌に「玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ舟楫もがも波高くとも」とある。どうも、「干せど乾かず」の主語を「海人娘子ら」と解するのは難がある。
 では、「中西本」のように、作者自身の衣を「干せど乾かず」と解すべきかというと、自分の衣が乾かなかったことをいうために、「あさりする海人娘子ら」をなぜ持ち出さなければならないのか不審である。
そこで私は「あさりする」の主語も作者自身だと考えたい。これなら「干せど乾かず」の主語も作者自身と考えれば歌意がよく通る。旅人が貝か何かを取ろうとした歌と見たい。
 「私が貝を取っていたら、藻を刈り取っている海人娘子(あまおとめ)たちと同様、袖がずぶぬれになってしまった。干したけれどなかなか乾かない」という歌である。

1187  網引する海人とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来し我れを
      (網引為 海子哉見 飽浦 清荒礒 見来吾)
 「見らむ」は「見なすだろうか」という意味。「飽(あく)の浦」は所在未詳。
 「人は私を網引(あびき)する漁師と見るだろうか。実際は飽の浦の美しい荒磯(ありそ)を見に来ただけなのに」という歌である。
 左注に「右の一首は柿本朝臣人麻呂歌集に出ている」とある。

1188  山越えて遠津の浜の岩つつじ我が来るまでにふふみてあり待て
      (山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含而有待)
 「遠津(とほつ)の浜」は地名なのか、あるいは「遠くの港の浜」ということなのか不明。後者に解しておこう。「ふふみてあり」は「つぼみのままで」という意味。
 「山を越えた遠くの港の浜の岩つつじよ。私が到着するまで、咲かないで、つぼみのまま待っていてくれ」という歌である。

1189  大海にあらしな吹きそしなが鳥猪名の港に舟泊つるまで
      (大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手)
 「な吹きそ」は例によって「な~そ」という禁止形。「吹かないでくれ」という意味。「しなが鳥」は枕詞。「猪名(いな)の港」は兵庫県尼崎市を流れて大阪湾に注ぐ猪名川の港。大海は大阪湾のことか。
 「大海よ嵐を起こすな、猪名の港に舟が着くまで」という歌である。

1190  舟泊ててかし振り立てて廬りせむ名児江の浜辺過ぎかてぬかも
      (舟盡 可志振立而 廬利為 名子江乃濱邊 過不勝鳧)
 「かし振り立てて」はちょっと説明が必要。舟で湾内等を航行する時、長くがっしりした棒を積んでいた。そしてここぞという場所にその棒を振り立てて海底に突き刺し、舟を泊めた。この棒がかしである。「廬(いほ)りせむ」は仮泊すること。名児江の浜辺は大阪市住吉区の浜と思われるが、所在未詳。
 「かしを振り立てて海上に舟を泊め、ここで仮泊しよう。名児江の浜辺はこのまま通り過ぎてしまうにはあまりにすばらしい絶好の浜なので」という歌である。

1191  妹が門出入の川の瀬を早み我が馬つまづく家思ふらしも
      (妹門 出入乃河之 瀬速見 吾馬爪衝 家思良下)
 「出入(でいり)の川の」とあるので、彼女の家の門を川がくぐり抜けていることになる。が、川は通常一方に流れる。出入とあるのは潮の干満しか考えられない。結句の「家思ふらしも」の家は各書とも「家人」としている。私もそれに異存はない。が、「家人が私のことを思っているようだ」と解するのはいただけない。家人(彼女)が主語なら彼女の家の門に潮が入り込んでいる状況や、馬がつまづいたりする様子を歌にするだろうか。家人を思うのは作者の私の筈。馬もそう思っているのだろうという意味に相違ない。つまり主語は「我」ないし「我が馬」で、そう解さないとすっきり歌意が通らない。少なくとも私にはそうとしか思われない。
 「門に潮が出入りする浜辺の彼女の家が目前に迫ってきた。流れの早い瀬にさしかかり急ぐ馬もけつまづいた。馬も私と同様早く家人にまみえたいと思っているのだろうか」という歌である。
           (2014年5月14日記、2018年4月17日記)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles