万葉集読解・・・87(1253~1267番歌)
1253 楽浪の志賀津の海人は我れ無しに潜きはなせそ波立たずとも(神樂浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潜者莫為 浪雖不立)
[楽浪(ささなみ)の志賀津]は琵琶湖中南部沿岸地方の大津京の辺りを指している。「我れ無しに」は「私がいない時には」すなわち「私のためでなければ」という意味。「潜(かづ)きはなせそ」は「な~そ」の禁止形。「潜りなさんな」という意味である。
「楽浪の志賀津の海女(あま)さんよ、私のいないときは湖に潜りなさんな。たとえ波が立っていない穏やかなときでも」という歌である。
1254 大船に梶しもあらなむ君なしに潜きせめやも波立たずとも
(大船尓 梶之母有奈牟 君無尓 潜為八方 波雖不起)
本歌は前歌に応えた女性(海女)の歌である。「梶しもあらなむ」は「梶があったらなあ」という願望を示している。本歌によって前歌は恋の寓意だとはっきりする。本歌は寓意というより激しい恋情をにじませている。「あなた以外の男には目もくれません」という歌と考えてよかろう。
「大船にきちんとした梶が備わっていたらなあ。あなたがいなければ玉など採りに潜るものですか。たとえ波が平穏であっても」という歌である。
左注に「右二首は漁民を詠む」とある。
(大船尓 梶之母有奈牟 君無尓 潜為八方 波雖不起)
本歌は前歌に応えた女性(海女)の歌である。「梶しもあらなむ」は「梶があったらなあ」という願望を示している。本歌によって前歌は恋の寓意だとはっきりする。本歌は寓意というより激しい恋情をにじませている。「あなた以外の男には目もくれません」という歌と考えてよかろう。
「大船にきちんとした梶が備わっていたらなあ。あなたがいなければ玉など採りに潜るものですか。たとえ波が平穏であっても」という歌である。
左注に「右二首は漁民を詠む」とある。
頭注に「時に臨んで」とある。
1255 月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて
(月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而)
月草は露草。「露草に衣が染まる」で切れる形になっている。「斑(まだら)の衣(ころも)」は「斑模様(まだらもよう)の着物」のことである。「摺(す)らむと」は「染め上げようと」という意味である。典型的な倒置表現歌。
「あなたのために斑模様(まだらもよう)に染め上げようと思って露草の花をこすりつけている」という歌である。
1255 月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて
(月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而)
月草は露草。「露草に衣が染まる」で切れる形になっている。「斑(まだら)の衣(ころも)」は「斑模様(まだらもよう)の着物」のことである。「摺(す)らむと」は「染め上げようと」という意味である。典型的な倒置表現歌。
「あなたのために斑模様(まだらもよう)に染め上げようと思って露草の花をこすりつけている」という歌である。
頭注に「時に臨んで」とある。
1256 春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も
(春霞 井上従直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛)
1256 春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も
(春霞 井上従直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛)
春霞は枕詞(?)。「井の上ゆ」は「~から」の「ゆ」。「泉(水くみ場)から」という意味。「直(ただ)に道はあれど」は「まっすぐ私の家に道は通っているけれど」という、「た廻(もとほ)り来(く)も」は「回り道をしてやってきました」という意味である。
「泉に春霞がかかっていますが、そこから家にまっすぐ道は通じています。が、あなたにお逢いしたいと思って回り道をしてやってきました」という歌である。1257 道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや
(道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也)
女性の歌。自分を百合の花にたとえている。「花笑みに」は「蕾がほころびるように」という意味である。
「路傍の草深い所に生えている百合の蕾がほころびるように、微笑みかけただけで妻になるのを承知したことになってしまうのでしょうか」という歌である。
(道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也)
女性の歌。自分を百合の花にたとえている。「花笑みに」は「蕾がほころびるように」という意味である。
「路傍の草深い所に生えている百合の蕾がほころびるように、微笑みかけただけで妻になるのを承知したことになってしまうのでしょうか」という歌である。
1258 黙あらじと言のなぐさにいふ言を聞き知れらくは悪しくはありけり
(黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来)
「黙(もだ)あらじと」は「黙っていても」という意味。「言(こと)のなぐさに」は「口先だけの気休めに」という意味。「聞き知れらくは」は「それを承知で聞いているのは」ということである。
「黙っているのもなんだからと口先だけで慰めてくれるのだが、それを承知で聞いているのは辛いものである」という歌である。
(黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来)
「黙(もだ)あらじと」は「黙っていても」という意味。「言(こと)のなぐさに」は「口先だけの気休めに」という意味。「聞き知れらくは」は「それを承知で聞いているのは」ということである。
「黙っているのもなんだからと口先だけで慰めてくれるのだが、それを承知で聞いているのは辛いものである」という歌である。
1259 佐伯山卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば花は散るとも
(佐伯山 于花以之 哀我 手鴛取而者 花散鞆)
佐伯山は広島市佐伯区の山だろうという。「卯の花」は「ウツギの花」のこと。ウツギの花はユキノシタ科の落葉低木。初夏に白い五弁花をつける。「彼女を手に入れたい」という歌。
「佐伯山にウツギの花を手にして立っているあの子はいかにも愛らしい。その手を取れば花は散るだろうけど手を取りたい」という歌である。
(佐伯山 于花以之 哀我 手鴛取而者 花散鞆)
佐伯山は広島市佐伯区の山だろうという。「卯の花」は「ウツギの花」のこと。ウツギの花はユキノシタ科の落葉低木。初夏に白い五弁花をつける。「彼女を手に入れたい」という歌。
「佐伯山にウツギの花を手にして立っているあの子はいかにも愛らしい。その手を取れば花は散るだろうけど手を取りたい」という歌である。
1260 時ならぬ斑の衣着欲しきか島の榛原時にあらねども
(不時 斑衣 服欲香 嶋針原 時二不有鞆)
「時ならぬ」は「時じくの」と訓じている書もある。前者だと未だ成熟した女性になっていない、いわば少女の寓意と受け取れる。後者だと「時を選ばず」という意味なので寓意性は薄くなる。「斑の衣(まだらのころも)」は1255番歌に出ていたように「斑模様(まだらもよう)の着物」のことである。「着欲(きほ)しきか」の「か」は「着てみたいものだ」という。詠嘆的願望を表している。斑に染めた着物は珍重されたようである。「島の榛(はり)原」の「島」は「岩波大系本」に「奈良県高市郡明日香村島ノ庄か」とある。地図で探すと村役場の東南近くに島庄がある。「榛(はり)原」はハンノキ林で、まだ実を付けるに至っていないことを示している。
さて、初句も結句もまだ機が熟していないことを言っているので、初句は「時ならぬ」と訓ずるのが適切と思われる。
「まだ染め上がっていない斑模様の着物を着てみたいものだ。まだ島庄のハンノキ林ではハンノキが実をつける時期にはなっていないけれども」という歌である。
(不時 斑衣 服欲香 嶋針原 時二不有鞆)
「時ならぬ」は「時じくの」と訓じている書もある。前者だと未だ成熟した女性になっていない、いわば少女の寓意と受け取れる。後者だと「時を選ばず」という意味なので寓意性は薄くなる。「斑の衣(まだらのころも)」は1255番歌に出ていたように「斑模様(まだらもよう)の着物」のことである。「着欲(きほ)しきか」の「か」は「着てみたいものだ」という。詠嘆的願望を表している。斑に染めた着物は珍重されたようである。「島の榛(はり)原」の「島」は「岩波大系本」に「奈良県高市郡明日香村島ノ庄か」とある。地図で探すと村役場の東南近くに島庄がある。「榛(はり)原」はハンノキ林で、まだ実を付けるに至っていないことを示している。
さて、初句も結句もまだ機が熟していないことを言っているので、初句は「時ならぬ」と訓ずるのが適切と思われる。
「まだ染め上がっていない斑模様の着物を着てみたいものだ。まだ島庄のハンノキ林ではハンノキが実をつける時期にはなっていないけれども」という歌である。
1261 山守の里へ通ひし山道ぞ茂くなりける忘れけらしも
(山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下)
本歌も男女間の寓意歌と見られる。男を待っている女性の歌。「山守」は「山の番人」のことだが、ここでは男の寓意。「山守の」の「の」は主格の「の」で「~が」という意味。
「山守が山道を通ってこの里に通ってきた。が、最近は来ない。道が草で茂ってしまったので道を忘れてしまったのだろうか」という歌である。
(山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下)
本歌も男女間の寓意歌と見られる。男を待っている女性の歌。「山守」は「山の番人」のことだが、ここでは男の寓意。「山守の」の「の」は主格の「の」で「~が」という意味。
「山守が山道を通ってこの里に通ってきた。が、最近は来ない。道が草で茂ってしまったので道を忘れてしまったのだろうか」という歌である。
1262 あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも
(足病之 山海石榴開 八峯越 鹿待君之 伊波比嬬可聞)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「八つ峰」は「多くの峰々」ということ。「斎(いは)ひ妻かも」は「家で無事を祈って待つ身の妻なの私は」という意味である。「鹿(しし)待つ」の鹿(=獲物)を女の寓意と解すれば本歌は女を追いかける夫への恨み節ということになる。が、文字通り鹿狩りの鹿に夢中になっている図と解することもできる。いずれであろう。
「椿咲くこの季節、山の峰々を越えて鹿を待つあなた。片や私は無事を祈って待つ身の妻なのね」という歌である。
(足病之 山海石榴開 八峯越 鹿待君之 伊波比嬬可聞)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「八つ峰」は「多くの峰々」ということ。「斎(いは)ひ妻かも」は「家で無事を祈って待つ身の妻なの私は」という意味である。「鹿(しし)待つ」の鹿(=獲物)を女の寓意と解すれば本歌は女を追いかける夫への恨み節ということになる。が、文字通り鹿狩りの鹿に夢中になっている図と解することもできる。いずれであろう。
「椿咲くこの季節、山の峰々を越えて鹿を待つあなた。片や私は無事を祈って待つ身の妻なのね」という歌である。
1263 暁と夜烏鳴けどこの岡の木末の上はいまだ静けし
(暁跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未静之)
「暁(あかとき)と」は「夜が明けてきたぞと」という意味である。木末(こぬれ)は木の梢のこと。
「カラスが夜の明け切らぬ内から暁を告げて鳴くが、岡の木々の梢はいまだ森閑としている」という歌である。
(暁跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未静之)
「暁(あかとき)と」は「夜が明けてきたぞと」という意味である。木末(こぬれ)は木の梢のこと。
「カラスが夜の明け切らぬ内から暁を告げて鳴くが、岡の木々の梢はいまだ森閑としている」という歌である。
1264 西の市にただ独り出でて目並べず買ひてし絹の商じこりかも
(西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨)
「目並べず」は「見比べもしないで」という意味である。「商(あき)じこりかも」だが、「商じ(商い)をし、懲りてしまった」、つまり「買って失敗してしまった」という意味である。
「平城京の西の市に一人で出かけたはいいが、絹を、見比べもしないで買ってしまって大失敗だっと」という歌である。
(西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨)
「目並べず」は「見比べもしないで」という意味である。「商(あき)じこりかも」だが、「商じ(商い)をし、懲りてしまった」、つまり「買って失敗してしまった」という意味である。
「平城京の西の市に一人で出かけたはいいが、絹を、見比べもしないで買ってしまって大失敗だっと」という歌である。
1265 今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む
(今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間乱者 <誰>取見)
防人(さきもり」は北九州などの辺土の守備にあたった兵士。多くは東国から徴集された。3年に一度交替される規定だった。第四句の「肩のまよひは」は「肩のほころびは」という意味である。万葉集では「まよひ」は「さまよふ」という意味で使われているが、一例だけ本歌と同様「ほころび」の意味で使われている例がある。3453番歌の「風の音の遠き我妹が着せし衣手本のくだりまよひ来にけり」がそれである。
新防人(にひさきもり)だというのに、粗末な麻の着物の肩がほころびてしまっているというのだから貧乏な子弟なのだろう。命を落とすことになるかも知れない辺境の地にやられるのにこの有様である。当時の防人の悲哀の一端が目に浮かぶような歌である。
「今年配置される新防人(にひさきもり)の麻衣(あさごろも)の肩がほころびている。誰が繕ってやるのだろう」という歌である。
(今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間乱者 <誰>取見)
防人(さきもり」は北九州などの辺土の守備にあたった兵士。多くは東国から徴集された。3年に一度交替される規定だった。第四句の「肩のまよひは」は「肩のほころびは」という意味である。万葉集では「まよひ」は「さまよふ」という意味で使われているが、一例だけ本歌と同様「ほころび」の意味で使われている例がある。3453番歌の「風の音の遠き我妹が着せし衣手本のくだりまよひ来にけり」がそれである。
新防人(にひさきもり)だというのに、粗末な麻の着物の肩がほころびてしまっているというのだから貧乏な子弟なのだろう。命を落とすことになるかも知れない辺境の地にやられるのにこの有様である。当時の防人の悲哀の一端が目に浮かぶような歌である。
「今年配置される新防人(にひさきもり)の麻衣(あさごろも)の肩がほころびている。誰が繕ってやるのだろう」という歌である。
1266 大船を荒海に漕ぎ出で弥船たけ我が見し子らが目見はしるしも
(大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母)
「弥船たけ」の「弥」は「いよいよ、ますます」という意味。「たけ」は「ありったけ」ないし「一生懸命」という意味に相違ない。「子ら」は親愛の「ら」。「目見(まみ)」は「目もと」のこと。「しるしも」は「ありありと」という意味。
「大船を荒海に漕ぎ出して、懸命にこぎ続けているが、私が逢った彼女の目もとがありありと浮かんでくる」という歌である。
(大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母)
「弥船たけ」の「弥」は「いよいよ、ますます」という意味。「たけ」は「ありったけ」ないし「一生懸命」という意味に相違ない。「子ら」は親愛の「ら」。「目見(まみ)」は「目もと」のこと。「しるしも」は「ありありと」という意味。
「大船を荒海に漕ぎ出して、懸命にこぎ続けているが、私が逢った彼女の目もとがありありと浮かんでくる」という歌である。
頭注に「所に就いて思いを発した歌。旋頭歌」とある。旋頭歌というのは、五七七五七七から成る古形式の歌。民衆歌謡風の歌が多いという。
1267 ももしきの大宮人の踏みし跡ところ沖つ波来寄らずありせば失せずあらましを
(百師木乃 大宮人之 踏跡所 奥浪 来不依有勢婆 不失有麻思乎)
「ももしきの」は枕詞。「大宮人の踏みし跡(あと)ところ」で、いったん切って読む。
「ここはかって都びとたちがやってきて停留したところ。沖から激しい波が押し寄せて来なかったならば停留跡が消え失せることはなかったのに」という歌である。
左注に「右十七首は古歌集に出ている」とある。すなわち、1251~1267挽歌の17首が古
歌集に出ている歌、ということになる。
(2014年6月11日記、2018年4月28日記)
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1267 ももしきの大宮人の踏みし跡ところ沖つ波来寄らずありせば失せずあらましを
(百師木乃 大宮人之 踏跡所 奥浪 来不依有勢婆 不失有麻思乎)
「ももしきの」は枕詞。「大宮人の踏みし跡(あと)ところ」で、いったん切って読む。
「ここはかって都びとたちがやってきて停留したところ。沖から激しい波が押し寄せて来なかったならば停留跡が消え失せることはなかったのに」という歌である。
左注に「右十七首は古歌集に出ている」とある。すなわち、1251~1267挽歌の17首が古
歌集に出ている歌、ということになる。
(2014年6月11日記、2018年4月28日記)