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先日、相棒の母親が入院している病院に彼女を送っていった。江南市にその病院はあるのだが、お母さんと外出の許可をもらってスーパーに同行するという。時間ははっきりしないということだったが、一時間はかかる、という。私はその合間を縫って近在の神社に出かけた。
現地に到着してみると、さほど大きな神社ではなかった。正面鳥居の前に立って、社頭掲示らしきものを探した。普通はある鳥居近辺の掲示は全く見当たらず、私はあわてた。が、もっと驚き、あわてたことがその直後に起こった。鳥居をくぐってすぐ横の家のそばに立っていた中年の男性に尋ねた。
「この神社の名は何といいますか。掲示が見当たりませんが」
男性はあわて気味に答えた。
「私は隣のこの家に住んでいるんですが、何というんでしょう」
えっ、である。地元の人なら小さな子供でも神社名くらいは知っているだろう。これが私の常識中の常識だった。その男性は「ちょっと待って下さい」と言って、スマホで誰かに電話をかけ、私を拝殿前に導いた。そこに掲示が出ていた。よく近づいて見ないと分からないくらい小さな文字だった。私は丁重に礼を述べ、男性と別れた。子供時代から住んでいて、その親に電話した様子だった。
掲示には神明社とあって、「創建年代は不明なるも、慶長15年(1610年)再建の由緒ある神社」の旨が記されていた。
それにしても、「地元の人なら神社名くらいは知っているだろう」という私の常識が崩れ去ったのには、信じられない思いだった。人間、関心がないことにはこういうこともあり得るのかと驚いた次第である。
(2018年6月19日)
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先日、相棒の母親が入院している病院に彼女を送っていった。江南市にその病院はあるのだが、お母さんと外出の許可をもらってスーパーに同行するという。時間ははっきりしないということだったが、一時間はかかる、という。私はその合間を縫って近在の神社に出かけた。
現地に到着してみると、さほど大きな神社ではなかった。正面鳥居の前に立って、社頭掲示らしきものを探した。普通はある鳥居近辺の掲示は全く見当たらず、私はあわてた。が、もっと驚き、あわてたことがその直後に起こった。鳥居をくぐってすぐ横の家のそばに立っていた中年の男性に尋ねた。
「この神社の名は何といいますか。掲示が見当たりませんが」
男性はあわて気味に答えた。
「私は隣のこの家に住んでいるんですが、何というんでしょう」
えっ、である。地元の人なら小さな子供でも神社名くらいは知っているだろう。これが私の常識中の常識だった。その男性は「ちょっと待って下さい」と言って、スマホで誰かに電話をかけ、私を拝殿前に導いた。そこに掲示が出ていた。よく近づいて見ないと分からないくらい小さな文字だった。私は丁重に礼を述べ、男性と別れた。子供時代から住んでいて、その親に電話した様子だった。
掲示には神明社とあって、「創建年代は不明なるも、慶長15年(1610年)再建の由緒ある神社」の旨が記されていた。
それにしても、「地元の人なら神社名くらいは知っているだろう」という私の常識が崩れ去ったのには、信じられない思いだった。人間、関心がないことにはこういうこともあり得るのかと驚いた次第である。
(2018年6月19日)