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万葉集読解・・・136(2041~2060番歌)

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     万葉集読解・・・136(2041~2060番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)
2041  秋風の吹きただよはす白雲は織女の天つ領巾かも
      (秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳)
 「織女(たなばたつめ)の天つ領巾(ひれ)かも」の領巾は当時の女性が首や肩にかけて用いたという、長い布である。868番歌から875番歌にかけて詠われている佐用姫(さよひめ)伝説が印象深い。朝鮮半島の任那(みまな)に赴任する夫との別れを悲しんで山の上に登り、領巾を振ったという伝説である。
 「秋風に吹かれてただよう長い白雲は織姫が振る領巾なのかも」という歌である。

2042  しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に
      (數裳 相不見君矣 天漢 舟出速為 夜不深間)
 第三句「天の川」は助詞の「に」を補って「天の川に」と解すると分かりやすい。牽牛を待つ織女の歌。
 「たびたび逢えないあなたですもの、天の川に早く舟出して下さいまし。夜が更ける前に・・・」という歌である。

2043  秋風の清き夕に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士
      (秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人壮子)
 月人壮士(つきひとをとこ)は2010番歌にも使われていたが、「お月様」のこと。ここでは牽牛星を指す。併せて月夜であることも暗示している。
 「秋風の清々しい夕に天の川を舟で漕ぎ渡る月下の牽牛さん」という歌である。

2044  天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば
      (天漢 霧立度 牽牛之 楫音所聞 夜深徃)
 読解不要の平明歌。
 「天の川に霧がたちこめていて、彦星(牽牛)が舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。次第に夜が更けてきて」という歌である。

2045  君が舟今漕ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に
      (君舟 今滂来良之 天漢 霧立度 此川瀬)
 「君が舟」とあるので本歌は織姫の立場からの歌のように見え、そう解する書もある。が、さにあらず。前歌同様第三者の立場に立っての歌。「君」は「牽牛」を言い換えたに過ぎない。
 「牽牛の漕ぐ舟がやってくる天の川。その川瀬に霧が一面にたちこめている」という歌である。

2046  秋風に川波立ちぬしましくは八十の舟津にみ舟留めよ
      (秋風尓 河浪起 蹔 八十舟津 三舟停)
 「しましく」は「しばらくの間」という意味。「八十(やそ)の舟津に」は「多くの港に」ないし「あちこちの港に」という意味である。多くの歌では、牽牛と織姫は川を挟んで向き合って住んでおり、七夕の夜に牽牛が川を渡ってくるとの理解で詠われている。が、七夕伝説はそもそもがロマンチック話。詠う人によって解釈が大きく異なっていても不思議はない。本歌では、牽牛と織姫は遠く遠く隔たっている位置に住んでいると想定している。遙か遠路を舟を漕いでやってくる情景である。それが「八十の舟津に」という表現に表れている。
 「秋風が吹いて天の川は波立っています。しばらくの間はあちこちの港に舟をとどめながら気をつけておいで下さい」という歌である。

2047  天の川川の音清けし彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか
      (天漢 河聲清之 牽牛之 秋滂船之 浪躁香)
 「秋漕ぐ舟」は「秋になって漕ぐ舟」という意味で、「七夕の夜」という限定的な歌い方ではない。前歌同様、遠路遥々やってくると考えている作者の詠いかたになっている。となると、結句の「波のさわきか」も「早くも」を補って「早くも波のざわめきだろうか」としないといけないようである。
 「天の川に川音がはっきり聞こえる、秋になって早くも彦星が漕ぎ出した舟のざわめきだろうか」という歌である。

2048  天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ [一云 天の川川に向き立ち]
      (天漢 河門立 吾戀之 君来奈里 紐解待 [一云 天河 川向立])
 川門(かはと)は舟着き場。
 「天の川の舟着き場に立って我が恋ひしの君がやってくるのを着物の紐を解いて待ちましょう」という歌である。
 異伝歌は「川門に立ちて」が「川に向き立ち」となっていて、「二人は川をはさんで向き合っている」という想定で詠われている。

2049  天の川川門に居りて年月を恋ひ来し君に今夜逢へるかも
      (天漢 <河>門座而 年月 戀来君 今夜會可母)
 川門(かはと)は舟着き場。「年月を」は、「一年もの長い月日を」という意味である。
 「天の川の舟着き場に立って一年もの長い月日を恋い焦がれてきましたが、そのあなたにやっと今夜逢えましたわ」という歌である。

2050  明日よりは我が玉床をうち掃ひ君と寐ねずてひとりかも寝む
      (明日従者 吾玉床乎 打拂 公常不宿 孤可母寐)
 平明な歌が続く。玉床(たまどこ)の玉はむろん美称。
 「明日からは、寝床をきれいにしてもあなたとは寝られず、ひとりっきりで寝なくてはいけないのね」という歌である。

2051  天の原行きて射てむと白真弓引きて隠れる月人壮士
      (天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人壮子)
 月人壮士(つきひとをとこ)は2043番歌に出てきたばかりだが、その際「お月様のこと。ここでは牽牛星を指す」とした。本歌は何を指すのだろう。
 この問題を解くにはいつもとは逆に先ず歌意を取ってから考えるのがよかろう。先ず情景だが、天空に天の川が流れている。そこには巨大な天の原がある。「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のことだが、三日月を弓に見立てているとすると、月人壮士は狩人ということになる。「隠(こも)れる」は「身を隠す」という意味なので「月人壮士」は「天の原に行って獲物を獲ようと三日月の白真弓に矢をつがえ、身を隠して機会を待つという意味になる。そして、本歌は七夕歌の一環なので、狩人は牽牛自身を指していることになる。獲物はいうまでもなく織女星。
 「天の原に出かけ、三日月ならぬ白真弓で矢をつがえ、獲物を隠れて狙う牽牛、月人壮士(つきひとをとこ)」という歌である。

2052  この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも
      (此夕 零来雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨)
 せっかくの七夕の宵なのに雨が降っている。それを歌にしたもの。「櫂の散りかも」は「櫂のしぶきだろうか」という意味。
 「七夕の今宵、しきりに雨がふりかかってくる。この雨は彦星が懸命になって早漕ぎする櫂(かい)のしぶきだろうか」という歌である。

2053  天の川八十瀬霧らへり彦星の時待つ舟は今し漕ぐらし
      (天漢 八十瀬霧合 男星之 時待船 今滂良之)
 「八十(やそ)瀬霧(き)らへり」は「あちこちの川瀬に霧が立ちこめている」という意味。 「天の川のあちこちの川瀬に霧が立ちこめている。出航の時を待っていた彦星は今舟を出して漕いでいるらしい」という歌である。

2054  風吹きて川波立ちぬ引き舟に渡りも来ませ夜の更けぬ間に
      (風吹而 河浪起 引船丹 度裳来 夜不降間尓)
 「引き舟」は綱で岸に舟を引き寄せること。2749番歌に「駅路に引き舟渡し直乗りに~」とある。織姫が牽牛に声をかけている情景。広大な天の川を見上げて引き舟を連想するとは!。素朴といおうか、微笑ましくなるような歌である。
 「風が吹いて川波が立ってきました。綱で引き舟にしてこちら岸に渡っていらっしゃいな、夜が更ける前に」という歌である。

2055  天の川遠き渡りはなけれども君が舟出は年にこそ待て
      (天河 遠<渡>者 無友 公之舟出者 年尓社候)
 「年にこそ待て」は「年に一度の七夕の夜が来るまで」という意味である。
 「天の川は向こう岸まで遠くはないので渡ろうと思えば渡れますが、定めですからあなたが舟出する七夕の夜が来るまでお待ちしてますわ」という歌である。

2056  天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも
      (天漢 打橋度 妹之家道 不止通 時不待友)
 「打橋(うちばし)」は杭を打って長い板を渡した仮橋。前々歌といい此の歌といい、まるで童謡のように素朴な歌である。
 「天の川に打橋を渡しておくれ。あなたの家にしげしげと通うものを・・・。七夕の夜が来るのを待ってなどいないで」という歌である。

2057  月重ね我が思ふ妹に逢へる夜は今し七夜を継ぎこせぬかも
      (月累 吾思妹 會夜者 今之七夕 續巨勢奴鴨)
 「継ぎこせぬかも」は「続いてくれないかなあ」という意味である。
 「長い月日を重ねつつ我が恋い焦がれてきた彼女にやっと逢えたのだもの。今のこの夜が七日続いてくれないかなあ」という歌である。

2058  年に装ふ我が舟漕がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ
      (年丹装 吾舟滂 天河 風者吹友 浪立勿忌)
 「年に装(よそ)ふ」は年に一度「飾り立てた」ないしは「整えた」という意味。
 「この日のために年に一度飾り立てた舟をさあ漕ぎ出そう。天の川よ、風が吹くことがあっても、波立ってくれるなよ、決して」という歌である。

2059  天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に
      (天河 浪者立友 吾舟者 率滂出 夜之不深間尓)
 前歌よりもっと強い気持で臨む舟出の心情。
 「天の川が波立とうとも、この我が舟に乗って、さあ漕ぎ出そう。夜が更けない間に」という歌である。

2060  ただ今夜逢ひたる子らに言どひもいまだせずしてさ夜ぞ明けにける
      (直今夜 相有兒等尓 事問母 未為而 左夜曽明二来)
 「ただ今夜」は「たった今し方」という意味。第二句の「逢ひたる子らに」は親愛の「ら」。
 「たった今し方逢っていた妻と十分言葉を交わさない内に夜が明けてしまった」という歌である。
           (2015年1月24日記、2018年9月17日記)
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