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投票日目前

政治経済等時事問題おしゃべり
 参議院議員通常選挙の投票日が目前(7月10日)に迫ってきた。
 さて、今回の選挙の最大の注目点は自民党及び公明党の帰趨である。
 ご承知のように、昨年与党(自民党及び公明党)は安保法制を強行採決した。国民の大多数がその成立ないし早期採決に反対したにもかかわらず、である。内容を云々する以前に安保法制は法律違反(違憲)ではないかということで国民の大多数は反対した。
 誰が読んでも集団的自衛権は憲法第9条に違反する。私は昨年12月20日の稿で次のように記した。
 「日本国憲法第9条は次のように規定している。
 1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定め、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」としている。
 武力の行使はもとより威嚇も駄目と明言しているのだ。「陸海空軍その他の戦力」とちゃんと「その他の戦力」も駄目と明言している。これによれば明らかに自衛隊は憲法違反
である。専守防衛の自衛隊まで駄目と規定しているのだ。が、さすがにそれまで駄目となると、独立国家を保てない。なので自衛隊の設置までは「やむを得ずよし」として我が国はこれまで歩んできた。
 が、素直に読めば、憲法にてらせば自衛隊の設置そのものが違憲になる。こんなことは上記9条を読んだ高校生でも否中学生でも分かる。それほどまぎれのない明瞭な規定なのである。」

 中学生や高校生はもとより、法律の専門家や関係団体もこぞって異議を唱えた。にもかかわらず、与党は強行採決したのである。
 こんな明白な法律違反を、自民党及び公明党の議員の誰一人として国会で「憲法違反ではないか」と質問しなかった。それどころか、こぞって強行採決に加わった。
 国民の反対をものともしないこの傲慢さは民主主義とは何かを考えさせられた。それ以上に日本は法治国家であることを完全に無視している。自分で法を制定する立場にある国会議員が、法を無視する!。そして質問さえしない議員たち。抑止力の拡充だの集団的自衛権の必要性など理由はあろう。が、どんな理由があろうと法は守ってこそ意味がある。不都合なら改正すればいい話だ。自分で決めておいて自分で違反を行う。そりゃないでしょ、といいたい。
 自分は与党議員の一人だから異議を唱えなかったというなら、個人名を記して選挙を行う意味がほとんどない。かっての自民党は党を割ってまで喧々囂々の議論を行ったものである。単に与党ないし野党と記して選挙を行えば足りる全く無個性の議員の皆さんである。
 憲法改正論議や改正を目指す動きはあっていいし、それを停める理屈はない。が、改正もしないで解釈だけで違憲同然の法制を整備するなんてことが許されてはならない。
 私自身は期日前投票をすませている。以上のような行為を許してよいのか考えて一人でも多くの方が投票所に向かってほしい。
              (2016年7月5日)
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万葉集読解・・・232(3674~3687番歌)

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     万葉集読解・・・232(3674~3687番歌)
  頭注に「引津亭(ひきつとまり)に舶を停泊させて作った歌七首」とある。引津(ひきつ)は福岡県糸島市の引津湾。
3674  草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさ牡鹿鳴くも
      (久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛)
 「草枕」はお馴染みの枕詞。「可也の山」は引津湾東方の志摩小富士のことか。「さ牡鹿」のさは強意。「旅の苦しさに故郷を恋しく思い出していると、可也の山辺で牡鹿が鳴きたてている」という歌である。

3675  沖つ波高く立つ日にあへりきと都の人は聞きてけむかも
      (於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母)
 「都の人は」は「都の人々は」ということ。「沖の波が高く荒れた日に(われわれ一行は)遭遇したと都の人々は聞き及んでいるだろうか」という歌である。
 左注に「右二首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は遣新羅使の副使を指している。

3676  天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ
      (安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都ん夜良武)
 「天飛ぶや雁を使に」は、中国の故事に基づいて「雁の足に手紙をつけて本国に連絡した」ことを意味する。すなわち使いのこと。「得てしかも」は「得たいものだ」という願望。「空を飛ぶ雁を使いにしたいものだ。奈良の都に言づてを託すことができように」という歌である。

3677  秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験なし旅にしあれば
      (秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆)
 「にほはす」は「彩る」という意味。「見る験(しるし)なし」は「見る甲斐がない」。「秋の野を美しく彩る萩の花は咲いているけれど、観賞する甲斐(張り合い)がない。旅にある身なので」という歌である。

3678  妹を思ひ寐の寝らえぬに秋の野にさ牡鹿鳴きつ妻思ひかねて
      (伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖)
 「さ牡鹿」は強意の「さ」。「妻思ひかねて」は「妻呼ぶ思いに耐えかねて」という意味である。「彼女のことを思って寝るに寝られずにいると、秋の野に牡鹿が鳴き立てている。妻を呼ぶ思いに耐えかねて」という歌である。

3679  大船に真楫しじ貫き時待つと我れは思へど月ぞ経にける
      (於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流)
 「真楫(まかじ)しじ貫き」は「たくさんの梶をとりつける(穴に通す)こと」をいう。出航の準備を整えること。「真楫」の真は美称。「大船にたくさんの梶を取り付け、いつでも出発出来ると機をうかがっているつもりでいる内に、いつのまにか月替わりしてしまった」という歌である。

3680  夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦響めさ牡鹿鳴くも
      (欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母)
 「夜を長み」は「~ので」の「み」。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山彦響(とよ)め」は「やまびこを轟かせ」という意味。「さ牡鹿」は強意の「さ」。「夜が長いので寝るに寝られないでいると、やまびこを轟かせ牡鹿が鳴き立てる」という歌である。

 頭注に「肥前國松浦郡狛嶋の亭に舶泊せし夜、遥かに海浪を望み、おのおの旅をいたんで作った歌七首」とある。
 肥前國松浦郡は現在、佐賀県及び長崎県にまたがる郡。狛嶋(こましま)の亭(とまり)は、佐賀県唐津市の神集島(かしわじま)のことと言われており、船はその島の周辺に停泊したとみられる。
3681  帰り来て見むと思ひし我が宿の秋萩すすき散りにけむかも
      (可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。「故郷に無事に帰ってきたら見ようと思って出た家の庭の秋萩やすすきは今頃は散ってしまっただろうか」という歌である。
 左注に「右の一首は秦田麻呂(はだのまろ)の歌」とある。

3682  天地の神を祈ひつつ我れ待たむ早来ませ君待たば苦しも
      (安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母)
 「神を祈(こ)ひつつ」は「神々にお祈りしつつ」である。故郷の彼女の立場からの歌。「天地の神々にあなたのご無事を祈って待っています。どうか早く帰っておいでなさい。こうして待つのは苦しゅうございます」という歌である。
 左注に「右の一首は娘子(をとめ)の歌」とある。

3683  君を思ひ我が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避くる日もあらじ
      (伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自)
 「我が恋ひまくは」は「恋する心は」という意味。「あらたまの」は枕詞。「避くる日もあらじ」はちょっと洒落た表現。「苦しみから逃れる日はありません」という意味である。「あなたのことを思って恋い焦がれる気持ちは、新しく月が変わってもその苦しみから逃れようがありません」という歌である。

3684  秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐の寝らえぬもひとり寝ればか
      (秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可)
 「長みにかあらむ」は「~ので」の「み」、「にかあらむ」は「せいであろうか」で、すなわち「長いせいであろうか」という意味である。「秋の夜が長いせいであろうか、どうしてここは寝るに寝られないのか、いやいやひとりで寝るからだろうか」という歌である。

3685  足日女御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ
      (多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都<倍>伎 月者倍尓都々)
 「足日女(たらしひめ)」は神功皇后のこと。第十四代仲哀天皇の皇后で、朝鮮半島に進出して新羅、高句麗、百済を降伏させたという、いわば三韓征伐で名高い皇后。松浦半島一帯は皇后にちなむ伝説の多い所。「松浦」を「待つ浦に」にかけ、第四句の「妹が待つべき」を導く序歌になっている。「足日女(たらしひめ)の御船が泊まったという松浦の海、彼女が待っているに相違ない月も無情に去っていく」という歌である。

3686   旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも
      (多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母)
 「思ひ絶えても」は「思いが断たれても」すなわち「諦められても」という意味。「妹し」は強意の「し」。「旅の身なのでたいていのことは諦めがつくのだが、家に残してきた妻のことだけは思うと悲しい」という歌である。

3687  あしひきの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて来ね
      (安思必奇能 山等妣古由留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「雁がねは」は「雁よ雁よ」という呼びかけ。「
山を飛び越えていく雁よ雁よ。奈良の都に飛んでいったなら妻に逢ってきておくれ」という歌である。
           (2016年7月8日記)
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万葉集読解・・・233(3688~2699番歌)

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     万葉集読解・・・233(3688~2699番歌)
 頭注に「壹岐嶋に到って雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が突然鬼の病に遇い死去せし時に作った歌一首並びに短歌」とある。
 壹岐嶋は長崎県。雪宅麻呂は3644番歌に「大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも」という歌がある。鬼の病はよく分からないが、突然死だったのだろう。
3688番長歌
天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君
      (須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國尓 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多祢可 多太未可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知祢能 波々尓麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴礼婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝<妣>等波 麻知故布良牟尓 等保能久尓 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我祢乃 安良伎之麻祢尓 夜杼理須流君)

 「遠(とほ)の朝廷(みかど)と韓国に」とあるが、「遠い朝廷(国)の韓国」という意味か、神功皇后の三韓征伐伝説にちなんでの表現なのかはっきりしない。「家人の」は故郷の家人。「斎(いは)ひ待たねか」は「お祈りが十分でなかったのか」という意味である。「正身(ただみ)かも」は「当の本人に」。「秋さらば」は「秋になれば」。「たらちねの」は枕詞。
 「天皇の命を受けて遠い国(ないしは属国という意味か(?))の韓国に渡ろうとしたわが同僚は、一家のお祈りが十分でなかったのか、あるいはご当人に何か落ち度があったのだろうか。秋になれば帰ってきますと母に申して家を出た。時は過ぎ、月も経たので、今日は帰るか、明日は帰るかと、一家の人は待ち焦がれていただろうに、遠い国にいまだ到着せず、大和から遠く離れた、ここ岩が根を張る荒々しい島に永遠に宿ることになってしまった君」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3689  岩田野に宿りする君家人のいづらと我れを問はばいかに言はむ
      (伊波多野尓 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和礼乎 等波婆伊可尓伊波牟)
 「岩田野(いはたの)」は長崎県壱岐島の東南部石田町。「岩田野に眠っておられる君、もしも家の人が、どこにいるの、と訊ねたらどう答えよう」という歌である。

3690  世間は常かくのみと別れぬる君にやもとな我が恋ひ行かむ
      (与能奈可波 都祢可久能未等 和可礼奴流 君尓也毛登奈 安我孤悲由加牟)
 「世間は」は原文に「与能奈可波」とあるとおり「よのなかは」と読む。「常かくのみと」は「いつもこんなふうに」という意味である。「もとな」は「はかなく」。「世の中はいつもこんなふうに別れが来るものなのか。いなくなった君にはかなく思いを負いながら私は旅を続けなければならないのか」という歌である。
 左注に「右の三首は挽歌」とある。

3691番長歌
天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ
      (天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安<佐>都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊悌見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登<乃>奈氣伎<波> 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布<伎>弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟)
 「天地と」は「天地のように」、「ありけむものを」は「このまま無事でいると」という意味。「はしけやし」は「ああ、いたわしや」という副詞表現。「裳の裾ひづち」は「裳の裾を濡らし」。「幸(さき)くしも」は「無事であると信じて」という意味。「君にあれやも」は「君ではあるまいに」という意味である。「仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて」は「仮の宿をこさえて」。
 「天地のようにいつまでもこのままでいるだろうと思っていたのに、ああ、いたわしや。故郷の家を離れ、波の上を難渋しながらやってきて、月日も経ち、雁も次々にやってきては鳴いた。母上や妻も、朝露を受けて裳の裾を濡らし、夕霧に着物の袖を濡らしながら、無事であると信じてその帰りを門に出て待っているだろうに。こんな世間的な嘆きを知らぬ君ではあるまいに。秋萩が散る野辺にススキの初尾花を葺いて仮の宿をこさえ、故郷から遠く雲の彼方に離れ、国の辺境で露霜降りる、こんな寒い山辺に眠ってしまったのだなあ、君は」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3692  はしけやし妻も子どもも高々に待つらむ君や島隠れぬる
      (波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加尓 麻都良牟伎美也 之麻我久礼奴流)
 「はしけやし」前歌参照。「島隠れぬる」は「島で隠れた」すなわち「島で死去した」こと。「ああ、いたわしや。妻や子供が今か今かと待っているだろうに、この島で君は亡くなってしまった」という歌である。

3693  黄葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
      (毛美知葉能 知里奈牟山尓 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母)
 「人し」は強意の「し」。「黄葉(もみじば)が散り敷く山に眠っている君を帰ってくるものと信じて待っている人こそ悲しい」という歌である。
 左注に「右の三首は葛井連子老(ふぢゐのむらぢこおゆ)が作った挽歌」とある。

3694番長歌
わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人の ほつての占部を 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路に 別れする君
      (和多都美能 <可>之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武等須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美)
 「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。「畏(かしこ)き道を」は「恐ろしい道を」。「喪(も)なく行かむと」は「凶事もなく」すなわち「無事に行こうと」という意味である。「ほつての」は「秀つ手」すなわち「秀でた人」という意味。「肩焼きて」は鹿の骨ないし亀の甲羅を焼いて現れた形で吉凶を占う占い。
 「海神の司る恐ろしい道を難渋しながらやってきて、さあ今からは無事に行こうと、壱岐の海人(あまびと)の占いの名人に占ってもらった矢先、夢のように空の彼方に旅だってしまった君」という歌である。

 頭注に「反歌二首」とある。
3695  昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも
      (牟可之欲里 伊比<祁>流許等乃 可良久尓能 可良久毛己許尓 和可礼須留可聞)
 「昔より~韓国(からくに)の」は次句を導く序歌になっている。「昔から言われてきた韓国にわたるつらさのように、つらくもここで君と別れることになるとは」という歌である。

3696  新羅へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも
      (新羅奇敝可 伊敝尓可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可祢都母)
 「~壱岐の島」も次句を導く序歌になっている。「たどき」は「手段」。「壱岐の島から、さあ、新羅へ向かうか家に帰るかどうしていいか思い悩む」という歌である。
 左注に「右の三首は六鯖(りくせい)が作った挽歌」とある。

  頭注に「對馬嶋に到り、淺茅浦に舶を停泊したとき、天候不順で五日間そこに泊まった。そこで風物を望み心を痛めて各人が作った歌三首」とある。淺茅浦は対馬の中央部南側にある浅茅湾のことであろう。
3697  百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり
      (毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里)
 「百船(ももふね)の」は「数多くの船」。浅茅山は地元に持山、城山、遠見岳等々小さな山がいくつもあってどの山のことか未詳。「もみたひ」は「紅葉」のこと。「数多くの船が停泊する対馬の浅茅山、しぐれの雨に紅葉してきた」という歌である。

3698  天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける
      (安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流)
 「天離る鄙(ひな)」は「遠く離れた辺境の地」という意味である。「遠く離れた辺境のこの地にも月は皎々と照っている。思えば彼女と別れて遠くここまでやってきたものだ」という歌である。

3699  秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ
      (安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟)
 「秋されば」は「秋になると」という意味。「あへずして」は「抗しきれず」。「秋になると降りてくる露や霜に抗しきれず、故郷の都の山は紅葉してきたことだろう」という歌である。
           (2016年7月9日記)
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巨きな向日葵

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 昨日、近在の牛丼店に寄っての帰り、巨大な向日葵を見かけた。あまりに巨大だったので、一瞬ひまわりと気づかなかった。ために、いったん通り過ぎた。が、すぐに向日葵に相違ないと思い直し、車のハンドルを切り返した。
 通常、見かける向日葵はたぶん園芸種で、直径5~10センチ程度の花である。が、その時、間近に見た花は信じがたいほど巨大な花だった。なんと直径1m余もあり、おそらく1.5m近くもあっただろう。背丈は3m前後、私はその巨大さに圧倒され、不思議な生き物を見る思いに打たれた。
    がんがんと踏切音が鳴り響き巨大向日葵風に揺らげり
    仰ぎ見し巨き向日葵笑みかくる我が存在を慈しむごと
 向日葵ってのはこんなに巨きくなる花なんですね。これまで椙山学園高校等で数回見かけたことはあるが、こんなに巨きなのは初めてだ。
 人間、こういう異常に巨きい存在に出会うと、圧倒されるばかりでなく、そこはかとなく、大宇宙の力を感じないでいられない。しかも巨大な太陽に対し、首を回して敢然と顔を向け続けるという花だと言うのだからなおさらだ。
 小さな向日葵はそれなりに可愛い花で、路傍に見かける。が、これだけ巨きくなると、不思議に見えない力を感じる。古語に「神さぶる」という用語があるが、まさに「神さぶる花」である。自分の生き方や考え方が傲慢になったり、異常に昂揚したときなど、こうした「神さぶる花」に出会ったときのことを思い返してみると、心が落ち着き、謙虚になれるかもしれません。
     怒髪天突く阿修羅像甚目寺脇の向日葵の花
 突然、甚目寺を訪ねたときの光景が頭をよぎった。
            (2016年7月10日)
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参院選を終えて

政治経済等時事問題おしゃべり
 参議院議員通常選挙(7月10日)が終わり、早々と結果が報じられた。民進党や共産党等の野党勢力には残念な結果だった。そして昨年暮れに強行採決して横暴に思えた自民党や公明党が伸びたことは私自身も残念で仕方なかった。
 ちなみに今朝からWEBを漁って参議院の傾向を探ってみたいと思い、過去5回の推移をまとめてみた。
 各政党への得票率と獲得議席数の関係に着目すると、最高で40%どまりである。前回選挙の場合、自民党は34.68%で獲得議席は過半数の65議席を獲得している。今回の場合はまだ得票率は分からないが、前回より少ない獲得議席(56議席)なので得票率は30%前後と木される。民進党が第一党を獲得した時も似たような傾向で、21回(2007年7月)の場合、比例区の得票率だが、40%近くしかなくとも、獲得議席は約半数(60議席)に達している。
 「民意をストレートに反映しない選挙制度に問題がある」という言い方も出来ようが、それよりも、今回の参院選の投票率は、朝日新聞社の集計によれば、わずかに54・70%。期日前投票が増加しているにもかかわらず、過去4番目の低さだったという。
 いくら世論が盛り上がろうと、これでは風が吹きにくいだろう。
 私は最低でも70%の投票率がないと、民意を反映したことにならないんじゃないかと思う。
 声だけあげてお祭り騒ぎを行っても、実際に投票を行わない限り、国会議員だけの多数決でよし、ということになりかねない。が、どうあろうと結果は与党が過半数を握ったことは素直に認めなければならない。作成した表が今後の何らかの参考になれば幸いである。
              (2016年7月11日)
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満11歳

 みなさん、お久しぶり。前回お正月のご挨拶をして以来ですから半年ぶりですね。半年間(ボケダヌキ君の勝手な理屈によると6倍すると人間様の年齢になるってんだから3年間)も音沙汰なしですから「とっくに死んだと思っていた」ですって。そんなに安易に殺さないでね。嘘でもいいから「チビ君、心配してたよ」って言ってもらうとうれしいな。
 さて、おいらもこの7月9日で満11歳を迎えました。ボケダヌキ君流の計算によると、66歳を迎えたってわけ。最近、ボケダヌキ君がおいらを呼ぶときの口癖は「おい、老いぼれチビ!」である。これまでは「チビちゃん」だの「チビ君」だのと呼んでいたのと比べると、「おい、老いぼれチビ!」は酷すぎますよね。自分のことを棚に上げて「老いぼれ」はないですよね。
 悲しいかな、おいらはボケダヌキ君に養ってもらってる身。「おい、老いぼれダヌキ!」と言い返したいが、それが出来ない。さりとて、「ご主人様」などというこびへつらうような言い方はできない。たとえ殺されたって。
 今も「おい、老いぼれチビ!」と呼びつけられたけど、いつもどおり答えてやった。
 「なによ、ボケ君」
 「おい、老いぼれチビ!。最近大人しいな。老いぼれたか」
 こんな失礼な問いかけには答えようがない。
 「ボケ君だって似たようなもんじゃないの」
 「まあな。おい、老いぼれチビ!、老いぼれチビ!って呼んでないと心配なのさ」
 なんてことはない。おいらがひそかにボケ君を心配しているように、ボケ君もおいらのことを心配してたんだ。
 さすが、毎晩添い寝している仲だよ。
   口悪いボケくん情があるのかな
自分でこけチビのせいとボケダヌキ
ただ、ひとこと。おいらの年齢を勝手に6倍もしないでほしいな。
(2016年7月13日記)
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万葉集読解・・・234(3700~3717番歌)

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     万葉集読解・・・234(3700~3717番歌)
  頭注に「竹敷の浦に舶を停泊させた時、各々の心情を陳べて作った歌十八首」とある。竹敷(たかしき)の浦は長崎県対馬市(島)を南北に隔てる浅茅湾。
3700  あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも
      (安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山下光る黄葉(もみちば)の」は「山裾の方まで光り輝くもみじが」という意味。「散りの乱(まが)ひは」は「散り乱れる様」。「もみじが山裾の方まで光り輝き、散り乱れるのは今真っ盛り」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。3656番歌参照。

3701  竹敷の黄葉を見れば我妹子が待たむと言ひし時ぞ来にける
      (多可之伎能 母美知乎見礼婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曽伎尓家流)
 竹敷(たかしき)は前歌頭注参照。「竹敷(たかしき)の黄葉を見ていると、彼女が、このころにはお帰りになるんですね、と言った、その時節がやってきたんだなあと思う」という歌である。
 左注に「右の一首は副使の歌」とある。副使は大伴宿禰三中。「続日本紀」天平九年(737年)の条に「副使従六位下大伴宿禰三中染病、不得入京」とある。病気になり、帰京できなかったことがわかる。

3702  竹敷の浦廻の黄葉我れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ
      (多可思吉能 宇良<未>能毛美知 <和>礼由伎弖 可敝里久流末悌 知里許須奈由米)
  竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。「なゆめ」は「~しないで決して」という意味。「竹敷の浦辺に色づく黄葉よ。私が新羅に行って戻って来るまで、散らないでおくれ、決して」という歌である。
  左注に「右の一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。

3703  竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも
      (多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞)
 竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。宇敝可多山(うへかたやま)は所在不詳。「八しほ」は「幾度も染める」こと。「竹敷の宇敝可多山の紅葉は幾度も染めたように色濃くなったもんだな」という歌である。
                                         左注に「右の一首は小判官の歌」とある。ここの小判官は大蔵忌寸麿(おおくらのいみきまろ)。

3704  黄葉の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり
      (毛美知婆能 知良布山邊由 許具布祢能 尓保比尓米悌弖 伊悌弖伎尓家里)
 「散らふ」は「散りつづく」こと。「山辺ゆ」は「~から」という「ゆ」。「にほひにめでて」は「景色がきれいなので」という意味である。「にほひ」は通常「染まる」とか「染める」という意味だが、「美しい景色」のこともいう。「黄葉が散り続いている山の麓から、あまりに景色がきれいなので、船を漕いでやってまいりました」という歌である。

3705  竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君がみ船をいつとか待たむ
      (多可思吉能 多麻毛奈<婢>可之 己<藝>悌奈牟 君我美布祢乎 伊都等可麻多牟)
  竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。「いつとか待たむ」は「いつになるか分かりませんが待ちます」という意味である。つまりこれから新羅に向かうことを言っている。「竹敷の玉藻を靡かせながら(新羅へと)漕ぎ出して行かれるあなた様の御船、お帰りはいつになるか分かりませんがお待ちします」という歌である。
 左注に「右二首は對馬の娘子(をとめ)の歌。名を玉槻(たまつき)という」とある。

3706  玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む
      (多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和礼由久 可反流左尓見牟)
 「飽かず」は「見飽きないのに」という意味。「玉を敷き詰めたような美しい渚に潮が満ちてくる。その光景を見飽きないまま(新羅へ)向かう。帰りに必ず見よう」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。3656番歌参照。

3707  秋山の黄葉をかざし我が居れば浦潮満ち来いまだ飽かなくに
      (安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎礼婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久尓)
 読解不要の平明歌だろう。「秋山の黄葉をかざして眺めていると、浦に潮が満ちてきた。いまだ見飽きないというのに」という歌である。
 左注に「右の一首は副使の歌」とある。副使は大伴宿禰三中。3701番歌参照。

3708  物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経にける
      (毛能毛布等 比等尓波美要<緇> 之多婢毛能 思多由故布流尓 都奇曽倍尓家流)
 「下紐の下ゆ」は秘めた思いの表現か。「~から」の「ゆ」。「物思うと人には分からないようにしているが、心密かに恋続けている内に月が経ってしまった」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3709  家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ
      (伊敝豆刀尓 可比乎比里布等 於伎敝欲里 与世久流奈美尓 許呂毛弖奴礼奴)
 「家づとに」は「家への土産に」という意味。「家への土産に貝を拾おうとしたら沖から寄せてきた波に着物の袖が濡れてしまった」という歌である。

3710  潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ
      (之保非奈<婆> 麻多母和礼許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴)
 「またも我れ来む」は「ここ海岸にまた来よう」という意味である。「潮が干いたらまたこの海岸に来よう。沖の潮騒が高くなってきたのでさあ船に戻ろう」という歌である。

3711  我が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ
      (和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比 等良受波由可自)
 読解不要の平明歌。「波が手元を伝ってきて袖が濡れようと、恋の憂さを忘れさせてくれるという忘れ貝を取らないでは行かれない」という歌である。

3712  ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
      (奴<婆>多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久尓 和我許呂母弖乎 奴礼弖伊可尓勢牟)
 「ぬばたまの」は本来夜にかかる枕詞。だが、ここは夜そのものを指す。「わたつみの」が海そのもを指すのと相似した用法。「夜、妻が干してくれるだろうその妻がいない今、この濡れた着物の袖をどうしたらよかろう」という歌である。

3713  黄葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば
      (毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆)
 「今はうつろふ」は「今散ってゆく」ことをこう表現した。「(美しい)黄葉は今散ってゆく頃になった。(秋までには帰ってくると)妻に言って家を出たが、それを待つ時節も今過ぎてゆく」という歌である。

3714  秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも
      (安<伎>佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞)
 「秋されば」は「秋になると」。「恋しみ」は「~ので」の「み」。つまり「恋しさがつのるので」という意味。「秋がやってくると恋しさがいっそうつのり、夢だけでも長らく見続けていたいのに、夜はさっさと明けてしまった」という歌である。

3715  ひとりのみ着寝る衣の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして
      (比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多礼可毛由波牟 伊敝杼保久之弖)
 「誰(た)れかも結はむ」は「いったい誰が結んでくれよう」という意味である。「ひとりだけで着て寝るこの着物の紐を解いたなら、いったい誰が結んでくれよう。家は遙か遠いのに」という歌である。

3716  天雲のたゆたひ来れば九月の黄葉の山もうつろひにけり
      (安麻久毛能 多由多比久礼婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比尓家里)
 「天雲の」は「天雲のように」という比喩。九月は現在の十月ないし十一月。「うつろひにけり」は「散ってしまった」という意味。「天雲のように漂いながらここまでやってきたが、九月の黄葉の山はすっかり散ってしまったなあ」という歌である。

3717  旅にても喪なく早来と我妹子が結びし紐はなれにけるかも
      (多婢尓弖毛 母奈久波也許登 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞)
 「旅にても喪なく」は「出立なさってもなにごともなく」という意味である。「なれにけるかも」は「すっかりしおれてしまった」という意味。「出立なさってもなにごともなく、早く帰っていらしてね、と妻が言いつつしっかり結んでくれた着物の紐もすっかりしおれてしまった」という歌である。
           (2016年7月14日記)
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奇遇家島

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 遙か1300年ほども前、奈良時代初期の天平年間に遣新羅使が派遣された。大和を出て、瀬戸内海を通り、北九州から対馬を通って大陸に渡り、役目を終えて、また大和に帰ってくる大変な旅である。その心情の一端が万葉集の歌にこめられている。現在、そこにこめられた古代人の心情を扱っている。
 さて、役目を終えて帰国する時の歌は3718番歌から始まり、次回に発表できると思うが、その頭注(というより解題)に「一行は兵庫県姫路市の家島に立ち寄ったこと」が記されている。私はこの記述を見て大変驚いた。というのも私自身8年前(平成20年9月)に同島を訪れているからである。
 日本に島の数は約7000島にも達する。有人島だけでも300島ほどもある。私が訪れたのはそのほんの一部だが、家島はわずか5k屬両さな島。その島に古代人の一行が立ち寄った!。佐渡島、淡路島、対馬といった有数の島なら分かる。が、わずか5k屬硫氾腓妨新羅使一行も、この私自身も立ち寄った。奇遇と言わずになんと言おう。
 むろん、当時は万葉集の「ま」の字も私の頭になかった。私が万葉集に関心を向けたのは3年も経った後からである。
 が、古代人の一行が約7000島にも達する島の一つに船を沖に停泊させて立ち寄った、その島に私自身が訪れていたのだ。詳細は本ブログの離島欄にアップしてあるので、興味のある向きはそちらに寄られたい。本当に奇遇ですね。思わぬところで古代人の見た場所と重なったものである。こういうことは本文に書きづらく、さりとて、この奇遇は愉快でたまらず、ここに一文を弄させてもらうことにした。
 遠い遠い時空を越え、しかも、何ら意識することなくつながる。こんなことってあるんですね。家島の名に出会ったとたん訪れた日のことがまざまざとよみがえった。
            (2016年7月15日)
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献血が趣味

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 先日、英会話クラブの行事で、短い、Free Talkingの時間があり、私はあるメンバーと話す機会を得た。お互いに自己紹介を交わしたとき、彼は言った。
 「僕の趣味は献血なんですよ」
 えっである。わが耳を疑った私は即座に問い返した。
 「何ですって、献血が趣味?」。
 献血といえば、数年に一回しか行った経験しかない。職場に献血車がやってきて乗り込み、献血するのだが、私の記憶によれば、献血車がやってくるのは数年に一回。いくら多くても年に一回だった。そんなものが趣味?。が、何度聞き返しても答えは同じだった。「献血が趣味」で、それが唯一の趣味。他に趣味はないという。
 話を聞いてみると、献血は二週間に一回行っているという。そんなに頻繁に行っても大丈夫ということだそうである。血小板成分献血と血漿成分献血とあって、合計で24回以内なら大丈夫だという。
 「なぜそんなに献血するんですか」と聞くと、彼は答えた。
 「楽しいからでしょうね。敢えて言えば、こんな僕でも、人の役に立っていると思えるからかな」
 私には返す言葉がなかった。この私には「敢えて言えば、人の役に立っていると思えるからかな」などと言えるような経験はなかったし、思ったこともなかったからである。
 時間の限られたFree Talking。これ以上のことは聞けなかった。彼の名も職業も知らない上に、例会に滅多に顔を出さないメンバーだった。今後いつ話す機会があるか分からない。「敢えて言えば、人の役に立っていると思えるからかな」とは何と格好いい言葉だろう。が、自分にはこんな格好いい言葉を吐けるだけの持ち合わせがない。
            (2016年7月15日)
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万葉集読解・・・235(3718~3735番歌)

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     万葉集読解・・・235(3718~3735番歌)
  頭注に「筑紫に到りきて、海路を入京せんとして播磨國の家嶋に寄ったとき作った歌五首」とある。家島は兵庫県姫路市に所属する島。
3718  家島は名にこそありけれ海原を我が恋ひ来つる妹もあらなくに
      (伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓)
 新羅への使いを果たし、大和に向かう帰途、播磨國の家島に立ち寄った時の歌。それを踏まえて読めばすんなり頭に入ってくる。「家島という名に心惹かれて、海原をこえてやってきた。その島に彼女がいるわけではないけれど」という歌である。

3719  草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく
      (久左麻久良 多婢尓比左之久 安良米也等 伊毛尓伊比之乎 等之能倍奴良久)
 「草枕」は枕詞。「久しくあらめや」は「長くはあるまいと」という意味。「これから旅に出るが、そんなに長くはあるまいと、妻に言って家を出てきたが、いや、もう年を越してしまった」という歌である。

3720  我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも
      (和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母)
 「雲居に見えぬ」は否定ではなく「雲のかかっているあたりに見えてきた」という意味である。「家つくらしも」は「家が近くなってきたらしい」という意味。「早く帰って彼女に逢いたいな。雲のかかっているあたりに淡路島が見えてきた。家が近くなってきたらしい」という歌である。

3721  ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ
      (奴婆多麻能 欲安可之母布<祢>波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「御津」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す。「夜が明けてきたらしい。が、船はこのまま漕ぎ進めよう。御津の浜辺の、あの松並木もわれらを待ち焦がれているだろうから」という歌である。

3722  大伴の御津の泊りに船泊てて龍田の山をいつか越え行かむ
      (大伴乃 美津能等麻里尓 布祢波弖々 多都多能山乎 伊都可故延伊加武)
  御津は前歌参照。龍田山は奈良県生駒郡の山の一つ。「大伴の御津の港に船を泊め、大和に入るあの龍田の山をもうすぐ越える所まできた」という歌である。

 頭注に「中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)の贈答歌」とある。宅守は中臣一族の一人で、中臣東人(あずまびと)の子。その東人は、長屋王(ながやのおほきみ)が国家を転覆せんと企んでいる、と密告した人物ということになっている。狭野弟上娘子は伝不詳。なお、万葉集巻15の目録には「宅守は越前国(福井県東部)に罪流された」との記載がある。
3723  あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
      (安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許々呂尓毛知弖 夜須家久母奈之)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「心に持ちて」は「心にあって」という意味。「山道を越えて行こうとされるあなたが心に引っかかって心が安まりません」という歌である。

3724  君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
      (君我由久 道乃奈我弖乎 久里多々祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母)
 「繰り畳ね」は長く続く道を長いむしろに見立てた表現、「天の火もがも」は「天の火があったらなあ」という意味。「あなたが行く道の長さを思うと、それを折り畳んで焼き滅ぼしてしまいたい。そんな天の火があったなら」という歌である。

3725  我が背子しけだし罷らば白栲の袖を振らさね見つつ偲はむ
      (和我世故之 氣太之麻可良<婆> 思漏多倍乃 蘇悌乎布良左祢 見都追志努波牟)
 宅守(やかもり)の配流の件を知っての歌。「背子(せこ)し」は強意の「し」。「白栲(しろたへ)の」は袖の美称ないし「真っ白な」という意味。「私のあなた、もしも遠くの国へ行っておしまいになるなら、真っ白なその袖をお振りになって下さい。それを記憶にとどめてあなたのことを心に刻んでおきます」という歌である。

3726  このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし
      (己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思)
 「このころは」は「今はまだ」という意味。玉櫛笥(たまくしげ)は櫛箱、玉は美称。次句の「明けて」を導く序句。「をちより」は「をちこち」の「をち」で「遠く」、以降の意。「今はまだ、(あなたがいらっしゃるので)恋したしんでいればいいのですが玉櫛笥の蓋を開けるように夜が明けたならそれ以降はどうしようもありません」という歌である。
 左注に「右の四首は娘子が別れに臨んで作った歌」とある。

3727  塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
      (知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐)
 「塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ」は「ものの数にも入らない」という意味。「思ひわぶ」は「思ひわび」のことで「わびしい」。「塵泥のようにものの数にも入らない私がごときもののためにわびしい思いをして悩む、彼女がいとしい」という歌である。

3728  あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり
      (安乎尓与之 奈良能於保知波 由<吉>余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利)
 「あをによし」は枕詞。「行きよけど」は「とおりやすいが」という意味。「あをによし奈良の都大路は通り易いが、この山道はなんと通り難いことだろう」という歌である。

3729  うるはしと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ
      (宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武)
 「うるはし」は「美しく輝かしい」という意味。「もとな」は数多くの例がある。「心許ない」、「しきりに」といった意味。ここでは2974番歌の「紫の帯の結びも解きもみずもとなや妹に恋ひわたりなむ」をあげておこう。「美しく輝いていると私が思っている彼女に心惹かれつつ行くからだろうか、心もとなくこのまま行きづらい」という歌である。

3730  畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ
      (加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都)
 「畏(かしこ)みと」は「~ので」の「み」、「恐れ多いからと」という意味。「告(の)らずありしを」は「口に出さずにきたが」ということ。「み越道(こしぢ)の」は「越前国(福井県東部)への道」。「手向けに立ちて」は幣巾(お供え物)を捧げる場所、すなわち「道祖神にお供えをする場所(通常、峠の頂上ある)に立って」という意味である。「恐れ多いからと口に出さずにきたが、越前を目指す峠にさしかかった。旅の無事を願って道祖神にお供えをする段になって、とうとう彼女の名を口に出してしまった」という歌である。
  左注に「右の四首は中臣朝臣宅守(やかもり)が旅だって行く時に作った歌」とある。

3731  思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目離れて我れ居らめやも
      (於毛布恵尓 安布毛能奈良婆 之末思久毛 伊母我目可礼弖 安礼乎良米也母)
 「思ふゑに」は「思ふゆゑに」の略。「しましくも」は「しばらくでも」という意味。
「思う故に逢えるものならば、しばらく彼女に逢わずにいられようが」という歌である。「私は流されていく身。思っても再会できぬかもしれない」という含意がある。

3732  あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ
      (安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能<未>之奈加由)
 「あかねさす」及び「ぬばたまの」は、共に枕詞。「すがら」は「夜もすがら」の「すがら」で「~通し」。「昼は物思いに沈むばかり、夜は夜通し声を上げて泣きたいばかり」という歌である。

3733  我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし
      (和伎毛故我 可多美能許呂母 奈可里世婆 奈尓毛能母弖加 伊能知都我麻之)
 平明歌。「彼女の形見の着物がなかったならば、何をもって私は命をつなぐことができよう」という歌である。

3734  遠き山関も越え来ぬ今さらに逢ふべきよしのなきがさぶしさ [一云 さびしさ]
      (等保伎山 世伎毛故要伎奴 伊麻左良尓 安布倍伎与之能 奈伎我佐夫之佐 [一云 左必之佐])
 「関も越え来ぬ」の関は愛発関(あらちのせき)という。近江国(滋賀県)と越前国(福井県)の国境に作られた。東海道の鈴鹿関と東山道の不破関とともに古代の三関とされた。ここを越えると宅守(やかもり)の配流先となる。「遠い山も関も越えてやってきた。この期に及んでは彼女に逢える手段もない。本当に寂しい」という歌である。異伝歌は結句の末の「さぶしさ」が「さびしさ」となっている。

3735  思はずもまことあり得むやさ寝る夜の夢にも妹が見えざらなくに
      (於毛波受母 麻許等安里衣牟也 左奴流欲能 伊米尓毛伊母我 美延射良奈久尓)
 「思はずも」は「思わないことが」という意味。「見えざらなくに」は「見えないことはない」で二重否定、つまり「見えて仕方ない」という意味である。「あなたを思わずにいるなんてことが本当にあるだろうか。毎夜寝る夢の中にさえ彼女が見えて仕方がないのに」という歌である。
           (2016年7月19日記)
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サマーセミナー

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 今年も愛知サマーセミナーが開催された。第28回目だ。「誰でも参加、誰でも講師」をモットーとする巨大なセミナーである。その講座数は2100にも及ぶ。今年の会場は東海学園大学及び高等学校だった。
 実は、このセミナーに私が所属している「古田史学の会・東海」も参加している。この関係で私も参加するようにしている。私自身も講師を務めたことがある。今年の講座名は「教科書が教えない古代史」で、7月17日に行われた。
 さて、会場となった東海学園高等学校は地下鉄原駅から徒歩で15分ほどかかる。よたよた歩きの私の足だと30分ほどもかかる。最高気温34度に達する炎天下、重い足取りで会場までたどりつくのは決して楽ではなかった。しかし、汗だくだくで会場に向かう私の執念は何だろう、と思うと、足を止めることはなかった。
 誰によらず、学びの場に身を置く、どこか説明のつかない喜びのようなものが支配した。キザな言い方だが、人間、一生が学びの場なのである。向学心に燃える情熱は誰にでも備わっているに相違ない。ましてこれから社会を目指す、高校生や大学生はあふれんばかりの向学心に燃えているに相違ない。
 こんな次第で、愛知サマーセミナーのような巨大な行事の進展は、老若男女に渡る幅広い人々に、計り知れない影響を与えていくことだろう。実際、不特定多数の視聴者(参加者)を相手に講師を務めようとする人は、それなりの知識や準備を余儀なくされるに相違ない。汗だくだくで会場に向かう私には、たんに自分が健康体であることの確認ばかりではないものがあったと思う。やはり「人間、一生が学びの場なのである」。気負いなどというものではなく、学びの場に身をおかんとする、その自分自身がそこにいる緊張感であり、喜びなのである。来年も出来るだけ参加を!と誓った熱い一日だった。
           (2016年7月20日)
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桃の実

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 去年の3月末、近在の手打ちそば屋さんに出かけた折り、桃の花に出会った。モコモコとして暖かい感じの花だった。昨日、相棒と一緒にやはりそのそば屋さんに寄った。むろんソバが食べたくなって寄ったわけだが、私にはもう一つ目的があった。モコモコとして暖かい感じの花を咲かせていた、あの桃の木はどうなったんだろう、という思いだった。
 むろん、3月~4月にかけて咲く花の季節はとっくに終わっている筈。だが、桃の木自体はある筈で、どんな木なのだろうと気にかけていた。私は花が散った後の桃の木を全く見たことがなく、一度是非お目にかかりたいと思っていた。
 さて、白状すると、久方ぶりに見る木のせいか、どれが桃の木なのか分からなかった。教えてくれたのは相棒だった。
 「あ、これ桃だよね。小さな実がついている」
 見ると、なるほど梅の実ないし一回り大きい程度の実をつけていた。桃の木に相違なかった。私は期待をこめて応じた。
 「桃の子はこんなに小さいんだ。これが、あの立派な桃になるんだろうね」
 私の頭に浮かんでいたのは、スーパーで見かける、両掌にずっしり重い、あの豊満な実だった。なんだか弱々しそうな葉っぱだが、これが本当にあの豊満な実になるのだろうか。スーパーで見るほど立派じゃないにしろ、桃は桃。あの実がこの木にぶら下がるんだ、と想像するだけで楽しくなる。
 「来月になったら見に来なくちゃなんないね」
    豊満な桃ぶら下がる時近し笑いさざめく乙女の気配
    いち早くはちきれん胸揺らし過ぐ乙女呼び来る桃の実近し
 桃の実の時節到来が待ち遠しくなるようないっときだった。
           (2016年7月22日)
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万葉集読解・・・236(3736~3753番歌)

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     万葉集読解・・・236(3736~3753番歌)
3736  遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな
      (等保久安礼婆 一日一夜毛 於<母>波受弖 安流良牟母能等 於毛保之賣須奈)
 平明歌。「遠く離れていて、一日や一夜は思わないこともあろうと思わないで。私は一日だって一夜だってあなたのことを思わないことはありません」という歌である。

3737  人よりは妹ぞも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ
      (比等余里波 伊毛曽母安之伎 故非毛奈久 安良末<思>毛能乎 於毛波之米都追)
 「人よりは」は「誰あろう」という表現。「恋もなくあらましものを」は「恋さえ知らなければこんな思いはしないのに」という意味。「誰あろう、あなたが悪い。この私が恋さえ知らなければこんな思いはしないのに、そうし向けさせたあなたが悪い」という歌である。この歌はあまり取り上げられないようだが、普遍性や平明さがあり、作者の思いがすんなり伝わってくる。石川啄木歌を思わせる、名歌中の名歌といってよいだろう。

3738  思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
      (於毛比都追 奴礼婆可毛<等>奈 奴婆多麻能 比等欲毛意知受 伊米尓之見由流)
 「もとな」は「しきりに」ないし「心もとない」。「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」という意味である。「あなたのことを思って寝るせいか、しきりに、一晩も欠かさず、あなたの夢をみる」という歌である。

3739  かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける
      (可久婆可里 古非牟等可祢弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曽 安流倍久安里家留)
 「かくばかり」は「こんなにも」。「妹をば見ずぞ」は「彼女に出会わなければjという意味である。結句の「あるべくありける」は「出会わずに済めばよかった」という意味。「こんなにも恋い焦がれ、苦しむと、かねて分かっていれば、彼女に出会わなければよかった」という歌である。

3740  天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ
      (安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米)
 「あらばこそ」は「あったなら」。「天地の神々がいらっしゃらなければわが恋する彼女に遇わないで死んでいけただろうに。神々が彼女に引き合わせてくれたばかりに・・・」という歌である。

3741  命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも [一云 ありての後も]
      (伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母 [一云 安里弖能乃知毛])
 「命をし全くしあらば」のしは強意、「この命が無事であったなら」という意味である。
「あり衣(きぬ)の」は枕詞説や「絹の着物」のほか諸説あってはっきりしない。全部で3例あるが、どの説もぴんとこない。枕詞説は広辞苑にものっていて「さゑさゑ」、「たから」、「あり」にかかるとしている。3例ともバラバラで、枕詞とは言いづらい。さりとて「絹の着物」では3例に通用しにくい。3481番歌に「あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも」がある。はっきりしないため、歌意から考えて「ありのままの着物」すなわち「普段着の着物」という意味ではないかと、私はした。本歌の場合は「あり衣(きぬ)の」は次句の「ありて後にも」を導く序句なのでどう解釈してもいい。
 「この命が無事であったなら、あり衣(きぬ)のありではないが、このまま生きていれば、再び遇わないことがありましょうか」という歌である。
 異伝歌には「ありて後にも」が「ありての後も」となっている。

3742  逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ
      (安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟)
 「その日と知らず」は「彼女に逢える日がいつか分からず」、すなわち「いつ逢えるとも分からないまま」という意味である。常闇(とこやみ)は「常時真っ暗闇の状態」。「逢える日が来るかどうか分からないまま真っ暗闇の中にいます。いつまで私は恋焦がれながらいなければならぬのだろう」という歌である。

3743  旅といへば言にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに
      (多婢等伊倍婆 許等尓曽夜須伎 須久奈久毛 伊母尓戀都々 須敝奈家奈久尓)
 「旅といへば言(こと)にぞやすき」は「旅と言葉でいえば簡単だが」という意味。「すくなくも」は「通常の旅のつらさに加えて少なくとも」という意味である。「旅と言葉でいえば簡単だが、私には、通常の旅のつらさに加えて少なくとも彼女に恋い焦がれてなすすべがない、というつらさや苦しみがあるのです」という歌である。

3744  我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし
      (和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思)
 「たまきはる」は枕詞。「短き」ではなく「命」にかかる。「我が彼女に恋い焦がれている私だが、その恋しさに苦しんで死ぬことがあっても、この短い命決して惜しいとは思いません」という歌である。
 左注に「右十四首は中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の歌」とある。3731~3744番歌。

3745  命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば
      (伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波)
 「はだな思ひそ」は「な~そ」の禁止形。「そんなに強く思い悩まないで下さい」という意味。「命があれば逢えることもありましょう。私のためにそんなに強く思い悩まないで下さい、生きながらえて下さいまし」という歌である。

3746  人の植うる田は植ゑまさず今さらに国別れして我れはいかにせむ
      (比等能宇々流 田者宇恵麻佐受 伊麻佐良尓 久尓和可礼之弖 安礼波伊可尓勢武)
 「人の植うる」は「人みなが植える」という意味。「今さらに」は「今になって」。「世間一般が植える田(結婚式)をお植えにならないで、今になって国を超えて行ってしまわれた。私はどうすればいいのでしょう」という歌である。
 相手(宅守)が流罪にあって国を離れざるを得なくなった事情を作者は十分に承知している。これを知って本歌を観賞すれば作者のどうしようもない悲しみが伝わってくる。

3747  我が宿の松の葉見つつ我れ待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに
      (和我屋度能 麻都能葉見都々 安礼麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀尓)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」。「松の葉」は「我れ待たむ」にかける。結句の「恋ひ死なぬとに」は「私が恋い焦がれて死なないうちに」という意味である。「我が家の庭の松の葉を眺めながらお待ちします。一刻も早くお帰り下さい。私が恋い焦がれて死なないうちに」という歌である。

3748  他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに
      (比等久尓波 須美安之等曽伊布 須牟也氣久 波也可反里万世 古非之奈奴刀尓)
 「速(すむや)けく」(すみやかに)と「早帰りませ」と同意語を二つ並べて心情を強調している。「恋ひ死なぬとに」は前歌参照。「他国は住みにくいと申します。出来るだけ早く、早くお帰りなさいませ。私が恋い焦がれて死なないうちに」という歌である。

3749  他国に君をいませていつまでか我が恋ひ居らむ時の知らなく
      (比等久尓々 伎美乎伊麻勢弖 伊<都><麻>弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久)
 平明歌。「他国にあなた様をやってしまって、いつまで私は恋い焦がれていればよいのでしょう。いつ果てるとも知らないまま」という歌である。

3750  天地の底ひのうらに我がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ
      (安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自)
 「底ひのうらに」は「極みの内に」すなわち「天地ひろしと言えど」という意味である。「さねあらじ」は「実あらじ」で「現実にはないでしょう」。「天地ひろしと言えどこの私のようにあなたに恋い焦がれている人は決してないでしょう」という歌である。

3751  白栲の我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢ふまでに
      (之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。下衣(したごろも)は下着の着物か。「私が差し上げた真っ白な下着の着物、なくさないように持ってて下さいな、あなた。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。

3752  春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも
      (波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母)
 「うら悲しきに」は「心悲しいうえに」という意味。「後れ居て」は「取り残されて」。「うつし」は「現し」で「正気で」という意味。「春の日のもの悲しい上に、一人取り残されて終始あなたを恋い焦がれていて正気でいられるものでしょうか」という歌である。

3753  逢はむ日の形見にせよとたわや女の思ひ乱れて縫へる衣ぞ
      (安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽)
 「せよと」は「して下さい」。「たわや女(め)」は「か弱い女」。「逢える日が来るまでの形見にして下さいと、か弱い女の身の私が思い乱れつつ縫い上げた着物です、これは」という歌である。
 左注に「右の九首は娘子(をとめ)の歌」とある。いうまでもなく娘子は狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)。
           (2016年7月23日記)
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万葉集読解・・・237(3754~3770番歌)

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     万葉集読解・・・237(3754~3770番歌)
3754  過所なしに関飛び越ゆる霍公鳥誰が子にもやまず通はむ
      (過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟)
 過所は関を越える時必要な通行手形。第4句「誰が子にも」の原文は「多我子尓毛」。この句古来から難訓とされ、確定していない。第一に、七音の句なのに五音しかない。極めて異例。ために初音の「多」に誤字、脱落説が絶えない。たとえば「多」は「京」の誤りとして「みやこが子にも」と訓ずる説がある。また「多」は「和」の誤りだとして「わが思ふ子にも」とする。が、こういう誤字、脱字説によるのは論者に便宜上の解釈を与えることになりかねず、訓が確定しない。先ずは原文どおり読解してみる必要がある。原文「多我子尓毛」は「誰が子にも」としか読めない。
 さて、霍公鳥(ホトトギス)はウグイス等の巣に託卵させることで知られる。他種の巣に卵を産み、育てさせるのである。「誰の子になっても構わず卵を産み付けに行く」のである。こういう知識をもって歌意を取ると、「ホトトギスは関所も通行手形なしに飛び越え、誰の子になっても構わず卵を産み付けに行く」という歌になる。
 歌意はこれで通じるし、ホトトギスが出てくる意味も分かる。ホトトギスのように国境を越えて結婚出来たらいいのにという願望ととることも出来る。

3755  愛しと我が思ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし
      (宇流波之等 安我毛布伊毛乎 山川乎 奈可尓敝奈里弖 夜須家久毛奈之)
 「愛(うるは)しと」は「光り輝いて美しいと」という意味である。「へなりて」は「隔てて」という意味。「光り輝いて美しいと思う彼女に山や川を中にして隔てられ、気が気でない、」という歌である。

3756  向ひ居て一日もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで
      (牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖)
 「一日もおちず」は「一日も欠かさず」。「月わたるまで」は「何ヶ月にもわたって」という意味。「向かい合って一日も欠かさず顔を見ていても飽きることがなかったあなたなのに、もう何ヶ月にもわたって見ていない」という歌である。

3757  我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
      (安我<未>許曽 世伎夜麻<故>要弖 許己尓安良米 許己呂波伊毛尓 与里尓之母能乎)
 平明歌「この我が身こそ関や山を隔ててここにあるが、心はあなたに寄り添っています」という歌である。

3758  さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ [一云 今さへや]
      (佐須太氣能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能<未> 許能美多流良武 [一云 伊麻左倍也])
 「さす竹の」は枕詞。「人なぶりのみ」は「人をからかうことを」という意味である。「あの大宮人たちは、今もなお人をからかうことを好んでいるだろうか」という歌である。異伝歌は「今もかも」が「今さへや」になっている。

3759   たちかへり泣けども我れは験なみ思ひわぶれて寝る夜しぞ多き
      (多知可敝里 奈氣杼毛安礼波 之流思奈美 於毛比和夫礼弖 奴流欲之曽於保伎)
 「験(しるし)なみ」は「甲斐がなく」で、「み」は「~なので」。「思ひわぶれて」は「わびしい思いで」という意味。「夜しぞ」は強意の「し」。「幾度もあなたのことを思っては泣くが、甲斐がなく、わびしい思いで寝る夜が多い」という歌である。

3760  さ寝る夜は多くあれども物思はず安く寝る夜はさねなきものを
      (左奴流欲波 於保久安礼杼母 毛能毛波受 夜須久奴流欲波 佐祢奈伎母能乎)
 「さ寝る夜は」は語調を整える「さ」。「さねなきものを」は「実なきものを」で「実際にない」ということ。「寝る夜は多く多くあるけれど、物思わずに心安らかに寝られる夜は実際にありません」という歌である。

3761  世の中の常のことわりかくさまになり来にけらしすゑし種から
      (与能奈可能 都年能己等和利 可久左麻尓 奈里伎尓家良之 須恵之多祢可良)
 「ことわり」は「道理」。「かくさまに」は「こんな次第に」。「すゑし種から」は「植えた種がもとで」という意味。「これが世の中のいつもの道理なのか。こんな次第になってきたのは。すなわち自分で蒔いた種がもとで」という歌である。宅守(やかもり)は理由(いわれ)のない罪で配流されたというから、切ない歌である。

3762  我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし
      (和伎毛故尓 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都々乎礼杼 安布余思毛奈之)
 「我妹子に逢坂山(あふさかやま)を」は「彼女に逢えるという名の逢坂山を」という意味である。逢坂山は京都府と滋賀県の県境の山。「彼女に逢えるという名の逢坂山を越えてきても逢えず泣いてばかりいるけれど、逢える見込みもない」という歌である。

3763  旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも
      (多婢等伊倍婆 許<登>尓曽夜須伎 須敝毛奈久 々流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母)
 「言(こと)にまさめやも」は「言葉よりほかにいい表現があろうか」という意味である。「旅というのは口でいうのは簡単だが、さりとて、このなすすべがなく苦しい旅は、旅という言葉よりほかにいい表現があろうか」という歌である。

3764  山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹
      (山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母)
 「中にへなりて」は「中に挟んで隔たっている」という意味。「山や川を挟んで遠く隔たっているが、心の思いだけは近く寄り添おうね。私の彼女」という歌である。

3765  まそ鏡懸けて偲へとまつり出す形見のものを人に示すな
      (麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等尓之賣須奈)
 「まそ鏡」は枕詞だが、なかなか一定の用語にかからない。「まつり出す」は「差し出す」という意味。「形見」は3753番歌に詠われている「彼女が縫って織ってくれた着物」のお礼の品か。
 「心にかけて偲んで下さいと差し出す形見の品を人には見せないで下さい」という歌である。

3766  愛しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやまず偲はせ
      (宇流波之等 於毛比之於毛<波婆> 之多婢毛尓 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世)
 「愛(うるは)しと」は「いとしいと」。「(差しあげる)形見のものをいとしいと思って下さるなら、着物の下紐に結びつけ、持ち歩いて私を偲んで下さい」という歌である。
 左注に「右の十三首中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の歌」とある。

3767  魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに
      (多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓)
 「魂は」は通常「宅守の魂は」と解されている。それに異論はない。が、主語省略は作者自身という原則に従って「神から賜うわが魂は」と解するのも有力な解に思われる。なので別の歌になる。
 第一の解「あなたの魂は朝な夕なにいただきますが、私の胸は痛んでなりません。あまりに恋心が激しくて」
第二の解「神様に頂く私の魂は朝な夕なに生気を取り戻しますが、私の胸は痛んでなりません。あまりに恋心が激しくて」
 どちらの歌意が適切だろう。読者に委ねたい。

3768  このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く
      (己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都々 祢能未之曽奈久)
 「音(ね)のみしぞ泣く」は「声をあげて泣く」ないし「むせび泣く」。「このごろは、あなたのことを思うとどうしようもなく、恋しさのみがつのってむせび泣く日々です」という歌である。

3769  ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき
      (奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻尓之弖 伊麻曽久夜思吉)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「逢はずまにして」は「逢わないままにしてしまって」という意味である。「夜にお逢いするのが常だったあなたでしたが、明けて朝旅立たれるとは知らず、逢わずじまいになってしまい、今になって悔しくてなりません」という歌である。

3770  味真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
      (安治麻野尓 屋杼礼流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武)
 味真野(あぢまの)は福井県越前市内。旧味真野村。現在の味真野町。「宿れる」は「滞在している」こと。「山中の味真野に滞在していらしゃるあなたがここ奈良の都に帰っていらっしゃる時、迎えに出たいのですが、いつ頃、お待ちしたらよいでしょう」という歌である。
 3722番歌から始まった、中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)の歌のやりとりはまだ続くが、残りは次回に回したい。
           (2016年7月25日記)
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婚約指輪

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 昨日だったかと思うが、遅い昼食時にテレビをつけたらフジテレビのバイキングという番組画面が飛び込んできた。たまたま結婚にまつわる話題をやっていて、「婚約指輪は必要か否か」というやや興味深い画面だった。
 婚約指輪は西欧では15世紀に王家の婚約に始まったとされているが、わが国では1960年頃から始まったとされ、一般に広がり出したのはその5,6年後でしょう。なのでやっと半世紀にしかならない風習というわけだ。
 必要ないという意見は「お金がもったいない」、「普段身につける機会がない」、「婚約指輪に意味を感じないから」というもので、いずれも女性の意見だと画面では報じられていた。「一生の記念になるから」という男性側の思いを封じこめた形の意見だ。実際には女性も色々だろう。アンケート結果では「必要」が55%、不必要が45%で、必要と思っている人が少々上回った。
 さて、この問題は婚約指輪に限らない。文化としてはまだ50年ほど、言及するほどの時期ではない。だが、記念と考えるか否かである。記念と考えるか、単なる形式と考えるかの問題。必要か否かという問いかけに意味があるとは思われない。この世の中、必要か否かと問われて、答えられるだろうか。祭り、記念、儀式等々必要といえば必要、不必要と思えば不必要だろう。文化と考えるか形式と考えるかの問題だという気がする。
 婚約指輪は二人だけの儀式という枠を越えて広がりつつある文化と考えるか否かである。もっといえば、文化として定着するまでの過度的段階と考えればいい。単なるいっときの流行で、数十年後には消滅するものなのか否か、もう少し、長い目で見ないと分からない。この際、言っておきたいのは、文化は必要か否かの問題なんかではない。これだけははっきりしている。
           (2016年7月26日)
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万葉集読解・・・238(3771~3785番歌)

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     万葉集読解・・・238(3771~3785番歌)
3771  宮人の安寐も寝ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも
      (宮人能 夜須伊毛祢受弖 家布々々等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞)
 本歌は幾つかの解があり得る。その原因は「宮人」にある。作者は狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)で、その相手、中臣宅守(なかとみのやかもり)に宛てた歌である。なので宮人は宅守だと解する説。この場合、結句に出てくる「見えぬ君かも」も宅守なので妙だ。他方、宮人は一般名詞なので、それを強調して解すると、宅守の友人知人と解する説がある。さらに、宮人は娘子自身という解もあり得る。熱烈な二人の恋のやりとりを考えると宅守の友人知人ではあり得ない。当事者でないと歌にならないこと明白である。むろん、この宮人は弟上娘子当人と見ていい。「宮廷に仕える私は安眠出来ない。今日か今日かとお待ちしているのですが、お姿を見ることはありませんもの」という歌である。

3772  帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
      (可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖)
 「帰りける人来れりと」は赦免されて帰京した人々のことで、「続日本紀」の天平十二年(七四〇年)六月十五日の記事に流人恩赦の記事が見える。が、中臣宅守等は「赦されず」とある。この時のことかと思われる。「ほとほと」は「すんでのことに」という意味。
 「赦されて帰京してきた人たちがいると聞いて、うれしくてすんでのことに死ぬところでした。あなたもそうかと思って」という歌である。

3773  君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし
      (君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之)
 「君が共(むた)」は「あなたと共に」。「あなたと共に配流先までついていけばよかった。こちらに残っていても少しもいいことがありませんもの」という歌である。

3774  我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
      (和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈)
 「命残さむ」は「生きております」という意味。「私のあなた、あなたがお帰りになる時を励みにして私は生きております。どうかお忘れなく」という歌である。
 左注に「右の八首娘子の歌」とある。3767~3774番歌。

3775  あらたまの年の緒長く逢はざれど異しき心を我が思はなくに
      (安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射礼杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久尓)
 「あらたまの」は枕詞。「異(け)しき心を」は「他の女性に心を動かすこと」。「年月ばかりが経って長らくお逢いできませんが、他の女性に心を動かそうなどと私は思いません」という歌である。

3776  今日もかも都なりせば見まく欲り西の御馬屋の外に立てらまし
      (家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 尓之能御馬屋乃 刀尓多弖良麻之)
 「今日もかも」は「今日もまた」。西の御馬屋(みまや)は宮中にあった右馬寮。宅守が宮中勤めをしていた頃、二人はここでしばしば逢っていたらしい。「都にいれば今日もまたあなたに逢いたくて西の御馬屋の外に立って待っていただろう」という歌である。
 左注に「右の二首は中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の歌」とある。

3777  昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く
      (伎能布家布 伎美尓安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良尓 祢能未之曽奈久)
 「たどきを知らに」は「手段も分からず」という意味である。「昨日も今日もあなたに逢えず、なすすべも知らないでただ声をあげてむせび泣くばかりです」という歌である。

3778  白栲の我が衣手を取り持ちて斎へ我が背子直に逢ふまでに
      (之路多<倍>乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝和我勢古 多太尓安布末悌尓)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」ないし袖の美称。「斎(いは)へ」は「神に祈る」こと。「私が贈った着物の袖を両手に持ってお祈り下さい。直接私に逢う日まで」という歌である。
  左注に「右の二首は娘子(をとめ)の歌」とある。 

3779  我が宿の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
      (和我夜度乃 波奈多知<婆>奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味である。「家の庭に咲いている花橘は、誰も見る人もなく、いたずらに散っていくままになっている」という歌である。

3780  恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響むる
      (古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流)
 「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は「恋焦がれて死にそうというなら、いっそ死んでしまったらとでもいうのか」である。「鳴き響(とよ)むる」は「鳴き立てる」、原義は鳴き響く。「恋焦がれて死にそうというなら死んでしまったらとでもいうのか、ホトトギスよ。物思う時にやってきて鳴き立てる」という歌である。

3781  旅にして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ我が恋まさる
      (多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流)
 「旅にして」は、配流先の越前国(福井県東部)の家から少し旅に出てという意味か。「もとな」は「心もとない」ないしは「しきりに」という意味。「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「ちょっと旅に出て、物思う時に、ホトトギスよ。しきりに鳴かないでおくれ。彼女への思いが増すではないか」という歌である。

3782  雨隠り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす
      (安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須)
 「雨隠(ごも)り」は「家に雨ごもりしている」こと。「鳴き響(とよ)もす」は「鳴き立てる」。「家に雨ごもりしていると、ホトトギスがやってきて私が住んでいる里にやって来て鳴き立てる」という歌である。

3783  旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る
      (多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許欲奈伎和多流)
 「旅にして」は前々歌参照。「こよ」は「こゆ」と同じで、「ここから」という意味。「ちょっと旅に出て、彼女に恋い焦がれていると、ホトトギスがここから私が住んでいる里に鳴きながら飛んでいった」という歌である。

3784  心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか
      (許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可)
 「心なき鳥にぞありける」は「心ない鳥」すなわち「二人の恋情を解さない鳥」である。「鳴くべきものか」は「鳴き立てていいものか」である。「二人の恋情を解さない心ない鳥よのう、ホトトギス。物思う時にやってきて鳴き立てていいものか」という歌である。

3785  霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたも術なし
      (保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之)
 「間(あひだ)しまし置け」は「しばらく間を置いてくれよ」という意味。「いたも術(すべ)なし」は「どうしようもない」という意味である。「ホトトギスよ。鳴くのをしばらく間を置いてくれないか。お前が鳴くと彼女への思いが高ぶってどうしようもないのだよ」という歌である。
 左注に「右の七首は中臣朝臣宅守が花鳥に寄せて思いを陳べて作った歌」とある。

 以上で「中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)の贈答歌」は終了。3723~3785番歌の、実に63首(宅守40首、娘子23首)に及ぶやりとりである。そして、どの歌もほぼ平明で、それだけに心情がわれわれに伝わってくる、ある意味名歌揃いといってよい。万葉集の編者もそれだからこそ63首に及ぶ歌を採録したに相違ない。用語の修辞、句の修飾、かけ言葉の妙といったテクニックにほとんど頼ることなく、その真情を吐露した、すばらしい短歌群だと私は思った。
       巻15完了
           (2016年7月28日記)
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百日紅の季節

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 百日紅(サルスベリ)が真っ盛りである。昨年は左眼の手術を控えた時期だった。白内障だと思っていたので、入院しなくとも、10分ほどの手術で済むと簡単に考えていた。ところが緑内障に発展するかもしれないというので、3時間もの大手術となった。手術日(8月11日)の前から入院し、入院期間は一週間余に及んだ。緑内障になるのを防止するための手術ということだったが、むろん下手をすれば盲目になるかもしれないという恐怖があった。専門のドクターのこと、万が一にも手違いはあり得ないと思っていた。しかし、にもかかわらず、心の底では恐怖におののいた。
 退院後、そんな私を楽しませてくれたのが百日紅だった。紅、白、桃ととりどりに、梢の先端に群がって咲く百日紅。来年も同じようにこの花を観賞できるだろうかという不安がよぎった。が、月日も無事に経過し、今日を迎えるに到った。
 私の住む近在に豊臣秀吉を祀る豊国神社(中村公園)がある。その前から東宿町(西方)にかけて数百メートルにわたって百日紅の並木が続いている。一週間ほどしかもたない桜と異なってえんえん百日間にわたって咲き続ける。
   手術の日思い出させる百日紅目に光り射す不思議な思い
   白と紅桃も混じりて百日紅ユリカモメ飛ぶ季節過ぎしや
   なぜか不意に桃巌寺浮かぶ百日紅千種区の地にも咲いていたりや
   百日紅真白き花の美しき季節めぐり来再会果たす
 私はよたよたとした足取りながら、ゆっくり、ゆっくり、百日紅の並木道を歩みながら思った。とにもかくにも、こうして無事に生きていることがありがたい。もしも病床に伏すことになれば、いかに思いが強くとも、百日紅の並木道を歩むことは出来ない。ようし、まだまだ元気でいなければ目標の貫徹は出来ないぞ、と自分自身を鼓舞した。
           (2016年7月30日)
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組織に勝った

政治経済等時事問題おしゃべり
 都知事選から一夜明けて、テレビは小池百合子さん勝利の話題でもちきりである。大仰かもしれないが、狂ったように報道している。通常なら都知事選の結果報道は昨夜、伸びてもきょうのニュースで流れるくらいだろう。これは小池さんが女性で、珍しいからだろうか。それもあるかもしれないが、私はそうではないだろうと見ている。まず、有力三候補と騒がれた得票をWEBから拾ってみると以下のとおりである。
 当選 2,912,628小池百合子   無新
    1,793,453増田 寛也    無新=[自][公][こ]
    1,346,103鳥越俊太郎    無新=[民][共][社][生]
 ごらんのように勝利というようなものではない。次点に110万票余の差をつけ、小池さんの圧勝である。
 ここで、注意していただきたいのは、小池さんはどの政党からも推薦を受けていないことである。衆・参で3分の2という圧倒的多数を獲得したと豪語する、自民党や公明党の推薦を受けていない。推薦を受けた筈の増田さんに圧勝している。民意を反映したものなら考えられない事態である。しかも、小池さんは民進党や共産党等の支援も受けていないのだ。野党から推薦を受けた鳥越さんの2倍以上の票を獲得している。政党から一切の推薦を受けない候補は、普通なら泡沫候補並みの得票しか獲得できないだろうに。知名度があるからなどという言葉では片づけられない圧勝といってよかろう。
 そこで、原因は他に求めなければなるまい。小池さんは与党や野党の推す大量の組織票を圧倒したのである。一言でいえば、自民党を始めとする反政党の勝利なのである。
 私は先日の参院選の時、衆・参同時選挙なら与党に有利と出るだろうと予見した。国民は馬鹿ではない。昨年の強行採決以降、民意は政党に嫌気がさしており、それが広がっていくと見ていたからだ。鶴の一声で政党下の各国会議員が従う今のあり方は不思議でならない。さすが東京都民である。政党だの組織だのに左右されることなく投票する。それを示したのが今回の都知事選だった気がする。どうせ、個々の候補者など親しい周囲の人しか分かりようがない。いっそ、選挙はすべて全国一本の比例制にしたらどうだろう。ただ政党の意志に従うだけの党員ばかりなら、全く無個性と同じことだ。私たち国民はそんな誰もが同じなら選挙自体が無意味に見えてしまう。
 今回の都知事選、アンチ政党を見事に具現した選挙ではなかったろうか。孤立無援で戦い勝利した小池さんに心から拍手を送りたい。
              (2016年8月1日)
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七夕祭の効能

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 一昨日一宮市の七夕祭に出かけた。愛知県には宮城県仙台市、神奈川県平塚市と並ぶ三大七夕祭とうたわれる所が安城市と一宮市の二カ所ある。二カ所なら四大とすればよさそうだが、双方でうちこそと銘打っている。
 それはさておき、一宮市の七夕際に出かけたのは3年ぶりだ。ごったがえす人混みの中をおぼつかない足取りで歩き回る自信がなかったからだ。相棒は言った。
 「あなたのペースに合わせるから、是非行きましょう。自信がないとばかり言ってたんじゃ衰える一方よ」
 それでも私は逡巡した。相棒に迷惑をかけたくなかったからだ。他方、人混み好きの私の血が騒ぐのを覚えた。体調も今年は大分いい。私は思い切って出かけることにした。
 真夏の炎天下、予想以上の人々でごった返していた。人と人との間を縫い、よけたりぶつかったりしながら私は歩いた。そういう人混みの中にいる自分自身がうれしかった。
 色とりどりに吊り下げられた七夕飾り。織物の街一宮市らしい、豪華な布で飾り立てられた七夕飾りは千差万別、私たちを存分に楽しませるに十分だった。一宮市民謡連盟の女性陣が揃いのいでたちで踊り歩く姿にも出会い、七夕祭を十分に堪能した。
 こんなことなら、なぜ、自分は消極的な気持ちにならないで、出かけて来なかったのだ、と後悔しきりだった。事態は逆で、いつでも出かけて来られるよう、健康に留意しておくのが本筋ではないのか、と思った。私にとって、人混みの中に身を置いていること、そのことが生きている証左なのだ。もう一方の生きていることの証左、自然の風物を巡ること。これらが出来なくなった我が身は我が身ではないのだ。
 3年ぶりに出かけた七夕祭。人々でごったがえす七夕祭。それは健康でいることのかけがえのなさを再確認させてくれる最大の健康薬となった。
           (2016年8月2日)
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未来はこの一瞬

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 中学校や高等学校の卒業式には校長挨拶を始め来賓の祝辞や挨拶が述べられる。そうした方々のすべてではないが、一人や二人は挨拶の中に、必ずといっていいほど「君たちには未来がある」という言葉が強調された。表現は様々だが、「若者は未来がある」、「未来を背負って立つ」、「未来の日本を背負う人材だ」等々「未来」が強調された。
 さて、未来の反対語は過去だ。が、正確にいうとどうなるか分からないのが未来なのだ。過去の反対なのではない。分からないという意味では「一寸先は闇」と同じことだ。したがって未来を強調するのは明るい一面だけを強調していることになる。「未来」の正確な意味は「一寸先は闇」だとすると、人生の心構えはきっと異なったものになる。
 若いから未来があるわけではない。「一寸先は闇」なのだから突如として大災害に見舞われるかもしれない。病苦にさいなまれるかもしれない。交通事故に遭遇するかもしれない。「一寸先は闇」には備えようがなく、基本的には、「今のこの一瞬」を大切にするしかないことになる。
 あなたにも私にも、幼児も青年も老いも若きも、等しく時間が流れる。「一寸先は闇」という時間が・・・。つまり、未来はただ明るいために存在するのではない。いつまで経っても、時間は流れており、「今のこの一瞬」を大切にするしかない。
 私は思う。「今のこの一瞬」こそ充実して過ごすべき一瞬なのではないか、と・・・。リオの五輪がスタートするが、各国の代表選手は「今のこの一瞬」を大切に大切にして送ってきた人々なのではないか、と思う。
    ある作業決して壮大なのでなく日々の一瞬その果てに来る
    姫路なる離島家島一歩づつ歩み行きたり神に逢わんと
    誰からも注目されずされど人山の頂き目指して歩む
           (2016年8月5日)
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