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葉集読解・・・224(3552~3566番歌)

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      万葉集読解・・・224(3552~3566番歌)
3552  まつが浦にさわゑうら立ちま人言思ほすなもろ我が思ほのすも
      (麻都我宇良尓 佐和恵宇良太知 麻比登其等 於毛抱須奈母呂 和賀母抱乃須毛)
 まつが浦は所在未詳。「さわゑうら立ち」は「さわぎむら立ち」の東国訛り、すなわち「波が騒ぎ群れ立って」という意味である。「ま人言(ひとこと)」のまは「あんれまあ」という驚き。「思ほすなもろ」は「思ほすらむろ」の東国訛り。「ろ」は「ですら」の類で「でしょう」、「お思いになっているでしょう」という意味である。また、「思ほのすも」は「「思ふなすも」の東国訛り。語尾のもは「~同様」の「も」。「まつが浦に波が騒ぎ群れ立って、あんれまあ噂が激しいこと、とお思いになっているでしょう。私も同様に思っています」という歌である。

3553  あぢかまの可家の港に入る潮のこてたずくもか入りて寝まくも
      (安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母)
 「あぢかまの」は本歌を含めて3例あるが、いずれも異なる用語が続く。枕詞(?)である。地名と考えてよさそうだが、所在不詳。「可家(かけ)の港」は愛知県知多郡旧上野町(現東海市)にあった加家という説がある。「こてたずくもか」は古来難句とされ、語義未詳となっている。東国訛りと思われるがさて。「おとたずくもか」の訛りと解すると「音たず来もか」となる。「か」は「如し」。つまり「音を立てずに入って来るように」という意味である。これで歌意を取ってみる。
 「あぢかまの可家の港に入ってくる潮が音も立てずやって来るように、そっとあの子の寝床に入って共寝したいものだ」という歌である。、どうやら歌意は通りそう。

3554  妹が寝る床のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
      (伊毛我奴流 等許<能>安多理尓 伊波具久留 水都尓母我毛与 伊里弖祢末久母)
 「水にもがもよ」は「水であったら」という意味。「私が岩をくぐる水であったなら、あの子が寝ている床のあたりに、そっと入っていって共寝したいものだ」という歌である。前歌と類似の発想。

3555  麻久良我の許我の渡りのから楫の音高しもな寝なへ子ゆゑに
      (麻久良我乃 許我能和多利乃 可良加治乃 於<登>太可思母奈 宿莫敝兒由恵尓)
 「麻久良我(まくらが)の許我(こが)」は所在不詳。「から楫(かぢ)」の「から」は唐ないし韓のこと。要するに外国式の梶。「麻久良我の許我の渡しを漕ぐ舟の外国式の梶のように音が高い。そのように噂が高いよな。あの子と共寝をしたわけでもないのに」という歌である。

3556  潮船の置かれば愛しさ寝つれば人言繁し汝をどかもしむ
      (思保夫祢能 於可礼婆可奈之 左宿都礼婆 比登其等思氣志 那乎杼可母思武)
 「潮船(しおふね)の置かれば」は「海に漕ぎ出す潮船を浜に置いたまま」という意味。「どかもしむ」は「などかもせむ」の東国訛り、「どうしたらいいだろう」という意味。「潮船を浜に置いたままだとお前が愛しくてならない。さりとて共寝に行けば噂が激しい、私はお前をどうしたらいいだろう」という歌である。

3557  悩ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや思ひ増すに
      (奈夜麻思家 比登都麻可母与 許具布祢能 和須礼波勢奈那 伊夜母比麻須尓)
 「悩ましけ」は「悩ましき」の東国訛り。「せなな」は3436番歌に「~、うら枯れせなな、~」とあるように「~しない」という意味。「せなな」も東国訛り。「悩ましい人妻だこと、漕ぐ舟は遠ざかっていくが、忘れられないおなご。いやいや、思いは増す一方だ」という歌である。

3558  逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ舟に君も逢はぬかも
      (安波受之弖 由加婆乎思家牟 麻久良我能 許賀己具布祢尓 伎美毛安波奴可毛)
 3555番歌に記したように、「麻久良我(まくらが)の許我(こが)」は所在不詳。「君も逢はぬかも」だが「も」をこんな風に用いた例は私の調べた所にはない。「君に」の訛りか。あるいは「君にもしや」の略か。「あの方が逢わないで行かれてしまったら惜しいことだ。麻久良我(まくらが)の許我(こが)に行って漕ぎ出る舟にひょっとしてお逢いできないものだろうか」という歌である。

3559  大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも
      (於保夫祢乎 倍由毛登母由毛 可多米提之 許曽能左刀妣等 阿良波左米可母)
 「舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも」のゆは「~から」の「ゆ」。舳(へ)は船首、艫(とも)は船尾。許曽(こぞ)は所在不詳。「大船を船首からも船尾からも綱でしっかり結ぶように、許曽の里のあの子としっかり契りを交わしたので、あの子は二人の仲を漏らすまい」という歌である。

3560  ま金ふく丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が恋ふらくは
      (麻可祢布久 尓布能麻曽保乃 伊呂尓R<弖> 伊波奈久能未曽 安我古布良久波)
 「ま金ふく」のまは美称、「ふく」は「吹き付けて取り出す」ないし「精製する」という意味になる。金を灰吹き法によって取り出すのは紀元前2000年頃からあるようだが、日本では戦国期からとされ、奈良時代には行われていなかったようだ。すると「ま金ふく」は「鉄を精製する」という意味になる。が、他方、山上憶良のあの有名な803番歌に「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」とある。「ま金」という美称からしてここは「金」のことと解したい。丹生(にふ)は諸説あるが、東国歌と思うから、群馬県富岡市上丹生のことと解したい。「ま朱(そほ)」は赤土。
 「金を取り出す丹生の赤土のようにはっきり言葉に出さないのは、本当にあなたを恋しているからです」という歌である。

3561  金門田を荒掻きま斎み日が照(と)れば雨を待とのす君をと待とも
      (可奈刀田乎 安良我伎麻由美 比賀刀礼婆 阿米乎万刀能須 伎美乎等麻刀母)
 「金門田を」の金は門の美称、なので「門前の田を」という意味。「荒垣ま斎(ゆ)み」は「荒れ田を掻いてきれいにし」ということ。斎(ゆ)みは本来「身を清める」ことだが田にも用いた。「照(と)れば」は「照(て)れば」、「待とのす」は「待つなす」、「君をと待とも」は「君をぞ待たむ」の東国訛り。「門前の田が荒れているときは掻きならしてきれいにし、日照りが続けば雨が降るのを待つ。そんな気持ちであなたを待ちます」という歌である。

3562  荒礒やに生ふる玉藻のうち靡きひとりや寝らむ我を待ちかねて
      (安里蘇夜尓 於布流多麻母乃 宇知奈婢伎 比登里夜宿良牟 安乎麻知可祢弖)
 「荒礒や」のやは親近の情を示す。「玉藻」の玉は美称。「あの荒礒に生える藻が波になびくように、彼女はひとりで転々と寝ていることだろうな、私を待ちかねて」という歌である。

3563  比多潟の礒のわかめの立ち乱え我をか待つなも昨夜も今夜も
      (比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母)
 「比多潟(ひたかた)」は所在不詳。「立ち乱え」は「立ち乱れ」の、「待つなも」は「待つなむ」のそれぞれ東国訛り。「比多潟の礒のわかめが立ち乱れて繁っているように彼女はたちすくんだまま心乱れて私を待っているのだろうか。昨夜も今夜も」という歌である。

3564  古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろを思ひ過ごさむ
      (古須氣呂乃 宇良布久可是能 安騰須酒香 可奈之家兒呂乎 於毛比須吾左牟)
 「古須気ろの浦」や「子ろ」の「ろ」は親愛を示す東国訛り。古須気(こすけ)は東京都葛飾区小菅町のことではないかという。「あどすすか」は「などせすか」(何としよう)の、「愛(かな)しけ」は「「愛(かな)しき」(愛しい)の各東国訛り。「思ひ過ごさむ」は反語形で「忘れることができようか」という意味である。「小菅の浦に吹く風が通り過ぎるけれど、何としよう、あの愛しい子への思いを通り過ぎる(忘れる)ことができようか」という歌である。

3565  かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
      (可能古呂等 宿受夜奈里奈牟 波太須酒伎 宇良野乃夜麻尓 都久可多与留母)
 「かの子ろ」は東国訛り(前歌参照)。「はだすすき」は穂がないススキ。宇良野は長野県小県郡旧浦野町(現上田市西部)のこととされている。が、浦野町は馬越村を改称した町名なので本歌にいう宇良野か否かはっきりしない。「あの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が片向いてきた」という歌である。

3566  我妹子に我が恋ひ死なばそわへかも神に負ほせむ心知らずて
      (和伎毛古尓 安我古非思奈婆 曽和敝可毛 加未尓於保世牟 己許呂思良受弖)
 難解歌である。その最大の原因は第三句の「そわへかも」。「岩波大系本」は「そわへ」を「古来難解。後考を待つ。」としている。さらに結句の「心知らずて」。主語省略なので通常なら「作者の心」を示すが、どうかである。
 まず、「そわへ」。「~へ」は「~ない」の東国訛り。こういう「~へ」は3466番歌に「ま愛しみ寝れば言に出さ寝なへば、~」と使われている。いうまでなく「寝ない」の意。さらに、3476番歌の異伝歌に「~、我ぬ行がのへば」とある。「行かない」の意。3482番歌のやはり異伝歌に「~、逢はなへば寝なへの故に、~」とあり、やはり「逢えない寝ない」の東国訛りである。したがって「そわへ」は「添えない」という意味。「心知らずて」は「我が心を知らせずに」という意味だろう。
 「彼女に恋い焦がれて死んだなら、彼女と添い遂げることもなく、神(運命)のせいにし、我が心を彼女に知らせないままになる」という歌である。

 以上で3455番歌から続いた相聞歌は終了である。
           (2016年6月4日記)
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方向音痴気味

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 私は方向音痴気味である。たとえば、若い頃の話だが、新宿の喫茶店でデートしたことがある。私にとっては念願の女性とのデートだったのだが、席に落ち着くまでもなく、用を足すために中座した。最初の店だったこともあって、お手洗いの場所が即座に分からず、しばしキョロキョロして用を済まし、出てきた。ところが、なんと彼女の場所が分からず、広くもない店内を探し回り、必死に手を振ってくれた彼女が目に入るまで5分ほどもかかってしまった。つまり、恥ずかしい話だが、完全無欠の方向音痴である。
 さて、それを「方向音痴気味」とわざわざ「気味」を付したのは、方向がしょっちゅう分からなくなるわけではないからだ。常時音痴なら、一人では外出出来なくなる。私はあちこち訪ね回るのが好きで、いくつもの離島を訪ね、約200箇所に及ぶ神社や寺を単独で巡り歩いた。つまり「方向音痴気味」とわざわざ「気味」を付した理由だ。が、基本的に私は方向音痴である。道をまがってしばらく行くと、どこから曲がってきたのか分からなくなる。ああでもない、こうでもないと探し回った経験は数え切れない。
 このように方向音痴気味の私だが、山中を歩き回り、不案内の土地を歩き回ったりしながら、なんとか行方不明にもならず、こうして無事に生きている。同じ方向音痴気味の相棒からさえしばしば「しっかりしてよ、私より方向音痴、方向音痴」と笑われ、馬鹿にされながら生きてきた。
 が、そんな私にもひとつだけ救いがある。「急がば回れ」、「そんなに急いでどこへいく」という、いわばゆったり精神が身についていることである。むろん、自分が方向音痴気味だという自覚があるので、ある場所を訪ねる際には30分前に到着するように心がけ、現地に着いたら、二度と来ることはないだろうなと思うから、しっかり見て歩く。
 それにしても最初のデートで相手の場所が分からないなんて自慢出来ませんね。
            (2016年6月6日)
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万葉集読解・・・225(3567~3577番歌)

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      万葉集読解・・・225(3567~3577番歌)
3567  置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも
      (於伎弖伊可婆 伊毛婆麻可奈之 母知弖由久 安都佐能由美乃 由都可尓母我毛)
 本歌から3571番歌まで、防人歌(さきもりうた)。防人は辺境を守る人。全訳古語辞典に「主として、壱岐(いき)・対馬(つしま)・筑紫(つくし)の守備兵で、三年ごとの輪番、おもに、東国出身者が徴発された。」とある。
 「ま愛(かな)し」のまは強意。「梓(あづさ)の弓」は梓の木で作った弓。「弓束(ゆづか)にもがも」は「弓束であればなあ」という意味。弓束は矢を引くとき左手で握る弓の部分。「置いていかなければならない彼女は本当に愛(いと)しい。携えていく梓弓の弓束であればなあ」という歌である。

3568  後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを
      (於久礼為弖 古非波久流思母 安佐我里能 伎美我由美尓母 奈良麻思物能乎)
 特に読解を要さない平明歌。「家に残されて恋い焦がれるのは苦しゅうございます。朝出かけられる猟に携えて出かけられるあなたの弓になりとうございます」という歌である。
 注に「右の二首は問答歌」とある。防人として出かける夫が朝出かける「いつもの狩猟」と同様何気ない様子の夫を見送る場面が、ぐっとくる。

3569  防人に立ちし朝けの金門出に手ばなれ惜しみ泣きし子らはも
      (佐伎母理尓 多知之安佐氣乃 可奈刀悌尓 手婆奈礼乎思美 奈吉思兒良波母)
 「朝け」は「朝明け」の略。「金門」は門の美称。「子ら」は親愛のら。「防人として出発するにあたり、朝明けの門を出るとき、つないだ手を離す際、それを惜しんで泣いたよなあの子はなあ」という歌である。

3570  葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ
      (安之能葉尓 由布宜里多知弖 可母我鳴乃 左牟伎由布敝思 奈乎波思努波牟)
 「夕(ゆふべ)し」は強意のし。「葦(あし)の葉に夕霧が立ちこめて、鴨の鳴き声が寒々と聞こえる。そんなゆうべにはひとしおあなたのことが偲ばれる」という歌である。

3571  己妻を人の里に置きおほほしく見つつぞ来ぬるこの道の間
      (於能豆麻乎 比登乃左刀尓於吉 於保々思久 見都々曽伎奴流 許能美知乃安比太)
 「人の里」は「他人が住む里に」という気分。「おほほしく」は2449番歌や3003番歌に使われていたように「ぼんやりと」という意味である。「自分の妻を他人が住む里に置いてきて、ぼんやりと思い出しつつやってきた、この間の道を」という歌である。

3572  あど思へか阿自久麻山の弓絃葉のふふまる時に風吹かずかも
      (安杼毛敝可 阿自久麻夜末乃 由豆流波乃 布敷麻留等伎尓 可是布可受可母)
 本歌から譬喩歌(ひゆか)。
 「あど思へか」は「など思へか」の東国訛り、「何と思っているのか」という意味。阿自久麻山(あじくまやま)は未詳。「弓絃葉(ゆづるは)」はユズリハのことで、常緑高木。「ふふまる」は「ふふめる」の東国訛り。「つぼみ」のこと。つぼみを少女にたとえた歌。「何と思っているのか、あんたは。阿自久麻山のユズリハはいまだ蕾みだから風が吹くものかとたかをくくっているのかい」という歌である。

3573  あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ
      (安之比奇能 夜麻可都良加氣 麻之波尓母 衣我多奇可氣乎 於吉夜可良佐武)
 「あしひきの」は枕詞。「山かづらかげ」はヒカゲのカズラのこと。広辞苑に「常緑シダ植物」とある。女の比喩。「ましばにも」は2488番歌にあったように「しばしも(少しも)」の意。「めったに」。「ヒカゲのカズラのような美女は滅多に得られないぞ。そのカズラを置きっぱなしにして枯らしてしまってよいのか」という歌である。

3574  小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ
      (乎佐刀奈流 波奈多知波奈乎 比伎余治弖 乎良無登須礼杼 宇良和可美許曽)
 「小里(をさと)なる」の小里は地名か否か不詳。「小里に咲く」という意味。「うら若みこそ」は「うら若いのでためらわれる」。花橘は若い女の比喩。「小里に咲く花橘の枝をひっぱって折り取ろうとするのだが、まだうら若いので折るのがためらわれる」という歌である。

3575  美夜自呂の砂丘辺に立てるかほが花な咲き出でそねこめて偲はむ
      (美夜自呂乃 須可敝尓多弖流 可保我波奈 莫佐吉伊<R>曽祢 許米弖思努波武)
 美夜自呂(みやじろ)は所在不詳。「砂丘(すか)辺」は東国訛りか。「海沿いの丘のあたり」という意味。「かほが花」は3505番歌の読解にも記したが、朝顔、かきつばた、むくげ等諸説あってはっきりしない。具体的な花の名ではなく、その場面場面で使われる顔に似た花だろう。「な咲き出でそね」は「な~そ」の禁止形。「ね」は確認の「ね」。「美夜自呂(みやじろ)の海沿いの丘のあたりに立っているかほ花よ。ぱっと咲き出さないでよね、心にこめて愛したいから」という歌である。

3576  苗代の小水葱が花を衣に摺り馴るるまにまにあぜか愛しけ
      (奈波之呂乃 <古>奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家)
 苗代(なはしろ)は稲の苗を育てる所。「小水葱(こなぎ)が花」はミズアオイ科の一年草。「衣に摺(す)り」は「衣に染めて」。「馴るるまにまに」は「着馴れるにしたがって」という意味。「あぜか」は「などか」の東国訛り。女を着物に比喩。「苗代に生える小水葱(こなぎ)の青紫の花を着物に染めて、着慣れるにしたがってなんとも愛しい」という歌である。

3577  愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも
      (可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母)
 比喩歌は前歌で終わり、本歌一歌のみ挽歌となっている。「いづち行かめと(どこへ行くのか(死んでしまうとは)」という意味である。「そがひに」は「背を向け合って」。「愛しい妻が死んでしまうとは思わないで山菅(やますげ)の根のように背を向け合って寝たこともあるが、今となっては悔しくてたまらない」という歌である。
 巻14の国名がはっきりしない歌について「以上の歌はいまだにいずこの国の山川を指すかはっきりしない」という注が付いている。
       以上で巻14の完了である。
           (2016年6月7日記)
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頼り切る

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 前回、私は全くの方向音痴というわけではないが、方向音痴気味だとして恥ずかしながらその失敗例を記した。方向音痴にまつわる失敗例は数え切れないほどだが、その中からもう一例だけ紹介しよう。テーマは「方向音痴とうっかり」だ。方向音痴とうっかりが重なるとどういうことになるだろう。
 本欄にも記したが、私は先日車を駆って知多半島の先端まででかけた。国道23号線に乗り、見覚えのない道をナビを頼りに順調に進んだ。否、進むかに見えた。ところが、突如として分岐図が出た。「おかしいな、こんな所で分岐するのかな」と不審に思っていたら、うっかり通過してしまった。すると案内図は23号本線に復し、やれやれと思ってそのまま走行を続けると、またまた分岐図が出た。スピードをゆるめると「測道です」という案内の音声が耳に飛び込んできた。あわてて測道に入っていくと、今度は地理がさっぱり分からない。一方通行だったり工事中だったりして指示図どおりになかなか走行出来ない。15分余も走ってやっと本線に乗ることが出来た。「変だな、本線に戻るんだったらあの測道は何のために入ったんだ」と思って10分ほども走り続けると、なんだか様子がおかしい。景色に見覚えがある。な、なんと私たちは本線を元に戻っているではないか。車で10分といえば、相当の距離だ。その間、何にも気づかずに走り続けたわけだ。空いた口が塞がらない、とはこのことだ。最初の分岐図をうっかり見過ごしたことと、方向がよく把握出来ない方向音痴気味の私が招いた本線逆送劇だ。以降、見知った道に出て、40分遅れで到着した。
 こんな失敗例から学ぶのは自分のうっかり癖を是正しなければ直らないのはもとよりだが、今一つナビに頼り切るのもどうかな、である。ナビは出来るだけ広い道を教えようとするので方向がよく把握出来なくなる時がある。何でも頼り切るのは危険なのかな。
            (2016年6月8日)
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すんなりいかない

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 「万葉集読解」の巻14が終了した。ほっとしている。一般読者の方には直接関係しないと思うが、このほっとした気持ちを共有していただけるとありがたいと思って筆を執った。ちょっと状況を簡単に説明すると、巻14は全20巻中特異な巻である。登載歌は238首に及ぶが、すべて東国在住者の歌である。東海、関東、北陸、東北を含み、この巻特有の東国訛りがちりばめられている。奈良、京都等の、いわば中央歌とは一風変わっている。方言は当時の資料がないので巻14自体が資料となる。このため、その読解には少なからず難渋した。一例だけ挙げてみよう。3566番歌は次のようになっている。
   我妹子に我が恋ひ死なばそわへかも神に負ほせむ心知らずて
 興味のある向きは本文によられたいが、本歌は「そわへかも」という用語のために難解歌とされている。事実ある書は「古来難解。後考を待つ。」としている。
 私は腕組みして考えた。「そわへかも」を睨んでいる内に「ひょっとしてこれは東国訛りではないか」と思った。そこで、こういう「へ」の使い方をしている例はないかと丹念に調べてみた。その結果こういう「へ」は数例出てきた。私は、この「へ」は「~ない」すなわち「~ず」のことに相違ないと結論づけた。「そわへかも」は「添わずかも」らしいと分かった。私は本文に、次のように記した。
 「『彼女に恋い焦がれて死んだなら、彼女と添い遂げることもなく、神(運命)のせいにし、我が心を彼女に知らせないままになる』という歌である」と・・・。
 もとより私の読解の適、不適は読者に委ねたいと思う。
 ことほどさように、巻14は読解に難渋することが少なくなく、いわば孤独の作業だったわけである。なにごともすんなりとはいかないもんだな、と思い知り、気を引き締めて巻15に取りかかろうと思う。
。           (2016年6月10日)
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万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)

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     万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)
 巻15の目録に「天平八年(737年)丙子夏六月、使いを新羅の国に遣わした」とある。その際、「遣新羅への使人等が別れを悲しんで贈答した歌、及び海路にあって思いを述べた歌、並びに所にあたって詠み上げた古歌」と注記している。145首。3578~3722番歌。いずれ長歌も手がけなければならないので、本巻以降は長歌も扱う。

3578  武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
      (武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之)
 武庫川は兵庫県西宮市と尼崎市の間を流れる川。その河口付近を指している。
洲鳥は干潟のような洲に巣くう鳥。「羽ぐくもる」は「親鳥の羽に包まれること」。
 「武庫川の河口付近の入り江の洲(しま)の水鳥が羽に包むようにして私を守ってくれたあなた。そのあなたから離れたら私は恋い焦がれて死んでしまうでしょう」という歌である。

3579  大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
      (大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢<婆> 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎)
 このまま分かる平明歌。「大船にきみを乗せていけるものなら羽に包んで携えていきたいものを」という歌である。

3580  君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ
      (君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢)
 本歌も平明歌。「あなたが行く海路に霧が立ちこめたら、私が立ちつくして嘆く私の息と知って下さい」という歌である。

3581  秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
      (秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟)
 「秋さらば」は「秋になれば」という意味。「秋になればきっと逢えるのに、どうして立ちこめる霧ほども嘆くのだろう」という歌である。

3582  大船を荒海に出だしいます君障むことなく早帰りませ
      (大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢)
 「障(つつ)むことなく」は「差し障りなく」すなわち「ご無事で」という意味。「大船を荒海に出していらっしゃろうとなさるあなた。どうかご無事で早くお帰りなさいませ」という歌である。

3583  ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも
      (真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母)
 「ま幸(さき)くて」は「無事でいてくれれば」という意味。「斎(いは)はば」は「身を清めて神に祈るなら」、「障(さは)りあらめやも」は「事故など起きることがありましょうか」という意味である。「きみが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど立とうと、事故など起きることがありましょうか」という歌である。

3584  別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに
      (和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓)
 「うら悲しけむ」は「心悲しい」。「下にを着ませ」の「を」は強意。「直(ただ)に」は「直接」。「お別れしたらうら悲しゅうございます。私のこの着物を肌身に着て下さい。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。

3585  我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我れ解かめやも
      (和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母)
 このまま分かる平明歌。「彼女が肌身に着なさいと贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか」という歌である。

3586   我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
      (和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵)
 「な痩せそ」は「な~そ」の禁止形。「逢はむものゆゑ」は「逢えるのだから」。「この私のことを思って痩せ細らないでくれ。秋風が吹くその月になればきっと逢えるのだから」という歌である。

3587  栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ
      (多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟)
 「栲衾(たくぶすま)」は枕詞。「君が目を」は「あなたに逢えるのを」という意味である。「斎(いは)ひて」は「神にお祈りして」。3583番歌参照。「遠く新羅(しらぎ)へいらっしゃるあなたに逢えるのを今日か明日かと神様にお祈りしながらお待ちします」という歌である。

3588  はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに
      (波呂波呂尓 於<毛>保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓)
 「異(け)しき心を」は「移り心など」という意味。「ああ、遙か遠くにいらっしゃるなあ、けれども移り心などを抱こうなどと決して私は思いません」という歌である。
 「右十一首は贈答歌である」と注記されている。

3589  夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
      (由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里)
 「夕されば」は「夕方になれば」。「妹が目を欲り」は万葉歌の常套表現。「彼女に逢いたい」という意味。「夕方になるとひぐらしがやって来て鳴く生駒山。その生駒山を越えて私はやってきた。彼女に逢いたくて」という歌である。
 「右の一首は秦間満(はだのはしまろ)」と注記。

3590  妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
      (伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流)
 「すべなみ」は「なすすべなく」すなわち「どうしようもなく」。「彼女に逢わないでいると、どうしようもなく、岩根を踏む生駒山を越えて私はやってくるのだ。」という歌である。
 「右の一首は家に帰ってきてしばらくしてから思いを述べた歌」という注記が付いている。

3591  妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける
      (妹等安里之 時者安礼杼毛 和可礼弖波 許呂母弖佐牟伎 母能尓曽安里家流)
 「時はあれども」は微妙だが、「時でも寒い時はあったが」という意味か。「衣手(ころもで)」は着物の袖口。「彼女と共にいたときでも寒い時はあったが、こうして別れてみると、着物の袖口から寒さがしみいってくるのがひとしお強く思われる」という歌である。

3592  海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
      (海原尓 宇伎祢世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曽 妹毛安良奈久尓)
 「な吹きそ」は「な~そ」の禁止形。平明歌。「海上に浮かんだまま寝る夜は、沖の風よ、どうか強く吹いてくれるな。共寝する彼女もいないのに」という歌である。

3593  大伴の御津に船乗り漕ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我れ
      (大伴能 美津尓布奈能里 許藝出而者 伊都礼乃思麻尓 伊保里世武和礼)
 「大伴の御津(みつ)」は大伴氏の本拠として知られる。難波(大阪湾)の御津。「廬(いほ)りせむ我れ」は「私は宿をとろうか」である。「大伴の御津から舟にのり、漕ぎ出そうと思うが、どこの島で私は宿をとろうか」という歌である。
 「右の三首は出発に当たって作った歌」という注記が付いている。

3594  潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり
      (之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利)
 平明歌。「大潮を待って停泊している船を知らないで、悔しくも彼女と早々に別れてきてしまった」という歌である。

3595  朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも
      (安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛)
 「朝開(あさびら)き」は「朝が明けると共に」。「武庫の浦」は3578番歌参照。「朝明け早々漕ぎ出してきたら武庫川の河口付近の潮干の潟に鶴の声がしていた」という歌である。

3596  我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む
      (和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟)
 「形見に見むを」は「「形見に思って見ようと」という意味である。印南都麻(いなみつま)は兵庫県高砂市加古川の河口付近という。「高み」は「高いので」。
 「彼女の形見と思って印南都麻の方向を見ようとしたが、白波が高く、視界の外にしか見えない」という歌である。
           (2016年6月12日記)
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散策の先

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 私は気管支に難点があって、歳のせいもあるが、早く歩けない。早く歩こうとすると、息切れして歩行自体が覚束なくなる。自然に車に頼ることになる。さりとてこのまま家にこもりがちになると、足腰が弱ってしまう危険がある。そう思って、久々に中村公園まで歩いてみた。往復3キロほど。歩いてみて、やはり大変しんどかった。
 5年ほど前までスポーツジムに歩いて通ったコースである。久々でしんどいはしんどかったが、思わぬ収穫もあった。紫陽花や白百合、さらには名も知らない園芸品種の花々に出会い、新鮮な驚きに包まれた。
   歳月を経て紫陽花の同じよにひっそり咲けり図書館脇に
   ああしんど今くたばれば水の泡くちびるかんでなお先を見る
   偉大なるインドびととは対極のわれはただびと生に執着
 体力面においては、鍛えるためだの忍耐力を養うためだのといった段階は、とっくの昔に過ぎ去った。その私が出来ることといえば、今回のようにゆっくり近在を散策することくらいだ。私の願いは、衰えに抗って少しでもその速度を緩やかにできないか、という点にある。つまり現状維持のために、少々負荷がかかっても多少の無理は挑まなければならない。人はいくつになってもチャレンジ、チャレンジ、チャレンジなのだ。そう自らに言い聞かせ、そのチャレンジ精神を保つためにも、機会を見つけては外出し、近在の散策を続けようと思っている。
   ありていに言えばただただ命惜し白球たたく音の響けり
 馴染みの参道を歩んで巨大な赤鳥居をくぐり抜け、帰路につきながら、いつの間にか私は、わが視線を遙か先に遊ばせていた。
            (2016年6月14日)
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花ザクロ

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 一昨日、所用があって、小牧市に立ち寄った。小牧に立ち寄ると、必ずといっていいくらい立ち寄る喫茶店がある。ここの店主とはちょっとした顔なじみになっている。店の玄関前に見慣れぬ花が咲いていた。私は店に入ると早速店主に訊ねた。
 「玄関前に見かけない花が咲いてますが、何という花なんですか」
 すると店主は次のように答えてくれた。
 「花ザクロ。お客さんにいただいて育てているんですが、実のならないザクロです」と答えてくれた。
 これを口火に私たちはちょっとした雑談を交わした。なんともいえないぬくもりのある色をした花で、この点で私たちの感想は一致した。
 帰宅してから調べてみると、地中海原産の園芸品種、高さは2~5メートルの落葉広葉低木の由である。花期は5~7月。俳句歳時記は見ていないので分からないが、花期からすると季語は夏。
    花ザクロ飛行機飛ぶまち視野の端
    女柄着物にしたし花ザクロ
    茶舗を出て立ち去り難し花ザクロ
花ザクロ朱がどことなし女形
    あったかや花ザクロ咲く茶舗の庭
 花ザクロは私のように馴染みのない人が多いとすると、例句はきっと少ないに相違ない。
 でも、こうして句作の少ない私が急にその気になって、ほとんど即座に口をついて出て、連作の形になったのは希有なことである。なじみのない花に出会って連作のエネルギーが出てきた。当分私はくたばりそうにありませんね。
            (2016年6月16日)
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万葉集読解・・・227(3597~3611番歌)

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そ の 228 へ 
         
     万葉集読解・・・227(3597~3611番歌)
3597  わたつみの沖つ白波立ち来らし海人娘子ども島隠る見ゆ
      (和多都美能 於伎津之良奈美 多知久良思 安麻乎等女等母 思麻我久<流>見由)
 「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。「わたつみの海の沖の方から白波が立って押し寄せて来るようだ。海の女たちも舟を漕いで島陰に隠れようとしているのが見える」という歌である。

3598  ぬばたまの夜は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴鳴き渡るなり
      (奴波多麻能 欲波安氣奴良之 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里)
 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「玉の浦」は岡山県倉敷市内の旧玉島町が有力視され、他に同県玉野市玉という説もある。が、本歌の場合、「夜は明けぬらし」とあり、「玉の浦」の玉は美称とみて、「美しい浦」と解してよさそうである。「漆黒の夜は明けてきたようだ。美しい浦でエサをあさる鶴が鳴きながら飛んでゆく」という歌である。

3599  月読の光りを清み神島の磯廻の浦ゆ船出す我れは
      (月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素未乃宇良由 船出須和礼波)
 月読((つくよみ)は『古事記』や『日本書紀』の神話に登場する月読命(つくよみのみこと)(日本書紀は月読尊等)から来ている。月そのものを指すこともある。神島は複数あり、岡山県笠岡市の現在陸続きになっている神島、広島県福山市の山陽本線沿いの神島町等。余談だが愛知県伊良湖岬と三重県鳥羽市の間の海上にも神島がある。「磯廻(いそみ)浦ゆ」は「磯の近辺の浦から」という意味。「月光が清らかなので、神島の磯近辺の浜から船出しよう、私は」という歌である。

3600  離れ磯に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
      (波奈礼蘇尓 多弖流牟漏能木 宇多我多毛 比左之伎時乎 須疑尓家流香母)
 「離れ磯(そ)」は「陸地から離れた磯」。「むろの木」は「ハイネズの木」のことで、広辞苑に「ヒノキ科の匍匐(ほふく)性低木」とある。「うたがたも」は2896番歌「うたがたも言ひつつもあるか我れならば~」とあったが、その際には私は「しつこくむきに」と解した。本歌と並べて解すると「疑いもなく」とした方がよさそうだ。意味上大きな差が出ると思えないが。「陸地から離れたあの磯に立っているむろの木、疑いもなく長い歳月を経てきたんだろうな」という歌である。

3601  しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離れてあるらむ
      (之麻思久母 比等利安里宇流 毛能尓安礼也 之麻能牟漏能木 波奈礼弖安流良武)
 「しましくも」は「しばらくの間でも」という意味である。「~あれや」でいったん切れる。「ほんのしばらくの間でも、独りっきりでいられるものだろうか。離れ島のあのむろの木、どうしてぽつんと一本離れていられるのだろう」という歌である。
 「右の八首は乗船して海路の上で作った歌」という注記がある。

 以下は、折々に詠われた古歌。
3602  あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも
      (安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛)
 「あをによし」は枕詞。平明歌。「奈良の都にたなびいているあの白雲、見ても見ても見飽きないなあ」という歌である。
 「右の一首は雲を詠んだもの」と注記。

3603  青楊の枝伐り下ろしゆ種蒔きゆゆしき君に恋ひわたるかも
      (安乎楊疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美尓 故非和多流香母)
 上三句は「青柳の枝を伐り下ろしてゆ種を蒔く」という意味だが、「ゆ種を蒔く」がはっきりしない。稲という語も苗代という語もなく、本当に稲蒔きか否か。通常苗代の場合は776番歌「~小山田の苗代水の中淀にして」や3576番歌「苗代の小水葱が花を~」のようにはっきり苗代と記されている。「青柳の枝を伐り下ろす」という行為と「ゆ種を蒔く」行為がどう関係しているかはっきりしない。ここでは儀式と考え、「そこに最初のゆ種を蒔く」と解しておく。ここまで「ゆゆしき」を導く序歌。「ゆゆしき」は「恐れ多い」という意味。「青柳の枝を伐り下ろして地面に挿す。そこから初の稲種を蒔くように、恐れ多いあなた様に恋続けています」という歌である。

3604  妹が袖別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや
      (妹我素弖 和可礼弖比左尓 奈里奴礼杼 比登比母伊毛乎 和須礼弖於毛倍也)
 「妹が袖」は所有格の「が」、「妹の袖」のこと。「彼女の袖と別れて(共寝しなくなって)から長く経つが、一日たりと彼女のことを忘れたことがあろうか」という歌である。

3605  わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ我が恋やまめ
      (和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河<泊> 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米)
 「わたつみ」は海神のことだが、枕詞的に使われている。飾磨川(しかまがは)は兵庫県飾磨区を流れる船場川の古名という。「広大な海に流れ注ぐあの飾磨川が絶えることでもあれば、わが恋も止むだろうに」という歌である。
 「右の三首は恋の歌」と注記。

3606  玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは [人麻呂歌曰:敏馬を過ぎて 又曰:船近づきぬ]
      (多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波 [柿本朝臣人麻呂歌曰:敏馬乎須疑弖 又曰:布祢知可豆伎奴])
 「処女を過ぎて」の「処女(をとめ)」は地名というのが一般解である。それで歌意は通るからいいのだが、どこか詩趣が薄れる。地名だとすると初句の「玉藻刈る」が宙に浮き、一部論者は枕詞説を繰り出す。野島は淡路島の西北端部なので、近くに処女という地名はない。通常神戸市灘区方面からやってくるのだが、海なので経過地がなく、処女という地名は見あたらない。私は「玉藻刈る処女」は実景そのもので、その場所は野島の近くの淡路島。素直にこう取れば、詩趣がぐっと高まる。「乙女たちが玉藻を刈っている。その浜辺を通過して夏草が生い茂る野島が崎にたどりついた。ここで私は草を枕に寝よう」という歌である。
 注にある「柿本朝臣人麻呂の歌」は250番歌の「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」を指している。同歌の場合は敏馬は地名なので疑問がない。

3607  白栲の藤江の浦に漁りする海人とや見らむ旅行く我れを [人麻呂歌曰:荒栲の 又曰:鱸釣る海人とか見らむ]
      (之路多倍能 藤江能宇良尓 伊<射>里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎 [柿本朝臣人麻呂歌曰:安良多倍乃 又曰:須受吉都流 安麻登香見良武])
 「白栲(しろたへ)の」は白い布のことだが、ここでは枕詞として使われている。藤江の浦は兵庫県明石市の浦。「真っ白な藤江の浦伝いに旅行く私を、人は漁をする海人(あまびと)と見るだろうか」という歌である。
 注にある「柿本朝臣人麻呂の歌」は252番歌の「荒栲の藤江の浦に鱸釣る海人とか見らむ旅行く我れを」を指している。

3608  天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ [人麻呂歌曰:大和島見ゆ]
      (安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由 [柿本朝臣人麻呂歌曰:夜麻等思麻見由])
 「天離る鄙の長道ゆ」(あまざかるひなのながぢゆ)は、「大和から遠く離れた田舎の長旅をやってきて」である。「大和から遠く離れた田舎の長旅を恋しい思いで明石海峡までやってきたら、その先にふるさとの家のあたりが見えた」という歌である。
 注にある「柿本朝臣人麻呂の歌」は255番歌の「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」を指している。結句の「家のあたり見ゆ」が「大和島見ゆ」となっているだけで、他は全くの同一歌。 

3609  武庫の海の庭よくあらし漁りする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ [人麻呂歌曰:飼飯の海の 又曰:狩薦の乱れて出づる見ゆ海人の釣船]
      (武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由 [柿本朝臣人麻呂歌曰:氣比乃宇美能 又曰:可里許毛能 美太礼弖出見由 安麻能都里船])
 武庫川は兵庫県西宮市と尼崎市の間を流れる川。その河口付近の歌。「よくあらし」は「好くあるらし」で「好天で波穏やかであるらしい」という意味。「武庫の海面は好天で波穏やかであるらしい、釣りをする海人(あまびと)の釣舟が波の上から浮かんで見える」という歌である。
 注にある「柿本朝臣人麻呂の歌」は256番歌の「笥飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船」を指している。

3610  安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか [人麻呂歌曰:網の浦 又曰:玉裳の裾に]
      (安胡乃宇良尓 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素尓 之保美都良武賀 [柿本朝臣人麻呂歌曰:安美能宇良 又曰:多麻母能須蘇尓])
 「安胡(あご)の浦」は三重県志摩市英虞湾が有力。「安胡の浦に舟乗りしようとする乙女たち。赤裳の裾が濡れているが、潮が満ちてきたようだ」という歌である。
 注にある「柿本朝臣人麻呂の歌」は40番歌の「嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか」を指している。

3611  大船に真楫繁貫き海原を漕ぎ出て渡る月人壮士
      (於保夫祢尓 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登祜I)
 「真楫繁貫き(まかぢしじぬ)き」は「多くの梶を取りつけて」の意。「月人壮士(つきひとをとこ)」は「お月様」のこと。天空を海に、月を月人壮士に見立てた壮大な歌。「大船に多くの梶を取りつけて大海原を漕ぎ出して天空を渡っていく月人壮士(つきひとをとこ)」という歌である。
 注には「七夕の歌一首で、柿本朝臣人麻呂の歌」とあるが、前五歌と異なって柿本人麿作とされる歌に本歌は登載されていない。
           (2016年6月17日記)
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公私混同

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政治経済等時事問題おしゃべり
 先日、小牧市に立ち寄った際、馴染みの喫茶店に入ったらテレビで、舛添要一東京都知事の公私混同疑惑をめぐる問題を放映していた。店の前庭に咲いていた花の名を訊ねた相手、すなわち店主と、それが口火となって軽く雑談を交わした。店主は言った。
 「一日中、この話題でもちきりだね。どう思われます?」
 不意に訊かれて一瞬、返答に困った。公務員のはしくれを経験した私である。関心がなかったわけではない。だが、これだけの大騒ぎになった事件、都民でもない私ごときが云々しなくともという、どこか対岸の火事視する気分があった。
 「すごい事件だね。都のトップが自ら不正をはたらくなんて」
 「でしょう。私らには難しいことは分からんけど、税金をあんなふうに好き勝手に使って牢屋に入らなくていいんですか」
 「日々つれづれ」に書いたように私が喫茶店に立ち寄ったのは6月14日。公私混同疑惑の報道はピークに達していた。
 大方ご承知のように追い込まれた舛添知事は辞職することになった。
 ところで、店主(といっても老婆の方)が発した素朴な疑問「税金をあんなふうに好き勝手に使って牢屋に入らなくていいんですか」だが、私に答えがあるわけではない。
 ジャーナリストの藤野光太郎氏はWEB「なぜ都庁記者クラブの記者たちは「舛添都知事」の悪事に気づかなかったのか」と題する論考のトップに桝添要一氏自身の言葉として次のような言葉を紹介している。
 「横領したような連中は、きちんと牢屋に入ってもらいます」「いまからでも刑事告発してやろうかと思って」「泥棒でしょう? これは盗人なわけですよ!」「泥棒した奴がヌケヌケと役場で仕事をしていて、いいんですか!」
 「この言葉は、2007年、社会保険庁職員の年金横領が発覚した際に、当時は厚生労働大臣だった舛添氏が、会見で吐き捨てるように述べたセリフだ。」と藤川氏は書いている。
 私の公務員経験からすると、公金横領は大変な罪である。民から集めた税金なのだから当然のことである。たとえ少額でも同じことだ。
 謝罪したり、反省したり、まして今後気を付けます、で済むようなことではない。返納して済む問題なら、誰だってバレルまでやるだろう。金で雇った弁護士が「違法とまでは言えないが不適切」と言ったことを免罪符にしようというのはあまりにも姑息だ。セコイで済む様な問題だろうか。私には犯罪そのものと思われてならない。これが私の素朴な感想だが、みなさんはどう思われるでしょう。
             (2016年6月18日)
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お中元

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日々つれづれ-13トップへ
 一昨日、英会話クラブの行事に参加した。午後いっぱい行われたこの行事は「One Day Englishe Camp」と称した行事である。文字通り、英語以外は使用厳禁の行事。といっても、単語につまり気味の私などはついつい、日本語が飛び出してしまうのだが・・・。1つのSessionにつき1時間ほど、4Session行われた。私が興味深かったのは、4時限目の「日本語を英語で説明して下さい」というものだった。中元、歳暮、節分、お盆、お邪魔しました。おかげさまで、空気を読む、等々の用語の意味を外国人が相手だと思って英語で説明して下さい、というものである。
 こうした用語は日本文化に深く根ざしているものが多く、正確を期そうと思えばきちんとした知識がないと説明出来ない。たとえば中元。半年間の無事を祝って7月15日頃に行われる盂蘭盆(うらぼん)の行事を指す。だが、一般的には中元の時期に行われる贈り物のことである。
 やっかいなのは贈り物の理由ないし目的である。誕生日祝いでもなければ出産祝いでもない。桃の節句や端午の節句のように子供の成長を祝ってでもない。さりとて、何かのお礼にする贈り物でもない。強いていえば知人同士の「和」のためだ。いわば理由のない贈り物なわけである。
 というわけで、中元を外国人に説明しようとすると、私ならずとも「あー、うー」の連発になってしまう。プレゼントをするというと、why?、to whom?等々の質問を受け、返答に困ることになる。結局の所、日本文化の根元、基本的には日本民族一つのムラ社会だと説明せざるを得なくなる。このことは中元ばかりではない。「お邪魔しました。」という挨拶一つとっても、基本的には日本民族一つのムラ社会というのを持ち出さなければならなくなる。「和をもって尊しとなす」である。
            (2016年6月19日)
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万葉集読解・・・228(3612~3626番歌)

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そ の 229 へ 
         
     万葉集読解・・・228(3612~3626番歌)
 「以下、三首。備後國水調郡(みつきのこほり)長井浦(広島県三原市尾道糸崎港)で船が停泊した夜に作った歌」という説明書きがある。
3612  あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに
      (安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 [旋頭歌也])
 「あをによし」は枕詞。「行く人もがも」は「行く人があったらなあ」という意味である。「草枕」も枕詞。「うつくしい奈良の都に行く人があったらなあ。旅路にあって船が停泊しなければならない辛さを告げてくれるだろうに」という歌である。「これは旋頭歌」という細注がついている。
 左注に「右一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は遣新羅使の副使を指している。

3613  海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも
      (海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母)
 「八十島(やそしま)隠り」は「多くの島々を縫いながら」という意味である。「大海原を多くの島々を縫いながらやってきたけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない」という歌である。

3614  帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな
      (可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈)
 「帰るさに」は「帰る際に」。「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。白玉は一般的に真珠と解されている。「帰った時に彼女に見せようと、海の沖で取れる真珠を拾っていこう」という歌である。

 頭注に「風速浦に舶泊りした夜に作った歌二首」とある。
 風速浦(かざはやうら)は、広島市の東側の東広島市安芸津町にある風速の浦。
3615  我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり
      (和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利)
 「霧たなびけり」は「彼女の嘆くため息が霧となって広がる」を意味していて、1580番歌に「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」とある。「この私がために彼女は嘆いているらしい。ここ風早の浦の沖の方に霧がたなびいているのを見ると」という歌である。

3616  沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを
      (於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎)
 「いたく吹きせば」は「強く吹いたなら」という意味である。「飽かましものを」は「飽きることなく触れていられるものを」。「沖からの風が激しく吹いてくれたなら、沖にかかっている彼女の嘆きの霧がただよってきて、飽きることなく触れていられるものを」という歌である。

 頭注に「以下五首、安藝國の長門の嶋に舶を停めて、宿をとる磯邊で作った歌」とある。この島は倉橋島のことで、広島県呉市にある。
3617  石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
      (伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由)
 「声をし」のしは強意。「岩を走り下る滝の轟音と共にしきりに鳴き立てる蝉の声を聞くと都がしのばれる」という歌である。
 左注に「右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみまろ)の歌」とある。

3618  山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
      (夜麻河<泊>能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母)
 「(この島の)山中の清らかな川瀬に遊んでいるが、奈良の都の山川は忘れられない」という歌である。

3619  磯の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
      (伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖)
 「絶えずあらば」は「絶えなければ」という意味。「かたまけて」は2373番歌等に使われているように「やってくると」という意味である。「磯の間を激しく流れる山川が絶えることがなければ秋がやってきて、また、この美しい光景を見られるだろう」という歌である。

3620  恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
      (故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母)
 「恋繁(しげ)み慰めかねて」は「故郷に残してきた妻が恋しくて忘れかねる」すなわち「妻が恋しくて」という意味。「廬(いほ)りするかも」は「仮の一夜をとる」こと。「故郷の妻が忘れられず、ひぐらしが鳴く島陰で仮の一夜をとっているよ」という歌である。

3621  我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる
      (和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流)
 「我が命を」は次句の「長門の島の」を導く序句。その長門の島はむろん倉橋島のこと。「小松原」は「ちょっとした松原」。「神さびわたる」は「神々しくあり続ける」という意味である。「我が命よ長く続けとばかりに長門島、あの松原は幾代にわたってあのようにも神々しくあり続けているのだろう」という歌である。

 頭注に「長門の浦より舶出した夜、月光を仰ぎ見て作った歌三首」とある。
3622  月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも
      (月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良<未>許具可聞)
  月読((つくよみ)は『古事記』や『日本書紀』の神話に登場する月読命(つくよみのみこと)(日本書紀は月読尊等)から来ている。月そのものを指すこともある。「清み」は「~ので」のみ。水手(かこ)は舟乗り。水夫とも書く。浦廻(うらみ)は浦辺。「月の光が清らかなので、夕なぎがやっyてきたため、舟乗りたちが声を掛け合って浦辺を漕いでいるよ」という歌である。

3623  山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ
      (山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布)
 「なづさふ」は「ただよう」。「山の端に月が傾くと、漁をする海人(あまびと)の燈火が沖にただよう」という歌である。

3624  我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり
      (和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里)
 「思へれば」は「思っていたら」である。「この私だけが夜船を漕いでいると思っていたら沖の方に楫の音が聞こえてきた」という歌である。

 頭注に「古挽歌一首並びに短歌」とある。
3625番長歌
     夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを 行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む
      (由布左礼婆 安之敝尓佐和伎 安氣久礼婆 於伎尓奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾尓波 之毛奈布里曽等 之<路>多倍乃 波祢左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 与能比登尓之弖 和可礼尓之 伊毛我伎世弖思 奈礼其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母祢牟)

 「夕されば」は「夕方になれば」という意味。「なづさふ」は「ただよう」。「妻とたぐひて」は「妻と連れだって」。「霜な降りそと」は「な~そ」の禁止形。「白栲の」は「真っ白な」。「なれ衣(ころも)」は「着慣れた着物」という意味で、「すっかり古びた着物」ということである。
 「夕方になれば葦辺(あしべ)にやってきて鳴き騒ぎ、夜明けになると、沖に漂う鴨たちでさへ妻と連れ立ち、尾羽に霜よ降るなと、互いに尾羽をさしかわして霜をうち払って共に寄り添って寝るという。なのに、流れゆく水が帰らぬように、吹く風が見えないように、跡かたもない世の人として妻は死んでしまった。私はかって妻が着せてくれた、すっかり着慣れた着物の袖を寝床に敷いて、ひとりで寝なければならないのか」という歌である。

   反歌一首。
3626  鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば
      (多都我奈伎 安之<敝>乎左之弖 等妣和多類 安奈多頭多頭志 比等里佐奴礼婆)
 鶴は「たづ」といい、「~飛び渡る」まで三句は次句の「あなたづたづし」を導く序歌。「あなたづたづし」は「ああたどたどしい」すなわち「言いようもなく心細い」という意味である。「鶴が鳴きながら葦辺に向かって飛んで行く。ああ、言いようもなく心細い、ひとり寝なければならないのが」という歌である。
 注に「右は丹比大夫(たぢひのまへつきみ)が妻を亡くして悲しめる歌」とある。
           (2016年6月22日記)
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万葉集読解・・・229(3627~3637番歌)

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     万葉集読解・・・229(3627~3637番歌)
  頭注に「物について思ひを發こせし歌一首並びに短歌」とある。
3627番長歌
  朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも
      (安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良<未>欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於<枳>敝乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能<未>尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛)

 「朝されば」は「朝になれば」という意味である。「御津(みつ)」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯。「真楫しじ貫き」は「たくさんの梶をとりつける(穴に通す)こと」をいう。韓国は新羅国のこと。敏馬(みぬめ)は神戸市灘区。250番歌に「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ」と詠われている。「わたつみの」は神話上の「海神」のことで、海そのものをも指す。「水脈(みを)引き行けば」は「航路を進む」。
 「つららに浮けり」は「列なって浮かんでいる」という意味。にほ鳥はカイツブリ。「なづさふ」は「ただよう」。「家島」は兵庫県相生市の南方に浮かぶ群島のひとつ。姫路市に所属する。「玉の浦」は岡山県倉敷市内の旧玉島町が有力視され、他に同県玉野市玉という説もある。「家づとに」は「家へのみやげに」。「験(しるし)をなみと」は「甲斐がないと」という意味。

 「朝になると、彼女が手に持つ鏡のように、見る、すなわち御津の浜べで大船に 楫を取り付け、新羅に渡っていこうと、真向かいの敏馬(みぬめ)に行こうと潮目を待つ。潮がないで航路を進んでいくと、沖の辺りは白波が高い。なので浦辺沿いに漕いで進む。彼女に逢えるという淡路の島は夕方になってしまって雲に隠れてしまった。夜も更けてきて行く先も分からなくなったので、我が心が明るい内にと明石の浜に船を停泊させた。船上に浮き寝をしながら沖の方を見ると、漁をする漁民の娘子(おとめ)たちが小舟に乗って列なって浮かんでいた。
 暁方に潮が満ちて来ると、葦辺には鶴が鳴き渡っていた。朝なぎの内に船出をしようと船上の人も水手(かこ・・・漕ぎ手)も声を掛け合った。 カイツブリのように波間を漂い行くと、なつかしげな名の家島が雲の下に見えてきた。ふるさとの家にちなむ島なら心もなごむかと、早く行ってみたいと われらは大船を漕ぎ進めた。が、あいにく沖から高波がやってきて、遠くから見るしかなかった。玉の浦に船を留めてその浜辺から家島の浦や磯を見ていると泣く子供のようにおいおい泣けてくる。海神が巻いておられるという腕飾りの玉を家のみやげに彼女に届けようと玉の浦で拾って袖に入れてみた。が、届けやる使いもないので、手にとってはみたものの甲斐がないとまた置いてきてしまった 」という歌である。

   反歌二首
3628  玉の浦の沖つ白玉拾へれどまたぞ置きつる見る人をなみ
      (多麻能宇良能 於伎都之良多麻 比利敝礼杼 麻多曽於伎都流 見流比等乎奈美)
 「白玉」は真珠を指すという。「玉の浦に沖から寄せて白玉を拾ったが、それを見る人もないのでまた捨ててきてしまった」という歌である。

3629  秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波
      (安伎左良婆 和<我>布祢波弖牟 和須礼我比 与世伎弖於家礼 於伎都之良奈美)
 「秋さらば」は「秋になれば」。「忘れ貝」は「拾って捨てた真珠貝」のこと。「秋になれば、われらが乗る船がこの浦にまたやってきて停泊するだろう。その時はまたその貝を寄せてきてほしい。沖の白波よ」という歌である。

  頭注に「周防(すは)の國玖河郡(くかのこほり)の麻里布(まりふ)の浦に行ったときに作った歌八首」とある。現在、山口県岩国市役所の南側を今津川が流れている。その河口のあたりの浦が麻里布の浦だという。
3630  真楫貫き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを
      (真可治奴伎 布祢之由加受波 見礼杼安可奴 麻里布能宇良尓 也杼里世麻之乎)
 「真楫貫き」は「梶を取り付けて」。「船し行かずは」は強意の「し」。「梶を取り付けた船がかくも順調に進まなければ、いつまで見てても見飽きない、ここ麻里布の浦で一泊したいのだが」という歌である。

3631  いつしかも見むと思ひし安波島を外にや恋ひむ行くよしをなみ
      (伊都之可母 見牟等於毛比師 安波之麻乎 与曽尓也故非無 由久与思乎奈美)
 今津川の河口付近の南方には大小様々な島があり、「安波島」はどの島を指すか定めがたい。「行くよしをなみ」は「~ので」の「み」で、「よし」は理由、「立ち寄るあてもなく」という意味である。「いつかは見たいと思ってきた安波島。その安波島もよそ目に恋うばかりで立ち寄るあてもない」という歌である。

3632  大船にかし振り立てて浜清き麻里布の浦に宿りかせまし
      (大船尓 可之布里多弖天 波麻藝欲伎 麻里布能宇良尓 也杼里可世麻之)
 「かし振り立てて」であるが、1190番歌にも「舟泊ててかし振り立てて廬りせむ~」と詠われている。その際、「舟で湾内等を航行する時、長くがっしりした棒を積んでいた。そしてここぞという場所にその棒を振り立てて海底に突き刺し、舟を泊めた。この棒がかしである。」と記した。「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「かしを振り立てて大船を係留し、浜の清らかな麻里布の浦に船宿りしたいものだ」という歌である。

3633  安波島の逢はじと思ふ妹にあれや安寝も寝ずて我が恋ひわたる
      (安波思麻能 安波自等於毛布 伊毛尓安礼也 夜須伊毛祢受弖 安我故非和多流)
 平明歌。「安波島の名のように逢わないなどと思う彼女であるものか、安らかに眠ることも出来ず、私は恋い続けるばかり」という歌である。

3634  筑紫道の可太の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
      (筑紫道能 可太能於保之麻 思末志久母 見祢婆古非思吉 伊毛乎於伎弖伎奴)
 「筑紫道(つくしぢ)の」は「九州に至る道の」という意味。「可太の大島」は山口県岩国市南方の屋代島(周防大島)のことという。「しましくも」は「しばらくの間も」ということ。「九州へと至る道の途次にある可太の大島、しばらくの間も見ずにはいられない妻を残して来てしまった」という歌である。

3635  妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを
      (伊毛我伊敝治 知可久安里世婆 見礼杼安可奴 麻里布能宇良乎 見世麻思毛能乎)
 「麻里布の浦」は3630番歌頭注参照。「彼女の家が近ければ見ても見飽きぬ麻里布の浦を見せてやりたい」という歌である。

3636  家人は帰り早来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く我れを
      (伊敝妣等波 可敝里波也許等 伊波比之麻 伊波比麻都良牟 多妣由久和礼乎)
 家人(いへびと)は家で待つ妻のこと。「伊波比(いはひ)島」は山口県熊毛郡上関町に属する小島祝島のことで、次句の「斎(いは)ひ待つらむ」にかかる。「家にいる妻は早く帰ってきてねと祝島ならぬ、神にお祈りしつつ待っているだろうな、旅行く私を」という歌である。

3637  草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ
      (久左麻久良 多妣由久比等乎 伊波比之麻 伊久与布流末弖 伊波比伎尓家牟)
 「草枕」はお馴染みの枕詞。「伊波比(いはひ)島」は前歌参照。同じく「斎(いは)ひ」にかかる。「旅人の無事を祈って、この祝島。幾代にわたって旅人の無事を祈り続けてきたのだろう」という歌である。
           (2016年6月24日記)
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投票の一歩から

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 第24回参議院議員選挙が始まった。6月22日公示、7月10日投票なので、いわば選挙活動の真っ最中である。それだけのことなら時事問題で、ここに書く必要性が薄い。本欄で書きたいのは「投票のすすめ」である。特に、「自分一人くらい行かなくったってどうってことないさ」って思っている人に呼びかけたい。「投票にいこうよ」って。
 驚いたことに政治にもの申す人は意外に多い。雑談で政治の話題を持ちかけると、必ずといっていいほど乗ってきて「どうしようもないよね」云々となる。これは日頃の不平や不満がたまっていて、政治の話題にしやすいからに相違ない。
 ここまではよい。じゃあ、そう発言した人は投票所に足を運んで一票を投じるかといえば、甚だ疑問なのである。文句はいうが、自らは何もしようとしない、という人物の典型である。投票は政治参加の唯一の機会である。「自分一人くらい行かなくったってどうってことないさ」ですって?。なら行かなければ「何か変わるの?」と問い返したくなる。
 今回の選挙の場合、投票によって議席が決まるのは、121議席(選挙区73、比例区48)である。参議院議員の定数は242であるから今回はその半数というわけだ。
 単純に考えると、与野党が逆転すると変わるわけだが、今回は現在の議席数が少ない与党が有利である。単純にみれば半数ほど取れば、非改選が多いので十分というわけだ。
 だが、今回のことはさておいて、いくら大仰に騒いでみても、投票に行かなければ意味があるまい。
 私は選管の回し者でも何でもないが、とにかく投票所に赴いて一票を投じなければ政治に参加したことにならない。立候補者の人物が分からないなど、現行システムへの疑義があるにせよ、まずは一票を投じるところから始まる。さあ、行動の第一歩を踏みだそうではありませんか。
            (2016年6月25日)
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期日前投票

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 本日、参議院議員選挙の期日前投票に行ってきた。ところが、投票日よりも期日前投票の方が厳しいのである。投票日の場合は本人確認だけで投票用紙を渡してくれる。当然のことである。あらかじめハガキで通知してあるのだから、そのハガキさえ持ってくればいいわけだ。ハガキさえ回収すれば二重投票は出来ないから、それで十分の筈だ。念のために生年月日を訊ねたり、運転免許証の提示を求めたりも万全を期すために理解できる行為だ。ところがである。期日前投票の場合はより面倒なのである。
 確か前回の期日前投票の際にも記した記憶があるが、より面倒な手続きを強いるのは全く本末転倒である。少なくとも不可解である。
 どういうことかというと、期日前の場合、選挙通知のハガキを持参しただけでは投票が出来ない。先ず、用紙に、住所、氏名、生年月日、を書かなければならない。そして「投票日に来られない理由は何ですか」と訊ねられる。投票日はハガキ持参だけで投票出来るのに、期日前の場合はこれだけのことを求められる。
 理由は分からない訳ではない。不正投票を防止したり、本来は投票日に行かなければならないのだが、期日前だから本来投票日に行けない理由を訊くのは当然に思える。
 が、期日前の趣旨は全く逆である。できるだけ多くの人に足を運んでもらって投票率をあげたいというのが趣旨の筈である。不正投票を働くつもりなら監視の厳しい期日前より、忙しい投票日の方が容易に思われる。趣旨からすると「期日前でなければならない理由がなければ来られない理由」なんてあまりに形式的過ぎる。住所氏名などはハガキが届いているそのこと自体が示している。運転免許証ないしはマイナンバーの提示で十二分の筈である。これでは趣旨と逆効果で足が遠のいてしまう。少なくとも、選挙当日と同様、ハガキ持参で可にしないと駄目だと私などは思うが、いかがであろう。
            (2016年6月27日)
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万葉集読解・・・230(3638~3655番歌)

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     万葉集読解・・・230(3638~3655番歌)
  頭注に「大嶋の鳴門を過ぎて、二泊経過した後、追って作った歌二首」とある。ここにいう大島は山口県岩国市の屋代島という。
3638  これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども
      (巨礼也己能 名尓於布奈流門能 宇頭之保尓 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛)
 「これやこの」は「これがまあ、あの」。「鳴門のうづ潮」とは淡路島南あわじ市と徳島県鳴門市の間の狭い海峡(鳴門海峡)に発生するうず潮。「これがまあ、有名な鳴門のうず潮と、玉藻を刈るという海人娘子(あまおとめ)たちか」という歌である。
 左注に「右の一首は田邊秋庭(たなべのあきには)」とある。

3639  波の上に浮き寝せし宵あど思へか心悲しく夢に見えつる
      (奈美能宇倍尓 宇伎祢世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米尓美要都流)
 久々に見る「あど思へか」。東国訛りか?。「何と思ってか」という意味である。「波の上に浮き寝した夜、何と思ってか妻がうらがなしくも夢に出てきた」という歌である。

  頭注に「熊毛の浦に舶が停泊した夜に作った歌四首」とある。「熊毛の浦」は山口県熊毛郡の浜。
3640  都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げやらむ
      (美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都ん夜良牟)
 「都辺(みやこべ)に行かむ」は「都の方向に向かう」すなわち「大和に向かう」という意味。「船もが」は「船があったらなあ」。「刈り薦(こも)の」は「刈り取った薦のように」という意味。「都の方向に向かう船があったらなあ。刈り取った薦(こも)のように乱れたこの思いを妻に言付けしようものを」という歌である。
 左注に「右の一首、羽栗の歌」とある。

3641  暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人娘子かも
      (安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良未欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母)
 「暁(あかとき)の」は「明け方頃」。「浦廻(うらみ)より」は「浦の辺りから」という意味。「明け方頃、故郷の家が恋しいとき、浦の辺りから舟の梶音が聞こえてきた。あれは漁民の娘子(をとめ)たちだろうか」という歌である。

3642  沖辺より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴鳴きて騒きぬ
      (於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴)
 「可良の浦」は所在未詳。「沖の方から潮が満ちてきたらしい。可良の浦であさりする鶴が鳴き騒いでいる」という歌である。

3643  沖辺より船人上る呼び寄せていざ告げ遣らむ旅の宿りを [一云 旅の宿りをいざ告げ遣らむ]
      (於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎 [一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈])
 「船人上る」は「船人は都に向かって漕いでいく」という意味である。「いざ告げ遣らむ」は「さあ、家の者に言付けてやりたい」という意味。「沖の方を都に向かってのぼって行く船がある。その船人を呼び寄せて、家の者に言付けてやりたい。旅の宿りのこのわびしさを」という歌である。
 異伝歌は第四句と第五句が逆転しているが、意味は不変。

 頭注に「佐婆の海中で忽ち逆風に遭い漲浪に漂流する。一夜を経て、幸いに順風を得、豊前國下毛郡分間浦に到着。ここに、艱難を痛み悲しんで、追って作った歌八首」とある。「佐婆の海中」は山口県防府市佐波の海上。佐波には佐波川が流れており、その河口付近のことか。豊前國(とよのみちのくちのくに)下毛郡(しもつみけのこほり)分間(わくま)の浦は大分県中津市あたりとされる。周防(すおう)灘。
3644  大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも
      (於保伎美能 美許等可之故美 於保<夫>祢能 由伎能麻尓末尓 夜杼里須流可母)
 「大君の命(みこと)畏み」は「朝命(朝廷の命令)を承って」という意味の常套句。「朝命を承って大船の行くがままに任せて旅宿りする身です」という歌である。
 左注に「右の一首は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の歌」とある。

3645  我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
      (和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖)
 結句の「家つかずして」だが、本歌は新羅に向かう途次の歌。なので家に着くという解釈は不可。「家に近づくこともなく」すなわち「家から遠く離れたまま」という意味になる。「彼女は早く帰ってこないかと待っているだろうに、長く沖にとどまり、家から遠く離れたまま」という歌である。

3646  浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも
      (宇良未欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛)
 「浦廻(うらみ)より」は「浦辺より」という意味。「風早み」は「~なので」という「み」。「沖つみ浦に」は沖を浦に見立てて表現、「沖に」。「浦辺より漕ぎ進めてきた船だが、風が激しく吹くので漕ぐのをやめ、沖合で船宿りすることにした」という歌である。

3647  我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
      (和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」という意味。「夢にし」は強意の「し」。「あの子がどう思ってか、毎晩毎晩夢に出てくる」という歌である。

3648  海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む
      (宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無)
 夜の船上から漁船を眺めている歌。なので、「漁(いさ)る火は」は火への呼びかけ。結句の「大和島見む」は255番歌の「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」と同趣旨。「大海の沖にともる漁船の火よ、赤々とともれよ、その遠くに大和の山々が見えるだろうから」という歌である。

3649  鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける
      (可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類)
 「鴨じもの」は「鴨のように」という意味。1184番歌に「鳥じもの海に浮き居て~」とある。「蜷(みな)の腸(わた)」は枕詞。5例あってすべて黒髪にかかる。「まるで鴨のように海上で浮き寝をしていると、私の黒髪に白露が降りかかる」という歌である。

3650  ひさかたの天照る月は見つれども我が思ふ妹に逢はぬころかも
      (比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「見つれども」は「見えるけれど」という意味。悩ましいのは「逢はぬころかも」である。普通に「頃かも」と解すると歌意の通りが悪くなる。作者ら一行は長旅の途上にあり、周防(すおう)灘に達している。そこで、「逢えない日々が長くなったこのごろ」と取らなければならない。「空を照らしてこうこうと輝く月は見えるけれど、あの子に逢えない日々が長くなったこのごろだなあ」という歌である。

3651  ぬばたまの夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む [旋頭歌也]
      (奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟 [旋頭歌也])
 末注に「旋頭歌也」とある。旋頭歌(せとうか)の歌形は、五七七五七七である。
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「八十島(やそしま)」は「多くの島々」。「大空を夜渡る月が早く出てきてくれないかなあ。大海に浮かぶ多くの島々の向こうに彼女の家の方向が見たいから」という歌である。

  頭注に「至筑紫の舘に至って遥かに本郷を望み、傷んで作った歌四首」とある。館は公館。本郷はむろん本州のこと。
3652  志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも
      (之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母)
 志賀は志賀島(しかのしま)のことで、福岡県福岡市東区にある。「一日もおちず」は「一日も欠かさず」という意味。「志賀島の海人(あまびと)たちが一日も欠かさず焼く塩は辛い。そんなからい恋に私は落ちてしまった」という歌である。

3653  志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚
      (思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝<妣>等能 麻知古布良牟尓 安可思都流宇乎)
 志賀は前歌参照。平明歌。「志賀島の浦で漁をする海人(あまびと)、家で妻たちが心待ちしているだろうに、夜を徹して魚を釣っている」という歌である。

3654  可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも [一云 満ちし来ぬらし]
      (可之布江尓 多豆奈吉和多流 之可能宇良尓 於枳都之良奈美 多知之久良思母 [一云 美知之伎奴良思])
 可之布江(かしふえ)は福岡市東区香椎の入り江。「可之布江(かしふえ)に鶴が鳴き渡る志賀島の浦に沖から白波が寄せてきたようだ」という歌である。異伝歌の結句は「満ちてきたようだ」となっている。

3655  今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ
      (伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴)
 「秋づきぬらし」は「秋めいてきたようだ」。「あしひきの」は枕詞。「今こそ秋めいてきたようだ。山の松陰にひぐらしが鳴いている」という歌である。
           (2016年6月29日記)
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健康検診結果

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 半月ほど前、近在の内科医院に赴き、健康検診と肺ガン、大腸ガン、前立腺ガンの検診を行った。私にとっては健康検診は特別の意味を持つ。ガン検診は委託先に送付されるので、その結果をいただいたのは一昨日のことである。診察室に呼ばれてドクターから説明を受けた。色々数値を示して説明を受けたが、もとよりこの私に数値の意味など分かる筈もない。が、要はすべて異常は認められないという結果だった。目の手術だの歯の治療だのが続き、さらに気管支炎気味の私、お世辞にも万全の心身とは言えない。健康検診やガン検診の結果が良好だったからといってさして威張れる筋合いのものではない。それでも私にとって検診結果は特別の意味を持つ。
 私によらず誰しも検診結果は気になるに相違ない。が、健康に気を付けていても、ガンにより命を落とす人は少なくない。否、健康検診そのものを受けない人もいるやに聞く。そんな中にあって、私には「万葉集読解」を完成させたいという希望がある。大袈裟にいえば、「使命感」みたいなものが芽生えてきている。なんとかその使命を貫徹したい、というのが私の希望である。
 毎朝、勝手体操(健康体操)を続け、毎年、健康検診やガン検診を受けるように努めているのも上記希望のためである。いうまでもなく「万葉集読解」は長期間を要する。初めてから4年目に入っている。最低あと一年はかかるだろう。そのためには心身健康体でいなければならない。健康検診やガン検診の結果はこの意味において特別の意味をもっている次第である。
 もっとも、冷めた目で見れば国民的遺産である万葉集。「お前がやらなくったって誰かがやるだろう」って言ってしまえばそれまで。が、このことが逆に私自身の健康維持につながっているのかも・・・。結果良好。自然に笑みがこぼれ出た次第である。
            (2016年6月30日)
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万葉集読解・・・231(3656~3673番歌)

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     万葉集読解・・・231(3656~3673番歌)
  頭注に「七夕に天の川を仰ぎ觀て各々の思いを陳べて作った歌三首」とある。
3656  秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば
      (安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆)
 織女の立場で作歌。「にほへる」は1534番歌「~紅ににほへる山の散らまく惜しも」等多く使用例があるように「美しく染まる」という意味である。「取りてば」は「取ることができて」で、「うれしい」心情を含む余韻表現。「秋萩の色に美しく染まった私の裳が濡れましょうとも、川に入ってあなた様(牽牛)の御船の綱を取ることができてうれしゅうございます」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。続日本紀天平八年(七三六年)二月の条に「以従五位下阿倍朝臣継麻呂為遣新羅大使」とある。つまり、この時の遣新羅大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3657  年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも
      (等之尓安里弖 比等欲伊母尓安布 比故保思母 和礼尓麻佐里弖 於毛布良米也母)
 「年にありて」は「一年を通して」、「思ふらめやも」は「思っているでしょうか」という意味。「一年に一夜だけ妻である私に逢う彦星も私以上に強く私を思っているでしょうか」という歌である。

3658  夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ船人を見るが羨しさ
      (由布豆久欲 可氣多知与里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐)
 「影立ち寄り合ひ」は「彦星と淑女の影が寄り合う」という意味である。船人は彦星。「夕月夜、彦星と織女の影が寄り合う天の川、その天の川を船を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる」という歌である。

  頭注に「海邊で月を望んで作った歌九首」とある。
3659  秋風は日に異に吹きぬ我妹子はいつとか我れを斎ひ待つらむ
      (安伎可是波 比尓家尓布伎奴 和伎毛故波 伊都登<加>和礼乎 伊波比麻都良牟)
 「日に異(け)に」は「日増しに」ということ。「秋風が日増しに強く吹くようになってきた。私の妻はいまごろ、私がいつ帰って来るだろうかと祈りながら待っていることだろう」という歌である。
 左注に「大使の次男の歌」とある。

3660  神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひわたりなむ
      (可牟佐夫流 安良都能左伎尓 与須流奈美 麻奈久也伊毛尓 故非和多里奈牟)
 「神さぶる」は「神々しい」ないし「古びた」、ここは前者。「荒津の崎」は福岡市西公園のあたりという。「恋ひわたりなむ」は「恋い続けるだろう」という意味。「神々しい荒津の崎に寄せくる波のように間断なく彼女を恋い続けるだろう」という歌である。
 左注に「右の一首は土師稲足(はにしのいなたり)の歌」とある。

3661  風のむた寄せ来る波に漁りする海人娘子らが裳の裾濡れぬ [一云 海人娘子が裳の裾濡れぬ]
      (可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴 [一云 安麻乃乎等賣我 毛能須蘇奴礼濃])
 「風のむた」は「風と共に」。平明歌。「風と共に寄せてくる波に、漁をする海人娘子(あまをとめ)たちの裳裾が濡れている」という歌である。異伝歌は「海人娘子らが」が「海人娘子が」となっている。

3662  天の原振り放け見れば夜ぞ更けにけるよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも
      (安麻能波良 布里佐氣見礼婆 欲曽布氣尓家流 与之恵也之 比<等>里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母)
 「よしゑやし」は「たとえ~しようと」すなわち「ええいままよ」という感嘆詞。「明けば明けぬとも」は少し丁寧に作者の心情をくみとる必要がある。「明けたら明けたで、少しも惜しいことはない」(「岩波大系本」)や「明けるなら明けてしまっても・・・。」(「伊藤本」)とするのはまちがいとは言えないが、いまいちだ。「天空を振り仰ぐと夜が更けてしまった。ええいままよ、一人っきりで寝るこんな夜はああ、早く明けてほしい」という歌である。
 左注に「右の一首は旋頭歌(せどうか)なり」 とある。

3663  わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ
      (和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍尓都追)
 「わたつみ」は海神のことだが、海そのものを指す時もある。縄海苔(なはのり)は海産物で紅藻類(縄のように長い海苔)。「たぐり寄せる」を「来る」にかけている。「沖の海底に生える縄海苔をたぐり寄せるように、今月こそ帰って来るだろうと妻が待っている月も無情に暮れていく」という歌である。

3664  志賀の浦に漁りする海人明け来れば浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ
      (之可能宇良尓 伊射里須流安麻 安氣久礼婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由)
 志賀は志賀島(しかのしま)のことで、福岡県福岡市東区にある。浦廻(うらみ)は「浦の近辺」のこと。「志賀の浦で漁をする漁師だろうか。夜が明けるにしたがって浦のあたりを漕ぐ梶の音が聞こえる」という歌である。

3665  妹を思ひ寐の寝らえぬに暁の朝霧隠り雁がねぞ鳴く
      (伊母乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我祢曽奈久)
 読解不要の平明歌だろう。「彼女を思って寝るに寝られないのに、明け方朝霧の向こうで雁の鳴き声がする」という歌である。

3666  夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣行きて早着む
      (由布佐礼婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟)
 「夕されば」は「夕方になると」という意味。「行きて」は「早く帰って」。「夕方になると(浜の)秋風は寒い。妻は私の着物を脱がせて洗ってくれたものだ。早く帰ってその着物を着たいものだ」という歌である。

3667  我が旅は久しくあらしこの我が着る妹が衣の垢つく見れば
      (和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見礼婆)
 「久しくあらし」は「長くなったようだ」という意味。「今回の旅はもう長くなったようだ。妻が洗ってくれた我が着る着物に随分垢が付いているのを見ると」という歌である。

 頭注に「筑前國志麻郡の韓亭に到り、舶中泊を経て三日。時に夜、月の光が皎々と照り、この光に旅情がせつせつと湧き、各々その心情を述べて作った歌六首」とある。
 「韓亭(からとまり」)は福岡県西区糸島半島の先端部にある韓泊崎で、船の停泊地。
3668  大君の遠の朝廷と思へれど日長くしあれば恋ひにけるかも
      (於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母)
 「大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)」とは福岡県太宰府市太宰府のこと。「恋ひにけるかも」は「遠の朝廷」(太宰府)に対し「本つ朝廷」(奈良の都)を指す心情。「ここは大君の遠の朝廷とは思うけれど、ここに来るまで随分経つので、あの奈良の都が恋しい」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。3656番歌参照。

3669  旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ
      (多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟)
 「居る我れを」は「居る私なのだが」で、いったんこの句で切断。往時は燈火は貴重で、主人がいない夜は暗闇で寝たに相違ない。心の闇(寂しさ)も表現している。「旅の身空にいる私なのだが、夜は燈火を灯している。が、妻は闇夜にいて、私のことを恋しがっていることだろうか」という歌である。
 左注に「右一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は遣新羅使の副使を指している。

3670  韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
      (可良等麻里 能<許>乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之)
 韓亭(からどまり)は韓泊崎。3668番歌頭注参照。能許(のこ)は韓泊崎の向かいの能古島のこと。「韓亭(からどまり)や能許の浦に波が立たない日はあったとしても、故郷の家を恋わない日はない」という歌である。

3671  ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
      (奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。平明歌。「私が夜空を渡っていく月ならば、家にいる妻に逢ってくるものを」という歌である。

3672  ひさかたの月は照りたり暇なく海人の漁りは灯し合へり見ゆ
      (比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由)
 「ひさかたの」は枕詞。「暇(いとま)なく」は「せわしなく」。「月が皎々と照っている。漁師たちは漁に余念がなく、せわしなく燈火を灯し合っている」という歌である。

3673  風吹けば沖つ白波畏みと能許の亭にあまた夜ぞ寝る
      (可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流)
 「畏(かしこ)みと」は「恐ろしいので」という意味である。「能許の亭(とまり)」は「能古島近くの停泊地」。3670番歌参照。「風が吹いていて、沖の白波が恐ろしいので能古島近くの停泊地で幾夜も過ごした」という歌である。
           (2016年7月1日記)
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カボチャ

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 近在を歩いていたらとある畑にカボチャを見かけた。実になつかしい野菜である。私は幼児の頃、岐阜県土岐郡笠原町(現在多治見市に合併)に居住していた。そこの保育園や小学校に通う日々だったのだが、その途中の畑にカボチャが植わわっていた。そればかりではない。その笠原で両親が洋服仕立てのかたわら農業をやっていて、カボチャを育てていた。こんなわけで、私にとってカボチャは実になつかしい存在だ。
    ランドセル背負ったまま行くカボチャ園
    戯れにカボチャの葉っぱにカエル乗せ
    今カボチャ見るがうれしさ国たいら
 誰知らぬ者のないカボチャ。まだ実をつけてない葉っぱだけのカボチャだが、まもなく庶民の野菜は実になることだろう。カボチャの葉っぱを見ていると、幼少時の色々な記憶が芋づる式によみがえってくる。
    大戦後苦しさに耐えカボチャ植う両親の日々今ぞ身に沁む
    カボチャ花庶民の心知りて咲く二度とその実が火吹くなかれと
 私たちは幸いにして現在平和日本の中で暮らしている。私は改憲論議はやっていいと思う。言論の自由だ。が、そういう中にあって、抑止力などという名目で軍備増強がなされるのは本末転倒だ。どうか日本の為政者は共存共栄を目指す平和な世界の構築をリードしていく方向でがんばっていただきたい。
 とある畑に見かけたカボチャは私を無限のなつかしい世界に呼び込んだ。思えば思うほど貧しいけれど平和で安穏な世界であった。そればかりでなく、思いは人類に広がり、この世界がいつまでもいついつまでも続いていってほしいと願っている。
            (2016年7月2日)
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英国EU離脱に思う

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政治経済等時事問題おしゃべり
 近年、何が驚いたかといってこんな驚いたことはない。6月23日に行われたイギリスの国民投票の結果である。大方ご承知のように英国がEUを離脱するか残留するかを決める国民投票である。結果は得票率51.9%対48.1%の僅差で離脱派が勝利した。戦前から僅差が予想されていたが、最終的には残留派が勝利すると私自身は思っていたので、結果が離脱派勝利と出て、「えっ!」と絶句した。ラジオニュースを聞いてにわかに信じられず、帰宅してテレビやインターネットで確認した。
 EUはEuropean Unionの頭文字を取ったもので、欧州連合のことである。経済統合が話題になりやすいが、外交、安全保障、司法などの統合をめざす、いわば欧州はひとつという考え方に立っている。イギリスはドイツやフランスなどと共に指導的役割を担ってきた国で、創設時から加盟している12か国のひとつである。基本的にEU内は関税がかからず自由に貿易ができる。EUの説明はこれくらいでいいだろう。
 私が驚いたのは、ヨーロッパはもとより世界的に見ても指導的地位にある英国、その英国がEU離脱の道を選んだ点にある。欧州を一つにまとめようと、引っ張ってきたその主要国が離脱する衝撃である。完全に時代の大きな歯車を逆回転する道を選んだのである。これが驚きでなくてなんだろう。
 昨日、英会話クラブの例会に出たが、お目当てはH氏であった。H氏は実に英会話が堪能な方である。それもその筈、彼の娘さんが英国人と結婚し、英国で暮らしている。その関係で英国にたびたび足を運んでいる。その関係でH氏が今回の結果をどう受け止めておられるか多少なりとも聞いてみたかった。彼は言った。
 「移民問題が大きいですね。確かに職を奪われている面があります。それと、かっては大英帝国だった国ですから、老人なんかにはよき時代を引きずっている人がいます。24歳以下の若者は離脱派はわずか36%ですから」
 つまり、今回の時代逆行劇は老人層のナショナリズムに一因があるというわけだ。
 ナショナリズムは本当にやっかいで恐ろしい。わが国に引きつけて考えてみると、私は日本の古来からの伝統的短詩系文学や、風景、祭り、行事、和食等々の日本らしさが好きである。こよなく愛してやまないといってよい。が、そのこととナショナリズムは似て非なるものである。いわば私の好きなのは日本の伝統的文化であって、自国さえよければよいという偏狭なナショナリズムなんかではない。
 こういう点でイギリスの若者の多くがEU残留を望んだという点に英国の未来に「希望」を託したい。
             (2016年7月3日)
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