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Channel: 古代史の道
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難渋がち

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 私は単にある説の受け売りは避けて、出来る限り、自分の感覚と考えに依拠して万葉集の読解を進めている。一首、一首丁寧に。そのためにしばしば難渋し、滞りがちになっている。
 とりわけ、巻14に入ってから難渋しがちである。大きな原因は二つある。一つは地方訛りの存在である。「子ろ」、「峰ろ」、「伊香保ろ」等々数多く登場する「~ろ」は親愛の呼びかけ訛りだと見当がつく。やっかいなのは「あにくやしづし」(3411番歌)のように語義未詳とされているものである。その他あまり例のない「なむか」、「たよら」等々訛りと見られるものがいくつも頻出する。もう例を挙げるのはやめておくが、これらのいくつかは何とか古語の中から引っ張り出してきて、意味づけようとする説があって頭を悩ます。
 だが、最大の問題は歌意だ。歌である以上、全体を通しての歌意。部分的にはいくら理屈がついても全体から見て歌意が妙な例がある。詳しくは読解の本文に寄られたいが、ほんの一例だけ示すと、3440番歌に「この川に朝菜洗ふ子汝れも我れもよちをぞ持てるいで子たばりに」とある。この歌は学説によれば、宴会歌だの、戯れ歌だの、子持ち同士の誘い歌だのと、私にいわせればとんちんかんな読解を行っている。朝に菜を洗いに来る女性に、その種の声をかけるなんてあるだろうか。私の感覚がとらえた歌意は「この川に朝菜を洗いに来る子、あんたも私も同じ年頃を生きてきたんだよね。さあ、結婚して子供を授かりたいね」という歌である。
 こうした普通の歌意にたどりつくまでに、ああでもない、こうでもないと考えさせられざるを得なかった。
 かくて、東国訛りと歌意の問題で難渋することが多く、古文法だの語義だの朝鮮語語源説だのと、したり顔で説く万葉学者って何だろうって、その業績に敬意を表しつつ、つい思ってしまうこのごろである。
            (2016年4月30日)
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東海地震の話題

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 前回、英会話クラブの例会でFree talkingの話題の一つに今回の熊本大地震が取り上げられた。「今回の地震について私たちに何が出来ると思いますか」という話題だった。この質問は気軽にtalkを交わすFree talkingの話題としてはどこか場違いで、とまどう方が少なくなかったと記した。
 今回も地震の話題で「東海地震に備えて私たちがすべきことは何でしょうか?」というものだった。同じような話題に見えて、何とタイムリーで適切な話題だろう。
 まるで、前回のとまどいが話題の提供者に通じたかのように思われた。前回と打って代わって今回の話題は活発なtalkingが交わされ、中には具体的なアドバイスを試みる人まで飛び出した。気楽な発言の場である筈が、とまどって、発言が滞りがちだった前回と異なって、今回は何と大きな相違だろう。
 私は、同じ地震の話題でありながら、両者は似て非なる話題と思わざるを得なかった。東海地震はいつ起こってもおかしくない地震だと言われている。ひとたび起これば名古屋の場合は未曾有の災害となって私たちに襲いかかるだろう。この意味では他人事ではない緊急性を帯びた話題である。
 にもかかわらず、こうして活発な意見が飛び交うのは、頭の片隅のどこかに「なあに、まさか明日は起こらないだろう」という安心感があるからではなかろうか。「明日は我が身」という状況下にいながら、「そう受け止めたくない」という心理が私たちのどこかに働いているからだろう。人間というのは「ひとたび災害が起これば大変だ」と重々承知しながらそれに向き合いたくないという回避心理を持っているのであろうか。「災害は忘れた頃にやってくる」。まさに伊勢湾台風がそうであった。もっとも、「明日起こるかもしれない」などと考えたら夜もおちおち寝られなくなるが・・・。
            (2016年5月2日)
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万葉集読解・・・218(3461~3475番歌)

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そ の 219 へ 
    
     万葉集読解・・・218(3461~3475番歌)
3461  あぜと言へかさ寝に逢はなくにま日暮れて宵なは来なに明けぬしだ来る
      (安是登伊敝可 佐宿尓安波奈久尓 真日久礼弖 与比奈波許奈尓 安家奴思太久流)
 「あぜ」は「何故(など)」の東国訛り。「言へか」も東国訛りっぽい。「あぜと言へか」は「なんてことでしょう」という意味。「さ寝」のさは強意。「宵(よひ)なは」は本例のみ。「宵なかは」の東国訛り。「来なに」は「来ぬに」の東国訛り。「明けぬしだ」もやはり東国訛りだろう。「なんてことでしょう。共寝するために逢うのではなく、日が暮れて宵中は来ないで夜が明けてから来るなんて」という歌である。

3462  あしひきの山沢人の人さはにまなと言ふ子があやに愛しさ
      (安志比奇乃 夜末佐波妣登乃 比登佐波尓 麻奈登伊布兒我 安夜尓可奈思佐)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「山沢人(やまさはびと)の」は「山や沢に住む人々の」という意味。「人さはに」は「人の多くが」である。「まな」は「かわいい」という意味と「だめ」という意味の二様あるという。「まな」は通常「まなご(愛子)」と使われるので、ここは意味が通りにくい。禁止か?。「山沢人たちの多くが「駄目」という子がむしょうにいとしくてならない」という歌である。

3463  ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中に逢へる背なかも
      (麻等保久能 野尓毛安波奈牟 己許呂奈久 佐刀乃美奈可尓 安敝流世奈可母)
 「ま遠く」のまは強意の「ま」。「逢はなむ」は「逢いたかったのに」という願望。「背なかも」はむろん「我が背かも」の意。「人目のつかない遠くの野で逢いたかったのに、配慮がないことね。こんな人里のまん中で逢おうというあなたは」という歌である。

3464  人言の繁きによりてまを薦の同じ枕は我はまかじやも
      (比登其登乃 之氣吉尓余里弖 麻乎其母能 於夜自麻久良波 和波麻可自夜毛)
 「繁きによりて」は「うるさいからといって」という意味。「まを薦(こも)の」の原文は「麻乎其母能」。まをは真小で親愛や丁寧を意味する接頭語という説もある。が、「まを」と接頭語を二つ重ねた例は珍しく、原文からしてもイラクサ(苧麻)で編んだ薦のこととであろう。「まかじやも」は「共寝しないということがあろうか」という反語表現。「人の噂が激しいからといってカラクサの薦の枕を二度と共寝に使わないなんてことがあろうか(噂をものともしないであなたに逢いにくる)」という歌である。

3465  高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせろとかもあやに愛しき
      (巨麻尓思吉 比毛登伎佐氣弖 奴流我倍尓 安杼世呂登可母 安夜尓可奈之伎)
 「高麗錦(こまにしき)」は2090番歌に「高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ」と詠われている。朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。『続日本紀』霊亀2年(716年)の条に、甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国の高麗人1799人を集めて武蔵国に移し、高麗郡を置いたことが記されている。その高麗郷は現在に至るまで埼玉県日高市高麗川にその名を留めている。「あどせろ」は「どうしろ」という意味だが、東国訛りっぽい。「あやに愛(かな)しき」は3462番歌の結句に「あやに愛しさ」という形で出てきたばかりである。
 「華麗な高麗錦の紐を解き放って共寝をしたけれど、この上どうしろというのだ。本当に可愛い子だよ」という歌である。

3466  ま愛しみ寝れば言に出さ寝なへば心の緒ろに乗りて愛しも
      (麻可奈思美 奴礼婆許登尓豆 佐祢奈敝波 己許呂乃緒呂尓 能里弖可奈思母)
 「ま愛(かな)しみ」のまは強意、みは「~ので」の「み」。「言(こと)に出」は「噂に立ち」。「さ寝なへば」のさは語調を整える「さ」。「寝なければ」の意。「緒ろに」は「緒に」の東国訛り。「可愛くてたまらないので共寝をすると噂に立つ。さりとて共寝をしなければ心に長く緒を引いて恋しくてならない(共寝をせずにいられない)。」という歌である。

3467  奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね
      (於久夜麻能 真木乃伊多度乎 等杼登之弖 和<我>比良可武尓 伊利伎弖奈左祢)
 「真木(まき)」の真は美称。「とどとして」は「とどと押して」の省略、ないしは東国方言?。「ごとごと押して」という意味。「奥の山の真木で作った板戸をごとごと押して私が開けますので、入ってきて寝ましょう」という歌である。

3468  山鳥の尾ろのはつをに鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ
      (夜麻杼里乃 乎呂能波都乎尓 可賀美可家 刀奈布倍美許曽 奈尓与曽利鶏米)
 「山鳥の尾ろの」の「尾ろ」は東国訛り。「山鳥の尾に似た」という意味。「はつをに」がはっきりしない。「はつを」は一般には「初麻」と解されている。「初麻祭り」が行われたという話は聞いたことがない。とにかく初麻祭りがあったと想定して、本歌は、「山鳥の尾に似た初麻に鏡をかけ、私は呪文を唱える役目なんですが、あなたと一対になって行う祭りなので、どうしても注目されてしまいます」という歌と解されている。が、いまいちしっくりこない。麻は長く垂れ下がった山鳥の尾に似ているだろうか。
 私は「はつを」は「はつほ」の東国訛りと見ている。すなわち稲の初穂である。初穂祭すなわち新嘗祭は地方各地で色々な形で行われた。初穂を稲架(はさ)に垂らして掛ける。山鳥のしだり尾にそっくりだ。稲架(はさ)は鏡をかけるのに具合がいい。「唱(とな)ふべみこそ」は「呪文をとなえることになったので」と解されているが、文字通り「唄を唄うことになったので」という意味だと思う。「汝(な)に寄そりけめ」は「あなたと一対だろうと」という意味である。すなわち、彼女は唄い、男は舞うという男女一対の華やかな祭りだったと思う。
 「稲架(はさ)にかけた初穂は山鳥の尾に似ている。稲架(はさ)に鏡をかけ、私は唱う役目なんですが、あなたと一対になって行う祭りなので、どうしても注目されてしまいます」という歌である。

3469  夕占にも今夜と告らろ我が背なはあぜぞも今夜寄しろ来まさぬ
      (由布氣尓毛 許余比登乃良路 和賀西奈波 阿是曽母許与比 与斯呂伎麻左奴)
 東国訛りの多い歌である。「告(の)らろ」は「告りし」の、「我が背な」は「我が背」の、「あぜぞも」は「なども」の、「寄しろ」は「寄らし」の、それぞれ東国訛りと考えてよいだろう。「夕占いに今夜と出たのに、あの人はその今夜になってもどうして逢いに来て下さらないのだろう」という歌である。

3470  相見ては千年やいぬる否をかも我れやしか思ふ君待ちがてに
      (安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加<母> 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓)
 「千年やいぬる」は「千年も経ってしまったのだろうか」という意味である。「否(いな)をかも」は「いや、そうではないのかな」である。「お逢いしてからもう千年も経ってしまったのだろうか。いや、そうではないのかな。私だけがそう思っているだけなのかな。あなたを待ちかねて」という歌である。
 注に「柿本朝臣人麻呂歌集に登載されている」とある。

3471  しまらくは寝つつもあらむを夢のみにもとな見えつつ我を音し泣くる
      (思麻良久波 祢都追母安良牟乎 伊米能未尓 母登奈見要都追 安乎祢思奈久流)
 「しまらくは」は「しばらくは」。「もとな」は「しきりに」ないし「やたら」という意味。「しばしなりとぐっすり寝たいと思うのに、(あなたは)夢にしきりに出てきて私を泣かせる」という歌である。

3472  人妻とあぜか其を言はむ然らばか隣の衣を借りて着なはも
      (比登豆麻等 安是可曽乎伊波牟 志可良<婆>加 刀奈里乃伎奴乎 可里弖伎奈波毛)
 女性を着物にたとえた戯(ざ)れ歌。「あぜか」は「などか」の東国訛り。「人妻だから駄目となぜそれを言う。ならば隣の人の着物を借りて着ることがあるではないか」という歌である。ただ一点、本歌は相聞歌の中にある。ひょっとして、戯れ歌ではなく、人妻に恋する恋情を詠っているか?。

3473  左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる
      (左努夜麻尓 宇都也乎能登乃 等抱可騰母 祢毛等可兒呂賀 於<母>尓美要都留)
 「左努山」は「佐野山」で、群馬県高崎市山名町の丘陵がその山だという。「子ろ」は東国訛り。「あの子」というニュアンス。「佐野山で打つ斧の音のように遠いけれど、面影に現れて、共寝してもいいわよとあの子が言っているような気がする」という歌である。

3474  植ゑ竹の本さへ響み出でて去なばいづし向きてか妹が嘆かむ
      (宇恵太氣能 毛登左倍登与美 伊R弖伊奈婆 伊豆思牟伎弖可 伊毛我奈氣可牟)
 「本さへ響(とよ)み」は「根本までとどろかせて」という意味。本歌は「岩波大系本」が名訳を披露しているのでそのまま紹介しておこう。「あわただしく私が旅に出て行ってしまったら吾妹子は見当もつかずどっちを向いて嘆くことであろうか」という歌である。

3475  恋ひつつも居らむとすれど木綿間山隠れし君を思ひかねつも
      (古非都追母 乎良牟等須礼杼 遊布麻夜万 可久礼之伎美乎 於母比可祢都母)
 木綿間山(ゆふうまやま)は3191番歌に「よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山越えにし君が思ほゆらくに」とある。似ているが、本歌は「隠れし」とある。所在不詳。「隠れし」に焦点を当てれば挽歌とも取れる。が、本歌は相聞歌に入っているのでやや無理か?。「思ひかねつも」は「思いに耐え難い」という意味。「恋いこがれながらじっと耐えていようと思うけれど、木綿間山の向こう側に去っていったあの方への思いに耐え切れません」という歌である。
           (2016年5月3日記)
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バラの魅力

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 5年ほど前、私は四季咲きのミニバラを咲かせて楽しんでいた。ミニとはいえ、ちゃんとした美しいハバラで十二分に堪能した。今回、妙な言い方だが、本物のバラを見かけて思わずシャッターを押した。
 私はバラを見ると不思議な感情に打たれる。バラは造花と見まごうばかりに美しい。否、美しすぎるのだ。ご承知の様に、バラは古代ギリシア・ローマにおいて愛の女神ヴィーナスの化身と目された。また、古代エジプト絶世の美女だったとして名高い、あの女王クレオパトラが愛好した花としても知られる。が、わが日本にも万葉時代から知られていた花だった。たった一例だが、4352番歌に「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」とある。茨(うまら)のうれ(梢)とあるように、バラは茨の仲間だったらしい。
 したがって、古来からのバラは茨(イバラ)の一種とされていたようで、現在のバラとは大きく異なる花だったようだ。つまり、現在は園芸種として改良に改良が加えられ、豪華、華麗な姿となっている。
 もっともそれだけ改良に力が加えられてきたという事実は、原産種から美しく魅力的な花だったに相違ない。「バラを見ると不思議な感情に打たれる」というのはこうである。「美しすぎる花」。それは接する人に抗しがたい魅力を湛え、女神の化身ともなれば悪魔の化身ともなり得ることを示している。
 美しいバラにはトゲがあるっていうが、言い得て妙。が、バラ自身に着目すれば、バラはそう生まれついているわけで、女神の化身だの悪魔の化身だのは人間側が勝手にそう言っているだけで、バラは純粋に美しく咲いているだけなのだ。
   ほれぼれとしてバラ咲けりかにかくに垣を彩る姿美し
            (2016年5月4日)
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シジフォスの点眼

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 本日、2ヶ月振りに杉田眼科に出かけた。本欄の古くからの読者なら重々ご承知のように、私は昨年の8月と12月に眼の手術を受けている。各3時間に及ぶ眼としては大手術だ。が、これに加えて業苦だったのが、点眼薬だ。毎日毎日、しかも4種類に及ぶ薬を各2~4回射さねばならない。すなわち、薬によって回数が異なるから、ピーク時は毎時間のように射さねばならなかった。眼は大事だからという意識があるから、欠かすわけにはいかない。手術は恐怖と戦わなければならなかったので、大変だったが、ある意味、その手術以上に複雑怪奇な点眼をこなすのが業苦であった。
 さて、本日は視力、眼圧、視野、眼底等々様々な検査を受けたうえ、ドクターの診察を受けた。結果はもう点眼薬は不用とのこと。我が耳を疑う朗報に私は尋ねた。「これで完治ということでしょうか」。「いえ、念のために3ヶ月後に診せて下さい」。「念のために」とはうれしいではありませんか。わたしは「完治」と同様の意味に勝手に受け取った。
 帰宅途上、幾度も幾度も「念のために」「念のために」を口中につぶやいた。
 ひとつ山を越えた、というよりそれほど喜びがあふれてきた。完治?。いえいえ、点眼薬である。肝心の眼の状態はそっちのけで、本末転倒だが、それほど点眼薬から解放されるのがうれしかったのである。
   欠かさずに点眼をなすこの業苦解かれることの何よりうれし
   シジフォスの岩にも似たり延々と続け来たりし点眼の日々
 点眼を解かれたからといって事態が急展開したわけではない。眼病が完治したことを示すわけでもない。繰り返すこと自体は嫌いな方ではない。金魚やチビの世話はまさに繰り返しの連続だ。が、点眼という行為はいわば義務的に繰り返していたわけで、「義務的な繰り返し」それがまさにシジフォスの岩に似ていたという次第なのだ。
            (2016年5月6日)
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万葉集読解・・・219(3476~3490番歌)

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      万葉集読解・・・219(3476~3490番歌)
3476  うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月のぬがなへ行けば恋しかるなも [或本歌末句曰 流なへ行けど、我ぬ行がのへば]
      (宇倍兒奈波 和奴尓故布奈毛 多刀都久能 努賀奈敝由家婆 故布思可流奈母  [或本歌末句曰 奴我奈敝由家杼 和奴由賀乃敝波])
 本歌は東国訛り(方言)の多い歌である。「子な」は「子ら」の訛りで、「あの子」というニュアンス。「我ぬに」は「我れに」の、「恋ふなも」は「恋ふらも」の東国訛り。「立と月の」は「立つ月の」の、「ぬがなへ行けば」は「ながらへ行けば」の東国訛り。「うべ」は「そうそう」。「そうそう、あの子は私に気があったんだな。月が流れていけばいくほど恋しくなるだろうな」という歌である。
 異伝歌は、「流なへ行けど」は「流れ行けども」、「行がのへ」は「行かない」の東国語。「(あの子は恋しく思っているだろうな)月が流れて行けども私が行かないものだから」という歌である。

3477  東路の手児の呼坂越えて去なば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
      (安都麻道乃 手兒乃欲婢佐可 古要弖伊奈婆 安礼波古非牟奈 能知波安比奴登母)
 3442番歌に「東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに」とある。「手児(てご)の呼坂」は所在不詳。「後は逢ひぬとも」は「後に逢うだろうけれど」という意味。「あの人が東国の手児の呼坂を越えて行ってしまったら私は恋しくてならないだろうね。後に逢うだろうけれど」という歌である。

3478  遠しとふ故奈の白嶺に逢ほしだも逢はのへしだも汝にこそ寄され
      (等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼)
 「故奈(こな)の白嶺(しらね)」は所在不詳。「逢ほ」は「逢ふ」の、「逢はのへ」は「逢はない」の東国訛り。「はのへ」は前々歌の異伝歌に「行かのへ」と出てきたばかり。「しだ」は「時」。「寄され」は「寄せられている」、すなわち「噂を寄せられている」という意味である。「遠いという故奈の白嶺に逢う時も逢わない時もあんたに寄せられていると噂が立っている。なのに(なぜなかなか逢ってくれないの)」という歌である。

3479  赤見山草根刈り除け逢はすがへ争ふ妹しあやに愛しも
      (安可見夜麻 久左祢可利曽氣 安波須賀倍 安良蘇布伊毛之 安夜尓可奈之毛)
 赤見山は栃木県佐野市赤見町にある東山とされている。「逢はすがへ」は「逢っておきながら」である。「赤見山で草を刈り払って逢っておきながら抵抗する彼女がむしょうに愛しい」という歌である。

3480  大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも
      (於保伎美乃 美己等可思古美 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 欲太知伎努可母)
 「来のかも」は「来ぬかも」の訛りだが、原文「伎努可母」からすると奴を努の字に誤ったとも取れる。本歌には他に訛りは見られず、奴を努の字に誤った可能性も十分にある。
 「大君(天皇)の命令を畏んで愛しい彼女の手枕を離れ、夜、出立してきた」という歌である。

3481  あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも
      (安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母)
 類歌に502番歌「玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも」がある。「さゐさゐしづみ」の原文は「狭藍左謂沈」。本歌の「さゑさゑしづみ」の原文は「佐恵々々之豆美」。両歌ともあわただしさを表現していると見られる。着物が沈むというのだから「脱ぎ捨てた着物がさやさやと沈む」という意味だと思われる。「あり衣」は「絹の着物」という意味のようだが、「ありのままの着物」すなわち「普段着の着物」という意味ではなかろうか。「あわただしく普段の着物を脱ぎ捨てそのまま崩れ落ちたままにして旅装束に着替え、妻に物も言わずにあわてて出立してきたので、心苦しい」という歌である。
 注記に「柿本朝臣人麻呂歌集に登載されている。なお前にも見えている」とある。502番歌のことを指しているのだろうか。

3482  韓衣裾のうち交へ逢はねども異しき心を我が思はなくに
      (可良許呂毛 須蘇乃宇知可倍 安波祢杼毛 家思吉己許呂乎 安我毛波奈久尓
 「韓衣(からころも)」は中国服のこと。中国服は裾が合わせられるようにできていないため、「合はねども」といい、「逢はねども」にかけた。「異(け)しき心」は「他(あだ)し心」のことで、「ほかの男に心惹かれる」こと。「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんが、決してほかの男に心惹かれているわけではありません」という歌である。
 異伝歌があって以下のようになっている。
  或本歌曰:韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへの故に言痛かりつも
      (可良己呂母 須素能宇知可比 阿波奈敝婆 祢奈敝乃可良尓 許等多可利都母)
 「なへ」は「ない」の訛り。「言痛(ことた)かりつも」は「噂がひどい」。「中国の服は和服のように裾が合わせられるようにできていないように、私たちはお逢いしていませんし、したがって寝てもいないのに人の噂がひどいですね」という歌である。

3483  昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ
      (比流等家波 等<家>奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家)
 「なへ」は「ない」の、「やすけ」は「やすき」の訛り。「昼間解こうとしても解けない着物の紐もあなたに相寄るのか夜になると解けやすい」という歌である。

3484  麻苧らを麻笥にふすさに績まずとも明日着せさめやいざせ小床に
      (安左乎良乎 遠家尓布須左尓 宇麻受登毛 安須伎西佐米也 伊射西乎騰許尓)
 「麻苧(あさを)らを」は「麻の繊維」すなわち「麻糸の原料を」。麻笥(をけ)は紡ぎ取った麻を入れる容器。 「ふすさに」は本歌一例のみで何ともいえないが、「いっぱいに」ないし「急いで」という意味。東国方言か?。「績(う)まずとも」は「細かく裂いて糸にしなくとも」という意味である。「着せさめや」は敬語及び反語表現が連なったもの。「お召しになるのでしょうか」である。「麻の繊維を細かく裂いて糸にして箱いっぱいにしなくとも、明日お召しになるものでもないでしょうに。さあ、いい加減にして床に入りませんか」という歌である。

3485  剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに
      (都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓)
 「剣大刀(つるぎたち)」は枕詞。「取り見がね」は「世話をしかね」。「剣大刀のように身に添ってきた妻の世話をしかね、私は声をあげて泣いてしまった。赤子でもないのに」という歌である。

3486   愛し妹を弓束並べ巻きもころ男のこととし言はばいや勝たましに
      (可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓)
 「弓束(ゆづか)並べ巻き」は、弓を左手に握る部分を弓束というが、その「弓束を巻き付けること」である。「もころ男(を)」は1809番長歌の一節に「~もころ男に負けてはあらじと~」とあるように「競争相手」。「愛しい彼女よ。弓束(ゆづか)を巻き付ける競争のことなら競争相手に勝ってみせるんだが、恋敵となると君の気持ちしだいだからなあ」という歌である。

3487  梓弓末に玉巻きかくすすぞ寝なななりにし奥をかぬかぬ
      (安豆左由美 須恵尓多麻末吉 可久須酒曽 宿莫奈那里尓思 於久乎可奴加奴)
 「かくすすぞ」は「のようにしてきたが」という意味。「寝なななりにし」は「寝ないまま成りにし」ということ、すなわち「共寝しないままになってしまった」という意味である。「奥をかぬかぬ」は「将来のことを考え考え」。「梓弓(あづさゆみ)の弓末(ゆずゑ)に玉を巻こうと(飾り立てようと)大切にしてきたが、共寝しないままになってしまった。遠い将来のことを考え考えきたのに」という歌である。

3488  生ふしもとこの本山の真柴にも告らぬ妹が名かたに出でむかも
      (於布之毛等 許乃母登夜麻乃 麻之波尓毛 能良奴伊毛我名 可多尓伊弖牟可母)
 「しもと」は広辞苑に「枝の茂った若い木立」とある。「~真柴にも」は同音の「しばしも(少しも)」を導く序歌。「かたに」は鹿の骨を焼いて現れた形象(かた)で占う占い。「枝の茂った若い雑木、この山の麓の雑木の柴のように暫しも彼女の名は口に出さないようにしているが、形象(かた)占いに出てしまうかなあ」という歌である。

3489  梓弓欲良の山辺の茂かくに妹ろを立ててさ寝処払ふも
      (安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母)
 梓弓(あづさゆみ)は枕詞。欲良(よら)は所在不詳。「茂かくに」は「茂きくに」の訛り。「茂った所に」。「妹ろ」は「妹ら」の訛り。親愛の「ら」。「あの子」ないし「彼女」というニュアンス。「欲良の山辺の茂った場所にあの子を立たせ待ってもらって、共寝の場所を雑木を払って確保する」という歌である。

3490  梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝をはしに置けれ
      (安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼)
 梓弓(あづさゆみ)は枕詞。「まさかこそ」は「現在でこそ」という意味。結句の「はしに置けれ」がやや分かりづらい。「中途半端に」とか「はしに置いている」という解になっている。こんな言い方で女性はよしとするだろうか。「はしに置けれ」は「目のはしに置いた振りをしているけれど」という意味ではなかろうか。「ゆくゆくは寄り添って寝る仲になるつもりだが、今は人目が多いので目のはしに置いた振りをしているけれど」という歌である。
 注記に本歌は「柿本朝臣人麻呂の歌集に登載されている」とある。
           (2016年5月8日記)
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日本のエチケット

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 一昨日の英会話クラブの例会で、ビジネスエチケットが話題になった。言わずとしれた日本ビジネス界でである。日本と断ったのはそれは日本特有と思われるからである。
 多くのビジネスマンには身に覚えがあるだろうが、初対面の人同士の場合、先ず名刺交換が行われる。あの小さなカードを両手に持ってうやうやしく差し出すのである。否、初対面でなくとも、部署が変わった場合にも名詞をうやうやしく差し出す。さらに、友達同士の場合さえ、連絡先が変更になった場合等に、名詞を差し出す。日本社会はまるで名詞文化さながらだ。こんな訳で名詞交換はあまりにも常識化され、当たり前だと思っている。世界広しといえど、名詞交換がエチケットを超越して文化にまでなっているのはわが日本だけであろう。
 二つ目に目立つのはお辞儀の習慣である。会釈から始まって深々と頭を下げて行う、いわば何種類もあって使い分ける。出世する人は見事に使い分けているようである。
 リップサービスで「レディ・ファースト」というが、実態は正反対である。強きを助け弱きをくじく文化が根付いている。宴会など「レディ・ファースト、ですからね、ハハハハ」と笑いの種にしてしまうほどひどい。むろん、これは長年に渡る男尊女卑の歴史的背景が根付いているからだろうが、ちょっとひどい。最近変化しつつあると信じたいが、ビジネス社会では頑強に残っていることだろう。
 その他色々あるが、最後に握手のことを述べよう。個人同士から首脳同士に至るまで海外では握手が常識になっている。テレビや映画でどちらからともなく、手を差し出す場面のオンパレードである。ところが日本にはその習慣がない。よほど意識的に行わないと、いや勇気をふるって行っても、かえって「なれなれしい」と思われてしまう。世界の常識は日本の非常識なのである。
            (2016年5月9日)
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万葉集読解・・・220(3491~3505番歌)

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      万葉集読解・・・220(3491~3505番歌)
3491  柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ
      (楊奈疑許曽 伎礼波伴要須礼 余能比等乃 古非尓思奈武乎 伊可尓世余等曽)
 「生えすれ」は「生えこそすれ」の省略形。久々に平明歌。「柳なら伐(き)れば生えてもこよう。が、私は、この世の人の身。恋い焦がれて死にそうなのになんとしよう」という歌である。

3492  小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも
      (乎夜麻田乃 伊氣能都追美尓 左須楊奈疑 奈里毛奈良受毛 奈等布多里波母)
 小山田(をやまだ)という地名はいくつもあり、特定は不可。「成りも成らずも」は柳にかけて二人の間を言っている。「小山田の池の堤に挿し木した柳が根付くか否かは、そう、私たち二人の恋が成就するか否かにかかっている」という歌である。

3493  遅速も汝をこそ待ため向つ峰の椎の小やでの逢ひは違はじ
      (於曽波夜母 奈乎許曽麻多賣 牟可都乎能 四比乃故夜提能 安比波多我波自)
 「椎の小やでの」は「椎の小枝の」の訛り。「枝先が重なり合う」ことを言っている。「遅かれ速かれあなたを待ちましょう。向かいの峰の椎の木が枝先を伸ばしてやがて重なり合うのはまちがいないでしょうから」という歌である。
 本歌には以下のような異伝歌が併載されている。
  或本歌曰:遅速も君をし待たむ向つ峰の椎の小枝の時は過ぐとも
      (於曽波夜毛 伎美乎思麻多武 牟可都乎能 思比乃佐要太能 登吉波須具登母)
 下二句が「椎の小枝の時は過ぐとも」となっている。「小枝の時が経過して大枝になっても」という意味で、「いつまでもお待ちします」という歌である。

3494  子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ
      (兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布)
 群馬県の沼田市と渋川市との境界に子持山(こもちやま)というのがある。標高1300mほど。「かへるで」は「かへで」の、「あどか」は「などか」の訛り。万葉歌らしいあっけらかんとした歌。「子持山の楓の若木が紅葉するまでもお前と寝ようと思う。お前はどう思う」という歌である。

3495  巌ろの沿ひの若松限りとや君が来まさぬうらもとなくも
      (伊波保呂乃 蘇比能和可麻都 可藝里登也 伎美我伎麻左奴 宇良毛等奈久文)
 「巌(いはほ)ろの」は「巌(いはほ)らの」の訛り。「~沿ひの若松」は「待つを」導く序歌。「うらもとなくも」は「心もとないこと」という意味である。「岩沿いに生える若松ではないが、待つのも今回限りとおっしゃるのですか。あなたがいらっしゃらなくなると、心もとなくてたまりませんわ」という歌である。

3496  橘の古婆の放髪が思ふなむ心うつくしいで我れは行かな
      (多知婆奈乃 古婆乃波奈里我 於毛布奈牟 己許呂宇都久思 伊弖安礼波伊可奈)
 「橘(たちばな)の」は武蔵国橘樹郡(現在神奈川県川崎市と横浜市にまたがる一帯)のことという。古婆(こば)は所在不詳。「放髪(はなり)が」は「髪を結い上げていない少女が」という意味。「橘の古婆にいる髪を結い上げていない少女が思う心が美しい。さあ、今からその少女の許へ行こう」という歌である。

3497  川上の根白高萱あやにあやにさ寝さ寝てこそ言に出にしか
      (可波加美能 祢自路多可我夜 安也尓阿夜尓 左宿佐寐弖許曽 己登尓弖尓思可)
 「川上の根白高萱(ねじろたかがや)」は「「川上に生える、根が白く丈の高い萱(かや)草」のことで「あやにあやに」を導く序歌だというのが定説。「かや」と「あや」が類似音で似ているからだという。なんて、もって回った序歌だろう。他の万葉歌の序歌の置き方から推して「川上の生ふる小萱(おがや)の」とでもしそうなのに・・・。萱をわざわざ「根が白く丈の高い萱」などと表現するのだろうか。何かすっきりしない。私にいい考えがあるわけではないが、原文の「祢自路多可我夜」はひょっとして「根城高賀屋」といった地名ないし場所なのではなかろうか。そして「あやにあやに」は「むしょうに」、「さ寝さ寝てこそ」は「共寝を重ねたので」と解する。
 以上の解が可能なら本歌は「川上の根城の高賀屋でむしょうに共寝を重ねたので噂に立ってしまった」という歌となる。

3498  海原の根柔ら小菅あまたあれば君は忘らす我れ忘るれや
      (宇奈波良乃 根夜波良古須氣 安麻多安礼婆 伎美波和須良酒 和礼和須流礼夜)
 海原(うなはら)は海辺のこと。「根柔(ねやは)ら小菅」は塩莎草(シホクグ)のことで、広辞苑に「カヤツリグサ科の多年草、海浜の湿地に群生」とある。「あまたあれば」は「群生しているので」という意味である。「多くいる女性に目移りする」ことを言っている。「海浜に群生する塩莎草(シホクグ)のようにあなたは多くいる女性に目移りして私のことはお忘れでしょう。が、私の方は忘れることがありましょうか」という歌である。

3499  岡に寄せ我が刈る萱のさね萱のまことなごやは寝ろとへなかも
      (乎可尓与西 和我可流加夜能 佐祢加夜能 麻許等奈其夜波 祢呂等敝奈香母)
 「岡に寄せ」は刈っている萱(かや)は水辺に生えているので、陸地に引き寄せること。「さね萱」は「さ根萱」で根のついた萱。「さ」は美称。第四句「まことなごやは」は「ほんに柔らか」という意味だろうか。末尾の「は」も気になる。萱は屋根を葺くのに使われるようにガサガサした草。この句は「まこと凪(な)ご夜は」で、「凪ぎ夜は」の訛り。そして第五句の「寝ろとへなかも」は。「寝ると言ふのかい」の訛りだろう。通解とは異なるが、次のような歌かと思う。
 「海辺の萱(かや)を刈り取っては陸地に引き寄せ、その根のついた萱で波静かな夜に寝ようと言うのかい」という歌である。

3500  紫草は根をかも終ふる人の子のうら愛しけを寝を終へなくに
      (牟良佐伎波 根乎可母乎布流 比等乃兒能 宇良我奈之家乎 祢乎遠敝奈久尓)
 紫草(むらさき)は染料に使う紫草のこと。根っこもすべて染料に使う。「うら愛(かな)しけを」は「心愛(いと)しいのに」という意味。「寝を終へなくに」は「共寝もしていないのになあ」である。「紫草(むらさき)は根っこもすべて染料に使うという。が、私はといえば、あの子が心愛(いと)しいのに、共寝もしていないのになあ」という歌である。

3501  安波峰ろの峰ろ田に生はるたはみづら引かばぬるぬる我を言な絶え
      (安波乎呂能 乎呂田尓於波流 多波美豆良 比可婆奴流奴留 安乎許等奈多延)
 安波(あは)は安房(千葉県)の山というが、はっきりしない。二つの「峰(を)ろ」は東国訛り。親しみの表現。「生(お)はる」は「生ふる」の、「たはみづら」は「たはみづる」の各東国訛り。「たはみづる」の具体的な種類は分からないが、蔓草のことを言っている。本歌は3378番歌の「入間道の大家が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね」に類似している。「安波の峰の山田に生える蔓草のように、引けばずるずる寄ってくるように、私と連絡を絶やさないでほしい」という歌である。

3502  我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ
      (和我目豆麻 比等波左久礼杼 安佐我保能 等思佐倍己其登 和波佐可流我倍)
 「愛(いと)しい」を「愛(め)づ」というが、「目妻」は「愛(め)づ妻」の短縮形か。「人は放(さ)くれど」は「人は割こうとするが」という意味。「としさへこごと」は古来難句。結句の「離(さか)るがへ」は「離れるものか」である。全体の歌意を考えると、朝顔が唐突である。「あさがほの」は「あさかおの」の東国訛りではなかろうか。「としさへ」は「ときさへの」やはり東国訛り。「こごと」は「小言」。表題訓はそのままにしておくが、以上の解で一応歌意は通る。「私の愛しい妻、人は割こうとするが、朝、顔を合わせるときさへ小言が聞こえる。が、私は離れるものか」という歌である。

3503  安齊可潟潮干のゆたに思へらばうけらが花の色に出めやも
      (安齊可我多 志保悲乃由多尓 於毛敝良婆 宇家良我波奈乃 伊呂尓弖米也母)
 「安齊可潟(あぜかがた)」は所在不詳。「うけらが花」は広辞苑を引くと「おけらの古名」とあって、その「おけら」を引くと「キク科の多年草。山野に自生」とある。「潮干のゆたに思へらば」は「潮がゆったり引いていくようにのんびり思っているなら」という意味。「安齊可潟(あぜかがた)の潮がゆったり引いていくようにのんびり思っているなら、鮮やかなおけらの花のように顔に出るものだろうか」という歌である。

3504  春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば
      (波流敝左久 布治能宇良葉乃 宇良夜須尓 左奴流夜曽奈伎 兒呂乎之毛倍婆)
 「春へ咲く」は「春辺咲く」で、「春頃咲く」という意味。「藤の末葉(うらば」の」は「枝の先端に垂れ下がる藤の花」のこと。ここまで次句の「うら安に」を導く序歌。「うら安に」は「心やすらかに」という意味。「子ろをし」の「子ろ」は「子ら」の東国訛り。親愛の「ろ」。しは強意の「し」。「春頃、枝の先端に垂れ下がる藤の花。心やすらかに眠る夜もない。あの子のことを思うと」という歌である。

3505  うちひさつ宮の瀬川のかほ花の恋ひてか寝らむ昨夜も今夜も
      (宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 <伎>曽母許余比毛)
 「うちひさつ」は「うちひさす」の東国訛り。枕詞。宮の瀬川は所在不詳。「かほ花」は1630番歌や2288番歌にも詠われている。朝顔、かきつばた、むくげ等諸説あってはっきりしない。これらの歌の内容からら考えると、「かほ花」は具体的な花の名ではなく、その場面場面で使われる顔に似た花だろう。「(あの子は)宮の瀬川に咲くかお花のように恋しい顔を向けて眠っていることだろう。昨夜も今夜も」という歌である。
           (2016年5月11日記)
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オバマ大統領広島へ

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核廃絶を考えてみよう
 日米両政府は、オバマ米国大統領が5月27日に広島の平和記念公園を訪問すると発表した。5月26~27日に開かれる主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に出席するため、来日する。そのサミット終了後、27日に平和記念公園を訪れるというもの。現職の米大統領が訪れるのは初めてで、安倍首相も同行する。
 大歓迎である。かねてからオバマ大統領は「核兵器のない世界」をめざす考えを表明していたからである。
 核兵器の廃絶を訴えて、これまで長々と一文を弄してきたが、本当に喜ばしい。ご承知のように、アメリカは日本に核兵器を落とした唯一の国であり、かつ、世界一の核保有大国である。そのアメリカの大統領が「核兵器のない世界」を表明する意義は計り知れないほど大きい。
 本シリーズの中で、人類の絶滅を招きかねない核戦争は勝者もなければ敗者もない。人類の絶滅があるだけの身の毛もよだつ恐ろしい最終兵器であり、これを回避するには核軍縮では駄目。何が何でも核廃絶しかないと記してきた。
 オバマ大統領に期待できるのは、理由がある。大統領は7年前の2009年4月5日、チェコ・プラハのフラッチャニ広場で演説を行った。その中で核の脅威に大きなスペースを割いてスピーチしている。その中で大統領は次のように述べている。
「何千もの核兵器の存在は冷戦の最も危険な遺産です。米国とソ連の間に核戦争が交わされたことはありませんでしたが、世界がたった一つの閃光で消されるという知識を持って数世代が生きてきました。今日、冷戦は消えましたが、何千もの兵器は消えませんでした。歴史の奇妙な転換点で、世界的な核戦争の脅威は減ったものの、核攻撃のリスクは高まりました。」
 つまり大統領は核の脅威を十分に認識し、「世界がたった一つの閃光で消される」と述べているのである。
 核軍縮ではなく、この地上から「核兵器のない世界」、つまり核廃絶に向かって一歩踏み出さないといけないことを示しています。
 私は危険にさらされているのは核の非保有国よりも核保有国自身であることを述べた。システムの不具合から誤発射も含めて脅威にさらされていると・・・。保有国の国民こそ核の脅威は高いと。一庶民に過ぎない私の一文が巡り巡って為政者に届いてくれたら、という思いで、この一文を記しておきたい。
 オバマ大統領が広島の平和記念公園を訪問したからといって、ただちに「核兵器のない世界」に向かうとは言えないだろうが、その一歩になってほしいと切に願う次第である。
          (2016年5月12日)
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万葉集読解・・・221(3506~3522番歌)

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      万葉集読解・・・221(3506~3522番歌)
3506  新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ
      (尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂)
 「新室(にひむろ)のこどきに至れば」だが、新室は「蚕用の新室」。「こどき(蚕時)」は「蚕を飼育する時期」。すなわち「蚕用の飼育室にこもって作業する時期になったので」という意味である。「はだすすき」は穂がないススキ。ここは枕詞。「蚕用の飼育室にこもって作業する時期になったのか、せっかく好意を示してくれたあの方がみえないこのごろ」という歌である。

3507  谷狭み峰に延ひたる玉葛絶えむの心我が思はなくに
      (多尓世婆美 弥<年>尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓)
 「谷狭(せば)み」は「~ので」の「み」。玉葛(たまかづら)の玉は美称。蔓草。「谷が狭く、峰に向かって伸びてゆく蔓草(つるくさ)の蔓だもの。決してその思いが耐えるとは思えません」という歌である。

3508  芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらば我れ恋ひめやも
      (芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母)
 「芝付(しばつき)」はおそらく芝付郷。所在不詳。「御宇良崎(みうらさき)」は神奈川県三浦岬か。「ねつこ草」は不詳。ここまで「寝た子」にかけた序歌。「芝付の御宇良崎にあるねつこ草ではないが共寝したあの子に逢っていなければ、これほど恋しく思うだろうか」という歌である。

3509  栲衾白山風の寝なへども子ろがおそきのあろこそえしも
      (多久夫須麻 之良夜麻可是能 宿奈敝杼母 古呂賀於曽伎能 安路許曽要志母)
 栲衾(たくふすま)は白い掛け布団。ここは枕詞。白山は山陰の白山か否かはっきりしない。白山(はくさん)とすると、石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる山。標高2702mの名山。「おそき」は上に着る重ね着。「寝なへども」は「寝られない」のおそらく東国訛り。「子ろ」は「子ら」の訛り。「あの子」というニュアンス。「あろこそえしも」は「有るこそ良きも」の東国訛り。「白山おろしが強くて寝られないけどあの子が用意してくれた重ね着があるので良かった」という歌である。

3510  み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言どひ明日帰り来む
      (美蘇良由久 <君>母尓毛我母奈 家布由伎弖 伊母尓許等<杼>比 安須可敝里許武)
 本歌は雲であったらという歌であるが、2676番歌に「ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに」とある。「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌であるが、発想は本歌に相似している。「雲にもがもな」は「雲であったら」という意味。「空中を行く雲であったなら、今日行ってあの子と言葉を交わし、明日にはここに帰って来られるのになあ」という歌である。

3511  青嶺ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ
      (安乎祢呂尓 多奈婢久君母能 伊佐欲比尓 物能乎曽於毛布 等思乃許能己呂)
 最初に本歌を読んだとき、私は百人一首の「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」を思い起こした。権中納言(ごんちゅうなごん)藤原敦忠(ふじわらのあつただ)の歌で『拾遺集』710番歌の歌である。本歌はそんな歌ではなく、もっと万葉歌らしいあっけらかんとした歌と解する向きもある。次歌の存在が共寝を連想させるからである。が、私は純粋に恋情の歌と解してよいと思う。「青嶺(あをね)ろに」は山に対する親しみの「ろ」。「あの青い山に雲がたなびいている。その雲が漂っているごとく、あの子のことが思われてならない。きょうこのごろ」という歌である。

3512  一嶺ろに言はるものから青嶺ろにいさよふ雲の寄そり妻はも
      (比登祢呂尓 伊波流毛能可良 安乎祢呂尓 伊佐欲布久母能 余曽里都麻波母)
 「一嶺(ひとね)ろに」は前歌参照。「一つ峰と」という意味。「言はるものから」は「言われてきたのに」である。「二人は一つ峰と同じと言われてきたのに、いつからか、寄り添う妻は、あの青い山に漂う雲のようになってしまった」という歌である。

3513  夕さればみ山を去らぬ布雲のあぜか絶えむと言ひし子ろばも
      (由布佐礼婆 美夜麻乎左良奴 尓努具母能 安是可多要牟等 伊比之兒呂婆母)
 「夕されば」は「夕方になると」という意味。「布雲(ぬのぐも)」の原文は「尓努具母(にのぐも)」、すなわち東国訛り。「あぜか」は「などか」の、「子ろばも」は「子らばも」(あの子よ)の東国訛り。「夕方になるとみ山にかかった布雲のようになぜか去らず耐えない、とあの子は言ったよな」という歌である。

3514  高き嶺に雲のつくのす我れさへに君につきなな高嶺と思ひて
      (多可伎祢尓 久毛能都久能須 和礼左倍尓 伎美尓都吉奈那 多可祢等毛比弖)
 「雲のつくのす」は「雲のつくなす」の訛り。「雲がかかるように」という意味。「我れさへに」は「私もまた」。「高い峰に雲がかかるように、私もまたあなたにかかりたい、高い峰だと思って」という歌である。

3515  我が面の忘れむしだは国はふり嶺に立つ雲を見つつ偲はせ
      (阿我於毛乃 和須礼牟之太波 久尓波布利 祢尓多都久毛乎 見都追之努波西)
 「我が面(おも)の」は「私の顔を」。「忘れむしだは」は「忘れむ季(き)だらよ」という意味。ここで3502番歌にさんざん悩まされた難句「としさへこごと」を思い起こした。その際「としさへ」は「ときさへの」東国訛りと解した。が正確には「し」のみでも「季」の意味があると本歌に教えられた。「国はふり」は「国にあふれる」すなわち「国のあちこちにある」という意味である。「私の顔を忘れそうな時だらよ、国のあちこちにある嶺にかかる雲を見て私を偲んでちょうよ」という歌である。

3516  対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
      (對馬能祢波 之多具毛安良南敷 可牟能祢尓 多奈婢久君毛乎 見都追思努<波>毛)
 「対馬の嶺は」は九州の対馬とするのは奇妙。巻14の頭書に「東歌」(あづまうた)と記されている。かつ、本歌は「いまだ国名の分からない相聞歌」の中の一首。九州の対馬なら国名が分からぬ道理はない。しからば初句「原文;對馬能祢波」はどう読む。不明としか言いようがないが一例として「津島の峰は」か?。「あらなふ」は「あらない」。「可牟の嶺」も不明。あるいは「上の峰」か?。「津島の峰には下雲はかかっていない。向こうの上の峰にたなびいている雲を見ながらあの子を偲ぼう」という歌である。

3517  白雲の絶えにし妹をあぜせろと心に乗りてここば愛しけ
      (思良久毛能 多要尓之伊毛乎 阿是西呂等 許己呂尓能里弖 許己婆可那之家)
 「あぜせろ」は「などせろ」の東国訛り。「どうしろ」という意味。「ここば」は「ここだ」(しきりに)の東国訛り。3373番歌の結句に「~ここだ愛しき」とある。「切れた白雲のように意志疎通になってしまった彼女をいまさらどうしろというのか。が、彼女は心に乗っかってきてなぜこうもしきりに愛しいのだろう」という歌である。

3518  岩の上にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝しめとら
      (伊波能倍尓 伊可賀流久毛能 可努麻豆久 比等曽於多波布 伊射祢之賣刀良)
 「いかかる雲の」のいは調子を整える「い」。本歌は3409番歌「~、かぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら」に類似している。「かぬまづく」は本歌の「かのまづく」と同じなら、「かぬまづく」は「かずまふ」(仲間の)の、「おたはふ」は「あたはふ」(出来る)のそれぞれ東国訛りか?。「とら」は「子ら」の東国訛り。「岩の上に雲が次々とかかる。仲間の内の人と認めてさあ共寝しようか親愛なる彼女よ」という歌である。

3519  汝が母に嘖られ我は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ
      (奈我波伴尓 己良例安波由久 安乎久毛能 伊弖来和伎母兒 安必見而由可武)
 「嘖(こ)られ」は「叱られて」。平明歌。「あんたの母さんに叱られて私はすごすごと退散する。でも青雲のようにそっと出てきておくれ私の彼女。一目見て行きたい」という歌である。

3520  面形の忘れむしだは大野ろにたなびく雲を見つつ偲はむ
      (於毛可多能 和須礼牟之太波 於抱野呂尓 多奈婢久君母乎 見都追思努波牟)
  「面形(おもかた)の」は「お前さんの顔かたちを」。 「忘れむしだは」は五首前の3525番歌に出てきた。「~季だら」(時だら)という意味。「大野ろ」のろは親愛の「ろ」。「お前さんの顔かたちを忘れそうになったら、広大な野にたなびいている雲を見つつお前を偲ぼう」という歌である。

3521  烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く
      (可良須等布 於保乎曽杼里能 麻左R尓毛 伎麻左奴伎美乎 許呂久等曽奈久)
 「大をそ」は654番歌「相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも」とあるように「軽率」という意味。「まさでにも」は「本当には」という意味。「ころくとぞ」は「そら来たぞと」という意味。「カラスというあの大あわてものの鳥が、本当に来たわけではないあの方を、そら来たぞと鳴く」という歌である。

3522  昨夜こそば子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴き行く鶴の間遠く思ほゆ
      (伎曽許曽波 兒呂等左宿之香 久毛能宇倍由 奈伎由久多豆乃 麻登保久於毛保由)
 「昨夜(きそ)こそば子ろとさ寝しか」は「昨夜あの子と寝たばかりなのに」である。「子ろ」は「子ら」の東国訛り。「あの子」。「雲の上ゆ」は「雲の上より」だが、「雲の上を」という意味。「昨夜あの子と寝たばかりなのに、雲の上を行く鶴の鳴き声がもう間遠く思える」という歌である。
           (2016年5月15日記)
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不易流行

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 前にも記したが、私は英会話クラブの例会後、必ずといっていいほど立ち寄る寿司店がある。名古屋では老舗の東寿司(あずまずし)本店である。そこに大きな額が架かっていて「不易流行」という4文字が墨書されている。これまで、何の注意も払わず、漫然と目を注いできた。いわゆる「四字熟語」の一つなんだろうなと思っただけだった。
 ところが、何の脈絡もなく、ふっと気になった。「不易」と「流行」は正反対の意の筈だが、それを並べて何か意味があるのだろうか。疑問を抱いた私は一日置いて「四字熟語辞典」(大修館)を引いてみた。驚いたことに不易流行を説いたのは俳聖松尾芭蕉だという。芭蕉は「俳諧は永遠に変わらないものと時に応じて変化するものとの両面に立脚しており、風雅の誠を求めて変化し続けていくことこそが俳諧の不変の価値を実現する」と説いた。これは文章の現代性から見て芭蕉その人の言葉ではないだろうが、「四字熟語辞典」にはこう出ている。
 私は不易流行はてっきり中国の成句から取ってきた熟語だと思い込んでいた。なので、このことを知り、わが不明に恥じ入った。が、不易流行はたんに俳諧の世界にとどまらない真実を含んでいる。とどまってしまったら死後の世界と選ぶところがない。さりとて流行を追ってばかりいたら没個性となる。没個性では芸術を進化させられない。否芸術ばかりでなく、科学その他万般に及ぶ真理に相違ない。俳諧の世界を説きながら万般に及ぶ普遍性を持っている。どっしりした不変の大木に伸びる枝の数々。そのまた先の梢の先に咲く花々、どこが途切れても梅や桜は花を付けることは出来ない。うーむ。 不易流行、なんという奥深い言葉なんだろう。
    何気なく見過ごしてきた四字熟語架けたる人の心ばえを知る
 ふっと疑問に思って調べてよかった。
            (2016年5月16日)
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ボダイジュ

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 先日、地下鉄伏見で降りて、英会話クラブ例会の会場に向かう途中でボダイジュ(菩提樹)を見かけた。初めてお目にかかる木だ。どうしてその木がボダイジュだと分かったかというと、幹の根本近くに銘板が架かっていたからだ。
 銘板にはこう記されていた。「シナノキ科、中国中央部に分布。寺院や庭園に多く、種子をジュズ玉とする。仏教の聖木は別種」。
 えっ?である。釈迦が根元で瞑想して悟りをひらいたという、あの木とは別種なのか。インドのあの木も確か菩提樹といったよな。私は一瞬頭が混乱した。
 帰宅後、えっと思って広辞苑を引くと「クワ科の常緑高木。インド、ビルマに産する」とある。なるほどシナノキ科とクワ科では全く違うよな。原産地も中国中央部とインド、ビルマで全く異なる。それでいて、樹名は同じ菩提樹。しかも菩提といえば並の名前ではなく「悟り」を意味している。おいおいである。
 いちいち辞書を引かないと分からないとは労力の浪費と言いたくなる。菩提樹という特別な意味を持つ聖木と全く同一の名称をつけなくったって。どうして中国原産の木が菩提樹と命名されたのか知ろうとも思わないが、ホント、全くまぎらわしい。樹木の専門家にお願いしたいのはこんなまぎらわしい名を付けないでもらうとありがたい。気づいたなら名を変えればいいのにと思ってしまう。
 せっかく、ボダイジュ(菩提樹)に出会い、インドの木だと思った私は、それについての寸感を一文にまとめ、記そうと思ったが、予定が狂ってしまった。ボダイジュも菩提樹も
木にとってはどんな名であろうとそれこそ「知ったこっちゃあありません」ってとこだろうが、ほんとまぎらわしく、ややこしいですね。せめて今後はシナノキ科の方は「ボダイジュ」とカタカナ表記にしたらどうだろう。
            (2016年5月17日)
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三河吉良より

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 昨日、中学校のクラス同窓会が開かれ、出席した。観光バスで名古屋駅~吉良観光ホテル(西尾市の三河・吉良温泉)間を往復した。3年振りの開催だ。皆老齢化したのを除けば型どおりの昼食会となり、記憶にとどめる程のことはない。私の場合は旧交を温めるというより、集まりに顔を出せる、そのこと自体が感謝なので、これで十分。
 三河吉良に行ったのは初めて。座が一段落した頃を見はらかって座を中座し、窓外に出てみた。三河湾のすばらしい眺望が広がっていた。ほぼ180度に広がるパノラマ風景の中央(目前)に梶島が浮かんでいた。久々に目にする海。広々とした海原はいやがうえにも私を興奮させた。離島好きな私はすぐにでも梶島に飛んでいきたい衝動にかられた。カメラに全景はおさめられないが、梶島の遙か遠く、背後には渥美半島の山々が連なり、いつもながら海洋風景のすばらしさに圧倒された。
 むろん、こんな絶景も、やや巨視的にみれば、全国日本列島の至る所にみられる、平凡な風景の一つに過ぎないのだろう。が、げんに目前にしている私には、私自身が風景のほんの一点にも満たない存在と化して見えている。「海は広いな 大きいな」、少年の頃に口ずさんだ童謡『海(うみ)』の一節が耳に響く。
    梶を取りあの梶島に漕ぎ出でん少年の日の遠き風景
    梶島の背後に連なる渥美なる山の連なり飽きることなし
 しばし、私は風景に見とれ、十分に堪能してから座に戻った。座に戻ると同窓生の一人が舞台に上がり、マイクを前にしてカラオケに興じていた。元気でいられること、健康でいられること、そのことがしみじみとありがたかった。
 なお、ホテルマンに聞くと梶島は無人島のよしである。無人島では渡る手段がない。が、そういう現実的な問題より、海は本当に本当に何度見てもすばらしい。
            (2016年5月19日)
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万葉集読解・・・222(3523~3536番歌)

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      万葉集読解・・・222(3523~3536番歌)
3523  坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも
      (佐可故要弖 阿倍乃田能毛尓 為流多豆乃 等毛思吉伎美波 安須左倍母我毛)
 安倍(あべ)は静岡市駿河湾に注ぐ阿部川のことか?。「ともしき君は」は「羨ましい」すなわち「心惹かれるあの方が」という意味である。「坂を越えて飛んできた鶴が、ここ阿部川近辺の田んぼの水面(中)に降りているが、その鶴のように心惹かれるあの方が明日も来てくれないかなあ」という歌である。

3524  まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする
      (麻乎其母能 布能<末>知可久弖 安波奈敝波 於吉都麻可母能 奈氣伎曽安我須流)
 まを薦(こも)は3464番歌に「~、まを薦の同じ枕は、~」とある。イラクサ(苧麻)で編んだ薦のこと。「逢はなへば」は「逢えないので」という意味。「二人の間はイラクサ薦の節と節の間のように近くにいながら逢えないので、遠い沖の鴨さながらに私は嘆いている」という歌である。

3525  水久君野に鴨の這ほのす子ろが上に言緒ろ延へていまだ寝なふも
      (水久君野尓 可母能波抱能須 兒呂我宇倍尓 許等乎呂波敝而 伊麻太宿奈布母)
 「水久君野(みくくの)に」は所在不詳。あるいは次句が「鴨の這(は)ほのす」となっているので、湿地帯か?。「這(は)ほのす」は「這(は)ゐなす」の東国訛り。「子ろ」は「子ら」の訛りで親愛の呼び方。「あの子」というニュアンス。「言緒(ことを)ろ延(は)へて」はちょっと悩ましい。「言」は言葉だが、「緒ろ延へて」は「長々かける」あるいは「鴨の這ほのす」の譬喩で「そっとしのばす」か?。後者にとることにする。「草が生えるみくく野に鴨が這うさまをなして進んでいくように、あの子にそっと長らく声をかけているが、いまだに共寝に至っていない」という歌である。

3526  沼二つ通は鳥がす我が心二行くなもとなよ思はりそね
      (奴麻布多都 可欲波等里我栖 安我己許呂 布多由久奈母等 奈与母波里曽祢)
 「沼二つ」の「二つ」は通常沼にかかる。が「鳥がす」を「鳥が巣」と解すると、二つは巣にかかる。いづれの意味だろう。ただ、「二つ」と「巣」の間はいかにも離れ過ぎている。さらに、鳥は同時期に巣を二つ作ると聞いたことがない。やはり、「沼二つ」は「二つの沼」と言う意味だろう。「通(かよ)は」は「通ふ」の訛り。「鳥がす」はやはり「鳥が巣」。ただし巣は一つ。「二(ふた)行くなもと」は「二行くなむと」の訛り。「なよ思はりそね」は「な~そ」の禁止形。よは強意。ねも強意。「エサを求めて二つの沼と巣の間を通う鳥のように我が心が二股かけているなどと、決して思ってくれるなよ」という歌である。

3527  沖に住も小鴨のもころ八尺鳥息づく妹を置きて来のかも
      (於吉尓須毛 乎加母乃毛己呂 也左可杼利 伊伎豆久伊毛乎 於伎弖伎努可母)
 「沖に住も」は「沖に住む」の、同じく結句の「置きて来のかも」は「置きて来むかも」の各東国訛り。「小鴨」の小は可愛いという美称。「もころ」は各書とも「のように」と解し、「岩波大系本」はご丁寧に注釈に「同じように」と記している。「八尺鳥(やさかどり)」は本歌しか例がないので正確なことは不明だが、「長く潜る鳥」という意味だとすると「カイツブリ」のことか。
 さて、「もころ」が「同じように」という意味だとすると「小鴨のもころ」は「小鴨のように」という意味になる。比喩なら何の比喩かは別にしてこれで十分。不意に「八尺鳥」が出てくるのが解せない。他方「もころ」は本歌だけではない。1809番長歌や3486番歌等に出てくる。決して「同じように」という意味ではない。1809番長歌の一節に「~もころ男に負けてはあらじと~」とあって、「競争相手」という意味であることが分かる。これで歌意が通った。
 「沖に住む鴨とその競争相手の八尺鳥(カイツブリ)は水中にもぐりっこをしている。そんな風に長くため息をしているに相違ない妻を置いて私は旅だって来てしまった」という歌である。

3528  水鳥の立たむよそひに妹のらに物言はず来にて思ひかねつも
      (水都等利乃 多々武与曽比尓 伊母能良尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比可祢都母)
 「よそひに」は「身支度に」。「妹のら」は「妹ら」(あの子)の強意か。「水鳥が飛び立つように、身支度もほどほどに彼女に物もいわずにあわてて旅だったため、情に堪えられない」という歌である。

3529  等夜の野に兎狙はりをさをさも寝なへ子ゆゑに母に嘖はえ
      (等夜乃野尓 乎佐藝祢良波里 乎佐乎左毛 祢奈敝古由恵尓 波伴尓許呂波要)
 「等夜(とや)の野」は下総(しもうさ)国印旛郡(千葉県北部)にあった鳥屋郷とされる。「狙はり」は「狙へり」の「寝なへ」は「寝ない」の東国訛り。「~兎(をさぎ)狙はり」は次句の「をさをさも」を導く序歌。「をさをさも」は「ろくすっぽ」。「嘖(ころ)はえ」は「こっぴどく叱られ」という意味。「等夜の野に兎を狙っているだけで、ろくすっぽ寝てもいないあの子なのにその母親にこっぴどく叱られてしまった」という歌である。

3530  さを鹿の伏すや草むら見えずとも子ろが金門よ行かくしえしも
      (左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母)
 「さを鹿の」のさは美称。「子ろ」は「子ら」の東国訛りで「あの子」というニュアンス。「金門よ」は「金門ゆ」の東国訛りか。「金門を通って」。「行かくし」のしは強意の「し」。「えしも」は「うれしい」という意味。「牡鹿が伏していると草むらから見えないように、あの子がいる金門の前を通って行くのはうれしいもんだな」という歌である。

3531  妹をこそ相見に来しか眉引きの横山辺ろの獣なす思へる
      (伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流)
 「相見に来しか」は「逢いに来たのに」。「眉引きの横山辺ろの」は「眉のように横に長い山の辺りの」。本歌のポイントは結句の「獣なす思へる」の解釈にかかっている。問題は「思へる」。手元の3書は「うるさく思うとは」(「岩波大系本」)、「人のことを~思いおって」(「伊藤本」)、「けものの様に思っている。家の人は」(「中西本」)と一様に作者以外の「思い」と解している。ところが作歌の場合、主語が省略されている場合は作者自身の思いが原則なのである。これは当然のことであって説明の要はあるまい。作者以外の場合は「思はむ」ないしは「思ふらむ」である。そして多くの場合は主語を記す。「妹思はむ」のように。ないし「言」を使う。「言繁み」のように。裸で「思へる」といえば通常は作者自身のこと。問題はそれで歌意が通るか否かである。私は通るとみて歌作の原則に従って作者の思いと取りたい。判定は読者にゆだねたい。
 「彼女に逢いに来たというのに、眉のように横に長い山の辺りをうろつくけもののように思えてきた」という歌である。

3532  春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも
      (波流能野尓 久佐波牟古麻能 久知夜麻受 安乎思努布良武 伊敝乃兒呂波母)
 「春の野に草食(は)む駒の口やまず」は序歌。駒は馬。「子ろ」は「子ら」の訛り。「春の野に草を食む馬の口がやまないように、私のことをしきりに偲んでいることだろうな、家に残した彼女(妻)は」という歌である。

3533  人の子の愛しけしだは浜洲鳥足悩む駒の惜しけくもなし
      (比登乃兒乃 可奈思家之太波 々麻渚杼里 安奈由牟古麻能 乎之家口母奈思)
 「しだ」は「時」。「浜洲鳥」は具体的な鳥名不明。あるいは干潟にいる鳥のことか。本歌は歌意がさっぱり分からない。訓の仕方が妙なのか?。上二句と下三句がどうつながっているのか全く不明。一応標記どおりだとこうなる。
 「人の子が愛しくてならない時、浜洲鳥のように、足を痛める馬が惜しいとは思わない」という歌である。
 が、上二句と下三句がつながらないだけでなく、浜洲鳥と馬のつながりも分からない。「足を痛めた馬が惜しくない」とはどういうことか。訓の仕方が変だとして、しからばどう訓じたらいいのか分からない。後考を待ちたい。

3534  赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも
      (安可胡麻我 可度弖乎思都々 伊弖可天尓 世之乎見多弖思 伊敝能兒良波母)
 赤駒は赤い馬。「出でかてにせしを」は「出かけるのをためらっていると」という意味である。「見立てし」は「立って見る」すなわち「見送った」という意味。「子ら」は親愛のら。「赤馬に乗って出発しながら出かけるのをためらっていると、立って見送ってくれた家のあの子(妻)が(忘れられない)」という歌である。

3535  己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを
      (於能我乎遠 於保尓奈於毛比曽 尓波尓多知 恵麻須我可良尓 古麻尓安布毛能乎)
 「己が命(を)を」は「己が緒を」(原文「於能我乎遠」)とした方がいいだろう。「ご自分の長い命を」という意味である。「おほに」は「おろそかに」。「な思ひそ」は「な~そ」の禁止形。「笑ますがからに」は「微笑んでいると」という意味である。「ご自分の命をおろそかにしないで下さい。ご無事でいて下さい。私が庭に立って微笑んで迎えに出ているとあなたの駒(あなた様)に逢えるというではありませんか」という歌である。

3536  赤駒を打ちてさ緒引き心引きいかなる背なか我がり来むと言ふ
      (安加胡麻乎 宇知弖左乎妣吉 己許呂妣吉 伊可奈流勢奈可 和我理許武等伊布)
 「赤駒を打ちて」は「赤い馬に鞭打って」という意味。「さ緒」は手綱を緒といったもの。さは美称。「心引き」は「心情」。「我がり」は暗がりというように「私の許に」という意味である。「赤い馬に鞭打っち、手綱を引き締めて、どんな心映えのお方が私の許へいらっしゃるというのかしら」という歌である。
           (2016年5月21日記)
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継続の秘訣

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 「継続は力なり」は真実だが、同時に圧倒的多数の人々には「全くの空念仏」と化していることも事実だろう。むろん、ご多分にもれず私もまたその一人である。起きて寝るとか毎日食事をするといった、日常生活にかかわる行為を除けば、「継続は力なり」は「ある事を意識的に行う」ことを指す。いわば目標を抱くことを意味する。
 これには大小様々なものがある。最大の目標は一生を掛けて達成できるか否か分からないものだ。科学や文芸を問わず、大部分の分野の研究がこれに該当するに相違ない。次いで五輪を頂点とする各スポーツ分野で優勝を果たすことだろう。次いでといったのは、スポーツは人生のある時期に限られ、一生を掛けてまでとは言いづらいからである。
 が、こうしたものを「継続は力なり」の対象と考えると圧倒的多数の人々には達成できず、「全くの空念仏」と化す。ただし、一方ではこういう考え方もある。目標には大小様々なものがある。小の方は大部分が「継続は力なり」とまで威張れるものではない。たとえば、毎朝20分ほど行う私の健康体操などがそれである。が、これも「継続は力なり」に入れるとすれば各人結構あるのではなかろうか。
 では、大目標の方はどう考えるか、である。たとえば紫式部の「源氏物語」。長大な物語である。これを現代語訳にしてみようという野望を抱いたとする。むろん大目標だ。言葉や用語はもとより、その時代背景も身につけてかからなければならない。これを目標に掲げたからといって、あまりに山が高く、勇んで開始しても早番挫折することが目に見える。これでは「継続は力なり」とはならない。
 以前に似たことを書いた記憶があるが、「源氏物語」も毎回第一歩と思って続行すれば、案外継続するのではなかろうか。毎回が第一歩なので棒を折った気にならない。次の時また第一歩だと思えば挫折感がない。やってみたいことがあったらさあ、第一歩。
            (2016年5月22日)
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知多の海へ

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 一週間前に、中学校のクラス同窓会が吉良観光ホテル(西尾市の三河・吉良温泉)で開かれ、その際吉良の海を瞥見した。ホテル内での昼食会だったため、一瞬会を中座しての望海だったため、文字通り瞥見だった。そのことを相棒に話したら知多半島に行こうということになった。一昨日のことだ。
 去年の4月に訪れているので、一年ぶり余の遠出だった。走行キロ220キロ。私にしては遠出の部類だ。海が大好きなことを知っていて誘ってくれたのだろうが、むろん、大歓迎。久々に楽しい一日となった。長時間運転に若干の心配もあったが、無事帰宅と相成った。エビせんべいの里、魚太郎、師崎港フェリーターミナル等々で一服後、羽豆神社、野間灯台等々おきまりのコースだったが、知多湾や伊勢湾が広がる光景を目の当たりにして、十分過ぎるほど心の洗濯になった。
 絶好の天候に恵まれ、久々に潮風に当たり、生き返ったような気分に包まれた。
   広大な海原の先かすめどもかって訪ねし答志島やある
   伊勢湾の向こうでサミット開くらん無核願わぬ人やあるらん
 野間灯台に立ち寄って、広大にして静かな伊勢湾に向かって立つとき、いつもながら伸びやかな気分に包まれる。そして、この静かな海がこのまま永遠に続いたらどれほどいいだろう、と願わずにいられなかった。
 いつまで続けられるか分からない。が、年に一度は浜辺に立って、無為の状態に浸りたい。2時間余をかけてやってきて、両手を広げて大きく伸びをする価値、確かにそれだけの価値は十分にある。海はいつ対峙しても、大きな希望であり、心の洗濯をしてくれるかけがえのない存在である。私の場合、帰宅してほっとする間もなく、また出かけたくなるそんな存在、それが海である。
            (2016年5月25日)
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躁鬱病の過酷

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 私には十数年前に知り合って以来、毎月のように電話を掛け合ってお互いに励まし合ってきた女性がいる。ここ2年ほどは連絡が途絶えがちだ。覚えておられる方がおられるかもしれないが、一年半ほど前、その彼女について、私は2回ほど本欄に一文を寄せている。
 あれほど頻繁に連絡を取り合っていた間柄の人なのにぷっつりと連絡が途絶え、心配だった。去年の1月、会って話す機会があったが、「躁鬱病にとりつかれたのでしばらく連絡は遠慮します」ということだったので、そのままになった。幾度もメールしようと思ったが、医者通いをしているというので、下手に刺激を与えることになってはいけないと思って連絡を思いとどまった。
 その彼女から、突如として連絡が入り、びっくり。「気分が少しいいので逢いたい」というメールだった。
 会ってみると、正直、前回と状態はあまり変わっていないように見受けられた。精神科に通い、対人恐怖症もそのまま、ほとんど終日家に閉じこもったままだという。たまに買い物に出、店員と受け答えすることくらい。娘さんにさえ会っていないという。食事は水とお茶以外はサプリメントで済ましているという。人に会うこともなく、終日家内に閉じこもったきり。これでは、健康な人も病気に陥る状態だ。あれほど活発で、あれほど意欲に充ち満ちていたS女なのに、あまりの激変ぶりに今回もまた私は言葉を失った。
   この世にし神はまさずや過酷なるS女の話に言葉失う
 彼女はわが人生の戦友といってよい人。なんとか早く立ち直ってほしいと願いつつ、その変わり果てた姿に言葉もなく、口惜しくてたまらなかった。そんな状態のさなか、なんとかこの私だけでも会う気になってくれたことが救いだった。これをきっかけに上昇に転じてほしいと心から願った。
            (2016年5月27日)
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感動的なオバマスピーチ

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核廃絶を考えてみよう
 前回、オバマ米国大統領が5月27日に広島記念公園を訪問すると発表されたとき、大統領には期待できる理由があるとして、彼が大統領就任間もない頃の2009年4月5日、チェコ・プラハのフラッチャニ広場で行ったスピーチをあげて、核廃絶になみなみならぬ決意を抱いていることを感じ取ったからである。
 オバマ氏の広島訪問は予定どおり実現し、そこで行ったスピーチは予想に違わぬ、否、予想以上にすばらしいものだった。
 スピーチは科学の力が人類に様々な利便をもたらしたが、一方では、効率的な殺人の機械を生み出し、ついには核分裂による核兵器を生み出したことを述べた後、次のように述べている。
 「しかし我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することはできないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。」
 核兵器を作り出した当の米国の大統領が「核兵器のない世界を目指す」と告げたのである。そしてそのしばらく後に次のように続ける。
 「軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。」
 まるで、わが国の憲法を読んでいるようなスピーチだ。そして、スピーチの終わりの方で次のようにも述べている。
 「我々はこうした物語を被爆者から学ぶ。原爆を落としたパイロットを許した(被爆者の)女性は、憎むべきはパイロット個人ではなく戦争そのものだと理解していた。日本で殺された米兵の家族を探し当てた(日本人)男性は、米国人も自分と同じように家族を亡くした喪失感を抱えていると感じた。」
 つまり、犠牲になった人々には、愛する家族がいて、生きている自分たちと同様、普通の人々なのだ、という。原爆を落としたパイロットさへ憎むべきではなく、憎むべきは戦争そのものなんだ、と言っているのである。
 以上のスピーチには政治的な意図やパフォーマンスは全く感じられず、オバマさん個人の熱い思いが伝わってくる。就任当初に行ったチェコ・プラハでのスピーチと同様、否それ以上の熱い思いが伝わってきた。感動的なスピーチだった。
 こうしたオバマさん個人の熱い思いがこもったスピーチであるから、米国内外の世論や政治家から様々な思いや意見が寄せられ、大統領自身は大いに苦慮したに相違ない。任期満了近くになってしまったのはきっとそのせいに相違ない。が、大統領の熱い思いは様々な慎重論や政治的意図をはねのけての広島訪問だったと思う。周囲の声をはねのけての広島行きは、それだけに政治的パフォーマンスのない純粋な思いがこもっている。
 今朝のNHKの日曜討論を拝聴していたら、どこの党の人とは言わないが、「大統領のスピーチはよかったけれど、具体策がなかったね」という趣旨の発言があった。人類全体の話が、まるで並の政策提言の感想みたいで、あいた口がふさがらなかった。
 核保有国同士が集まって核を廃絶するためにはどうしたらいいか、話し合うべきだ、と私は思っているのだが、何はともあれ、当の米国の大統領がやってきて、被爆者の方をハグして、その背をたたき、優しく 声を掛けた光景は、感動的だった。
          (2016年5月29日)
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万葉集読解・・・223(3537~3551番歌)

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      万葉集読解・・・223(3537~3551番歌)
3537  くへ越しに麦食む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛しも
      (久敝胡之尓 武藝波武古宇馬能 波都々々尓 安比見之兒良之 安夜尓可奈思母)
 「くへ越しに」の「くへ」は例がなくはっきりしないが、広辞苑には「垣、柵」とある。「はつはつに」は「ちらりと見かける」という意味である。上二句は「はつはつに」を導く序歌。「子らし」のらは親愛の「ら」、「し」は強意。「子馬が柵のしたから首を出して麦をちらっと食べるように、やっとちらりと逢えたあの子だが、とても愛しい」という歌である。
 本歌には次のような異伝歌が掲載されている。
 或本歌曰:馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろし愛しも
(宇麻勢胡之 牟伎波武古麻能 波都々々尓 仁必波太布礼思 古呂之可奈思母)
 「子ろし」は「子らし」の東国訛り。「馬が柵越に麦をちらっと食べるように、ちらりと新肌(にいはだ)に触れる機会があったが、本当に愛しい子」という歌である。

3538  広橋を馬越しがねて心のみ妹がり遣りて我はここにして [或本歌發句曰:小林に駒を馳ささげ]
      (比呂波之乎 宇馬古思我祢弖 己許呂能未 伊母我理夜里弖 和波己許尓思天 [或本歌發句曰:乎波夜之尓 古麻乎波左佐氣])
 「妹がり」は「あの子の許」。現在でも「暗がり」などという。「馬が広い橋を越えかねるように、心はあの子の許へ飛んでいくが、私は行きかねてここに逡巡としている」という歌である。
 異伝歌の発句にある「駒を馳ささげ」は「馬を馳けさせるのをとどめ」という意味か。「小林(をばやし)に馬を駆けさせるのをとどめ、心はあの子の許へ飛んでいくが、私は行きかねてここに逡巡としている」という歌である。

3539  あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする
      (安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流)
 「あずの上に」の「あず」は本例のほかに次次歌(3541番歌)に「あずへから」とある。「岩波大系本」は崩岸とし、古辞書に「~、又、阿須」とあることを示している。とすると、「あず」は「あす」の東国訛りとなる。前歌の「駒を馳ささげ」も東国訛りと見られるが、正確なことは分からない。「危(あや)ほかど」は「危(あや)ふかど」の東国訛り。「危なっかしい」という意味。「息に」は「心に」。「崖の上に馬をつなぎとめるのが危なっかしいように、人妻のあの子を心にかけるのは危なっかしい(でも心にかけずにはいられない)」という歌である。

3540  左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ
      (左和多里能 手兒尓伊由伎安比 安可胡麻我 安我伎乎波夜未 許等登波受伎奴)
 左和多里(さわたり)は所在不詳。手児(てご)は3485番歌に「~、泣きつる手児にあらなくに」と幼女の意に使われている。本歌には「美少女」の意味で使われている。「い行き逢ひ」のいは強意。「速み」のみは「~ので」の「み」。「左和多里の評判の美少女に行き合ったが、乗る馬の駆け足が早かったので、声もかけずに通りすぎてしまった」という歌である。

3541  あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも
      (安受倍可良 古麻<能>由胡能須 安也波刀文 比登豆麻古呂乎 麻由可西良布母)
 「あずへから」のあずは前々歌参照、崖のこと。駒は馬のことだが、「行ごのす」は「行かむが」の「危(あや)はとも」は「危(あや)ふとも」の東国訛りと見られる。「人妻子ろを」の「子ろ」は「子ら」の東国訛り、らは親愛の「ら」。結句の「まゆかせらふも」は古来難句とされる。東国訛りと目されるが、何の訛りか?。一例私案を示せば「みゆかしたしも」となる。意味は「逢って見たいものだ」である。これで歌意が通るか。「崖の辺りを馬が行くのは危なっかしい。そのように人妻のあの子に近づくのは危なっかしいが、それでも一度は逢ってみたいものだ」という歌である。どうやらこれで歌意は通るようだ。

3542  さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも
      (佐射礼伊思尓 古馬乎波佐世弖 己許呂伊多美 安我毛布伊毛我 伊敝<能>安多里可聞)
 「さざれ石」は国歌君が代に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある「さざれ石」で、「小さな石」のことである。「駒を馳させて」は「馬を駆けさせて」という意味。第三句の「心痛み」のみは通常「~ので」の「み」。少々分かりづらいのは、「心が痛い」のが彼女の家とどう関連するのかである。私は、作者が家に帰ってきた図を思い描いた。「小石の上を馬を走らせるとけつまづくので心が痛む。そのようにしきりに胸が高まる。いよいよ彼女の家に近づいてきたようだ。あそこは彼女の家のあたりかも」という歌である。

3543  むろがやの都留の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに
      (武路我夜乃 都留能都追美乃 那利奴賀尓 古呂波伊敝<杼>母 伊末太<年>那久尓)
 「むろがやの」はどこの郷名なのか不詳。「都留(つる)の堤」は山梨県都留川の堤とみられる。「成りぬがに」は「出来上がったのに」という意味である。「子ろ」は四歌前の3539番歌参照。「むろがや郷を流れる都留川の堤は出来上がったわね、とあの子はいいながら、いまだ共寝に至っていない」という歌である。

3544  あすか川下濁れるを知らずして背ななと二人さ寝て悔しも
      (阿須可河泊 之多尓其礼留乎 之良受思天 勢奈那登布多理 左宿而久也思母)
 「あすか川」は大和(奈良県)の川だが、本歌は東歌。「都からやってきた」を含んでの言い方か。「都の明日香川の下は濁っているとも知らないで、あなたと共寝してしまったのが悔しい」という歌である。

3545  あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば
      (安須可河泊 世久登之里世波 安麻多欲母 為祢弖己麻思乎 世久得四里世<婆>)
 「堰(せ)く」は「せきとめる」。妨げる意味だが、幾様にも取れる。私は女の拒絶にあった男の恨み歌と解した。「あすか川がせき止められると分かっていたら、幾夜も幾夜も共寝するんだったのに。せき止められると分かっていたら」という歌である。前歌のの問答歌に見える。

3546  青柳の張らろ川門に汝を待つと清水は汲まず立ち処平すも
      (安乎楊木能 波良路可波刀尓 奈乎麻都等 西美度波久末受 多知度奈良須母)
 「張らろ」は「腫(は)れる」の東国訛り。「腫れる」は「芽が脹らむ」こと。「清水(原文「西美度=せみど」)は「しみづ」の東国訛り。作者は男女両用に取れるが、「清水は汲まず」を重く見て女性歌と解する。「青柳の芽が脹らんできた水汲み場であなたを待っています。清水を汲まないで同じところに立ち、足踏みして地面が平らになっています」という歌である。

3547  あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして
      (阿遅乃須牟 須沙能伊利江乃 許母理沼乃 安奈伊伎豆加思 美受比佐尓指天)
  あぢはアジガモのことという。「渚沙(すさ)の入江」は和歌山県有田市に鎮座する須佐神社のあたりとも、愛知県南知多町の須佐湾ともいう。「息づかし」は「息苦しい」。「アジガモの住む須沙の入江にある隠り沼のアジガモのように、ああなんて息苦しく鬱陶しいことだろう。彼女に長らく逢えなくて」という歌である。

3548  鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきて愛しけ背ろに人さへ寄すも
      (奈流世<呂>尓 木都能余須奈須 伊等能伎提 可奈思家世呂尓 比等佐敝余須母)
 「鳴る瀬ろに」は「鳴り響く川瀬に」。ろは例によって東国訛り。親しみ。「こつ」は「こつみ(木屑)」の略称。「いとのきて」は2903番歌に「いとのきて薄き眉根を~」とあるように、「とりわけ」という意味。結句の「人さへ寄すも」は「噂する」というより、現代風に「もてる」とした方がいいだろう。「鳴り響く急流の川瀬に木屑が寄せられるように、とりわけ愛しいあの人に吸い寄せられる私だが、あの人は他の女性にももててしょうがない」という歌である。

3549  多由比潟潮満ちわたるいづゆかも愛しき背ろが我がり通はむ
      (多由比我多 志保弥知和多流 伊豆由可母 加奈之伎世呂我 和賀利可欲波牟)
 多由比潟潮(たゆひがた)は所在未詳。「いづゆかも」は「いづこゆ」の東国訛りか?。「我がり」は「妹がり」と同様「許に」のがり。「多由比潟に潮が満ちわたっている。愛しいあの人はいづこから私の許へ通うのでしょう」という歌である。

3550  おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て
      (於志弖伊奈等 伊祢波都可祢杼 奈美乃保能 伊多夫良思毛与 伎曽比登里宿而)
 「おしていなと」は未詳。「あえて~」という形。枕詞説もあるが、本歌一例しかなく枕詞(?)。「いたぶらしもよ」は「ひどく揺れる」という意味である。「私はあえて稲を搗かないが、稲穂が波のようにひどく揺れて気分がおもわしくない。昨夜は独り寝だったので」という歌である。

3551  阿遅可麻の潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて
      (阿遅可麻能 可多尓左久奈美 比良湍尓母 比毛登久毛能可 加奈思家乎於吉弖)
 「阿遅可麻(あぢかま)の」は本歌を含めて3例あるが、いずれも異なる用語が続く。枕詞説は成立せず、枕詞(?)である。地名と考えてよさそうだが、所在不詳。「さく波」は各書とも「咲く波」としているが、歌意からして「裂く波」だろう。平瀬は「静かな瀬」。平瀬を平凡な男と解するのは、「潟にさく波」を無視した解で取りづらい。「愛しけ」は「愛し方」ないし「愛し君」の東国訛り。「阿遅可麻の潟に激しく裂かれる波のように(激しくせまられても)、静かな瀬のように言い寄られても、紐解く(なびく)ものですか、愛しいお方をさしおいて」という歌である。
           (2016年5月30日記)
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生き方を変える

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 一見何でもないような事柄がその人の「生き方」に関わっている。たとえば、唐突だが、数日前にたまたまテレビ(フジテレビの「バイキング」か?)を見ていたら、視聴者の投票を実施していた。「混んでいるのにファミレスで長居している人」というのが質問で、回答は「許せる」、「許せない」の二者択一だった。
 状況を少し説明すると、ファミレスの前で大勢の人が行列を作って順番を待っている。客の一人がスマホかなにかをいじっていてのんびりしている。この行為を許せるか、許せないかという問いである。即座に「許せない」と回答した人は直情的な人で、正義感が強い人とも言っていいだろう。問題は「許せる」という回答を選んだ人だ。その客はどんな状況の時に入店したのだろう。その時は空いていたかどうか。混んでいたとしたら、店員がその客に「みなさんが並んでお待ちなので」とでも声をかけていれば、解決したかもしれない。通常、長居するかしないかは客次第だから。「許せる」と回答した人は慎重な人で、かつ、客観情勢を把握するタイプといってよかろう。私はといえば、色々な状況を想定してしまって、逡巡し、回答期限が過ぎてしまった口である。
 さて、ファミレス待ちを巡るテレビ回答は何でもない行為に見える。が、実人生で迷う場面は幾度も出くわす。そのどれを選ぶかは、その人自身の個性に委ねられている。右か左か、進むか退くか、決断するのはその人自身の個性だ。こう考えると、どれを選択するかは、その人の生き方に関わっていると言っていい。したがって、生き方を変えてみようと思うなら、選択肢を変えてみるのも一つの手である。過去と同じような選択を迫られた場合、思い切って選択肢を変えてみるのだ。本来の自分なら選択しない選択肢なので、随分勇気がいるし、失敗するかもしれない。それでもあえて変えてみるか否かはその人の決断次第だ。いかがだろう。そんな勇気がありましょうか。
            (2016年6月1日)
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