万葉集読解・・・221(3506~3522番歌)
3506 新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ
(尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂)
「新室(にひむろ)のこどきに至れば」だが、新室は「蚕用の新室」。「こどき(蚕時)」は「蚕を飼育する時期」。すなわち「蚕用の飼育室にこもって作業する時期になったので」という意味である。「はだすすき」は穂がないススキ。ここは枕詞。「蚕用の飼育室にこもって作業する時期になったのか、せっかく好意を示してくれたあの方がみえないこのごろ」という歌である。
3507 谷狭み峰に延ひたる玉葛絶えむの心我が思はなくに
(多尓世婆美 弥<年>尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓)
「谷狭(せば)み」は「~ので」の「み」。玉葛(たまかづら)の玉は美称。蔓草。「谷が狭く、峰に向かって伸びてゆく蔓草(つるくさ)の蔓だもの。決してその思いが耐えるとは思えません」という歌である。
3508 芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらば我れ恋ひめやも
(芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母)
「芝付(しばつき)」はおそらく芝付郷。所在不詳。「御宇良崎(みうらさき)」は神奈川県三浦岬か。「ねつこ草」は不詳。ここまで「寝た子」にかけた序歌。「芝付の御宇良崎にあるねつこ草ではないが共寝したあの子に逢っていなければ、これほど恋しく思うだろうか」という歌である。
3509 栲衾白山風の寝なへども子ろがおそきのあろこそえしも
(多久夫須麻 之良夜麻可是能 宿奈敝杼母 古呂賀於曽伎能 安路許曽要志母)
栲衾(たくふすま)は白い掛け布団。ここは枕詞。白山は山陰の白山か否かはっきりしない。白山(はくさん)とすると、石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる山。標高2702mの名山。「おそき」は上に着る重ね着。「寝なへども」は「寝られない」のおそらく東国訛り。「子ろ」は「子ら」の訛り。「あの子」というニュアンス。「あろこそえしも」は「有るこそ良きも」の東国訛り。「白山おろしが強くて寝られないけどあの子が用意してくれた重ね着があるので良かった」という歌である。
3510 み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言どひ明日帰り来む
(美蘇良由久 <君>母尓毛我母奈 家布由伎弖 伊母尓許等<杼>比 安須可敝里許武)
本歌は雲であったらという歌であるが、2676番歌に「ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに」とある。「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌であるが、発想は本歌に相似している。「雲にもがもな」は「雲であったら」という意味。「空中を行く雲であったなら、今日行ってあの子と言葉を交わし、明日にはここに帰って来られるのになあ」という歌である。
3511 青嶺ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ
(安乎祢呂尓 多奈婢久君母能 伊佐欲比尓 物能乎曽於毛布 等思乃許能己呂)
最初に本歌を読んだとき、私は百人一首の「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」を思い起こした。権中納言(ごんちゅうなごん)藤原敦忠(ふじわらのあつただ)の歌で『拾遺集』710番歌の歌である。本歌はそんな歌ではなく、もっと万葉歌らしいあっけらかんとした歌と解する向きもある。次歌の存在が共寝を連想させるからである。が、私は純粋に恋情の歌と解してよいと思う。「青嶺(あをね)ろに」は山に対する親しみの「ろ」。「あの青い山に雲がたなびいている。その雲が漂っているごとく、あの子のことが思われてならない。きょうこのごろ」という歌である。
3512 一嶺ろに言はるものから青嶺ろにいさよふ雲の寄そり妻はも
(比登祢呂尓 伊波流毛能可良 安乎祢呂尓 伊佐欲布久母能 余曽里都麻波母)
「一嶺(ひとね)ろに」は前歌参照。「一つ峰と」という意味。「言はるものから」は「言われてきたのに」である。「二人は一つ峰と同じと言われてきたのに、いつからか、寄り添う妻は、あの青い山に漂う雲のようになってしまった」という歌である。
3513 夕さればみ山を去らぬ布雲のあぜか絶えむと言ひし子ろばも
(由布佐礼婆 美夜麻乎左良奴 尓努具母能 安是可多要牟等 伊比之兒呂婆母)
「夕されば」は「夕方になると」という意味。「布雲(ぬのぐも)」の原文は「尓努具母(にのぐも)」、すなわち東国訛り。「あぜか」は「などか」の、「子ろばも」は「子らばも」(あの子よ)の東国訛り。「夕方になるとみ山にかかった布雲のようになぜか去らず耐えない、とあの子は言ったよな」という歌である。
3514 高き嶺に雲のつくのす我れさへに君につきなな高嶺と思ひて
(多可伎祢尓 久毛能都久能須 和礼左倍尓 伎美尓都吉奈那 多可祢等毛比弖)
「雲のつくのす」は「雲のつくなす」の訛り。「雲がかかるように」という意味。「我れさへに」は「私もまた」。「高い峰に雲がかかるように、私もまたあなたにかかりたい、高い峰だと思って」という歌である。
3515 我が面の忘れむしだは国はふり嶺に立つ雲を見つつ偲はせ
(阿我於毛乃 和須礼牟之太波 久尓波布利 祢尓多都久毛乎 見都追之努波西)
「我が面(おも)の」は「私の顔を」。「忘れむしだは」は「忘れむ季(き)だらよ」という意味。ここで3502番歌にさんざん悩まされた難句「としさへこごと」を思い起こした。その際「としさへ」は「ときさへの」東国訛りと解した。が正確には「し」のみでも「季」の意味があると本歌に教えられた。「国はふり」は「国にあふれる」すなわち「国のあちこちにある」という意味である。「私の顔を忘れそうな時だらよ、国のあちこちにある嶺にかかる雲を見て私を偲んでちょうよ」という歌である。
3516 対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
(對馬能祢波 之多具毛安良南敷 可牟能祢尓 多奈婢久君毛乎 見都追思努<波>毛)
「対馬の嶺は」は九州の対馬とするのは奇妙。巻14の頭書に「東歌」(あづまうた)と記されている。かつ、本歌は「いまだ国名の分からない相聞歌」の中の一首。九州の対馬なら国名が分からぬ道理はない。しからば初句「原文;對馬能祢波」はどう読む。不明としか言いようがないが一例として「津島の峰は」か?。「あらなふ」は「あらない」。「可牟の嶺」も不明。あるいは「上の峰」か?。「津島の峰には下雲はかかっていない。向こうの上の峰にたなびいている雲を見ながらあの子を偲ぼう」という歌である。
3517 白雲の絶えにし妹をあぜせろと心に乗りてここば愛しけ
(思良久毛能 多要尓之伊毛乎 阿是西呂等 許己呂尓能里弖 許己婆可那之家)
「あぜせろ」は「などせろ」の東国訛り。「どうしろ」という意味。「ここば」は「ここだ」(しきりに)の東国訛り。3373番歌の結句に「~ここだ愛しき」とある。「切れた白雲のように意志疎通になってしまった彼女をいまさらどうしろというのか。が、彼女は心に乗っかってきてなぜこうもしきりに愛しいのだろう」という歌である。
3518 岩の上にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝しめとら
(伊波能倍尓 伊可賀流久毛能 可努麻豆久 比等曽於多波布 伊射祢之賣刀良)
「いかかる雲の」のいは調子を整える「い」。本歌は3409番歌「~、かぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら」に類似している。「かぬまづく」は本歌の「かのまづく」と同じなら、「かぬまづく」は「かずまふ」(仲間の)の、「おたはふ」は「あたはふ」(出来る)のそれぞれ東国訛りか?。「とら」は「子ら」の東国訛り。「岩の上に雲が次々とかかる。仲間の内の人と認めてさあ共寝しようか親愛なる彼女よ」という歌である。
3519 汝が母に嘖られ我は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ
(奈我波伴尓 己良例安波由久 安乎久毛能 伊弖来和伎母兒 安必見而由可武)
「嘖(こ)られ」は「叱られて」。平明歌。「あんたの母さんに叱られて私はすごすごと退散する。でも青雲のようにそっと出てきておくれ私の彼女。一目見て行きたい」という歌である。
3520 面形の忘れむしだは大野ろにたなびく雲を見つつ偲はむ
(於毛可多能 和須礼牟之太波 於抱野呂尓 多奈婢久君母乎 見都追思努波牟)
「面形(おもかた)の」は「お前さんの顔かたちを」。 「忘れむしだは」は五首前の3525番歌に出てきた。「~季だら」(時だら)という意味。「大野ろ」のろは親愛の「ろ」。「お前さんの顔かたちを忘れそうになったら、広大な野にたなびいている雲を見つつお前を偲ぼう」という歌である。
3521 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く
(可良須等布 於保乎曽杼里能 麻左R尓毛 伎麻左奴伎美乎 許呂久等曽奈久)
「大をそ」は654番歌「相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも」とあるように「軽率」という意味。「まさでにも」は「本当には」という意味。「ころくとぞ」は「そら来たぞと」という意味。「カラスというあの大あわてものの鳥が、本当に来たわけではないあの方を、そら来たぞと鳴く」という歌である。
3522 昨夜こそば子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴き行く鶴の間遠く思ほゆ
(伎曽許曽波 兒呂等左宿之香 久毛能宇倍由 奈伎由久多豆乃 麻登保久於毛保由)
「昨夜(きそ)こそば子ろとさ寝しか」は「昨夜あの子と寝たばかりなのに」である。「子ろ」は「子ら」の東国訛り。「あの子」。「雲の上ゆ」は「雲の上より」だが、「雲の上を」という意味。「昨夜あの子と寝たばかりなのに、雲の上を行く鶴の鳴き声がもう間遠く思える」という歌である。
(2016年5月15日記)