巻13~16メニュー へ そ の 214 へ 万葉集読解・・・213(3388~3404番歌)
3388 筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね
(筑波祢乃 祢呂尓可須美為 須宜可提尓 伊伎豆久伎美乎 為祢弖夜良佐祢)
筑波嶺(つくはね)は茨城県の筑波山。「嶺ろ」の「ろ」は「子ろ」と同じく親しみをこめた東国訛り?。10例に及ぶが、すべて巻14に見られる。「息づく君を」は「ため息をついているあの人を」だが、女同士の立ち話の状況だろうか?。「筑波嶺の嶺にかかった霞のように門前を通り過ぎがたくしてため息をついているあの人、ねえあなた、引っ張ってきて、共寝してやりなさいよ」という歌である。万葉歌らしいあっけらかんとした歌である。
3389 妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖ば振りてな
(伊毛我可度 伊夜等保曽吉奴 都久波夜麻 可久礼奴保刀尓 蘇提婆布利弖奈)
「隠れぬほとに」の「ほと」は方言。「袖ば振りてな」の「袖ば」は東国方言。「て」は強意。「な」は願望。「彼女の家の門はどんどん遠ざかっていく。あの筑波山に隠れてしまうまでこの袖を振り続けたいものだ」という歌である。
3390 筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
(筑波祢尓 可加奈久和之能 祢乃未乎可 奈伎和多里南牟 安布登波奈思尓)
「かか」は鳴き声。「音(ね)のみをか」は「声をあげるだけのように」、「泣きわたりなむ」は「泣き続けることでしょう」という意味。「筑波山にがあがあ鳴く鷲の鳴き声のように私は泣き続けることでしょう。あなたに逢うこともなく」という歌である。
3391 筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかる咎もさね見えなくに
(筑波祢尓 曽我比尓美由流 安之保夜麻 安志可流登我毛 左祢見延奈久尓)
「そがひに」は「背後に」という意味。葦穂山(あしほやま)は足尾山のことで、ここまで「悪(あ)しかる」を導く序歌。「悪しかる咎(とが)も」は「あやまちないし欠点」のこと。「さね」は「全く~でない」の形。「筑波山の背後に見えるのは足尾山、その名のようにあの子には悪い欠点が全く見あたらないので(あきらめようにもあきらめきれない)」という歌である。
3392 筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに
(筑波祢乃 伊波毛等杼呂尓 於都流美豆 代尓毛多由良尓 和我於毛波奈久尓)
「よにもたゆらに」は3368番歌の「~出づる湯のよにもたよらに~」と同意か。両方とも東国訛り。意味は「世にも絶えない」。「筑波嶺の岩もとどろに落ちる水が世に絶えることがないように(私たちの仲が)絶えるとは思われない」という歌である。
3393 筑波嶺の彼面此面に守部据ゑ母い守れども魂ぞ会ひにける
(筑波祢乃 乎弖毛許能母尓 毛利敝須恵 波播已毛礼杼母 多麻曽阿比尓家留)
3361番歌にも使われていたが、「彼面此面(をてもこのも)に」は「あっちにもこっちにも」という意味である。「守部据ゑ」は「番人を置いて」。「母い」のいは強意の「い」。「筑波嶺のあっちにもこっちにも番人を置いて森を監視するように、母は私を見張っているけれど、私たちは魂と魂で逢っている」という歌である。
3394 さ衣の小筑波嶺ろの山の崎忘ら来ばこそ汝を懸けなはめ
(左其呂毛能 乎豆久波祢呂能 夜麻乃佐吉 和須<良>許婆古曽 那乎可家奈波賣)
「さ衣(ごろも)の」は「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞とし、「小筑波(をづくは)嶺ろ」の「を」を「緒」と解し、「緒」にかかるとしている。「さ衣(ごろも)の」は本歌以外に一例しかない。その一例は2866番歌の「~さ衣のこの紐解けと~」で、紛れもなく着物のことを意味している。かつ「さ」は「さ百合」と同じく美称。枕詞(?)どころか完全に誤解釈としか思われない。「小筑波嶺ろの山の崎」は「小さな筑波山の峰の出鼻」のことで、したがって「さ衣の」は「着物のような」という意味に相違ない。筑波山を調べてみると、筑波山は着物の裾を広げたような美しい山である。大小の嶺があることが分かる。小を
「小筑波嶺ろ」と呼んだらしいことは次歌からもうかがえる。「懸けなはめ」は「心に懸けるものか」である。これで肝心の歌意がとおる。
「着物の裾を広げたような小筑波嶺の山の出鼻のような美しいお前が忘れられるものならお前のことを心に懸ける(心配する)ものか」という歌である。
3395 小筑波の嶺ろに月立し間夜はさはだなりぬをまた寝てむかも
(乎豆久波乃 祢呂尓都久多思 安比太欲波 佐波<太>奈利努乎 萬多祢天武可聞)
「月立し間(あひだ)夜は」は月経が始まったことを暗示している。「さはだなりぬを」は3354番歌に「伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に」と使われている。「いっぱい」ないし「多い」の意。「さはに」の東国訛りか。この2例のみ。「小筑波の嶺に月が立つようにお前に月がたち、その間、夜は多く重なったけれど、過ぎた今はまた共寝しようか」という歌である。本歌もまた3388番歌同様、万葉歌らしいあっけらかんとした歌である。
3396 小筑波の茂き木の間よ立つ鳥の目ゆか汝を見むさ寝ざらなくに
(乎都久波乃 之氣吉許能麻欲 多都登利能 目由可汝乎見牟 左祢射良奈久尓)
「木の間よ」は「木の間ゆ」の東国訛り。「木の間から」の意。「目ゆか」は本例のみ。歌意からすると「目のごと」の東国方言か?。「さ寝ざらなくに」は「共寝することもなく」という意味である。「岩波大系本」のように「一緒に寝たこともある仲なのに」と解釈するのは私には目を白黒である。「小筑波の茂った木の間から飛び立った鳥の目のように、遠くから君を見ているだけ、共寝することもなく」という歌である。
3397 常陸なる浪逆の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ
(比多知奈流 奈左可能宇美乃 多麻毛許曽 比氣波多延須礼 阿杼可多延世武)
「浪逆の海」は茨城県神栖市と潮来市にまたがる外浪逆浦(そとなさかうら)のこととされている。「あどか」は4例あって、すべて巻14の歌に使われている。「どうして」とか「なにゆえ」の意。「などか」ないし「なにゆえ」の東国訛り。「常陸の國の外浪逆浦の玉藻は引けば切れるでしょうが、(私たちの仲は)どうして切れることがありましょう」という歌である。
右十首常陸國の歌(ひたち。今の茨城県の大部分)
3398 人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね
(比等未奈乃 許等波多由登毛 波尓思奈能 伊思井乃手兒我 許<登>奈多延曽祢)
「言(こと)は」は便りとも言葉とも取れるが、「絶ゆとも」と続いているので、消息の意であろう。「埴科(はにしな)は長野県千曲市と上田市の間の埴科郡。現在坂城町がある。石井は不詳。手児は噂の美女。「な絶えそね」は「な~そ」の禁止形。「世の人の消息や噂は絶えることがあっても埴科の石井の美少女の消息だけは絶えることがないようにしてほしいものだ」という歌である。
3399 信濃道は今の墾り道刈りばねに足踏ましなむ沓はけ我が背
(信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆祢尓 安思布麻之<奈牟> 久都波氣和我世)
「信濃道(しなのぢ)」は「信濃に至る道」。「墾(は)り道」は「切り拓いた道」。「足踏ましなむ」は敬語で、「足でお踏みになるでしょう」という意味。「信濃道は切り拓いたばかりの道。切り株を足でお踏みになるでしょう。ですから靴を履いてお越しになって下さいな、あなた」という歌である。
3400 信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ
(信濃奈流 知具麻能河泊能 左射礼思母 伎弥之布美弖婆 多麻等比呂波牟)
平明歌。「さざれ石」は細かい石。「君し」は強意の「し」。「信濃の千曲川のさざれ石でもあの方が踏んだ石なら玉と思って拾いましょう」という歌である。
3401 なかまなに浮き居る船の漕ぎ出なば逢ふこと難し今日にしあらずは
(中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波)
「なかまなに」は「中州(なかしま)」の訛りか。「中州に漂っているあの船、漕ぎ出してしまえば逢うことが難しい。今のこの時こそ逢っておかなければ」という歌である。
右四首信濃國の歌(しなの。今の長野県)
3402 日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は背なのが袖もさやに振らしつ
(比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素R母 佐夜尓布良思都)
3402~3423番歌の22首、上野國の歌(かみつけ。今の群馬県)。
「碓氷(うすひ)の山」は信濃國と上野國を結ぶ碓氷峠。「(あの方が)碓氷峠を日暮れに越えていかれたあの日、しきりに着物の袖をお振りになった背中が印象的だったわ」という歌である。
3403 我が恋はまさかも愛し草枕多胡の入野の奥も愛しも
(安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於<久>母可奈思母)
「まさか」は「今現実は」という意味。2985番歌に「梓弓末はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを」とある。草枕は旅の途上。「多胡の入野」は群馬県の旧多胡村(現在高崎市)のことで山奥に入野が広がっていたのだろう。「我が恋は今もって切ない。多胡の入野の奥までやってきたが、ますます切ない」という歌である。
3404 上つ毛野安蘇のま麻群かき抱き寝れど飽かぬをあどか我がせむ
(可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟)
上つ毛野(かみつけの)は上野国(群馬県)のことで旧名。安蘇(あそ)は栃木県にあった安蘇郡のことで下つ毛野に属していた。佐野市や日光市にまたがっていた。「ま麻群(そむら)」のまは美称。麻の束。「あどか」は「どうして」とか「なにゆえ」の意。「などか」の東国訛り。「上つ毛野安蘇の麻束をかき抱くように、あの子をしっかり抱いて寝たけれど、なぜか満ち足りない思いがする」という歌である。
(2016年4月9日記)