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Channel: 古代史の道
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NIFS-3

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 NIFSのメイン活動は、毎週土曜日の夕方から夜にかけて行われてきた例会である。その時々の担当者が考えた話題なりテ-マに沿って行われた。国当てや人物当てなどのクイズあり、英語劇あり、討論あり、フリートーキングあり、アニメあり、映画鑑賞ありと実に様々なアイディアや形式で行われた。主要形式は、6~8人を一グループとして全体を八グル-プほどに分け、グループ内でディスカッションを行う。こうした諸種様々の中で、私がもっとも印象に残った形式は相手を順番に変えていく方式である。
 先ず、「私の趣味」なり「好きな料理」等々全体のテーマを決める。各机に二人ずつずらっと、二列に並ぶ。一列は固定し、他の一列は移動する。5分なら5分と決められた時間内にトーキングを行い相手の列が移動していく。結果的に様々な相手と会話を交わすものである。
 ある程度の英会話能力がないと成立しない方式だが、外国人が4人も混じっていたこともある。研究者、学生、技術者、サラリーマン等々実に様々な職業の人がいて、相手が変わっていくので、実に新鮮で、様々な会話を楽しむことが出来た。一対一なので、黙っているわけにはいかず、自己紹介も兼ねて何か話さなければならなかった。つまり、自ずから英会話力が試され、自分自身の会話能力の向上に直結する形式だった。
 強制的な方式に見えるが、なになに私たち自身の子供の頃を思い起こせば分かる。両親を始め周囲の人々に日本語を教えられたわけではない。自然に身につけたのである。
   人と人通じ合えるはいと楽し見知らぬ人と話はずめり   (桐山芳夫)
   よそ国の人と話すもお互いに野越え国越え近寄る気がす  (桐山芳夫)
 かくて私はNIFSを通して、貴重な時をいただいたのである。
            (2018年9月7日)
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万葉集読解・・・133(1994~2007番歌)

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     万葉集読解・・・133(1994~2007番歌)
 頭注に「露に寄せて」とある。
1994  夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき
      (夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸)
 「露別け衣」は「露を踏み分けてきた着物」という意味。男が通って来る姿をおもんばかっての歌。
 「露にまみれた夏草を踏みしめてきた着物を着たわけでもないのに、ただ待っているだけの女の身なのに、私の着ている着物の袖は涙で乾く時がありません」という歌である。

 頭注に「日に寄せて」とある。
1995  六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして
      (六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手)
 前歌と同じく、激しい恋情の歌。「地さへ裂けて」は「地面さえ裂ける」という意味。
 「水無月(新暦では真夏の七月)、地面さえ裂けるかんかん照りの日でも私の着物の袖は涙で乾くことがありません。あなたにお逢いできないので」という歌である。
 以上で夏雑歌の終了。

 秋雜歌 (1996~2236番歌243首)
 頭注に「七夕歌」とある。(1996~2093番歌98首)。
1996  天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや
      (天漢 水左閇而照 舟竟 舟人 妹等所見寸哉)
 「水さへに照る」は「水に照り映えた」という意味。原文は「水左閇而照」。これを「岩波大系本」は1319番歌の「大海の水底照らし(原文「水底照之」)」や1861番歌の「能登川の水底さへに(原文「水底并尓」)の例を挙げている。そこで原文「水左閇而照」に底の一字を補って「水底左閇而照」ではないかとしている。大変有力な見解だが、字余りになる難点があるうえに原文操作が気になる。。
 本歌は船が接岸した時の様子なので水底というよりも川岸の水面。原文の変更は慎重の上にも慎重であるべきで、敢えて変更する必要は感じられない。「舟なる人」はむろん牽牛星。結句の「妹と見えきや」は「彼女(織姫)に逢えたのだろうか」という意味である。
 「天の川の川岸に照り映えた美しい舟が到着した。その舟の主牽牛星は彼女(織姫)に逢えたのだろうか」という歌である。

1997  久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに
      (久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座都 乏諸手丹)
 「久方の」はお馴染みの枕詞。ぬえ鳥はトラツグミのことである。枕詞説もある。牽牛星と織り姫とどちらを焦点にした歌か不明。常識的には織り姫だろう。
 「(一年一度の逢う瀬を終えて牽牛星が帰っていったので)織り姫は天の川原でトラツグミの鳴き声のようになすすべもないほど泣いておられた」という歌である。

1998  我が恋を嬬は知れるや行く舟の過ぎて来べしや言も告げなむ
      (吾戀 嬬者知遠 徃船乃 過而應来哉 事毛告火)
 第二句「嬬者知遠(原文)」を「佐々木本」は「妻は知れるや」と訓じ、「中西本」は「妻はいや遠く」としている。これに対し、「岩波大系本」はなぜか「夫は知れるを」と訓じている。これにならってか「伊藤本」も「夫は知れるを」と訓じている。注目してほしいのは妻と夫の相違である。嬬は妻という意味であり、夫と代替が利く筈もない。なぜ夫とよめるのか。最低限その理由を記してほしかった。
 「言(こと)も告げなむ」は「さようならの一言もない」という意味。状況からして嬬は妻が自然。天の川を舟に乗ってやってくるのは牽牛。やはり舟に乗って去っていくのも牽牛。一年に一度逢いに来たのに去っていく時「さようなら」の一言くらい言ってというのが牽牛の心情。実際は前歌にあるように織り姫は別れの辛さに言葉も出ない有様。牽牛はそれを十分承知の上で、「ちゃんと送り出してよ」と言ったのである。要するに「元気を出してね」というのが歌意なのである。
 「別れが辛いのは私も一緒。なのに、いよいよ舟に乗り込んで去る時が来たというのに、さようならの一言もない」という歌である。

1999  赤らひく色ぐはし子をしば見れば人妻ゆゑに我れ恋ひぬべし
      (朱羅引 色妙子 數見者 人妻故 吾可戀奴)
 「赤らひく」は枕詞(?)。「赤らひく」は本歌も含めて4例。他の3例を原文ともども書き出してみると次の通りである。
   「赤らひく 日も暮るるまで」(赤羅引 日母至闇)・・619番長歌。
   「赤らひく 朝行く君を」(朱引 朝行公)・・・・・・2389番歌。
   「赤らひく 肌も触れずて」(朱引 秦不經)・・・・・2399番歌。
 ごらんのように、一例として同じ語にかかっていない。これに対し「赤らひく」を「赤みを帯びた」という普通形容詞と解すれば4例すべて意味が通るのである。
 「色ぐはし子」は原文「色妙子」。「色も妙なる女性」という意味である。「しば見れば」は「よくよく眺めれば」という意味。問題は下二句。「人妻ゆゑに恋に落ちそうになる」と解するのでは不倫賛歌になって意味をなさない。なので、ここは「人妻ゆゑに」を強調する倒置表現とみなければならない。
 「ほんのり(顔が)朱に染まった彼女をよくよく眺めると、恋に落ちそうになる。けれども彼女は人妻なので恋してはならない」という歌である。

2000  天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ
      (天漢 安渡丹 船浮而 秋立待等 妹告与具)
 「天の川安の渡りに」とある。『古事記』及び『日本書紀』によると、天界には安の河原がある。天照大神が洞窟内にこもって天界が闇に包まれてしまう。このとき、どうしたらいいだろうと、八百万(やほろづ)の神々が安の河原に集まって相談する場面がある。「安の渡り」は自然にこの神話が連想される。「秋立つ待つと」は「再会できる七夕の秋がやってくるのを待っていると」という意味である。「妹(いも)に告げこそ」は彼女(織り姫)への伝言である。
 「天の川の安の河原の船着き場で舟を浮かべ、七夕の秋がやってくるのを心待ちしていると彼女に伝えてほしい」という歌である。

2001  大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し
      (従蒼天 徃来吾等須良 汝故 天漢道 名積而叙来)
 「大空ゆ通ふ我れすら」は「大空を自在に翔る私だが」という意味である。が、天の川を渡って一年に一度だけ逢ってもよいという定めがあるのを下敷きにした歌。
 「大空を自在に駆けめぐる私だが、定めに従ってあなたに逢うために、天の川を難渋しながらやってきた」という歌である。

2002  八千桙の神の御代よりともし妻人知りにけり継ぎてし思へば
      (八千戈 神自御世 乏孋 人知尓来 告思者)
 「八千桙の神の御代より」は「大国主命の御代から」という意味。大国主命(おほくにぬしのみこと)は『古事記』や『日本書紀』の神話に登場する神。出雲大社の祭神。「遠い神話の時代から」いうくらいの意味。「ともし妻」は「逢うことが乏しい妻」つまり一年一度の七夕の日にしか逢えない織り姫のこと。
 「遠い神話の時代から七夕の日にしか逢えない妻のことは人々に知れ渡ることになった。毎年毎年語り継がれてきたことを思うと」という歌である。

2003  我が恋ふる丹のほの面こよひもか天の川原に石枕まかむ
      (吾等戀 丹穂面 今夕母可 天漢原 石枕巻)
 「丹(に)のほの面(おもわ)」は1999番歌に「赤らひく色ぐはし子~」と詠われていたと同様の表現。
 「我が恋い焦がれるほんのり赤い顔をしたあの子は、今宵も天の川原で石を枕にして寝ているだろうか」という歌である。

2004  己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに
      (己つ 乏子等者 竟津 荒礒巻而寐 君待難)
 「己夫(おのづま)に」は「自分の夫に」という意味。「ともしき子」は前々歌の「ともし妻」と同じく「一年に一度しか逢えない彼女」という意味。「子ら」は親愛の「ら」。
 「自分の夫に滅多に逢えない織り姫は岩がゴロゴロしている港に、夫がやってくるのを待ちかねて荒磯を枕にして寝ている」という歌である。

2005  天地と別れし時ゆ己が妻然ぞ手(年)にある秋待つ我れは
      (天地等 別之時従 自孋 然叙手(年)而在 金待吾者)
 『古事記』や『日本書紀』はこの世の開始は天地が分かれた時と認識しており、冒頭部にそこから神々が生まれてきたと記している。つまり「天地(あめつち)と別れし時ゆ」は「神々の生まれる遙か以前の原初の時代より」という意味になる。が、一方では「これはひょっとすると、古代人の途方もない天文知識を踏まえた記述ではないか」という気もするのである。天の川はご承知のように銀河系星雲。そして牽牛星と織女星はむろん、わが太陽系が属する銀河系星雲の一員である。太陽が銀河系星雲の一員であることまで知っていたか否か定かでない。が、牽牛星と織女星はわが地球の誕生(天地が別れたとき)よりも以前から存在していたと認識していた可能性がある。歌の読解とは直接関係ないが、ひとこと記しておきたい。
 第四句の「然(しか)ぞ手(年)にある」は各書とも原文の「手」を修正して「年」としている。が、みだりに原文をいじるべきではなく、私は「手」と考えて読解を試みたい。
 「然(しか)ぞ手にある」は「かくて我が手中にある」という意味である。
 「太古の昔より織り姫は我が妻、しかして現実に我が手中にあるのは七夕の秋、その日を私は待ち続けている」という歌である。

2006  彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ
      (孫星 嘆須孋 事谷毛 告<尓>叙来鶴 見者苦弥)
 「嘆(なげ)かす妻に」は「嘆き悲しむ妻に」という、「言(こと)だにも告げにぞ来つる」は「言葉だけでもかけようとやって来た」という意味である。結句の「見れば苦しみ」は「逢えば苦しいので」という意味で、「~なので」の「み」。字面どおりに解すると、「彦星は妻に言葉だけでもかけようとやって来た。が、見ているだけで、心苦しいので逢えない」という歌意になる。
 「岩波大系本」も「伊藤本」も「中西本」もすべて大意、こう解している。「岩波大系本」や「伊藤本」は、二人の間に「霧がかかっていて見えない」という状況を想定している。が、奇妙である。本歌は1996番歌の頭注にあるように、一連の「七夕の歌」の一首である。それに霧云々などとどこにも詠われていない。歌意は全く反対ではなかろうか。私の歌意はこうである。
 「彦星は言葉だけでもかけようと、一年一度の逢う瀬にやってきた。が、嘆き悲しむ妻に逢うと、心苦しくて言葉も出なかった」という歌である。

2007  ひさかたの天つしるしと水無し川隔てて置きし神代し恨めし
      (久方 天印等 水無<川> 隔而置之 神世之恨)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「水無し川」は広大な天空の目印に作られた川、すなわち天の川のことである。天の川は2000番歌に「天の川安の渡りに舟浮けて~」などと詠われている。
 「大空を区切る目印に水無し川(天の川)を置き、二人を両岸に分けてしまった神代の昔がうらめしい」という歌である。
           (2015年1月13日記、2018年9月8日記)
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ノーゼンの恋

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 ここ数日、弟のことで、バタバタしたが、やっと少し落ち着いた。
 さて、ノーゼンカズラの花の名を、しかも小走りに走り寄ってきて教えてくれたのは名古屋市市政資料館の女性職員だった。もう5年も前のことである。その職員は今は辞めて資料館にはいない。
 ノーゼンカズラは古い古い花で、すでに平安時代から根付いていたという。中国原産の花で、私には今の時期にはうってつけの花である。真夏から初秋にかけて咲くこの花は、花の端境期にあたり、花の種類が少ない中にあってよく目立つ。一昨日、古代史の会の例会に参加したところ、今年もノーゼンカズラが咲いていた。
 二年前の8月にノーゼンカズラにまつわる恋の一文を記している。「メラメラと燃えさかるというイメージではない。が、柿色の花は不思議に情熱的で、静かに、かつ、激しく燃え上がる」と私は記している。
 高齢者になって、いまさら恋の話ではなかろうと人は言うに相違ない。が、「静かに、かつ、激しく燃え上がる」恋は年齢に関係なく訪れてくる。現在は思い出にしか過ぎないが、むろん、今でも起こり得ない話ではない。
   あり得ない話と思いつつ孫娘ひそかに探すノーゼンの恋    (桐山芳夫)
   柿色はひそかに燃ゆる色なりき老いらくの恋とノーゼン言うや (桐山芳夫)
 西洋館の連なる柱の上に咲く、ノーゼンカズラの花は、たとえ一時のことながら、私の恋心をかき立ててくれる。すぐそばにいて、私と一緒に見上げてくれる孫娘のような女性がいたらどんなに楽しく心強いことだろう。
 しかしながら、現実にかくなる恋心が起きると思うより、あり得ると考えることがいつまでも元気でいられる源だと思うことが重要かも知れない。
            (2018年9月11日)
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万葉集読解・・・134(2008~2024番歌)

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     万葉集読解・・・134(2008~2024番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)
2008  ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも妹が伝へは早く告げこそ
      (黒玉 宵霧隠 遠鞆 妹傳 速告与)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「夜霧に隠(かく)り」は「夜霧にこめられて」という意味。
 「夜霧にたちこめられて道のりは遠く大変だろうけれど、彼女の伝言は早く伝えてほしい」という歌である。

2009  汝が恋ふる妹の命は飽き足らに袖振る見えつ雲隠るまで
      (汝戀 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隠)
 七夕伝説を第三者の立場で詠んだ歌。なので「汝(な)が恋ふる」は牽牛に呼びかけた趣。したがって「妹の命(みこと)は」は織り姫を指す。「飽き足らに」は舌足らずのように見えるが、「飽き足らずに」という意味である。
 「牽牛よ、あなたが恋する織り姫様はあなたが去っていく様子をいつまでも袖を振って見送っておいでですよ。雲に隠れてあなたが見えなくなってしまうまで」という歌である。

2010  夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士
      (夕星毛 徃来天道 及何時鹿 仰而将待 月人壮)
 本歌も前歌同様、七夕伝説を第三者の立場で詠んだ歌。夕星(ゆふづつ)は宵の明星と呼ばれる金星のこと。日没後に輝き始める。月人壮士(つきひとをとこ)は「お月様」のことだが、ここでは牽牛星を指す。
 「もう日没し、宵の明星も輝き出しましたよ。いつまで天の川を仰いで舟出を待つつもりですか、牽牛さんよ」という歌である。

2011  天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻問ふまでは
      (天漢 已向立而 戀等尓 事谷将告 孋言及者)
 本歌は牽牛の立場から詠んだ歌。「恋しらに」は「恋しくて」という、「妻問ふまでは」は「妻の許を訪ねるまでは」という意味である。
 「天の川の両岸に向かい合って立ち、恋しくてたまらないので、せめて言葉だけでもかけよう。妻に逢う日が来るまでは」という歌である。

2012  白玉の五百つ集ひを解きもみず我は干しかてぬ逢はむ日待つに
      (水良玉 五百都集乎 解毛不見 吾者干可太奴 相日待尓)
 本歌は織り姫の立場から詠んだ歌。「白玉の五百(いほ)つ集(つど)ひを」は直訳すると「白玉がいっぱい集まったものを」という意味だ。真珠を連ねた首飾りのことか?。牽牛から贈られた首飾りと解してもいいだろう。「解きもみず」は「首にかけたまま」という意味。「干(ほ)しかてぬ」は「涙が乾く暇もありません」という意味である。
 「白玉がいっぱい連なっている首飾りをかけたまま、私は涙が乾く暇もないほど悲しんで暮らしています。お逢い出来る日が来るのを待って」という歌である。

2013  天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり
      (天漢 水陰草 金風 靡見者 時来之)
 水蔭草(みづかげくさ)は水辺(岸辺)に生える草のこと。
 「天の川の岸辺に生える草々が秋風に靡くのを見ると、いよいよ七夕の季節がやってきたんだなあ」という歌である。

2014  我が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に
      (吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比尓徃奈 越方人邇)
 「今だにも」の「~だにも」の形は2006番歌に出てきたばかりだが、1036番歌に「~帰りだにも~」、1432番歌に「~手折りてだにも~」というように使われている。「~だけでも」とか「~にでも」という意味である。「にほひ」は本来は「染まる」という意味である。だが、ここでは現代でも「あなたの色に染まりたい」と唄われることがあるように、「あなたに同化したい」という意味。つまり「あなたに逢いに行く」という意味である。「彼方人(をちかたびと)に」は「向こう岸の彼女に」という意味。
 「待ちに待っていた秋萩が咲いて七夕の日を迎えた。一日限りだけれども、向こう岸の彼女に逢いに行こう」という歌である。

2015  我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ
      (吾世子尓 裏戀居者 天<漢> 夜船滂動 梶音所聞)
 「うら恋ひ居れば」は「しきりに恋い焦がれていると」という意味である。
 「あの人をしきりに恋い焦がれていると、天の川を夜舟を漕いでやってくるあの人の楫(かじ)の音が聞こえてきた」という歌である。

2016  ま日長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音聞こゆ紐解き行かな
      (真氣長 戀心自 白風 妹音所聴 紐解徃名)
 「ま日(け)長く」は「幾日も幾日も」という意味。歌意を取るのに厄介な歌である。「ま日長く恋ふる心ゆ秋風に」までは疑問がない。「幾日も幾日も恋い焦がれてきたので、秋風に乗って」という意味である。「妹が音聞こゆ」だが、「岩波大系本」は「妹が音(おと)聞こゆ」と訓じ、「気配が分かる」の意味としている。が、「音聞こゆ」なので「気配が聞こえる」というのでは奇異である。気配は「する」であって「聞こえる」ではない。まして「音」ひと文字だけで気配の意味を持たせるのには無理がある。一番厄介なのは結句の「紐解き行かな」。通常「紐を解く」は男女の営みを表現する言葉とされている。ここまではあまり用例がないが、1518番歌に「天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな」とある。
 さて、「妹が音聞こゆ」をどう解釈するにせよ、その直後に「紐解き行かな」とは何だろう。まさか「彼女を抱きにいこう」では唐突過ぎてぴんと来ない。各書とも「紐解き行かな」は牽牛の行為としている。が、それでは唐突すぎるうえに、これから舟に乗って織り姫のところに向かおうという男が着物の紐を解いて乗り込むなんてことは考えられない。私は「紐解き」は彼女の行為と見える。「行かな」だけが、牽牛の言葉である。
 「幾日も幾日も恋い焦がれてきたので、秋風に乗って、私を待って彼女が紐を解く音が聞こえるような気がする。さあ、出発しよう」という歌である。

2017  恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに
      (戀敷者 氣長物乎 今谷 乏之牟可哉 可相夜谷)
 前歌の歌意は「岩波大系本」等によると奇異に思われたが、前歌に続いて本歌も奇異な解釈がなされている。代表例として「岩波大系本」の歌意を紹介すると次のとおりである。
「恋しく思ったのは長い間であったのに、せめて今だけでも、もの足りなく思わせるべきでしょうか。お逢い出来る夜だけでも」
 いかがだろう。「せめて今だけでも、もの足りなく思わせるべきでしょうか。」とは何だろう。相手に対し「いっぱいサービスしますね」といっているようで、嫌みに感じられる。お互いに恋しあってきて、やっと一年一度の逢う瀬を迎えた二人の心情を詠った歌の筈なのに・・・。
 「乏(とも)しむべしや」は「もの足りなく思わせる」ではなく、反語表現で、全く逆の意味「もの足りなく思うべきでしょうか」という意味なのである。
 「幾日も幾日も恋い焦がれてきたのだもの。今宵一日だけでも大切に思わなければ、せっかく逢える夜ですもの」という歌である。

2018  天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける
      (天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於踏 夜深去来)
 「去年(こぞ)の渡りで」は「去年渡った渡り場」という意味である。「移ろへば」は「移っていて」という意味。
 「去年あった天の川の渡り場が移ってしまっていて、川瀬を探している内に夜が更けてしまいました」という歌である。

2019  いにしへゆ挙げてし服も顧みず天の川津に年ぞ経にける
      (自古 擧而之服 不顧 天河津尓 年序經去来)
 「いにしへゆ挙げてし服も」は「ずっと昔から機を織り続けてきた織物も」という意味である。
 「ずっと昔から機を織り続けてきた織物の仕事も顧みず、天の川の川瀬であの人を待っている内に、一年が経ってしまいました」という歌である。

2020  天の川夜船を漕ぎて明けぬとも逢はむと思ふ夜袖交へずあらむ
      (天漢 夜船滂而 雖明 将相等念夜 袖易受将有)
 結句の「袖交へずあらむ」は前々歌の「乏しむべしや」と同様、反語表現。「袖交わさずにおくものか」という意味である。
 「天の川で夜船を漕いでいる内に、期限の夜明けが迫ってきた。たとえ夜が明けても彼女に逢って袖を交わさずにおくものか」という歌である。

2021  遠妻と手枕交へてさ寝る夜は鶏よな鳴きそ明けば明けぬとも
      (遥嫨等 手枕易 寐夜 鶏音莫動 明者雖明)
 遠妻はむろん織り姫のこと。「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。
 「遠妻と手枕を交わして寝る夜は、鶏よ、鳴くな、鳴かないでおくれ、たとえ夜があけたからといって」という歌である。

2022  相見らく飽き足らねども稲の目の明けさりにけり舟出せむ妻
      (相見久 猒雖不足 稲目 明去来理 舟出為牟孋)
 「稲の目の」は枕詞説もあるが、用例は本歌のみ。さりとて定説不在。私は「稲穂に光り射し」と解しておきたい。妻の織り姫に別れを促す歌。
 「せっかく逢ったのに名残惜しい。けれども稲穂に光が射し込んできて夜が明けてきた。さあ妻よ、私は舟に乗り込んで帰らねばならない」という歌である。

2023  さ寝そめていくだもあらねば白栲の帯乞ふべしや恋も過ぎねば
      (左尼始而 何太毛不在者 白栲 帶可乞哉 戀毛不<過>者)
 前歌と同様の状況下の歌。キーワードは「帯乞ふべしや」。「さあ妻よ、私は舟に乗り込んで帰らねばならない。その白帯をとってくれないか」と夫から言われた時の歌。
 「一緒に寝てからまだ幾ばくも経っていないのに、もう白帯をお締めになるんですか。恋心が尽きないままに」という歌である。

2024  万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋にあらなくに
      (万世 携手居而 相見鞆 念可過 戀尓有莫國)
 結句「恋にあらなくに」は「恋仲ではありません」という意味である。「たづさはり居て相見とも」とあるように、本歌はお互いの愛の絆を確認する歌である。
 「私たち二人は幾万年にもわたって手に手を取り合って、逢い続けている仲であって、いっときで過ぎ去っていく恋仲ではありません」という歌である。
           (2015年1月15日記、2018年9月12日記)
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NIFS-4

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 NIFSのメイン活動は、前回記した例会のほかに色々な集まり(催し物が行われてきた。たとえば、クリスマスパーチィである。そのほかに、ハロインパーチィ、イングリッシュキャンプ、結婚祝賀会等がある。個別には飲み会、マージャン、テニス、名古屋マラソンへの参加等々色々なことが行われてきた。そうした集まりには企画や準備も含めて、役員の人たちは大変だったろうと思う。
 中でもクリスマスパーチィは毎年必ずといっていいほど開催され、盛大に行われた。各人の得意なもの、たとえば、ダンス、バイオリン、尺八、太鼓等が披露され、全員でクリスマスソングを歌い、輪になって持ち寄ったプレゼントの交換が行われた。参加人員は50~80人に及び、そこで醸し出される空間は、まさに別世界であった。
 男性も女性もみんなが演出家であり、互いに助け合い、互いに整理整頓に手を貸す。一人として、上下関係をひけらかす人はいなく、少し混じった外国人も溶け込んで笑い、話し、さんざめく。共にクリスマスを祝い、共に一夜は暮れていく。
   クリスマス宗教越えて集いあう人かくあるべしと思い強くて  (桐山芳夫)
   手と手とり輪になり回る人の列互いに共に未来を見つめ    (桐山芳夫)
 悠久なこの地球の歴史、そこから見れば、吹けば飛ぶよな私たち人間。なぜ、国と国、人と人がいがみ合い、なぜ争うのだろう。純粋に素朴な観点から見れば、「互いに助け合しかないのに。なぜそれが出来ないのだろう」という疑問が湧く。。、
 まだまだ記しておきたいことは尽きそうにないが、NIFSについては今回で了としておきたい。英会話クラブNIFS(名古屋国際友好協会)。まことにささやかながら、その名の通り、「国際友好」の役割は担ってきたと思う。むろん、NIFSがこれで終わるようなことがあってはならない。より大きく再生することを願ってペンを置きたい。
            (2018年9月13日)
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万葉集読解・・・135(2025~2040番歌)

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     万葉集読解・・・135(2025~2040番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)
2025  万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど
      (万世 可照月毛 雲隠 苦物叙 将相登雖念)
 本歌は七夕にこと寄せた歌の一環である。「雲隠り」は「雲に隠れていると」という意味である。
 「永遠に照り続けている月も雲に隠れていると辛い。逢おうと思っても逢えない二人はさぞかし辛かろう」という歌である。

2026  白雲の五百重に隠り遠くとも宵去らず見む妹があたりは
      (白雲 五百遍隠 雖遠 夜不去将見 妹當者)
 本歌は牽牛の立場から詠った歌。「宵去らず」の「~去らず」はこれまで1057番歌の「~朝去らず」や1372番歌の「~夕去らず」に出てきている。「宵去らず」は「宵のないことはなく」、つまり「毎夜毎夜」という意味である。
 「幾重にも白雲に遮られて見えない遠くの彼女。その辺りを毎夜毎夜見やっています」という歌である。

2027  我がためと織女のその屋戸に織る白栲は織りてけむかも
      (為我登 織女之 其屋戸尓 織白布 織弖兼鴨)
 「白栲(しろたへ)」は真っ白な布。「屋戸(やど)」は家。「織りてけむかも」は「織り終わっただろうか」という意味である。
 「私のためにと織女が家で織っていたあの白布はもう織り終わっただろうか」という歌である。

2028  君に逢はず久しき時ゆ織る服の白栲衣垢付くまでに
      (君不相 久時 織服 白栲衣 垢附麻弖尓)
 「垢(あか)付くまでに」は「とっくに織り終わって手あかが付くまでになっています」という意味である。
 「あなたにお逢いできない長い時間をかけて織り上げた真っ白な着物はとっくに吊してあります。けれども、それからなお久しくなるので手あかが付くまでになっています」という歌である。

2029  天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも
      (天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜)
 読解不要の平明歌。
 「天の川に舟こぐ楫の音が聞こえる。彦星と織女が今宵逢うらしい」という歌である。

2030  秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き
      (秋去者 川霧立 天川 河向居而 戀夜多)
 「川霧立てる」は「川霧がたちこめる」という意味。
 「秋がやってくると(七夕の日が近づくにつれ)、霧が立ちこめる天の川。その天の川に向かっていると、あの人が恋しく待ち遠しい夜が多くなりました」という歌である。

2031  よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら嘆げ居りと告げむ子もがも
      (吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨)
 「よしゑやし~とも」の形で使われる「たとえ~とも」という意味。「ぬえ鳥の」は1997番歌にも出てきたが、トラツグミだが、枕詞説もある。「直(ただ)ならずとも」は「直に逢うことがかなわぬとしても」という意味。結句の「告げむ子もがも」は「使いにたって告げてくれる子がいたらなあ」という意味である。
 「たとえ直接逢うことがかなわぬとも、せめて、私がトラツグミのような悲しい声で嘆き悲しんでいることを、使いにたってあの人に告げてくれる子がいたらなあ」という歌である。

2032  一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも [一云 尽きねばさ夜ぞ明けにける]
      (一年邇 七夕耳 相人之 戀毛不過者 夜深徃久毛 [一云 不盡者 佐宵曽明尓来])
 「一年(ひととせ)に七日の夜のみ逢ふ人の」とは、七月七日の一夜だけ逢うことが許されている牽牛と織り姫のことである。少し分かり辛いのが「恋も過ぎねば」。これを、「恋の心も(満足して)消え去ることもないのに」(「岩波大系本」)とか「恋の苦しさもまだ晴れないうちに」(「伊藤本」)などと訳したのではぴんと来ない。第4句と第5句が倒置表現になっていることさえ理解出来れば歌意を取るのはさほど難しくない歌。原文に「戀毛不過者」とあるように「恋も過ぎないのに」すなわち「名残惜しいまま」という意味である。これにより、異伝歌の「尽きねばさ夜ぞ明けにける」は「名残が尽きない」ということを意味している。
 「一年で七月七日の一夜だけ逢うことが許されている牽牛と織り姫。その一夜も別れなければならない夜が更けてきて名残惜しくてならない」という歌である。

2033  天の川安の川原にとどまりて心はやれば待つ間もどかし
      (天漢 安川原 定而神競者磨待無)
 本歌は古来難訓として「岩波大系本」も「伊藤本」も口語訳を載せていない。難訓とされる句は原文に「定而神競者磨待無」とある下三句。この三句を諸書がどう訓じているか紹介してみると次のとおりである。
   崢蠅泙蠅匿清ゼ塰畭毀機ΑΑ峇簀搬膩亘棔
  ◆崢蠅泙蠅匿清ァ覆むつきほひ)は時待たなくに」・・「佐々木本」
  「定まりて神競(こころきほへば)磨(と)ぎて待たなく」・・「中西本」
  ぁ崢蠅泙蠅匿世袈ァ覆ほ)へば年待たなくに」・・「全註釈」
  ァ崢蠅泙蠅匿清ァ覆むつきほひ)は時待たなくに」・・「註釈万葉集」
  Α崢蠅泙蠅匿澄覆む)つ集(つど)ひは時待たなくに」・・「万葉集総釈」
  А崢蠅泙蠅匿世袈ァ覆ほ)へば麻呂も待たなく」・・「万葉集大成」
  ─崟鼎泙蠅匿澄覆海海蹇砲ほへば時待たなくに」・・「私注」
  「定而神競者磨待無」(原文のまま)・・「伊藤本」

 以上の内、ぁ銑┐蓮峇簀搬膩亘棔廚補注を設けて紹介しているものである。
 さて、┐鉢を別にすれば第三句は「定まりて」で一致している。こういう難解歌の読解は、訓も大事だが、一義的には歌意が通るか否かで判断しなければならない。次に大事なのは他歌の用例に当たってみることが大切。歌の状況や背景も大切である。最終的にはこれらを総合的に判断して歌意を把握する必要がある。
 歌の状況や背景はまぎれがない。天の川及び七夕に関連した歌であり、それからはずれた歌意は除外してよい。次に「安の川原」。長歌だが一例だけ詠われている。2089番長歌に「~妻恋ひに 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに~」とある。牽牛が妻の織り姫に逢いに「(いで)の渡り」(船着き場)から出航する際の歌である。また、「安の川原」そのままの記述ではないが、実質的には全く同様と考えてよい歌がある。2000番歌の「天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ」がそれである。これら長短歌は両者とも牽牛の出航にかかる歌である。。
 以上から考えて第三句は「定(とど)まりて」としか考えられない。第4句は七夕の日が来て出航直前の様子を記した句とすれば、「神競」は「神競(こころはやれば)」に相違ない。そして結句の「磨待無」、「待つ間もなしに」あるいは「待つ間もどかし」という意味である。磨はマ、すなわち間という意味。以下のような歌と考えられる。
 「天の川の安の川原で舟出を待っているが、心がはやって待つ間ももどかしい」という歌である。
 左注に「此歌一首庚辰年に作られ、柿本朝臣人麻呂歌集に出ている」とある。庚辰年は天武9年(680年)と天平12年(740年)説とがある。人麻呂歌集は万葉集に数多く採録されていてかなり大きな歌集と推定される。墨書の時代、各種の資料を整理して歌集を編むにはかなりの年月を要すると見られ、天平12年(740年)としておくのが妥当だろう。なお、本文に言及した2089番長歌も人麻呂歌集から採録されているので、離れてはいるが本歌は2089番長歌の反歌かもしれない。

2034  織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む
      (棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見)
 五百機(いほはた)はたくさんの機織り機。「秋さり衣」は七夕用の着物。反語表現で牽牛のために一生懸命織っていることを強調している。
 「織り姫がたくさんの機織り機を立てて布を織っているが、その布で縫った七夕用の着物を誰が手にとって見るというのでしょう」という歌である。

2035  年にありて今か巻くらむぬばたまの夜霧隠れる遠妻の手を
      (年有而 今香将巻 烏玉之 夜霧隠 遠妻手乎)
 「年にありて」は「一年ぶりに」という意味。第三者の立場からの歌。典型的な倒置表現歌。
 「夜霧にこもって見えないが、今頃は遠妻(織り姫)を手枕にして共寝しているでしょうか牽牛は。一年ぶりに」という歌である。

2036  我が待ちし秋は来りぬ妹と我れと何事あれぞ紐解かずあらむ
      (吾待之 秋者来沼 妹与吾 何事在曽 紐不解在牟)
 「何事あれぞ」は強調表現。「何事があろうとも」という意味。「紐解かずあらむ」は「紐を解かずにおくものか」という意味である。
 「待ちに待った七夕の秋がやってきた。何事があろうともわが妻と共寝をしないでおくものか」という歌である。

2037  年の恋今夜尽して明日よりは常のごとくや我が恋ひ居らむ
      (年之戀 今夜盡而 明日従者 如常哉 吾戀居牟)
 「年の恋」は「一年待ち続けた恋」のこと。「常のごとくや我が恋ひ居らむ」は「普段通りひとり恋し続けるのだろうか」という意味で、変則倒置表現とでも呼べる表現。
 「一年待ち続けた恋情を今宵一晩思う存分果たし尽くし、明日からは普段通りひとり恋し続けることになるのだろうか」という歌である。

2038  逢はなくは日長きものを天の川隔ててまたや我が恋ひ居らむ
      (不合者 氣長物乎 天漢 隔又哉 吾戀将居)
 前歌と相似した心情を詠ったもの。「日(け)長きものを」は「日々は長かったのに」という意味である。「日(け)」は「日々」のこと。
 「逢わないできた日々は長かったのに逢う瀬は一夜にして終わり、天の川を隔ててまた恋い焦がれ続けなければならないのでしょうか」という歌である。

2039  恋しけく日長きものを逢ふべくある宵だに君が来まさずあるらむ
      (戀家口 氣長物乎 可合有 夕谷君之 不来益有良武)
 「日(け)長きものを」は前歌参照。結句の「来まさずあるらむ」は解し方によって二様にとれる。一つは「ひょっとしていらっしゃらないのじゃないだろうか」という不安を述べたという解。二つは「いらっしゃらないなんてことがあるのでしょうか」という解。字面上は前者に思われるが、歌意は後者。すなわち「必ずいらっしゃるに相違ない」という意味だと思われる。
 「逢わないできた日々は長かった。逢う日と定められた今宵だもの、いらっしゃらないなんてことがあるでしょうか」という歌である。

2040  彦星と織女と今夜逢ふ天の川門に波立つなゆめ
      (牽牛 与織女 今夜相 天漢門尓 浪立勿謹)
 「天の川門(かわと)に」は「二人が出会う川が狭まった所に」という意味である。「~なゆめ」は「ゆめゆめ~するな」という強い禁止形。
 「天の川よ。今宵は彦星と織女とが逢うと定められた七夕の夜。二人の立つ川門に、波よ決して立たないでおくれ」という歌である。
           (2015年1月22日記、2018年9月14日記)
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トランスジェンダー

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 初めて聞いた言葉だが、戸籍上は男性でも自身の性別を女性と認識する人をトランスジェンダーというらしい。正確でないかも知れないが、つまり、男性として生まれてきた人が自分を女性と思う人のことを言うらしい。
 男も女も人として生まれてきた以上、差別はない。福沢諭吉の高名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」を引き合いに出すまでもなく、男も女も 貴賎上下の区別はない。そこまでは全く異論がない。
 ところが、トランスジェンダーは「認識に性別がなければ男も女も同じという意味だ」とすれば、いささか飛躍がある。動物に雌雄があることを否定する人はあるまい。虎も馬も鹿もすべからく雌雄がある。人にも当然男女がある。これは男女は平等というのとは全く別の摂理。
 人をも含めて動物にはなぜ雌雄があるのだろう。単純に雄は外敵から守り、雌は子を産む。つまり備わっている役割が異なっているからに相違ない。
 ここであわてて断っておかねばならないが、私は別にトランスジェンダーを否定するつもりはない。この世に生誕してきた人という観点からみればどの人も平等である。それをわざわざ「動物には雌雄がある」という摂理まで脇に追いやって、「われ、トランスジェンダーなり」と宣言する意味がどこにあるのだろう。
 こうして、私は極めて常識的な感想しか述べられない地点に到達した。
 以上の観点からどこかの医学部が男女の学生数を操作した事件があったようであるが、全くいただけない事件だ。
   自らをおみなと呼ぶかトラジェンダー生来鹿の雄は雄なり  (桐山芳夫)
   生まれつき雄花は雄花スギヒノキ雌花は雌花に咲くというや (桐山芳夫)
.            (2018年9月16日)
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万葉集読解・・・136(2041~2060番歌)

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     万葉集読解・・・136(2041~2060番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)
2041  秋風の吹きただよはす白雲は織女の天つ領巾かも
      (秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳)
 「織女(たなばたつめ)の天つ領巾(ひれ)かも」の領巾は当時の女性が首や肩にかけて用いたという、長い布である。868番歌から875番歌にかけて詠われている佐用姫(さよひめ)伝説が印象深い。朝鮮半島の任那(みまな)に赴任する夫との別れを悲しんで山の上に登り、領巾を振ったという伝説である。
 「秋風に吹かれてただよう長い白雲は織姫が振る領巾なのかも」という歌である。

2042  しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に
      (數裳 相不見君矣 天漢 舟出速為 夜不深間)
 第三句「天の川」は助詞の「に」を補って「天の川に」と解すると分かりやすい。牽牛を待つ織女の歌。
 「たびたび逢えないあなたですもの、天の川に早く舟出して下さいまし。夜が更ける前に・・・」という歌である。

2043  秋風の清き夕に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士
      (秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人壮子)
 月人壮士(つきひとをとこ)は2010番歌にも使われていたが、「お月様」のこと。ここでは牽牛星を指す。併せて月夜であることも暗示している。
 「秋風の清々しい夕に天の川を舟で漕ぎ渡る月下の牽牛さん」という歌である。

2044  天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば
      (天漢 霧立度 牽牛之 楫音所聞 夜深徃)
 読解不要の平明歌。
 「天の川に霧がたちこめていて、彦星(牽牛)が舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。次第に夜が更けてきて」という歌である。

2045  君が舟今漕ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に
      (君舟 今滂来良之 天漢 霧立度 此川瀬)
 「君が舟」とあるので本歌は織姫の立場からの歌のように見え、そう解する書もある。が、さにあらず。前歌同様第三者の立場に立っての歌。「君」は「牽牛」を言い換えたに過ぎない。
 「牽牛の漕ぐ舟がやってくる天の川。その川瀬に霧が一面にたちこめている」という歌である。

2046  秋風に川波立ちぬしましくは八十の舟津にみ舟留めよ
      (秋風尓 河浪起 蹔 八十舟津 三舟停)
 「しましく」は「しばらくの間」という意味。「八十(やそ)の舟津に」は「多くの港に」ないし「あちこちの港に」という意味である。多くの歌では、牽牛と織姫は川を挟んで向き合って住んでおり、七夕の夜に牽牛が川を渡ってくるとの理解で詠われている。が、七夕伝説はそもそもがロマンチック話。詠う人によって解釈が大きく異なっていても不思議はない。本歌では、牽牛と織姫は遠く遠く隔たっている位置に住んでいると想定している。遙か遠路を舟を漕いでやってくる情景である。それが「八十の舟津に」という表現に表れている。
 「秋風が吹いて天の川は波立っています。しばらくの間はあちこちの港に舟をとどめながら気をつけておいで下さい」という歌である。

2047  天の川川の音清けし彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか
      (天漢 河聲清之 牽牛之 秋滂船之 浪躁香)
 「秋漕ぐ舟」は「秋になって漕ぐ舟」という意味で、「七夕の夜」という限定的な歌い方ではない。前歌同様、遠路遥々やってくると考えている作者の詠いかたになっている。となると、結句の「波のさわきか」も「早くも」を補って「早くも波のざわめきだろうか」としないといけないようである。
 「天の川に川音がはっきり聞こえる、秋になって早くも彦星が漕ぎ出した舟のざわめきだろうか」という歌である。

2048  天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ [一云 天の川川に向き立ち]
      (天漢 河門立 吾戀之 君来奈里 紐解待 [一云 天河 川向立])
 川門(かはと)は舟着き場。
 「天の川の舟着き場に立って我が恋ひしの君がやってくるのを着物の紐を解いて待ちましょう」という歌である。
 異伝歌は「川門に立ちて」が「川に向き立ち」となっていて、「二人は川をはさんで向き合っている」という想定で詠われている。

2049  天の川川門に居りて年月を恋ひ来し君に今夜逢へるかも
      (天漢 <河>門座而 年月 戀来君 今夜會可母)
 川門(かはと)は舟着き場。「年月を」は、「一年もの長い月日を」という意味である。
 「天の川の舟着き場に立って一年もの長い月日を恋い焦がれてきましたが、そのあなたにやっと今夜逢えましたわ」という歌である。

2050  明日よりは我が玉床をうち掃ひ君と寐ねずてひとりかも寝む
      (明日従者 吾玉床乎 打拂 公常不宿 孤可母寐)
 平明な歌が続く。玉床(たまどこ)の玉はむろん美称。
 「明日からは、寝床をきれいにしてもあなたとは寝られず、ひとりっきりで寝なくてはいけないのね」という歌である。

2051  天の原行きて射てむと白真弓引きて隠れる月人壮士
      (天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人壮子)
 月人壮士(つきひとをとこ)は2043番歌に出てきたばかりだが、その際「お月様のこと。ここでは牽牛星を指す」とした。本歌は何を指すのだろう。
 この問題を解くにはいつもとは逆に先ず歌意を取ってから考えるのがよかろう。先ず情景だが、天空に天の川が流れている。そこには巨大な天の原がある。「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のことだが、三日月を弓に見立てているとすると、月人壮士は狩人ということになる。「隠(こも)れる」は「身を隠す」という意味なので「月人壮士」は「天の原に行って獲物を獲ようと三日月の白真弓に矢をつがえ、身を隠して機会を待つという意味になる。そして、本歌は七夕歌の一環なので、狩人は牽牛自身を指していることになる。獲物はいうまでもなく織女星。
 「天の原に出かけ、三日月ならぬ白真弓で矢をつがえ、獲物を隠れて狙う牽牛、月人壮士(つきひとをとこ)」という歌である。

2052  この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも
      (此夕 零来雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨)
 せっかくの七夕の宵なのに雨が降っている。それを歌にしたもの。「櫂の散りかも」は「櫂のしぶきだろうか」という意味。
 「七夕の今宵、しきりに雨がふりかかってくる。この雨は彦星が懸命になって早漕ぎする櫂(かい)のしぶきだろうか」という歌である。

2053  天の川八十瀬霧らへり彦星の時待つ舟は今し漕ぐらし
      (天漢 八十瀬霧合 男星之 時待船 今滂良之)
 「八十(やそ)瀬霧(き)らへり」は「あちこちの川瀬に霧が立ちこめている」という意味。 「天の川のあちこちの川瀬に霧が立ちこめている。出航の時を待っていた彦星は今舟を出して漕いでいるらしい」という歌である。

2054  風吹きて川波立ちぬ引き舟に渡りも来ませ夜の更けぬ間に
      (風吹而 河浪起 引船丹 度裳来 夜不降間尓)
 「引き舟」は綱で岸に舟を引き寄せること。2749番歌に「駅路に引き舟渡し直乗りに~」とある。織姫が牽牛に声をかけている情景。広大な天の川を見上げて引き舟を連想するとは!。素朴といおうか、微笑ましくなるような歌である。
 「風が吹いて川波が立ってきました。綱で引き舟にしてこちら岸に渡っていらっしゃいな、夜が更ける前に」という歌である。

2055  天の川遠き渡りはなけれども君が舟出は年にこそ待て
      (天河 遠<渡>者 無友 公之舟出者 年尓社候)
 「年にこそ待て」は「年に一度の七夕の夜が来るまで」という意味である。
 「天の川は向こう岸まで遠くはないので渡ろうと思えば渡れますが、定めですからあなたが舟出する七夕の夜が来るまでお待ちしてますわ」という歌である。

2056  天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも
      (天漢 打橋度 妹之家道 不止通 時不待友)
 「打橋(うちばし)」は杭を打って長い板を渡した仮橋。前々歌といい此の歌といい、まるで童謡のように素朴な歌である。
 「天の川に打橋を渡しておくれ。あなたの家にしげしげと通うものを・・・。七夕の夜が来るのを待ってなどいないで」という歌である。

2057  月重ね我が思ふ妹に逢へる夜は今し七夜を継ぎこせぬかも
      (月累 吾思妹 會夜者 今之七夕 續巨勢奴鴨)
 「継ぎこせぬかも」は「続いてくれないかなあ」という意味である。
 「長い月日を重ねつつ我が恋い焦がれてきた彼女にやっと逢えたのだもの。今のこの夜が七日続いてくれないかなあ」という歌である。

2058  年に装ふ我が舟漕がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ
      (年丹装 吾舟滂 天河 風者吹友 浪立勿忌)
 「年に装(よそ)ふ」は年に一度「飾り立てた」ないしは「整えた」という意味。
 「この日のために年に一度飾り立てた舟をさあ漕ぎ出そう。天の川よ、風が吹くことがあっても、波立ってくれるなよ、決して」という歌である。

2059  天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に
      (天河 浪者立友 吾舟者 率滂出 夜之不深間尓)
 前歌よりもっと強い気持で臨む舟出の心情。
 「天の川が波立とうとも、この我が舟に乗って、さあ漕ぎ出そう。夜が更けない間に」という歌である。

2060  ただ今夜逢ひたる子らに言どひもいまだせずしてさ夜ぞ明けにける
      (直今夜 相有兒等尓 事問母 未為而 左夜曽明二来)
 「ただ今夜」は「たった今し方」という意味。第二句の「逢ひたる子らに」は親愛の「ら」。
 「たった今し方逢っていた妻と十分言葉を交わさない内に夜が明けてしまった」という歌である。
           (2015年1月24日記、2018年9月17日記)
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白い五弁花

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 五日ほど前に近在のそば店に食べに行った時のことである。玄関前に美しい草花が咲いていた。何という花だろうと思って気になった。数日後、カメラを持って再訪し、カメラに一枚収めた。何という花だろう、なんという名の花だろう。数日色々考えていて、ひょっとして「さくら草」ではないかという考えがひらめいた。ひらめきの源は、何と十年ほど前に見かけたさくら草である。英会話クラブの例会に出かける途中で見かけた花で、そこに「さくら草」と記してあった。が、その時は「ふーん、そんな名の花があるんだ」と軽く受け止め、その花をよく見ないまま通り過ぎてしまった。つまり、さくら草を見たのはそれっきりで、すぐ忘却の彼方へ遠ざかってしまった。
 今回、そば屋で見かけた花は私にとっては見知らぬ花だった。見知らぬ花の名などどうでもいいことかも知れない。いや、どうでもいいことなのだろう。が、気になって、色々考えている内にひらめいた「さくら草」。われながら、よくぞそんな昔に見かけた花のことを覚えていたものだ。
 実際、写真に収めてきた花はさくら草なのかどうか判然としない。けれども、とっくの昔に見かけた「さくら草」という花の立て札。それを思い出しただけでもすごいことじゃありませんか。これもきっと、私が、さりげなく秋の気配を探していたからに相違ない。が、さくらといえば春。なのに「さくら草」を思い起こすとは。「さくら草」を見かけたのは今回同様、初秋だったのだろうか。
   うれしやの見知らぬ花に秋を見て   (桐山芳夫)
   鞠状に咲く五弁花に秋漂う      (桐山芳夫)
   さくら草信じてみやる人ひとり    (桐山芳夫)
   五弁花咲く空見上げれば秋の雲    (桐山芳夫)
.            (2018年9月18日)
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万葉集読解・・・137(2061~2079番歌)

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     万葉集読解・・・137(2061~2079番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)
2061  天の川白波高し我が恋ふる君が舟出は今しすらしも
      (天河 白浪高 吾戀 公之舟出者 今為下)
 定訓どおりこのまま解そうとすると不思議な歌である。各書とも一様に「白波が高い、あなたの舟が今漕ぎ出されるようだ」としている。が、「だからどうなんだ」と言いたくなる。「白波が高い」ことと「漕ぎ出されるらしい」との間に何の因果関係もない。波が高いので舟出を控えるということなら分かるが、波が高いので舟出したというのでは歌意が通らない。
 結句の「今しすらしも」は「たった今舟出なさったようだ」という意味である。
 「天の川に高く白波が立っている。我が恋しの君がたった今、舟を漕ぎ出したらしい」という歌である。

2062  機物の蹋木持ち行きて天の川打橋渡す君が来むため
      (機 蹋木持徃而 天<漢> 打橋度 公之来為)
 「機物(はたもの)の蹋木(ふみき)」は、機織り機の足で踏む板のこと。「打橋(うちばし)」は、2056番歌に出てきたばかりだが、杭を打って長い板を渡した仮橋のこと。
 「機織り機の踏み板を持って行って、あの人が渡ってこられるように、天の川に打橋を渡そうかしら」という歌である。

2063  天の川霧立ち上る織女の雲の衣のかへる袖かも
      (天漢 霧立上 棚幡乃 雲衣能 飄袖鴨)
 霧を織姫の雲の着物の袖に見立てた歌。「かへる袖かも」は「ひるがえる袖だろう」という意味。
 「天の川に霧がかかっている。あれは織姫が羽織っている雲の着物の袖がひるがえっているからだろうか」という歌である。

2064  いにしへゆ織りてし服をこの夕衣に縫ひて君待つ我れを
      (古 織義之八多乎 此暮 衣縫而 君待吾乎)
 「いにしへゆ」は「昔から」ないし「ずっと前から」という意味。結句の「君待つ我れを」は「あなたを待っているこの私なのです」という意味である。
 「今宵のためにずっと前から織ってきた布で着物に仕立て、あなたを待っているこの私なのです」という歌である。

2065  足玉も手玉もゆらに織る服を君が御衣に縫ひもあへむかも
      (足玉母 手珠毛由良尓 織旗乎 公之御衣尓 縫将堪可聞)
 足玉と手玉をつけて織っている様子を見たことがなく、具体的にはどんな玉なのか分からない。足首や手首につける鞠状の飾り玉のことだろうか。とすると、「ゆらゆら激しく揺れる様」をあらわす形容詞表現。「縫ひもあへむかも」は「縫い合わせる」すなわち「仕立てられる」という意味。
 「足玉や手玉を激しく揺り動かしながら一心に織って布にしました。これを、あの方に似合いの着物に仕立てられるかしら」という歌である。

2066  月日おき逢ひてしあれば別れまく惜しかる君は明日さへもがも
      (擇月日 逢義之有者 別乃 惜有君者 明日副裳欲得)
 初句の「月日おき」は「月日えり」と、第三句の「別れまく」は「別れむの」と、第四句の「惜しかる君は」は「惜しくある君は」など、何かと訓に相違がある歌だが、歌意に大きな差異を来すとは思えない。
 「月日おき逢ひてしあれば」は「一年ぶりにお逢いしたのですもの」という意味である。「別れまく」(原文「別乃」)は「お別れが」という、「明日さへもがも」は「明日もまた」という意味である。
 「一年ぶりにお逢いしたのですもの、お別れするのが惜しゅうございます。明日の宵もまたお逢いできればいいのに」という歌である。

2067  天の川渡り瀬深み舟浮けて漕ぎ来る君が楫の音聞こゆ
      (天漢 渡瀬深弥 泛船而 掉来君之 楫音所聞)
 「渡り瀬深み」は「~ので」の「み」。平明歌。
 「天の川の渡し場が深いので舟を浮かべ、漕いでくるあの方の楫の音が聞こえる」という歌である。

2068  天の原ふりさけ見れば天の川霧立ちわたる君は来ぬらし
      (天原 振放見者 天漢 霧立渡 公者来良志)
 本歌は、百人一首の古今集歌、安倍仲麿の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」を想起してしまう歌である。が、「天の原ふりさけ見れば」は他の古今集歌にはないが、万葉集には長短歌あわせて9例もある。一種の決まり文句だったようだ。
 「空を仰いでみると天の川に霧が立ちこめている、あの方がやって来るらしい」という歌である。

2069  天の川瀬ごとに幣をたてまつる心は君を幸く来ませと
      (天漢 瀬毎幣 奉 情者君乎 幸来座跡)
 幣(ぬさ)は神に対する捧げ物、お供えのことである。「幸(さき)く来ませと」は「ご無事でいらっしゃるように」という意味である。
 「天の川の瀬毎に神にお供えするのは、あなた様がご無事にいらっしゃるようにという気持からです」という歌である。

2070  ひさかたの天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか
      (久<堅>之 天河津尓 舟泛而 君待夜等者 不明毛有寐鹿)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。川津(かはづ)は舟付き場のこと。「君待つ夜らは」は強調の「ら」。
 「天の川の舟付き場に舟を浮かべてあの方を待つ今宵くらいは明けずにいてほしい」という歌である。

2071  天の川なづさひ渡る君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく
      (天河 足沾渡 君之手毛 未枕者 夜之深去良久)
 「なづさひ」は1016番歌や1750番歌に出てきたように「難渋して」という意味である。「まかねば」は手枕の慣用句。「更けぬらく」は「更けてゆく」という意味。
 「天の川を難渋しながらやってくるあなたの手を手枕もしていないのに(共寝もしていないのに)夜が更けて行く」という歌である。

2072  渡し守舟渡せをと呼ぶ声の至らねばかも楫の音のせぬ
      (渡守 船度世乎跡 呼音之 不至者疑 梶聲之不為)
 「渡し守」は船頭。牽牛が呼びかけている歌。
 「おーい船頭さんよ、早く舟を出してくれと呼びかけたが、声が聞こえないのか、やってくる楫の音がしない」という歌である。

2073  ま日長く川に向き立ちありし袖今夜巻かむと思はくがよさ
      (真氣長 河向立 有之袖 今夜巻跡 念之吉沙)
 「ま日(け)長く」は「幾日も幾日も」という意味。「ま」は接頭語。日(け)は「日にち」。 「幾日も幾日も川に向き合って見てきた妻の着物の袖、いよいよ今宵袖を枕に(共寝)出来ると思うとわくわくする」という歌である。

2074  天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へば
      (天河 渡湍毎 思乍 来之雲知師 逢有久念者)
 第三句の「思ひつつ」だが、何を、誰を「思いつつ」か判然としない。キーは結句の「逢へらく思へば」。これを「中西本」のように「逢っているときを空想すると」とすると、第4句の「来しくもしるし」(やってきた甲斐があった)がぼやけてしまう。逢ってもいないのに「やってきた甲斐があった」では妙だからである。そこで結句は「今こうして逢っていることを思うと」という意味に相違ない。牽牛が逢った相手は織姫をおいてほかにない。なので第三句の「思ひつつ」は織姫のこととはっきりする。
 「天の川の渡り瀬を越えるたびに織姫に逢える時を楽しみに遠い舟路をやってきた。今こうして逢っていることを思うと、遠路苦労してやって来た甲斐があった」という歌である。

2075  人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づき行くを [一云 見つつあるらむ]
      (人左倍也 見不継将有 牽牛之 嬬喚舟之 近附徃乎 [一云 見乍有良武])
 「人さへや」は「相手星の織女星ばかりか、この私たち人間も」という意味である。「見継(つ)がずあらむ」は反語表現で「見守り続けずにいられようか」という意味。異伝歌は「見つつあるらむ」(見守っていることだろう)となっている。本歌とほぼ同意。
 「相手星の織女星ばかりか、この私たち人間も見守り続けずにいられようか、彦星の乗った舟が妻を求めて近づいて行くのを」という歌である。

2076  天の川瀬を早みかもぬばたまの夜は更けにつつ逢はぬ彦星
      (天漢 瀬乎早鴨 烏珠之 夜者闌尓乍 不合牽牛)
 「早みかも」の次に「なかなか渡りきれないため」を補って読むと歌意は明瞭。「ぬばたまの」は枕詞。
 「天の川の瀬の流れが早くて、なかなか渡りきれないためか、夜は更けてゆくというのにまだ織姫に逢えないでいる彦星」という歌である。

2077  渡し守舟早渡せ一年にふたたび通ふ君にあらなくに
      (渡守 舟早渡世 一年尓 二遍徃来 君尓有勿久尓)
 2072番歌同様、「渡し守」は船頭。織り姫が呼びかけている。
 「おーい船頭さん。早く舟をこちら岸に渡してちょうだい。一年に二度と逢えないお方なんですから」という歌である。

2078  玉葛絶えぬものからさ寝らくは年の渡りにただ一夜のみ
      (玉葛 不絶物可良 佐宿者 年之度尓 直一夜耳)
 「玉葛(たまかづら)」の玉は美称。また、葛は「くづ」が一般的。根が格段に生命力旺盛で絶えることがない。「さ寝らくは」はの「さ」は「さ夜」、「さ霧」等の用例でお分かりのように強意等の接頭語。
 「葛(くづ)の根のように私たちは絶えることなく結びついているけれど、逢えるのは一年に一度だけ」という歌である。

2079  恋ふる日は日長きものを今夜だに乏しむべしや逢ふべきものを
      (戀日者 <食>長物乎 今夜谷 令乏應哉 可相物乎)
 本歌は2017番歌「恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに」とう
り二つの相似歌。「乏(とも)しむべしや」は「もの足りなく思わせる」という意味ではなく、反語表現で、全く逆の意味「もの足りなく思うべきでしょうか」という意味である。
 「幾日も幾日も恋い焦がれてきたのだもの。今宵一日だけでも大切に思わなければ、せっかく逢える夜ですもの」という歌である。
           (2015年1月31日記、2018年8月19日記)
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蝶とコスモス

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 先日、歯医者に寄った帰途、コスモス畑を見かけた。コスモスはピンクやブル-が代表的な花で秋を彩る花の代表選手のひとつ。茎が細く伸び、弱々しく見える花だ。私は畑の横に車を一時停車し、そばに寄っていって、カメラを構えた。
 と、その時、一匹の蝶が飛んできて花の一つにとまった。羽を閉じたり広げたりしていた。すかさず広げた瞬間を捕らえてシャッターを切った。春に飛んでいるモンシロチョウとは違って、やや大きく、黒点模様をした蝶だ。揚羽蝶の仲間なのだろうか。何枚か撮ろうとカメラを構えなおしたとき、すぐに蝶は飛び去っていってしまった。
 花にとまり、かつ、羽を広げた瞬間の蝶。もしそれが撮れていたら奇跡だ。狙って待っても撮れない一枚。ほぼ瞬時に飛び去っていってしまったのだから、もしも撮影できていたら、まさに神った一枚になる。
 再生してみると、花にとまった蝶が、しかも羽を広げた瞬間の蝶が撮れていた。もうコスモスのことは頭から飛んでいて、私は興奮冷めやらなかった。久々にいい句が出来そうな予感がした。私は過去のことも思い出しながら作句した。
    羽広げ瞬時に捕らえた写一枚コスモスの園に揚羽とまりぬ  (桐山芳夫)
    瞬間を捕らえたことがうれしくて飛び去る蝶に頭を垂れる  (桐山芳夫)
    蝶とまるコスモス畑神々し      (桐山芳夫)
    コスモスや蝶のとまりぬ祇王でら   (桐山芳夫)
    茶舗に入りコスモスゆ去る蝶思う   (桐山芳夫)
    コスモスが咲いていたとふ宇治の里  (桐山芳夫)
    蝶ひらりひらりとまりぬ秋来たる   (桐山芳夫)
 偶然のもたらす驚き。久々に興奮冷めやらぬひとときであった。
.            (2018年9月21日)
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万葉集読解・・・138(2080~2093番歌)

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     万葉集読解・・・138(2080~2093番歌)
 1996番歌から続く七夕歌の続き(2093番歌まで)。
2080  織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ
      (織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長)
 「常のごと」は、毎年繰り返される一年一度の七夕の夜のこと。「織姫は今宵牽牛と逢う瀬を迎えるが、明日になれば、いつものように、次の七夕がやってくるまで逢えなくなる。その一年はさぞかし長いことだろう」という歌である。

2081  天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ
      (天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟尓 棚橋渡)
 棚橋は2062番歌等に出てきた打橋と同様、材木で川に渡した仮橋。「い渡らさむ」の「い」は動詞を強調する接頭語。918番歌「い隠りゆかば」等の例がある。
 「天の川に棚橋渡せ。織姫様がお渡りになれるように棚橋渡せ」という歌である。

2082  天の川川門八十ありいづくにか君がみ舟を我が待ち居らむ
      (天漢 河門八十有 何尓可 君之三船乎 吾待将居)
 「川門(かはと)八十(やそ)あり」は「舟の渡し場はいくつもある」という意味。
 「天の川には舟の渡し場がいくつもございます。どこの渡し場で私はあなたの舟を待っていたらよいのでしょう」という歌である。

2083  秋風の吹きにし日より天の川瀬に出で立ちて待つと告げこそ
      (秋風乃 吹西日従 天漢 瀬尓出立 待登告許曽)
 織姫が使いの者に言伝を頼む歌。
 「秋風が吹き始めた日から私は天の川の瀬に立ってお越しになるのをお待ちしています、と伝えてちょうだい」という歌である。

2084  天の川去年の渡り瀬荒れにけり君が来まさむ道の知らなく
      (天漢 去年之渡湍 有二家里 君之将来 道乃不知久)
 「道の知らなく」は字義どおりなら「道が分からない」であるが、前々歌と関連させて読むと、「どの瀬でお待ちしたらよいのでしょう」という意味である。
 「去年お越しになった天の川の渡り瀬は荒廃してしまいました。いったい私はどの瀬でお待ちすればよいのでしょう」という歌である。

2085  天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ
      (天漢 湍瀬尓白浪 雖高 直渡来沼 時者苦三)
 牽牛の歌。「直(ただ)渡り来ぬ」は「渡って来ない」とも解し得るが、原文に「不」がないので、「やってきた」という意味であることが分かる。
 「天の川の各瀬には白波が高く立っているが、瀬を選んで回り道をしていると遅くなるので、それが耐え難くて一直線に渡ってきました」という歌である。

2086   彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の絶えむと君を我が思はなくに
      (牽牛之 嬬喚舟之 引綱乃 将絶跡君乎 吾之念勿國)
 「彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の」はややもたついた言い方に見える。そのせいかどうか分からないが、「岩波大系本」のように、「引き綱の」までを序歌とし、「この歌、七夕の歌ではなく、七夕のことを序に取り入れた歌」とする見方がある。不可解としか言いようのない見方である。七夕にかこつけた歌というのなら、七夕の歌はほとんどがそうなってしまう。えんえんと続く七夕歌群の中で、本歌だけぽつんと七夕歌ではない(?)。歌意は「二人の中は切れない」という歌。「引き綱の」を「引き綱のごと」の意だと分かれば明快な歌である。
 「彦星の妻を呼ぶ舟が引き綱に引かれていく。その綱が切れてしまうことがあるでしょうか。決してあり得ないあなたと思っています」という歌である。

2087  渡し守舟出し出でむ今夜のみ相見て後は逢はじものかも
      (渡守 舟出為将出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛)
 2072番歌同様、「渡し守」は船頭。「渡し守さんよ、舟出しよう」に呼応する形で出てくる結句の「逢はじものかも」。これを直訳すると疑問符がつく。「逢わないことがあるものか」と直訳したのでは、逢えないかも知れないという不安から思い切って舟出を促したような意味になってしまう。ここは意訳が必要。
 「渡し守さんよ、舟出しよう。今夜のみ逢って来年は逢わないというわけではない。さあいつもどおり舟出だ」という歌である。

2088  我が隠せる楫棹なくて渡し守舟貸さめやもしましはあり待て
      (吾隠有 楫棹無而 渡守 舟将借八方 須臾者有待)
 織姫が牽牛を引き留める歌。「舟貸さめやも」は「舟出してくれるでしょうか」という意味。「しましは」は「しばらくは」という意味。
 「私が隠している楫や棹もなくて、船頭さんに舟出ができるでしょうか。しばらくお待ちになったらいかがでしょう」という歌である。

2089番 長歌
   天地の 初めの時ゆ 天の川 い向ひ居りて 一年に ふたたび逢はぬ 妻恋ひに 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに 秋風の 吹きくる宵に 天の川 白波しのぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 若草の 妻を巻かむと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ 七月の 七日の宵は 我れも悲しも
   (乾坤之 初時従 天漢 射向居而 一年丹 兩遍不遭 妻戀尓 物念人 天漢 安乃川原乃 有通 出々乃渡丹 具穂船乃 艫丹裳舳丹裳 船装 真梶繁<抜> 旗<芒> 本葉裳具世丹 秋風乃 吹<来>夕丹 天<河> 白浪凌 落沸 速湍渉 稚草乃 妻手枕迹 大<舟>乃 思憑而 滂来等六 其夫乃子我 荒珠乃 年緒長 思来之 戀将盡 七月 七日之夕者 吾毛悲焉)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「安の川原」は天照大神が洞窟内にこもって闇夜になり、八百万(やほろづ)の神々が集まって相談する川原。2000番歌参照。「あり通ふ」は「かよいつづける」という意味。「そほ舟」は「赤く塗った舟」、「旗すすき」は「旗のようになびくすすき」のこと。「若草の」と「あらたまの」は枕詞。「白波しのぎ」は「白波を押し分けて」という意味である。

 (口語訳)
  天地が分かれた原初の時から天の川をはさんで向き合って住み、一年に二度と逢えない妻恋しさに物思う牽牛(彦星)。七夕の日になると、天の川の安の川原にやってきて、出発の時を待つ。艫(船尾)から舳(船首)まで真っ赤に染めて飾り立てた船に、梶をいっぱい取り付ける。ススキが根元から穂先まで旗のようになびく秋の風が吹き立てる宵になると 天の川の白波を押し分け、落ちかかる波にめげず、早瀬を渡って、若草のような妻に手枕しよう(共寝しようと)、大船の力を頼みにして、こちらに漕ぎ進んでくる。その夫が一年の長い月日を恋暮らしてきたことを思うと、七月七日の今宵は私も切なくてございません。

 反 歌
2090  高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ
      (狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳将偲)
 高麗錦(こまにしき)の紐は朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。『続日本紀』霊亀2年(716年)の条に、甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国の高麗人1799人を集めて武蔵国に移し、高麗郡を置いたことが記されている。その高麗郷は現在に至るまで埼玉県日高市高麗川にその名を留めている。高麗錦はこの高麗郷で精製されていたのかもしれない。
 「天人(あめひと)」は牽牛のこと。結句の「我れも偲(しの)はむ」の「我れ」は作者のことである。
 「今宵の天上は、牽牛が妻の織姫と逢って着物の高麗錦の紐を解いて共寝に入る日である。この私もお二人に思いを馳せよう」という歌である。

2091  彦星の川瀬を渡るさ小舟のい行きて泊てむ川津し思ほゆ
      (彦星之 河瀬渡 左小舟乃 得行而将泊 河津石所念)
 万葉集では、語を飾ったり強調したりあるいは語調を整えたりするためにしばしば接頭語が使われる。「さ小舟(をぶね)の」の「さ」、「い行きて泊てむ」の「い」、「川津し思ほゆ」の「し」がそれである。
 「牽牛の小舟が川瀬を渡って(織姫の待つ)向こう岸にいく。その港はどんな所だろうと、思いを馳せる」という歌である。

2092番 長歌
   天地と 別れし時ゆ 久方の 天つしるしと 定めてし 天の川原に あらたまの 月重なりて 妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 我が衣手に 秋風の 吹きかへらへば 立ちて居て たどきを知らに むらきもの 心いさよひ 解き衣の 思ひ乱れて いつしかと 我が待つ今夜 この川の 流れの長く ありこせぬかも
   (天地跡 別之時従 久方乃 天驗常 <定>大王 天之河原尓 璞 月累而 妹尓相 時候跡 立待尓 吾衣手尓 秋風之 吹反者 立<座> 多土伎乎不知 村肝 心不欲 解衣 思乱而 何時跡 吾待今夜 此川 行長 有得鴨)

  「久方の」、「あらたまの」、「むらきもの」及び「解き衣の」は枕詞。「時さもらふと」は「時をうかがっていると」という意味。「たどきを知らに」は「どうしてよいか分からず」という、「ありこせぬかも」は「そうあってくれないものだろうか」という意味である。

 (口語訳)
  天地が分かれた原初の時から天の印と定められた、天の川の川原。月日が重なって妻に逢える日が来ないかと時をうかがっていると、立って待っている私の着物の袖が秋の風に吹き返すようになった。どうしてよいか分からず、心は揺れ動き、思い乱れてならない。いつかいつかと私が待つ今宵(七夕の夜)は、天の川の流れのように長くいつまでも続いてくれないものだろうか。

 反 歌
2093  妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
      (妹尓相 時片待跡 久方乃 天之漢原尓 月叙經来)
 「片待つと」は「ひたすら待って」という意味である。「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。 「彼女に逢える時が来るのをひたすら待ち続け、天の川原で何ヶ月も過ごしてきました」という歌である。
 以上、1996番歌から延々と続いてきた七夕歌98首は本歌をもって幕を閉じる。

           (2015年2月3日記、2018年9月22日記)
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覆った常識

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 常識というのは人によって異なる。「それ常識だろ」とか「常識も知らないのか」といった言葉を浴びせられる。彼ないし彼女には常識であっても、こちらが知らなければこちらには常識になっていないことになる。つまり、各人の範囲に入っているものが異なっているので、常識は人によって異なることになる。むろん、常識にはもう一種類ある。「富士は日本一高い山」とか「象の鼻は長い」といった類の知識である。これらは大部分の人が知っているに相違ない。通常、こちらの方を常識と呼んでいる。
 さて、奇妙な例だが、特殊な常識がある。歯医者の例である。私はこれまで歯医者はいくつもかかっている。転勤や転居が多かった時機があったので・・・。どの歯医者も治療はほぼ一週間に一度であった。これはきっと一週間経たないと、歯が落ち着かないからだろうと私は思っていた。このため歯医者は長くかかる。たとえば一本の虫歯を治療してもらうのに、レントゲンを取り、削り、型を取り、歯に装着と最低一ヶ月かかる。隣接の歯など複数になれば二ヶ月も三ヶ月もかかる。うんざりである。
 こんな経験を経て、「歯医者は一週間に一度」通うものというのが私の常識になった。「歯医者はうんざりするほど長くかかる」。これが私の思いだった。
 ところが、数年前に今のかかりつけの歯医者に行ってみたらその常識が覆った。知人の教示を得てそこに行ってみた。虫歯を削ったあと、「次は明日こられますか」とドクターに問われてびっくり。二度目に近くの喫茶店に入って訊くと、「ああ、そこは毎日治療してくれるので、評判よ」ということだった。以来、数度お世話になっているが、全部の治療が完了するまで一週間を超えたことも、不具合を感じたこともない。全くありがたいことである。この一例は特殊だと思うが、かくて常識は覆ったのである。今でも一般の歯医者は治療に、長く長くかかるのだろうか。
.            (2018年9月23日)
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万葉集読解・・・139(2094~2113番歌)

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     万葉集読解・・・139(2094~2113番歌)
 頭注に「花を詠む」とある。(2094~2124番歌34首)。
2094  さを鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも
      (竿志鹿之 心相念 秋芽子之 <鍾>礼零丹 落僧惜毛)
 「さを鹿の」の「さ」は「さ夜」、「さ霧」等と同様、接頭語。牡鹿と秋萩はお似合いの風物として詠み込まれている。また、男と女の寓意として使われることがある。
 「牡鹿と相思相愛の秋萩の花が降る時雨に散っていくのは惜しいことだ」という歌である。

2095  夕されば野辺の秋萩うら若み露にぞ枯るる秋待ちかてに
      (夕去 野邊秋芽子 末若 露枯 金待難)
 「うら若み」の「うら」は未(うら)で、「み」は「~なので」の「み」。なので、全体として「まだ若いので」という意味になる。788番歌、1112番歌等に使用例がある。「秋待ちかてに」は「秋を待ちかねて」という意味。が、萩の花が秋の到来を心待ちにするわけはなく、「散り急ぐ」とするのがよかろう。
 「夕方になるとまだ若くて弱々しい萩の花は露に当たって枯れてしまう。まるで散り急ぐかのように」という歌である。
 左注に「右二首は柿本朝臣人麻呂の歌集に収載されている」とある。

2096  真葛原なびく秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る
      (真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散)
 「真葛原(まくずはら)」の真は立派な、真性等の意味で使われる。「真木」、「真野」、「真弓」等の例がある。「阿太(あだ)の大野」は奈良県五條市阿田に広がる大野のこと。
 「葛原の葛がなびく秋風が吹くたびに阿太の大野の萩の花が散ってしまう」という歌である。

2097  雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね
      (鴈鳴之 来喧牟日及 見乍将有 此芽子原尓 雨勿零根)
 「来鳴かむ日まで」は「やってきて鳴く日の来るまで」という意味である。「雨な降りそね」は「な~そ」の禁止形。
 「雁がやってきて鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見ていたい。だから雨よ、萩原に降らないでおくれ」という歌である。

2098  奥山に棲むといふ鹿の宵さらず妻どふ萩の散らまく惜しも
      (奥山尓 住云男鹿之 初夜不去 妻問芽子乃 散久惜裳)
 「宵さらず」は「~さらず」の形。1057番歌に「朝さらず」(毎朝)、1372番歌に「夕さらず」(毎夕)とあるように「毎宵」ないし「毎夜」という意味。
 「奥山に棲むという牡鹿は、毎宵妻を捜しにやってくるが、その萩の花が散っていくのが惜しまれる」という歌である。

2099  白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折りて置きや枯らさむ
      (白露乃 置巻惜 秋芽子乎 折耳折而 置哉枯)
 「折りのみ折りて」は「折れるだけ折って」すなわち「いっぱい手折って」という意味である。
 「白露に見舞われて散るのが惜しいので、萩の花をいっぱい手折って家に置いてみても枯らしてしまうだろうか」という歌である。

2100  秋田刈る仮廬の宿りにほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも
      (秋田苅 借廬之宿 <丹>穂經及 咲有秋芽子 雖見不飽香聞)
 仮廬(かりほ)は秋の田を刈り入れるため寝泊まりする仮小屋。「にほふまで」は「染まるほど」という意味。
 「秋の田を刈り入れるための仮小屋まで染めてしまうほど美しい秋萩。見ても見ても飽きることがないほど見事だなあ」という歌である。

2101  我が衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ
      (吾衣 揩有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之揩類曽)
 「摺(す)れるにはあらず」は「あらかじめ摺り染めにしたのではありません」という意味である。摺り染めは染料を布に摺りつけて染める染色技法の一種。高松の野は1874番歌にも「春霞たなびく今日の夕月夜清く照るらむ高松の野に」と詠み込まれている。「高松」は地名だろうが、どこか不詳。萩の花の美しさをいうための詩的、文学的表現。野を行く人の着物が一面に咲く萩に照り映える光景が目に浮かぶ。名歌。
 「私の着物はあらかじめ摺り染めにして染めたわけではありません。高松の野辺を歩いていたら自然に萩の花が摺りこまれたのです」という歌である。

2102  この夕秋風吹きぬ白露に争ふ萩の明日咲かむ見む
      (此暮 秋風吹奴 白露尓 荒争芽子之 明日将咲見)
 「白露に争ふ萩の」は洒落た言い方、「萩の花が開花期を迎えた」という意味である。 「この夕べ秋風が吹いた。明日は草木は白露に覆われよう。萩の花も争うように咲くことだろう。それを見るのが今から楽しみだ」という歌である。

2103  秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
      (秋風 冷成<奴 馬>並而 去来於野行奈 芽子花見尓)
 「馬並めて」は「馬を並べて」。「行かな」は「行こう」という意味。
 「秋風は涼しくなってきた。馬を並べてさあ野に行こう。萩の花を見に」という歌である。

2104  朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕かげにこそ咲きまさりけり
      (朝<杲> 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼)
 朝顔の美しさを詠った歌である。「夕かげ」は「夕方の光」のこと。
 「朝顔は朝露を浴びて咲くのが美しいというけれど、真っ赤な夕光を浴びて咲くのもいっそう美しい」という歌である。

2105  春されば霞隠りて見えずありし秋萩咲きぬ折りてかざさむ
      (春去者 霞隠 不所見有師 秋芽子咲 折而将挿頭)
 「春されば」は通常「~になれば」という意味である。ここは「春になっても」という意味である。「かざさむ」は「挿頭(かざし)にしよう」という意味。挿頭は髪飾りのことで、梅の歌にもよく出てくる。
 「春になっても霞に隠れて見られなかったが、秋になって萩が美しく咲いた。手折って髪飾りにしよう」という歌である。

2106  さ額田の野辺の秋萩時なれば今盛りなり折りてかざさむ
      (沙額田乃 野邊乃秋芽子 時有者 今盛有 折而将挿頭)
 「さ額田(ぬかた)の」の「さ」は一種の美称語。地名に接頭語がつくことがあるのは「お江戸」を思い起こせばよい。額田は奈良県大和郡山市の額田部辺りではないかと言われている。「折りてかざさむ」は前歌参照。
 「額田の野辺の秋萩はまさしく今真っ盛り。手折って髪飾りにしよう」という歌である。

2107  ことさらに衣は摺らじ女郎花咲く野の萩ににほひて居らむ
      (事更尓 衣者不<揩> 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居)
 女郎花(をみなへし)も萩も夏から秋にかけて咲く花。そしてどちらも秋の七草。「ことさらに」は「わざわざ」という、「衣は摺(す)らじ」は「着物を染めない」という意味。「にほひて居らむ」は「染まっていよう」という意味である。
 「わざわざ着物を摺り染めにしなくともよい。女郎花が咲いている野に一面に咲く萩に染まっていよう」という歌である。

2108  秋風は疾く疾く吹き来萩の花散らまく惜しみ競ひ立つ見む
      (秋風者 急々吹来 芽子花 落巻惜三 競立見)
 第二句「~吹き来」までは秋風に呼びかけた歌。一見分かり辛いのが「競(きほ)ひ立つ見む」。である。が、枝垂れ状になって咲く萩の様子を知っている人は、簡単に理解できよう。
 「秋風よ、吹くなら早く吹いて来い。枝垂れた萩の花が散るのを惜しみ、風に逆らって揺れ動くのが見たいから」という歌である。

2109  我が宿の萩の末長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて
      (我屋前之 芽子之若末長 秋風之 吹南時尓 将開跡思<手>)
 「我が宿の」は「我が家の庭」のこと。万葉集ではしばしば使われる表現。「萩の末(うれ)長し」は「萩が枝先を長く伸ばしている」という意味。結句の「咲かむと思ひて」は歌人特有の洒落た表現。
 「我が家の庭の萩が枝先を長く伸ばしている。秋風が吹いてきたらここぞとばかりに咲こうと思ってでもいるように」という歌である。

2110  人皆は萩を秋と言ふよし我れは尾花が末を秋とは言はむ
      (人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言)
 含みを持たせた詠い方の歌なので人により受け取り方に差が出よう。秋は「秋の風情」とも取れるし、「秋の象徴」とも取れる。私は「秋の代表」と取っておきたい。「尾花が末(うれ)」は「ススキの穂先」のこと。
 「どの人も萩こそ秋の代表のように言うようだが、私はススキの穂先こそ秋の代表選手と言いたい」という歌である。

2111  玉梓の君が使の手折り来るこの秋萩は見れど飽かぬかも
      (玉梓 公之使乃 手折来有 此秋芽子者 雖見不飽鹿裳)
 「玉梓(たまづさ)の」は「使い」にかかる枕詞。各書とも「萩は使いが手折ってきた」とみて「あなたの使いが手折ってきてくれた萩の花、見ても見ても見飽きません」という歌と解している。字面上はそうかも知れないが、どこかぴんとこない。手折ったのは君であって、使いはそれを持参しただけと考えられないだろうか。すなわち、「~使いの」でいったん切って読む。いずれが適切か読者各位の手に委ねたい。
 「あなたが手折って手紙をはさんだ萩を使いが持参してきましたが、見ても見ても見飽きません」という歌である。

2112  我がやどに咲ける秋萩常ならば我が待つ人に見せましものを
      (吾屋前尓 開有秋芽子 常有者 我待人尓 令見猿物乎)
 「我がやど」は「我が家の庭」のこと。「常ならば」は「このまま咲き続けてくれたなら」という意味である。
 「我が家の庭に咲いている萩の花、このまま咲き続けてくれたなら、じっと待っているあの人にお見せしたい」という歌である。

2113  手ず備え植ゑしもしるく出で見れば宿の初萩咲きにけるかも
      (手寸十名相 殖之毛知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞)
 初句の「手寸十名相」(原文)には定訓がない。「佐々木本」は「手もすまに」ないし「たきそなひ」としている。「岩波大系本」は「たきそなへ」、「中西本」は「手もすまに」としている。「伊藤本」の場合は「定訓なし」として訓を示していない。
 どう訓ずればいいかずっと考えていたが、なかなか適案が浮かばなかった。「手」は「て」ないし「た」が通例。「寸」は「き」。他に「す」、「ず」。「十」は一音なら「と」ないし「そ」。「名相」は「なひ」が通常。「まに」とは読めない。必然的に「手もすまに」は消える。では「たきそなへ」かというと、「たき」がはっきりしない。色々考えていて、私は「手寸十名相」は「手ず備え」と読めることに気付き、すっきりした。分かってみればコロンブスの卵である。すっきりと歌意が通ったのである。第二句「植ゑしもしるく」は「植えた甲斐があって」という意味である。
 「自ら用意し、植えた甲斐があって、庭に出てみたら(私の植えた)萩が初めて咲いた」という歌である。
           (2015年2月6日記、2018年9月24日記)
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心残りの屋久島

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. 私は形式的には47都道府県をすべて訪れている。形式的にはという意味は、県庁だけを訪れたに過ぎない県もあるからである。むろん、多くの県は、出張すなわち公用で出かけたものである。私は自治省過疎対策室(現在も総務省過疎対策室があるようである)に長い間お世話になり、普通の公務員があまり出かけない過疎市町村に直接出かけることもあって、山間奥地や離島を始め、色々な所を巡る機会を得た。こうした地域が好きだった私は、個人的に出かけた所も少なくない。
 こうした中で、いまだに心残りの所が多々あるけれど、最も心残りな島がある。屋久島である。鹿児島県大隅半島の南方海上に浮かぶ、縄文スギで名高い島である。当時(40年ほど前)、屋久島が話題になることはあまりなく、私自身も屋久島の知識はゼロに等しかった。したがって、後年、姫路城らと共に世界遺産に登録された時も、その事実を知らないほどだった。
 ところが、最近屋久島のことがテレビ放映され、にわかに関心が高まった。奄美大島、佐渡島、五島列島等々、名高い島々の多くは訪れているが、屋久島は世界遺産と聞いたら穏やかではいられなくなった。
 私は大隅半島の最先端、佐多岬まで行っている。屋久島は佐多岬から60キロの海上に浮かんでいるという。地団駄を踏むとはこのことをいうのだろう。多少なりとも関心があったなら、屋久島に足を伸ばしていただろうに。
 樹齢3000年とも5000年とも言われる縄文スギ。桁違いを通り越して、驚愕の樹齢をほこる。そのスギを見るだけでも十分に一見の価値がある。が、山間地を歩き回る体力も気力もない今の私では望むべくもない。最大の心残りの一つになってしまった。
            (2018年9月26日)
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万葉集読解・・・140(2114~2135番歌)

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     万葉集読解・・・140(2114~2135番歌)
2114  我が宿に植ゑ生ほしたる秋萩を誰れか標刺す我れに知らえず
      (吾屋外尓 殖生有 秋芽子乎 誰標刺 吾尓不所知)
 「我がやど」は「我が家の庭」のこと。「植ゑ生(お)ほしたる」は「植えて育てた」という意味である。「誰れか標(しめ)刺す」は縄を張ることだが、「標刺す」とあるので、何らかの目印を刺したのだろう。
 「我が家の庭に植えて育てた秋萩に誰が目印をつけたのだろう。私の知らないうちに」という歌である。

2115  手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも
      (手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜)
 「袖さへにほふ」は「着物の袖さへ染まる」という意味である。
 「手に取れば着物の袖さへ染めてしまう美しい女郎花、この白露で散ると思うと惜しい」という歌である。

2116  白露に争ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね
      (白露尓 荒争金手 咲芽子 散惜兼 雨莫零根)
 「白露に争ひかねて咲ける萩」とは巧みな表現である。「秋の到来と共に萩も咲く」をこう表現した。「雨な降りそね」は「な~そ」の禁止形。末尾の「ね」は強調の「ね」。
 「白露が降りる秋がやってきて、それに抗し切れず、萩が花を咲かせた。その萩が散るのは惜しい。雨よ、降らないでおくれ、頼むから」という歌である。

2117  娘女らに行き逢ひの早稲を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
      ((女+感)嬬等尓 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲)
 「行き逢ひ」(原文「行相)は本歌のほかに1752番歌の「い行き逢ひの坂のふもとに~」と2946番歌の「~道に行き逢ひて外目にも見ればよき子を~」の二例がある。いずれも人と人とが行き逢う意味である。が、「行き逢ひの早稲(わせ)」と速読すると、意味不明の解釈が出てくる。「岩波大系本」や「中西本」によると、季節の変わり目説、地名説、枕詞説等があるようだ。本歌はいったん「娘女(をとめ)らに行き逢ひの」と区切って読まなければならない。つまり「~の季節」という意味である。
 「田に出入りする乙女たちに出会う季節、すなわち早稲(わせ)の刈り入れの時節がやってきたようだ。萩の花も咲いている」という歌である。

2118  朝霧のたなびく小野の萩の花今か散るらむいまだ飽かなくに
      (朝霧之 棚引小野之 芽子花 今哉散濫 未猒尓)
 「今か」は「今頃」。他は読解不要だろう。
 「朝霧がたなびく小野に萩の花が咲いている。この季節になると萩は散っていくのだろうか。まだ十分に見飽きたわけではないのに」という歌である。

2119  恋しくは形見にせよと我が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
      (戀之久者 形見尓為与登 吾背子我 殖之秋芽子 花咲尓家里)
 形見(かたみ)は死んだ人の遺品の意味に使われることもあるが、ここでは「身代わり」といった意味。
 「恋しくなったら私の身代わりにせよと言って、あの人が植えた秋萩が咲きました」という歌である。

2120  秋萩に恋尽さじと思へどもしゑやあたらしまたも逢はめやも
      (秋芽子 戀不盡跡 雖念 思恵也安多良思 又将相八方)
 「しゑや」は、「ええままよ」、「ああしゃくだ」、「まあ」といった感嘆詞。秋萩は恋人の寓意。
 「この秋萩にどっぷりつかるものかと思ったが、ああしゃくだけど、こんな美しい萩に二度と出会えようか」という歌である。

2121  秋風は日に異に吹きぬ高円の野辺の秋萩散らまく惜しも
      (秋風者 日異吹奴 高圓之 野邊之秋芽子 散巻惜裳)
 「日に異(け)に吹きぬ」は「日増しに強く吹く」という意味である。「高円(たかまど)の野辺」は奈良市春日山の南方の野。
 「秋風は日増しに強く吹くようになってきた。高円の野辺に咲く秋萩が散るのが惜しまれる」という歌である。

2122  大夫の心はなしに秋萩の恋のみにやもなづみてありなむ
      (大夫之 心者無而 秋芽子之 戀耳八方 奈積而有南)
 「なづみ」は700番歌や1913番歌にあったように「難渋」。「大夫(ますらを)の心はなしに」は「男子たるものがその心をなくし」という意味である。
 「男子たるものがその心をなくし、秋萩に心を奪われ、恋に難渋していてよいものか」という歌である。

2123  我が待ちし秋は来たりぬしかれども萩の花ぞもいまだ咲かずける
      (吾待之 秋者来奴 雖然 芽子之花曽毛 未開家類)
 読解不要の平明歌。
 「待ちに待っていた秋はやってきた。けれども、萩の花はいまだに咲いてくれない」という歌である。

2124  見まく欲り我が待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり
      (欲見 吾待戀之 秋芽子者 枝毛思美三荷 花開二家里)
 「しみみに」は「びっしり」という意味である。
 「見たい見たいと思って待ち焦がれていた秋萩が枝にびっしり花咲かせたよ」という歌である。

2125  春日野の萩し散りなば朝東風の風にたぐひてここに散り来ね
      (春日野之 芽子落者 朝東 風尓副而 此間尓落来根)
 「春日野」は奈良市春日山の西の麓。「朝東風(あさこち)の」は朝の東風。「たぐひて」は「~とともに」という意味である。
 「春日野の萩が散り時になったなら、朝方の東風に乗ってここに散ってきてくれ」という歌である。

2126  秋萩は雁に逢はじと言へればか [一云 言へれかも] 声を聞きては花に散りぬる
      (秋芽子者 於鴈不相常 言有者香 [一云 言有可聞] 音乎聞而者 花尓散去流)
 萩と牡鹿は似合いの風物としてよく詠われている。が、雁の飛来は冬の到来を意味するので、季節がすれ違いになる。それを詠ったもの。「花に散りぬる」とは大変な省略表現。「花のままで散る」という意味である。
 「萩の花は冬の雁には逢わないと言うからか(異伝は「言うからなのか」)、雁の鳴き声をきいただけで花のまま散ってしまった」という歌である。

2127  秋さらば妹に見せむと植ゑし萩露霜負ひて散りにけるかも
      (秋去者 妹令視跡 殖之芽子 露霜負而 散来毳)
 「秋さらば」は「~になれば」という意味。
 「秋になったら彼女に見せようと植えた萩だが、露や霜に見舞われて散ってしまったよ」という歌である。

 頭注に「雁を詠む」とある。2128~2140番歌の13首。
2128  秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ
      (秋風尓 山跡部越 鴈鳴者 射矢遠放 雲隠筒)
 「雁がね」は雁そのもののこと。
 「秋風に乗って大和へ向かってゆく雁がいやますます遠ざかって行く。雲に見え隠れしながら」という歌である。

2129  明け暮れの朝霧隠り鳴きて行く雁は我が恋妹に告げこそ
      (明闇之 朝霧隠 鳴而去 鴈者言戀 於妹告社)
 「明け暮れの」は「夜明けのまだ薄暗い頃」のこと。雁を使者に見立てた歌。
 「夜明けのまだ薄暗い頃、朝の霧に見え隠れしながら鳴いて飛んで行く雁よ。私のこの切ない恋心を彼女に告げてほしい」という歌である。

2130  我が宿に鳴きし雁がね雲の上に今夜鳴くなり国へかも行く
      (吾屋戸尓 鳴之鴈哭 雲上尓 今夜喧成 國方可聞遊群)
 「我が宿」は「我が家の庭」、「雁がね」は雁のこと。
 「我が家の庭で鳴いていた雁。今宵は雲の上で鳴いている。我が故国へ向かおうというのだろうか」という歌である。

2131  さを鹿の妻どふ時に月をよみ雁が音聞こゆ今し来らしも
      (左小<壮>鹿之 妻問時尓 月乎吉三 切木四之泣所聞 今時来等霜)
 「さを鹿」の「さ」は「さ霧」などと同様、接頭語。「月をよみ」は「月を吉み」で「~なので」の「み」、つまり「月が冴えわたり」という意味である。
 「牡鹿が妻を求めて鳴く今宵、月が冴えわたり、雁の鳴き声もよく聞こえる。今にもこちらへ飛んで来るかのようだ」という歌である。

2132  天雲の外に雁が音聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は [一云 いやますますに恋こそまされ]
      (天雲之 外鴈鳴 従聞之 薄垂霜零 寒此夜者 [一云 弥益々尓 戀許曽増焉])
 「はだれ」は、1420番歌に「沫雪かはだれに降ると見るまでに~」とあり、「はらはらと」ないし「うっすらと」という意味である。
 「雲の遙か上で鳴く雁の声を聞いて以降、うっすらと霜が降りるようになり寒い。とりわけ今夜は」という歌である。
 異伝歌は下二句が「~、いやますます恋心が募る」となっている。

2133  秋の田の我が刈りばかの過ぎぬれば雁が音聞こゆ冬かたまけて
      (秋田 吾苅婆可能 過去者 鴈之喧所聞 冬方設而)
 「刈りばか」は「岩波大系本」に「刈り量(はか)の意か」とある。「自分の分担量」ということになる。結句の「冬かたまけて」は「近づいた」という意味。
 「秋の田の我が刈るべき部分を終えてみると、雁の鳴き声が聞こえる。冬が近いのかなあ」という歌である。

2134  葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る [一云 秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも]
      (葦邊在 荻之葉左夜藝 秋風之 吹来苗丹 鴈鳴渡 [一云 秋風尓 鴈音所聞 今四来霜])
 荻(をぎ)はススキに似た水辺の多年草。葦(あし)も水辺の多年草。「~なへに」は1700番歌等にあるように「~とともに」という意味。
 「葦辺に生える荻の葉がざわつき、秋風が吹き寄せてきた。折しも雁が鳴きながら空を渡っていった」という歌である。
 異伝歌は下三句が「秋風に吹かれて雁の鳴く声が聞こえてきた。どうやら今、雁たちがやって来たらしい」となっている。

2135  おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに
      (押照 難波穿江之 葦邊者 鴈宿有疑 霜乃零尓)
 「おしてる」は枕詞。堀江は1143番歌に「さ夜更けて堀江漕ぐなる~」と詠われている。下二句は倒置表現。
 「難波の堀江の葦辺では、こんなに霜が降っているというのに雁たちは寝ているのだろうか」という歌である。
           (2015年2月10日記、2018年9月27日記)
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白い彼岸花

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 彼岸花が咲く季節になった。彼岸花は俳句の世界では曼珠沙華と呼ばれることが多い。又の名を死人花、幽霊花、捨子花などとも呼ばれ、あまり有りがたくない名を頂戴している。有毒であり、かつ、独特の形をした花なのでこう呼ばれるようになったのだろうか。ちなみに例句を二句だけ紹介しておこう。
     曼珠沙華不思議は茎のみどりかな   (長谷川双魚)
     月山はるか岩の裂け目の曼珠沙華   (佐藤鬼房)
 私は彼岸花は赤い花だと思い込んでいた。平和公園などの墓地や、ときおり見かける畑や土手に咲いている彼岸花は赤いからだ。ところが、このほど見かけたのは白色花だ。白色花なので、遠目に見た時は彼岸花とは思わなかった。相棒が「白い彼岸花が咲いてたね」と言ったので「えっ」と驚いたのである。むろん、後日その場に行って写真に収めてきた。
 写真をみるとなるほど彼岸花である。髭のような長い長い花びら(か)を持つ独特の姿といい、すぐ隣りに写る赤い彼岸花の姿といい、間違いない。
 先日、歯医者の常識が覆った話をしたが、このたびの白い彼岸花も私の常識が覆ったのである。
     父母眠る墓地で出合いし彼岸花    (桐山芳夫)
     赤間ひに白混じり咲く彼岸花     (桐山芳夫)
     彼岸花平和の園に手向けてむ     (桐山芳夫)
 いやあ、参りますね。自分だけが知らないだけなのか、それとも、やはり、珍しいものに出合ったと思えばいいのか。自分の住む近在にはまだまだ知らないことがいっぱいありますね。正岡子規の「病床六尺」ではないが、いたずらに遠方まで出かけなくとも、近在に発見がありそうですね。
          (2018年9月28日)
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万葉集読解・・・141(2136~2156番歌)

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     万葉集読解・・・141(2136~2156番歌)
2136  秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし
      (秋風尓 山飛越 鴈鳴之 聲遠離 雲隠良思)
 このままで分かる平明歌。
 「秋風の吹く山を飛び越えていく雁たちの鳴き声、その声が遠ざかっていく、雲の彼方に姿が隠れていくようだ」という歌である。

2137  朝に行く雁の鳴く音は我がごとく物思へれかも声の悲しき
      (朝尓徃 鴈之鳴音者 如吾 物<念>可毛 聲之悲)
 「物思へれかも」は雁に仮託した表現。
 「朝方飛んでいく雁の鳴き声。私のように物思いに沈んでいるからかもの悲しく聞こえる」という歌である。

2138  鶴がねの今朝鳴くなへに雁がねはいづくさしてか雲隠るらむ
      (多頭我鳴乃 今朝鳴奈倍尓 鴈鳴者 何處指香 雲隠良<武>)
 「鶴(たづ)がねの今朝鳴くなへに」の「~なへに」は「~とともに」という意味。
 「鶴たちが今朝鳴き騒いでいる。折しも、雁たちはどこに向かっていくのか雲間に隠れて飛んでいく」という歌である。

2139  ぬばたまの夜渡る雁はおほほしく幾夜を経てかおのが名を告る
      (野干玉之 夜渡鴈者 欝 幾夜乎歴而鹿 己名乎告)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「おほほしく」は1225番歌等多くの使用例がある。「ぼうっとした」という意味。結句の「おのが名を告(の)る」とは何だろう。「自分の名は雁です」という意味である。
 「夜渡っていく雁の姿はぼんやりしている。いったい幾夜経ったら姿がはっきりする(雁だと分かる)ようになるのだろう」という歌である。

2140  あらたまの年の経ゆけばあどもふと夜渡る我れを問ふ人や誰れ
      (璞 年之經徃者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰)
 「あらたまの」は枕詞。「あどもふと」は「声掛け合って(連れだって)」という意味である。「夜渡る我れを問ふ人や誰れ」は「雁の私に問いかける人は誰でしょう」という意味。
 「冬が去っていくので私たち雁は北方へ連れ立って渡っていきつつあります。その私を呼び止めようとするのはどなたでしょう」という歌である。

 頭注に「鳴く鹿を詠む」とある。2141~2156番歌の16首。
2141  このころの秋の朝明に霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ
      (比日之 秋朝開尓 霧隠 妻呼雄鹿之 音之亮左)
 「声のさやけさ」は「声のすがすがしいこと」という詠嘆どめ。平明歌。
 「このごろの秋の明け方、霧の中から妻を呼ぶ牡鹿の声が聞こえる。そのすがすがしいこと」という歌である。

2142  さを鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原
      (左男牡鹿之 妻整登 鳴音之 将至極 靡芽子原)
 第二句の「妻ととのふと」であるが、各書とも「妻を呼び寄せようと」と解している。奇妙である。「ととのふと」は原文に「整登」とあるように「整うと」であって「呼び寄せようと」ではない。とりわけ、「岩波大系本」は「ととのふー乱れているものを秩序づける」と正確に解説しておきながら、実際の歌意では「妻を呼び寄せようと」としているのは、不可解としか言いようがない。「妻を呼び寄せようと牡鹿が鳴くこと」がどうして「乱れているものを秩序づける」ことになるのだろう。不可解なのは私だけだろうか。
 「ととのふ(整う)」は本歌以外に二例しかない。ひとつは238番歌の「大宮の内まで聞こゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び声」。ここにいう「網子(あご)ととのふる」は「指揮官が網子を指揮して」という意味である。まさに網子を「整える」ことを意味している。もう一例は199番長歌の「~御軍士を 率ひたまひ 整ふる~」で、まさに「軍を整える」ことを意味している。
 翻って、本歌の「妻ととのふと」は「牝鹿を得て居並んで(整って)」という意味である。「とうとう獲得したぞ」という牡鹿のいわば「かちどき」の歌なのである。「鳴く声の至らむ極み」とはぴったりの表現ではないか。
 「牡鹿が牝鹿と居並んで、とうとう妻を獲得したぞと、声を限りに鳴き立てている。靡け靡け萩原よ」という歌である。

2143  君に恋ひうらぶれ居れば敷野の秋萩凌ぎさを鹿鳴くも
      (於君戀 裏觸居者 敷野之 秋芽子凌 左小壮鹿鳴裳)
 「うらぶれ居れば」は「侘びしい思いでいると」という意味である。「敷野(しきの)」は所在不明。「凌(しの)ぎ」は「踏み分けて」という意味。
 「あの方に恋い焦がれて侘びしい思いでいると敷野の萩を踏みしめて牡鹿が鳴いている」という歌である。

2144  雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
      (鴈来 芽子者散跡 左小壮鹿之 鳴成音毛 裏觸丹来)
 読解不要の平明歌。
 「雁はやってきて萩は散る季節になった。そして牡鹿の鳴く声も弱々しくなった」という歌である。

2145  秋萩の恋も尽きねばさを鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ
      (秋芽子之 戀裳不盡者 左壮鹿之 聲伊續伊継 戀許増益焉)
 「秋萩の恋も尽きねば」は、「萩の花がまだ十分恋しい季節なのに」という意味である。「い継ぎい継ぎ」は「次々と」という意味だが、問題は結句の「恋こそまされ」。原文に「戀許増益焉」とあるように「恋心がつのる」という意味である。
 「萩の花がまだ十分恋しい季節なのに牡鹿の鳴き声が次々と聞こえてくる。その声を聞いていると恋心がつのる一方だ」という歌である。

2146  山近く家や居るべきさを鹿の声を聞きつつ寐ねかてぬかも
      (山近 家哉可居 左小壮鹿乃 音乎聞乍 宿不勝鴨)
 第二句「家や居るべき」は「家に住むのがいい」ともとれるし、「家に寝泊まりすべきか」ともとれる。「居るべき」を「いっときのこと」と解して私は後者に解しておきたい。 「山近くの家には寝泊まりすべきじゃありません、牡鹿の鳴き声が耳についてなかなか眠れません」という歌である。

2147  山の辺にい行くさつ男は多かれど山にも野にもさを鹿鳴くも
      (山邊尓 射去薩雄者 雖大有 山尓文野尓文 沙小牡鹿鳴母)
 「い行く」は強意の「い」。「さつ男」は狩人のこと。
 「山の辺に狩りに出かける狩人は多いが、山にいても野にいるときと同様、鳴き立てる牡鹿の声が聞こえる」という歌である。

2148  あしひきの山より来せばさ牡鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを
      (足日木笶 山従来世波 左小牡鹿之 妻呼音 聞益物乎)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「来(き)せば」は「もしもいらっしゃったら」という仮定表現。「聞かましものを」は「お聞きになっただろうに」という反語表現。
 「山路をいらっしゃれば、妻を呼ぶ牡鹿の鳴き声をお聞きになっただろうに」という歌である。

2149  山辺にはさつ男のねらひ畏けど牡鹿鳴くなり妻が目を欲り
      (山邊庭 薩雄乃祢良比 恐跡 小牡鹿鳴成 妻之眼乎欲焉)
 「さつ男」は狩人のこと。「畏(かしこ)けど」は「恐ろしいけれど」という意味。「妻が目を欲り」は「妻の目を欲し」つまり「直接逢いたい」という意味である。
 「山辺には狩人がいて、この私(牡鹿)を狙っているのが恐ろしいけれど、妻に逢いたさに鳴き声を上げるのです」という歌である。

2150  秋萩の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿鳴くも
      (秋芽子之 散去見 欝三 妻戀為良思 棹牡鹿鳴母)
 「おほほしみ」は「~ので」の「み」。「おほほし」は2139番歌等にあるように、「ぼうっとした」あるいは「気がふさぐ」という意味。
 「萩の花が散ってゆくのを見ていると気がふさぐのか、妻(萩)恋しさに牡鹿が盛んに鳴き立てている」という歌である。

2151  山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏しくもあるか
      (山遠 京尓之有者 狭小牡鹿之 妻呼音者 乏毛有香)
 「乏(とも)しくもあるか」は「あまり聞こえてこないのだろうか」という意味である。
 「山から遠い都にいるので、妻を求めて鳴き立てる牡鹿の声があまり聞こえてこないのだろうか」という歌である。

2152  秋萩の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずは乏しみ
      (秋芽子之 散過去者 左小壮鹿者 和備鳴将為名 不見者乏焉)
 「わび鳴きせむな」は「侘びしい声で鳴き立てるだろうな」という意味である。「見ずは乏(とも)しみ」は「見る機会が少なく」という意味。「み」は「~ので」の「み」。
 「萩の花が散ってしまうと、牡鹿は萩の花を見る機会が少なくて見られなくなり、侘びしい声で鳴き立てるのだろうか」という歌である。

2153  秋萩の咲きたる野辺はさ牡鹿ぞ露を別けつつ妻どひしける
      (秋芽子之 咲有野邊者 左小牡鹿曽 露乎別乍 嬬問四家類)
 第四句の「露を別けつつ」。「露を分け分け」(「岩波大系本」)、「露を置く枝を押し分けては」(「伊藤本」)、「露を踏み分け露を踏み分け」と微妙に読解を異にしている。が、どの解も歌意に大差がない。私は「岩波大系本」がもっとも歌意に近いと思う。それは第二句に「~野辺は」とあるからである。牡鹿が萩の花を求めて歩き回っているのは、山中でもなければ木々の間でもない。広々とした野辺である。従って「露を別けつつ」は露の降りた草々の間のことを表現していると見るのが自然である。なので「露を別けつつ」は「露を分け分け」というより、「露の降りた草々を踏み分けつつ」という意味に相違ない。
 「萩の花が咲き乱れている野辺。その野辺を露の降りた草々を踏み分けつつ牡鹿は歩き回り、妻を求めて鳴き立てている」という歌である。

2154  なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ
      (奈何牡鹿之 和備鳴為成 蓋毛 秋野之芽子也 繁将落)
 「なぞ」は「なぜ」、「けだしくも」は「もしかしたら」という意味である。
 「どうして牡鹿は侘びしそうに鳴き立てるのだろう。もしかしたら秋野に咲く萩の花が次々と散っていくからであろうか」という歌である。

2155  秋萩の咲たる野辺にさ牡鹿は散らまく惜しみ鳴き行くものを
      (秋芽子之 開有野邊 左牡鹿者 落巻惜見 鳴去物乎)
 「散らまく惜しみ」は「~ので」の「み」。「鳴き行くものを」は詠嘆の「を」。
 「秋の野辺に萩が咲いている。その花が散るのを惜しんで牡鹿は鳴き立てながら歩いているのだなあ」という歌である。

2156  あしひきの山の常蔭に鳴く鹿の声聞かすやも山田守らす子
      (足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。常蔭(とかげ)は「いつも蔭になって暗い所」。うっそうと茂った木陰、巨大な岩陰等様々な場所が思い浮かぶ。山田は山中の田のことか?。
 「山中のうっそうと茂った木陰で鳴く鹿の声をお聞きでしょうか。山中で田を耕す乙女よ」という歌である。
 鹿を詠むのはこれで終了である。
           (2015年2月13日記、2018年9月29日)
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万葉集読解・・・142(2157~2176番歌)

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     万葉集読解・・・142(2157~2176番歌)
 頭注に「蝉を詠む」とある。
2157  夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
      (暮影 来鳴日晩之 幾許 毎日聞跡 不足音可聞)
 「ここだく」は1328番歌、1475番歌等多くの例があり、「こんなにも」、「しきりに」、「強く」といった意味である。
 「ひぐらしは夕暮れになるとやってきてしきりに鳴く。毎日毎日聞いていても飽きない鳴き声だ」という歌である。

 頭注に「蟋(こほろぎ)を詠む」とある。2158~2160番歌。
2158  秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅が本にこほろぎ鳴くも
      (秋風之 寒吹奈倍 吾屋前之 淺茅之本尓 蟋蟀鳴毛)
 「吹くなへ」の「なへ」は「~とともに」、「我が宿の」は「我が家の庭の」、「浅茅(あさじ)」は「たけの低い茅菅(ちがや)」のことである。
 「寒い秋風が吹く中、我が家の庭に生えている浅茅の根元でコオロギが鳴いている」という歌である。

2159  蔭草の生ひたる宿の夕影に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも
      (影草乃 生有屋外之 暮陰尓 鳴蟋蟀者 雖聞不足可聞)
 蔭草(かげくさ)は、他に594番歌「我がやどの夕蔭草の白露の~」及び2013番歌「天の川水蔭草の秋風に靡かふ~」の二例しかないのではっきりしない。が、「水蔭草」と使われていることからすると、前歌にある浅茅のような草のことかと思われる。「夕影に」は夕方の光で影になっている場所。
 「夕影になった庭に生えている蔭草で鳴いているコオロギの声を聞いていると、飽きないなあ」という歌である。

2160  庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
      (庭草尓 村雨落而 蟋蟀之 鳴音聞者 秋付尓家里)
 村雨は激しいにわか雨のこと。「秋づきにけり」は「秋めいてきたなあ」という意味。
 「庭の草に激しいにわか雨が降り注ぎ、コオロギの鳴く声を耳にすると、すっかり秋めいてきたのを覚える」という歌である。

 頭注に「詠蝦(かはづ)を詠む」とある。2161~2165番歌。
2161  み吉野の岩もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ
      (三吉野乃 石本不避 鳴川津 諾文鳴来 河乎浄)
 み吉野は吉野川のことだと即座に分かるが、「岩もとさらず」がやや悩ましい。「~さらず」はこれまで1057番歌「~朝去らず」、1372番歌「~夕去らず」等に出てきたが、毎朝、毎夕といった「毎」の意味に使われている。が、本歌の場合、そう解すると「吉野川の岩という岩の影に」という意味になってしまう。つまり「岩陰にはどこも蛙がいる」という一般現象を詠ったことになる。これでは平板この上ない歌になってしまう。となると、「さらず」は「毎」という意味ではなく、「さらず」は「去らず」で「蝦が去らず」という意味だと分かる。が、それでも平板さは否めない。そこで歌意を取るには結句の「川をさやけみ」(川が清らかなので)を意識しなければならない。
 「ここ吉野川の岩場の蔭で蝦(かはづ)が動かず、じっとして鳴いている。それももっともだよ。このあたりの流れが清らかなのだから」という歌である。

2162  神なびの山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
      (神名火之 山下動 去水丹 川津鳴成 秋登将云鳥屋)
 「神なびの山」は「神々しい山」という意味。が、具体的な山名は不記載なので不明。神聖な山とされる奈良県桜井市の三輪山と説く向きもあるが、不明。山下は山の麓。
 「神々しい山の麓を音を鳴り響かせながら流れ下る音に混じって蝦(かはづ)が鳴いている。まるで秋がやってきたと告げるように」という歌である。

2163  草枕旅に物思ひ我が聞けば夕かたまけて鳴くかはづかも
      (草枕 客尓物念 吾聞者 夕片設而 鳴川津可聞)
 「草枕」はお馴染みの枕詞。「かたまけて」は838番歌に「梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて」とあるように「~になって」という意味である。
 「旅にあって物思いに耽っていると、夕方になって鳴く蝦(かはづ)の声が聞こえてきた」という歌である。

2164  瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝夕ごとに
      (瀬呼速見 落當知足 白浪尓 <河>津鳴奈里 朝夕毎)
 「瀬を早み」は「~なので」の「み」。
 「川の瀬の流れが早いので、落下してたぎりたつ白波。そのそばで毎朝、毎夕、蝦(かはづ)が鳴いている」という歌である。

2165  上つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻まかむとか
      (上瀬尓 河津妻呼 暮去者 衣手寒三 妻将枕跡香)
 「衣手(ころもで)寒み」は「~なので」の「み」。「まかむ」は「手枕にしよう」ということで、「共寝しよう」という意味である。
 「上流の瀬で蝦(かはづが盛んに妻問いの声を発して鳴いている。そして夕方になれば、衣手が寒いので妻と共寝しようとばかりの声で鳴く」という歌である。

 頭注に「鳥を詠む」とある。2166及び2167番歌。
2166  妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし
      (妹手呼 取石池之 浪間従 鳥音異鳴 秋過良之)
 「取石(とろし)の池」は大阪府泉北郡高石町・取石村(現高石市)にあったとされる大池。第四句「鳥が音異(け)に鳴く」は字余りになっている。意味に変わりはないのでこのままでもいいが、私はここは「異に鳴く鳥音(とりね)」と訓じた方がいいように思う。雁が渡っていく季節だとすると雁の事を詠っているかも知れない。
 「妻の手を取るというのではないが、取石の池の波の間から異様に鳴く鳥の声がする。秋は過ぎ去ったようだ」という歌である。

2167  秋の野の尾花が末に鳴くもずの声聞きけむか片聞け我妹
      (秋野之 草花我末 鳴百舌鳥 音聞濫香 片聞吾妹)
 尾花はススキの穂。結句「片聞け我妹(わぎも)」の「片聞け」は耳慣れない言葉である。全万葉集歌中でも用例は本歌のみである。片は片思いや片寄るのように一方的にという意味が普通である。が、中途半端とか不十分という意味もある。前者の意に解すると「よく聞いてごらん」という意味になり、後者の意に解すると「中途半端にしか聞かない」という意味になる。後者の場合は「片聞け」ではなく「片聞く」という形容句に訓ずるのがいいことになる。いずれが的確だろうか。キーワードは第四句「声聞きけむか」。これは通常疑問句。なので「声が聞こえるかい。よく聞いてごらん」という風に解するのが自然である。疑問句ではなく推量句と解すると訓は「声聞くらむか」となり、「声が聞こえる。妻よ君も聞いてるだろうか」というのが歌意となる。私は推量なら「~か」の「か」は不用で「~む」が普通だと思うので疑問句と解したい。
 「秋の野に生える尾花の末(うれ)にとまってモズが鳴いている。君にもその鳴き声が聞こえるだろうか。よく聞いてごらん」という歌である。

 頭注に「露を詠む」とある。2168~2176番歌
2168  秋萩に置ける白露朝な朝な玉としぞ見る置ける白露
      (冷芽子丹 置白霧 朝々 珠年曽見流 置白霧)
 「玉としぞ見る」を各書とも一様にそのままたんに「玉と見る」と解している。白露は大方ご承知のように玉の形をしている。それを歌にしてあらためて「玉の形をしている」と詠みこんで何の興があろう。平板そのもので歌にさえなっていないと私には映ずるがいかがだろう。ではなく、本歌にいう玉は「白玉」すなわち真珠のことに相違ない。白玉の白を省いて玉としたのは白露、白露と白露が繰り返されるので玉とだけ表記したに相違ない。玉を真珠と解することによって、本歌は素晴らしい白露賛歌の歌と早変わりするのである。
 「秋萩に降りた白露は真珠のように美しい。毎朝毎朝真珠が置かれたかとばかりに輝く美しい白露」という歌である。

2169  夕立ちの雨降るごとに [一云 うち降れば] 春日野の尾花が上の白露思ほゆ
      (暮立之 雨落毎 [一云 打零者] 春日野之 尾花之上乃 白露所念)
 読解不要の平明歌といってよかろう。
 「夕立に見舞われるたびに(異伝では「見舞われると」とある。)春日野の尾花に降りた白露が想起される」という歌である。

2170  秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも
      (秋芽子之 枝毛十尾丹 露霜置 寒毛時者 成尓家類可聞)
 「枝もとををに」は1595番歌に「秋萩の枝もとををに置く露の~」とあるように「枝がたわむほど」という意味である。
 「萩の枝がたわむほど萩に露霜が降りるようになった。寒い寒い季節がやってきたのだなあ」という歌である。

2171  白露と秋萩とには恋ひ乱れ別くことかたき我が心かも
      (白露 与秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞)
 「別(わ)くことかたき」は「両者の優劣など区別し難い」という意味である。
 「白露にも秋萩にも心惹かれ、私には両者の優劣など区別し難い」という歌である。

2172  我が宿の尾花押しなべ置く露に手触れ我妹子散らまくも見む
      (吾屋戸之 麻花押靡 置露尓 手觸吾妹兒 落巻毛将見)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」という、「尾花押しなべ」は「ススキの穂がたわむほど」という意味である。妻に呼びかけた歌。
 「庭のススキがたわむほどぴっしりついた露。妻よ、それに触ってみてくれないか。露がこぼれ落ちるのを見てみたいから」という歌である。

2173  白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に競ひて萩の遊びせむ
      (白露乎 取者可消 去来子等 露尓争而 芽子之遊将為)
 「消ぬべし」は「消えてしまうだろう」という意味。「いざ子ども」は「さあ、皆の衆」と一同に呼びかけた言葉。第四句の「露に競ひて」がはっきりしない。「露と何を競うのか」判然としないのである。ここでは「露と戯れていないで」と解しておこう。
 「白露は取ろうとすると消えてしまうだろう。さあ、皆の衆、露と戯れていないで、萩と戯れようではないか」という歌である。

2174  秋田刈る刈廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける
      (秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留)
 刈廬(かりほ)は仮小屋のこと。
 「秋の田で刈り入れを行うために仮小屋を作って屋内で待機しているが、衣手していても寒く、露も降りてきた」という歌である。

2175  このころの秋風寒し萩の花散らす白露置きにけらしも
      (日来之 秋風寒 芽子之花 令散白露 置尓来下)
 「萩の花散らす」は「萩の花は散らしてしまうし」という意味である。
 「このごろの秋風は寒い。萩の花は散らしてしまうし、白露も降りてきた」という歌である。

2176  秋田刈る苫手動くなり白露し置く穂田なしと告げに来ぬらし [一云 告げに来らしも]
      (秋田苅 苫手揺奈利 白露志 置穂田無跡 告尓来良思 [一云 告尓来良思母])
 「秋田刈る」は「秋田を刈りおえたら」という意味。苫手(とまて)は仮小屋の屋根を覆うために作られたムシロのような覆いのことである。それがかさかさと動くことを伝えて間接的に風が吹いてきたことを表現している。「白露し」は強意の「し」。穂田は稲穂の田のこと。
 「稲穂を刈り終えたら、私が寝泊まりしている仮小屋の覆いがかさかさと秋風に揺れている。まるで、白露を降ろす稲穂がないではないかと告げにきたように(異伝歌には「告げにやってくるようだ」とある)」という歌である。
           (2015年2月18日記、2018年9月30日)
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日赤旧本館玄関

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 本欄にも書いたことがあるが、私はもう5年以上、名古屋第一赤十字病院に通院している。呼吸に難のある私は呼吸器内科にお世話になっている。3ヶ月に一度なのでさほど負担に感じていない。
 さて、昨日がその診察日。玄関の前庭を歩いているとき、何気なく解説板が目にとまり、目を通して驚いた。表題に「旧本館玄関」とあって、その下に説明が記されていた。旧本館とは今から100年余前に建てられた洋館造りの赤十字病院だ。なんとその玄関部分をそっくりそのまま遺したというのである。つまりモニュメント(記念建造物)だ。
 上を見上げると、なるほど、洋風の玄関が立っている。説明書きの一部に次のように記されている。
 「モダンな車寄せと戦前に流行した表現主義といわれる建築様式の重厚な構造が特徴で、歴史的価値の高い建造物です。」
 私は日赤に、これまでしめて4,50回は訪れている。そのたびに大抵はここの前を通る。道路を挟んで薬局がズラリと並んでいる。なのに、上を見上げるようなこんな建造物が目に入らなかったのだろうか。洋風の、こうした歴史的建造物は、愛知県庁、名古屋市役所、名古屋市政資料館があるが、現在も現役として利用されている。そしていずれも私の身の回りの生活に欠かせない存在だった。そして、現在なお通院している名古屋第一赤十字病院。そのモニュメントが目に入らなかったとは。
 言葉の発しようがない。日赤のこのようなモニュメントは今後ますます歴史的価値が高まることはあっても、弱まることはあるまい。こうした建造物が目に入らなかったのは、私のうっかりミスか。それとも身近すぎて気にとまらなかったのか。
            (2018年10月2日)
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