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フラリエに寄る

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 一昨日、私は杉田眼科に半年に一回の受診を受けに足を運んだ。視力、眼圧、その他の検査を済ませて、ドクタ-の診察を受けた。午後3時を回っていた。夕方まで少しの時間しかない。一考した後、近場の庭園フラリエ(旧名ランの館)に立ち寄ることにした。
 フラリエは名古屋のど真ん中にあって、絶好の憩いの場だ。ふっと立ち寄る気になったため、フラリエに何か目的があったわけではない。去年も一昨年も同じ秋にフラリエを訪ねている。フラリエで、なんといっても印象的なのはフォックスフェイス。狐の顔に似ているので、そう名付けられたナス科の仲間だ。池の周囲のモミジも印象的で、池のほとりに佇んで紅葉や黄葉に色づいた木々にしばし見とれた。
 今回、池やモミジもさることながら、一番印象に残ったのはバラの花。印象に残ったというより、事件だった。去年も一昨年も目にしている筈だが、まるで記憶に残っていない。
 バラといえば初夏から盛夏にかけての花、というのが頭に入っている。それが、9月、10月を過ぎ、冬を間近に控えた11月の半ばの、この時期に咲いていた。「えっ、バラ?」、私は一瞬我が目を疑った。が、いくら見直してもバラの花である。しかも、一本や二本ではない。五本も六本も植えられていて、花開いている。バラには「四季咲き」のものがあると聞いたことがあるので、これがそうだろうか、と少々驚いた。
   晩秋にバラを見ている不思議さに次の一歩が出なく佇む  (桐山芳夫)
   昨年も一昨年も見過ごししバラ震えつつけなげに咲けり  (桐山芳夫)
 この時期はクリスマスに似つかわしいポインセチアが店頭を飾る。フラリエでも、ポインセチアが店頭に並べられ、今にもジングルベルの曲が流れてきそうだ。そのフラリエで初夏の花の王様、バラが植えられている。夕暮れが迫り、短時間いただけで、フラリエを後にしたが、いつどこで驚きに出合うとは分からないものですね。
           (2018年11月18日)
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万葉集読解・・・164(2585~2605番歌)

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     万葉集読解・・・164(2585~2605番歌)
2585  かくしつつ我が待つ験あらぬかも世の人皆の常にあらなくに
      (如是為乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國)
 上句の「我が待つ験(しるし)あらぬかも」は「待っている甲斐があってほしい」という意味である。下句の「世の人皆の常にあらなくに」は「世間の人はいつも変わらないというわけではない」という意味である。この上句と下句はどうつながるのだろう。上句を受けて下句は次のように解している。
 「世の人は皆、無情なもので、何時逢えなくなるかもしれないのだから」「岩波大系本」
 「世の人の誰もがずっと生きられるものではないのだから」「伊藤本」
 「世間の人は皆命に別条ないというわけではないのに」「中西本」
 要するに三書とも、「相手が死ぬかも知れない」と解している。
  が、「相手が死ぬかも知れない」では歌意がフィットしない。私はこの下句は「待つ甲斐がないかもしれない」という意味かと思う。
 「こうして待っている甲斐があるのだろうか。人の気持は変わりやすいというから甲斐がないかもしれない」という歌である。

2586  人言を繁みと君に玉梓の使も遣らず忘ると思ふな
      (人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名)
 「人言(ひとこと)を繁みと」は「人の口がうるさいので」という意味。「玉梓(たまづさ)の使も」は「玉梓の枝に挟んだ手紙をもった使い」のことで、「使い」の決まり文句。
 「人の口がうるさいので玉梓(たまづさ)の使も送りませんが、あなたを忘れているわけではありません」という歌である。

2587  大原の古りにし里に妹を置きて我れ寝ねかねつ夢に見えこそ
      (大原 古郷 妹置 吾稲金津 夢所見乞)
 「大原」は奈良県明日香村。大原神社がある。「我れ寝(い)ねかねつ」は「眠れない」という意味。
 「大原の古郷に彼女を置いてきてしまっておちおち寝られない。せめて夢に現れてほしい」という歌である。

2588  夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寝ねかてにする
      (夕去者 公来座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝為)
 「夕されば」は「夕方になると」という、「寝(い)ねかてにする」は「なかなか寝つかれない」という意味である。
 「夕方になると、あの方が来やしないかとお待ちしていた頃のなごりなんでしょうか、今でもなかなか寝つかれない」という歌である。

2589  相思はず君はあるらしぬばたまの夢にも見えずうけひて寝れど
      (不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「うけひて寝れど」は「神様にお祈りして寝ても」という意味である。
 「あの方は私のことを思ってくださっていないらしい。神様にお祈りして寝ても、夢にも出ていらっしゃらない」という歌である。

2590  岩根踏み夜道は行かじと思へれど妹によりては忍びかねつも
      (石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛)
 「岩根踏み」は「岩がごろごろした道を踏んで」という意味。「妹によりては」は「彼女のことを思うと」という、「忍びかねつも」は「我慢できずに」という意味である。
 「岩がごろどろした道を踏んで夜道は行くまいと思うけれど、彼女のことを思うと我慢できずに出かけてしまうよ」という歌である。

2591  人言の繁き間守ると逢はずあらばつひにや子らが面忘れなむ
      (人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南)
 「人言の繁き間守ると」は2561番歌に「人言の繁き間守りて~」と使われていたばかり。「噂の激しい間を避けて」という意味。「子ら」のは親愛の「ら」。
 「噂の激しい間を避けて逢わずにいると、ついにはあの子の顔を忘れてしまいそう」という歌である。

2592  恋死なむ後は何せむ我が命生ける日にこそ見まく欲りすれ
      (戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼)
 「何せむ」は「何の意味があろう」という意味である。
 「恋い焦がれて死んだ後では何の意味があろう。生きている今日という日こそ逢いたいのに」という歌である。

2593  敷栲の枕響みて寝ねらえず物思ふ今夜早も明けぬかも
      (敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨)
 「敷栲(しきたへ)の枕響(とよ)みて」は2515番歌にそのまま使われている。「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので」という意味。
 「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので、なかなか寝られない。物思うこんな夜は早く明けてくれないかなあ」という歌である。

2594  行かぬ我れを来むとか夜も門閉さずあはれ我妹子待ちつつあるらむ
      (不徃吾 来跡可夜 門不閇 (忄+可)怜吾妹子 待筒在)
 「行かぬ我れを」は文字通り約すと「訪れない私を」となる。が、やや意訳して「行こうにも行けない」と解したい。「門閉(さ)さず」は「門を閉めないで」という意味である。
 「行こうにも行けない私を、今か今かと夜も門を閉めないでいるのだろうか。ああ、彼女は待っているに相違ないのに行けない」という歌である。

2595  夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我れかも惑ふ恋の繁きに
      (夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓)
 「何かも見えぬ」(原文:何鴨不所見)は原文に「不」の字が入っているので、はっきり「見えない」と言っている。ここに言う「見えない」は「逢えない」という意味。続く「見ゆれども」は「見えない」のではなく「否」の気持が入っている。
 「夢にさえ彼女に逢えない。否、夢では逢っているのだけれど、私自身が激しく恋に惑っているので逢えないのだろう」という歌である。

2596  慰もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日にけに [或本歌曰 沖つ波しきてのみやも恋ひわたりなむ]
      (名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊 [或本歌曰 奥津浪 敷而耳八方 戀度奈牟])
 「慰もる」は「気が休まる」という、「恋ひやわたらむ」は「恋続けなければならないのか」という意味である。「月に日にけに」は「月ごと日ごとにいっそうますます」という意味。異伝歌中の「しきて」は「しきりに」という意味である。
 「気が休まる時とてなく、こんなにも恋続けなければならないのか、月ごと日ごとにいっそうますます」という歌である。
 異伝歌は「気が休まる時とてなく、沖の波がしきりに押し寄せて来るように、恋続けなければならないのか」という歌である。

2597   いかにして忘れむものぞ我妹子に恋はまされど忘らえなくに
      (何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二)
 「忘れむものぞ」は「忘れられるだろう」ということ。
 「どうしたら忘れられるだろう。あの子への恋心はつのる一方で、とうてい忘れられない」という歌である。

2598  遠くあれど君にぞ恋ふる玉桙の里人皆に我れ恋ひめやも
      (遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方)
 「玉桙(たまほこ)の」はお馴染みの枕詞。「里人皆に」は「どの里人にも」という意味。
 「遠く離れていますが、私はあなたに恋い焦がれています。玉桙のどの里人にも恋い焦がれるなどありましょうか」という歌である。

2599  験なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝らむ子ゆゑに
      (驗無 戀毛為鹿 暮去者 人之手枕而 将寐兒故)
 「験(しるし)なき」は「甲斐のない」という意味。「恋をもするか」は「恋をするものよ」という自嘲の言葉、「人の手まきて寝らむ」は「違う男の手を枕にして寝るような」という、「子ゆゑに」は「子だというのに」という意味である。
 「なんと自分は甲斐のない恋をするものよ。夕方になると、違う男の手を枕にして寝るような子だというのに」という歌である。

2600  百代しも千代しも生きてあらめやも我が思ふ妹を置きて嘆かむ
      (百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆)
 「百代(ももよ)しも千代(ちよ)しも」は「人は百世も千世も」という意味。「し」は強意の「し」。「置きて」は「彼女のほかに」という意味である。
 「人は百世も千世も生きられようか。我が思うあの子のほかにいないというのに、こんなに嘆いてばかりいて」という歌である。

2601  うつつにも夢にも我れは思はずき古りたる君にここに逢はむとは
      (現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽)
 「うつつにも」は「この世では」という意味。「思はずき」は例がない。「思はざりき」と訓ずべきだろう。「古(ふ)りたる」は「昔なじみの」という意味
 「この世ではもとより夢の中でも出逢うとは思いませんでしたわ。昔なじみのあなたと」という歌である。

2602  黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも
      (黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方)
 「黒髪の白髪まで」は「黒髪が白髪になるまで」という意味である。「今解かめやも」は「今になって解くことがありましょうか」という意味。
 「黒髪が白髪になるまでとしっかり結び、ひとつに決めた心。今になって解くことがありましょうか」という歌である。

2603  心をし君に奉ると思へればよしこのころは恋ひつつをあらむ
      (心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有)
 「心をし」は強意の「し」。「よしこのころは」は「いましばらくは」という意味。
 「この心まであなたに差し上げたのですもの。たとえお逢い出来なくとも、いましばらくは恋い焦がれているだけです」という歌である。

2604  思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
      (念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹)
 「思ひ出でて」は「私を」が省略されている。「音(ね)には泣くとも」は「しのび泣いても」という、「いちしろく」は「はっきりと」という意味である。「なゆめ」の「な」は禁止の「な」。
 「私を思い出してしのび泣いても、はっきりと人に分かるほどお嘆きにならないで決して」という歌である。

2605  玉桙の道行きぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも
      (玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨)
 「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「道行きぶりに」は「道を往来する際に」という意味。
 「道を往来する際にはからずも彼女に出逢い、恋い焦がれるようになったこのごろです」という歌である。
           (2015年6月2日記、2018年11月19日)
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赤目四十八滝

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 地元の東海テレビに「スイッチ」という番組がある。私の朝食(昼食?)時なので、見ることが多い。「スイッチ」では東海地方の観光スポットをよく取り上げる。自然に目が吸い寄せられる。
 かって、私は日帰りの観光バスツアーに出かけていた。相棒は今の相棒の前の彼女。バスツアーで取り上げられるスポットは集客しやすい東海地方の名うてのスポットが多い。たとえば、昨日の朝「スイッチ」が取り上げた「赤目四十八滝」、三重県名張市赤目町にある渓谷。滝の多い渓谷で、中でも赤目五瀑といって、不動滝(ふどうだき)、千手滝(せんじゅだき)、布曳滝(ぬのびきだき)、荷担滝(にないだき) 琵琶滝(びわだき)が名高い。布曳滝は落差が30mある。
 「スイッチ」では、これまで、 赤目四十八滝のほか、真清田神社、日泰寺、興正寺、答志島、日間が島、篠島、そしてつい先だって私が行ったフラリエ等々、実に数多くのスポットを取り上げている。バスツアーのスポットと重なっていることも多い。
 さて、赤目四十八滝に行った当時は滝よりもデートの相手に気を取られ、事前に調べることなく、単純に参加しただけ。でありながら、今になってみると、色々なバスツアーに参加しておいてよかったと思う。テレビの画面を見ながら、「ああ、そこは行った」、「あそこも行ったよな」と記憶が甦る。普段はすっかり忘れていても、スポットの画面が出てくると、記憶が甦る。つまり、私の財産になっている。
 人生とは記憶の積み重ねだとすれば、その記憶はできるだけバラエティに富み、色彩豊かであるに越したことはない。この意味で、赤目四十八滝そのものより、自分の人生の中で、出来る範囲内で、バラエティに富み、出来るだけ色彩豊かな記憶を形成するようにもっていく。それこそが肝要だと思うのである。
           (2018年11月21日)
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万葉集読解・・・165(2606~2625番歌)

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     万葉集読解・・・165(2606~2625番歌)
2606  人目多み常かくのみしさもらはばいづれの時か我が恋ひずあらむ
      (人目多 常如是耳志 候者 何時 吾不戀将有)
 「人目多み」は「~ので」の「み」。「さもらはば」は「様子を窺っていると」という意味。「我が恋ひずあらむ」の原文は「吾不戀将有」で「不」の字がついている。ので、つい「恋しくならず」と解したくなる。が、本歌の場合は反語表現。
 「人目が多いのでいつもこんなふうに様子を窺っていたら、いつになったら私は恋い焦がれないでいられようぞ」という歌である。

2607  敷栲の衣手離れて我を待つとあるらむ子らは面影に見ゆ
      (敷細之 衣手可礼天 吾乎待登 在濫子等者 面影尓見)
 「子らは」は親愛の「ら」。「離(か)れて」は「離れて久しく」という意味。
 「床の上で着物の袖を交わさない日々が続き、きっと私を待っているあの子。その面影がちらついて見える」という歌である。

2608  妹が袖別れし日より白栲の衣片敷き恋ひつつぞ寝る
      (妹之袖 別之日従 白細乃 衣片敷 戀管曽寐留)
 「妹が袖別れし日より」は「彼女と袖を交わした日以来」という意味である。「白栲(しろたへ)の衣(ころも)」は「真っ白な着物」という意味。「片敷き」は「自分の着物一枚だけを敷いて」という意味である。
 「彼女と袖を交わした日以来、真っ白なわが着物だけを敷いて恋いつつ一人寝ています」という歌である。

2609  白栲の袖はまゆひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りしに
      (白細之 袖者間結奴 我妹子我 家當乎 不止振四二)
 「まゆひぬ」は「ほつれてしまった」という意味である。平明歌。
 「白栲の袖はほつれてしまった。彼女の家のあたりをやむことなく振り続けたので」という歌である。

2610  ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
      (夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「引きぬらし」は「引きほどいて」という意味。「乱れてさらに」は「(引きほどいた髪が)乱れてさらになお」ということで、妖艶な情感を詠っている。
 「我が黒髪を引きほどいて乱れた髪に、さらになおあなたを恋続けてやまない私です」という歌である。

2611  今さらに君が手枕まき寝めや我が紐の緒の解けつつもとな
      (今更 君之手枕 巻宿米也 吾紐緒乃 解都追本名)
 「寝めや」は反語。「寝ることがありましょうか」という意味。「もとな」は「わけもなく」という意味。
 「今さらあなたの手枕をして寝ることがありましょうか。なのに私の着物の紐はわけもなくほどけてしまいます」という歌である。

2612  白栲の袖触れてしや我が背子に我が恋ふらくはやむ時もなし
      (白細布<乃> 袖觸而夜 吾背子尓 吾戀落波 止時裳無)
 「袖触れてしや」は「袖を交わして以来」という意味である。平明歌。
 「白栲の袖を交わして以来、あの方が恋しくて止むときがありません」という歌である。

2613  夕占にも占にも告れる今夜だに来まさぬ君をいつとか待たむ
      (夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不来君乎 何時将待)
 「夕占(ゆふけ)にも占(うら)にも告(の)れる」は「夕占にも他の占いにもお告げがあった」という意味である。
 「夕占いや他の占いにもお告げがあった今夜。その今夜さえいらっしゃらないあなた様を、いつになったらいらっしゃるとお待ちしていればよろしいのでしょう」という歌である。

2614  眉根掻き下いふかしみ思へるにいにしへ人を相見つるかも
      (眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨)
 「眉根掻き」は眉根を掻きたくなると、逢いたい人に逢えるという俗信があった。「下いふかしみ」は下心のことで、内心という意味である。「いふかしみ」は「訝しい」という意味。
 「眉根を掻きたくなったので、内心訝しく思っていたら、昔の彼女に逢ったよ」という歌である。
 本歌には次のような異伝歌が二首掲載されている。
  異伝歌-1 眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも
(眉根掻 誰乎香将見跡 思乍 氣長戀之 氣長戀之)
 「眉根を掻きたくなったので、誰かに逢う兆しなのかなと思っていたら、長らく恋い焦がれていた彼女に逢ったよ」という歌である。
   異伝歌-2 眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも
(眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香裳)
 「眉根を掻きたくなったので、内心訝しく思っていたら、昔思っていた彼女の姿を今日見かけたよ」という歌である。

2615  敷栲の枕をまきて妹と我れと寝る夜はなくて年ぞ経にける
      (敷栲乃 枕巻而 妹与吾 寐夜者無而 年曽經来)
 「寝る夜はなくて」は「寝る機会がなくて」と解すると分かりやすい。
 「敷栲の枕を巻きあって彼女と私は寝る機会がなくて、とうとう年が経ってしまった」という歌である。

2616  奥山の真木の板戸を音早み妹があたりの霜の上に寝ぬ
      (奥山之 真木<乃>板戸乎 音速見 妹之當乃 <霜>上尓宿奴)
 「奥山の真木の板戸を」は逐次的解釈をすると「山奥から切り出した立派な木で出来ている板戸を」という意味である。が、「その板戸を」くらいの意味。「音早み」は「~ので」の「み」。「音が激しいので」という意味である。「早み」は1458番歌に「やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ」とある。
 「板戸の音が激しいので、彼女の家のあたりの霜の上で寝てしまった」という歌である。

2617  あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる
      (足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山桜戸」は山桜で作った板戸。「誰れか留むる」は面白い言い方。「誰か引き留めているのかしら」という意味である。
 「山桜戸を開けたままにしてあの方を待っているのだけれど、なかなかやってこないのは、誰か引き留めているのかしら」という歌である。

2618  月夜よみ妹に逢はむと直道から我れは来つれど夜ぞ更けにける
      (月夜好三 妹二相跡 直道柄 吾者雖来 夜其深去来)
 「月夜よみ」は「~ので」の「み」。原文「月夜好三」の方が分かりやすい。
 「美しい月夜なので、彼女に少しでも早く逢おうと、真っ直ぐの道をやってきたのだが、夜が更けてしまった」という歌である。

 物に寄せて思いを陳べる歌。
2619  朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば
      (朝影尓 吾身者成 辛衣 襴之不相而 久成者)
 朝影は「朝日にあたって長く伸びた影」すなわち「朝影のように私はやせ細ってしまった」という意味。「韓衣(からごろも)」は中国風の服で、裾が長く「裾を合わせずに着た。「裾が合わず」と「彼女に逢わず」をかけている。
 「朝影のように私はやせ細ってしまった。なかなか裾の合わない韓衣(からごろも)のように彼女に逢わない日々が続いて久しくなってしまった」という歌である。

2620  解き衣の思ひ乱れて恋ふれどもなぞ汝がゆゑと問ふ人もなき
      (解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無)
 この歌は2969番歌と重出。「なぞ汝がゆゑと」は「なぜお前さんは苦しんでいるのだと」という意味である。
 「ほどいた着物のように、思い乱れて恋い焦がれているのに、なぜお前さんは苦しんでいるのだと訊いてくれる人もいない」という歌である。

2621  摺り衣着りと夢に見つうつつにはいづれの人の言か繁けむ
      (摺衣 著有跡夢見津 寤者 孰人之 言可将繁)
「摺り衣着(け)りと夢に見つ」でいったん切れる。「摺(す)り衣(ごろも)」は「摺り染めの着物」という意味。「着(け)り」は「着てあり」の約。
 「摺り染めの着物を着ている自分の夢を見た。現実にはどこのどなたと噂になることでしょう」という歌である。

2622  志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも
      (志賀乃白水郎之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛)
 志賀(しか)は福岡県の志賀島のことか?。が、志賀は他にもあり、漁師を代表的に言ったものか。「なれぬれど」は「なれ汚れるように」で、「親しく慣れ親しんでも」にかけている。
 「志賀の海人の塩焼く作業衣のように汚れ、慣れ親しんでも、恋というのはいつまで経っても忘れられない」という歌である。

2623  紅の八塩の衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも
      (呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳)
 「八塩(やしほ)の」の「八」は「数多く」という、「塩」は「染める」という意味。結句の「いやめづらしも」は「かわいい」とか「心ひかれる」と訳されている。まちがいではないが、「新鮮」と解したい。
 「数多く染めた紅の着物を朝な朝な着て慣れ親しんだけれど、それでもあなたはやはり新鮮だ」という歌である。

2624  紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
      (紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴)
 読解不要の平明歌。
 「紅の深染めの着物、色深く染みついたあなたの色は忘れようがありません」という歌である。

2625  逢はなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたぞ継ぐべき
      (不相尓 夕卜乎問常 幣尓置尓 吾衣手者 又曽可續)
 「幣(ぬさ)に置くに」の「幣」は「神への供え物」。夕占(ゆふけ)をするための行為だから何かを備えたものだろう。ところが「我が衣手(ころもで)は」とあるので、「袖を切り落としたのだろう」というのが「岩波大系本」以下各書の解釈である。
 が、歌はいったん「幣に置くに」で切れている。幣に置くのが「我が衣手」ならなぜ字余りにしてまで「幣に置くに」としている。歌はここでいったん区切られている。「我が衣手はまたぞ継ぐべき」は神様に対する願い事なのである。
 「逢ってくれないので、夕占を問おうと供え物(金品)を置いた。私の着物の袖は再び彼女と交わせるようにと」という歌である。
           (2015年6月7日記、2018年11月21日)
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小旅行のすすめ

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 前回、私は「人生は記憶の積み重ねであり、出来る範囲内で、バラエティに富み、色彩豊かな記憶を形成することが肝要」と記した。旅行の好きな私は「旅行」を念頭に置きながらこう記した。
 旅行はある目的を持って出かけるのが一法である。本ブログにも掲載したが、かって私は尾張国内の式内社を回ったことがある。式内社というのは延喜年間(901~923年)の滅法古い法令(式)に登載された神社のことで、尾張国内に121社ある。何しろ1100年ほど前の式。分からなくなったりした神社もあって、候補社も含めると160社ほどある。この160社をすべて回ってやろうという気になって、事前にすべて調べた。つまり、はっきり目的をもって回ったのである。こうすることにより、半ば強制的に出かけることになる。神社でなくとも、寺でも城でも橋でも何でもよかろう。
 他の一法は無目的に出かけることである。無目的というより不特定というべきか。私が行なったのは日帰りバスツアーだ。言ってみれば「バス任せ、会社任せ」の旅である。時間の制限はあるが、事前に調べる必要はなく、行く先を気にすることもない。
 10年ほど続けたが、年に数回参加した。2回としても20回に及ぶ。東尋坊、柴正、御岳、岡崎城等々観光スポットはもとより、ブドウ狩り、蜜柑狩り、梨狩り、メロン狩り等々様々なツアーにも参加した。
 かくて、こうした様々な小旅行が私の記憶の中に積み重なり、今となってみると、私の中で、有形無形の財産となって残っているのである。
    無我夢中巡り残りしわが記憶良くも悪くも歩みきたれり (桐山芳夫)
      風さやぐイチョウ並木まだ続く          (桐山芳夫)
 要するに行き当たりばったりでもよい。可能な限り小旅行へ出かけていただきたい。
           (2018年11月22日)
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徳川園へ

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 一昨日、私は徳川園を訪れた。平成16年に完成をみた池泉回遊式日本庭園。実は起源は尾張徳川家の第二代藩主光友の広大な別邸であった。種々の紆余曲折の後、第二次世界大戦の空襲を受けて焼失。全国から寄付を募って平成16年に完成。これ以上経緯を述べるのは私の任務ではない。パンフレットをいただいてきたので、この件については折りをみて紹介しよう。
 素晴らしい日本庭園である。一歩入ったとたん私は度肝を抜かれた。名古屋にこんな素晴らしい日本庭園があるのを知っていたら、もっと早い機会に訪れるのだった。大きな池をぐるりと回遊する方式の庭園である。一昨日は二時間ほどしか時間をとっていなかったので、徳川美術館はあきらめ、次回に足を運ぶことにした。さらに、尾張徳川家伝来の書籍類を収蔵した蓬左文庫もあって、そこも是非覗いてみたかったが、これも次回に足を運ぶことにした。
 晩秋のこの時期なので、「花類はほとんど見られないだろうな」と思っていたら、あにはからんや、山茶花、椿、菊、ナナカマド、さらに冬桜まで咲いていた。
 紅葉や黄葉は池面に映り、造園にあたっては計算され尽くしたものを感じた。全国各地から資金的な支援があったに相違なく、よくぞ仕上げたものである。人々が列をなして訪れていた。観光バスの駐車場がいっぱいだったので、地元の人々よりも県外からの来園者が多いと思われた。この動きは今後ますます広がっていくのではないだろうか。さすが徳川家ゆかりの庭園である。
   徳川の威光を示すや人々の支援広がり園となれりや  (桐山芳夫)
      列なして山茶花の前を人めぐる   (桐山芳夫)
      静かなる池に紅葉の影映ゆる    (桐山芳夫)
           (2018年11月25日)
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ブログ再開に向けて

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 昨夕、私はこの地上に戻ってきました。名古屋第一赤十字病院病院およびあま市民病院を回って生死をさまよって三ヶ月。パソコンに指一本触れることが出来ず、やっと退院。 まだ、具体的にはどんな形でブログが再開できるか不明です。何しろ、点滴だけで3週間余、生かされていたこの身、自宅内にきても歩くも危なっかしい。
 今回はブログ復帰の報告です。
 もしも、本ブログをお待ち下さっている方がおられるなら、その方々に真っ先にお知らせしたいと思いましてパソコンに接続しました。
           (2019年3月2日)
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病中吟

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 この度、私は健康診断異常なしの身から、11月29日に、突如として、名古屋第一赤十字(中村日赤)病院に救急車で運ばれ、死線をさまようことになりました。肺炎球菌にかかったようです。文字通り、死ぬか生きるかとなり、実に3週間余点滴投与だけで過ごしました。さらに、3週間半、点滴投与が続きました。
 この間一ヶ月半、手に点滴の管が付いて、不自由でたまりませんでした。ほぼ24時間ベッドに横たわったままでした。もとより、パソコンがありませんからブログも不可。
 ところが頭の方は生きてますから、何かやることないかと、退屈で退屈で仕方がありません。その退屈さは、苦行そのもの。死にたくなりました。
 そんな中で、私のたった一つの生き甲斐は俳句。なかなか文字にならない、自分でも自分の文字が読めない、ひどい文字で、作句。看護婦の方に筆者してもらって、「中村日赤の皆さんへ」と題して、以下のような句が出来ました。数日に一句という遅々たるペースです。その性格上、句は病中寺に集中。

 中村日赤の皆さんへ(2018年11月29日~2019年1月24日)

   1  ひと実(み)さへ実らせぬまま逝く恐怖
   2  地獄路も生きててこそぞ冬迎かふ
   3  晩秋や心底生死をあきらめぬ
   4  山茶花咲く医の道を疑う気になれず
   5  先を信じ生きたればこそ歳の見ゆ
   6  よみがえりつつを覚えし年の暮
   7  気高きはナイチンの御霊歳間近
   8  助けられクリサンシマムに手を振れり
   9  来院の母の背に笑む歳近し
   10 誰も来ぬこの病室にも歳ゆけり
   11 病室の深閑として年暮るる
   12 日赤真下路面に初の三輪車
   13 医のおかげ命つながり年明くる
   14 初仕事ナイチンゲールの御霊継ぎ
   15 年も四日ひっそり来たる見舞客
   16 春の風主治医の声は神の声
   17 雪冠むるああ霊峰や伊吹山
   18 久々に病室出ればちらり雪
   19 雪晴れや患者にまつわる女の児
   20 成人式来りて日赤花やげり
   21 成人式日赤の前ざわめけり
   22 絶好の部屋替窓に冬の街
   23 東方に凍てつく名古屋のネオン街

 以上、日赤の病室にて、私、(桐山芳夫)が作句。

 続いて、あま市民病院に転院し、(2019年1月25日~3月1日)

   24 ちら雪のあま市病院に世話になる
   25 あま病院トンビ飛び交ふ冬の空
   26 孫のよな看大生が春を呼ぶ
   27 春呼びし孫のよな子とハイタッチ
   28 寒椿出入りしきりの駐車場
   29 立春前真っ赤な車病院へ
   30 飛び回る主治医の姿春来たる
   31 寒椿主治医の笑顔重なりぬ
   32 やさしさに厳しさ秘めぬ主治医かな

 以上、あま市民病院の病室にて、私、(桐山芳夫)が作句。

 以上でお分かりのように、自然吟が多い俳句の中にあって。一種異彩とも言える病院吟が32句並びました。ご愛読いただければ幸いです。

 なお、こうした作句課程で、私の俳句観に変化が出ました。後日述べるつもりです。

           (2019年3月3日)
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病中吟

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 この度、私は健康診断異常なしの身から、11月29日に、突如として、名古屋第一赤十字(中村日赤)病院に救急車で運ばれ、死線をさまようことになりました。肺炎球菌にかかったようです。文字通り、死ぬか生きるかとなり、実に3週間余点滴投与だけで過ごしました。さらに、3週間半、点滴投与が続きました。
 この間一ヶ月半、手に点滴の管が付いて、不自由でたまりませんでした。ほぼ24時間ベッドに横たわったままでした。もとより、パソコンがありませんからブログも不可。
 ところが頭の方は生きてますから、何かやることないかと、退屈で退屈で仕方がありません。その退屈さは、苦行そのもの。死にたくなりました。
 そんな中で、私のたった一つの生き甲斐は俳句。なかなか文字にならない、自分でも自分の文字が読めない、ひどい文字で、作句。看護婦の方に筆者してもらって、「中村日赤の皆さんへ」と題して、以下のような句が出来ました。数日に一句という遅々たるペースです。その性格上、句は病中寺に集中。

 中村日赤の皆さんへ(2018年11月29日~2019年1月24日)

   1  ひと実(み)さへ実らせぬまま逝く恐怖
   2  地獄路も生きててこそぞ冬迎かふ
   3  晩秋や心底生死をあきらめぬ
   4  山茶花咲く医の道を疑う気になれず
   5  先を信じ生きたればこそ歳の見ゆ
   6  よみがえりつつを覚えし年の暮
   7  気高きはナイチンの御霊歳間近
   8  助けられクリサンシマムに手を振れり
   9  来院の母の背に笑む歳近し
   10 誰も来ぬこの病室にも歳ゆけり
   11 病室の深閑として年暮るる
   12 日赤真下路面に初の三輪車
   13 医のおかげ命つながり年明くる
   14 初仕事ナイチンゲールの御霊継ぎ
   15 年も四日ひっそり来たる見舞客
   16 春の風主治医の声は神の声
   17 雪冠むるああ霊峰や伊吹山
   18 久々に病室出ればちらり雪
   19 雪晴れや患者にまつわる女の児
   20 成人式来りて日赤花やげり
   21 成人式日赤の前ざわめけり
   22 絶好の部屋替窓に冬の街
   23 東方に凍てつく名古屋のネオン街

 以上、日赤の病室にて、私、(桐山芳夫)が作句。

 続いて、あま市民病院に転院し、(2019年1月25日~3月1日)

   24 ちら雪のあま市病院に世話になる
   25 あま病院トンビ飛び交ふ冬の空
   26 孫のよな看大生が春を呼ぶ
   27 春呼びし孫のよな子とハイタッチ
   28 寒椿出入りしきりの駐車場
   29 立春前真っ赤な車病院へ
   30 飛び回る主治医の姿春来たる
   31 寒椿主治医の笑顔重なりぬ
   32 やさしさに厳しさ秘めぬ主治医かな

 以上、あま市民病院の病室にて、私、(桐山芳夫)が作句。

 以上でお分かりのように、自然吟が多い俳句の中にあって。一種異彩とも言える病院吟が32句並びました。ご愛読いただければ幸いです。

 なお、こうした作句課程で、私の俳句観に変化が出ました。後日述べるつもりです。

           (2019年3月3日)
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作句の醍醐味

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 すでにアップしたように、3ヶ月余の長期入院中に、名古屋第一赤十字(中村日赤)とあま市民病院に入院中、32句を数える俳句を作句し、書庫の「俳句、歌号ゲーム」中にまとめて発表させていただいた。
 その中で、次のような一句がある。
  17 雪冠むるああ霊峰や伊吹山 ((桐山芳夫)
 伊吹山というのは古代史をかじったことのある人なら知らない人のいないほど高名な、ヤマトタケルノミコトにゆかりのある山である。古代伝説上の英雄。『日本書紀』で日本武尊と表記されるほどの英雄中の英雄。伊吹山自体は標高1400mほどしかない山。
 作句した時の初案は「雪冠むるヤマトタケルの伊吹山」、あるいは「白銀に輝くあれぞ伊吹山」等々だった。
 実は病室から出られる機会がなかなかなく、リハビリ担当の人の連行で車椅子で外出の機会があった。その日は絶好の好天気。せがんで伊吹山の見えるところまで行ってもらった。その時の伊吹山は鮮烈。
 だが、先述したように初案はいくつも句が浮かんだが、心にピンとこない。「ヤマトタケルの伊吹山」ではまともすぎてしっくりしない。「ああでもない、こうでもない」と、たった一句作るのに、三日間もかかったのである。
 三日目の夜、不意に第二句が浮かんだ。「ああ霊峰や」である。「これだ」。私は胸のつかえが降りたようにすっきりした。
  17 雪冠むるああ霊峰や伊吹山 ((桐山芳夫)
 作句は、すぐに成案が浮かぶ時もあるが、本句のように、何日も成案を得ない時もある。簡単に見えて苦労するのが俳句。そこが醍醐味。
           (2019年3月3日)
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万葉集読解・・・247(3890~3906番歌)

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     万葉集読解・・・247(3890~3906番歌)
 頭注に「天平二年(730年)冬十一月大宰帥(太宰府長官)大伴旅人は大納言に任ぜられ(大宰帥兼任のまま)、上京。別に従者等海路で入京。この時各自旅をいたんで作った歌十首」とある。3890~3899番歌。
3890  我が背子を我が松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ
      (和我勢兒乎 安我松原欲 見度婆 安麻乎等女登母 多麻藻可流美由)
 通常「我が背子」は女性から呼びかける親しい男性に使われることが多い。が、本歌の場合は「我が友を」の感覚。待つにかけた序歌。「松原よ」のよは「より」。
 「我が友を待つという、その松原より見わたすと、海人(あま)の娘子(おとめ)たちが藻を刈り取っているのが見える」という歌である。
 左注に「右の一首は三野連石守(みののむらじいそもり)の作」とある。

3891  荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か我が恋ひざらむ
      (荒津乃海 之保悲思保美知 時波安礼登 伊頭礼乃時加 吾孤悲射良牟)
 「荒津の海」は一般名詞で荒れた海という意味。「我が恋ひざらむ」は「故郷が恋しい」というのが普通だが、恋人と取れないこともない。
 「荒れた海には潮が引いたり満ちたりする一定の時がある。が、私の故郷への思いは時無しだ」という歌である。

3892  磯ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ磯の知らなく
      (伊蘇其登尓 海夫乃<釣>船 波氐尓家里 我船波氐牟 伊蘇乃之良奈久)
 平明歌。「自分の乗る舟はどこの磯に泊まっているのだろう」が歌意。
 「どこの磯にも海人の釣舟が泊まっている。私の乗るこの船はどこに停泊することだろう」という歌である。

3893  昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも
      (昨日許曽 敷奈悌婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母)
 「昨日こそ船出はせしか」は「昨日だったのか船出したのは」という意味。「鯨魚(いさな)取り」は枕詞。比治奇の灘は山口県の響灘のことというが、不詳。
 「昨日出航したばかりだと思っていたのに、もう比治奇の灘にさしかかってその灘を見ているのだな」という歌である。

3894  淡路島門渡る船の楫間にも我れは忘れず家をしぞ思ふ
      (淡路嶋 刀和多流船乃 可治麻尓毛 吾波和須礼受 伊弊乎之曽於毛布)
 「楫間(かぢま)にも」であるが、瀬戸(海峡)にさしかかっているので、梶を漕ぐのがせわしない。つまり、「せわしなく梶を漕ぐ間も」という意味である。
 「淡路島の瀬戸にさしかかって梶を漕ぐ間が忙しくなってきた。そのせわしない間も私は家のことが頭をよぎる」という歌である。
 梶を漕ぐのが忙しいからこそ故郷が頭をよぎる。秀歌といってよい。

3895  たまはやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ
      (多麻波夜須 武庫能和多里尓 天傳 日能久礼由氣婆 家乎之曽於毛布)
 「たまはやす」は本歌しか例がなく、枕詞(?)。「武庫の渡りに」はどこの渡し場か不詳。
 「武庫の渡し場に天空の夕日が落ちてゆくのを目にすると家のことが思われる」という歌である。落日を感情を抑えて静かに詠っている所がすばらしい。

3896  家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処知らずも [一云 浮きてし居れば]
      (家尓底母 多由多敷命 浪乃宇倍尓 思之乎礼波 於久香之良受母 [一云 宇伎氐之乎礼八])
 「奥処(おくか)知らずも」は3150番歌に「霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山道を恋ひつつか来む」とある例のように「果てもしれない」という意味である。
 「家にいても揺れ動くわが命、波の上に揺られて思うに、これから先が不安でならない」という歌である。
 異伝歌は「思ひし居れば」の部分が「浮きてし居れば」となっている。歌意はほとんど変わらない。

3897  大海の奥処も知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
      (大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒<良>波母)
 「奥処(おくか)」は前歌参照。「子らはも」のらは親愛の呼称。
 「大海の行く果てもしれない海路に出かけるのに、いつお帰りになりますかと問いかけた、いとしい彼女は」という歌である。

3898  大船の上にし居れば天雲のたどきも知らず歌乞ふ我が世(背?)
      (大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 歌乞和我世)
 「たどき」は「手段」とか「よるべない」という意味。結句「歌乞和我世」(原文)は古来難訓。問題は二つある。「歌乞」は「歌を乞う」だが「誰に歌を乞う」のか分からない。「和我世」は「わが背」が定訓となっているが、海路の途中の歌なので、女性の歌ではない。さりとて「わが友」と解するのもしっくりこない。「和我世」は原文どおり「わが世」ではなかろうか。前者の「歌乞」はそのまま「歌乞ふ」と訓じればいい。「歌乞ふわが世」、これが結句。問題はこれで歌意が通るか否かだ。全体を口語訳してみよう。
 「大船の上にいると、流れゆく雲のようによるべも分からず、こうして歌でも詠わないとたまらない」という歌である。
 この読解でいいと思うが、判定は読者に委ねたい。

3899  海人娘子漁り焚く火のおぼほしく都努の松原思ほゆるかも
      (海未通女 伊射里多久火能 於煩保之久 都努乃松原 於母保由流可<問>)
 「おぼほしく」は「ぼんやりと」という意味。「都努の松原」は兵庫県西宮市松原町(津門郷(つとごう))のあたりかという。
 「海人娘子(あまをとめ)が焚く漁の火がぼんやりと見えるように、都努の松原がぼんやりと思い出される」という歌である。
 左注に「右九首作者不明」とある。十首の内の最初の歌は既述したように三野連石守(みののむらじいそもり)作。

 頭注に「十年七月七日夜空を仰いで思いを述べた歌」とある。十年は天平十年(738年)。
3900  織女し船乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる
      (多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流)
 織女はご存じ織女星。こと座のベガ。七夕伝説を詠んだ歌。「織女し」は強意のし。
 「織り姫は今船に乗り込むようだ。美しい鏡のように、澄み切った月夜。今しも雲が流れてゆく」という歌である。
 左注に「大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)作」とある。
 
 頭注に「大宰府の大伴旅人邸での梅花を愛でる新しい歌六首」とある。
3901  み冬継ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば招く人もなし
      (民布由都藝 芳流波吉多礼登 烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠<久>人毛奈之)
 「み冬継ぎ」は「寒い冬に続いて」という意味。「君にし」は強意のし。
 「寒い冬に続いて春がやってきて梅の花の時節になりました。私はあなた様をお招きしたく、ほかにお招きしたい人はいません」という歌である。
 
3902  梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
      (烏梅乃花 美夜万等之美尓 安里登母也 如此乃未君波 見礼登安可尓勢牟)
 「み山としみに」は「深い山まで一杯になって」という意味である。
 「梅の花、たとえ山中一杯繁っていても、この梅のようにあなたが見入って飽かない梅はないでしょうね」という歌である。

3903  春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
      (春雨尓 毛延之楊奈疑可 烏梅乃花 登母尓於久礼奴 常乃物能香聞)
 「常の物かも」は「例年の光景でしょうか」という意味である。
 「春雨を受けて芽吹いてきた柳、あるいは春雨に関係なく、梅の花の開花期に共に後れないように萌えだした例年の風物詩なのでしょうか」という歌である。

3904  梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
      (宇梅能花 伊都波乎良自等 伊登波祢登 佐吉乃盛波 乎思吉物奈利)
 「いとはねど」は「やぶさかではないが」という意味で、結句の「惜しきものなり」とほぼ同意。
 「梅の花、いつといって折るのが惜しいわけではないが、でもやはり花の盛りは折るのが惜しい」という歌である。

3905  遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも
      (遊内乃 多努之吉庭尓 梅柳 乎理加謝思底婆 意毛比奈美可毛)
 「思ひなみかも」は「心残りがないのかな」という意味。祭りの後にふっとよぎる寂しさを感じさせる句である。
 「みんなでわいわい騒ぐ楽しい庭遊び、梅や柳を折り、頭にかざして遊んだのち、何の心残りも訪れないのだろうか」という歌である。

3906  御園生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪と降りけむ
      (御苑布能 百木乃宇梅乃 落花之 安米尓登妣安我里 雪等敷里家牟)
 御園は主催者大伴旅人の庭園。「百木(ももき)の梅の」は「たくさんの梅の木の」という意味。「散る花し」は強意のし。
 「御園に生えるたくさんの梅の木が散る無数の花びら、空に舞い上がって雪となって降ってきたのだろうか」という歌である。
 左注に「右は十二年十二月九日大伴宿祢書持(かきもち)作」とある。十ニ年は天平十二年(740年)。書持は大伴家持の弟。
           (2016年9月6日記)
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万葉集読解・・・166(2626~2646番歌)

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     万葉集読解・・・166(2626~2646番歌)
2626  古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ
      (古衣 打棄人者 秋風之 立来時尓 物念物其)
 古衣(ふるごろも)は着古した着物のこと。着古した着物は女性の比喩か。
 「着古した着物を打棄てる人は、秋風が立ち始める頃が来ると、物思うものですよ」という歌である。

2627  はねかづら今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く
      (波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解)
 「はねかづら」は705番歌にも登場するが、具体的には分からない。鳥の羽のこととすれば羽根飾り状の髪飾り。若い少女がつける髪飾りのことだろう。「うら若み」は「~ので」の「み」。「笑みみ怒りみ」の「み」は「~たり」の「み」。「怒りみ」は「緊張したり」という意味である。
 「はねかづらをつけた彼女はうら若いので、はにかんだり緊張したりして紐を解く」という歌である。

2628  いにしへの倭文機帯を結び垂れ誰れといふ人も君にはまさじ
      (去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益)
 倭文機帯(しつはた)は日本古来の織物の一種。上三句「いにしへの~結び垂れ」は「誰れ」を導く序歌。
 「古来からの織機で織った帯を結んで垂らしたというけれど、その誰(垂れ)よりもあなたはまさっておいでです」という歌である。
 異伝歌には次のようにある。
      いにしへの狭織の帶を結び垂れ誰れしの人も君にはまさじ
      (古之 狭織之帶乎 結垂 誰之能人毛 君尓波不益)
 歌意は本歌と同様である。「倭文機帯を」が「狭織(さをり)の帶を」になっている。

2629  逢はずとも我れは恨みじこの枕我れと思ひてまきてさ寝ませ
      (不相友 吾波不怨 此枕 吾等念而 枕手左宿座)
 「まきてさ寝ませ」は「頭に当てて寝て下さい」という意味である。「さ」は強意の「さ」。 「あなたに逢えなくとも私は恨みに思いません。この枕を私だと思って頭に当てて寝て下さい」という歌である。

2630  結へる紐解かむ日遠み敷栲の我が木枕は苔生しにけり
      (結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生来)
 「解かむ日遠み」は「~ので」の「み」。「敷栲(しきたへ)の」は枕の美称。元々は「真っ白な」という意味。
 「あなたが結んで下さった紐を解く日が来るのはまだ当分先なので、敷栲の私の木枕は苔生(こけむ)してしまいました」という歌である。

2631  ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか
      (夜干玉之 黒髪色天 長夜(口+リ) 手枕之上尓 妹待覧蚊)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「黒髪敷きて」は「長き夜を」を導く序歌とも取れる。が、実景に取った方が歌意が妖艶になる。
 「黒髪を敷いて長い夜をひとり手枕して彼女は待っているだろうか」という歌である。

2632  まそ鏡直にし妹を相見ずは我が恋やまじ年は経ぬとも
      (真素鏡 直二四妹乎 不相見者 我戀不止 年者雖經)
 「まそ鏡」は枕詞(?)。「直(ただ)にし」は強意の「し」。「直接」ないし「はっきり」という意味。
 「鏡にはっきり見るように、彼女を見ないままだと、恋はやむことがありません。年は経っても」という歌である。

2633  まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時さへや恋の繁けむ
      (真十鏡 手取持手 朝旦 将見時禁屋 戀之将繁)
 「見む時さへや」は反語表現。「まして」を誘因する。
 「鏡を手にとって毎朝毎朝みずにはいられない彼女だ。まして毎朝見なければ恋心がつのる」という歌である。

2634  里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ
      (里遠 戀和備尓家里 真十鏡 面影不去 夢所見社)
 「里遠み」は「~ので」の「み」。
 「あなたの里が遠いので恋しくてわびしい思いをしています。鏡のようにその面影は去らず夢にでも出てきてほしい」という歌である。
 左注に「右一首はすでに柿本朝臣人麻呂歌集に見える。が、若干食い違っているので、ここにも載せる」とある。すでにとあるのは、2501番歌「里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ」のことである。

2635  剣大刀身に佩き添ふる大夫や恋といふものを忍びかねてむ
      (剱刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武)
 「剣大刀(つるぎたち)身に佩(は)き添ふる」は「剣大刀」を身に帯びた」という意味。「大夫(ますらを)や」は「男子たる者」という意味。「忍びかねてむ」は「忍びかねるものなりや」という反語表現。
 「剣大刀(つるぎたち)を身に帯びたる男子たる者、恋くらいに耐えられないものか(耐えられない)」という歌である。

2636  剣大刀諸刃の上に行き触れて死にかもしなむ恋ひつつあらずは
      (剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所g鴨将死 戀管不有者)
 「諸刃(もろは)の上に行き触れて」は「諸刃に当たって」ということ。「死にかもしなむ」は「死ぬなら死んでしまいたい」という意味である。
 「剣大刀の諸刃に当たっていっそ死んでしまいたい。こんなに恋に苦しむのなら」という歌である。

2637  うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀身に添ふ妹し思ひけらしも
      (嚏 鼻乎曽嚏鶴 劔刀 身副妹之 思来下)
 「うち鼻ひ」は「くしゃみ」のこと。くしゃみをするのは恋の兆しと考えられていた。「剣大刀(つるぎたち)身に添ふ」は「腰につける剣大刀のように寄り添う」という意味。
 「くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰につける剣大刀のようにぴったり寄り添ってくれている妻も私のことを思ってくれているらしい」という歌である。

2638  梓弓末の原野に鷹狩する君が弓弦の絶えむと思へや
      (梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋)
 「梓弓(あづさゆみ)」は枕詞。「末(すえ)の原野に」は不詳。「絶えむと思へや」は「絶えると思うものでしょうか」という意味である。
 「梓弓(あづさゆみ)末の原野で鷹狩されるあなたの弓弦(ゆづる)が切れるなどと思いもしません」という歌である。

2639  葛城の襲津彦真弓新木にも頼めや君が我が名告りけむ
      (葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼)
 「葛城の襲津彦(そつひこ)」は仁徳天皇の皇后となった磐之媛の父である。弓の名手として知られる。「真弓(まゆみ)新木にも」の「真」は「立派な」という美称。「あの新しい真弓にも似て」という意味。「頼めや」とどうつながるのかはっきりしない。求婚という意味に解しておこう。
 「あの葛城の襲津彦も使ったという新しい弓のように、私を新妻にしようとなさったのでしょうか。あなたは私の名を人にお告げになりましたね」という歌である。

2640  梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを
      (梓弓 引見弛見 不来者不来 来者来其乎奈何 不来者来者其乎)
 「梓弓(あづさゆみ)」は枕詞。「引きみ緩へみ」は「~たり」の「み」。「引いたり緩めたり」という意味。文字遊び(万葉時代は音遊びか?)のような歌である。
 「梓弓を引くのか緩めるのかはっきりわかるように、来なければ来ない、来るなら来るとはっきりしてちょうだい。どう来ないの来るの」という歌である。

2641  時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし
      (時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠)
 時刻は時守が打ち鳴らす鼓の数によって一同に知らされた。後世暮れ六つなどはこれによる。「数(よ)みみれば」は「数をかぞえてみると」という意味。
 「時守の打ち鳴らす鼓の音の数をかぞえてみると、もうやってきてもよい時刻。なのに逢いにやってこないのは怪訝」という歌である。

2642  燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ
      (燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見)
 「かがよふ」は「ちらちら光る」という、「面影に見ゆ」は「面影に見える」という意味である。「うつせみの」は「実際の」という意味。
 「灯火に影のようにちらちら光って、実際の彼女が微笑む姿が、まるで面影のように浮かんでくる」という歌である。

2643  玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも
      (玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 将見因<母>鴨)
 「玉桙の」は枕詞。「しきても」は「繰り返し」という意味。「稲席(いなむしろ)しきて」は「しきても」を導く序歌。
 「道を歩き疲れると稲席を敷いて休息をとるいうではないが、繰り返し(しきりに)あの方にお逢いできるてだてはないものかしら」という歌である。

2644  小治田の板田の橋の壊れなば桁より行かむな恋ひそ我妹
      (小墾田之 板田乃橋之 壊者 従桁将去 莫戀吾妹)
 小治田(をはりだ)は奈良県明日香村近辺、板田の橋は不詳。「な恋ひそ」は「な~そ」の禁止形。
 「小治田の板田の橋が壊れても、残った橋桁を伝ってでも行くよ。だから恋しがらないで彼女よ」という歌である。

2645  宮材引く泉の杣に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも
      (宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀<渡>可聞)
 「宮材(みやぎ)引く」は「宮殿を造る材木を切り出す」という意味。「泉の杣(そま)に」は京都の木津川沿いの地という。「やむ時もなく」までが序歌。「やむ時もなく恋ひわたるかも」を導く。
 「宮殿を造る材木を切り出す泉の杣(そま)山に入って立ち働く民が休む間もないように、私はあなたをずっと恋い続けています」という歌である。

2646  住吉の津守網引の浮けの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
      (住吉乃 津守網引之 浮笶緒乃 得干蚊将去 戀管不有者)
 「住吉の津守網引の浮けの緒の」は「住吉の津守が網引するその浮けの紐のように」という意味である。「浮け」は漁具のひとつ。
 「住吉の津守が網引するその浮けの紐のように浮かれたままどこかへ行ってしまいたい、恋に苦しんでいないで」という歌である。
           (2015年6月11日記、2019年3月5日)
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転倒

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 せっかく、ブログに復帰したと思ったら、3月6日に転倒。起きあがれなくなり、ここ数日、パソコンに向かうことが出来なくなった。長期入院で筋肉が衰え、まだ、全く体力が回復していなかった。
 ただ、遅れを取り戻そうと、気持にあせりがあるので、ついつい無理をしがちになっている。3ヶ月余で、67kgあった体重が、入院中に14kgも劇的に減少。53kgになっているのだから、無理は禁物の筈。私のように高齢で、かつ、一人暮らしだと、一度転倒したら、そのまま寝たきりになり、あの世行きになる人もいるらしい。その数は少なくなく、いつも危険が迫っている。
 私の場合、弟がやってきて、助け起こしてくれた。せっかく退院してきたのに、これでは本末転倒。ここ三日間付き添ってくれて、なんとか歩行出来るまでにしてくれた。そして、やっとパソコンのある部屋にきてキーボードを叩いている。
 普段、滅多に往来していない弟だが、今回は本当に強く感謝している。人間、一人っきりというのは、全く弱いものですね。
 以上のような次第で、ここしばらくは以前のようなわけにはいかない。長い目で見守って下されば、これほど有りがたいことはありません。とにかく転倒しないよう、十分に注意しなければそれこそあの世行きになる。今度こそ、今度こそ、同じ過ちは許されない。どうか長い目で見守って下さるようお願いします。
           (2019年3月10日)
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ブログ10年

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雑記トップへ
 早いものでブログを開設してちょうど10年が経過しました。これまでの訪問者の推移は次のとおりとなっています。平成30年の計数は入院を余儀なくされて、計数はおおよそです。
       年間訪問者      累計
  2009(平成21)年     8541人     8541人
  2010(平成22)年    12190     20731
  2011(平成23)年    23322     44053
  2012(平成24)年    28448     72501
  2013(平成25)年    30141    102642
  2014(平成26)年    25808    128450
  2015(平成27)年    30640    159090
  2016(平成28)年    33121    192211
  2017(平成29)年    33531    225742
  2018(平成30)年    33258    259000

 ごらんの通り、今年もこれまでで最高数の訪問者となりました。特別の宣伝もしなく、誰に依頼したわけでもない。純粋に何の利害関係もない方々ばかりなわけです。一時的なことではなく、こうした方々がおられるかと思うと、大きな励みになります。本当にありがとうございます。
 来年は節目の11年目を迎えます。「万葉集を万人の手に」が私の目標です。来年には万葉集の読解は真の完了を予定しています。亀の歩みですが、「万葉集を万人の手に」が現実味を帯びてきます。棒を折ることがないよう叱咤激励していただければそれに優る喜びはありません。
 皆々様、今年こそ本当によい年になりますようお祈りしましょう。
          (2019年3月10日)
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万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)

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     万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)
2647  東細布の空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや
      (東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也)
 古来難解とされる歌。「東細布(しののめ)の」は「東の細布なす雲を」という意味に、「空ゆ引き越し」は「空高くから引き垂らし」という意味に私は解する。「目言(めこと)離(か)るらめ」は「目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど」という意味である。
 「東細布(しののめ)の細長い雲が幾重にも垂れ、空高くからカーテンのようになっている。遠いので目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど、そのカーテンが二人を隔てているわけではない」という歌である。

2648  かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に
      (云々 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二)
 「かにかくに」は「あれこれと」という意味。「飛騨人の打つ墨縄」は当時有名だったのだろう。
 「あれやこれやと思ったりしません。飛騨人の打つ墨縄のようにただ一筋にまっすぐあなたを思っています」という歌である。

2649  あしひきの山田守る翁が置く蚊火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ
      (足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「置く蚊火(かひ)の」は蚊遣火のこと。置くとなっているので大がかりなものではなく、番小屋に置いた蚊遣火であろう。「下焦れのみ」は「下が焦げるのみで」という意味。
 「山田を見張る番小屋の翁(をぢ)が置いている蚊遣火の下が焦げるように私は密かに恋焦がれるばかりです」という歌である。

2650  そき板以ち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ
      (十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼)
 そき板(そきた)は木を薄くそいで作った板だという。「あはざらば」は「合はざらば」と「逢はざらば」をかけている。
 「そき板を以って葺(ふ)いた屋根の板目が合わなくなったら(逢って下さらなくなったら)、どうしよう。共寝を始めた私は」という歌である。

2651  難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき
      (難波人 葦火燎屋之 酢四手雖有 己妻許増 常目頬次吉)
 難波人が火を焚く葦は有名だったのだろうか?「常めづらしき」の「めづらしき」は「珍しい」という意味ではなく、「新鮮である」という意味である。
 「難波人が葦で火を焚くので家内は煤けているけれど、私の妻はいつも新鮮」という歌である。

2652  妹が髪上小竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば
      (妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者)
 「妹が髪上げ」に続いて「竹葉野の」を「たく(しあげ)」にかけて読み、「荒(あら)びにけらし」を「放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れる」と解する。すなわち、「彼女の髪をたくし上げるという竹葉野の放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れたらしい、逢ってくれないことを思えば」というのが定解である。が、この定解ではすっきりしない。原文は「上小竹葉野之」となっている。「髪をあげ」を「竹葉野」にかけたければ「上小」が余分で、「妹が髪竹葉野の」とすれば十分である。彼女の気持ちを放れ駒に喩えるのもどこか変である。、「上小竹葉野之」は「かみしのはのの」と読んで野原の地名と私は解する。
 「彼女の髪は上小竹葉野に放たれた馬たちのようにばらばら、そんな風に私と彼女は離れてしまったのだろうか、逢ってくれないことを思えば」という歌である。

2653  馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つるけだし君かと
      (馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡)
 「とどとも」は馬の擬声音。
 「どどどという馬音がすると、松蔭に出て様子を窺う。けだしあなたではないかと」という歌である。

2654  君に恋ひ寝ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足音ぞ我れに聞かする
      (君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為)
 「我れに聞かする」は「聞こえよがしに」という意味である。
 「あなたが恋しくて寝られなかった夜明けに誰が乗るやら馬の足音がする、この私に聞こえよがしに」という歌である。

2655  紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ [一云 裾漬く川を 又曰 待ちにか待たむ]
      (紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待])
 「紅(くれなゐ)の裾」は「紅色の裳裾」である。「中に置きて」は「中にはさんで」という意味。
 「紅色の裳裾を引いて向かう道を中にはさんで私が通いましょうか、あるいはあなたが来て下さいますか」という歌である。
 異伝歌は「紅の裾引く道を」の部分が「(紅の)裾漬く川を」と道が川になっていて、こちらの方が本歌かと思われる。また「我れは通はむ」の部分が「待ちにか待たむ」となっている。

2656  天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも
      (天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛)
 「天飛ぶや軽の社(やしろ)の」は「天飛ぶ雁」を「軽の社」にかけたもの。「斎(いは)ひ槻(つき)」は神木の槻。
 「天を飛ぶ軽の社の槻の神木のように、いつまで隠し妻のままでいるのかしら」という歌である。

2657  神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの
      (神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物)
 「神なびに」は「神のいらっしゃる山に」、「ひもろき」は「神が降りてくる常緑樹」という意味。
 「神のいらっしゃる山に神が降りてくる常緑樹を立てて誓っても、人の心は守ることができない」という歌である。

2658  天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ
      (天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南)
 第三句「~鳴る神の」までは序歌。雲に隠れて鳴る神はむろん雷神のことである。「聞きわたりなむ」は「噂を聞き続けている」という意味。人の噂の比喩ととっても、そのまま雷の音ととっても通用するなかなかの秀歌である。
 「天雲の八重雲の奥から鳴り響く雷の音(噂)のみが聞こえてくる、逢えないあの人の噂を聞き続けています」という歌である。

2659  争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに
      (争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓)
 「争へば」は何を誰と争うのか分からない。が、歌意が通ると、逆に分かる。「神も憎ます」は「神もお憎みになる」という意味。「よしゑやし」は2031番歌、2301番歌等に使用例がある。「ええい、ままよ」という感嘆詞。「よそふる君が」は「噂を立てられるあの方が」という意味。そしてここまでくると、初句の「争へば」は世間の人と争う意味であることが分かる。
 「いたづらに世間の噂に抵抗すれば。神様もお憎みになる。ようし、噂を立てられるあの方が憎くもないのですもの」という歌である。

2660  夜並べて君を来ませとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
      (夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無)
 「夜並(なら)べて」は毎晩という意味。「君を来ませと」は「あなたいらっしゃい」と呼びかけた言い方。「ちはやぶる」はお馴染みの枕詞。「祷(の)まぬ日はなし」はお祈りしない日はありません」という意味。原文の「不祈日」の方がよく分かる。
 「毎晩あなたいらっしゃいと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。

2661  霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし
      (霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 ね無)
 「霊(たま)ぢはふ」は全万葉集歌中本例一例しかなく、はっきりしたことは言えない。「お守り下さる」くらいの意味でよかろう。「しゑや」は前々歌の「よしゑやし」の約まった形。
 「いつもお守り下さる神様、今回は私をお見棄て下さい。ええい、命の惜しいことなどありません」という歌である。

2662  我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
      (吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無)
 「ちはやぶる」も「祷(の)まぬ日はなし」も前々歌参照。
 「あの子にもう一度逢えないかと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。

2663  ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
      (千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無)
 「神の斎垣(いかき)も」は「神聖な垣根も」ということ。「今の私は神聖な神様の垣根も越えてしまいそうです。もう我が名など惜しいことはありません」という歌である。

2664  夕月夜暁闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねに
      (暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹)
 「夕月夜暁闇の」は「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて」という意味。
 「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて、早朝の光を受けて我が身は細長い影法師になってしまった。あなたへの思いに絶えかねて」という歌である。

2665  月しあれば明くらむ別も知らずして寝て我が来しを人見けむかも
      (月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨)
 「月しあれば」は強意の「し」。「明くらむ別(わき)も知らずして」は「夜が明けたことも知らないで」という意味である。
 「空に月が出ていたので、夜が明けたことも知らず寝てしまった。家を急いで出てきたが、その姿を人に見られただろうか」という歌である。

2666  妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし
      (妹目之 見巻欲家口 夕闇之 木葉隠有 月待如)
 「見まく欲しけく」は「逢いたいと思う気持」という意味である。細かく言うと、「見たいと欲すること」という意味で、動詞を名詞化しているわけである。
 「彼女にひと目逢いたいと思う気持は、夕闇になって木の葉に隠れた月がまた出てくるのを待っているようなものだ」という歌である。
           (2015年6月16日記、2019年3月11日)
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万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)

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     万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)
2667  真袖もち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
      (真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾)
 「真袖(まそで)もち」は片袖に対する言い方で両袖のこと。が、両袖で床を払うとはどういう図だろう。イメージしにくい。埃を払うのに両袖でする風習でもあったのだろうか。この点どの書にも何の解説もない。あるいは長い袖なので歩くたびに床を払うことをいうか?。もしもこの解釈が正しければ、部屋の中を行ったり来たりする状況を表している。歌意にはぴったりなのでこう解しておきたい。
 「あなたを待って(落ち着かなく)部屋を行ったり来たりするうち、すった両袖で床が払われ、いつの間にか月が傾いてしまったわ」という歌である。こう解すると、相手を待つ間の苛々を「真袖もち床うち掃ひ」で表現していることになり、秀歌であることが分かる。

2668  二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ
      (二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来)
 二上は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町に跨がる山。「妹が手本を」だが、通常「彼女の手枕」と解されているが、「彼女の元を」と解した方が適切。
 「二上山に隠れる月は名残惜しいけれど、彼女の元を離れて久しいこの頃とりわけ名残惜しい」という歌である。

2669  我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき
      (吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引)
 「雲なたなびき」は禁止の「な~」。
 「あの方がこちらの方を振り返りながら嘆いておいででしょう。清らかな月夜、雲よたなびかないでおくれ」という歌である。

2670  まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ
      (真素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益)
 「ゆつりなば」は「移りなば」で「月夜が移っていってしまえば」という意味である。 「まそ鏡のように清らかな月夜が移っていってしまえば、あなたへの思いはやまず、いっそう恋しさがまさります」という歌である。

2671  今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし
      (今夜之 在開月夜 在乍文 公(口+リ)置者 待人無)
 「有明月夜」は次句の「ありつつも」にかけている。
 「今夜の有(あり)明の月夜のようにあり続けても、あなたをおいて待つ人はおりません」という歌である。

2672  この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも
      (此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨)
 「月の空なる」は月が中空高く上がった状態を示している。
 「この山の嶺に近いと(手が届きそうな)月と見ていたのが、やがて遙か遠い中空にかかっている(手の届きそうにない)恋をしているのかなあ」という歌である。

2673  ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ
      (烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「ゆつりなば」は2970番歌参照。
 「夜渡る月が移っていってしまったら、さらにいっそう私は彼女に恋い焦がれることだろうな」という歌である。

2674  朽網山夕居る雲の薄れゆかば我れは恋ひむな君が目を欲り
      (朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲)
 朽網山(くたみやま)は大分県竹田市にある久住山のこととされている。
 「朽網山(くたみやま)の夕方にかかっていた雲が薄れ晴れてくると、私はあの方が恋しい、一目あの方に逢いたくて」という歌である。

2675  君が着る御笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも
      (君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨)
 御笠の山は奈良県春日山の一峰。初句の「君が着る」は御笠の山にかかる枕詞という説があるが、本歌一例しかなく、枕詞(?)である。987番歌に「妹が着る御笠の山」とある。これからすると、笠をいただいた御笠山から「立派な着物を着た」という美称と取れる。「居る雲の」は「低くかかった雲が」、「立てば」は「立ち上れば」という意味。「継がるる」は「次々と立ち上ってくる雲のように」という意味である。
 「笠をかぶり立派な着物を着た御笠山。そこに低くかかった雲がかかり、次々と上ってきて、湧いては湧いてはやってくるそんな恋をしている」という歌である。

2676  ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに
      (久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「ありてしか」は願望。「あったなら」という意味である。「おつる日なしに」は独特の表現。「毎日欠かさず」という意味。
 「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌である。

2677  佐保の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜ぞ多き
      (佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸)
 佐保の内は奈良市法蓮町あたり。
 「佐保の内を嵐が吹き抜ける季節になったので、帰りはいつになるやら分からず、嘆く夜が多くなった」という歌である。

2678  はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥開けてさ寝にし我れぞ悔しき
      (級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸)
 「はしきやし」は嘆息の言葉。「玉櫛笥(たまくしげ)開けて」は「櫛箱を開けて」という意味で、「いつでも櫛を手に取れるように」という「待つ身の」強調表現。
 「あーあ、吹いても来ない風なのに玉櫛笥を開けて寝ていた自分が悔しい」という歌である。

2679  窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしぞ思ふ
      (窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。平明歌。
 「窓越しに皓々と照り輝く月が見える。嵐が吹きすさぶこんな夜はあの方のことを思う」という歌である。

2680  川千鳥棲む沢の上に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば
      (河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言)
 「いちしろけむな」は「はっきり目につく」という意味で、立つ霧の白さと目に立つをかけた言い方。「相言ひそめてば」は「愛の言葉を交わすようになったなら」という意味。
 「川千鳥が住んでいるという沢の上に湧き上がる霧のように白く目に立つようになることだろうな。互いに愛の言葉を交わすようになったなら」という歌である。

2681  我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
      (吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓)
 平明歌。
 「あの方からの使いを待って笠もつけないで、戸口を出て今か今かと。雨が降っているというのに」という歌である。

2682  韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を
      (辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎)
 「韓衣(からごろも)」は漠然と大陸風の着物のことを指している。
 「韓衣をあの人に着せてみたいものだ。と恋い焦がれつつ雨の降る日を暮らしました」という歌である。

2683  彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹
      (彼方之 赤土少屋尓 霂霂零 床共所沾 於身副我妹)
 「彼方の」は遠方に立てた小屋のことを指す。埴生(はにゅう)は赤土のこと。
 「遠方の埴生(はにゅう)の上に立てた小屋。(二人でいたら)小雨が降り床まで濡れてしまった。妻よ私に寄り添ってくれ」という歌である。

2684  笠無みと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ
      (笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念)
 「笠無みと」の「み」は「~ので」の「み」。「雨障(つつ)み」は「雨に遮られて」すなわち「雨に降り込まれて」という意味。
 「笠がないのでと人には言って、雨に降り込まれたからと我が家に立ち寄ったあの方の姿が忘れられない」という歌である。

2685  妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
      (妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「雨も降らぬか」は「雨でも降ってきてくれないか」という意味である。「そをよしにせむ」は「それを口実にして」という意味。
 「彼女の家の門を通りすぎかねる。雨でも降ってきてくれないか、それを口実にして立ち寄ることも出来ように」という歌である。

2686  夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ
      (夜占問 吾袖尓置 白露乎 於公令視跡 取者消管)
 「夕占(ゆふけ)問ふ」は、四つ辻に出たり、神社に詣でたりして行う夕占い。
 「夕占いをしていたら、私の袖に白露が降りてきた。その白露をあの方に見せようと、手に取れば消えてしまう」という歌である。

2687  桜麻の苧原の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも
      (櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知)
 「桜麻(さくらを)の」は麻の一種と思われる。「苧原(をはら)の下草」は「桜麻が茂る原」のことを言う。「い行け」の「い」は調子を整えたり意味を強めたりする接頭語。
 「桜麻(さくらを)が茂る原の下草は露に濡れていますから、夜を明かしてお帰りなさいな、母が知ることになっても」という歌である。

2688  待ちかねて内には入らじ白栲の我が衣手に露は置きぬとも
      (待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆)
 「待ちかねて」は反語的表現で、「待ちかねたからと言って帰るものですか」という意味である。「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。
 「待ちかねたからと言って家の庭には入りません。真っ白な私の着物の袖に露がおりてきても、私は待っています」という歌である。
           (2015年6月19日記、2019年3月11日)
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万葉集読解・・・169(2689~2708番歌)

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     万葉集読解・・・169(2689~2708番歌)
2689  朝露の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
      (朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待)
 「またをちかへり」は原文に「又若反」とあるように、「また若返って」という意味。
さて、「たとえ老いても、また若返ってあなたを待ちましょう」が歌意だが、よく分からない歌である。前半部の「朝露のように消えやすい我が身」とどうつながるのだろう。困った私はこう解した。
 「どうせ朝露のように消えやすい我が身ですもの。幾度消え失せようと老いようと、幾度でも生まれ変わってあなた様をお待ちしますわ」という歌である。

2690  白栲の我が衣手に露は置き妹は逢はさずたゆたひにして
      (白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶豫四手)
 「白栲の我が衣手に露は置き」は待つ身のつらさを詠っている。「たゆたひにして」は「ためらっていて」という意味である。
 「真っ白な着物の袖に露がおりても、あの子は逢ってくれない。ずっとためらっていて」という歌である。

2691  かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに
      (云々 物者不念 朝露之 吾身一者 君之随意)
 平明歌。
 「あれやこれやと思い悩みません。朝露のようにはかない我が身ひとつ、あなたさまの意のままに」という歌である。

2692  夕凝りの霜置きにけり朝戸出にいたくし踏みて人に知らゆな
      (夕凝 霜置来 朝戸出尓 甚踐而 人尓所知名)
 「夕凝(ゆふこ)りの霜置きにけり」は「夕方から凝り出した霜」すなわち「朝起きたら一面真っ白に地面を染めた霜」のことである。「いたくし踏みて」は強意の「し」。
 「一晩の内に染めた霜、朝起きたら一面真っ白、戸を出てお帰りになるときは、強く踏んで人に知られることのないようにして下さいね」という歌である。

2693  かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを
      (如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾)
 「恋ひつつあらずは」は2636番歌や2646番歌の結句に「~恋ひつつあらずは」と使われていて、「~していないで」という意味である。「朝に日(け)に」は、「朝も日中も」という意味。
 「こんなに恋い焦がれ、苦しんでいないで、朝も日中も彼女が踏むだろう土になりたい」という歌である。

2694  あしひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し子に恋ふべきものか
      (足日木之 山鳥尾乃 一峰越 一目見之兒尓 應戀鬼香)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「一峰」は「ひとを」と読む。「山鳥の尾(を)の」を導く序歌。「恋ふべきものか」は「恋してしまうものだろうか」という意味である。
 「山鳥の尾の、その一峰を越えた向こうでただ一目見ただけのあの子に恋してしまうものだろうか」という歌である。

2695  我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
      (吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有)
 「逢ふよしをなみ」は「~ので」の「み」で、「逢う手段がないので」という意味である。 「彼女に逢う手段がないので、駿河の富士の高嶺のように燃え続けているのだろうか」という歌である。この歌の詠まれたとき、富士は噴火していたのだろうか。

2696  荒熊のすむとふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ
      (荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告)
 師歯迫(しはせ)山はどこの山か不詳。ここまでは序歌。「迫る」が「責めて」を導く。
 「荒々しい熊が棲むという歯迫(しはせ)山のごとく責められてもあなたの名は明かしません」という歌である。

2697  妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ
      (妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡)
 「立たば惜しみこそ」は「噂に立ってはまずいから」という意味。「わたれ」は「続けている」という意味。
 「彼女の名も私の名も噂に立ってはまずいからこそ富士の高嶺のように燃え続けています」という歌である。
 或る歌にいう、として次の歌を登載している。
      君が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ
      (君名毛 妾名毛立者 惜己曽 不盡乃高山之 燎乍毛居)
 本歌が男性の歌なのに対し、この異伝歌は女性の歌となっている。
 「あなた様の名も私の名も噂に立ってはまずいからこそ富士の高嶺のように燃えていよう」という歌である。

2698  行きて見て来れば恋ほしき朝香潟山越しに置きて寝ねかてぬかも
      (徃而見而 来戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨)
 朝香潟(あさかがた)は所在不詳。女性の居場所か?。
 「行って逢って帰って来ると、恋しくなる彼女のいる朝香潟。山越にいる彼女を思うと寝るに寝られない」という歌である。

2699  阿太人の梁打ち渡す瀬を早み心は思へど直に逢はぬかも
      (安太人乃 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨)
 阿太人(あだひと)は奈良県五條市吉野川近辺の人のことをいう。梁(やな)は魚を捕る仕掛け。「瀬を早み」は「瀬が急流なので」という意味。
 「阿太人(あだひと)が仕掛けた梁のあたりは瀬が急流なので渡れない。心ははやれど直接に逢うことができない」という歌である。

2700  玉かぎる岩垣淵の隠りには伏して死ぬとも汝が名は告らじ
      (玉蜻 石垣淵之 隠庭 伏<雖>死 汝名羽不謂)
 「玉かぎる」は枕詞。2509番歌に「~玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻」とある。「隠(こも)りには」は「隠って」という意味。
 「岩で垣根のように囲まれた淵に隠って、そのまま伏して死のうとも、決してそなたの名は漏らしません」という歌である。

2701  明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも
      (明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨)
 明日香川は現在飛鳥川と表記されている。奈良県明日香村、橿原市、田原本町などを流れる川。「石橋の遠き心は」は「飛び石のように遠い心など」という意味である。
 「明日香川、明日も渡ろうと思うその石橋のように飛び飛びの遠い心など思ってもいません」という歌である。

2702  明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ
      (飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝申自)
 「水行きまさり」は「水かさが増す」という意味である。「いや日異(ひけ)に」は「日に異に」のつづまったもので、「日ごとに」という意味。「ありかつましじ」は484番歌等に使用されているが、「そのままでよいのでしょうか」ということで、「そのままではいられない」という意味である。
 「明日香川の水かさが増し、日ごとに恋い心が増していけばこのままではいられない」という歌である。

2703  ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは
      (真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者)
 「水隠(みごも)りに」は「水に隠れる(ひたされる)」という意味。
 「ま薦刈る大野川原のように、水に浸されて密かに恋い焦がれてきた彼女の紐をいまこそ解くのだ、この私は」という歌である。

2704  あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも
      (悪氷木<乃> 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山下響み」は「山の麓を音を響かせて」という意味。
 「山の麓を音を響かせて流れ下る川水のように、時ともなく絶えず恋い焦がれ続けています」という歌である。

2705  はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ
      (愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳<沾>津)
 「はしきやし」は「ああ」という感嘆詞。「君ゆゑ」は「あの方なのに」という意味。
 「ああ、逢っても下さらないあの方なのに、いたづらにこの川の瀬に玉藻を濡らしてしまいました」という歌である。

2706  泊瀬川早み早瀬をむすび上げて飽かずや妹と問ひし君はも
      (泊湍<川> 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳)
 泊瀬川(はつせがは)は奈良県桜井市を流れる川で佐保川と合流する。「むすび上げて」は「手にすくい上げて」という意味である。
 「泊瀬川の流れが早いので、その早瀬を手ですくいあげて、十分飲んだかやお前、と優しく訊いて下さったあの方は、ああ」という歌である。

2707  青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
      (青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉<将>度 相縁乎無)
 青山は青々と茂る山。「水隠(みごも)りに」は「隠れた水」のこと。「よしをなみ」は「~ので」の「み」で、「てだてがないので」という意味。「~ので」の「み」が結句に来るのは珍しい。
 「青々と茂る山中に岩で囲まれた沼の水が隠れているように、恋い焦がれ続けなければならないのだろうか。逢うてだてがないので」という歌である。

2708  しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ寄そりし隠り妻はも [一云 名の    み寄そりて恋ひつつやあらむ]
      (四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母 [一云     名<耳>所縁而 戀管哉将在])
 「しなが鳥」はカイツブリのことかというが不明。猪名山(ゐなやま)の川は大阪府池田市から兵庫県川西市にかけて流れる川。「響(とよ)に行く水の」は「響かせて流れ下る水のように」という意味である。「名のみ寄そりし」は「評判ばかり立てられて」という意味だが、「寄そりし」は妙な表現。
 「しなが鳥棲む猪名(ゐな)川が音を響かせて流れ下る、その響きのように、評判ばかり立てられて(気の毒だ)隠し妻は」という歌である。
 異伝歌は「隠り妻はも」の部分が「恋ひつつやあらむ」となっていて、「恋い焦がれているだろうか」という歌になっている。
           (2015年6月27日記、2019年3月12日)
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万葉集読解・・・170(2709~2728番歌)

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     万葉集読解・・・170(2709~2728番歌)
2709  我妹子に我が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべく思ほゆ [或本    歌發句云 相思はぬ人を思はく]
      (吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三<超>而 應逝衣思 [或本    歌發句云 相不思 人乎念久])
 「しがらみ」は、水流を塞き止める柵。通常杭を並べ竹や木を渡す。
 「彼女に恋い焦がれるのは、水流にたとえればしがらみさえ乗り越えて行くような気持ちである」という歌である。
 或る本には発句は以下のようになっているとしている。
 「相思はぬ人を思はく」(相不思 人乎念久)。「思ってもくれない人を思うのは水流にたとえれば~」となっている。

2710  犬上の鳥籠の山なる不知哉川不知とを聞こせ我が名告らすな
      (狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈)
 犬上の鳥籠(とこ)の山とは、滋賀県彦根市にある正法寺山。不知哉川(いさやがは)はそこを流れる川。その不知(いさ)を次句の不知(いさ)にかけている。「とを」は九九の2掛ける5(原文二五)のこと。「我が名告(の)らすな」は「私の名は伏せておいて下さい」という意味で、実質的にはこの結句のみの歌。
 「犬上の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)といいますが、問われても不知とおっしゃって下さい。私の名は伏せておいて下さいね」という歌である。

2711  奥山の木の葉隠りて行く水の音聞きしより常忘らえず
      (奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘)
 読解不要の平明歌。
 「奥山の木の葉隠りに流れ下る音、その音のように噂だけを聞きました。以来、その噂が常に頭にあって忘れられません」という歌である。

2712  言急くは中は淀ませ水無川絶ゆといふことをありこすなゆめ
      (言急者 中波余騰益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目)
 「言急(ことと)くは」は「噂が激しいようでしたら」という意味。「中は淀ませ」は「途中でお休みになって」という意味である。「ありこすなゆめ」は「~にならないように決して」という意味である。
 「噂が激しいようでしたら途中でお休みになって下さい。が、水無川のように途絶えてしまわないように、決して」という歌である。

2713  明日香川行く瀬を早み早けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ
      (明日香河 逝湍乎早見 将速登 待良武妹乎 此日晩津)
 明日香川は現在飛鳥川と表記されている。奈良県明日香村、橿原市、田原本町などを流れる川。「行く瀬を早み」は「~なので」の「み」。「早けむと」を導く序歌。ここでは「早く早く」と次句につなげて読むといい。
 「明日香川、その瀬は早く、早く早くと待っているに相違ない彼女だろうに、行けずにこの日を暮らしてしまった」という歌である。

2714  もののふの八十宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも [一    云 立ちても君は忘れかねつも]
      (物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾為鴨 [一云 立而    毛君者 忘金津藻])
 「もののふの八十氏」を「宇治川」にかけている。宇治川は京都府宇治市を流れる川。「立ちえぬ」は「立っていられない」という意味。
 「氏の多いもののふですが、その宇治川の早い瀬には立っていられない。が、それでも私は恋いしています」という歌である。
 異伝歌は「その急流に立つことになっても、あなたは忘れられません」という歌である。

2715  神なびの打廻の崎の岩淵の隠りてのみや我が恋ひ居らむ
      (神名火 打廻前乃 石淵 隠而耳八 吾戀居)
 「神なび」は神社を指す。「打廻(うちみ)の崎」は所在不詳。
 「神社の打廻(うちみ)の崎にある岩だらけの淵はひっそりと隠れている。その淵のように私は恋い焦がれるばかりであろうか」という歌である。

2716  高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は
      (自高山 出来水 石觸 破衣念 妹不相夕者)
 「高山ゆ」は「~から」の「ゆ」で「高い山から」という意味である。
 「高い山からほとばしり出てくる水が岩に触れて砕け散る。そんな風に砕け散る我が思い。彼女に逢えない夜は」という歌である。

2717  朝東風に井堤越す波の外目にも逢はぬものゆゑ瀧もとどろに
      (朝東風尓 井堤超浪之 世染似裳 不相鬼故 瀧毛響動二)
 「朝東風に」は「あさこちに」と読む。この、こち(東風)は菅原道真の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主無しとて春を忘るな」という有名な歌がある。
 「井堤(ゐで)越す波の」は「堤を越えて波が」という意味で、次句の「外目(よそめ)にも」にかかる。「逢はぬものゆゑ」は「逢ってもいないのに」という意味。
 「朝の東風に吹かれて堤を越えて波があふれ出すように、あの子に遠くから逢ってもいないのに、噂ばかりが滝もとどろにやかましい」という歌である。

2718  高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
      (高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死)
 「岩もとたぎち」は「岩の根本をほとばしり」という意味。
 「高い山の岩の根本をほとばしって流れ下る音、そんな水音のように噂を立てられないようにしていよう。たとえ恋い焦がれて死のうとも」という歌である。

2719  隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
      (隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎)
 「隠(こも)り沼の下に」は「隠れた沼のように心密かに」という意味である。「人に語りつ」は「人に話してしまった」という意味。「忌(い)むべきものを」は「慎まなければならないのに」という意味。
 「隠れた沼のように心密かに恋していたが、それでは飽きたらず、とうとう人に話してしまった、慎まなければならないのに」という歌である。

2720  水鳥の鴨の棲む池の下樋無みいぶせき君を今日見つるかも
      (水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨)
 「下樋(したび)無み」は(~ので)の「み」。下樋は土中に埋められた水を通す管。「下樋が無いので水が淀んで」という意味である。「いぶせき」は「心が晴れない」という意味。
 「水鳥の鴨が棲んでいる池に下樋(したび)が無いように滞って心が晴れませんでしたが、そのあなた様に今日やっとお逢いできましたわ」という歌である。

2721  玉藻刈る井堤のしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも
      (玉藻苅 井堤乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞)
 「しがらみ」は、水流を塞き止める柵。通常杭を並べ竹や木を渡す。この歌、歌意がいまいち不明。というのは「しがらみが薄ければ」、恋は淀まずすらすら運ぶからである。各書はそう解しているが、第三句の「薄みかも」は願望に取れないだろうか。
 「玉藻を刈る堤のしがらみはもっと薄くなってくれないだろうか。恋が滞っている我が心なので」という歌である。

2722  我妹子が笠のかりての和射見野に我れは入りぬと妹に告げこそ
      (吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞)
 「笠のかりて」は和傘の内側の輪の部分。「和射見野(わさみの)」は岐阜県関ヶ原という。「かりての輪」は「わさみ」の「わ」を導く序歌。
 「彼女がさしているかりての輪、その和射見野(わさみの)にやっとさしかかった。誰かこのことを彼女に告げてくれないだろうか」という歌である。

2723  あまたあらぬ名をしも惜しみ埋れ木の下ゆぞ恋ふるゆくへ知らずて
      (數多不有 名乎霜惜三 埋木之 下従其戀 去方不知而)
 「あまたあらぬ」はよく分からない表現。直訳すれば「数多くもない」ということだが、それでは歌意が通りにくい。「数あるわけではないたった一つの名」と解しておく。「埋れ木の下ゆぞ」は「埋もれた木のように密かに」という意味である。
 「数あるわけではないたった一つの名を惜しんで、埋もれた木のように密かに恋している。その恋の行方はどうなるか分からないまま」という歌である。

2724  秋風の千江の浦廻の木屑なす心は寄りぬ後は知らねど
      (冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知)
 千江(ちえ)は地名とみられるが、所在不詳。
 「秋風が吹く千江の浦辺の木屑のように、心はあなたの方に寄せられました。後はどうなるか分かりませんが」という歌である。

2725  白真砂御津の埴生の色に出でて言はなくのみぞ我が恋ふらくは
      (白細砂 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者)
 「白真砂(しらまなご)」は真っ白な砂浜。「御津」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す地名。埴生(はにゅう)は「黄赤色の粘土」で御津の一部は埴生で有名だったようだ。
 「真っ白な砂浜の御津が黄赤色の粘土で染まっているように、はっきり言葉に出して言いませんが、私は恋していますあなたを」という歌である。

2726  風吹かぬ浦に波立ち無き名をも我れは負へるか逢ふとはなしに [一云    女と思ひて]
      (風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二 [一云 女跡    念而])
 「無き名をも」は「何もないのに」という意味である。
 「風も吹かない浦が波立ったかのように、何もないのに噂を立てられてしまった。逢うこともない人と」という歌である。
 異伝歌は「私は女と思われて逢うこともない人と」という歌である。

2727  菅島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに
      (酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君)
 菅島(すがしま)は三重県にあり、私も訪れている。が、その島のことか否か不詳。
 「菅島(すがしま)の夏身の浦に寄せる波のように、間を置いてではなく、四六時中恋慕しています」という歌である。

2728  近江の海沖つ島山奥まへて我が思ふ妹が言の繁けく
      (淡海之海 奥津嶋山 奥間經而 我念妹之 言繁<苦>)
 2439番歌に「近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく」とある。「奥まけて」と「奥まへて」と一字違いに訓じられているが、重複歌とみてよかろう。
 「ずっと思い定めている彼女には何かと噂が絶えない」という歌である。
           (2015年7月3日記、2019年3月12日)
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万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)

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     万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)
2729  霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに
      (霰零 遠津大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君)
 「霰(あられ)降り」は「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞としている。が、枕詞(?)。「霰降り」は6例あるが、4例は「あられが降っている」と解してそのまま通じる。「遠(とほ)つ」(原文:遠津)にかかるのは本例と1293番歌のみ。いずれも遠江(浜名湖)が舞台。1293番歌は「霰降り遠江の吾跡川楊刈れどもまたも生ふとふ吾跡川楊」とある。「霰が降る遠江」と考えて差し支えない。「大浦」はどこか不詳。「よしも」は「たとえ」という意味。
 「霰が降るという遠江の大浦に寄せる波のようにたとえ噂が寄せられても構わない、憎くない人ですもの」という歌である。

2730  紀の浦の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに
      (木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓)
 「紀の浦の名高の浦」は和歌山県海南市名高町の海岸。音高きを導く序歌。
 「紀伊の国の名高の浦に押し寄せる波音のように、噂がすさまじい、逢ってもいないあの子なのに・・・。」という歌である。

2731  牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ
      (牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君 不相鴨将有)
 「牛窓(うしまど)」は岡山県瀬戸内市内にあった町。「寄そりし君は」は「噂が寄せられた人」という意味。
 「牛窓(うしまど)の潮騒が島中に響き渡るように、あの方との噂が立ってしまいました。いっそあの方に逢えればいいのに」という歌である。

2732  沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
      (奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞)
 「辺波(へなみ)」は「岸辺の波」のこと。「このさだ」は「この時」という意味だが、「このしだ」とも読める。ここは「佐太の浦」にかけているので「さだ」を用いている。
 「沖からの波、また岸辺からの返し波がやって来る佐太の浦の、この時が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろうな」という歌である。

2733  白波の来寄する島の荒磯にもあらましものを恋ひつつあらずは
      (白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者)
 「あらましものを」は「ありたいものだ」という意味。
 「白波がやって来る島の荒磯であったなら(ひとりでに波がやってくるのに)こうして恋い焦がれている」という歌である。

2734  潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて
      (塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而)
 前歌と同趣旨の歌。「我はなりてしか」は「私はなりたい」という意味。結句の「恋ひは死なずて」は特殊な表現。「恋ひに」と考えると分かりやすい。「恋に死ぬことも出来ず」という意味である。
 「潮が満ちてくるにつれ、水泡(みなわ)に浮かぶ真砂(まさご)のようにただよっていたい。恋に死ぬことも出来ず」という歌である。

2735  住吉の岸の浦廻にしく波のしくしく妹を見むよしもがも
      (住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得)
 「しく波の」は「繰り返しやって来る波」のことで、次句の「しくしく」を導く。「しくしく」は1236番歌「~しくしく思ほゆ」、1440番歌「春雨のしくしく降るに~」等「しきりに」という意味である。「見むよしもがも」は「逢う手段があればなあ」という意味。 「住吉の岸の浦辺に繰り返しやって来る波、そのようにも彼女にしばしば逢いたい。そんな手段があればなあ」という歌である。

2736  風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ君は相思ふらむか
      (風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香)
 「風をいたみ」は「風が激しいので」という意味。「いたぶる波の」は「激しく揺れて打ち寄せる波の」という意味である。次句の「間(あひだ)なく」(絶え間なく)を導く序歌。
 「風が激しく揺れて打ち寄せる波のように絶え間なく私はあの方を思っているけれど、あの方も私のことを思っていて下さるだろうか」という歌である。

2737  大伴の御津の白波間なく我が恋ふらくを人の知らなく
      (大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久)
 「大伴の御津」は大伴氏の本拠として知られる。難波の御津。
 「大伴の御津に打ち寄せる白波の絶え間がないように私は恋い焦がれているけれどあの人は知ってくれていない」という歌である。

2738   大船のたゆたふ海にいかり下ろしいかにせばかも我が恋やまむ
     (大大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨)
 「~いかり下ろし」までは「いかに」を導く序歌。
 「大船がただよう海にいかりを下ろして留めるが、どのようにしたら私の恋は静まるだろうか」という歌である。

2739  みさご居る沖つ荒磯に寄する波ゆくへも知らず我が恋ふらくは
      (水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波)
 みさごは海浜に棲むタカ科の猛禽。
 「みさごが居つく沖の荒磯に押し寄せる波のように行方も知れぬ我が恋は」という歌である。

2740  大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
      (大船之 <艫毛舳>毛 依浪 依友吾者 君之<任>意)
 「艫(へ)にも舳(とも)にも」は「船首や船尾にも」という意味。「~寄する波」は次句の「寄すとも」を導く序歌。
 「大船の船首や船尾にも波は打ち寄せて来ますが、どんな噂が打ち寄せようと、私はあなた様の御心のままにいたします」という歌である。

2741  大船に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし
      (大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨)
 特に読解を要しない平明歌。
 「大船に打ち寄せる波でも時には絶え間があるでしょうに、あなた様に恋い焦がれる気持にはやむときがありません」という歌である。

2742  志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
      (<壮>鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨)
 志賀は福岡県にある志賀町志賀島。「~塩の」は次句の「辛き恋をも」を導く序歌。
 「志賀島の海人(あま)が煙を立てて焼く塩の辛さは格別。そんな辛い恋を私はしています」という歌である。
 本歌の左注に「右一首は或いは石川君子朝臣の作という」とある。

2743  なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
      (中々二 君二不戀者 <枚>浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管)
 「なかなかに」は「中途半端に」という意味。比良の浦は滋賀県大津市北方の湖岸のあたり。
 「なまじあの方に恋しないで、比良の浦の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。
 或本歌曰 なかなかに君に恋ひずは留牛馬の浦の海人あらましを玉藻刈る刈る
      (中々尓 君尓不戀波 留牛馬浦之 海部尓有益男 珠藻苅々)
 留牛馬の浦(なはのうら)は「岩波大系本」によると、所在不詳。
 「なまじあの方に恋しないで、留牛馬の浦(なはのうら)の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。

2744  鱸取る海人の燈火外にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
      (鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日)
 鱸(すずき)は魚の一種。釣り舟が盛ん。
 「鱸取る海人の釣り舟の灯火のように、遠目には見づらい人なのに恋してしまったこの頃です」という歌である。

2745  港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも
      (湊入之 葦別小<舟> 障多見 吾念公尓 不相頃者鴨)
 「障(さは)り多み」は「~ので」の「み」。すなわち「支障が多いので」という意味。「逢はぬころかも」は「近頃なかなか逢えない」という意味。
 「港に入る小舟が葦を押し分け押し分け進むように支障が多く、我が恋するあの方とは噂が激しく、近頃なかなか逢えない」という歌である。

2746  には清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
      (庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨)
 「には清(きよ)み」は「~ので」の「み」で、「海面が平穏なので」という意味。「楫取る間なき」は「梶を操る暇もなく」という意味である。
 「海面が平穏なのでひっきりなしに沖へ出て行く海人舟が梶を操る暇がないように、絶え間なく恋い焦がれています」という歌である。

2747  あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも
      (味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方)
 「あぢかまの」は全万葉集歌中3例存在するが、3例とも異なる語が続く。本歌のほかに3551番歌の「あぢかまの潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて」と3553番歌の「あじかまの可家の港に入る潮のこてたずくもが入りて寝まくも」の「あぢかまの」である。意味も決まりもなく、枕詞(?)。本歌では「アジカモやカモの群れ飛ぶ」と解しておきたい。塩津は滋賀県長浜市。琵琶湖北端に塩津神社があり、そのあたり。
 「アジカモやカモの群れ飛ぶ塩津をさして漕ぐ船の、その名を告げたのですもの。あなたにお逢いせずにおられましょうか」という歌である。

2748  大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも
      (大<船>尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨)
 「しみみにも」は「いっぱいに」という意味。
 「大船に葦を刈り取っていっぱいにしてしまったように、彼女は私の心にいっぱい占めてしまった」という歌である。

2749  駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも
      (驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨)
 駅路(はゆまぢ)は駅に通じる道のこと。「引き舟渡し」は対岸にロープを渡して引いた。「直(ただ)乗りに」は「一直線に」という意味。
 「駅路(はゆまぢ)に出るため、舟を引いて一直線に渡すように、彼女は私の心を一直線に占めてしまった」という歌である。
           (2015年7月9日記、2019年3月13日)
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万葉集読解・・・172(2750~2771番歌)

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     万葉集読解・・・172(2750~2771番歌)
2750  我妹子に逢はず久しもうましもの安倍橘の苔生すまでに
      (吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右)
 「うましもの」は「上等な」という意味。安倍橘(たちばな)は柚(ゆず)に似た橙(だいだい)の実。
 「彼女に逢わなくなってから随分久しくなった。あの立派な安倍橘も古くなって苔が生えてきたなあ」という歌である。

2751  あぢの住む渚沙の入江の荒磯松我を待つ子らはただ独りのみ
      (味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待兒等波 但一耳)
 あぢはアジガモのことという。「渚沙(すさ)の入江」は和歌山県有田市に鎮座する須佐神社のあたりとも、愛知県南知多町の須佐湾ともいう。「~荒磯松」までは次句の「我を待つ子らは」の待つを導く序歌。「子ら」の「ら」は親しみをこめた言い方。
 「アジガモの棲む渚沙(すさ)の入江にある荒磯に立っている松。その松ではないが、私を待っていてくれる子はただ一人」という歌である。

2752  我妹子を聞き都賀野辺のしなひ合歓木我れは忍びず間なくし思へば
      (吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者)
 「我妹子を聞き」は「彼女のことを噂に聞き」という意味である。都賀野(つがの)はどこか不詳。「しなひ合歓木(ねぶ)」は「しなやかな合歓木(ねむのき)」のこと。
 「彼女の噂を聞くにつけ、都賀野(つがの)辺にしなう合歓木からしなやかな彼女を思い出し、私は忍び難く、ひっきりなしに思い出す」という歌である。

2753  波の間ゆ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして
      (浪間従 所見小嶋 濱久木 久成奴 君尓不相四手)
 「波の間ゆ」は「波の間から」という意味。浜久木(はまひさぎ)はアカメガシワ、キササゲ、雑木類等々の説があって不確定。「~浜久木」までは次句の「久しく」を導く序歌。
 「波間より見える小島の浜久木(はまひさぎ)、その名のように随分久しくなりましたわ、あなたにお逢いしないまま」という歌である。

2754  朝柏潤八川辺の小竹の芽の偲ひて寝れば夢に見えけり
      (朝柏 閏八河邊之 小竹之眼笶 思而宿者 夢所見来)
 「朝柏」は朝の柏の木のことで、潤んだ柏から「潤八川(うるはかは)」にかかる。潤八川は不詳。「小竹(しの)の芽の」は「篠の芽の」ことで、次句の「偲(しの)ひて」にかかる。
 「朝の柏の木が潤んでいる潤八川(うるはかは)の川辺に生える篠の芽ではないが、あの方を偲んで寝たら夢に出てきました」という歌である。

2755  浅茅原刈り標さして空言も寄そりし君が言をし待たむ
      (淺茅原 苅標刺而 空事文 所縁之君之 辞鴛鴦将待)
 浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)のととである。「刈り標(しめ)さして」は「俺の彼女だと草刈りの標を立てた」という意味である。「空言(むなこと)も寄そりし」は「噂を立てられて」という意味。
 「浅茅原に草刈りの標を立てたぞと根も葉もない噂を立てられたあなた様ですが、直接の言葉をいただきたいものですわ」という歌である。

2756  月草の借れる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
      (月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛将相<云>)
 月草は露草のことで、はかない命にたとえられる。「借れる命」は「仮の命」のこと。
 「露草のようにはかない身であるこの私をどう思っておいででしょう。後も逢おうとおっしゃるけれど」という歌である。

2757  大君の御笠に縫へる有間菅ありつつ見れど事なき我妹
      (王之 御笠尓縫有 在間菅 有管雖看 事無吾妹)
 「~有間菅(ありますげ)」までは「ありつつ」を導く序歌。有間菅は兵庫県有馬地方に産する菅。「事なき我妹」は「欠点のない彼女」のことである。
 「大君の御笠を縫うのに使われる有馬産の菅。その名のようにずっと続けて見ているが、本当に申し分のない彼女だよな」という歌である。

2758  菅の根のねもころ妹に恋ふるにしますらを心思ほえぬかも
      (菅根之 懃妹尓 戀西 益卜男心 不所念鳧)
 菅の根はしっかりからまる。「恋ふるにし」は強意の「し」。「ますらを心思ほえぬかも」は「男子たる心構えも忘れてしまいそう」という意味である。
 「菅の根のようにしっかりからまって彼女に恋してしまった、ああ、男子たる心構えも忘れてしまいそう」という歌である。

2759  我が宿の穂蓼古幹摘み生し実になるまでに君をし待たむ
      (吾屋戸之 穂蓼古幹 採生之 實成左右二 君乎志将待)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。「穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)」は「穂になった蓼の古い茎」のこと。「蓼食う虫も好きずき」の蓼だが辛いので虫がつかない。
 「我が家の庭の穂になった蓼の古い茎を摘んで大きく生やし、それが来年実になるまで私はあの人を待っています」という歌である。

2760  あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも
      (足桧之 山澤徊具乎 採将去 日谷毛相為 母者責十方)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「ゑぐ」は黒クワイのことである。「摘みに行かむ日だにも」は「摘みに行くその日だけでも」という意味。
 「山沢に黒クワイを摘みに行くその日だけでも逢って下さい。母は責めるでしょうけれど」という歌である。

2761  奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも我が思ひ妻は
      (奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者)
 「岩本菅の」は「岩の根本に生える山菅は」という意味。
 「奥山の岩の根本に生える山菅はしっかり根深く根を絡ませているが、そのようにも絡みついている我が思う妻は」という歌である。

2762  葦垣の中の似兒草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな
      (蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名)
 葦垣(あしがき)は葦で作った垣根。似兒草(にこぐさ)はどんな草か不明だが、次句の「にこやかに」を導く序歌。「人に知らゆな」は「人に知られないように」という意味。
 「葦垣の中の似兒草(にこぐさ)のように、私と笑みを交わしても人には知られないようにして下さいね」という歌である。

2763  紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も我を忘らすな
      (紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜)
 「紅の」は「岩波大系本」や「伊藤本」のように枕詞説もあるが、全23例中大部分は1314番歌や2828番歌等に見られるように紅色のことをさしている。枕詞(?)。本歌も「紅色の」と解して差し支えない。浅葉はどんな草か分からないが、紅色をした草だったに相違ない。「~束の間」までは「束の間も」を導く序歌。
 「紅色の浅葉が茂る野で刈る草の、その束の間も私を忘れないで下さいね」という歌である。

2764  妹がため命残せり刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
      (為妹 壽遺在 苅薦之 思乱而 應死物乎)
 「刈り薦(こも)の」は「刈り取った薦のように」という意味。枕詞説もある。
 「彼女のために命を保っている。刈り取った薦のように思いは乱れ、死ぬべきところを」という歌である。

2765  我妹子に恋つつあらずは刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
      (吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎)
 「刈り薦の」は前歌参照。
 「彼女に恋い焦がれて苦しむくらいなら刈り取った薦のように思い乱れたまま死んだ方がいい」という歌である。

2766  三島江の入江の薦を刈りにこそ我れをば君は思ひたりけれ
      (三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来)
 三島江は大阪湾に注ぐ淀川下流。「~刈りにこそ」までは「かりそめ」を導く序歌。
 「三島江の入江に生える薦を刈りとるといいますが、あなたはかりそめに私を思っていたのですね」という歌である。

2767  あしひきの山橘の色に出でて我は恋なむを人目難みすな
      (足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 人目難為名)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。山橘(やまたちばな)は藪柑子(やぶこうじ)のことという。冬に赤く熟すという。結句の「人目難(かた)みすな」は古来難解とされる。人目を「八目」と見て「止目」とする説もあるが、止目を八目と書く例はなく、無理。止目は止目で2979番歌及び3004番歌に「吾戀止目(我が恋やまめ)」とある。なので「人目」は「人目」と見るしかない。「人目難(かた)みすな」は「人目を気にするな」と解する。
 「藪柑子(やぶこうじ)の実が赤くなるように私はあなたを恋しているのに、人目など気にしないでおくれ」という歌である。

2768  葦鶴の騒く入江の白菅の知らせむためと言痛かるかも
      (葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨)
 「葦鶴(あしたづ)の騒く」は「葦で騒ぐ」という意味。「~白菅(しらすげ)の」までは次句の「知らせむ」を導く序歌。「言痛(こちた)かるかも」は「噂が激しい」という意味。
 「葦辺で騒ぐ鶴のいる入り江の白菅は、鶴の鳴き声(噂)を知らせんとばかりやかましい」という歌である。

2769  我が背子に我が恋ふらくは夏草の刈り除くれども生ひしくごとし
      (吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如)
 読解を要しない平明歌。
 「あの方に恋い焦がれる私の気持は、刈り取っても刈り取っても生えてくる夏草のごとしです」という歌である。

2770  道の辺のいつ柴原のいつもいつも人の許さむ言をし待たむ
      (道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待)
 「いつ柴原の」は「いっぱいの柴原」のこと。
 「道の辺にいっぱい茂る柴原のようにいつもあの方が「許そう」と言って下さるのを待っています」という歌である。

2771  我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり
      (吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有)
 「袖を頼みて」は何のことかはっきりしない。「袖を笠代わりに」という意味か。「真野の浦」は神戸市長田区東尻池町付近のことという。
 「彼女の袖を笠代わりにしてもらおうと思って真野の浦の小菅で作った笠をささずに来てしまった」という歌である。
           (2015年7月11日記、2019年3月13日)
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