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女子駅伝その2

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 前回、今月21日に福岡県で行われた実業団対抗女子駅伝予選会の際、二区を走った岩谷産業の飯田怜選手が脛骨を骨折して重傷を負った件について述べた。中継所まで200メートルほどと報じられたが、実際は300メートルほどもあったらしい。
 私は即中止(棄権)以外の判断はなかったと記した。四つんばいでしか進めない状態は誰がみても異常中の異常だ。個人競技であるボクシングでさえTKOという制度があるというのに・・・。なのに、報道は繰り返し、繰り返し、四つんばい進行の場面を報道し、まるで英雄扱い。膝から血をながして進む様子を執拗に報道するなんて、面白がっているとしか思えなかった。あまりに残酷な報道だ。通常のスポーツで膝骨折という重傷を負えば、即座に駆けつけて担架で運び出す場面だ。
 さて、私は走破はその性格上、個人競技。それを駅伝はチーム競技としているために、起こるべくして起きた事態だといっていい。
 他方、駅伝フアンとしてはチーム競技として残ってほしいという気持がある。したがって、代替選手を認めたらいい、という意見がある。いわばルール変更で、私もこれに賛成である。
 が、非常に厄介なのは代替選手案である。代替選手は正選手を遙かに上回る力の選手でないと突然の事故に代わって走ることが出来ない。さらにそんな選手を倍用意しなければならない。6区なら、正選手6人に一緒に走る代替選手6人が必要になる。これでは完全に本末転倒だ。基本は次の中継所に最後尾に到達した選手と同時に出発するという案だ。が、これだと、トップチームも最後尾になる。本来個人競技をチーム競技用に変更するのは厄介。が、今回の女子駅伝の件は何としても難解なルール変更を考えなければならないことを示している。パート2を記したゆえんである。
           (2018年10月25日)
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万葉集読解・・・155(2401~2420番歌)

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     万葉集読解・・・155(2401~2420番歌)
2401  恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ
      (戀死 戀死哉 我妹 吾家門 過行)
 上二句「恋ひ死なば恋ひも死ねとか」は2370番歌の上二句と同じ。「恋煩いで死ぬのなら死になさいとでもおっしゃるのですか」という意味である。
 「彼女は、恋煩いで死ぬなら死になさいとでもいうつもりなのか、我家の門前を素知らぬ顔で通り過ぎていく」という歌である。

2402  妹があたり遠く見ゆれば怪しくも我れは恋ふるか逢ふよしなしに
      (妹當 遠見者 恠 吾戀 相依無)
 「怪しくも」は「どうしようもなく」という、「逢ふよしなしに」は「逢う手だてがないまま」という意味である。
 「彼女の家の辺りが遠く見える。私はどうしようもなく恋心が募る。逢う手だてがないのでいっそう」という歌である。

2403  玉久世の清き川原にみそぎして斎ふ命は妹がためこそ
      (玉久世 清川原 身秡為 齊命 妹為)
 玉久世(たまくせ)ははっきりしない。玉を美称と解したり、久世を河原の古名としたり地名と解したり様々の説がある。「~の清き川原」という言い方からすると、「玉久世」は川の名称のように私には思われる。「みそぎして斎(いは)ふ命は」は「川の水で身(命)を清めるのは」という意味である。
 「玉久世川の清らかな川原で身を清めるのは彼女のためだからこそだよ」という歌である。

2404  思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日の間も忘れて思へや
      (思依 見依 物有 一日間 忘念)
 「思ひ寄り」は「心中ひそかに思いを寄せ」という意味である。「見ては寄りにし」は「逢っていっそう寄ったのだもの」という意味である。
 「心中ひそかに思いを寄せ、かつ、こうして逢うようになったのだもの、一日としてそなたを忘れたりするものか」という歌である。

2405  垣ほなす人は言へども高麗錦紐解き開けし君ならなくに
      (垣廬鳴 人雖云 狛錦 紐解開 公無)
 「垣ほなす人は言へども」は「垣根のように噂がたちこめているけれども」という意味である。「高麗錦(こまにしき)の紐」は、2090番歌に出てきたが、朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。「君」は「あなた」と解するより「お人」とした方がぴったり。
 「垣根のように噂がたちこめている。高麗錦の紐を解いて共寝したお人ではないのに」という歌である。

2406  高麗錦紐解き開けて夕だに知らずある命恋ひつつかあらむ
      (狛錦 紐解開 夕谷 不知有命 戀有)
 高麗錦紐は前歌参照。「夕(ゆふべ)だに知らずある命」とは「夕まで生きられるか分からぬ命」という意味だろうか。
 「高麗錦の紐を解いて、この夕まで生きられるか分からぬ命ですが、命ある限り恋い焦がれています」という歌である。

2407  百積の船隠り入る八占(八浦=筆者)さし母は問ふともその名は告らじ
      (百積 船潜納 八占刺 母雖問 其名不謂)
 「百積の」は「百石(ももさか)の」や「百尺(ももさか)の」と訓じられていて、「大きな」という意味である。問題は「八占(やうら)さし」。各書とも「色々な占いをして」と解釈している。がその解釈だと上二句が無意味になるため、上二句は「浦をみちびく序歌」としている。が、「八浦」なら分かるが「八占」が序歌によってみちびかれた浦」とするのは苦しい。上二句は序歌ではなく実景であって、八占は八浦という地名ではないかと思う。恋人の名を訊ねるのに「色々な占いをして聞きだそう」とするなんてことがあるだろうか。不自然としか思えない。ここは浜に母娘が並び立って出迎えに出た情景歌と見る。
 「大きな船が八浦の湾内を見え隠れしながら入ってきた。その船に乗っている人は誰かと母は訊ねたけれど私は答えなかった」という歌である。

2408  眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを
      (眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾)
 「眉根掻き鼻ひ紐解け」は「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」ということである。が、本歌だけでは何のことか分からない。類似表現歌に2808番歌があり、「眉根掻き鼻ひ紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを」とある。さらに2809番歌にも「今日なれば鼻ひ鼻ひし眉かゆみ思ひしことは君にしありけり」とある。現代でも「人が自分の噂をしていると、くしゃみが出る」という言い方をする。なので、「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」は何かの前兆を示していると考えていいようだ。
 「眉をかき、くしゃみをし、紐が解けるところからすると、(彼女の方も)私と逢うのを待ってくれている兆しだろうか」という歌である。

2409  君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに
      (君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒)
 「うらぶれ居れば」は「悄然としていると」ないし「気が沈んでいると」といった意味である。「悔しくも」は「腹立たしくも」という、「いたづらに」は「所在なく」という意味。
 「あなたが恋しくてしょんぼりしていると、腹立たしいことに、着物の下紐がなかなか結べず手が所在なげに動くばかりです」という歌である。

2410  あらたまの年は果つれど敷栲の袖交へし子を忘れて思へや
      (璞之 年者竟杼 敷白之 袖易子少 忘而念哉)
 「あらたまの」はお馴染みの枕詞。「敷栲(しきたへ)の袖交へし」は「寝床で交わした袖」という意味。
 「今年は暮れていくけれど、寝床で袖を交わし共寝したあの子のことだもの、忘れられるものか」という歌である。

2411  白栲の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも
      (白細布 袖小端 見柄 如是有戀 吾為鴨)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「はつはつ」は701番歌や1306番歌に詠われていたように、「ちらりと見かける」ことである。「真っ白な袖をちらりと見かけただけなのに、こんなにも激しい恋に私は落ちてしまった」という歌である。

2412  我妹子に恋ひてすべなみ夢に見むと我れは思へど寐ねらえなくに
      (我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐)
 「すべなみ」は「~ので」の「み」。読解不要の平明歌。
 「彼女に恋い焦がれているが、どうしていいか分からず、せめて夢の中で逢いたいと思うが、なかなか寝つかれない」という歌である。

2413  故もなく我が下紐を解けしめて人にな知らせ直に逢ふまでに
      (故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢)
 下紐が解けるのは2408番歌にあった「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」の一連で恋に発展する前兆を示す。「解けしめて」は原文に「令解」とあるように使役動詞。「~せしむる」という用例。「な知らせ」は「な~そ」の禁止形。
 「何のわけもなく、ひとりでに下紐がほどけるのはあなたがそうし向けていらっしゃるからでしょうね。まだ人に知られないようになさって下さいね。直接お逢いする時が来るまで」という歌である。

2414  恋ふること慰めかねて出でて行けば山を川をも知らず来にけり
      (戀事 意追不得 出行者 山川 不知来)
 「慰めかねて」が悩ましい。単純に「慰めかねて」という心情ではないのだが、さりとてどんな心情なのか。「気を静める」とも「気を晴らす」とも取れる。ここは、あっさり「じっとしていられなくて」という表現が近そうだ。
 「あの子のことを思い焦がれていると、じっとしていられなくて、家から飛び出してきたが、どこの山とも川とも分からないまま見慣れない所までやってきてしまった」という歌である。

 頭注区分に「物に託して思いを述べる」とある。
2415  娘子らを袖振る山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我れは
      (處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者)
 501番歌に「娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは」とある。ほぼ同一歌。袖布留山(そでふるやま)は奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)。瑞垣(みづがき)は神宮の境界(垣)で、常緑樹で作られている。
 「乙女たちが袖を振ったという神宮は久しく以前から鎮座し給うているが、私も長らくずっとあなたのことを思っている」という歌である。

2416  ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
      (千早振 神持在 命 誰為 長欲為)
 「ちはやぶる」は枕詞。「神の持たせる命」とはやや持って回った言い方。原文に「神持在命」とあり、「神がお持ちの故にある命」、すなわち「生かされている命」という意味である。
 「神様によって生かされているに過ぎない命ですもの。どなたのために長く生きたいというのでしょう」という歌である。

2417  石上布留の神杉神さぶる恋をも我れはさらにするかも
      (石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨)
 「石上布留」は前々歌の「袖振る山」を参照。「神さぶる」は「古びた」という意味である。
 「石上神宮の古い古い神杉のようにすっかり年老いてしまったこの私でも、恋の道におちたようだ」という歌である。

2418  いかならむ名負ふ神に手向けせば我が思ふ妹を夢にだに見む
      (何 名負神 幣嚮奉者 吾念妹 夢谷見)
 「いかならむ名負ふ神に」は「どんな名の神様に」という意味である。「手向け」はお供えをすること。
 「どんな名の神様にお供えをしてお願いすれば、夢の中でもいいが、恋しい彼女に逢えるのだろう」という歌である。

2419  天地といふ名の絶えてあらばこそ汝と我れと逢ふことやまめ
      (天地 言名絶 有 汝吾 相事止)
 結句の「逢ふことやまめ」は反語表現。「逢うこともなくなるだろうけれど」という意味である。
 「天や地というものがなくなってしまえばあなたと私の二人が逢うこともなくなるだろうけれど」という歌である。

2420  月見れば国は同じぞ山へなり愛し妹はへなりたるかも
      (月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨)
 「へなり」は「隔てられている」という意味。
 「同じ月が見えるのだから同じ国にいる。なのに山に隔てられ、愛しい彼女は遠く隔てられている」という歌である。
           (2015年4月15日記、2018年10月26日)
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万葉集読解・・・155(2401~2420番歌)

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     万葉集読解・・・155(2401~2420番歌)
2401  恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ
      (戀死 戀死哉 我妹 吾家門 過行)
 上二句「恋ひ死なば恋ひも死ねとか」は2370番歌の上二句と同じ。「恋煩いで死ぬのなら死になさいとでもおっしゃるのですか」という意味である。
 「彼女は、恋煩いで死ぬなら死になさいとでもいうつもりなのか、我家の門前を素知らぬ顔で通り過ぎていく」という歌である。

2402  妹があたり遠く見ゆれば怪しくも我れは恋ふるか逢ふよしなしに
      (妹當 遠見者 恠 吾戀 相依無)
 「怪しくも」は「どうしようもなく」という、「逢ふよしなしに」は「逢う手だてがないまま」という意味である。
 「彼女の家の辺りが遠く見える。私はどうしようもなく恋心が募る。逢う手だてがないのでいっそう」という歌である。

2403  玉久世の清き川原にみそぎして斎ふ命は妹がためこそ
      (玉久世 清川原 身秡為 齊命 妹為)
 玉久世(たまくせ)ははっきりしない。玉を美称と解したり、久世を河原の古名としたり地名と解したり様々の説がある。「~の清き川原」という言い方からすると、「玉久世」は川の名称のように私には思われる。「みそぎして斎(いは)ふ命は」は「川の水で身(命)を清めるのは」という意味である。
 「玉久世川の清らかな川原で身を清めるのは彼女のためだからこそだよ」という歌である。

2404  思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日の間も忘れて思へや
      (思依 見依 物有 一日間 忘念)
 「思ひ寄り」は「心中ひそかに思いを寄せ」という意味である。「見ては寄りにし」は「逢っていっそう寄ったのだもの」という意味である。
 「心中ひそかに思いを寄せ、かつ、こうして逢うようになったのだもの、一日としてそなたを忘れたりするものか」という歌である。

2405  垣ほなす人は言へども高麗錦紐解き開けし君ならなくに
      (垣廬鳴 人雖云 狛錦 紐解開 公無)
 「垣ほなす人は言へども」は「垣根のように噂がたちこめているけれども」という意味である。「高麗錦(こまにしき)の紐」は、2090番歌に出てきたが、朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。「君」は「あなた」と解するより「お人」とした方がぴったり。
 「垣根のように噂がたちこめている。高麗錦の紐を解いて共寝したお人ではないのに」という歌である。

2406  高麗錦紐解き開けて夕だに知らずある命恋ひつつかあらむ
      (狛錦 紐解開 夕谷 不知有命 戀有)
 高麗錦紐は前歌参照。「夕(ゆふべ)だに知らずある命」とは「夕まで生きられるか分からぬ命」という意味だろうか。
 「高麗錦の紐を解いて、この夕まで生きられるか分からぬ命ですが、命ある限り恋い焦がれています」という歌である。

2407  百積の船隠り入る八占(八浦=筆者)さし母は問ふともその名は告らじ
      (百積 船潜納 八占刺 母雖問 其名不謂)
 「百積の」は「百石(ももさか)の」や「百尺(ももさか)の」と訓じられていて、「大きな」という意味である。問題は「八占(やうら)さし」。各書とも「色々な占いをして」と解釈している。がその解釈だと上二句が無意味になるため、上二句は「浦をみちびく序歌」としている。が、「八浦」なら分かるが「八占」が序歌によってみちびかれた浦」とするのは苦しい。上二句は序歌ではなく実景であって、八占は八浦という地名ではないかと思う。恋人の名を訊ねるのに「色々な占いをして聞きだそう」とするなんてことがあるだろうか。不自然としか思えない。ここは浜に母娘が並び立って出迎えに出た情景歌と見る。
 「大きな船が八浦の湾内を見え隠れしながら入ってきた。その船に乗っている人は誰かと母は訊ねたけれど私は答えなかった」という歌である。

2408  眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを
      (眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾)
 「眉根掻き鼻ひ紐解け」は「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」ということである。が、本歌だけでは何のことか分からない。類似表現歌に2808番歌があり、「眉根掻き鼻ひ紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを」とある。さらに2809番歌にも「今日なれば鼻ひ鼻ひし眉かゆみ思ひしことは君にしありけり」とある。現代でも「人が自分の噂をしていると、くしゃみが出る」という言い方をする。なので、「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」は何かの前兆を示していると考えていいようだ。
 「眉をかき、くしゃみをし、紐が解けるところからすると、(彼女の方も)私と逢うのを待ってくれている兆しだろうか」という歌である。

2409  君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに
      (君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒)
 「うらぶれ居れば」は「悄然としていると」ないし「気が沈んでいると」といった意味である。「悔しくも」は「腹立たしくも」という、「いたづらに」は「所在なく」という意味。
 「あなたが恋しくてしょんぼりしていると、腹立たしいことに、着物の下紐がなかなか結べず手が所在なげに動くばかりです」という歌である。

2410  あらたまの年は果つれど敷栲の袖交へし子を忘れて思へや
      (璞之 年者竟杼 敷白之 袖易子少 忘而念哉)
 「あらたまの」はお馴染みの枕詞。「敷栲(しきたへ)の袖交へし」は「寝床で交わした袖」という意味。
 「今年は暮れていくけれど、寝床で袖を交わし共寝したあの子のことだもの、忘れられるものか」という歌である。

2411  白栲の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも
      (白細布 袖小端 見柄 如是有戀 吾為鴨)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「はつはつ」は701番歌や1306番歌に詠われていたように、「ちらりと見かける」ことである。「真っ白な袖をちらりと見かけただけなのに、こんなにも激しい恋に私は落ちてしまった」という歌である。

2412  我妹子に恋ひてすべなみ夢に見むと我れは思へど寐ねらえなくに
      (我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐)
 「すべなみ」は「~ので」の「み」。読解不要の平明歌。
 「彼女に恋い焦がれているが、どうしていいか分からず、せめて夢の中で逢いたいと思うが、なかなか寝つかれない」という歌である。

2413  故もなく我が下紐を解けしめて人にな知らせ直に逢ふまでに
      (故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢)
 下紐が解けるのは2408番歌にあった「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」の一連で恋に発展する前兆を示す。「解けしめて」は原文に「令解」とあるように使役動詞。「~せしむる」という用例。「な知らせ」は「な~そ」の禁止形。
 「何のわけもなく、ひとりでに下紐がほどけるのはあなたがそうし向けていらっしゃるからでしょうね。まだ人に知られないようになさって下さいね。直接お逢いする時が来るまで」という歌である。

2414  恋ふること慰めかねて出でて行けば山を川をも知らず来にけり
      (戀事 意追不得 出行者 山川 不知来)
 「慰めかねて」が悩ましい。単純に「慰めかねて」という心情ではないのだが、さりとてどんな心情なのか。「気を静める」とも「気を晴らす」とも取れる。ここは、あっさり「じっとしていられなくて」という表現が近そうだ。
 「あの子のことを思い焦がれていると、じっとしていられなくて、家から飛び出してきたが、どこの山とも川とも分からないまま見慣れない所までやってきてしまった」という歌である。

 頭注区分に「物に託して思いを述べる」とある。
2415  娘子らを袖振る山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我れは
      (處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者)
 501番歌に「娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは」とある。ほぼ同一歌。袖布留山(そでふるやま)は奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)。瑞垣(みづがき)は神宮の境界(垣)で、常緑樹で作られている。
 「乙女たちが袖を振ったという神宮は久しく以前から鎮座し給うているが、私も長らくずっとあなたのことを思っている」という歌である。

2416  ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
      (千早振 神持在 命 誰為 長欲為)
 「ちはやぶる」は枕詞。「神の持たせる命」とはやや持って回った言い方。原文に「神持在命」とあり、「神がお持ちの故にある命」、すなわち「生かされている命」という意味である。
 「神様によって生かされているに過ぎない命ですもの。どなたのために長く生きたいというのでしょう」という歌である。

2417  石上布留の神杉神さぶる恋をも我れはさらにするかも
      (石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨)
 「石上布留」は前々歌の「袖振る山」を参照。「神さぶる」は「古びた」という意味である。
 「石上神宮の古い古い神杉のようにすっかり年老いてしまったこの私でも、恋の道におちたようだ」という歌である。

2418  いかならむ名負ふ神に手向けせば我が思ふ妹を夢にだに見む
      (何 名負神 幣嚮奉者 吾念妹 夢谷見)
 「いかならむ名負ふ神に」は「どんな名の神様に」という意味である。「手向け」はお供えをすること。
 「どんな名の神様にお供えをしてお願いすれば、夢の中でもいいが、恋しい彼女に逢えるのだろう」という歌である。

2419  天地といふ名の絶えてあらばこそ汝と我れと逢ふことやまめ
      (天地 言名絶 有 汝吾 相事止)
 結句の「逢ふことやまめ」は反語表現。「逢うこともなくなるだろうけれど」という意味である。
 「天や地というものがなくなってしまえばあなたと私の二人が逢うこともなくなるだろうけれど」という歌である。

2420  月見れば国は同じぞ山へなり愛し妹はへなりたるかも
      (月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨)
 「へなり」は「隔てられている」という意味。
 「同じ月が見えるのだから同じ国にいる。なのに山に隔てられ、愛しい彼女は遠く隔てられている」という歌である。
           (2015年4月15日記、2018年10月26日)
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青いアサガオ

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 先週、久々に相棒を小牧の実家に送っていった。彼女は運転ができないので、送迎の役割を私が勤めている。と言いながら、実は私の照れ隠しであって、私のような者につき合ってくれる彼女だけに、喜んでその役割を引き受けている。今回も彼女を送り届けた後、喫茶店で待つことにした。
 8月にデジカメを忘れるというドジをやらかした、喫茶やまざとである。小牧山の麓にある喫茶店だが、老夫婦でやっている店である。顔なじみになり、小牧に寄るとたいてい寄ることにしている。
 さて、店の前に車を停め、店内に入る前に店の背後に回ってみた。そこは小牧山の麓の小川で、時に美しい花が咲いている。今回は青い鮮やかな花で、どう見てもアサガオ。が、10月下旬に咲いている。何だか季節はずれである。時刻も昼下がりで、アサガオというよりヒルガオのように思われた。が、鮮烈さはアサガオ。何だろう、何だろうと気にしながら、玄関に回って店内に入った。
 注文を取りに来た女将さんに、今撮ってきたばかりの写真を見せると、彼女は言った。
 「ああ、これアサガオ。二週間ほど前まで玄関に咲いてました。つるがずっと延びていって、川べりまで行って花開いたのね」
 私は驚いて女将さんの顔を見つめた。玄関前から川べりまで十メートルほどもあろうか。季節はずれとも見える時期も何のその、何というたくましい生命力だろう。私は彼女に断わって店を出、太くたくましく延びたつるをたどって先刻のアサガオをしげしげ眺め、店に戻ってきた。
 私にしては大変な発見だった。いつ相棒が終わるとも知れなくて、一見大変な待ちぼうけに見えるが、何々私は少しも退屈しなかったのである。
           (2018年10月26日)
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チビの死-1

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 飼い猫のチビが27日に死んだ。死んでから四日目になる。きょうまでパソコンに向かう気になれず、文章を綴る気もしなかった。私にとってチビは相棒そのものであり、私の実質的な精神的支えだった。
   チビ逝きて動揺去らぬ我なりき様(さま)を思うに思わず涙 (桐山芳夫)
 チビの様子に異変が生じ始めたのは今月始め頃。それまで毎晩添い寝にやってきたのが、やってこなくなった。やってきても、5,6分いるだけで去っていく。食欲は旺盛で、一点を除けば、健康そのものに見受けられた。一点とは「盛んに首や首筋を掻きむしるようになった」この一点である。
 相棒の彼女がチビくんを洗ってくれたが、その時、チビくんはむしり傷なのか出血していたという。食欲旺盛で元気いっぱいの様子だったので、その出血を軽くみてしまった。
 一週間後、彼女は再度、シャンプーでチビくんを洗ってくれた。やはり、出血していて、心配だったが、やはり食欲旺盛で元気いっぱいの様子だったので、あまり深く考えなかった。それから十日間ほど体中に小さな虫がいるのに気付いた。うじゃうじゃと・・・。
 急に心配になって、動物病院へ連れていった。22日のことである。
 「猫ノミがたかっている」というので、薬剤を上首のあたりに注入してくれた。それから急速に元気がなくなり、25日に再度動物病院に連れて行った。「臨終近し」と告げられ、点滴を投与してくれた。
 その夜と次の二夜、ふらふらしながら、私の寝床に寄り添ってきて、そのまま朝まで寝た。そして27日になくなったのである。
   必死なる思いで我に寄り添い来チビ朝までも共に寝たりき  (桐山芳夫)
 チビは私に「さようなら」を言いにきたのだろうか。悲しくてたまらない。
           (2018年10月30日)
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万葉集読解・・・156(2421~2439番歌)

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     万葉集読解・・・156(2421~2439番歌)
2421  来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに
      (縿路者 石踏山 無鴨 吾待公 馬爪盡)
 「なくもがも」は「ないといいのに」という意味。男を待つ女性の歌。
 「やって来られる山道にごつごつした岩などがなければいいのに。お待ちするあの方の馬がつまづくといけないから」という歌である。

2422  岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
      (石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨)
 「へなれる」は2420番歌に「~山へなり~」と出てきたばかりだが、「隔てる」という意味である。「逢はぬ日まねみ」は「逢えない日が続くので」という意味。「~ので」の「み」。
 「岩山で隔てられているわけではないが、逢えない日が続くのでずっと恋しくてなりません」という歌である。

2423  道の後深津島山しましくも君が目見ねば苦しかりけり
      (路後 深津嶋山 蹔 君目不見 苦有)
 「道の後(しり)」は備後の国(広島県東部)のこと。「深津島山」は備後にあった山(福山市)だが、ここまでは「しましくも」を導く序歌。「しましく」は「しばらくの間」という意味である。
 「備後の国の深津島山ではありませんが、しばらくの間でもあなたに逢えないと苦しくてたまりません」という歌である。

2424  紐鏡能登香の山も誰がゆゑか君来ませるに紐解かず寝む
      (紐鏡 能登香山 誰故 君来座在 紐不開寐)
 「紐鏡(ひもかがみ)」は本歌以外に一例もない。こういう場合、「岩波大系本」や「伊藤本」は枕詞としていることが多い。が、一例だけでは枕詞(?)である。「能登香(のとか)の山」とあるが、非常に珍しい名称の山だ。岡山県美作市に能登香温泉という温泉がある。前歌に出てくる深津島山と遠くなく、能登香温泉とみてよかろう。各書とも上二句は序歌とみなし、実質は下三句の歌と解している。「ほかならぬあなたがいらっしゃったのですもの、共寝しないなんてことがあるでしょうか」といった歌意だとしている。結句が反語表現である点は私も異論はない。が、「君来ませるに紐解かず寝む」はあまりに単刀直入で、ぴんと来ない。第一、「紐鏡能登香の山も」を序歌とした場合、何を導こうとしているか分からない。これは序歌ではなく、紐鏡は飾り紐の付いた大鏡(姿見)、「能登香の山」は「能登香の湯」のことだと私は解す。
 「紐で飾った姿見を据え付けてお待ちしている能登香の湯。ほかならぬあなた様ですもの。そのままお帰しするなんてことがありましょうか」という歌である。

2425  山科の木幡の山を馬はあれど徒歩より我が来し汝を思ひかねて
      (山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得)
 山科は京都市山科区。そこの木幡の山を越えるのに馬ではなく徒歩で越えてきたことを示している。
 「山科の木幡の山を、馬を用意する間ももどかしく、徒歩でやってきた。そなたに一刻も早く逢いたくて」という歌である。

2426  遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば我れ恋ひにけり
      (遠山 霞被 益遐 妹目不見 吾戀)
 「いや遠(とほ)に」は「ますます遠く思われて」という意味。「妹が目見ねば」は「彼女に逢っていないので」という意味である。
 「霞がたなびき、山が遠く見えるように、彼女がますます遠く思われ、彼女に逢っていないので恋しさが募るばかり」という歌である。

2427  宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも
      (是川 瀬々敷浪 布々 妹心 乗在鴨)
 宇治川は京都府宇治市を流れる川。「しき波」は短歌としては本歌だけだが、3339番長歌に「~畏きや神の渡りのしき波の寄する浜辺に~」の例がある。「繰り返し寄せてくる波」。「しくしくに」は2234番歌に「一日には千重しくしくに我が恋ふる妹が~」とあったように、「しきりに」という意味である。
 「宇治川の瀬々に繰り返し寄せてくる波のように、しきりに彼女のことが心に押し寄せてくる」という歌である。

2428  ちはや人宇治の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後も我が妻
      (千早人 宇治度 速瀬 不相有 後我孋)
 「ちはや人」はもう一例1139番歌にある。本歌と併せて二例とも「急ぐ人々」と解してよさそうだ。枕詞(?)である。「早み」は「~ので」の「み」。
 「急ぐ人々のように宇治川の渡場の流れが早いので、逢えないでいるが、この先々きっと私の妻になる人と思っている」という歌である。

2429  はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ
      (早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤)
 「はしきやし」は「愛(いと)しい」という意味。「いたづらに」は「甲斐もなく」という意味である。
 「愛しいあの子に逢おうと宇治川の瀬に降りてみるが、甲斐もなく、裳裾を濡らすばかり」という歌である。

2430  宇治川の水泡さかまき行く水の事かへらずぞ思ひ染めてし
      (是川 水阿和逆纒 行水 事不反 思始為)
 「事(こと)かへらずぞ」は「元に戻しようがなく」という意味である。
 「宇治川が水泡を立て、さかまきながら流れ下っていくように、彼女への思いは戻しようがなくとどめようがない」という歌である。

2431  鴨川の後瀬静けく後も逢はむ妹には我れは今ならずとも
      (鴨川 後瀬静 後相 妹者我 雖不今)
 「後瀬(のちせ)静けく」は「急流の瀬を越えたあとはゆったりとした流れになる」という意味である。
 「鴨川は急流の瀬を越えたあとはゆったりとした流れになる。そんな風に穏やかな気持になって彼女に逢おう。今、急いで逢おうとしなくとも」という歌である。

2432  言に出でて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞きとめにけり
      (言出 云忌々 山川之 當都心 塞耐在)
 「言(こと)に出でて」は「口に出して」という、「ゆゆしみ」は「はばかられるので」という意味である。「み」は「~ので」の「み」。「塞きとめにけり」は「塞(せ)かへたりけり」という訓もあるが、不自然と思うので、こうした。
 「口に出して言うのははばかられるので、山を下る川の激流のような激しい思いをぐっとこらえた」という歌である。

2433  水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむと誓ひつるかも
      (水上 如數書 吾命 妹相 受日鶴鴨)
 上三句を各書とも「水面に数を書くような私の命」すなわち「はかない命」と解している。こう解すると、下二句につながりにくい。「はかない命」だから「誓う(神に祈る)」ではぴんと来ない。「はかない命」ではなく、「取るに足りない身」と解すれば歌意が通る。私はこう解しておきたい。
 「水面に数を書くような、取るに足りない私だが、なんとか彼女に逢えないかと誓いを立てている(神に祈っている)」という歌である。

2434  荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも
      (荒礒越 外徃波乃 外心 吾者不思 戀而死鞆)
 「荒礒越し外(ほか)行く波の」までは移り気の比喩。「あなた一筋」という歌である。
 「砕け散り荒礒を越えてよそに向かう波のように私は心を移したりしない。たとえ恋に焦がれ死ぬようなことがあっても」という歌である。

2435  近江の海沖つ白波知らずとも妹がりといはば七日越え来む
      (淡海々 奥白浪 雖不知 妹所云 七日越来)
 「妹がり」は「彼女のもと」という意味。「七日越え来む」は「何日かかっても」という意味である。
 「琵琶湖の沖の白波のようにどこの家かわからないけれど、何日かかっても彼女の所へやって来ますとも」という歌である。

2436  大船の香取の海にいかり下ろしいかなる人か物思はずあらむ
      (大船 香取海 慍下 何有人 物不念有)
 「香取の海」であるが、本歌前後に琵琶湖にかかる歌が並んでいる。本歌もそうだとすると、琵琶湖中南部のどこかの湖岸と思われる。琵琶湖中南部(ささなみ)を詠った一連の歌の一つ1172番歌に「いづくにか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出来る舟」とあるからである。高島は現高島市のある一帯。「~いかり下ろし」は「いかなる人か」を導く序歌。結句は反語表現。
 「大船が香取の海にいかりを下ろしたというのではないが、いかなる人が恋に悩まないというのだろう」という歌である。

2437  沖つ藻を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも
      (奥藻 隠障浪 五百重浪 千重敷々 戀度鴨)
 「~五百重波(いほへなみ)」は「千重しくしくに」を導く序歌。「しくしくに」は「しきりに」という意味である。
 「沖の藻にかぶさる波が幾重にも押し寄せるように、しきりに恋心が続いて止みません」という歌である。

2438  人言はしましぞ我妹綱手引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
      (人事 蹔吾妹 縄手引 従海益 深念)
 人言(ひとこと)は人の噂、「しまし」は「しばらくの間」という意味。我妹(わぎも)に呼びかけている歌。「綱手引く」は「小舟を引き寄せる」という、「海ゆ」は「海より」という意味である。
 「人の噂はいっときのこと、私のそなたよ。海岸では小舟を綱で引き寄せるけれど、その海の深さより私のそなたへの思いは深いのだよ」という歌である。

2439  近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく
      (淡海 奥嶋山 奥儲 吾念妹 事繁)
 沖つ島は琵琶湖中央部東寄りに浮かぶ島。「奥まけて」の「奥」を導く序歌に使用されている。「奥まけて」は1485番歌に「夏まけて咲きたるはねず(朱色の花)~」とあり、「待ち受けて」ないし「ずっと思い定めて」という意味である。
 「近江の海の沖の島のように、ずっと思い定めている彼女には何かと噂が絶えない」という歌である。
           (2015年4月19日記、2018年11月1日))
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万葉集読解・・・156(2421~2439番歌)

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     万葉集読解・・・156(2421~2439番歌)
2421  来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに
      (縿路者 石踏山 無鴨 吾待公 馬爪盡)
 「なくもがも」は「ないといいのに」という意味。男を待つ女性の歌。
 「やって来られる山道にごつごつした岩などがなければいいのに。お待ちするあの方の馬がつまづくといけないから」という歌である。

2422  岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
      (石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨)
 「へなれる」は2420番歌に「~山へなり~」と出てきたばかりだが、「隔てる」という意味である。「逢はぬ日まねみ」は「逢えない日が続くので」という意味。「~ので」の「み」。
 「岩山で隔てられているわけではないが、逢えない日が続くのでずっと恋しくてなりません」という歌である。

2423  道の後深津島山しましくも君が目見ねば苦しかりけり
      (路後 深津嶋山 蹔 君目不見 苦有)
 「道の後(しり)」は備後の国(広島県東部)のこと。「深津島山」は備後にあった山(福山市)だが、ここまでは「しましくも」を導く序歌。「しましく」は「しばらくの間」という意味である。
 「備後の国の深津島山ではありませんが、しばらくの間でもあなたに逢えないと苦しくてたまりません」という歌である。

2424  紐鏡能登香の山も誰がゆゑか君来ませるに紐解かず寝む
      (紐鏡 能登香山 誰故 君来座在 紐不開寐)
 「紐鏡(ひもかがみ)」は本歌以外に一例もない。こういう場合、「岩波大系本」や「伊藤本」は枕詞としていることが多い。が、一例だけでは枕詞(?)である。「能登香(のとか)の山」とあるが、非常に珍しい名称の山だ。岡山県美作市に能登香温泉という温泉がある。前歌に出てくる深津島山と遠くなく、能登香温泉とみてよかろう。各書とも上二句は序歌とみなし、実質は下三句の歌と解している。「ほかならぬあなたがいらっしゃったのですもの、共寝しないなんてことがあるでしょうか」といった歌意だとしている。結句が反語表現である点は私も異論はない。が、「君来ませるに紐解かず寝む」はあまりに単刀直入で、ぴんと来ない。第一、「紐鏡能登香の山も」を序歌とした場合、何を導こうとしているか分からない。これは序歌ではなく、紐鏡は飾り紐の付いた大鏡(姿見)、「能登香の山」は「能登香の湯」のことだと私は解す。
 「紐で飾った姿見を据え付けてお待ちしている能登香の湯。ほかならぬあなた様ですもの。そのままお帰しするなんてことがありましょうか」という歌である。

2425  山科の木幡の山を馬はあれど徒歩より我が来し汝を思ひかねて
      (山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得)
 山科は京都市山科区。そこの木幡の山を越えるのに馬ではなく徒歩で越えてきたことを示している。
 「山科の木幡の山を、馬を用意する間ももどかしく、徒歩でやってきた。そなたに一刻も早く逢いたくて」という歌である。

2426  遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば我れ恋ひにけり
      (遠山 霞被 益遐 妹目不見 吾戀)
 「いや遠(とほ)に」は「ますます遠く思われて」という意味。「妹が目見ねば」は「彼女に逢っていないので」という意味である。
 「霞がたなびき、山が遠く見えるように、彼女がますます遠く思われ、彼女に逢っていないので恋しさが募るばかり」という歌である。

2427  宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも
      (是川 瀬々敷浪 布々 妹心 乗在鴨)
 宇治川は京都府宇治市を流れる川。「しき波」は短歌としては本歌だけだが、3339番長歌に「~畏きや神の渡りのしき波の寄する浜辺に~」の例がある。「繰り返し寄せてくる波」。「しくしくに」は2234番歌に「一日には千重しくしくに我が恋ふる妹が~」とあったように、「しきりに」という意味である。
 「宇治川の瀬々に繰り返し寄せてくる波のように、しきりに彼女のことが心に押し寄せてくる」という歌である。

2428  ちはや人宇治の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後も我が妻
      (千早人 宇治度 速瀬 不相有 後我孋)
 「ちはや人」はもう一例1139番歌にある。本歌と併せて二例とも「急ぐ人々」と解してよさそうだ。枕詞(?)である。「早み」は「~ので」の「み」。
 「急ぐ人々のように宇治川の渡場の流れが早いので、逢えないでいるが、この先々きっと私の妻になる人と思っている」という歌である。

2429  はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ
      (早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤)
 「はしきやし」は「愛(いと)しい」という意味。「いたづらに」は「甲斐もなく」という意味である。
 「愛しいあの子に逢おうと宇治川の瀬に降りてみるが、甲斐もなく、裳裾を濡らすばかり」という歌である。

2430  宇治川の水泡さかまき行く水の事かへらずぞ思ひ染めてし
      (是川 水阿和逆纒 行水 事不反 思始為)
 「事(こと)かへらずぞ」は「元に戻しようがなく」という意味である。
 「宇治川が水泡を立て、さかまきながら流れ下っていくように、彼女への思いは戻しようがなくとどめようがない」という歌である。

2431  鴨川の後瀬静けく後も逢はむ妹には我れは今ならずとも
      (鴨川 後瀬静 後相 妹者我 雖不今)
 「後瀬(のちせ)静けく」は「急流の瀬を越えたあとはゆったりとした流れになる」という意味である。
 「鴨川は急流の瀬を越えたあとはゆったりとした流れになる。そんな風に穏やかな気持になって彼女に逢おう。今、急いで逢おうとしなくとも」という歌である。

2432  言に出でて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞きとめにけり
      (言出 云忌々 山川之 當都心 塞耐在)
 「言(こと)に出でて」は「口に出して」という、「ゆゆしみ」は「はばかられるので」という意味である。「み」は「~ので」の「み」。「塞きとめにけり」は「塞(せ)かへたりけり」という訓もあるが、不自然と思うので、こうした。
 「口に出して言うのははばかられるので、山を下る川の激流のような激しい思いをぐっとこらえた」という歌である。

2433  水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむと誓ひつるかも
      (水上 如數書 吾命 妹相 受日鶴鴨)
 上三句を各書とも「水面に数を書くような私の命」すなわち「はかない命」と解している。こう解すると、下二句につながりにくい。「はかない命」だから「誓う(神に祈る)」ではぴんと来ない。「はかない命」ではなく、「取るに足りない身」と解すれば歌意が通る。私はこう解しておきたい。
 「水面に数を書くような、取るに足りない私だが、なんとか彼女に逢えないかと誓いを立てている(神に祈っている)」という歌である。

2434  荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも
      (荒礒越 外徃波乃 外心 吾者不思 戀而死鞆)
 「荒礒越し外(ほか)行く波の」までは移り気の比喩。「あなた一筋」という歌である。
 「砕け散り荒礒を越えてよそに向かう波のように私は心を移したりしない。たとえ恋に焦がれ死ぬようなことがあっても」という歌である。

2435  近江の海沖つ白波知らずとも妹がりといはば七日越え来む
      (淡海々 奥白浪 雖不知 妹所云 七日越来)
 「妹がり」は「彼女のもと」という意味。「七日越え来む」は「何日かかっても」という意味である。
 「琵琶湖の沖の白波のようにどこの家かわからないけれど、何日かかっても彼女の所へやって来ますとも」という歌である。

2436  大船の香取の海にいかり下ろしいかなる人か物思はずあらむ
      (大船 香取海 慍下 何有人 物不念有)
 「香取の海」であるが、本歌前後に琵琶湖にかかる歌が並んでいる。本歌もそうだとすると、琵琶湖中南部のどこかの湖岸と思われる。琵琶湖中南部(ささなみ)を詠った一連の歌の一つ1172番歌に「いづくにか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出来る舟」とあるからである。高島は現高島市のある一帯。「~いかり下ろし」は「いかなる人か」を導く序歌。結句は反語表現。
 「大船が香取の海にいかりを下ろしたというのではないが、いかなる人が恋に悩まないというのだろう」という歌である。

2437  沖つ藻を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも
      (奥藻 隠障浪 五百重浪 千重敷々 戀度鴨)
 「~五百重波(いほへなみ)」は「千重しくしくに」を導く序歌。「しくしくに」は「しきりに」という意味である。
 「沖の藻にかぶさる波が幾重にも押し寄せるように、しきりに恋心が続いて止みません」という歌である。

2438  人言はしましぞ我妹綱手引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
      (人事 蹔吾妹 縄手引 従海益 深念)
 人言(ひとこと)は人の噂、「しまし」は「しばらくの間」という意味。我妹(わぎも)に呼びかけている歌。「綱手引く」は「小舟を引き寄せる」という、「海ゆ」は「海より」という意味である。
 「人の噂はいっときのこと、私のそなたよ。海岸では小舟を綱で引き寄せるけれど、その海の深さより私のそなたへの思いは深いのだよ」という歌である。

2439  近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく
      (淡海 奥嶋山 奥儲 吾念妹 事繁)
 沖つ島は琵琶湖中央部東寄りに浮かぶ島。「奥まけて」の「奥」を導く序歌に使用されている。「奥まけて」は1485番歌に「夏まけて咲きたるはねず(朱色の花)~」とあり、「待ち受けて」ないし「ずっと思い定めて」という意味である。
 「近江の海の沖の島のように、ずっと思い定めている彼女には何かと噂が絶えない」という歌である。
           (2015年4月19日記、2018年11月1日))
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チビの死ー2

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 飼い猫のチビ君の死去から一週間。思い出が多すぎ、書きたいことがいっぱいありそうである。禁を破って5,6回は連続して記すつもりだった。が、思い出をたどればたどるほど悲しみが増し、筆が重くなる。「いつまでうじうじしているんだ」とチビ君自身に叱られそうだ。で、チビ君のことはこれでおしまいにしたい。
 チビが生まれたのは2005年7月9日。生まれてまもなく我が家にやってきたので、13年余も私と共に暮らしたことになる。チビにしてみたら、私は父親というより母。否母親そのものだったに相違ない。一、二歳で成長し、以来、ほとんど毎晩私のところにやってきた。冬が近くなると、毎晩布団に潜り込んできて、添い寝状態になった。息苦しくなって、布団から出ても、布団から去ることはなく、その上で朝まで共寝した。
 私が机に向かっていると、机に飛び乗ってきて、初めの内は私の作業の邪魔をした。が、それも次第に、キーボードや私の手を避けるようにようになり、まるで私のやっていることが分かっているような様子だった。
 洗面台に飛び乗って水を飲むことを覚え、しばしば飛び乗ってきて水を飲んだ。飲み放しのままにして、水道が流れ放しの時期が続いた。が、その内に私の所にやってきて「水を止めたらどうなの」と言わんばかりに「ニャーゴ、ニャーゴ」と知らせるようになった。
 一番不思議なのは、機嫌がいいときは「握手、握手」と言って片手づつ求めると、おもむろに片手づつ出すことだった。「犬でもないのに」と思うと、おかしくてならなかった。
 これらはほんの一例だが、まるで「ツーカー」のような間柄だった。
   相棒は亡くなられてみてぽっかりと穴あきしまま埋めようもなし (桐山芳夫)
 同じ生き物として、同じ空間と同じ時間を共有してきたかと思うと、いい知れない思いに捉えられる。チビ君、本当に今日までありがとう。以上。
           (2018年11月2日)
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万葉集読解・・・157(2440~2460番歌)

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     万葉集読解・・・157(2440~2460番歌)
2440  近江の海沖漕ぐ舟のいかり下ろし隠りて君が言待つ我れぞ
      (近江海 奥滂船 重下 蔵公之 事待吾序)
 「~いかり下ろし」の上三句は「隠(こも)りて」の比喩的序歌。「近江の海」は琵琶湖のこと。「隠りて」は「家にこもって」という意味である。
 「琵琶湖の沖合を漕ぐ舟が湖中にいかりを降ろして停泊した、そのいかりのように私は家にこもってあなた様の便りを待っています」という歌である。

2441  隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを
      (隠沼 従裏戀者 無乏 妹名告 忌物矣)
 「隠(こも)り沼(ぬ)の下ゆ」。「沼の下ゆ」のみで十分に意を尽くしている。その沼自身が木々の茂みや葉に覆われていて「密かに」を強調する表現になっている。「すべをなみ」は「どうしようもなく」という意味である。
 「隠り沼のように密かに恋い焦がれていると、どうしようもない思いになって思わず彼女の名を告げてしまった。滅多に(人前に)口に出すべきじゃないと分かってはいるが」という歌である。

2442  大地は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり
      (大土 採雖盡 世中 盡不得物 戀在)
 どうにもならない恋心を詠ったもの。
 「大地なら(人出や時間をかければ)取り尽くせるだろうが、どうにもならないのは恋。恋ばかりは取り尽くせない」という歌である。

2443  隠りどの沢泉なる岩が根も通してぞ思ふ我が恋ふらくは
      (隠處 澤泉在 石根 通念 吾戀者)
 「隠りどの」は「人目につかない」という意味。「岩が根」は根を下ろしたように頑丈な岩。 「隠れた沢や泉を流れ下る激流にがっしりと根を張った岩。その岩をも貫き通さんばかりだ。私のこの恋心は」という歌である。

2444  白真弓石辺の山の常磐なる命なれやも恋ひつつ居らむ
      (白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居)
 「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のこと。枕詞的に使われている。他方、石の白さを強調しているとも取れる。「常磐(ときは)なる命なれやも」は命短いことを反語的に表現している。
 「この命は永久不変の真っ白な岩とでもいうのか。こうしていつまで恋続けていればいいのだろう」という歌である。

2445  近江の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそまされ
      (淡海々 沈白玉 不知 従戀者 今益)
 「近江の海」は琵琶湖のこと。「沈(しづ)く白玉知らずして」は「沈んだ白玉のように恋というものを知らなかったが」という、「恋ひせしよりは」は「現実に恋するようになってから」という意味である。
 「琵琶湖に沈んだ白玉のように恋というものを知らなかったが、現実に恋してみると知ってからの方がまさる」という歌である。

2446  白玉を巻きてぞ持てる今よりは我が玉にせむ知れる時だに
      (白玉 纒持 従今 吾玉為 知時谷)
 やや理屈っぽい歌である。結句の「知れる時だに」の「知れる」は久々に出合った表現。『古事記』や『日本書紀』によく使われていて、「支配する」という意味である。
 「白玉を腕に巻いている今からは、私だけの玉にしよう。占有できる時期がやってきたのだ」という歌である。

2447  白玉を手に巻きしより忘れじと思ひけらくは何か終らむ
      (白玉 従手纒 不忘 念 何畢)
 「思ひけらくは」は「この満ち足りた思いは」という意味。「終(をは)らむ」は「終わりにするものか」という意味である。
 「白玉を手中にした時からこの満ち足りた思いは忘れるものかと思い、これがいつまでも続いてほしいと願う」という歌である。

2448  白玉の間開けつつ貫ける緒もくくり寄すれば後もあふものを
      (白玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物)
 結句「後もあふものを」は「結局最後は結び合わさるというではないか」という意味である。一緒になれるという寓意。
 「白玉と白玉の間を開け、紐に通していくけれど、くくり寄せれば、結局最後は結び合わさるというではないか」という歌である。

2449  香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも
      (香山尓 雲位桁曵 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨)
 香具山は奈良県橿原市の山。耳成山、畝傍山と共に大和三山をなす。雲居(くもゐ)は「雲がかかった状態」。「おほほしく」は「ぼんやりと」という意味。「子ら」は親愛の「ら」。
 「香具山に雲がかかってたなびいているように、ぼんやりと見かけただけのあの子だけど、後日恋することになるのだろうか」という歌である。

2450  雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも
      (雲間従 狭や月乃 於保々思久 相見子等乎 見因鴨)
 「おほほしく」と「子ら」は前歌参照。「見むよしもがも」の「よし」は「由」、すなわち「きっかけや手段」のこと。
 「雲間を渡っていく月のように、ぼんやりと見かけただけのあの子だけど、逢うきっかけでもあればなあ」という歌である。

2451  天雲の寄り合ひ遠み逢はずとも異し手枕我れまかめやも
      (天雲 依相遠 雖不相 異手枕 吾纒哉)
 「寄り合ひ遠み」は「~ので」の「み」。「寄り合う果てが遠いので」という意味。「異(あた)し手枕」は「君以外の女性を手枕に」という意味である。
 「天と雲が寄り合う遙か果てのような所では遠くて逢えないが、さりとて別の女性と共寝するものですか」という歌である。

2452  雲だにもしるくし立たば慰めて見つつも居らむ直に逢ふまでに
      (雲谷 灼發 意追 見乍居 及直相)
 「しるくし立たば」は「はっきりと出てくれれば」という意味。
 「せめて雲のようにはっきりと浮かび出てくれれば、慰めに眺めていよう。直接逢える日が来るまで」という歌である。

2453  春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ
      (春楊 葛山 發雲 立座 妹念)
 春柳は本歌と840番歌の二例のみ。枕詞(?)。葛城(かつらぎ)山は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町に跨がる二上山から金剛山にかけての山。
 「春柳の季節に彩られた葛城山に湧き上がった雲のように立っても居てもいつも彼女のことが思われてならない」という歌である。

2454   春日山雲居隠りて遠けども家は思はず君をしぞ思ふ
      (春日山 雲座隠 雖遠 家不念 公念)
 春日山は奈良県春日神社の東の山。「家は思はず」は「自分の家よりもあなたのこと」という意味なので、きっと旅の帰路の歌に相違ない。
 「春日山は雲に隠れてまだ遠く、家までまだ遠いけれど、その家のことよりあなたのことが思われてなりません」という歌である。

2455  我がゆゑに言はれし妹は高山の嶺の朝霧過ぎにけむかも
      (我故 所云妹 高山之 峯朝霧 過兼鴨)
 第三句「高山の」以下は比喩。
 「私のためにとかく噂がたってしまった彼女は、高山の嶺に立ちこめていた朝霧が引いてしまったように、もう相手にしてくれなくなったのだろうか」という歌である。

2456  ぬばたまの黒髪山の山草に小雨降りしきしくしく思ほゆ
      (烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷 益々所<思>)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。黒髪山は1241番歌にも詠われている。奈良市の山。
 「黒髪山の草葉に小雨がしきりに降っている。その小雨のように私もしきりに彼女のことが思われてならない」という歌である。

2457  大野らに小雨降りしく木の下に時と寄り来ね我が思ふ人
      (大野 小雨被敷 木本 時依来 我念人)
 初句の「大野らに」であるが、「佐々木本」では「大野に」という訓になっている。ふりがなが施されていないが「おほきのに」と読むのだろう。「時と寄り来ね」は「今が時だとお寄りになったら」という意味である。
 「広々とした野に小雨が降りしきっている。こんな時だからこそ、雨宿りにこの木の根元にお寄りになったら、わが思う人よ」という歌である。

2458  朝霜の消なば消ぬべく思ひつついかにこの夜を明かしてむかも
      (朝霜 消々 念乍 何此夜 明鴨)
 「朝霜の消なば消ぬべく」は「朝霜のように消えるなら消えてしまう」という意味である。
 「朝霜のようにやがて消えるなら消えてしまうだろうと思いながらもなかなか消えぬこの思い。どうやってこの夜をやり過ごしたらいいのだろう」という歌である。

2459  我が背子が浜行く風のいや急に事を急がばいや逢はざらむ
      (吾背兒我 濱行風 弥急 急事 益不相有)
 第四句、五句の原文「急事 益不相有」の訓は以下のようになっている。
 「急事(はやこと) 増(ま)して逢はずてあるらむ」・・・「佐々木本」
 「急事(はやこと) なさばいや逢はざらむ」・・・「岩波大系本」
 「急事(はやこと) 増(ま)して逢はずてあるらむ」・・・「伊藤本」
 「言(こと)を急(はや)みかまして逢はざらむ・・・「中西本」
 このように、色々あって一定していない。私は歌意を考えて頭書のような訓を付すことにした。
 「あの人が急に吹く浜風のように事を急かせるものだからもう逢わずにおこうかしら」という歌である。

2460  遠き妹が振り放け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき
      (遠妹 振仰見 偲 是月面 雲勿棚引)
 「振り放(さ)け見つつ」は「振り仰いで見ながら」という意味。「雲なたなびき」は「な~そ」の禁止形。
 「遠くの地で彼女が、振り仰いで月を見ながら私のことを思ってくれているに相違ない。雲よ月にたなびかないでおくれ」という歌である。
           (2015年4月24日記、2018年11月5日)
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尾張温泉

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 私は11月1,2日の二日間、相棒に誘われて、尾張温泉に行った。彼女の家風呂が工事だったため、風呂に入れず、尾張温泉につき合ったのである。尾張温泉は天然100%の、近在では珍しい天然温泉である。愛知県海部郡蟹江にある。
 ここ幾十年も、温泉はおろか普通の銭湯にも入ったことがない私。もっぱら家風呂につかってきたので、やや興味があった。
 ざっくり言うと、巨大な銭湯。ウイークデイにもかかわらず、そこそこ賑わっていた。土、日は大変な賑わいを見せることだろうと推察された。ともかく源泉100%の温泉。加えて脱衣所の脱衣ボックスが男女各二百、計四百近くもある。私がおぼつかない足取りだったせいか、どの人に声をかけても実に丁寧に親切に教えてくれた。飼い猫のチビが亡くなって日が浅く、彼女と温泉に出かけて、心身共にちょっぴり心がやすらいだ。
 風呂から出てきて、駐車場に戻ると、そこに尾張稲荷大社という神社があった。大社という割にはこじんまりした神社だ。はて大社(?)。私が巡り歩いた尾張式内社にはなかったっけ。もし式内大社なら温泉に勝るとも劣らない名所となる筈だが・・・。
 ちょっと調べてみると、温泉の第一号掘削の成功の際に京都の伏見稲荷から分霊を受けた分霊社の由。温泉の守護神。愛知県で唯一「日本名湯100選」に選ばれた温泉の由。
 全面的にリフレッシュとまではいかなかったが、やはり、温泉はいいもんですね。
   いい湯だな湯気の向こうに岩と人次第次第にほぐれゆく我  (桐山芳夫)
   手すり持ち恐る恐るに湯につかるチビを思いて涙流るる   (桐山芳夫)
      仰ぐ星湯にいて聞こゆきりぎりす   (桐山芳夫)
      天国の湯殿に遊ぶやチビの秋     (桐山芳夫)
 ここまで綴ってきて次の文句が出なくなった。
           (2018年11月6日)
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万葉集読解・・・158(2461~2478番歌)

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     万葉集読解・・・158(2461~2478番歌)
2461  山の端を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる恋ほしきまでに
      (山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀)
 「山の端を追ふ」は「山の端に近づく」すなわち「山の端にかかって沈まんとする」という意味に相違ない。「はつはつ」は1306番歌や2411番歌に詠われているように、「ちらりと見かける」という意味である。
 「山の端にかかって沈まんとする三日月のようにちらりと彼女を見ただけなのに、恋しさが募ってならない」という歌である。

2462  我妹子し我れを思はばまそ鏡照り出づる月の影に見え来ね
      (我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来)
 
 「我妹子し」は強調ないし呼びかけの「し」。「まそ鏡」は枕詞。「月の影に見え来ね」は「月面に面影として見えてきてほしい」という意味である。
 「ああ私の彼女、この私を思っていてくれるならこうこうと照り輝く月面に面影として浮かび出てきて欲しい」という歌である。

2463  久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ
      (久方 天光月 隠去 何名副 妹偲)
 「久方の」はお馴染みの枕詞。「なそへて」は「なぞらえて」という意味。
 「天空を照らす月が没してしまったら、何になぞらえて彼女をしのんだらいいのだろう」という歌である。

2464  三日月の清にも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ
      (若月 清不見 雲隠 見欲 宇多手比日)
 上三句は比喩。「清(さや)にも見えず」は「はっきりみえない」という意味。結句の「うたてこのころ」は1889番歌に詠われていたが、「この頃ますます」という意味である。
 「このごろ、三日月が雲に隠れてしまったように、あの人の消息が分からない。しきりに逢いたくてたまらない」という歌である。

2465  我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の草さへ思ひうらぶれにけり
      (我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。平明歌。
 「あの人に恋い焦がれてしょんぼりしていると、庭の草までもしょんぼりしている」という歌である。

2466  浅茅原小野に標結ふ空言をいかなりと言ひて君をし待たむ
      (朝茅原 小野印 <空>事 何在云 公待)
 浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」は、本来、松の木や岩にしっかりとしめ縄を張って囲い込むこと。浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。
 「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しいあなたのそらごとを、人にどう説明して待っていたらいいのでしょう」という歌である。

2467  道の辺の草深百合の後にとふ妹が命を我れ知らめやも
      (路邊 草深百合之 後云 妹命 我知)
 第三句「後にとふ」(原文「後云」)は、誰が見ても「後(のち)にとふ」としか読めない。959番歌「~明日ゆ後には(原文「後尓波」)~」、1895番歌「~後にも逢はむ(原文「後相」)~」等々多くの例がある。そして本歌もすなおに「後(のち)にとふ」と読む論者もいる。が、不思議なことに私の手元にある4書は一つの例外もなく「後」に「ゆり」と仮名をふっている。奇異な読みだが、不思議なことにどの書もなぜ「後」を「ゆり」と読むのか(あるいは読めるのか)何の説明もない。
 さて「ゆり」だが、「後(のち)に」という意味で「ゆり」が使用されている例は本歌以外に5例ある。先ず1503番歌に「我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る」とある。「ゆりと言へるは」の原文は「由利登云者」ではっきり「由利」と記されている。他の4例(4087番歌、4088番歌、4113番長歌及び4115番歌)はすべて「さ百合花ゆりも逢はむと」という用例でその原文は「左由理花 由利母安波無等」となっている。
 以上で、お分かりのように、本歌以外の5例はすべて原文が「由利」となっていて、「ゆり」でまぎれようがない。これから類推して本歌の「後云」を「後(ゆり)にとふ」と訓じたのだろう。これで万事解決といきたいが、不審も残る。万葉集成立時の読者が接するのはすべて漢字ばかりの原文。「後にとふ」を「後(ゆり)にとふ」と読ませたいなら、なぜ作者は「由利登云」としないで「後云」としたのだろう。「後云」はやはり「後(のち)にとふ」と普通に読むのがよい。これが私の結論。すっかり「ゆり」に手間どってしまった。
 「道の辺の深い茂みに隠れている百合のように、後ほど返事しますわと彼女はいうけれど、いつになるやら、いつまで待てばいいのだろう」という歌である。

2468  港葦に交じれる草の知草の人皆知りぬ我が下思ひは
      (湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念)
 港葦の原文は「湖葦」。「湖」がなぜ「港」と読めるのか。これも前歌の「後(ゆり)」同様、うるさくいえば疑問なしとしない。が、274番歌に「我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ~」とあり、港を意味する原文が「枚乃湖尓」となっている等いくつか例がある。知草(しりくさ)はどんな草か不詳。 「港に生えている葦に混じって生えている知草ではないが、密かに恋い慕うわが心をいつのまにか人が皆知るところとなってしまった」という歌である。

2469  山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず
      (山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止)
 山ぢさはエゴノキ科の落葉高木。平明歌。
 「山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているが、私の心もすっかりしょげている。けれども恋い焦がれる気持ちは一向に止まない」という歌である。

2470  港にさ根延ふ小菅しのびずて君に恋ひつつありかてぬかも
      (湖 核延子菅 不竊隠 公戀乍 有不勝鴨)
 「さ根延(は)ふ」の「さ」は強意等の接頭語。「さ霧」、「さ百合」等々。「しのびずて」は「隠れてじっとしていることが出来なくて」という意味である。「ありかてぬかも」は「そのままじっとできない」、すなわち「いてもたってもいられない」という意味。
 「港に密かに根を伸ばす小菅のように隠れてじっとしていることが出来なくて、あなたに恋い焦がれて、いてもたってもいられません」という歌である。

2471  山背の泉の小菅なみなみに妹が心を我が思はなくに
      (山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念)
 「山背(やましろ)の泉」は京都の泉地区。「小菅」は丈の低い菅。菅は菅笠等に使用する。「なみなみに(並々に)」を導く序歌。は「並々に」という意味。
 「山背の泉に生える小菅が風を受けて波打っている。そんな並々ほどにしか彼女のことを思っているわけではないのに」という歌である。

2472  見わたしの三室の山の巌菅ねもころ我れは片思ぞする [一云 三諸の山の岩小菅]
      (見渡 三室山 石穂菅 惻隠吾 片念為 [一云 三諸山之 石小菅])
 「三室の山」は「神々がまつられている山」のこと。「巌菅(いはほすげ)」は「岩小菅」のこと。「ねもころ」を導く序歌。
 「見渡しの三室の山の岩菅の根のように密かに私は片思いをしています」という歌である。 異伝歌は「三室の山」が「三諸の山」となっている。

2473  菅の根のねもころ君が結びてし我が紐の緒を解く人もなし
      (菅根 惻隠君 結為 我紐緒 解人不有)
 読解不要の平明歌。
 「菅の根のようにあなたがしっかり結んで下さった着物の紐。その紐を解く人はあなた以外にありませんわ」という歌である。

2474  山菅の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹かも年は経につつ
      (山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍)
「山菅の乱れ恋のみ」は「山菅の根のように入り乱れた恋心のみ」という意味である。
 「山菅の根のように入り乱れた恋心を起こさせておきながら彼女は逢ってくれない、年月は過ぎていくのに」という歌である。

2475  我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず
      (我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生)
 しだ草は羊歯(シダ)類の一種かと目される。「恋忘れ草」は忘れようとする気持の強調。
 「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」という歌である。

2476  打つ田には稗はしあまたありといへど選えし我れぞ夜をひとり寝る
      (打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿)
 「打つ田」は「耕した田」、「稗はし」は強調の「し」。稗は米の食べられない庶民が米の代替に食べた粗末な食物。「選(えら)えし」は「よりによって」という意味である。自虐的な響きのある歌である。
 「耕す田には捨て去る稗がまだ数多く残っている。その稗さえ残っているのに、よりにもよってこの私が捨てられ、一人寝をしなければならない」という歌である。

2477  あしひきの名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも
      (足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「あしひきの名を負っている山の菅」とは、ややもってまわった序歌だが、「その山菅を押し伏せるように」と言いたいだけの比喩的序歌。
 「山菅を押し伏せるように強く結ばれたいとおっしゃるなら、逢わずにおくことなどありましょうか」という歌である。

2478  秋柏潤和川辺の小竹の芽の人には忍び君に堪へなくに
      (秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 <公无>勝)
 「秋柏」は本歌ただ一例。枕詞(?)である。潤和川(うるわかは)は川の名と目されるが不詳。「露に潤んだ」という意味で、川辺は普通名詞ともとれる。小竹(しの)は篠のことで、笹の類。
 「秋の柏が露に潤みその脇を流れる川辺の笹、その芽のようにひっそりと人には覚られないようにすることができますが、あなたの前では耐えられなくて人に覚られてしまいそうです」という歌である。
           (2015年5月1日記、2018年11月7日)
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温泉の場

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 前回、尾張温泉に行ったことを告げた。今回も尾張温泉の話題である。前回「脱衣ボックスが男女各二百、計四百近くもある。」と記した。が、今回行って脱衣ボックスが男だけで250あることを確認した。女も同数とすれば、全部で500もの巨大銭湯ということになる。これだけの施設となれば土日などのピーク時となれば、500人前後の人が集まってくる筈だ。
 土日に行ったことのある、同行した相棒に聞いてみると、まるで芋を洗うような有様だったという。「二度と土日に行きたくない」というのが彼女の感想だった。
 ところが、人好きの私は、内心、興味をそそられた。人と人とが接するというのは、本来こういう場で醸成されるのじゃなかろうか、と思ったのである。
 世間話を嫌う人がいるが、不思議な心理である。
 もしも尾張温泉のような巨大な、それこそ芋を洗うような場で、「よく来られるんですか」とでも声をかけてみたらどうなるだろう。お互いに全く無防備な裸と裸の場。つっけんどんに終始する人は希だろう。この一言で世間話に花が咲くこと請け合いである。
 隣近所の悪口も含めて、互いの人生観や時事問題等に、屈託のない雑談が始まり、銭湯しかなかった時代がそうであったように、ラジオもテレビもなければ、私たち庶民はこうしたところで、情報交換するしかなかったのである。
 お偉い代議士さんも社長さんも、裸と裸ということになれば、人としてなんら異なる所はない。まさに、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」である。私は最近、松尾芭蕉にはまっている。俳句の聖人と敬われる偉い俳人。でもいささかも偉ぶった所が感じられない。こういう芭蕉のような人であってこそ、私のような庶民も心から敬うことができる。
           (2018年11月8日)
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万葉集読解・・・159(2479~2496番歌)

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     万葉集読解・・・159(2479~2496番歌)
2479  さね葛後も逢はむと夢のみに誓ひわたりて年は経につつ
      (核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍)
 「さね葛(かづら)」は常緑蔓性低木。第四句の「誓(うけ)ひわたりて」だが、2433番歌に「~妹に逢はむと誓ひつるかも」とある。「神に祈り続けて」という意味である。
 「さね葛のようにつるが延びて後に逢えるだろうと、夢の中だけで神様に祈り続けているうちに年は過ぎてゆく」という歌である。

2480  道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は [或本の歌に云う「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」]
      (路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀? [或本歌曰 灼然 人知尓家里 継而之念者])
 「いちしの花」はどんな花か未詳。「いちしろく」を導く序歌。
 「道の辺に咲くいちしの花ではないが、はっきりと人が皆知る所となってしまった、我が恋の上の妻のことを」という歌である。
 異伝歌は「はっきりと人に知れ渡ってしまった、いつもいつも彼女のことを思っているので」となっている。

2481  大野らにたどきも知らず標結ひてありかつましじ我が恋ふらくは
      (大野 跡状不知 印結 有不得 吾眷)
 原文「大野」は「岩波大系本」ら3書は「大野らに」と五音読みに訓じている。が、「ら」に特別な意味は認められない。「佐々木本」は単に「大野に」と4音に訓じている。「大野らに」の五音読みがいいとすれば、あるいは親愛の「ら」か。「たどき」は手段や様子のこと。「ありかつましじ」は484番歌等に使用されているが、「そのままでよいのでしょうか」という意味である。
 「広い野にみさかいなくしめ縄を張ってしまったが、そのままでよいのだろうか。恋情にまかせて彼女と契りを結んでしまって」という歌である。

2482  水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて恋ふるこのころ
      (水底 生玉藻 打靡 心依 戀比日)
 上三句は比喩的序歌。玉藻の玉は美称。
 「水底に生えている玉藻がうちなびくように、あなたになびいてしまい恋しくてならないこの頃です」という歌である。

2483  敷栲の衣手離れて玉藻なす靡きか寝らむ我を待ちかてに
      (敷栲之 衣手離而 玉藻成 靡可宿濫 和乎待難尓)
 「敷栲(しきたへ)の」は枕詞説もあるが、「敷いた寝床」という意味で十分通る場合が多い。「衣手(ころもで)離(か)れて」は「そばに相手の衣手がない」つまり「ひとり寝」を意味している。
 「寝床を敷いてひとり寝をしていることだろうか。玉藻のようになびいて寝たいのに。この私を待ちかねて」という歌である。

2484  君来ずは形見にせむと我がふたり植ゑし松の木君を待ち出でむ
      (君不来者 形見為等 我二人 殖松木 君乎待出牟)
 万葉歌にしては珍しい擬人化の表現を用いた歌である。「あなたと二人で植えたこの松と共に」という擬人化である。私には大変な秀歌に思われる。
 「この松は、あなたがいらっしゃらない場合は形見にしようと二人で植えた松の木です。その松はあなたがやって来るのを待ってきっと芽を出すことでしょう(だからきっと逢いに来て下さいますよね)」という歌である。

2485  袖振らば見ゆべき限り我れはあれどその松が枝に隠らひにけり
      (袖振 可見限 吾雖有 其松枝 隠在)
 本歌は、871番歌~875番歌にかけて詠われている佐用姫伝説を思い起こさせるような歌である。佐用姫伝説とは、夫の大伴佐提比古(おほとものさぢひこ)が朝命により朝鮮半島の任那(みまな)に渡ることになり、別れを悲しんで山の上に登り、夫に向かって領巾(ひれ)を振ったという伝説。やや意訳気味に本歌を口語訳してみよう。
 「姿が見えん限りに袖を振って見送ったけれど、とうとうあの人の姿は遠ざかっていって松の枝に隠れてしまった」という歌である。

2486   茅渟の海の浜辺の小松根深めて我れ恋ひわたる人の子ゆゑに
      (珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤)
 「茅渟(ちぬ)の海」は大阪湾のこと。「人の子ゆゑに」とは「人妻なので」ということである。
 「茅渟(ちぬ)の海の浜辺に生えている小松は根を深くおろしている。その根のように私は深く密かに恋続けるよりほかに術がない。彼女は人妻なので」という歌である。

 本歌には「ある本にいう」として次の異伝歌が記されている。
  「茅沼の海の潮干の小松ねもころに恋ひやわたらむ人の児ゆゑに」(血沼之海之 潮干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人児故尓)
 「浜辺」が「潮干」(干潟か?)になっているが、歌意は本歌と同様としてよかろう。

2487  奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ
      (平山 子松末 有廉叙波 我思妹 不相止<者>)
 奈良山は奈良市北方の山、橘諸兄(たちばなのもろえ)の旧宅のあった所とされる。「奈良山の小松が末(うれ)の」は「うれむぞ」を導く序歌。「うれむぞ」はもう一例、327番歌に「海神の沖に持ち行きて放つともうれむぞこれがよみがへりなむ」とある。その際に私は「うれむぞ」は「結局は」という意味だと記した。むろん本歌も同様である。
 「奈良山の小松が末のうれむぞではないが、我が恋する彼女には逢わずじまいになることだろう」という歌である。

2488  磯の上に立てるむろの木ねもころに何しか深め思ひそめけむ
      (礒上 立廻香<樹> 心哀 何深目 念始)
 「むろの木」は各地の海岸に自生する針葉樹、ハイネズのこととされる。這うように延び、しっかりと根を張ることから、「~むろの木」は「ねもころに」を導く序歌となっている。「ねもころに」はいうまでもなく「ねんごろに」。「入念、深くしっかりと」といった意味。
 「磯の上にしっかり根を張るむろの木のごとく、どうして私は深く深く思い入れてしまったのだろう、あの子に」という歌である。

2489  橘の本に我を立て下枝取り成らむや君と問ひし子らはも
      (橘 本我立 下枝取 成哉君 問子等)
 やや物語めいた歌。まるで映画のワンシーンのような趣がある。「子らはも」は親愛の「ら」。「問ひし」は過去形になので、実際は実を結ばなかったのだろうか?。
 「橘の木の下に私を向かい合って立たせ、下枝をつかんで、私たちの恋は実るでしょうか、あなた、と問いかけたあの子だったのに」という歌である。

2490  天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば
      (天雲尓 翼打附而 飛鶴乃 多頭々々思鴨 君不座者)
 鶴は「たづ」と詠まれていたので、「~飛ぶ鶴(たづ)の」までは「たづたづしかも」を導く序歌。「たづたづしかも」は「心細く不安」という意味である。「あなたがいらっしゃらないので不安で心細い」という歌である。

2491  妹に恋ひ寐ねぬ朝明に鴛鴦のこゆかく渡る妹が使か
      (妹戀 不寐朝明 男為鳥 従是此度 妹使)
 「こゆかく渡る」は「こんなふうにして渡る」すなわち「夫婦仲良く渡る」という意味である。鴛鴦(オシドリ)は古来夫婦仲がよいことで有名。「彼女が恋しくて眠られない明け方に鴛鴦が仲むつまじく飛んでいく。早くそうなりたいという彼女の使いなのだろうか」という歌である。

2492  思ひにしあまりにしかばにほ鳥のなづさひ来しを人見けむかも
      (念 餘者 丹穂鳥 足沾来 人見鴨)
 「思ひにしあまりにしかば」は「思いあまって」という意味。にほ鳥はカイツブリのこと。「なづさひ来しを」は「難渋してやって来たが」という意味である。
 「恋しさに思いあまって雨中をカイツブリのようにびしょぬれになってやってきたが、人はどのように見ただろうか」という歌である。

2493  高山の嶺行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな
      (高山 峯行完 友衆 袖不振来 忘念勿)
 「しし」について、「岩波大系本」は補注を設けて「万葉動物考」の説を詳細に紹介している。概略「シシは食用の鹿や猪を指すことが普通。が、鹿や猪は高山の峰づたいに群を作って行くことはない。なのでここのシシはカモシカと考えられる」としている。「多み」は「~ので」の「み」。
 「高山を嶺づたいに群れを成していくカモシカのように連れ立っている人が多かったので、袖を振らずにやってきたが、だからといってお前のことを忘れていたわけではないのだよ」という歌である。

2494  大船に真梶しじ貫き漕ぐ間もここだ恋ふるを年にあらばいかに
      (大船 真楫繁拔 榜間 極太戀 年在如何)
 「真梶(まかじ)しじ貫き」は「多くの梶を取りつけて」という意味である。「ここだ」は「こんなにも」という意味。
 「大船に多くの梶を取りつけて漕ぐ間さえこんなにもあの子が恋しくてならないのに、一年も逢えなかったらどんなに愛しいだろう」という歌である。

2495  たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り隠れる妹を見むよしもがも
      (足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨)
 「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「たらちねの~繭隠り(まゆごもり)」は彼女が家にこもっていることの比喩。結句の「見むよしもがも」は「逢う由がないものか」という意味である。 「母親が飼っている蚕は繭にこもっているが、その蚕のように家にこもっているあの子に逢う手段はないものか」という歌である。

2496  肥人の額髪結へる染木綿の染みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも]
      (肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉 [一云 所忘目八方])
 肥人(こまひと)は熊本県球磨地方の人のこととされる。染木綿(しめゆふ)は染めた木綿。
 「肥人(こまひと)が前髪を結ぶ染木綿(しめゆふ)のように染まってしまった私。どうしてあの人のことが忘れられようか」という歌である。
 異伝歌の結句は「忘れられようか」となっているが本歌とほぼ同意。
           (2015年5月5日記、2018年11月9日)
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歌舞伎町の夢

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 昨夜、東京に勤務し始めた頃の夢をみた。なぜそんな昔のことが突如として夢に出てきたのか分からない。勤務地に関連した緊張した日々のことなら分からぬでもない。が、それとはおよそ関係もない場所のことだったので驚いたのである。新宿区歌舞伎町である。
 現在でもそうなのか否か分からないが、半世紀前の歌舞伎町は日本でも代表的な歓楽街であった。パチンコ等の遊技施設や映画館が集中し、飲食店や喫茶店が建ち並ぶ一大歓楽街だった。モデルとおぼしき美女もさっそうと通過するそんな街だった。ファッション等にとんと興味のなかった私の目には、せっかくの服飾も目にとまらなかった。が、きっとそうした光景も頻繁に目についたことだろう。
 さて、夢の中では、私はひとりぽつねんと繁華街を歩いていた。実に種々様々な人々が往来にあふれていた。それでいながら、私は人々に少しも溶け込んでいなかった。きっと、都会の孤独という奴なのだろう。
    悲しくも晩秋往来人多(さわ)に     (桐山芳夫)
    酒のみて歌舞伎町行く冬近し       (桐山芳夫)
    暮れなずむ秋となりつつ歌舞伎町     (桐山芳夫)
    なぜか秋夢に出で来る歌舞伎町      (桐山芳夫)
    椋鳥の繁華の街に飛びたてり       (桐山芳夫)
 50年も経って、こんな夢を見るなんてどうしたことだろう。何か理由があるのだろうが、夢そのものに何か意味を見いだそうとするのは無意味だろう。ただ、半世紀も前の体験が、突如として夢に出てくるのは、完全に過去のことを忘れ去っているわけではないことだけは確かである。完全に忘れ去ったように見えながら、無意識下にはちゃんと残っている。
           (2018年11月10日)
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万葉集読解・・・160(2497~2514番歌)

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     万葉集読解・・・160(2497~2514番歌)
2497  隼人の名に負ふ夜声のいちしろく我が名は告りつ妻と頼ませ
      (早人 名負夜音 灼然 吾名謂 孋恃)
 隼人(はやひと)は鹿児島県薩摩半島や大隅半島に根拠を持っていた人々。勇ましいことで知られていた。「名に負ふ」は「その名に恥じない」つまり「有名な」という意味。比喩的序歌。「いちしろく」は「はっきりと」という、「告(の)りつ」は「申し上げました」という意味である。
 「私は、あの有名な隼人の夜警の声のように、はっきりとわが名を申しました。後は妻として頼りにして下さいな」という歌である。

2498  剣大刀諸刃の利きに足踏みて死なば死なむよ君によりては
      (剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依)
 「剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利きに」であるが、両刃の鋭い太刀。
「君によりては」は「あなたのためなら」という意味である。
 「諸刃の鋭い刃に足を踏みつけて死ぬのなら死にもしましょう。あなたのためならば」という歌である。

2499  我妹子に恋ひしわたれば剣大刀名の惜しけくも思ひかねつも
      (我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得)
 「~わたれば」は「~続ける」という意味である。刃は「な」と読まれるので、剣大刀は「名」を導く序句。「思ひかねつも」は「思いも及ばない」という意味。
 「彼女に恋い焦がれ続けているので、剣大刀の刃ではないが、自分の名が惜しい(浮き名が立つ)などとは思いも及ばない」という歌である。

2500  朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
      (朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽)
 「朝月の」は日向(ひむか)にかかる枕詞的序歌。「黄楊櫛(つげぐし)」は「ツゲの木で作られた櫛」のこと。
 「朝の月が日に向かうという、日向産の黄楊櫛(つげぐし)は使い古して古くなりましたが、どうしてあなたは見ても見ても見飽きないのでしょう」という歌である。

2501  里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ
      (里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与)
 「里遠み」は「~なので」の「み」。「恋ひうらぶれぬ」は「しょげこむ」ないし「しおれる」と解する向きがある。が、通常恋は燃え続けるものだと思うので、ぴんとこない。結句の「夢に見えこそ」も恋の激しさを示している。なので「うらぶれぬ」は「恋に疲れてしまいます」と解するのが適切かと思う。「夢に見えこそ」は「夢に出てきてほしい」という意味。
 「あなたの里は遠くてなかなか逢いに行けず、恋に疲れ果ててしまいます。せめて毎日床の辺に置いている手鏡のように、毎夜夢に出てきてほしい」という歌である。

2502  まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君は飽くこともなし
      (真鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無)
 読解不要の平明歌。
 「手鏡を毎朝毎朝眺めるのと同様、あの人を毎朝見ているのに見飽きることがありません」という歌である。

2503  夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝れが主待ちかたき
      (夕去 床重不去 黄楊枕 <何>然汝 主待固)
 「夕されば」は「夕方になると」という意味。「黄楊枕(つげまくら)」はツゲの木で作られた堅い枕。不明瞭なのは「床の辺去らぬ黄楊枕」。いったいどういうことだろう。「黄楊枕はそのまま寝床に置きっぱなし」という意味だろうか。それとも、「黄楊枕は押入から出てきて寝床にやってくる」とでもいうのだろうか。初句の「夕されば」がキーワード。黄楊枕は寝床に置きっぱなしではない。夕方になると寝床に持ってこられるのである。誰が持ってくるかと言えば、いうまでもなく作者自身である。夕方になって、部屋の隅っこから、ないし押入の中から、運んできて寝床に置くのである。そしてその枕はこれもいうまでもなく、相手の男性の枕である。作者は並べて敷いた寝床に寝るのだが、隣の寝床は空のままである。やや詳細に情景を記したのはほかでもない。結句の「主(ぬし)待ちかたき」という辛い思いをしているのは作者自身だと知ってほしいからである。
 「夕方になると(隣の)寝床に黄楊枕を用意するのだけれど、その枕の主がなかなかやってこない。どうしてこんなにもあの人を待ち続け難く思うのでしょう」という歌である。

2504  解き衣の恋ひ乱れつつ浮き真砂生きても我れはありわたるかも
      (解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 <有>度鴨)
 「解(と)き衣(きぬ)の」は「着物を脱ぐ時結んだ紐を解くこと」。要は脱ぎ捨てることをいう。「浮き真砂(まなご)」は「水に浮かんで流れる細かな砂のようにはかない存在」という意味に相違ない。「ありわたるかも」は「そのままあり続ける」という意味である。
 「脱ぎ捨てた着物のように恋に乱れている。私は水に浮かんで流れる細かな砂のように、生きていてもただそのままはかなく生きているだけ」という歌である。

2505  梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを
      (梓弓 引不許 有者 此有戀 不相)
 梓弓(あづさゆみ)は引くや張るを導く枕詞。「ゆるさず」は「心を許さない」を導く序歌。
 「あの人を受け入れなければ、こんなに苦しい恋に陥ることはなかったのに」という歌である。

2506  言霊の八十の衢に夕占問ふ占正に告る妹は相寄らむ
      (事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依)
 「言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に」は「人々が行き交う四つ辻で噂が飛び交う」というほどの意味である。「夕占(ゆふけ)問ふ」は「自分で自分を占い、神のお告げをきくこと」を意味する。木の葉を指先で弾いたりして占ったのだろうか。
 「人々が行き交い噂が飛び交う四つ辻に夕方出向いて恋占いをやってみたら、まさに吉と出て、彼女は私になびいてくれると出たよ」という歌である。

2507  玉桙の道行き占に占なへば妹に逢はむと我れに告りつも
      (玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂)
 「玉桙(たまほこ)の」は道にかかるお馴染みの枕詞。前歌と同様の恋占い。
 「道に出て恋占いをしてみたら、彼女に逢えるだろうとのお告げが出たよ」という歌である。

 以下、問答歌。
2508  すめろぎの神の御門を畏みとさもらふ時に逢へる君かも
      (皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍従時尓 相流公鴨)
 「すめろぎの神」とは「神とされる皇祖を仰ぐ神」すなわち天皇のことである。御門は宮殿のこと。「畏(かしこ)みと」は「恐れ多くも」という意味である。「さもらふ」は「伺候する」、すなわち「お仕えする」ということである。
 「あなたは恐れ多くも宮殿にお仕えしている時に出合った人なのよ(だから言動は慎重になさって下さいね)」という歌である。

2509  まそ鏡見とも言はめや玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻
      (真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隠而在?)
 「まそ鏡」と「玉かぎる」は枕詞。「岩垣淵(ふち)の」は「垣根のように岩で囲まれた淵の」すなわち「宮中奥深く」という意味である。
 「(ちらりと目配せした程度だもの)、逢った内に入るだろうか。宮中深く隠(こも)っている妻よ」という歌である。
 以上、二首は問答歌。

2510  赤駒の足掻速けば雲居にも隠り行かむぞ袖まけ我妹
      (赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹)
 赤駒(あかごま)は赤毛の馬。「足掻(あがき)速(はや)けば」は「足が速いので」という意味。「袖まけ我妹」ははっきりしないが、「寝床の準備をしておいて」と私は解した。
 「赤駒の足は速いから雲の中をも走り抜けて行くぞ。寝床の準備をしておいてな」という歌である。

2511  こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ
      (隠口乃 豊泊瀬道者 常<滑>乃 恐道曽 戀由眼)
 「こもりくの」は泊瀬にかかる枕詞。泊瀬道(はつせぢ)は奈良県桜井市内の山中の道。「~ゆめ」は「決して」という意味。
 「泊瀬の山道は滑りやすい恐ろしい道です。恋路とてあまりお急ぎめさるな、決して」という歌である。

2512  味酒のみもろの山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする
      (味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之<音>曽為)
 「味酒(うまさけ)の」は枕詞。「みもろの山」は、1093番歌に「三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも」ある。その際、初句が4音なのは極めて異例なので「みもろの」と訓じないで「みつもろの」とずべきではないかとした。その三山は三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことと解した。本歌の「みもろの山」も同様。
 「山なみに出てくる月のように早く見たい逢いたいと思うあなたを乗せた馬。その馬が駆ける音がする」という歌である。
 以上、三首は問答歌。

2513  鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ
      (雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留)
 「鳴る神の少し響(とよ)みて」は「少しでもいいから雷が鳴って」という意味。
 「少しでもいいから雷が鳴り、曇り空になって雨でも降らないかしら。そうすればあなたを引き留められるのに」という歌である。

2514  鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば
      (雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者)
 前歌に応えた即興歌。
 「少しでもいいから雷が鳴れば、雨が降らなくたって私は留まるよ。彼女が引き留めさえすれば」という歌である。
   以上、二首は問答歌。
           (2015年5月12日記、2018年11月11日)
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万葉集読解・・・161(2515~2538番歌)

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     万葉集読解・・・161(2515~2538番歌)
2515  敷栲の枕動きて夜も寝ず思ふ人には後に逢ふものを
      (布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物)
 「敷栲(しきたへ)の」は「床に敷いた真っ白な」という、「後に逢ふものを」は「やがて逢おうというのに」という意味である。
 「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くのでなかなか寝付かれない。焦らなくともやがて逢おうというのに」という歌である。

2516  敷栲の枕は人に事問へやその枕には苔生しにたり
      (敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為)
 前歌に応えた女性の歌。「敷栲の枕」は前歌に詠われた「枕動きて」の枕のことを指している。「事問へや」は「言(こと)問へや」と訓ずるのが定訓だが、原文通り「事問へや」としておきたい。意訳的に解すると「動いたその枕が機は熟したとでも告げたんですか」という意味になる。
 「動いたその枕が私に逢う時が来たとでも告げたんですか。ほったらかしにしたままなのでその枕も苔むしちゃったんじゃありませんか?」という歌である。
    以上、二首は問答歌。
 そして注記に「本歌までの149首は柿本朝臣人麻呂歌集から採録した」とある。すなわち、2368番歌~2516番歌の149首はここで終了し、同時に問答歌もここで了となる。

2517  たらちねの母に障らばいたづらに汝も我れも事なるべしや
      (足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成)
 本歌から正述心緒(直接心情を述べた歌)となる。2517~2827番歌の311首。
 「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「母に障(さや)らば」は「母にはばかっていたら」という意味である。「汝(いまし)も」は「お前さんも」という意味。
 「お母さんに遠慮していたづらに時を重ねても、お前さんと私の仲は実を結ぶものだろうか」という歌である。

2518  我妹子が我れを送ると白栲の袖漬つまでに泣きし思ほゆ
      (吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念)
 「白栲(しろたへ)の袖漬(ひ)つまでに」は「真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで」という意味である。「泣きし思ほゆ」の「思ほゆ」は「岩波大系本」や「伊藤本」のように「思い出される」で差し支えない。が、理屈っぽくいうと、簡単に忘れ去るような光景ではない。なので「思い浮かぶ」と解した方がより的確かと思う。
 「彼女が私を見送ってくれた時、真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで泣きじゃくったが、その姿が思い浮かんでならない」という歌である。

2519  奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ
      (奥山之 真木乃板戸乎 押開 思恵也出来根 後者何将為)
 「奥山の真木の板戸を」は逐次的解釈をすると「山奥から切り出した立派な木で出来ている板戸を」という意味である。「しゑや」は「ええい何とかなるさ」という捨て鉢なセリフ。
 「立派なその板戸を押し開いて出ていらっしゃいな、ええい、後はどうにかなるさ」という歌である。

2520  刈り薦の一重を敷きてさ寝れども君とし寝れば寒けくもなし
      (苅薦能 一重(口+リ)敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨)
 刈り薦(こも)は刈り取った薦のことで、筵等の材料に使われる草。結句の「寒けくもなし」は「寒いことはありません」という意味である。
 「刈り取った薦を一重敷いただけで寝ても、あなたと一緒なら寒くありません」という歌である。

2521  かきつはた丹つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
      (垣幡 丹頬經君(口+リ) 率尓 思出乍 嘆鶴鴨)
 「いささめに」は「ふと思い出して」という意味。「かきつばたのように色づいたあなた、そのあなたをふと思い出しては嘆きつつあります」という歌である。

2522  恨めしと思ふさなはにありしかば外のみぞ見し心は思へど
      (恨登 思狭名盤 在之者 外耳見之 心者雖念)
 「思ふさなはに」(原文「思狭名盤」)は、初句に「恨めしと」とあるので、「思う最中で」という意味である。「外(よそ)のみぞ見し」は「よそ事のことのように見て」という意味。一時的な喧嘩別れか?。
 「恨めしいと思う最中だったので、よそ事のように見てたよ。心では思ってたけど」という歌である。

2523  さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちに我が思はなくに
      (散頬相 色者不出 小文 心中 吾念名君)
 「さ丹つらふ」は「赤い色」。
 「顔色を赤く染めたりはしません。が、少なくとも心の内に思わないことがありましょうか」という歌である。

2524  我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何そそれゆゑ
      (吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故)
 「直(ただ)には「直接」という意味。「言(こと)の通ひ」は「言葉のやりとり」。
 「彼に直接逢えばこそ浮き名は立つでしょうよ。でも、ただ言葉をやりとりしただけなのに何でそこまで噂が立つのでしょう」という歌である。

2525  ねもころに片思ひすれかこのころの我が心どの生けるともなき
      (懃 片<念>為歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸)
 「ねもころに」は「あれこれ思ってねんごろに」という意味である。
 「あれこれ思って片思いに思い悩むせいでか、我が心の生けるともありません」という歌である。

2526  待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きて早見む
      (将待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見)
 「待つらむに」は「待っているところに」という意味。平明歌。
 「待っているところへ私が行き着いたら、彼女は喜んでほほえみかけてくれよう。その姿を早く見たい」という歌である。

2527  誰れぞこの我が宿来呼ぶたらちねの母に嘖はえ物思ふ我れを
      (誰此乃 吾屋戸来喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼)
 「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「嘖(ころ)はえ」は「叱られて」という意味。
 「誰だろう。この我が家に来て呼ぶのは。母に叱られ、もの思う私を」という歌である。

2528  さ寝ぬ夜は千夜にありとも我が背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ
      (左不宿夜者 千夜毛有十万 我背子之 思可悔 心者不持)
 「~ありとも」でいったん切れる。「思ひ悔ゆべき」は「後悔なさるような」という意味である。
 「共に寝られない夜が千夜続くとも、あなたが思い後悔なさるような心は決して持ちません」という歌である。

2529  家人は道もしみみに通へども我が待つ妹が使来ぬかも
      (家人者 路毛四美三荷 雖<徃>来 吾待妹之 使不来鴨)
  「家人(いえびと)」は「家に出入りする人々」という意味である。「道もしみみに」は「道にあふれて」という意味。
 「家に出入りする人々は道にあふれて往来するけれど、我が待つ彼女からの使いはやって来ない」という歌である。

2530  あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも
      (璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方)
 「あらたまの」はお馴染みの枕詞といいたいが、「あたらしき」という意味か?。「寸戸は」は「木戸」のこと?。「新しい木戸の竹垣、編み目より彼女が見えるなら、どうして彼女に恋するだろうよ」という歌である。

2531  我が背子がその名告らじとたまきはる命は捨てつ忘れたまふな
      (吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名)
 「その名告(の)らじと」は「その名を他言しないと」という意味である。「たまきはる」は枕詞。「あの人がその名を他言しないというので、私は我が命を捨てました。そのことを忘れないでね」という歌である。

2532  おほならば誰が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居らむ
      (凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居)
 「おほならば」は「通り一遍ならば」という、「誰が見むとかも」は「誰に見せようと」という意味である。「ぬばたまの}はお馴染みの枕詞。
 「通り一遍の人なら誰に見せようとするのでしょう。私の黒髪が靡く姿を」という歌である。

2533  面忘れいかなる人のするものぞ我れはしかねつ継ぎてし思へば
      (面忘 何有人之 為物焉 言者為<金>津 継手志<念>者)
 「面(おも)忘れ」は「顔を忘れる」こと。「継ぎてし思へば」は「ずっと続いて思っているので」という意味である。
 「顔を忘れるなんていかなる人がするのでしょう、私は忘れられません。ずっと続いて思っているので」という歌である。

2534  相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ
      (不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居)
 「あらたまの」は枕詞。「年の緒」は年柄年中。
 「私のことを思ってもくれない人のために、年柄年中私は恋い焦がれていなければならないのか」という歌である。

2535  おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを
      (凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎)
 「おほろかの」は「通り一遍の」という、「言痛(こちた)く」は「こっぴどく」という意味である。
 「通り一遍の心は持つものか、私のために、人にこっぴどく噂を立てられた人だもの」という歌である。

2536  息の緒に妹をし思へば年月の行くらむ別も思ほえぬかも
      (氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覧別毛 不所念鳧)
 「息の緒に」は「命がけで」という、「別(わき)も」は「区別も」という意味である。
 「命がけで彼女を思っているので、年月が過ぎてゆくのも分からないほどだ」という歌である。

2537  たらちねの母に知らえず我が持てる心はよしゑ君がまにまに
      (足千根乃 母尓不所知 吾持留 心<者>吉恵 君之随意)
 「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「よしゑ」は「ええい何とかなるさ」という気持ち。 「母に知られないように密かにずっとあなたを思っています。ええい、あなたのよしなにして頂戴」という歌である。

2538  ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ
      (獨寝等 ゆ朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之将待)
 「薦(こも)朽ちめやも」は「薦が朽ちることがありましょうか」という、「綾席(あやむしろ)緒になるまでに」は「綾席がぼろぼろになるまで」という意味である。
 「ひとり寝たからとて上にかぶせる薦が朽ちることがありましょうか、綾席(あやむしろ)がぼろぼろになるまであなたを待ちましょう」という歌である。
           (2015年5月16日記、2018年11月13日)
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上野公園

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 前回、新宿歌舞伎町の夢を見たのでそれについてを記した。今回は上野公園である。これは夢ではない。東京勤務時代は実に30年ほど前であって、当時、私はカメラを所有していなく、したがって、自分で撮った写真はない。つまり、日本全国を巡り歩いた大部分は自撮りの写真がない。今思うと残念至極で仕方がない。
 ところが、上野公園については自撮りの写真がある。不忍池や西郷隆盛像の写真もある。名古屋で定年退職を迎え、カメラを購入し、5年前に上野公園を訪れているからである。
 上野公園は東京勤務時代に幾度も訪れている。不忍池や西郷隆盛像はもとより、上野動物園、国立西洋美術館、国立科学博物館等々に・・・。とりわけ、西洋美術に興味を抱いていた私は 国立西洋美術館に足繁く通った。私のこれまでの生涯で目にした名画の半分は、上野の美術館で見た絵画と言って過言ではない。モネ、マネ、ゴッホ、ルノワール、ピカソ等々の絵画作品はここで目にした。
 それだけに、上野と言えば国立西洋美術館が目に浮かぶほどである。上野の森はいつ訪れても、なにがしかの人々であふれていて、私を心なごませてくれた。
    訪れるたびに親しみ湧く上野足元にきたバレーボール球   (桐山芳夫)
    館の前の階段のぼる今日もまた名画に躍動上野に惹かれ   (桐山芳夫)
    くしゃくしゃの顔描きたるピカソの絵上野の森の奥深きかな   (桐山芳夫)
    あの西郷名画に仕立てた人や有る上野の空を遠く見つむる  (桐山芳夫)
    カラコロと枯葉舞い散る公園の上野の坂は寂しくもなし   (桐山芳夫)
 私にとって、上野公園は美術とは切っても切り離せないなつかしい思い出多き土地である。このためか否か、着流しの着物に身を包んだ、あの西郷隆盛像まで美術作品の対象に見えてしまうのである。
           (2018年11月14日)
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万葉集読解・・・162(2539~2560番歌)

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     万葉集読解・・・162(2539~2560番歌)
2539  相見ては千年や去ぬる否をかも我れやしか思ふ君待ちかてに
      (相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓)
 「千年やいぬる」は「千年も経ってしまったのだろうか」という、「否(いな)をかも」は「いや、そうではないのかな」という意味である。本歌は3470番歌に重出。
 「お逢いしてからもう千年も経ってしまったのでしょうか。いや、そうではないのかな。私だけがそう思っているだけなのかな。あなたを待ちかねて」という歌である。

2540  振分けの髪を短み青草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ
      (振別之 髪乎短弥 青草乎 髪尓多久濫 妹乎師僧於母布)
 「髪を短み」は「~ので」の「み」。まだ一人前になっていない少女。「たくらむ」は
つける」という意味。「妹をし」は強意の「し」。
 「振り分けの髪がまだ短いので青草を髪につけている、まだ少女少女したあの子を思う」という歌である。

2541  た廻り行箕の里に妹を置きて心空にあり地は踏めども
      (徊俳 徃箕之里尓 妹乎置而 心空在 土者踏鞆)
 「た廻(もとほ)り」は枕詞(?)。「めぐって」で通じる。「行箕(ゆきみ)の里」は所在不詳。
 「わざわざ回り道をして行箕(ゆきみ)の里に彼女を置いて旅に出たが、彼女のことが心配で心ここにあらず、土は踏んでいるけれど」という歌である。

2542  若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに
      (若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國)
 「まきそめて」は「共寝しはじめて」という、「隔てむ」は「逢わないで」という意味。
 「若草のような新妻の手枕を巻いて(共寝した)彼女に幾夜も逢わずにいられようか。可愛くて仕方ないのに」という歌である。

2543  我が恋ふることも語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ
      (吾戀之 事毛語 名草目六 君之使乎 待八金手六)
 「君が使を待ちやかねてむ」は「その使いも待ちくたびれて」という意味である。
 「こんなに恋い焦がれていることを、あなたの使いにいっそ話して慰めにしようかしらと思うのに、その使いさえなかなか来ず、もう待ちくたびれました」という歌である。

2544  うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし
      (<寤>者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死)
 「うつつには」は「現実には」という、「逢ふよしもなし」は「逢う機会がありません」という意味。「夢にだに間なく見え」は「夢にしょっちゅう出てきて下さい」という意味。
 「現実には逢う機会がありません。せめて夢にしょっちゅう出てきて下さいあなた。もう恋しくて死んでしまいそうです」という歌である。

2545  誰ぞかれと問はば答へむすべをなみ君が使を帰しやりつも
      (誰彼登 問者将答 為便乎無 君之使乎 還鶴鴨)
 「答へむすべをなみ」は「答えようがなく」という意味。「~ので」の「み」。
 「誰よその人はと問われたら、答えようがないので、あなたからの使いを帰してしまいました」という歌である。

2546  思はぬに至らば妹が嬉しみと笑まむ眉引き思ほゆるかも
      (不念丹 到者妹之 歡三跡 咲牟眉曵 所思鴨)
 「思はぬに至らば」は「突然に訪ねたら」という、「嬉しみと」は「嬉しそうに」という意味である。
 「突然に訪ねたら、彼女が嬉しそうに笑ってあわてて眉を引く姿が思い浮かぶ」という歌である。

2547  かくばかり恋ひむものぞと思はねば妹が手本をまかぬ夜もありき
      (如是許 将戀物衣常 不念者 妹之手本乎 不纒夜裳有寸)
 「離れてみて」を補って読むと分かりやすい。旅の途上の歌か。
 「離れてみてこんなに恋しい彼女と思わなかった。一緒に居るときは枕を共にしない夜もあったのに」という歌である。

2548  かくだにも我れは恋ひなむ玉梓の君が使を待ちやかねてむ
      (如是谷裳 吾者戀南 玉梓之 君之使乎 待也金手武)
 「玉梓(たまづさ)の君が使を」は「たまづさの枝にはさんだあなたの手紙をもった使い」という意味である。
 「こんなにも私は恋い焦がれているのだろうか。あなたからの手紙を持った使いさえ今か今かと待ちかねているのですもの」という歌である。

2549  妹に恋ひ我が泣く涙敷栲の木枕通り袖さへ濡れぬ [或本歌曰 枕通りてまけば寒しも]
      (妹戀 吾哭涕 敷妙 木枕通而 袖副所沾 [或本歌<曰> 枕通而 巻者寒母])
 「敷栲の」は枕詞。平明歌。
 「彼女が恋しくて流す涙は木枕を通り、袖さえ濡れてしまいました」という歌である。 異伝歌は袖ではなく「直接枕を通して寒々としみる」となっている。

2550  立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
      (立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎)
 読解不要の平明歌。
 「居ても立ってもいられない。紅の裳裾を引いて立ち去っていったあの子の姿を思うと」という歌である。

2551  思ひにしあまりにしかばすべをなみ出でてぞ行きしその門を見に
      (念之 餘者 為便無三 出曽行 其門乎見尓)
 「思ひにしあまりにしかば」は「思いに耐えかねて」という意味。「すべをなみ」は「~なので」の「み」、「どうしようもなく」という意味である。
 「あの子を思う思いに耐えかねてどうしようもなく、家から出て行ってあの子の家の門を見にでかけた」という歌である。

2552  心には千重しくしくに思へども使を遣らむすべの知らなく
      (情者 千遍敷及 雖念 使乎将遣 為便之不知久)
 「千重しくしくに」は2234番歌に「一日には千重しくしくに我が恋ふる妹があたりにしぐれ降れ見む」とある。「幾度も幾度もしきりに」という意味である。「使を遣らむすべの知らなく」は高級官吏ではないのでという意味か?。
 「心には幾度も幾度もしきりに思い焦がれているのだけれど、使いの文の出し方も分からない私です」という歌である。

2553  夢のみに見てすらここだ恋ふる我はうつつに見てばましていかにあらむ
      (夢耳 見尚幾許 戀吾者 <寤>見者 益而如何有)
 「ここだ」は「こんなにも」、「うつつに」は「現実に」という意味。
 「夢の中で逢ってすらこんなにもあの子に恋い焦がれるのに、まして現実に逢えばいかばかりだろう」という歌である。

2554  相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも
      (對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳)
 「面隠(かく)さゆる」は「面を隠したくなる」という意味である。
 「面と向かうと恥ずかしさに面を隠したくなるのに、一方ではずっと見たくてたまらないあなたですこと」という歌である。

2555  朝戸を早くな開けそあぢさはふ目が欲る君が今夜来ませる
      (旦戸乎 速莫開 味澤相 目之乏流君 今夜来座有)
 「朝戸を早くな開けそ」は「な~そ」の禁止形。「朝戸を早く開けないで」という意味。「二人っきりでいたいから」という含意。「あぢさはふ」は枕詞。
 「朝早く戸を開けないで、逢いたくてたまらないあの方が今夜にもいらっしゃるから」という歌である。

2556  玉垂の小簾の垂簾を行きかちに寝は寝さずとも君は通はせ
      (玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為)
 「玉垂の」は枕詞(?)。「玉を垂らした」で十分通ずる。「小簾(をす)の垂簾(たれす)を」はそのまま「垂簾を」という意味。「行きかちに」は「通りすがりに」という意味である。作者は上流階級の女性か。
 「玉を垂らした垂簾を通りすがりに押しのけて共寝するわけには参りませんが、あなた様通ってきて下さいな」という歌である。

2557  たらちねの母に申さば君も我れも逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき
      (垂乳根乃 母白者 公毛余毛 相鳥羽梨丹 年可經)
 「たらちねの」はお馴染みの枕詞。しばし秘密裏にお逢いしましょう」という歌。
 「母に申したらあなたと逢うこともなしに年は過ぎていく」という歌である。

2558  愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば
      (愛等 思篇来師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者)
 「愛(うつく)しと思へりけらし」でいったん切る。「な忘れと」は「忘れるなよ」という意味。
「忘れるなよと仰ったので、私のことを愛(いと)しいと思って下さっているらしい。結んだ紐が自然にほどけてしまうのを思うと」という歌である。

2559   昨日見て今日こそ隔て我妹子がここだく継ぎて見まくし欲しも
      (昨日見而 今日社間 吾妹兒之 幾<許>継手 見巻欲毛)
 「ここだく」は「非常に」ないし「しきりに」という意味。
 「継ぎて見まくし」は「続けて逢いたい」という意味である。「昨日逢って今日離れているだけなのにその彼女に続けて逢いたいとしきりに思う」という歌である。

2560  人もなき古りにし郷にある人をめぐくや君が恋に死なする
      (人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死)
 「古りにし」は「ひっそりした」という意味。「めぐくや」は「かわいそうに」という意味である。
 「人のいないひっそりした郷にあるこの私を、かわいそうにもあなたが恋死にさせるおつもりですか」という歌である。
           (2015年5月22日記、2018年11月15日)
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チビの旅路

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 チビの死に遭遇して3週間になる。何とかその死を乗り越えて前を向こうとしているのだが、3週間ではとうてい乗り越えられそうにない。出来るだけチビの話題は口に出さないようにしている。が、なんらかの機会に思い出すと、涙ぐみそうになる。
 人間の相棒の方もチビのことを可愛がっていて、よく世話もしてくれていた。知らず知らずの内にチビの話題になる。彼女は、彼女の知り合いや友達の猫を少なからず見てきているので、そこそこ色々な猫を知っている。
 彼女によると、チビは特別に恐がりで神経質な猫だった。カラスが飛んできてベランダの手すりに止まっても、追い払うどころか、じっと見ているだけ。狩りは死にかかった小さな蝉しかつかまえようとしない。こんな風で彼女はチビが可愛くて仕方がなかったらしい。加えて、jinsenさんやきしめんさんも私の心情を気遣って下さった。
 もう少し何とかしてやれなかったかと思うと、悔いが残って仕方がない。何とかキリをつけなければと、作句してみた。
      晩秋やチビし死なせて悔いばかり    (桐山芳夫)
      弱虫は枯葉を拾う我ひとり       (桐山芳夫)
      チビ死してイチョウ黄葉の風に舞う   (桐山芳夫)
      さよならと言う勇気出ずチビの秋    (桐山芳夫)
      いと急にチビ去りゆきし秋の月     (桐山芳夫)
      秋雨や床でチビ探る無意識に      (桐山芳夫)
      ああチビよチビチビ黄葉のごと散りぬ  (桐山芳夫)
 だが、こうした作句によって、チビの旅路を見送る心境になれそうにない。それほどチビくんは私の心の支えであった。
           (2018年11月17日)
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万葉集読解・・・163(2561~2584番歌)

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     万葉集読解・・・163(2561~2584番歌)
2561  人言の繁き間守りて逢ふともやなほ我が上に言の繁けむ
      (人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁)
 「人言の繁き間(ま)守(も)りて」はやや分かりづらい表現。「噂の激しい間を避けて」という意味。「言(こと)」は「噂」のこと。
 「噂の激しい間を避けて逢ったとしてもやはり私の上には噂が絶えない」という歌である。

2562  里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに
      (里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國)
 「言(こと)寄せ妻を」は「噂では妻と」という、「荒垣の外にや」は「荒垣越しに外から」という意味である。
 「村人の噂では私の妻となっているが、(実際には)荒垣越しに外から見ているだけなのに。噂が立って、憎からず思っているのに」という歌である。

2563  人目守る君がまにまに我れさへに早く起きつつ裳の裾濡れぬ
      (他眼守 君之随尓 余共尓 夙興乍 裳裾所沾)
 「人目守(も)る」は「人目を憚って」という、「君がまにまに」は「あなたにつれて」という意味である。
 「人目をはばかって朝早く起き出したあなたにつれて、私までが早く起き出し、裳裾を濡らしてしまいました」という歌である。

2564  ぬばたまの妹が黒髪今夜もか我がなき床に靡けて寝らむ
      (夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「靡けて寝らむ」は「靡かせて寝ていることだろうか」という意味。
 「彼女は黒髪を今夜もまた私のいない寝床に靡かせて寝ているだろうか」という歌である。

2565  花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ
      (花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津)
 「花ぐはし」は「花美しい」という意味。が、葦は水辺に生える草。その葦で出来た垣根だから「花美しい」というより「かぐわしい」という意味なのだろう。
 「かぐわしい葦垣越しに一目見ただけのあの子、なのに、否それゆえ幾度も思い焦がれてならない」という歌である。

2566  色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠り妻はも
      (色出而 戀者人見而 應知 情中之 隠妻波母)
 「色に出でて」とは「顔に出して」という意味。「隠(かく)り妻はも」は言い得て妙である。この結句によって「密かに思いを寄せる彼女」だと分かる。
 「顔に出して恋えば、人に知られてしまう。心にじっと秘めた心の妻よ」という歌である。

2567  相見ては恋慰むと人は言へど見て後にぞも恋まさりける
      (相見而者 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類)
 「相見ては}は「直接逢えば」という意味である。
 「直接逢えば恋しさは慰められると人は言うけれど、逢って後こそいっそう恋しさが増幅される」という歌である。

2568  おほろかに我れし思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも
      (凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母)
 「おほろか」は2535番歌に「おほろかの心は思はじ~」とある。「通り一遍に」ないし「いい加減に」という意味である。御門は「宮廷の御門」のことである。
 「通り一遍の気持なら、こんなに厳重な御門を抜け出て来るものか」という歌である。

2569  思ふらむその人なれやぬばたまの夜ごとに君が夢にし見ゆる [或本歌曰 夜昼と言はずあが恋ひわたる]
      (将念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見 [或本歌<曰> 夜晝不云 吾戀渡])
 「思ふらむその人なれや」は「私のことを思って下さるからでしょうか」という意味である。「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。
 「私のことを思って下さるからでしょうか。夜ごとにあなた様が夢に現れる」という歌である。
 異伝歌の結句は「夜となく昼となく恋い続けています」となっている。

2570  かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げつやまず通はせ
      (如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通為)
 「死ぬべみ」は「~なので」の「み」。「たらちねの」はお馴染みの枕詞。
 「こんなに恋い焦がれていると死んでしまうので、母にも告げました。あなた、絶えず通って来て下さいませ」という歌である。

2571  大夫は友の騒きに慰もる心もあらむ我れぞ苦しき
      (大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸)
 「大夫(ますらを)は」は「殿方は」と訳すと良い。「慰もる」は上句と下句に共用されている。
 「殿方は友と騒ぎ立てて心紛らわせられましょう。けれども女の私は心を晴らす場がなく苦しいばかりです」という歌である。

2572  偽りも似つきてぞするいつよりか見ぬ人恋ふに人の死せし
      (偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人戀尓 人之死為)
 「似つきてぞする」は「もっともらしくおしゃる」という意味。
 「偽(いつわり)りも本当らしくおっしゃるのね。いつの世から、逢ってもいない人に恋して人は死ぬというのでしょう」という歌である。

2573  心さへ奉れる君に何をかも言はず言ひしと我がぬすまはむ
      (情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾将竊食)
 「奉(まつ)れる」は「捧げている」という意味。「言はず言ひしと」は「言わないだの言ったなどと」という、「ぬすまはむ」は「ごまかしましょう」という意味である。本歌は遠く万葉の時代の男女の口げんかを見ているような、親しみが持てる歌である。
 「心さえ捧げつくしているあなたに、どうして、言わないだの言ったなどとごまかしましょう」という歌である。

2574  面忘れだにもえすやと手握りて打てども懲りず恋といふ奴
      (面忘 太尓毛得為也登 手握而 雖打不寒 戀<云>奴)
 前歌の続きのような歌である。「面忘れだにも」は「顔だけでも忘れられない」という意味である。「えすやと」は「られないか」という意味。
 「顔だけでも忘れられないかと、こぶしを握り、打てども打てども忘れられない(懲りない)恋という奴」という歌である。

2575  めづらしき君を見むとこそ左手の弓取る方の眉根掻きつれ
      (希将見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼)
 「めづらしき」は「なかなか」という、「君を見むと」は「あなたに逢えないかと」という意味である。「眉根掻きつれ」はおまじないの所作。
 「なかなかやってこないあなたに逢えないかと、左手の弓取る方の眉を掻いてみた」という歌である。

2576  人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き
      (人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曽左太多寸)
 2565番歌を思い起こさせるような歌。「人間(ひとま)守り」は「人目のないのを見計らって」という、「言(こと)ぞさだ多き」は「世間の噂がうるさい」という意味である。
 「人目のないのを見計らって、葦垣越しに彼女を見ただけなのに世間の噂はうるさい」という歌である。

2577  今だにも目な乏しめそ相見ずて恋ひむ年月久しけまくに
      (今谷毛 目莫令乏 不相見而 将戀<年>月 久家真國)
 「今だにも」は「今だけでも」という意味。「目な」は「逢う」こと。「乏(とも)しめそ」は「少なくしない」すなわち「存分に逢って下さい」という意味。「相見ずて恋ひむ」は「逢えなくて恋暮らさねば」という意味である。「久しけまくに」は「久しく続くでしょうから」という意味。
 「今だけでも、存分にお逢い下さい。お逢いできずに恋いしい年月が久しく続くときもありましょうから」という歌である。

2578  朝寝髪我れは梳らじうるはしき君が手枕触れてしものを
      (朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾)
 読解不要の平明歌といってよかろう。
 「寝起きの朝髪、くし梳(けづ)らないでおこうかしら。うるわしいあなたが手枕して触れた髪ですもの」という歌である。

2579  早行きていつしか君を相見むと思ひし心今ぞなぎぬる
      (早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曽水葱少熱)
 「いつしか」は「すぐにでも」というはやる心を表現している。
 「早く行ってすぐにでもあなたに逢いたいとはやる気持ちも、(こうしてお逢いできて)今は落ち着きました」という歌である。

2580  面形の忘るとあらばあづきなく男じものや恋ひつつ居らむ
      (面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居)
 「あづきなく」は「味気なく」という意味だが、ここは「不甲斐なく」という意味。「男じものや」は「男たるものか」という意味。
 「彼女の面影が忘れられるものなら、不甲斐なく、男子たるものがこのように恋い焦がれ続けていてよいものか」という歌である。

2581  言に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我が思はなくに
      (言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二)
 「言(こと)に言へば」は「言葉に出して言うと」という意味。「我が思はなくに」は「心の内はそうではないけれど」という意味である。
 「言葉に出して言うと軽々しく聞こえるでしょう。が、少なくとも心の底では真剣に思っています」という歌である。

2582  あづきなく何のたはこと今さらに童言する老人にして
      (小豆奈九 何狂言 今更 小童言為流 老人二四手)
 「あづきなく」は前々歌参照。「童言(わらはこと)する」は「子供じみた」という意味である。自分で自分にあきれている歌である。
 「何とまあ不甲斐ないことよ。こんな訳の分からないことを言って。今更こんな子供じみたことを言うなんて、老人の身でありながら」という歌である。

2583  相見ては幾久さにもあらなくに年月のごと思ほゆるかも
      (相見而 幾久毛 不有尓 如年月 所思可聞)
 「幾久さにも」は「大して経っても」という意味。
 「逢ってから大して経ってもいないのに、幾年月も逢わずにいるように思われる」という歌である。

2584  ますらをと思へる我れをかくばかり恋せしむるは悪しくはありけり
      (大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来)
 「ますらをと」は「一人前の男と」という意味。「悪しくはありけり」は色々に取れるが、「いじめないでよ」と解しておこう。
 「一人前の男と思っているその私をこんなにも恋に苦しめるとは。いじめないでほしい」という歌である。
           (2015年5月26日記、2018年11月17日)
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