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Channel: 古代史の道
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平和公園

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 お盆シーズン真っ盛りである。私は一足早く、11日に兄弟三人揃って平和公園に墓参りに出かけた。平和公園は大小様々な寺の集合墓地である。
 これまで毎年欠かさずお盆の墓参りに出かけている。幸い雨に降られた記憶がない。特に今回は曇天気味でしのぎやすく、汗っかきの私としては大助かりであった。
 さて、毎年の墓参りで例年と特に変わった様子は見受けられなかった。が、どうしたわけか今年はどこか妙な気分に襲われた。自分が天界にいて下界を見下ろしているような感覚なのである。墓が平和公園の高台に位置しているので見下ろす気分になりやすいことに起因するのかも知れないが・・・。が、それは毎年のことなので、そればかりではなさそうだ。
 別世界、そう別世界にやってきたという感じといったらいいだろうか。周囲は累々と並び重なる墓ばかり。が、平和公園の外では私を含めた人間の営みが騒然とした中で行われている。が、それが何なのだ、と思ったとき、生を受けた、その悲しみと有り難さがない交ぜになって私を襲った。達観?、悟り?。むろんとんでもはっぷんである。私は達観や悟りの境地とは対極の位置に立つ、いわば衆生の一人に過ぎない。
 が、平和公園の高みから光景を見下ろした時、ふっと下界を見下ろす気分になったことはどう説明したらよいのだろう。私の中に「達観や悟りの境地」への憧憬が内在しているのだろうか。
 私はもやもやした気分のまま平和公園を後にした。この気分、ひょっとして老境の証左?。むろん、まだまだここでくたばるわけにはいかない。ひと様がどう思おうと、この自分にはやることがある。そう思ったとき、やっと別世界からこちら側に戻ってきた気分に浸されだした。
          (2014年8月15日)
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