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Channel: 古代史の道
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温泉の場

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 前回、尾張温泉に行ったことを告げた。今回も尾張温泉の話題である。前回「脱衣ボックスが男女各二百、計四百近くもある。」と記した。が、今回行って脱衣ボックスが男だけで250あることを確認した。女も同数とすれば、全部で500もの巨大銭湯ということになる。これだけの施設となれば土日などのピーク時となれば、500人前後の人が集まってくる筈だ。
 土日に行ったことのある、同行した相棒に聞いてみると、まるで芋を洗うような有様だったという。「二度と土日に行きたくない」というのが彼女の感想だった。
 ところが、人好きの私は、内心、興味をそそられた。人と人とが接するというのは、本来こういう場で醸成されるのじゃなかろうか、と思ったのである。
 世間話を嫌う人がいるが、不思議な心理である。
 もしも尾張温泉のような巨大な、それこそ芋を洗うような場で、「よく来られるんですか」とでも声をかけてみたらどうなるだろう。お互いに全く無防備な裸と裸の場。つっけんどんに終始する人は希だろう。この一言で世間話に花が咲くこと請け合いである。
 隣近所の悪口も含めて、互いの人生観や時事問題等に、屈託のない雑談が始まり、銭湯しかなかった時代がそうであったように、ラジオもテレビもなければ、私たち庶民はこうしたところで、情報交換するしかなかったのである。
 お偉い代議士さんも社長さんも、裸と裸ということになれば、人としてなんら異なる所はない。まさに、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」である。私は最近、松尾芭蕉にはまっている。俳句の聖人と敬われる偉い俳人。でもいささかも偉ぶった所が感じられない。こういう芭蕉のような人であってこそ、私のような庶民も心から敬うことができる。
           (2018年11月8日)
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