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そ の 168 へ
万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)
2647 東細布の空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや
(東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也)
古来難解とされる歌。「東細布(しののめ)の」は「東の細布なす雲を」という意味に、「空ゆ引き越し」は「空高くから引き垂らし」という意味に私は解する。「目言(めこと)離(か)るらめ」は「目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど」という意味である。
「東細布(しののめ)の細長い雲が幾重にも垂れ、空高くからカーテンのようになっている。遠いので目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど、そのカーテンが二人を隔てているわけではない」という歌である。
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万葉集読解・・・167(2647~2666番歌)
2647 東細布の空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや
(東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也)
古来難解とされる歌。「東細布(しののめ)の」は「東の細布なす雲を」という意味に、「空ゆ引き越し」は「空高くから引き垂らし」という意味に私は解する。「目言(めこと)離(か)るらめ」は「目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど」という意味である。
「東細布(しののめ)の細長い雲が幾重にも垂れ、空高くからカーテンのようになっている。遠いので目を合わせたり言葉を交わしたりすることは出来ないけれど、そのカーテンが二人を隔てているわけではない」という歌である。
2648 かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に
(云々 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二)
「かにかくに」は「あれこれと」という意味。「飛騨人の打つ墨縄」は当時有名だったのだろう。
「あれやこれやと思ったりしません。飛騨人の打つ墨縄のようにただ一筋にまっすぐあなたを思っています」という歌である。
(云々 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二)
「かにかくに」は「あれこれと」という意味。「飛騨人の打つ墨縄」は当時有名だったのだろう。
「あれやこれやと思ったりしません。飛騨人の打つ墨縄のようにただ一筋にまっすぐあなたを思っています」という歌である。
2649 あしひきの山田守る翁が置く蚊火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ
(足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「置く蚊火(かひ)の」は蚊遣火のこと。置くとなっているので大がかりなものではなく、番小屋に置いた蚊遣火であろう。「下焦れのみ」は「下が焦げるのみで」という意味。
「山田を見張る番小屋の翁(をぢ)が置いている蚊遣火の下が焦げるように私は密かに恋焦がれるばかりです」という歌である。
(足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「置く蚊火(かひ)の」は蚊遣火のこと。置くとなっているので大がかりなものではなく、番小屋に置いた蚊遣火であろう。「下焦れのみ」は「下が焦げるのみで」という意味。
「山田を見張る番小屋の翁(をぢ)が置いている蚊遣火の下が焦げるように私は密かに恋焦がれるばかりです」という歌である。
2650 そき板以ち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ
(十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼)
そき板(そきた)は木を薄くそいで作った板だという。「あはざらば」は「合はざらば」と「逢はざらば」をかけている。
「そき板を以って葺(ふ)いた屋根の板目が合わなくなったら(逢って下さらなくなったら)、どうしよう。共寝を始めた私は」という歌である。
(十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼)
そき板(そきた)は木を薄くそいで作った板だという。「あはざらば」は「合はざらば」と「逢はざらば」をかけている。
「そき板を以って葺(ふ)いた屋根の板目が合わなくなったら(逢って下さらなくなったら)、どうしよう。共寝を始めた私は」という歌である。
2651 難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき
(難波人 葦火燎屋之 酢四手雖有 己妻許増 常目頬次吉)
難波人が火を焚く葦は有名だったのだろうか?「常めづらしき」の「めづらしき」は「珍しい」という意味ではなく、「新鮮である」という意味である。
「難波人が葦で火を焚くので家内は煤けているけれど、私の妻はいつも新鮮」という歌である。
(難波人 葦火燎屋之 酢四手雖有 己妻許増 常目頬次吉)
難波人が火を焚く葦は有名だったのだろうか?「常めづらしき」の「めづらしき」は「珍しい」という意味ではなく、「新鮮である」という意味である。
「難波人が葦で火を焚くので家内は煤けているけれど、私の妻はいつも新鮮」という歌である。
2652 妹が髪上小竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば
(妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者)
「妹が髪上げ」に続いて「竹葉野の」を「たく(しあげ)」にかけて読み、「荒(あら)びにけらし」を「放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れる」と解する。すなわち、「彼女の髪をたくし上げるという竹葉野の放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れたらしい、逢ってくれないことを思えば」というのが定解である。が、この定解ではすっきりしない。原文は「上小竹葉野之」となっている。「髪をあげ」を「竹葉野」にかけたければ「上小」が余分で、「妹が髪竹葉野の」とすれば十分である。彼女の気持ちを放れ駒に喩えるのもどこか変である。、「上小竹葉野之」は「かみしのはのの」と読んで野原の地名と私は解する。
「彼女の髪は上小竹葉野に放たれた馬たちのようにばらばら、そんな風に私と彼女は離れてしまったのだろうか、逢ってくれないことを思えば」という歌である。
(妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者)
「妹が髪上げ」に続いて「竹葉野の」を「たく(しあげ)」にかけて読み、「荒(あら)びにけらし」を「放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れる」と解する。すなわち、「彼女の髪をたくし上げるという竹葉野の放れ駒(馬)のように彼女の気持ちが荒れたらしい、逢ってくれないことを思えば」というのが定解である。が、この定解ではすっきりしない。原文は「上小竹葉野之」となっている。「髪をあげ」を「竹葉野」にかけたければ「上小」が余分で、「妹が髪竹葉野の」とすれば十分である。彼女の気持ちを放れ駒に喩えるのもどこか変である。、「上小竹葉野之」は「かみしのはのの」と読んで野原の地名と私は解する。
「彼女の髪は上小竹葉野に放たれた馬たちのようにばらばら、そんな風に私と彼女は離れてしまったのだろうか、逢ってくれないことを思えば」という歌である。
2653 馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つるけだし君かと
(馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡)
「とどとも」は馬の擬声音。
「どどどという馬音がすると、松蔭に出て様子を窺う。けだしあなたではないかと」という歌である。
(馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡)
「とどとも」は馬の擬声音。
「どどどという馬音がすると、松蔭に出て様子を窺う。けだしあなたではないかと」という歌である。
2654 君に恋ひ寝ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足音ぞ我れに聞かする
(君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為)
「我れに聞かする」は「聞こえよがしに」という意味である。
「あなたが恋しくて寝られなかった夜明けに誰が乗るやら馬の足音がする、この私に聞こえよがしに」という歌である。
(君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為)
「我れに聞かする」は「聞こえよがしに」という意味である。
「あなたが恋しくて寝られなかった夜明けに誰が乗るやら馬の足音がする、この私に聞こえよがしに」という歌である。
2655 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ [一云 裾漬く川を 又曰 待ちにか待たむ]
(紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待])
「紅(くれなゐ)の裾」は「紅色の裳裾」である。「中に置きて」は「中にはさんで」という意味。
「紅色の裳裾を引いて向かう道を中にはさんで私が通いましょうか、あるいはあなたが来て下さいますか」という歌である。
異伝歌は「紅の裾引く道を」の部分が「(紅の)裾漬く川を」と道が川になっていて、こちらの方が本歌かと思われる。また「我れは通はむ」の部分が「待ちにか待たむ」となっている。
(紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待])
「紅(くれなゐ)の裾」は「紅色の裳裾」である。「中に置きて」は「中にはさんで」という意味。
「紅色の裳裾を引いて向かう道を中にはさんで私が通いましょうか、あるいはあなたが来て下さいますか」という歌である。
異伝歌は「紅の裾引く道を」の部分が「(紅の)裾漬く川を」と道が川になっていて、こちらの方が本歌かと思われる。また「我れは通はむ」の部分が「待ちにか待たむ」となっている。
2656 天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも
(天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛)
「天飛ぶや軽の社(やしろ)の」は「天飛ぶ雁」を「軽の社」にかけたもの。「斎(いは)ひ槻(つき)」は神木の槻。
「天を飛ぶ軽の社の槻の神木のように、いつまで隠し妻のままでいるのかしら」という歌である。
(天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛)
「天飛ぶや軽の社(やしろ)の」は「天飛ぶ雁」を「軽の社」にかけたもの。「斎(いは)ひ槻(つき)」は神木の槻。
「天を飛ぶ軽の社の槻の神木のように、いつまで隠し妻のままでいるのかしら」という歌である。
2657 神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの
(神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物)
「神なびに」は「神のいらっしゃる山に」、「ひもろき」は「神が降りてくる常緑樹」という意味。
「神のいらっしゃる山に神が降りてくる常緑樹を立てて誓っても、人の心は守ることができない」という歌である。
(神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物)
「神なびに」は「神のいらっしゃる山に」、「ひもろき」は「神が降りてくる常緑樹」という意味。
「神のいらっしゃる山に神が降りてくる常緑樹を立てて誓っても、人の心は守ることができない」という歌である。
2658 天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ
(天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南)
第三句「~鳴る神の」までは序歌。雲に隠れて鳴る神はむろん雷神のことである。「聞きわたりなむ」は「噂を聞き続けている」という意味。人の噂の比喩ととっても、そのまま雷の音ととっても通用するなかなかの秀歌である。
「天雲の八重雲の奥から鳴り響く雷の音(噂)のみが聞こえてくる、逢えないあの人の噂を聞き続けています」という歌である。
(天雲之 八重雲隠 鳴神之 音耳尓八方 聞度南)
第三句「~鳴る神の」までは序歌。雲に隠れて鳴る神はむろん雷神のことである。「聞きわたりなむ」は「噂を聞き続けている」という意味。人の噂の比喩ととっても、そのまま雷の音ととっても通用するなかなかの秀歌である。
「天雲の八重雲の奥から鳴り響く雷の音(噂)のみが聞こえてくる、逢えないあの人の噂を聞き続けています」という歌である。
2659 争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに
(争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓)
「争へば」は何を誰と争うのか分からない。が、歌意が通ると、逆に分かる。「神も憎ます」は「神もお憎みになる」という意味。「よしゑやし」は2031番歌、2301番歌等に使用例がある。「ええい、ままよ」という感嘆詞。「よそふる君が」は「噂を立てられるあの方が」という意味。そしてここまでくると、初句の「争へば」は世間の人と争う意味であることが分かる。
「いたづらに世間の噂に抵抗すれば。神様もお憎みになる。ようし、噂を立てられるあの方が憎くもないのですもの」という歌である。
(争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓)
「争へば」は何を誰と争うのか分からない。が、歌意が通ると、逆に分かる。「神も憎ます」は「神もお憎みになる」という意味。「よしゑやし」は2031番歌、2301番歌等に使用例がある。「ええい、ままよ」という感嘆詞。「よそふる君が」は「噂を立てられるあの方が」という意味。そしてここまでくると、初句の「争へば」は世間の人と争う意味であることが分かる。
「いたづらに世間の噂に抵抗すれば。神様もお憎みになる。ようし、噂を立てられるあの方が憎くもないのですもの」という歌である。
2660 夜並べて君を来ませとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
(夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無)
「夜並(なら)べて」は毎晩という意味。「君を来ませと」は「あなたいらっしゃい」と呼びかけた言い方。「ちはやぶる」はお馴染みの枕詞。「祷(の)まぬ日はなし」はお祈りしない日はありません」という意味。原文の「不祈日」の方がよく分かる。
「毎晩あなたいらっしゃいと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。
(夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無)
「夜並(なら)べて」は毎晩という意味。「君を来ませと」は「あなたいらっしゃい」と呼びかけた言い方。「ちはやぶる」はお馴染みの枕詞。「祷(の)まぬ日はなし」はお祈りしない日はありません」という意味。原文の「不祈日」の方がよく分かる。
「毎晩あなたいらっしゃいと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。
2661 霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし
(霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 ね無)
「霊(たま)ぢはふ」は全万葉集歌中本例一例しかなく、はっきりしたことは言えない。「お守り下さる」くらいの意味でよかろう。「しゑや」は前々歌の「よしゑやし」の約まった形。
「いつもお守り下さる神様、今回は私をお見棄て下さい。ええい、命の惜しいことなどありません」という歌である。
(霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 ね無)
「霊(たま)ぢはふ」は全万葉集歌中本例一例しかなく、はっきりしたことは言えない。「お守り下さる」くらいの意味でよかろう。「しゑや」は前々歌の「よしゑやし」の約まった形。
「いつもお守り下さる神様、今回は私をお見棄て下さい。ええい、命の惜しいことなどありません」という歌である。
2662 我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
(吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無)
「ちはやぶる」も「祷(の)まぬ日はなし」も前々歌参照。
「あの子にもう一度逢えないかと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。
(吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無)
「ちはやぶる」も「祷(の)まぬ日はなし」も前々歌参照。
「あの子にもう一度逢えないかと神社に行ってお祈りしない日はありません」という歌である。
2663 ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
(千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無)
「神の斎垣(いかき)も」は「神聖な垣根も」ということ。「今の私は神聖な神様の垣根も越えてしまいそうです。もう我が名など惜しいことはありません」という歌である。
(千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無)
「神の斎垣(いかき)も」は「神聖な垣根も」ということ。「今の私は神聖な神様の垣根も越えてしまいそうです。もう我が名など惜しいことはありません」という歌である。
2664 夕月夜暁闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねに
(暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹)
「夕月夜暁闇の」は「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて」という意味。
「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて、早朝の光を受けて我が身は細長い影法師になってしまった。あなたへの思いに絶えかねて」という歌である。
(暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹)
「夕月夜暁闇の」は「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて」という意味。
「夕月夜だったその月も没してしまった。暁に闇がきて、早朝の光を受けて我が身は細長い影法師になってしまった。あなたへの思いに絶えかねて」という歌である。
2665 月しあれば明くらむ別も知らずして寝て我が来しを人見けむかも
(月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨)
「月しあれば」は強意の「し」。「明くらむ別(わき)も知らずして」は「夜が明けたことも知らないで」という意味である。
「空に月が出ていたので、夜が明けたことも知らず寝てしまった。家を急いで出てきたが、その姿を人に見られただろうか」という歌である。
(月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨)
「月しあれば」は強意の「し」。「明くらむ別(わき)も知らずして」は「夜が明けたことも知らないで」という意味である。
「空に月が出ていたので、夜が明けたことも知らず寝てしまった。家を急いで出てきたが、その姿を人に見られただろうか」という歌である。
2666 妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし
(妹目之 見巻欲家口 夕闇之 木葉隠有 月待如)
「見まく欲しけく」は「逢いたいと思う気持」という意味である。細かく言うと、「見たいと欲すること」という意味で、動詞を名詞化しているわけである。
「彼女にひと目逢いたいと思う気持は、夕闇になって木の葉に隠れた月がまた出てくるのを待っているようなものだ」という歌である。
(2015年6月16日記、2019年3月11日)
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(妹目之 見巻欲家口 夕闇之 木葉隠有 月待如)
「見まく欲しけく」は「逢いたいと思う気持」という意味である。細かく言うと、「見たいと欲すること」という意味で、動詞を名詞化しているわけである。
「彼女にひと目逢いたいと思う気持は、夕闇になって木の葉に隠れた月がまた出てくるのを待っているようなものだ」という歌である。
(2015年6月16日記、2019年3月11日)