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そ の 169 へ
万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)
2667 真袖もち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
(真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾)
「真袖(まそで)もち」は片袖に対する言い方で両袖のこと。が、両袖で床を払うとはどういう図だろう。イメージしにくい。埃を払うのに両袖でする風習でもあったのだろうか。この点どの書にも何の解説もない。あるいは長い袖なので歩くたびに床を払うことをいうか?。もしもこの解釈が正しければ、部屋の中を行ったり来たりする状況を表している。歌意にはぴったりなのでこう解しておきたい。
「あなたを待って(落ち着かなく)部屋を行ったり来たりするうち、すった両袖で床が払われ、いつの間にか月が傾いてしまったわ」という歌である。こう解すると、相手を待つ間の苛々を「真袖もち床うち掃ひ」で表現していることになり、秀歌であることが分かる。
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万葉集読解・・・168(2667~2688番歌)
2667 真袖もち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
(真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾)
「真袖(まそで)もち」は片袖に対する言い方で両袖のこと。が、両袖で床を払うとはどういう図だろう。イメージしにくい。埃を払うのに両袖でする風習でもあったのだろうか。この点どの書にも何の解説もない。あるいは長い袖なので歩くたびに床を払うことをいうか?。もしもこの解釈が正しければ、部屋の中を行ったり来たりする状況を表している。歌意にはぴったりなのでこう解しておきたい。
「あなたを待って(落ち着かなく)部屋を行ったり来たりするうち、すった両袖で床が払われ、いつの間にか月が傾いてしまったわ」という歌である。こう解すると、相手を待つ間の苛々を「真袖もち床うち掃ひ」で表現していることになり、秀歌であることが分かる。
2668 二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ
(二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来)
二上は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町に跨がる山。「妹が手本を」だが、通常「彼女の手枕」と解されているが、「彼女の元を」と解した方が適切。
「二上山に隠れる月は名残惜しいけれど、彼女の元を離れて久しいこの頃とりわけ名残惜しい」という歌である。
(二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来)
二上は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町に跨がる山。「妹が手本を」だが、通常「彼女の手枕」と解されているが、「彼女の元を」と解した方が適切。
「二上山に隠れる月は名残惜しいけれど、彼女の元を離れて久しいこの頃とりわけ名残惜しい」という歌である。
2669 我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき
(吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引)
「雲なたなびき」は禁止の「な~」。
「あの方がこちらの方を振り返りながら嘆いておいででしょう。清らかな月夜、雲よたなびかないでおくれ」という歌である。
(吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引)
「雲なたなびき」は禁止の「な~」。
「あの方がこちらの方を振り返りながら嘆いておいででしょう。清らかな月夜、雲よたなびかないでおくれ」という歌である。
2670 まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ
(真素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益)
「ゆつりなば」は「移りなば」で「月夜が移っていってしまえば」という意味である。 「まそ鏡のように清らかな月夜が移っていってしまえば、あなたへの思いはやまず、いっそう恋しさがまさります」という歌である。
(真素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益)
「ゆつりなば」は「移りなば」で「月夜が移っていってしまえば」という意味である。 「まそ鏡のように清らかな月夜が移っていってしまえば、あなたへの思いはやまず、いっそう恋しさがまさります」という歌である。
2671 今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし
(今夜之 在開月夜 在乍文 公(口+リ)置者 待人無)
「有明月夜」は次句の「ありつつも」にかけている。
「今夜の有(あり)明の月夜のようにあり続けても、あなたをおいて待つ人はおりません」という歌である。
(今夜之 在開月夜 在乍文 公(口+リ)置者 待人無)
「有明月夜」は次句の「ありつつも」にかけている。
「今夜の有(あり)明の月夜のようにあり続けても、あなたをおいて待つ人はおりません」という歌である。
2672 この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも
(此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨)
「月の空なる」は月が中空高く上がった状態を示している。
「この山の嶺に近いと(手が届きそうな)月と見ていたのが、やがて遙か遠い中空にかかっている(手の届きそうにない)恋をしているのかなあ」という歌である。
(此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨)
「月の空なる」は月が中空高く上がった状態を示している。
「この山の嶺に近いと(手が届きそうな)月と見ていたのが、やがて遙か遠い中空にかかっている(手の届きそうにない)恋をしているのかなあ」という歌である。
2673 ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ
(烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「ゆつりなば」は2970番歌参照。
「夜渡る月が移っていってしまったら、さらにいっそう私は彼女に恋い焦がれることだろうな」という歌である。
(烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「ゆつりなば」は2970番歌参照。
「夜渡る月が移っていってしまったら、さらにいっそう私は彼女に恋い焦がれることだろうな」という歌である。
2674 朽網山夕居る雲の薄れゆかば我れは恋ひむな君が目を欲り
(朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲)
朽網山(くたみやま)は大分県竹田市にある久住山のこととされている。
「朽網山(くたみやま)の夕方にかかっていた雲が薄れ晴れてくると、私はあの方が恋しい、一目あの方に逢いたくて」という歌である。
(朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲)
朽網山(くたみやま)は大分県竹田市にある久住山のこととされている。
「朽網山(くたみやま)の夕方にかかっていた雲が薄れ晴れてくると、私はあの方が恋しい、一目あの方に逢いたくて」という歌である。
2675 君が着る御笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも
(君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨)
御笠の山は奈良県春日山の一峰。初句の「君が着る」は御笠の山にかかる枕詞という説があるが、本歌一例しかなく、枕詞(?)である。987番歌に「妹が着る御笠の山」とある。これからすると、笠をいただいた御笠山から「立派な着物を着た」という美称と取れる。「居る雲の」は「低くかかった雲が」、「立てば」は「立ち上れば」という意味。「継がるる」は「次々と立ち上ってくる雲のように」という意味である。
「笠をかぶり立派な着物を着た御笠山。そこに低くかかった雲がかかり、次々と上ってきて、湧いては湧いてはやってくるそんな恋をしている」という歌である。
(君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨)
御笠の山は奈良県春日山の一峰。初句の「君が着る」は御笠の山にかかる枕詞という説があるが、本歌一例しかなく、枕詞(?)である。987番歌に「妹が着る御笠の山」とある。これからすると、笠をいただいた御笠山から「立派な着物を着た」という美称と取れる。「居る雲の」は「低くかかった雲が」、「立てば」は「立ち上れば」という意味。「継がるる」は「次々と立ち上ってくる雲のように」という意味である。
「笠をかぶり立派な着物を着た御笠山。そこに低くかかった雲がかかり、次々と上ってきて、湧いては湧いてはやってくるそんな恋をしている」という歌である。
2676 ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに
(久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「ありてしか」は願望。「あったなら」という意味である。「おつる日なしに」は独特の表現。「毎日欠かさず」という意味。
「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌である。
(久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「ありてしか」は願望。「あったなら」という意味である。「おつる日なしに」は独特の表現。「毎日欠かさず」という意味。
「あの空を飛ぶ雲であったなら、あの方とお逢いできる、毎日欠かさずに」という歌である。
2677 佐保の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜ぞ多き
(佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸)
佐保の内は奈良市法蓮町あたり。
「佐保の内を嵐が吹き抜ける季節になったので、帰りはいつになるやら分からず、嘆く夜が多くなった」という歌である。
(佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸)
佐保の内は奈良市法蓮町あたり。
「佐保の内を嵐が吹き抜ける季節になったので、帰りはいつになるやら分からず、嘆く夜が多くなった」という歌である。
2678 はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥開けてさ寝にし我れぞ悔しき
(級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸)
「はしきやし」は嘆息の言葉。「玉櫛笥(たまくしげ)開けて」は「櫛箱を開けて」という意味で、「いつでも櫛を手に取れるように」という「待つ身の」強調表現。
「あーあ、吹いても来ない風なのに玉櫛笥を開けて寝ていた自分が悔しい」という歌である。
(級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸)
「はしきやし」は嘆息の言葉。「玉櫛笥(たまくしげ)開けて」は「櫛箱を開けて」という意味で、「いつでも櫛を手に取れるように」という「待つ身の」強調表現。
「あーあ、吹いても来ない風なのに玉櫛笥を開けて寝ていた自分が悔しい」という歌である。
2679 窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしぞ思ふ
(窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。平明歌。
「窓越しに皓々と照り輝く月が見える。嵐が吹きすさぶこんな夜はあの方のことを思う」という歌である。
(窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。平明歌。
「窓越しに皓々と照り輝く月が見える。嵐が吹きすさぶこんな夜はあの方のことを思う」という歌である。
2680 川千鳥棲む沢の上に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば
(河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言)
「いちしろけむな」は「はっきり目につく」という意味で、立つ霧の白さと目に立つをかけた言い方。「相言ひそめてば」は「愛の言葉を交わすようになったなら」という意味。
「川千鳥が住んでいるという沢の上に湧き上がる霧のように白く目に立つようになることだろうな。互いに愛の言葉を交わすようになったなら」という歌である。
(河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言)
「いちしろけむな」は「はっきり目につく」という意味で、立つ霧の白さと目に立つをかけた言い方。「相言ひそめてば」は「愛の言葉を交わすようになったなら」という意味。
「川千鳥が住んでいるという沢の上に湧き上がる霧のように白く目に立つようになることだろうな。互いに愛の言葉を交わすようになったなら」という歌である。
2681 我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
(吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓)
平明歌。
「あの方からの使いを待って笠もつけないで、戸口を出て今か今かと。雨が降っているというのに」という歌である。
(吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓)
平明歌。
「あの方からの使いを待って笠もつけないで、戸口を出て今か今かと。雨が降っているというのに」という歌である。
2682 韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を
(辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎)
「韓衣(からごろも)」は漠然と大陸風の着物のことを指している。
「韓衣をあの人に着せてみたいものだ。と恋い焦がれつつ雨の降る日を暮らしました」という歌である。
(辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎)
「韓衣(からごろも)」は漠然と大陸風の着物のことを指している。
「韓衣をあの人に着せてみたいものだ。と恋い焦がれつつ雨の降る日を暮らしました」という歌である。
2683 彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹
(彼方之 赤土少屋尓 霂霂零 床共所沾 於身副我妹)
「彼方の」は遠方に立てた小屋のことを指す。埴生(はにゅう)は赤土のこと。
「遠方の埴生(はにゅう)の上に立てた小屋。(二人でいたら)小雨が降り床まで濡れてしまった。妻よ私に寄り添ってくれ」という歌である。
(彼方之 赤土少屋尓 霂霂零 床共所沾 於身副我妹)
「彼方の」は遠方に立てた小屋のことを指す。埴生(はにゅう)は赤土のこと。
「遠方の埴生(はにゅう)の上に立てた小屋。(二人でいたら)小雨が降り床まで濡れてしまった。妻よ私に寄り添ってくれ」という歌である。
2684 笠無みと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ
(笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念)
「笠無みと」の「み」は「~ので」の「み」。「雨障(つつ)み」は「雨に遮られて」すなわち「雨に降り込まれて」という意味。
「笠がないのでと人には言って、雨に降り込まれたからと我が家に立ち寄ったあの方の姿が忘れられない」という歌である。
(笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念)
「笠無みと」の「み」は「~ので」の「み」。「雨障(つつ)み」は「雨に遮られて」すなわち「雨に降り込まれて」という意味。
「笠がないのでと人には言って、雨に降り込まれたからと我が家に立ち寄ったあの方の姿が忘れられない」という歌である。
2685 妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
(妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「雨も降らぬか」は「雨でも降ってきてくれないか」という意味である。「そをよしにせむ」は「それを口実にして」という意味。
「彼女の家の門を通りすぎかねる。雨でも降ってきてくれないか、それを口実にして立ち寄ることも出来ように」という歌である。
(妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「雨も降らぬか」は「雨でも降ってきてくれないか」という意味である。「そをよしにせむ」は「それを口実にして」という意味。
「彼女の家の門を通りすぎかねる。雨でも降ってきてくれないか、それを口実にして立ち寄ることも出来ように」という歌である。
2686 夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ
(夜占問 吾袖尓置 白露乎 於公令視跡 取者消管)
「夕占(ゆふけ)問ふ」は、四つ辻に出たり、神社に詣でたりして行う夕占い。
「夕占いをしていたら、私の袖に白露が降りてきた。その白露をあの方に見せようと、手に取れば消えてしまう」という歌である。
(夜占問 吾袖尓置 白露乎 於公令視跡 取者消管)
「夕占(ゆふけ)問ふ」は、四つ辻に出たり、神社に詣でたりして行う夕占い。
「夕占いをしていたら、私の袖に白露が降りてきた。その白露をあの方に見せようと、手に取れば消えてしまう」という歌である。
2687 桜麻の苧原の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも
(櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知)
「桜麻(さくらを)の」は麻の一種と思われる。「苧原(をはら)の下草」は「桜麻が茂る原」のことを言う。「い行け」の「い」は調子を整えたり意味を強めたりする接頭語。
「桜麻(さくらを)が茂る原の下草は露に濡れていますから、夜を明かしてお帰りなさいな、母が知ることになっても」という歌である。
(櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知)
「桜麻(さくらを)の」は麻の一種と思われる。「苧原(をはら)の下草」は「桜麻が茂る原」のことを言う。「い行け」の「い」は調子を整えたり意味を強めたりする接頭語。
「桜麻(さくらを)が茂る原の下草は露に濡れていますから、夜を明かしてお帰りなさいな、母が知ることになっても」という歌である。
2688 待ちかねて内には入らじ白栲の我が衣手に露は置きぬとも
(待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆)
「待ちかねて」は反語的表現で、「待ちかねたからと言って帰るものですか」という意味である。「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。
「待ちかねたからと言って家の庭には入りません。真っ白な私の着物の袖に露がおりてきても、私は待っています」という歌である。
(2015年6月19日記、2019年3月11日)
(待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆)
「待ちかねて」は反語的表現で、「待ちかねたからと言って帰るものですか」という意味である。「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。
「待ちかねたからと言って家の庭には入りません。真っ白な私の着物の袖に露がおりてきても、私は待っています」という歌である。
(2015年6月19日記、2019年3月11日)
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