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万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)

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     万葉集読解・・・171(2729~2749番歌)
2729  霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに
      (霰零 遠津大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君)
 「霰(あられ)降り」は「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞としている。が、枕詞(?)。「霰降り」は6例あるが、4例は「あられが降っている」と解してそのまま通じる。「遠(とほ)つ」(原文:遠津)にかかるのは本例と1293番歌のみ。いずれも遠江(浜名湖)が舞台。1293番歌は「霰降り遠江の吾跡川楊刈れどもまたも生ふとふ吾跡川楊」とある。「霰が降る遠江」と考えて差し支えない。「大浦」はどこか不詳。「よしも」は「たとえ」という意味。
 「霰が降るという遠江の大浦に寄せる波のようにたとえ噂が寄せられても構わない、憎くない人ですもの」という歌である。

2730  紀の浦の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに
      (木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓)
 「紀の浦の名高の浦」は和歌山県海南市名高町の海岸。音高きを導く序歌。
 「紀伊の国の名高の浦に押し寄せる波音のように、噂がすさまじい、逢ってもいないあの子なのに・・・。」という歌である。

2731  牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ
      (牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君 不相鴨将有)
 「牛窓(うしまど)」は岡山県瀬戸内市内にあった町。「寄そりし君は」は「噂が寄せられた人」という意味。
 「牛窓(うしまど)の潮騒が島中に響き渡るように、あの方との噂が立ってしまいました。いっそあの方に逢えればいいのに」という歌である。

2732  沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
      (奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞)
 「辺波(へなみ)」は「岸辺の波」のこと。「このさだ」は「この時」という意味だが、「このしだ」とも読める。ここは「佐太の浦」にかけているので「さだ」を用いている。
 「沖からの波、また岸辺からの返し波がやって来る佐太の浦の、この時が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろうな」という歌である。

2733  白波の来寄する島の荒磯にもあらましものを恋ひつつあらずは
      (白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者)
 「あらましものを」は「ありたいものだ」という意味。
 「白波がやって来る島の荒磯であったなら(ひとりでに波がやってくるのに)こうして恋い焦がれている」という歌である。

2734  潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて
      (塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而)
 前歌と同趣旨の歌。「我はなりてしか」は「私はなりたい」という意味。結句の「恋ひは死なずて」は特殊な表現。「恋ひに」と考えると分かりやすい。「恋に死ぬことも出来ず」という意味である。
 「潮が満ちてくるにつれ、水泡(みなわ)に浮かぶ真砂(まさご)のようにただよっていたい。恋に死ぬことも出来ず」という歌である。

2735  住吉の岸の浦廻にしく波のしくしく妹を見むよしもがも
      (住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得)
 「しく波の」は「繰り返しやって来る波」のことで、次句の「しくしく」を導く。「しくしく」は1236番歌「~しくしく思ほゆ」、1440番歌「春雨のしくしく降るに~」等「しきりに」という意味である。「見むよしもがも」は「逢う手段があればなあ」という意味。 「住吉の岸の浦辺に繰り返しやって来る波、そのようにも彼女にしばしば逢いたい。そんな手段があればなあ」という歌である。

2736  風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ君は相思ふらむか
      (風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香)
 「風をいたみ」は「風が激しいので」という意味。「いたぶる波の」は「激しく揺れて打ち寄せる波の」という意味である。次句の「間(あひだ)なく」(絶え間なく)を導く序歌。
 「風が激しく揺れて打ち寄せる波のように絶え間なく私はあの方を思っているけれど、あの方も私のことを思っていて下さるだろうか」という歌である。

2737  大伴の御津の白波間なく我が恋ふらくを人の知らなく
      (大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久)
 「大伴の御津」は大伴氏の本拠として知られる。難波の御津。
 「大伴の御津に打ち寄せる白波の絶え間がないように私は恋い焦がれているけれどあの人は知ってくれていない」という歌である。

2738   大船のたゆたふ海にいかり下ろしいかにせばかも我が恋やまむ
     (大大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨)
 「~いかり下ろし」までは「いかに」を導く序歌。
 「大船がただよう海にいかりを下ろして留めるが、どのようにしたら私の恋は静まるだろうか」という歌である。

2739  みさご居る沖つ荒磯に寄する波ゆくへも知らず我が恋ふらくは
      (水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波)
 みさごは海浜に棲むタカ科の猛禽。
 「みさごが居つく沖の荒磯に押し寄せる波のように行方も知れぬ我が恋は」という歌である。

2740  大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
      (大船之 <艫毛舳>毛 依浪 依友吾者 君之<任>意)
 「艫(へ)にも舳(とも)にも」は「船首や船尾にも」という意味。「~寄する波」は次句の「寄すとも」を導く序歌。
 「大船の船首や船尾にも波は打ち寄せて来ますが、どんな噂が打ち寄せようと、私はあなた様の御心のままにいたします」という歌である。

2741  大船に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし
      (大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨)
 特に読解を要しない平明歌。
 「大船に打ち寄せる波でも時には絶え間があるでしょうに、あなた様に恋い焦がれる気持にはやむときがありません」という歌である。

2742  志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
      (<壮>鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨)
 志賀は福岡県にある志賀町志賀島。「~塩の」は次句の「辛き恋をも」を導く序歌。
 「志賀島の海人(あま)が煙を立てて焼く塩の辛さは格別。そんな辛い恋を私はしています」という歌である。
 本歌の左注に「右一首は或いは石川君子朝臣の作という」とある。

2743  なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
      (中々二 君二不戀者 <枚>浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管)
 「なかなかに」は「中途半端に」という意味。比良の浦は滋賀県大津市北方の湖岸のあたり。
 「なまじあの方に恋しないで、比良の浦の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。
 或本歌曰 なかなかに君に恋ひずは留牛馬の浦の海人あらましを玉藻刈る刈る
      (中々尓 君尓不戀波 留牛馬浦之 海部尓有益男 珠藻苅々)
 留牛馬の浦(なはのうら)は「岩波大系本」によると、所在不詳。
 「なまじあの方に恋しないで、留牛馬の浦(なはのうら)の玉藻を刈り取っている海人であったらいいのに」という歌である。

2744  鱸取る海人の燈火外にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
      (鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日)
 鱸(すずき)は魚の一種。釣り舟が盛ん。
 「鱸取る海人の釣り舟の灯火のように、遠目には見づらい人なのに恋してしまったこの頃です」という歌である。

2745  港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも
      (湊入之 葦別小<舟> 障多見 吾念公尓 不相頃者鴨)
 「障(さは)り多み」は「~ので」の「み」。すなわち「支障が多いので」という意味。「逢はぬころかも」は「近頃なかなか逢えない」という意味。
 「港に入る小舟が葦を押し分け押し分け進むように支障が多く、我が恋するあの方とは噂が激しく、近頃なかなか逢えない」という歌である。

2746  には清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
      (庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨)
 「には清(きよ)み」は「~ので」の「み」で、「海面が平穏なので」という意味。「楫取る間なき」は「梶を操る暇もなく」という意味である。
 「海面が平穏なのでひっきりなしに沖へ出て行く海人舟が梶を操る暇がないように、絶え間なく恋い焦がれています」という歌である。

2747  あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも
      (味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方)
 「あぢかまの」は全万葉集歌中3例存在するが、3例とも異なる語が続く。本歌のほかに3551番歌の「あぢかまの潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて」と3553番歌の「あじかまの可家の港に入る潮のこてたずくもが入りて寝まくも」の「あぢかまの」である。意味も決まりもなく、枕詞(?)。本歌では「アジカモやカモの群れ飛ぶ」と解しておきたい。塩津は滋賀県長浜市。琵琶湖北端に塩津神社があり、そのあたり。
 「アジカモやカモの群れ飛ぶ塩津をさして漕ぐ船の、その名を告げたのですもの。あなたにお逢いせずにおられましょうか」という歌である。

2748  大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも
      (大<船>尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨)
 「しみみにも」は「いっぱいに」という意味。
 「大船に葦を刈り取っていっぱいにしてしまったように、彼女は私の心にいっぱい占めてしまった」という歌である。

2749  駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも
      (驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨)
 駅路(はゆまぢ)は駅に通じる道のこと。「引き舟渡し」は対岸にロープを渡して引いた。「直(ただ)乗りに」は「一直線に」という意味。
 「駅路(はゆまぢ)に出るため、舟を引いて一直線に渡すように、彼女は私の心を一直線に占めてしまった」という歌である。
           (2015年7月9日記、2019年3月13日)
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