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万葉集読解・・・173(2772~2795番歌)
2772 真野池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか
(真野池之 小菅乎笠尓 不縫為而 人之遠名乎 可立物可)
「真野池の」の「真」は美称。「野の池」のこと。「縫(ぬ)はずして」は「深い仲でもないのに」というたとえである。
「真野池の小菅でまだ笠を縫ってもいないのに(深い仲にもなっていないのに)遠くまで噂が広がってよいものだろうか」という歌である。
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万葉集読解・・・173(2772~2795番歌)
2772 真野池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか
(真野池之 小菅乎笠尓 不縫為而 人之遠名乎 可立物可)
「真野池の」の「真」は美称。「野の池」のこと。「縫(ぬ)はずして」は「深い仲でもないのに」というたとえである。
「真野池の小菅でまだ笠を縫ってもいないのに(深い仲にもなっていないのに)遠くまで噂が広がってよいものだろうか」という歌である。
2773 さす竹の節隠りてあれ我が背子が我がりし来ずは我れ恋めやも
(刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方)
「節隠(よこも)りて」はしっかりした竹(さす竹)の節に隠れているという意味。「我がり」は暗がりと同様、「~のもとへ」という意味。
「しっかりした竹の節に隠れるようにあなたが隠っておいでになれば、すなわち私の許へおいでにならなければ、恋に苦しむことはないでしょうに」という歌である。
(刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方)
「節隠(よこも)りて」はしっかりした竹(さす竹)の節に隠れているという意味。「我がり」は暗がりと同様、「~のもとへ」という意味。
「しっかりした竹の節に隠れるようにあなたが隠っておいでになれば、すなわち私の許へおいでにならなければ、恋に苦しむことはないでしょうに」という歌である。
2774 神奈備の浅小竹原のうるはしみ我が思ふ君が声のしるけく
(神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口)
「神奈備(なび)の」は「神が降臨する」という意味である。「淺小竹(あさしの)原」は「丈の低い篠原」のことである。「うるはしみ」は「敬愛する」という意味。
「神が降臨するという丈の低い篠原を敬愛するように敬愛するあの方の声がよくとおる」という歌である。
(神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口)
「神奈備(なび)の」は「神が降臨する」という意味である。「淺小竹(あさしの)原」は「丈の低い篠原」のことである。「うるはしみ」は「敬愛する」という意味。
「神が降臨するという丈の低い篠原を敬愛するように敬愛するあの方の声がよくとおる」という歌である。
2775 山高み谷辺に延へる玉葛絶ゆる時なく見むよしもがも
(山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得)
「山高み」は「~なので」の「み」。玉葛(かづら)は葛のことで、玉は美称。「見むよしもがも」は「逢えるものなら」という願望。
「山がけわしく谷辺に延びる葛が絶えることなく続いているように、絶えることなくあの方に逢えるものならなあ」という歌である。
(山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得)
「山高み」は「~なので」の「み」。玉葛(かづら)は葛のことで、玉は美称。「見むよしもがも」は「逢えるものなら」という願望。
「山がけわしく谷辺に延びる葛が絶えることなく続いているように、絶えることなくあの方に逢えるものならなあ」という歌である。
2776 道の辺の草を冬野に踏み枯らし我れ立ち待つと妹に告げこそ
(道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞)
「冬野に踏み枯らし」は「冬野の枯れ草になるほど踏みつけ」という意味。
「道の辺の草を冬野の枯れ草になるほど踏みつけ、じっと立って待っているとあの子に告げて下さい」という歌である。
(道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞)
「冬野に踏み枯らし」は「冬野の枯れ草になるほど踏みつけ」という意味。
「道の辺の草を冬野の枯れ草になるほど踏みつけ、じっと立って待っているとあの子に告げて下さい」という歌である。
2777 畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを
(疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾)
畳薦(たたみこも)は畳にする薦。「へだて編む数」は「畳の目を繰り返し繰り返し編む」という意味。
「畳の目を繰り返し編むほども通っていらっしゃれば、道の芝草など生えなかったでしょうに」という歌である。
(疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾)
畳薦(たたみこも)は畳にする薦。「へだて編む数」は「畳の目を繰り返し繰り返し編む」という意味。
「畳の目を繰り返し編むほども通っていらっしゃれば、道の芝草など生えなかったでしょうに」という歌である。
2778 水底に生ふる玉藻の生ひ出でずよしこのころはかくて通はむ
(水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通)
「よしこのころは」は「ままよ、当分は」という意味。
「水底に生える藻は水面に顔を出さないという。ままよ、当分はこのままそっと通おう」という歌である。
(水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通)
「よしこのころは」は「ままよ、当分は」という意味。
「水底に生える藻は水面に顔を出さないという。ままよ、当分はこのままそっと通おう」という歌である。
2779 海原の沖つ縄海苔うち靡き心もしのに思ほゆるかも
(海原之 奥津縄乗 打靡 心裳<四>怒尓 所念鴨)
縄海苔(なはのり)は海産物で紅藻類のこと。次句の「うち靡き」を導く序歌。「心もしのに」は「心もしっとりと靡く」という意味。
「海原の沖に生える紅藻がゆらゆら靡くように、私の心もしっとり靡いてあなたに恋しています」という歌である。
(海原之 奥津縄乗 打靡 心裳<四>怒尓 所念鴨)
縄海苔(なはのり)は海産物で紅藻類のこと。次句の「うち靡き」を導く序歌。「心もしのに」は「心もしっとりと靡く」という意味。
「海原の沖に生える紅藻がゆらゆら靡くように、私の心もしっとり靡いてあなたに恋しています」という歌である。
2780 紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを
(紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎)
「紫(むらさき)の」は「名高の浦」にかかる枕詞。1392番歌、1396番歌も同様「名高の浦」にかかっている。ただし「紫草」を意味する普通名詞も10例ある。「名高の浦」は和歌山県海南市の名高の海岸。
「名高の浦の藻のように心はすっかりあの子に寄っている」という歌である。
(紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎)
「紫(むらさき)の」は「名高の浦」にかかる枕詞。1392番歌、1396番歌も同様「名高の浦」にかかっている。ただし「紫草」を意味する普通名詞も10例ある。「名高の浦」は和歌山県海南市の名高の海岸。
「名高の浦の藻のように心はすっかりあの子に寄っている」という歌である。
2781 海の底奥を深めて生ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき
(海底 奥乎深目手 生藻之 最今社 戀者為便無寸)
「もとも今こそ」は原文「最今社」、「今最高潮」という意味である。
「海底深く根を下ろして生える藻のように、今こそ根深く恋焦がれ何とも手の施しようがない」という歌である。
(海底 奥乎深目手 生藻之 最今社 戀者為便無寸)
「もとも今こそ」は原文「最今社」、「今最高潮」という意味である。
「海底深く根を下ろして生える藻のように、今こそ根深く恋焦がれ何とも手の施しようがない」という歌である。
2782 さ寝がには誰れとも寝めど沖つ藻の靡きし君が言待つ我れを
(左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎)
「さ寝(ぬ)がには」の「さ」は強意や語調を整える「さ」、「寝るだけでしたら」という意味。
「寝るだけでしたら誰とも寝るでしょうけど、沖の藻のようにあなたに靡いてしまった私はただあなたの言葉を待っているのです」という歌である。
(左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎)
「さ寝(ぬ)がには」の「さ」は強意や語調を整える「さ」、「寝るだけでしたら」という意味。
「寝るだけでしたら誰とも寝るでしょうけど、沖の藻のようにあなたに靡いてしまった私はただあなたの言葉を待っているのです」という歌である。
2783 我妹子が何とも我れを思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし
(吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲)
「ふふめる花の」は「ふくらんだつぼみ」のこと。他は読解を要さない平明歌。
「彼女が私のことを何とも思ってくれないので、じりじりして今にもふくらんだつぼみがはじけて咲き出そうだ」という歌である。
(吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲)
「ふふめる花の」は「ふくらんだつぼみ」のこと。他は読解を要さない平明歌。
「彼女が私のことを何とも思ってくれないので、じりじりして今にもふくらんだつぼみがはじけて咲き出そうだ」という歌である。
2784 隠りには恋ひて死ぬともみ園生の韓藍の花の色に出でめやも
(隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八<方>)
「隠(こも)りには」は「ひそかに」という意味。「み園生(そのふ)の」は「庭に咲く」という意味。「韓藍(からあゐ)の花」は鶏頭の花のこと。にわとりのトサカに似た花。色は赤、黄などで結構目立つ。
「ひそかに恋い焦がれて死のうとも、庭に咲く鶏頭の花のように、顔色には出すものですか」という歌である。
(隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八<方>)
「隠(こも)りには」は「ひそかに」という意味。「み園生(そのふ)の」は「庭に咲く」という意味。「韓藍(からあゐ)の花」は鶏頭の花のこと。にわとりのトサカに似た花。色は赤、黄などで結構目立つ。
「ひそかに恋い焦がれて死のうとも、庭に咲く鶏頭の花のように、顔色には出すものですか」という歌である。
2785 咲く花は過ぐる時あれど我が恋ふる心のうちはやむ時もなし
(開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨)
そのまま分かる平明歌。
「咲く花はいずれ散るときがくるけれど私が恋い焦がれる胸の内はやむときもありません」という歌である。
(開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨)
そのまま分かる平明歌。
「咲く花はいずれ散るときがくるけれど私が恋い焦がれる胸の内はやむときもありません」という歌である。
2786 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
(山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管)
「山吹のにほへる妹が」は「山吹のように美しい彼女の」という意味。「はねず色の」は色の種類だが、庭梅ないし木蓮の花の色と言われている。ただ赤裳というのであるから赤の系統の色だったに相違ない。
「山吹のように美しい彼女のはねず色の赤裳を引いた姿が夢に見えてきて」という歌である。
(山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管)
「山吹のにほへる妹が」は「山吹のように美しい彼女の」という意味。「はねず色の」は色の種類だが、庭梅ないし木蓮の花の色と言われている。ただ赤裳というのであるから赤の系統の色だったに相違ない。
「山吹のように美しい彼女のはねず色の赤裳を引いた姿が夢に見えてきて」という歌である。
2787 天地の寄り合ひの極み玉の緒の絶えじと思ふ妹があたり見つ
(天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津)
「天地(あめつち)の寄り合ひの極み」は「極みまで絶えない」という意味。玉の緒(を)は玉を通した紐。
「玉を通して結びついた紐のように彼女との結びつきは天地の果てまでも続くと思える。その彼女の家のあたりをみる」という歌である。
(天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津)
「天地(あめつち)の寄り合ひの極み」は「極みまで絶えない」という意味。玉の緒(を)は玉を通した紐。
「玉を通して結びついた紐のように彼女との結びつきは天地の果てまでも続くと思える。その彼女の家のあたりをみる」という歌である。
2788 息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも
(生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友)
「息の緒に」は「命がけで」という意味。「知らば知るとも」は「人に知られようと」という意味である。
「命がけで恋い焦がれると苦しくてたまらない。こんなことなら、いっそ玉の緒が切れて乱れよう、人に知られようとも」という歌である。
(生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友)
「息の緒に」は「命がけで」という意味。「知らば知るとも」は「人に知られようと」という意味である。
「命がけで恋い焦がれると苦しくてたまらない。こんなことなら、いっそ玉の緒が切れて乱れよう、人に知られようとも」という歌である。
2789 玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして
(玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而)
「乱れなば」は「恋心が再燃したら」という意味である。「またも逢はずして」は「もう逢うこともなく」という意味。
「玉の緒が切れるように切れた恋心が再燃したら、死ぬばかりです。もう逢うこともなく」という歌である。
(玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而)
「乱れなば」は「恋心が再燃したら」という意味である。「またも逢はずして」は「もう逢うこともなく」という意味。
「玉の緒が切れるように切れた恋心が再燃したら、死ぬばかりです。もう逢うこともなく」という歌である。
2790 玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは別れず同じ緒にあらむ
(玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒将有)
「くくり寄せつつ」は「紐の両端から通した玉はくくって見ればバラバラにはならず」ということを言っている。
「今は別の道を行っても、別々の端から通した玉もくくり寄せれば末は別れない紐に相違ない。そんな風でありたいね」という歌である。
(玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒将有)
「くくり寄せつつ」は「紐の両端から通した玉はくくって見ればバラバラにはならず」ということを言っている。
「今は別の道を行っても、別々の端から通した玉もくくり寄せれば末は別れない紐に相違ない。そんな風でありたいね」という歌である。
2791 片糸もち貫きたる玉の緒を弱み乱れやしなむ人の知るべく
(片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知)
片糸はよりあわせていない一本の糸のこと。弱み」は「~なので」の「み」。
「一本の糸で玉を貫いた紐は弱いので、切れて乱れるんじゃないかと我が思いの弱さを人に知られてしまうんじゃなかろうか」という歌である。
(片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知)
片糸はよりあわせていない一本の糸のこと。弱み」は「~なので」の「み」。
「一本の糸で玉を貫いた紐は弱いので、切れて乱れるんじゃないかと我が思いの弱さを人に知られてしまうんじゃなかろうか」という歌である。
2792 玉の緒の現し心や年月の行きかはるまで妹に逢はずあらむ
(玉緒之 寫意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有)
「玉の緒の」は枕詞(?)。「現(うつ)し心」は「現に待ち遠しい心」のこと。
「玉の緒のように長く、現に待ち遠しいわが心、年月のあらたまるまで、彼女に逢わずにいられるだろうか」という歌である。
(玉緒之 寫意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有)
「玉の緒の」は枕詞(?)。「現(うつ)し心」は「現に待ち遠しい心」のこと。
「玉の緒のように長く、現に待ち遠しいわが心、年月のあらたまるまで、彼女に逢わずにいられるだろうか」という歌である。
2793 玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて
(玉緒之 間毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而)
「玉の緒の」は前歌参照。平明歌。
「緒に並んだ玉に間がないように、いつも逢っていたい彼女だが、その彼女の家は遠い」という歌である。
(玉緒之 間毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而)
「玉の緒の」は前歌参照。平明歌。
「緒に並んだ玉に間がないように、いつも逢っていたい彼女だが、その彼女の家は遠い」という歌である。
2794 隠処の沢たつみなる岩根ゆも通してぞ思ふ君に逢はまくは
(隠津之 澤立見尓有 石根従毛 達而念 君尓相巻者)
2443番歌に「隠りどの沢泉なる岩が根も通してぞ思ふ我が恋ふらくは」とある。本歌にそっくりである。いずれかが異伝歌か?。「沢たつみなる」は「沢や泉」のこと。
「隠れた沢や泉を流れ下る激流にがっしりと根を張った岩。その岩をも貫き通さんばかりに私はあなたに逢いたいと思っている」という歌である。
(隠津之 澤立見尓有 石根従毛 達而念 君尓相巻者)
2443番歌に「隠りどの沢泉なる岩が根も通してぞ思ふ我が恋ふらくは」とある。本歌にそっくりである。いずれかが異伝歌か?。「沢たつみなる」は「沢や泉」のこと。
「隠れた沢や泉を流れ下る激流にがっしりと根を張った岩。その岩をも貫き通さんばかりに私はあなたに逢いたいと思っている」という歌である。
2795 紀の国の飽等の浜の忘れ貝我れは忘れじ年は経ぬとも
(木國之 飽等濱之 礒貝之 我者不忘 <年>者雖歴)
飽等(あくら)の浜は和歌山市西端の田倉崎のことという。
「紀の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝のようにあなたを決して忘れません、幾年経っても」という歌である。
(2015年7月18日記、2019年3月13日)
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(木國之 飽等濱之 礒貝之 我者不忘 <年>者雖歴)
飽等(あくら)の浜は和歌山市西端の田倉崎のことという。
「紀の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝のようにあなたを決して忘れません、幾年経っても」という歌である。
(2015年7月18日記、2019年3月13日)