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そ の 175 へ
万葉集読解・・・174(2796~2817番歌)
2796 水潜る玉に交じれる磯貝の片恋ひのみに年は経につつ
(水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 <年>者經管)
「水潜(くく)る玉」とは水底に潜っている普通の貝のこと。真珠貝と解してもいいだろう。磯貝は磯辺に打ち上げられた片割れ貝。それが海底に沈んでいるのだろう。
「真珠貝に混じった片割れ貝のように私は片思いのまま年は過ぎていく」という歌である。
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万葉集読解・・・174(2796~2817番歌)
2796 水潜る玉に交じれる磯貝の片恋ひのみに年は経につつ
(水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 <年>者經管)
「水潜(くく)る玉」とは水底に潜っている普通の貝のこと。真珠貝と解してもいいだろう。磯貝は磯辺に打ち上げられた片割れ貝。それが海底に沈んでいるのだろう。
「真珠貝に混じった片割れ貝のように私は片思いのまま年は過ぎていく」という歌である。
2797 住吉の浜に寄るといふうつせ貝実なき言もち我れ恋ひめやも
(住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方)
「住吉の浜」は大阪市住吉区の浜。うつせ貝は実のない貝殻。
「住吉の浜に打ち上げられたうつせ貝のように、実のない言葉なんかで恋したりするでしょうか」という歌である。
(住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方)
「住吉の浜」は大阪市住吉区の浜。うつせ貝は実のない貝殻。
「住吉の浜に打ち上げられたうつせ貝のように、実のない言葉なんかで恋したりするでしょうか」という歌である。
2798 伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして
(伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天)
鰒(あわび)のように片思いという歌。なぜかといえば、アワビはハマグリ等と異なって二枚貝ではない。ご承知のように一枚貝である。
「伊勢の海女が朝な夕なに潜ってとるというアワビ。そのアワビのように片思いのままでいる」という歌である。
(伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天)
鰒(あわび)のように片思いという歌。なぜかといえば、アワビはハマグリ等と異なって二枚貝ではない。ご承知のように一枚貝である。
「伊勢の海女が朝な夕なに潜ってとるというアワビ。そのアワビのように片思いのままでいる」という歌である。
2799 人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家に語らひて遣りつ
(人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相<語>而遣都)
「人言(ひとこと)を繁みと君を」は「人の噂がうるさいのであの方を」という意味である。「鶉(うずら)鳴く」は「うずらが鳴くようなひなびた」という意味。恋仲ともとれるし、そこまでいかない間柄ともとれる。取る人の感性に委ねてよかろう。
「人の噂がうるさいのであの方と、うずらが鳴くようなひなびた古い人家で逢って話しをして別れた(あるいはじっくり語り合って別れたの意か)」という歌である。
(人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相<語>而遣都)
「人言(ひとこと)を繁みと君を」は「人の噂がうるさいのであの方を」という意味である。「鶉(うずら)鳴く」は「うずらが鳴くようなひなびた」という意味。恋仲ともとれるし、そこまでいかない間柄ともとれる。取る人の感性に委ねてよかろう。
「人の噂がうるさいのであの方と、うずらが鳴くようなひなびた古い人家で逢って話しをして別れた(あるいはじっくり語り合って別れたの意か)」という歌である。
2800 暁と鶏は鳴くなりよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも
(旭時等 鶏鳴成 縦恵也思 獨宿夜者 開者雖明)
「暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなり」は「にわとりがコケコッコウと夜明けを告げる」という意味である。「よしゑやし」は2031番歌にあるように「たとえ~とも」という意味。捨てぜりふのように訳してもよい。
「にわとりがコケコッコウと夜明けを告げている。こんな一人寝の夜は明けても明けなくともいいのさ」という歌である。
(旭時等 鶏鳴成 縦恵也思 獨宿夜者 開者雖明)
「暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなり」は「にわとりがコケコッコウと夜明けを告げる」という意味である。「よしゑやし」は2031番歌にあるように「たとえ~とも」という意味。捨てぜりふのように訳してもよい。
「にわとりがコケコッコウと夜明けを告げている。こんな一人寝の夜は明けても明けなくともいいのさ」という歌である。
2801 大海の荒磯の洲鳥朝な朝な見まく欲しきを見えぬ君かも
(大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見巻欲乎 不所見公可聞)
「~洲鳥(すどり)」は実景とも序歌とも取れる。洲鳥は浅瀬にやってくる水鳥。
「大海の荒磯に毎朝やってくる水鳥たちのように、毎朝みたいものだ。けれどもやってこないあなたですこと」という歌である。
(大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見巻欲乎 不所見公可聞)
「~洲鳥(すどり)」は実景とも序歌とも取れる。洲鳥は浅瀬にやってくる水鳥。
「大海の荒磯に毎朝やってくる水鳥たちのように、毎朝みたいものだ。けれどもやってこないあなたですこと」という歌である。
2802 思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を
(念友 念毛金津 足桧之 山鳥尾之 永此夜乎)
「思へども思ひもかねつ」は「思えば思うほど耐え難い」という意味。「あしひきの」は枕詞。
「思えば思うほど耐え難い、この山鳥の尾のように長い夜が」という歌である。
或本の歌にいう」として次のような異伝歌が掲載されている。
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜を独りかも寝む
(足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨将宿)
「山鳥の尾の垂れ下がった尾のように長い夜を一人寝なければならないのだろうか」という歌である。柿本人麿の歌として、この異伝歌の方が小倉百人一首に採られている。
(念友 念毛金津 足桧之 山鳥尾之 永此夜乎)
「思へども思ひもかねつ」は「思えば思うほど耐え難い」という意味。「あしひきの」は枕詞。
「思えば思うほど耐え難い、この山鳥の尾のように長い夜が」という歌である。
或本の歌にいう」として次のような異伝歌が掲載されている。
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜を独りかも寝む
(足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨将宿)
「山鳥の尾の垂れ下がった尾のように長い夜を一人寝なければならないのだろうか」という歌である。柿本人麿の歌として、この異伝歌の方が小倉百人一首に採られている。
2803 里中に鳴くなる鶏の呼び立てていたくは泣かぬ隠り妻はも [一云 里 響め鳴くなる鶏の]
(里中尓 鳴奈流鶏之 喚立而 甚者不鳴 隠妻羽毛 [一云 里 動 鳴成鶏])
「いたくは」は「けたたましくは」という意味。「隠(こも)り妻はも」は「人目を忍んでひっそり暮らす妻」のこと。
「里じゅうに響かせてけたたましく鳴く鶏とは異なって、人目を忍んでひっそり暮らす妻よ、ああ」という歌である。
異伝歌は「里響(とよ)め鳴くなる鶏(かけ)の」となっていて、初句がことなるだけで、歌意は本歌と同様。
(里中尓 鳴奈流鶏之 喚立而 甚者不鳴 隠妻羽毛 [一云 里 動 鳴成鶏])
「いたくは」は「けたたましくは」という意味。「隠(こも)り妻はも」は「人目を忍んでひっそり暮らす妻」のこと。
「里じゅうに響かせてけたたましく鳴く鶏とは異なって、人目を忍んでひっそり暮らす妻よ、ああ」という歌である。
異伝歌は「里響(とよ)め鳴くなる鶏(かけ)の」となっていて、初句がことなるだけで、歌意は本歌と同様。
2804 高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも
(高山尓 高部左渡 高々尓 余待公乎 待将出可聞)
たかべは258番歌に「人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む」とある。小鴨のことである。「高々に」を導く序歌。
「高山に小鴨が高々と渡っていく。そのように今か今かとあの方を待っているのだけれど」という歌である。
(高山尓 高部左渡 高々尓 余待公乎 待将出可聞)
たかべは258番歌に「人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む」とある。小鴨のことである。「高々に」を導く序歌。
「高山に小鴨が高々と渡っていく。そのように今か今かとあの方を待っているのだけれど」という歌である。
2805 伊勢の海ゆ鳴き来る鶴の音どろも君が聞こさば我れ恋ひめやも
(伊勢能海従 鳴来鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾将戀八方)
「海ゆ」の「ゆ」は「~から」。「音どろも」は「岩波大系本」に未詳とある。歌意からすると「便り」のことと思われる。「聞こさば」は敬語で「お聞かせ下されば」という意味である。
「伊勢の海から鳴き来たる鶴に託してあなた様が便りを下されば、私はこんなにも恋い焦がれるでしょうか」という歌である。
(伊勢能海従 鳴来鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾将戀八方)
「海ゆ」の「ゆ」は「~から」。「音どろも」は「岩波大系本」に未詳とある。歌意からすると「便り」のことと思われる。「聞こさば」は敬語で「お聞かせ下されば」という意味である。
「伊勢の海から鳴き来たる鶴に託してあなた様が便りを下されば、私はこんなにも恋い焦がれるでしょうか」という歌である。
2806 我妹子に恋ふれにかあらむ沖に住む鴨の浮寝の安けくもなし
(吾妹兒尓 戀尓可有牟 奥尓住 鴨之浮宿之 安雲無)
「恋ふれにかあらむ」は「恋に落ちているからだろうか」という意味。「沖に住む鴨」はいつも沖にいる鴨の形容。
「彼女に恋に落ちているからだろうか。沖にいて波に揺られる鴨のごとく絶えず揺れ動いて休まる時がない」という歌である。
(吾妹兒尓 戀尓可有牟 奥尓住 鴨之浮宿之 安雲無)
「恋ふれにかあらむ」は「恋に落ちているからだろうか」という意味。「沖に住む鴨」はいつも沖にいる鴨の形容。
「彼女に恋に落ちているからだろうか。沖にいて波に揺られる鴨のごとく絶えず揺れ動いて休まる時がない」という歌である。
2807 明けぬべく千鳥しば鳴く白栲の君が手枕いまだ飽かなくに
(可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未?君)
千鳥(ちどり)はユリカモメという説もあるが、ここでは「多くの鳥たち」というくらいの意味だろう。「白栲(しろたへ)の」は枕詞説もあるが、私は「真っ白な」という意味に受け取っている。万葉集の代表歌である持統天皇の28番歌「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」があるからである。
「多くの鳥たちが夜が明けたとしきりに鳴き立てている。真っ白なあなたの袖枕をまだ十分に満足していないのに」という歌である。
(可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未?君)
千鳥(ちどり)はユリカモメという説もあるが、ここでは「多くの鳥たち」というくらいの意味だろう。「白栲(しろたへ)の」は枕詞説もあるが、私は「真っ白な」という意味に受け取っている。万葉集の代表歌である持統天皇の28番歌「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」があるからである。
「多くの鳥たちが夜が明けたとしきりに鳴き立てている。真っ白なあなたの袖枕をまだ十分に満足していないのに」という歌である。
2808 眉根掻き鼻ひ紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを
(眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎)
以下問答歌
本歌の左注に「本歌は柿本朝臣人麻呂の歌中に見える」とある。2408番歌のことで「眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを」とある。ほぼ同一歌である。
さて、本歌だが、「眉根掻き鼻ひ紐解け」は「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」ということである。相手に逢う前兆とされた。
「眉をかき、くしゃみをし、紐が解けるところからすると、(彼女の方も)私と逢うのを待ってくれている兆しだろうか」という歌である。
(眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎)
以下問答歌
本歌の左注に「本歌は柿本朝臣人麻呂の歌中に見える」とある。2408番歌のことで「眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを」とある。ほぼ同一歌である。
さて、本歌だが、「眉根掻き鼻ひ紐解け」は「眉をかく、くしゃみをする、紐が解ける」ということである。相手に逢う前兆とされた。
「眉をかき、くしゃみをし、紐が解けるところからすると、(彼女の方も)私と逢うのを待ってくれている兆しだろうか」という歌である。
2809 今日なれば鼻ひ鼻ひし眉かゆみ思ひしことは君にしありけり
(今日有者 鼻火鼻火之 眉可由見 思之言者 君西在来)
「今日なれば」は「今日だったんですね」という意味。
「今日だったんですね。しきりにくしゃみをし、眉がかゆいのでどなたかおいでだと思っていましたが、あなた様だったんですね」という歌である。
右二首問答歌。
(今日有者 鼻火鼻火之 眉可由見 思之言者 君西在来)
「今日なれば」は「今日だったんですね」という意味。
「今日だったんですね。しきりにくしゃみをし、眉がかゆいのでどなたかおいでだと思っていましたが、あなた様だったんですね」という歌である。
右二首問答歌。
2810 音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡直目に逢ひて恋ひまくもいたく
(音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 直目相而 戀巻裳太口)
「音(おと)のみを」は「噂や評判のみを」という意味。「まそ鏡」は枕詞。
「噂だけを聞いて恋い焦がれていよう。直接逢って恋に落ちるとつらいので」という歌である。
(音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 直目相而 戀巻裳太口)
「音(おと)のみを」は「噂や評判のみを」という意味。「まそ鏡」は枕詞。
「噂だけを聞いて恋い焦がれていよう。直接逢って恋に落ちるとつらいので」という歌である。
2811 この言を聞かむとならしまそ鏡照れる月夜も闇のみに見つ
(此言乎 聞跡平 真十鏡 照月夜裳 闇耳見)
下三句は各書とも一致している。「まそ鏡のように皓々と照る月夜も闇と見ていました」という意味である。上二句は次のように口語訳されている。
「あなたのこの嬉しい明るいお言葉を聞きたいというわけでしょう」・・「岩波大系本」。
「このお言葉を聞かされるためだったのでしょう」・・「伊藤本」。
「この悲しいことばを聞こうとしてそうだったのでしょう」・・「中西本」。
これは問答歌なので前歌を踏まえている。前歌は、要するに「恋しています」という歌である。したがって「中西本」解は取れない。「岩波大系本」に近いが、転倒表現と理解すればわかりやすい。
「月夜も闇と思ってあなたのことはあきらめていました。でも、あなたのその言葉をお聞きして光が射しました」という歌である。
右二首問答歌。
(此言乎 聞跡平 真十鏡 照月夜裳 闇耳見)
下三句は各書とも一致している。「まそ鏡のように皓々と照る月夜も闇と見ていました」という意味である。上二句は次のように口語訳されている。
「あなたのこの嬉しい明るいお言葉を聞きたいというわけでしょう」・・「岩波大系本」。
「このお言葉を聞かされるためだったのでしょう」・・「伊藤本」。
「この悲しいことばを聞こうとしてそうだったのでしょう」・・「中西本」。
これは問答歌なので前歌を踏まえている。前歌は、要するに「恋しています」という歌である。したがって「中西本」解は取れない。「岩波大系本」に近いが、転倒表現と理解すればわかりやすい。
「月夜も闇と思ってあなたのことはあきらめていました。でも、あなたのその言葉をお聞きして光が射しました」という歌である。
右二首問答歌。
2812 我妹子に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢に見えきや
(吾妹兒尓 戀而為便無<三> 白細布之 袖反之者 夢所見也)
「すべなみ」は「どうしようもなく」という意味である。「袖返ししは」は袖を返して寝ると恋人が夢に現れるという俗信があったという。
「あなたが恋しくてどうしようもなく、真っ白な袖を返して寝ましたが、夢に見えたでしょうか」という歌である。
(吾妹兒尓 戀而為便無<三> 白細布之 袖反之者 夢所見也)
「すべなみ」は「どうしようもなく」という意味である。「袖返ししは」は袖を返して寝ると恋人が夢に現れるという俗信があったという。
「あなたが恋しくてどうしようもなく、真っ白な袖を返して寝ましたが、夢に見えたでしょうか」という歌である。
2813 我が背子が袖返す夜の夢ならしまことも君に逢ひたるごとし
(吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有)
「まことも」は「実際に」という意味。
「あなたが袖を返して寝た夜の夢だったのですね。実際にお逢いしているようでしたわ」という歌である。
右二首問答歌。
(吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有)
「まことも」は「実際に」という意味。
「あなたが袖を返して寝た夜の夢だったのですね。実際にお逢いしているようでしたわ」という歌である。
右二首問答歌。
2814 我が恋は慰めかねつま日長く夢に見えずて年の経ぬれば
(吾戀者 名草目金津 真氣長 夢不所見而 年之經去礼者)
「ま日(け)長く」は「日々が長く」という意味。
「我が恋は慰めようがありません。夢にさえ出てこない日々が長く続いて、年月が経ってしまいました」という歌である。
(吾戀者 名草目金津 真氣長 夢不所見而 年之經去礼者)
「ま日(け)長く」は「日々が長く」という意味。
「我が恋は慰めようがありません。夢にさえ出てこない日々が長く続いて、年月が経ってしまいました」という歌である。
2815 ま日長く夢にも見えず絶えぬとも我が片恋はやむ時もあらじ
(真氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有)
平明歌。
「夢にも見えない日々が長く続き、消息が絶えた後も、私の片恋は止むときもありません」という歌である。
右二首問答歌。
(真氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有)
平明歌。
「夢にも見えない日々が長く続き、消息が絶えた後も、私の片恋は止むときもありません」という歌である。
右二首問答歌。
2816 うらぶれて物な思ひそ天雲のたゆたふ心我が思はなくに
(浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 吾念莫國)
「な思ひそ」は「な~そ」の禁止形。
「しょんぼりとものを思わないでおくれ。私の心は、空の雲のようにゆれ動いたりしないのだから」という歌である。
(浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 吾念莫國)
「な思ひそ」は「な~そ」の禁止形。
「しょんぼりとものを思わないでおくれ。私の心は、空の雲のようにゆれ動いたりしないのだから」という歌である。
2817 うらぶれて物は思はじ水無瀬川ありても水は行くといふものを
(浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎)
水無瀬川は川名ではなく、「水が無い」という意味。
「しょんぼりなどしてませんわ。水の無い川であってもときには水が流れるといいますもの」という歌である。
右二首問答歌。
(2015年7月30日記、2019年3月14日)
(浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎)
水無瀬川は川名ではなく、「水が無い」という意味。
「しょんぼりなどしてませんわ。水の無い川であってもときには水が流れるといいますもの」という歌である。
右二首問答歌。
(2015年7月30日記、2019年3月14日)
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