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そ の 176 へ
万葉集読解・・・175(2818~2840番歌)
2818 かきつはた咲く沼の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
(垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 年曽經去来)
咲く沼の(原文「開沼之」)を「佐紀沼の」と読んで地名説を採る論者もある。すると、奈良市佐紀町が考えられるが、佐紀町は平城京のあたり。が、これは問答歌。次歌の難波菅と矛盾。難波は大阪湾。本歌は相手の女性の家が遠方で、菅笠をかぶって出かける所だったらしい。
「カキツバタが咲く沼に生える菅を笠に縫い立ててかぶる日を待っているうちに年月が経ってしまった」という歌である。
2819 おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに
(臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國)
「おしてる」は枕詞。4音は珍しいが、「おしてるや」となっている例もあり、「おしてるや」と訓じる方がいいかもしれない。ちょうど「古」一字で「いにしへの」と訓ずるように。
「難波の菅笠、置きっぱなしにして古びたものを、どこのどなたがかぶる笠なんでしょうか」という歌である。
右二首問答歌
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万葉集読解・・・175(2818~2840番歌)
2818 かきつはた咲く沼の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
(垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 年曽經去来)
咲く沼の(原文「開沼之」)を「佐紀沼の」と読んで地名説を採る論者もある。すると、奈良市佐紀町が考えられるが、佐紀町は平城京のあたり。が、これは問答歌。次歌の難波菅と矛盾。難波は大阪湾。本歌は相手の女性の家が遠方で、菅笠をかぶって出かける所だったらしい。
「カキツバタが咲く沼に生える菅を笠に縫い立ててかぶる日を待っているうちに年月が経ってしまった」という歌である。
2819 おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに
(臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國)
「おしてる」は枕詞。4音は珍しいが、「おしてるや」となっている例もあり、「おしてるや」と訓じる方がいいかもしれない。ちょうど「古」一字で「いにしへの」と訓ずるように。
「難波の菅笠、置きっぱなしにして古びたものを、どこのどなたがかぶる笠なんでしょうか」という歌である。
右二首問答歌
2820 かくだにも妹を待ちなむさ夜更けて出で来し月のかたぶくまでに
(如是谷裳 妹乎待南 左夜深而 出来月之 傾二手荷)
「かくだにも」は「こんなにも」という意味。
「こんなにもあなたを待っていたら夜が更けてしまって、出てきた月が傾いてしまいました」という歌である。
(如是谷裳 妹乎待南 左夜深而 出来月之 傾二手荷)
「かくだにも」は「こんなにも」という意味。
「こんなにもあなたを待っていたら夜が更けてしまって、出てきた月が傾いてしまいました」という歌である。
2821 木の間より移ろふ月の影を惜しみ立ち廻るにさ夜更けにけり
(木間従 移歴月之 影惜 俳徊尓 左夜深去家里)
「あなたがいらっしゃらないので」を補って読むと分かりやすい。
「(あなたがいらっしゃらないので)木の間がくれに移って行く月を惜しんで見とれている内に夜が更けてしまいました」という歌である。
右二首問答歌
(木間従 移歴月之 影惜 俳徊尓 左夜深去家里)
「あなたがいらっしゃらないので」を補って読むと分かりやすい。
「(あなたがいらっしゃらないので)木の間がくれに移って行く月を惜しんで見とれている内に夜が更けてしまいました」という歌である。
右二首問答歌
2822 栲領布の白浜波の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつぞ居る [一云 恋ふるころかも]
(栲領布乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曽居 [一云 戀 流己呂可母])
栲領布(たくひれ)は白布のことで、椿の樹皮等で作る。「荒ぶる妹に」は「つっけんどんなあなたに」という意味。
「栲領布(たくひれ)のように真っ白な砂浜、その岸辺に寄ろうにも寄ることができない君のつっけんどんな態度にただ恋い焦がれている」という歌である。
異伝歌は「恋心が募ってきた」となっている。
(栲領布乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曽居 [一云 戀 流己呂可母])
栲領布(たくひれ)は白布のことで、椿の樹皮等で作る。「荒ぶる妹に」は「つっけんどんなあなたに」という意味。
「栲領布(たくひれ)のように真っ白な砂浜、その岸辺に寄ろうにも寄ることができない君のつっけんどんな態度にただ恋い焦がれている」という歌である。
異伝歌は「恋心が募ってきた」となっている。
2823 かへらまに君こそ我れに栲領巾の白浜波の寄る時もなき
(加敝良末尓 君社吾尓 栲領巾之 白濱浪乃 縁時毛無)
「かへらまに」は「反対に」という意味。
「(何をおっしゃいますの)あなたの方こそ反対に、この私が栲領布のように真っ白な砂浜の岸辺に寄ろうにも寄る時も下さらないじゃありませんか」という歌である。
右二首問答歌
(加敝良末尓 君社吾尓 栲領巾之 白濱浪乃 縁時毛無)
「かへらまに」は「反対に」という意味。
「(何をおっしゃいますの)あなたの方こそ反対に、この私が栲領布のように真っ白な砂浜の岸辺に寄ろうにも寄る時も下さらないじゃありませんか」という歌である。
右二首問答歌
2824 思ふ人来むと知りせば八重葎覆へる庭に玉敷かましを
(念人 <将>来跡知者 八重六倉 覆庭尓 珠布益乎)
八重葎(やえむぐら)はアカネ科の蔓性越年草を言う場合もあるが、ここでは繁茂する雑草の蔓草とみてよかろう。
「思うあなたがいらっしゃると知っていましたら、雑草が繁茂するこの庭に、玉を敷いておくんでしたのに」という歌である。
(念人 <将>来跡知者 八重六倉 覆庭尓 珠布益乎)
八重葎(やえむぐら)はアカネ科の蔓性越年草を言う場合もあるが、ここでは繁茂する雑草の蔓草とみてよかろう。
「思うあなたがいらっしゃると知っていましたら、雑草が繁茂するこの庭に、玉を敷いておくんでしたのに」という歌である。
2825 玉敷ける家も何せむ八重葎覆へる小屋も妹と居りせば
(玉敷有 家毛何将為 八重六倉 覆小屋毛 妹与居者)
「何せむ」は「どうってことありません」という意味。
「玉を敷いた家もどうってことありません。雑草が繁茂する小屋であろうとも、君といれば十分」という歌である。
右二首問答歌
(玉敷有 家毛何将為 八重六倉 覆小屋毛 妹与居者)
「何せむ」は「どうってことありません」という意味。
「玉を敷いた家もどうってことありません。雑草が繁茂する小屋であろうとも、君といれば十分」という歌である。
右二首問答歌
2826 かくしつつあり慰めて玉の緒の絶えて別ればすべなかるべし
(如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無)
「かくしつつあり」は「このようにおそばにいて」という意味。「慰めて」は「心やすらか」という意味。
「このようにおそばにいれば心やすらかですが、玉の緒(紐)が切れてしまって別れることになったらどうしようもありません」という歌である。
(如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無)
「かくしつつあり」は「このようにおそばにいて」という意味。「慰めて」は「心やすらか」という意味。
「このようにおそばにいれば心やすらかですが、玉の緒(紐)が切れてしまって別れることになったらどうしようもありません」という歌である。
2827 紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
(紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念)
平明歌。
「(もしも君が)紅の花であったなら、袖に染め付けて持ち歩くことができるのに」という歌である。
右二首問答歌
(紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念)
平明歌。
「(もしも君が)紅の花であったなら、袖に染め付けて持ち歩くことができるのに」という歌である。
右二首問答歌
2828 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
(紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨)
「深染めの衣を」は「色濃く染めた着物」のこと。「にほひ出でむかも」は「透けて見えるだろうか」という意味。
「紅に色濃く染めた着物を下に着たら、人が見たら透けて見えるだろうか」という歌である。
(紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨)
「深染めの衣を」は「色濃く染めた着物」のこと。「にほひ出でむかも」は「透けて見えるだろうか」という意味。
「紅に色濃く染めた着物を下に着たら、人が見たら透けて見えるだろうか」という歌である。
2829 衣しも多くあらなむ取り替へて着ればや君が面忘れたる
(衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有)
「多くあらなむ」は「多くあるにこしたことはありませんが」という意味。着物に喩えて浮気を皮肉っている。
「着物は多くあるにこしたことはありませんが、取り替え着れば(着物に目を奪われ)あなたの顔を忘れてしまいそうです」という歌である。
(衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有)
「多くあらなむ」は「多くあるにこしたことはありませんが」という意味。着物に喩えて浮気を皮肉っている。
「着物は多くあるにこしたことはありませんが、取り替え着れば(着物に目を奪われ)あなたの顔を忘れてしまいそうです」という歌である。
2830 梓弓弓束巻き替へ中見さしさらに引くとも君がまにまに
(梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意)
「弓束(ゆつか)」は弓の左手で握る部分。「中見さし」は未詳。弓束の皮を巻き替えるときに中が見えることをいうか?。
「梓弓(あづさゆみ)の弓束の皮を巻き替えるとき、中が新しいと見せかけて、私の気を引こうとなさるけれど、どうぞご勝手に」という歌である。
(梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意)
「弓束(ゆつか)」は弓の左手で握る部分。「中見さし」は未詳。弓束の皮を巻き替えるときに中が見えることをいうか?。
「梓弓(あづさゆみ)の弓束の皮を巻き替えるとき、中が新しいと見せかけて、私の気を引こうとなさるけれど、どうぞご勝手に」という歌である。
2831 みさご居る洲に居る舟の夕潮を待つらむよりは我れこそまされ
(水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 将待従者 吾社益)
ミサゴはタカ科の鳥。海浜に棲む。洲(す)は干潟。
「ミサゴのいる干潟に停泊して潮が満ちて来るのを待つ舟、その舟より私はあなたを待ち焦がれています」という歌である。
(水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 将待従者 吾社益)
ミサゴはタカ科の鳥。海浜に棲む。洲(す)は干潟。
「ミサゴのいる干潟に停泊して潮が満ちて来るのを待つ舟、その舟より私はあなたを待ち焦がれています」という歌である。
2832 山川に筌を伏せて守りもあへず年の八年を我がぬすまひし
(山河尓 筌乎伏而 不肯盛 <年>之八歳乎 吾竊N師)
筌(うへ)は魚を捕る割り竹で作った筒状の漁具。「守りもあへず」は「娘をよく監督できない親の目を」という意味である。
「筒状の漁具を仕掛けておきながら、その魚(娘)をよく監督できない親の目を盗んで八年もの間娘と通じていたものだ」という歌である。
(山河尓 筌乎伏而 不肯盛 <年>之八歳乎 吾竊N師)
筌(うへ)は魚を捕る割り竹で作った筒状の漁具。「守りもあへず」は「娘をよく監督できない親の目を」という意味である。
「筒状の漁具を仕掛けておきながら、その魚(娘)をよく監督できない親の目を盗んで八年もの間娘と通じていたものだ」という歌である。
2833 葦鴨の多集く池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも
(葦鴨之 多集池水 雖溢 儲溝方尓 吾将越八方)
「葦鴨(あしがも)の多集(すだ)く」は「芦辺に集まる鴨たち」のこと。「まけ溝(みぞ)の辺に」は「かねて用意した溝を」という意味。
「芦辺に集まる鴨たちで池の水があふれ、かねて用意した溝(みぞ)に越えるなどということがありましょうか(あなたのみですよ)」という歌である。
(葦鴨之 多集池水 雖溢 儲溝方尓 吾将越八方)
「葦鴨(あしがも)の多集(すだ)く」は「芦辺に集まる鴨たち」のこと。「まけ溝(みぞ)の辺に」は「かねて用意した溝を」という意味。
「芦辺に集まる鴨たちで池の水があふれ、かねて用意した溝(みぞ)に越えるなどということがありましょうか(あなたのみですよ)」という歌である。
2834 大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ
(日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止)
室生(むろう)は奈良県宇陀市室生。室生寺のある所。
「室生の原の毛桃の根元がよく茂るように、しげしげとあの子に言い寄ったのだもの。実らずにおくものか」という歌である。
(日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止)
室生(むろう)は奈良県宇陀市室生。室生寺のある所。
「室生の原の毛桃の根元がよく茂るように、しげしげとあの子に言い寄ったのだもの。実らずにおくものか」という歌である。
2835 ま葛延ふ小野の浅茅を心ゆも人引かめやも我がなけなくに
(真葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國)
浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「心ゆも」は「心から」という意味。
「葛が伸びる浅茅を本気になって引き抜こうとする人があろうか。私という男がいるのに」という歌である。
(真葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國)
浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「心ゆも」は「心から」という意味。
「葛が伸びる浅茅を本気になって引き抜こうとする人があろうか。私という男がいるのに」という歌である。
2836 三島菅いまだ苗なり時待たば着ずやなりなむ三島菅笠
(三嶋菅 未苗在 時待者 不著也将成 三嶋菅笠)
三島は複数あって、どこと決めがたい。
「三島菅はまだ苗だ。さりとて時を待って菅笠に編むまで待っていたら、結局使用することなく終わりそう」という歌である。
(三嶋菅 未苗在 時待者 不著也将成 三嶋菅笠)
三島は複数あって、どこと決めがたい。
「三島菅はまだ苗だ。さりとて時を待って菅笠に編むまで待っていたら、結局使用することなく終わりそう」という歌である。
2837 み吉野の水隈が菅を編まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
(三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也)
吉野川は奈良県吉野町や五条市を西流する川。水隈(みくま)は川の湾曲部。
「吉野川の湾曲部の菅を笠に編みもしないのに刈るだけ刈って散らかしっぱなしですか(私を弄んだだけですか)」という歌である。
(三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也)
吉野川は奈良県吉野町や五条市を西流する川。水隈(みくま)は川の湾曲部。
「吉野川の湾曲部の菅を笠に編みもしないのに刈るだけ刈って散らかしっぱなしですか(私を弄んだだけですか)」という歌である。
2838 川上に洗ふ若菜の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ
(河上尓 洗若菜之 流来而 妹之當乃 瀬社因目)
「流れ来て」は現代語と異なる言い方。「流れて行って」という意味である。
「川上で洗った若菜が流れていって彼女のいる瀬に寄ってくれないかな」という歌である。
右四首は草に喩えた歌。
(河上尓 洗若菜之 流来而 妹之當乃 瀬社因目)
「流れ来て」は現代語と異なる言い方。「流れて行って」という意味である。
「川上で洗った若菜が流れていって彼女のいる瀬に寄ってくれないかな」という歌である。
右四首は草に喩えた歌。
2839 かくしてやなほやまもらむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに
(如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓)
「かくしてや」は「このようにして」という意味。「大荒木の浮田の社(もり)」は奈良県五條市の荒木神社のこととされる。
「このようにしてなお私は(彼女)を守り続けるだけなのか。荒木神社のしめ縄でもない私が」という歌である。
(如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓)
「かくしてや」は「このようにして」という意味。「大荒木の浮田の社(もり)」は奈良県五條市の荒木神社のこととされる。
「このようにしてなお私は(彼女)を守り続けるだけなのか。荒木神社のしめ縄でもない私が」という歌である。
2840 いくばくも降らぬ雨ゆゑ我が背子が御名のここだく瀧もとどろに
(幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二)
「降らぬ雨ゆゑ」は「降らぬ雨なのに」という意味。「ここだく」は「非常に」とか「しきりに」という意味。
「大して降らぬ雨なのに(いくらも逢わない方なのに)あの方の噂が滝もとどろくように激しい」という歌である。
(幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二)
「降らぬ雨ゆゑ」は「降らぬ雨なのに」という意味。「ここだく」は「非常に」とか「しきりに」という意味。
「大して降らぬ雨なのに(いくらも逢わない方なのに)あの方の噂が滝もとどろくように激しい」という歌である。
以上で巻11完了
(2015年8月5日記、2019年3月14日)
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(2015年8月5日記、2019年3月14日)