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万葉集読解・・・176(2841~2859番歌)

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     万葉集読解・・・176(2841~2859番歌)
2841  我が背子が朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも
      (我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨)
 正述心緒(直接心情を述べた歌)。2841~2850番歌の10首)。
 当時、早朝に男が帰っていく習慣があったことは他の歌にも見えている。「今日の間を」は「今日一日中」という意味である。
 「あの方が早朝帰って行かれる姿をよく見なくて、今日一日中、恋しくてなりませんでした」という歌である。

2842  我が心と思い望むに新夜の一夜もおちず夢に見えこそ
      (我心等 望使念 新夜 一夜不落 夢見与)
 第一、二句原文「我心等望使念」は古来難訓とされ、諸説あるという。「等」は万葉仮名乙類に「と」と使われ、「望」は「も」に使われている。そこで「岩波大系本」は「乏しみ思へば」と訓じている。が次の「使」は万葉仮名になく「乏し」とは読めない。「佐々木本」は「望みし思ふ」としているが、「使」を「し」としている難点は「岩波大系本」と同様。また、「伊藤本」は「為(せ)む術(すべ)もなし」としている。が、これは原文「等望使念」からどうしたらそう読めるのか不明。さらに「中西本」は「見ぬ使(つかひ)思(も)ふ」と苦心の訓である。が、これもどうしたらそう読めるのか不明。
 以上、「等望使念」は古来難訓とされ、定まっていない。こういう場合は歌意を考えてみる必要がある。第三句以下は「毎夜、夢に見たい」という意味である。初二句はこれに相応しい意でなければならない。
 先ず、「我心等望使念」は「我心 等望使念」とするのが一般だが、「我心等 望使念」と切り、「我が心と思わしめ望むに」すなわち「我が心と思い望むに」と私は訓じたい。そして歌意はこうなる。
 「私の心に聞けば、あの方が待ち遠しくてたまらなく、来る夜も来る夜も毎夜夢に出てきてほしい」という歌である。

2843  愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして
      (愛 我念妹 人皆 如去見耶 手不纒為)
 「愛(うつく)しと」は「かわいいと」という意味。「手にまかずして」は「共寝もしないで」という意味である。
 「可愛いと思う彼女を人皆のように無関心のまま通り過ぎて行けようか、共寝をしないままに」という歌である。

2844  このころの寝の寝らえぬは敷栲の手枕まきて寝まく欲りこそ
      (<比>日 寐之不寐 敷細布 手枕纒 寐欲)
 「寝(い)の寝らえぬは」は「寝るに寝られないのは」という意味である。「敷栲(しきたへ)の」は枕の美称。
 「このごろ寝るに寝られないのは、あの子の手枕で寝てみたいからだ」という歌である。

2845  忘るやと物語りして心遣り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり
      (<忘>哉 語 意遣 雖過不過 猶戀)
 「物語りして」は「雑談をして」という意味。
 「忘れるかと雑談をして気を紛らわそうとしたが、気は紛れず、なおいっそう恋心がつのるばかり」という歌である。

2846  夜も寝ず安くもあらず白栲の衣は脱かじ直に逢ふまでに
      (夜不寐 安不有 白細布 衣不脱 及直相)
 「安くもあらず」は「安らぐこともない」という意味。「直(ただ)に逢ふまでに」は「直接お逢いするまでは」という意味。
 「夜も寝られず、気が安らぐこともない。けれども、この真っ白な着物は脱ぐまい。直接お逢いするまでは」という歌である。

2847  後も逢はむ我にな恋ひそと妹は言へど恋ふる間に年は経につつ
      (後相 吾莫戀 妹雖云 戀間 年經乍)
 「後も逢はむ」は「後でまたね」という、今も昔も女性の断り文句。「な恋ひそ」は「な~そ」の禁止形。
 「また後でね。私のことは恋い焦がれなさらぬように」とあの子は言うけれど、そうこうしている内に年月は過ぎてゆく」という歌である。

2848  直に会はずあるはうべなり夢にだに何しか人の言の繁けむ [或本歌曰 うつつにはうべも逢はなく夢にさへ]
      (不直相 有諾 夢谷 何人 事繁 [或本歌曰  寤者 諾毛不相 夢左倍])
 「直(ただ)に会はずあるはうべなり」は「じかに逢えないのはやむを得ない(もっともだ)」という意味である。
 「じかに逢えないのはやむを得ない。けれども、夢の中で逢うのに、どうして噂がかまびすしいのだろう」という歌である。
 異伝歌は「現実にはやむを得ないけれど、夢でさえ逢いにくいとは」となっている。

2849  ぬばたまのその夢にだに見え継ぐや袖干る日なく我れは恋ふるを
      (烏玉 彼夢 見継哉 袖乾日無 吾戀矣)
 「ぬばたまの」は枕詞だが、夜が省略されている。各書とも「その夢にだに」の「夢」を相手が見る夢と解している。問答歌とみているが、問答歌は別に区分されており、疑問なしとしない。やはり、第一義的には独立歌と見ていいだろう。先ず、「岩波大系本」以下各書は、「あなたの夢の中に私が見えていますか」と解している。誤りとはいえないかもしれないが、全体の歌意からすると、どこかちぐはぐだ。「袖干(そでひ)る日なく」(涙で袖が乾く日なく)は強烈な表現だ。
 私は、この夢は作者自身の夢とみて独立歌と解したい。
 「夜のその夢の中まであなた様が見えてきて離れません。涙で袖が乾く日とてなく、私は恋い焦がれていますものを」という歌である。

2850  うつつには直には逢はず夢にだに逢ふと見えこそ我が恋ふらくに
      (現 直不相 夢谷 相見与 我戀國)
 「うつつには」は「現実には」という意味。「直(ただ)には」は「直接」という意味である。
 「現実には直接お逢い出来ません。が、せめて夢にでもお逢い出来れば。こんなに私は恋い焦がれているのですもの」という歌である。

2851  人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日ぞ多き
      (人所見 表結 人不見 裏紐開 戀日太)
 寄物陳思(物に寄せて思いを述べる歌)。2851~2863番歌の13首。
 「人の見る上は結びて」は「人の目に触れる上着の紐はしっかり結び」という意味である。平明歌。
 「人の目に触れる上着の紐はしっかり結び、人の目に触れない下着の紐は開けてお待ちする日がお多うございます」という歌である。

2852  人言の繁き時には我妹子し衣にありせば下に着ましを
      (人言 繁時 吾妹 衣有 裏服矣)
 「人言の繁き時には」は「人の噂が激しいので」という意味。その裏に「なかなか逢えない」という気持が潜んでいる。「我妹子し」は強意の「し」。
 「人の噂が激しいのでなかなか逢えないが、あの子が着物であってくれたら、いつも下に着ていられるのに」という歌である。

2853  真玉つく遠ちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
      (真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐)
 「真玉(またま)つく」は枕詞。全万葉集歌中4例ある。「遠(を)ちをし兼ねて」は「将来のことを考えて」という意味である。「一重の衣(ころも)」は「ひとり寝」を示す。共寝するときはふたりの着物を重ね合わせて着ることから。
 「(噂に壊されないように)将来のことを考えるからこそ一重の着物にくるまってひとり寝に耐えているのです」という歌である。

2854  白栲の我が紐の緒の絶えぬ間に恋結びせむ逢はむ日までに
      (白細布 我紐緒 不絶間 戀結為 及相日)
 「白栲の」は「真っ白な」という意味。
 「真っ白なこの我が着物の紐が切れてしまわない内に恋結びをしておきましょう。逢う日が来るまで」という歌である。

2855  新治の今作る道さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを
      (新<治> 今作路 清 聞鴨 妹於事矣)
 「新治(にひばり)の」は「新しく切り開いた」ということ。「妹が上のことを」は「彼女の評判を」という意味である。
 「新しく切り開いて今完成した道のように、くっきりと聞き届けることが出来た、彼女の評判を」という歌である。

2856  山背の石田の社に心おそく手向けしたれや妹に逢ひかたき
      (山代 石田<社> 心鈍 手向為在 妹相難)
 「山背(やましろ)の石田(いはた)の社(もり)に」だが、1731番歌に「山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも」とある。京都市伏見区石田町に鎮座する神社を意味するか?。「心おそく」は「心鈍く」すなわち「真心こめず」という意味である。
 「山背の石田の神社に真心こめず幣(ぬさ)を差し出したからだろうか。彼女になかなか逢えないでいる」という歌である。

2857  菅の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
      (菅根之 惻隠々々 照日 乾哉吾袖 於妹不相為)
 「菅(すが)の根の」は「菅の根の細かさ」からくる用語で、「細やかに」、「丁重に」、「心尽くして」といった意味である。本歌は「念入りに照りつける日」という意味。「干(ひ)めや」は反語表現で、「乾くことがあろうか」という意味である。
 「念入りに照りつける日に当てても乾くことがあろうかこの涙に濡れた袖が。彼女に逢えもしないまま」という歌である。

2858  妹に恋ひい寝ぬ朝に吹く風は妹にし触れば我れさへに触れ
      (妹戀 不寐朝 吹風 妹經者 吾与經)
 吹く風に呼びかけた歌。「我れさへに触れ」は「私にも触れておくれ」という意味。
 「彼女に恋い焦がれて眠られなかった朝の風よ。お前は彼女に触れてきただろう。この私にも触れておくれ」という歌である。

2859  明日香川高川避かし越ゑ来しをまこと今夜は明けずも行かぬか
      (飛鳥川 高川避紫 越来 信今夜 不明行哉)
 「高川避(よ)かし」は「水量が増して水面が高くなった川」のことを言っている。「し」は強意の「し」。回り道をして苦労してやったきたことを強調。
 「明日香川、水量が増して水面が高くなった川を避けて(回り道をして)今宵彼女に逢いにきたのだもの。今宵はこのまま明けずにいてほしい」という歌である。
           (2015年9月9日記、2019年3月14日)
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