Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・177(2860~2879番歌)

$
0
0
 巻9~12メニュー へ   
そ の 178 へ 
         
     万葉集読解・・・177(2860~2879番歌)
2860  八釣川水底絶えず行く水の継ぎてぞ恋ふるこの年ころを [或本歌曰 水脈も絶えせず]
      (八釣川 水底不絶 行水 續戀 是比歳 [或本歌曰 水尾母不絶])
 八釣川は現在中の川といい、奈良県明日香村八釣を流れる川。水底は川底のこと。「継ぎてぞ」は「絶えることなく」という意味。
 「八釣川の川底のように、絶えることなく流れる水のようにずっと恋い焦がれています。ここ何年間も」という歌である。
 異伝歌は「水が絶えず流れる」となっているが、ほぼ同意。

2861  礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも
      (礒上 生小松 名惜 人不知 戀渡鴨)
 「~小松の」でいったん切って読む。「名を惜しみ」は「噂が立つのを恐れ」という意味である。
 「磯の上に生えている小さな松のように、噂が立つのを恐れひっそりと人に知られないまま恋い焦がれ続けています」という歌である。
 異伝歌は「岩の上に立てる小松の名を惜しみ人には云わず恋わたるかも」となっているが、歌意はほぼ同意である。

2862  山川の水陰に生ふる山菅のやまずも妹は思ほゆるかも
      (山川 水陰生 山草 不止妹 所念鴨)
 「水陰(みかげ)」は「岸辺」ないしは「岸辺の草むら」のことである。「~山菅の」は「やまず」を導く序歌。
 「山川の岸辺に生える山菅の、その名のように、絶えず彼女のことを思い続けています」という歌である。

2863  浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに [或本歌曰 誰が葉野に立ちしなひたる]
      (淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀 [或本歌曰 誰葉野尓 立志奈比垂])
 「浅葉野」は未詳。地名か否かも分からない。「神さぶる」は「おごそかに古びた」という意味。「菅(すが)の根の」は「菅の根の細かさ」からくる用語で、「細やかに」、「丁重に」、「心尽くして」といったことを意味する。「我が恋ひなくに」は原文に「吾不戀」とあるように「恋はいたしません」という意味。
 「浅葉野に立っている古びた菅の根のように、心尽くしてあなた以外に私は恋いるでしょうか」という歌である。
 異伝歌は「浅葉野に立ち神さぶる」の部分が「誰が葉野に立ちしなひたる」になっているが、歌意はほぼ同意。
 本歌には以下のような左注が付いている。
 「右廿三首(2841~2863番歌)は柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている。」

2864  我が背子を今か今かと待ち居るに夜の更けゆけば嘆きつるかも
      (吾背子乎 且今々々跡 待居尓 夜更深去者 嘆鶴鴨)
  正述心緒(直接心情を述べた歌)。2864~2963番歌の100首)。
 そのまま分かる平明歌。
 「あの方のお越しを今か今かと待つ内に夜が更けてしまい、嘆きに変わってしまった」という歌である。

2865  玉釧まき寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき
      (玉釼 巻宿妹母 有者許増 夜之長毛 歡有倍吉)
 「玉釧(たまくしろ)」は腕に巻く腕輪のことで、本歌のほかに3148番歌一例しかなく、そのまま腕輪としてよかろう。「あらばこそ」は彼女がいない嘆き。
 「玉釧を巻くように共寝する彼女がいたなら、長い夜もさぞかしうれしいことだろうに」という歌である。

2866  人妻に言ふは誰が言さ衣のこの紐解けと言ふは誰が言
      (人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言)
 口説かれた歌。「誰(た)が言(こと)」(どこのどなたでしょう)を2度繰り返して男のしつこさを表現している。「さ衣(ごろも)」の「さ」は「さ霧」、「さ百合」の類の「さ」。
 「人妻の私に言い寄るのはどこのどなたでしょう。着物の下紐を解けとおっしゃるのはどこのどなたでしょう」という歌である。

2867  かくばかり恋ひむものぞと知らませばその夜はゆたにあらましものを
      (戀乍毛 後将相跡 思許増 己命乎 長欲為礼)
 「かくばかり」は「恋というものがこんなにも」という意味である。「ゆたに」は2367番歌にも出てきたように、「ゆったりと」という意味。
 「恋というものがこんなにも恋しいものだと知っていれば、あの日の夜はもっとゆったりしていればよかった」という歌である。

2868  恋ひつつも後も逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
      (戀乍毛 後将相跡 思許増 己命乎 長欲為礼)
 「恋ひつつも」は「こうして恋い焦がれていれば」という意味で、「後も逢はむと」は「後にはきっと逢えると」という意味である。
 「こうして恋い焦がれていれば後にはきっと逢えると思うからこそ、自分の命を長らえたいと思っている」という歌である。

2869  今は我は死なむよ我妹逢はずして思ひわたれば安けくもなし
      (今者吾者 将死与吾妹 不相而 念渡者 安毛無)
 激しい歌である。「死なむよ」は相手の女性に呼びかけているのである。「思ひわたれば」は「恋続ければ」という意味。
 「私は死のうと思っている。あなたに逢わないまま恋続ければその苦しさに安らぐ時がありません」という歌である。

2870  我が背子が来むと語りし夜は過ぎぬしゑやさらさらしこり来めやも
      (我背子之 将来跡語之 夜者過去 思咲八更々 思許理来目八面)
 「しゑや」はこれまで659番歌や819番歌を始め10例以上にわたって使用例がある。「ええい」といった意味の間投詞。「さらさら」は「今さら」という意味。「しこり来めやも」は「間違っても来るものか」という意味である。
 「あの人がやって来ると約束した夜は過ぎてしまった。ええい、今さら間違ってもやって来るものか」という歌である。

2871  人言の讒しを聞きて玉桙の道にも逢はじと言へりし我妹
      (人言之 讒乎聞而 玉<桙>之 道毛不相常 云吾妹)
 「讒(よこ)し」は「よこしま」のことで事実無根ということ。「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。
 「事実無根の私の評判を真に受けてしまって、道で出合うことさへ嫌だと言ってるらしいな。私の彼女よ」という歌である。

2872  逢はなくも憂しと思へばいや増しに人言繁く聞こえ来るかも
      (不相毛 懈常念者 弥益二 人言繁 所聞来可聞)
 訓じ方によるが「逢はなくも」を「逢わない」と解するか「逢えない」と解するかによって微妙に差が出る。全体の歌意からすると恋の歌。なので「逢えない」と解さないと歌意が通らない。「人言繁く」は「人の口が激しい」という意味。
 「逢えないだけでも辛いと思っているのに、さらに人の口が激しいのが聞こえてきて辛い」という歌である。

2873  里人も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰が名ならめや
      (里人毛 謂告我祢 縦咲也思 戀而毛将死 誰名将有哉)
 「語り継ぐがね」は364番歌に「ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね」とあるように「語りぐさにする」という意味である。
 「里人の語りぐさになるだろう。ええい、私が恋い焦がれて死ねば、あなたに恋い焦がれて死んだよと語りぐさになるだろう」という歌である。

2874  確かなる使をなみと心をぞ使に遣りし夢に見えきや
      (慥 使乎無跡 情乎曽 使尓遣之 夢所見哉)
 「使(つかひ)をなみと」は「~ないので」の「み」。
 「確かな使いを持たないのでこの私の心を使いにやりました。夢に見えたでしょうか」という歌である。

2875  天地に少し至らぬ大夫と思ひし我れや雄心もなき
      (天地尓 小不至 大夫跡 思之吾耶 雄心毛無寸)
 「大夫(ますらを)」は「立派な男子」。
 「天地の広大さには少々至らぬだけの立派な男子と思ってきた私だが、今や男心もなくなってしまった」という歌である。

2876  里近く家や居るべきこの我が目人目をしつつ恋の繁けく
      (里近 家<哉>應居 此吾目之 人目乎為乍 戀繁口)
 「里近く家や居るべき」は「里に近い家に住むものではありませんね」という意味である。「この我が目」は「気にしながら」と訳すと分かりやすい。
 「里に近い家に住むものではありませんね。人目をはばかって気にしながらでは恋心が募るばかりです」という歌である。

2877  いつはなも恋ひずありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁しも
      (何時奈毛 不戀有登者 雖不有 得田直比来 戀之繁母)
 「いつはなも」は「いつといって」ということで、「恋しないことはありません」という意味。「うたてこのころ」は「この頃ますます」という意味である。
 「いつといって恋わない時はありませんが、この頃ますます恋い焦がれています」という歌である。

2878  ぬばたまのい寝ねてし宵の物思ひに裂けにし胸はやむ時もなし
      (黒玉之 宿而之晩乃 物念尓 割西る者 息時裳無)
 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「裂けにし」は過去形。
 「かって共寝した宵を思い出しては張り裂けるこの思い、気が休まる時はありません」という歌である。

2879  み空行く名の惜しけくも我れはなし逢はぬ日まねく年の経ぬれば
      (三空去 名之惜毛 吾者無 不相日數多 年之經者)
 「逢はぬ日まねく」は原文に「不相日數多」とあるように「逢えない日が多く」という意味。
 「大空に広がる自分の評判などどうでもいい。逢えない日が多く重なり、とうとう年月が経ってしまった」という歌である。
           (2015年9月15日記)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles