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万葉集読解・・・184(3000~3019番歌)

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     万葉集読解・・・184(3000~3019番歌)
3000  魂合へば相寝るものを小山田の鹿猪田守るごと母し守らすも [一云 母が守らしし]
      (霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳 [一云 母之守之師])
 「魂(たま)合へば」は「好き同士なら」という意味。「小山田」は地名ではなく「山の小さな大事な田」という意味である。
 「好き同士なら共に寝ましょうものを、鹿や猪から大切な田(私)を母が守っていて下さるので」という歌である。
 異伝歌は結句が「守っておられるので」となっていて、本歌とほぼ同意。

3001  春日野に照れる夕日の外のみに君を相見て今ぞ悔しき
      (春日野尓 照有暮日之 外耳 君乎相見而 今曽悔寸)
 「春日野に照れる夕日の」は奈良県春日山の野。一般的に「春日の射す野」ともとれる。下二句は「君を相見て今ぞ悔しき」。つまり、特定の場所で見かけたことを示している。
 「普段見慣れている春日山の野に夕日が射し込み偶然に出合った。会釈するなり声をかけるなり、もう少し対処の仕方があったのに、そのまま通り過ぎたのが今になって悔やまれる」という歌である。

3002  あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて妹待つ我れを
      (足日木乃 従山出流 月待登 人尓波言而 妹待吾乎)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。平明歌。
 「山から出てくる月を待っているのさ、と人には告げながら、実は彼女を待っている私」という歌である。

3003  夕月夜暁闇のおほほしく見し人ゆゑに恋ひわたるかも
      (夕月夜 五更闇之 不明 見之人故 戀渡鴨)
 「暁闇(あかときやみ)の」は「夕方にくっきりしていた月が明け方になって見えなくなる」あるいは「薄くなる」という意味である。「おほほしく」は2449番歌に「香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも」とあるように「ぼんやりと」という意味である。 「明け方ぼんやりと見える月のように見かけたお人、かえってそれ故に恋い続けています」という歌である。

3004  久方の天つみ空に照る月の失せなむ日こそ我が恋止まめ
      (久堅之 天水虚尓 照月之 将失日社 吾戀止目)
 「久方の」はおなじみの枕詞。「失せなむ日こそ」は「消えてなくなる日があれば」という意味。
 「あの空に照り輝いている月が消えてなくなる日があれば私の恋心もおさまるだろうに」という歌である。

3005  十五日に出でにし月の高々に君をいませて何をか思はむ
      (十五日 出之月乃 高々尓 君乎座而 何物乎加将念)
 「十五日に出でにし月の」は「望月の夜の月」すなわち満月のことである。第3句の「高々に」を導く序歌。「いませて」は「いらっしゃって」という意味。
 「十五夜の満月のように高々と待っていたあなたがいらっしゃって、もう何も思うことはありません」という歌である。

3006  月夜よみ門に出で立ち足占して行く時さへや妹に逢はざらむ
      (月夜好 門尓出立 足占為而 徃時禁八 妹二不相有)
 「月夜よみ」は「~なので」の「み」。「足占(あうら)して」は占いだが、どんな占いか不明。「岩波大系本」には「歩いて行って、右足、左足のどちらで目標につくかにより吉凶を定める占らしい。」とある。
 「月が美しい月夜なので門に出て立ち、足占が吉と出て向かう時さえ彼女に逢えない時もある」という歌である。

3007  ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
      (野干玉 夜渡月之 清者 吉見而申尾 君之光儀乎)
 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「さやけくは」は「美しく澄み渡っていれば」という意味。「よく見てましを」は「よくお見かけできただろうに」という意味である。
 「夜、天空をわたっていく月が美しく澄み渡っていれば、よく見られただろうにあなた様のお姿が」という歌である。

3008  あしひきの山を木高み夕月をいつかと君を待つが苦しさ
      (足引之 山呼木高三 暮月乎 何時君乎 待之苦沙)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「木高み」は「木々が高いので」という意味。夕月を君に喩えている。
 「山の木々が高いので夕月がいつになったら顔を出すかと、あなたを待つのが苦しい」という歌である。

3009  橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり
      (橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利)
 「橡(つるばみ)の衣(ころも)」は、ドングリの実を煮た汁で染めた着物。2965番歌に出てきたように庶民の着る黒い着物。「真土山(まつちやま)」は「和歌山県橋本市にある山」という説があるが、ここは固有名詞よりも「また打つ」という語呂合わせに使われている。橡の衣はほどいて洗うとき叩いて打って使ったので「また打つ」を「真土山(まつちやま)」で語呂合わせしているる。「本つ人には」は原文に「古人尓者」とあり、古女房のことである。
 「橡(つるばみ)の衣を解いて洗うとき又打つように、本つ人(古女房)の良さにはかないません」という歌である。

3010  佐保川の川波立たず静けくも君にたぐひて明日さへもがも
      (佐保川之 川浪不立 静雲 君二副而 明日兼欲得)
 「佐保川」は奈良市を流れる川。「佐保川の川波立たず」は「静けくも」を導く序歌。
「たぐひて」は「寄り添って」という意味である。
 「佐保川が川波を立てずに静かに流れるように、私も心静かにあなたに寄り添って明日までもこのままでいたい」という歌である。

3011  我妹子に衣春日の宜寸川よしもあらぬか妹が目を見む
      (吾妹兒尓 衣借香之 宜寸川 因毛有額 妹之目乎将見)
 「宜寸川(よしきがわ)」は奈良県春日山に発する川で、佐保川に注ぐ川。春日(かすが)を着物を貸すにかけた語呂合わせ。次句のよし(縁)を導く序歌。「妹が目を見む」は「彼女に逢いたい」という意味。
 「愛しい子に着物を貸すという春日の宜寸川、その名のように、彼女となにかきっかけでもないものか何とかして彼女に逢いたい」という歌である。

3012  との曇り雨降る川のさざれ波間なくも君は思ほゆるかも
      (登能雲入 雨零川之 左射礼浪 間無毛君者 所念鴨)
 「との曇り」は「一面かき曇っている」という状況。「~さざれ波」までは「間(ま)」を導く序歌。
 「一面かき曇って雨が降っている川にさざ波が立っている、そのさざ波のように絶え間なくあなたのことを思っています」という歌である。

3013  我妹子や我を忘らすな石上袖布留川の絶えむと思へや
      (吾妹兒哉 安乎忘為莫 石上 袖振川之 将絶跡念倍也)
 本歌の「布留川」は「石上(いそのかみ)」とあるように奈良県天理市の石上神宮の北側を流れる布留川を指している。「忘らすな」は妙な訓だが「忘れないでおくれ」という意味。「袖ふる」は求愛行為。この「ふる」を「布留川」にかけた。「思へや」は反語表現。
 「私のいとしい彼女よ。私を忘れないでおくれ。あの石上を流れる布留川ではないが、袖振る川が絶えることなどあろうか」という歌である。

3014  三輪山の山下響み行く水の水脈し絶えずは後も我が妻
      (神山之 山下響 逝水之 水尾不絶者 後毛吾妻)
 「三輪山」は奈良県桜井市の山。「響(とよ)み」は「轟かせ」という意味。「水脈(みを)し絶えずは」は「水の流れが絶えない限り」という意味である。
 「三輪山の麓をなり轟かせて行く水の水の流れが絶えない限り、これからもずっと私の妻だよ、お前」という歌である。

3015  神のごと聞こゆる瀧の白波の面知る君が見えぬこのころ
      (如神 所聞瀧之 白浪乃 面知君之 不所見比日)
 「神のごと」は「雷のように」という意味。なので「雷(かみ)のごと」とする訓もある。
 「雷音のように聞こえる滝、その滝壺の白波のように、白い顔をしたあなたがこのごろ見かけませんね」という歌である。

3016  山川の瀧にまされる恋すとぞ人知りにける間なくし思へば
      (山川之 瀧尓益流 戀為登曽 人知尓来 無間念者)
 結句の「間なくし思へば」は作者の告白。
 「山川を流れ下る滝にもまさる恋をしていたら世間の知るところとなってしまった。絶えず物思いをしているので」という歌である。

3017  あしひきの山川水の音に出でず人の子ゆゑに恋ひわたるかも
      (足桧木之 山川水之 音不出 人之子姤 戀渡青頭鶏)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「人の子ゆゑに」は「人妻ゆえに」という意味。
 「山を流れ下る川でありながら音も立てず、人妻ゆえにひっそりと恋い続けるしかありません」という歌である。

3018  高湍なる能登瀬の川の後も逢はむ妹には我れは今にあらずとも
      (高湍尓有 能登瀬乃川之 後将合 妹者吾者 今尓不有十万)
 「高湍(たかせ)」も「能登瀬(のとせ)の川」も所在不詳。「能登瀬」の「のと」は次句の後(のち)を導く。
 「高湍を流れる能登瀬川のように後にはあの子に逢いたいよ私は。たとえ今すぐにでなくとも」という歌である。

3019  洗ひ衣取替川の川淀の淀まむ心思ひかねつも
      (浣衣 取替河之 <河>余杼能 不通牟心 思兼都母)
 「取替(とりかひ)川」は今の淀川かという。その川の淀んだ所を川淀と表現している。「~川淀」までは「淀まむ」を導く序歌。「淀まむ心思ひかねつも」は「淀んだ心のままじっとしていることはできません」という意味である。
 「洗う着物を取り替える取り替え川の川淀のように、淀んだ心のままじっとしていることはできません」という歌である。
          (2015年11月8日記、2019年3月17日)
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