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万葉集読解・・・185(3020~3041番歌)

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     万葉集読解・・・185(3020~3041番歌)
3020  斑鳩の因可の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我がする
      (斑鳩之 因可乃池之 宜毛 君乎不言者 念衣吾為流)
 斑鳩(いかるが)は聖徳太子ゆかりの地で、奈良県生駒郡斑鳩町。太子の宮があったところで、法隆寺もここにある。「因可(よるか)の池」は所在不詳。「よろしくも」を導く序歌。「思ひぞ我がする」は「心配しています」という意味である。
 「斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池の名のように、世間はあなたのことを良く言わないので心配しています」という歌である。

3021  隠り沼の下ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
      (絶沼之 下従者将戀 市白久 人之可知 歎為米也母)
 「隠り沼(こもりぬ)の」は木々に隠れて見えない沼のこと。「下ゆ」はその下から、つまり「密かに」という意味。「いちしろく」は「はっきりと」という意味。「嘆きせめやも」は「嘆くようなことはするまい」という意味である。
 「隠り沼(こもりぬ)の下から密かに恋い焦がれていよう。はっきりと人に知られてしまうような、嘆息をつくようなことはするまい」という歌である。

3022  ゆくへなみ隠れる小沼の下思に我れぞ物思ふこのころの間
      (去方無三 隠有小沼乃 下思尓 吾曽物念 頃者之間)
 「ゆくへなみ」は「~ので」の「み」。「水の行く先がないので」という意味。「このころの間」は「ここんところずっと」という意味。
 「水の行く先がなくてじっと隠っている小沼のように、密かに私は恋に沈んでいます。ここんところずっと」という歌である。

3023  隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
      (隠沼乃 下従戀餘 白浪之 灼然出 人之可知)
 「隠り沼の下ゆ」は前々歌参照。
 「隠り沼の下から密かに恋い焦がれていたが、そのあまりあふれ出た白波のように、はっきりと顔に出てしまった。世間の人が知るほどに」という歌である。

3024  妹が目を見まく堀江のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
      (妹目乎 見巻欲江之 小浪 敷而戀乍 有跡告乞)
 「妹が目を見む」は「彼女に逢いたい」という意味。「見まくほり」は「逢いたい」ということで、「堀江のさざれ波」を導く。「しきて」は「重ねて」という意味。結句の「ありと告げこそ」は不特定多数の人に呼びかけたもの。「誰か彼女に告げてくれないかな」という意味である。
 「彼女に逢いたい。堀江に立つさざれ波のようにしきりに恋い続けていると、誰か彼女にこの思いを告げてよ」という歌である。

3025  石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から
      (石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良久 吾情柄)
 「石(いは)走る」は「岩を流れ下る」という意味。「垂水(たるみ)の水の」は「滝の飛沫は」という意味。ここまで「はしきやし」を導く序歌。「はしきやし」は「いとおしい」という意味である。
 「岩を流れ下る滝の激流のようにいとおしいあなたを恋い焦がれている、心から」という歌である。

3026  君は来ず我れは故なみ立つ波のしくしくわびしかくて来じとや
      (君者不来 吾者故無 立浪之 敷和備思 如此而不来跡也)
 「故なみ」は「理由がないので」という意味。すなわち「思い当たる節がなく」という意味である。「しくしく」は2234番歌や2427番歌に使用例があるように、「しきりに」という意味である。
 「あなたはちっともいらっしゃらなくなりましたね。私には思い当たる節がなく、立つ波のように、しきりにわびしい思いでいます。あなたはもういらっしゃらないつもりでしょうか」という歌である。

3027  淡海の海辺は人知る沖つ波君をおきては知る人もなし
      (淡海之海 邊多波人知 奥浪 君乎置者 知人毛無)
 「淡海(あふみ)の海」は「近江の海」すなわち琵琶湖のこと。「辺(へた)は」は「岸辺は」という意味で、「沖つ波」の対語。
 「琵琶湖の岸辺のような浅い心は世間の人は知っています。けれども沖の深い心はあなた以外に知る人はいません」という歌である。

3028  大海の底を深めて結びてし妹が心はうたがひもなし
      (大海之 底乎深目而 結<義>之 妹心者 疑毛無)
 「大海(おほうみ)の底を深めて結びてし」は比喩。
 「大海の底のように深く結ばれた彼女の心には疑いようがありません」という歌である。

3029  佐太の浦に寄する白波間なく思ふを何か妹に逢ひかたき
      (貞能b尓 依流白浪 無間 思乎如何 妹尓難相)
 「佐太の浦」は未詳。
 「佐太の浦に寄せてくる白波は絶え間なく寄せてくる。その波のように思い続けているのにどうしてあの子に逢いがたいのだろう」という歌である。

3030  思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る
      (念出而 為便無時者 天雲之 奥香裳不知 戀乍曽居)
 「思ひ出でて」は「(あなたのことを)思い出して」という意味。「奥処(おくか)も知らず」は「果ても知らず」という意味である。
 「あなたのことを思い出してどうしようもない時は、雲の果てがどこか分からないように、どこまでも恋しさを募らせています」という歌である。

3031  天雲のたゆたひやすき心あらば我れをな頼めそ待たば苦しも
      (天雲乃 絶多比安 心<有>者 吾乎莫憑 待者苦毛)
 「な頼めそ」は「な~そ」の禁止形、「あてにしないで」という意味。
 「漂う雲のように揺れ動く心でいらっしゃるなら、私に気を持たせるようなことはしないで下さい。待っているのは苦しくてたまりません」という歌である。

3032  君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
      (君之當 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零)
生駒山(いこまやま)は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある山。「雲なたなびき」は「な~そ」の禁止形。
 「あなたがいらっしゃる方向、生駒山を眺めています。どうか生駒山に雲はたなびかないでおくれ。雨は降ってもいいから」という歌である。

3033  なかなかに何か知りけむ我が山に燃ゆる煙の外に見ましを
      (中々二 如何知兼 吾山尓 焼流火氣能 外見申尾)
 「なかなかに」は「なまじっか」ないし「かえって」という意味。「外(よそ)に見ましを」は「よそながら見ていればよかったのに」という意味である。
 「なまじっか知り合ったばかりに燃える山となり、煙が立ちこめて苦しい。その煙をよそながら見ていればよかったのに」という歌である。

3034  我妹子に恋ひすべ無かり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも
      (吾妹兒尓 戀為便名鴈 る乎熱 旦戸開者 所見霧可聞)
 「恋ひすべ無かり」は「恋してしまい、なすすべが無い」、すなわち「どうしようもない」という意味である。「胸を熱み」は「~なので」の「み」。
 「我が彼女に恋してしまい、どうしようもない。胸が熱いので、朝戸を開けてみると霧が立ちこめているのが見えた」という歌である。

3035  暁の朝霧隠りかへらばに何しか恋の色に出でにける
      (暁之 朝霧隠 反羽二 如何戀乃 色<丹>出尓家留)
 「かへらばに」は「反対に」ないし「かえって」という意味。
 「明け方の朝に隠っている霧のように、ひそかに恋をしていたのに、かえって、恋いをしていることが表に出てしまった。どうしてなんだろう」という歌である。

3036  思ひ出づる時はすべなみ佐保山に立つ雨霧の消ぬべく思ほゆ
       (思出 時者為便無 佐保山尓 立雨霧乃 應消所念)
 佐保山は奈良市法蓮町あたりにあった山。平城京跡から近い。「すべなみ」は「なすすべがないので」という意味。
 「思い出すとどうしようもなく、佐保山に立つ雨霧が消えてゆくように、この身も消えてしまいたいと思う」という歌である。

3037  殺目山行き返り道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ
      (煞目山 徃反道之 朝霞 髣髴谷八 妹尓不相牟)
 殺目山(きりめやま)は和歌山県日高郡印南町にある切目山とされる。が、細かくいうと諸説あって、具体的には場所がはっきりしていない。通常は紀勢本線切目駅北西にある切目王子神社のあたりだとされている。が、駅南方の狼烟山(のろしやま)という説もある。いずれ切目駅の近くだったのだろう。
 「殺目山の行き帰り道にかかる朝霞のようにほのかにでもあの子に逢えないだろうか」という歌である。

3038  かく恋ひむものと知りせば夕置きて朝は消ぬる露ならましを
      (如此将戀 物等知者 夕置而 旦者消流 露有申尾)
 平明歌。
 「こんなに恋い焦がれると知っていたら、夕べには降りて朝方には消えてしまう露であればよかったのに」という歌である。

3039  夕置きて朝は消ぬる白露の消ぬべき恋も我れはするかも
      (暮置而 旦者消流 白露之 可消戀毛 吾者為鴨)
 前歌同様平明歌。
 「夕べには降りて朝方には消えてしまう白露のようなはかない恋いを私はしてるのかも」という歌である。

3040  後つひに妹は逢はむと朝露の命は生けり恋は繁けど
      (後遂尓 妹将相跡 旦露之 命者生有 戀者雖繁)
 「後つひに」は「後にはきっと」という意味。「恋は繁(しげ)けど」は「しきりに恋いしいけれど」という意味である。
 「後にはきっとあの子は逢ってくれると朝露のようにはかない命をつないでいる。あの子がしきりに恋いしいけれど」という歌である。

3041  朝な朝な草の上白く置く露の消なばともにと言ひし君はも
      (朝旦 草上白 置露乃 消者共跡 云師君者毛)
 「~置く露の」までは「消(け)なば」を導く序歌。
 「朝な朝(さ)な草に降りていた白露がはかなく消えていくようなこの命、消える時は共にと言って下さったあなたでしたわ」という歌である。
          (2015年11月14日記、2019年3月17日)
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