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そ の 189 へ
万葉集読解・・・188(3078~3097番歌)
3078 波の共靡く玉藻の片思に我が思ふ人の言の繁けく
(浪之共 靡玉藻乃 片念尓 吾念人之 言乃繁家口)
「波の共(むた)」は「波と共に」
「波任せに」という意味。「波と共になびく玉藻のように片思いに揺れ、我が恋い焦がれるあの人について何かと噂が激しくて」という歌である。
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万葉集読解・・・188(3078~3097番歌)
3078 波の共靡く玉藻の片思に我が思ふ人の言の繁けく
(浪之共 靡玉藻乃 片念尓 吾念人之 言乃繁家口)
「波の共(むた)」は「波と共に」
「波任せに」という意味。「波と共になびく玉藻のように片思いに揺れ、我が恋い焦がれるあの人について何かと噂が激しくて」という歌である。
3079 わたつみの沖つ玉藻の靡き寝む早来ませ君待たば苦しも
(海若之 奥津玉藻乃 靡将寐 早来座君 待者苦毛)
「わたつみの」は「大海の」という意味。『古事記』では「綿津見神」、また、『日本書紀』では「海神」などの表記がなされる神話上の神。ここでは大海を指す。「~玉藻の」までは「靡(なび)き」を導く序歌。
「大海の沖の藻のように寄り添って寝たい、早くいらっしゃって下さい。あなたを待っているのは苦しくてたまりません」という歌である。
(海若之 奥津玉藻乃 靡将寐 早来座君 待者苦毛)
「わたつみの」は「大海の」という意味。『古事記』では「綿津見神」、また、『日本書紀』では「海神」などの表記がなされる神話上の神。ここでは大海を指す。「~玉藻の」までは「靡(なび)き」を導く序歌。
「大海の沖の藻のように寄り添って寝たい、早くいらっしゃって下さい。あなたを待っているのは苦しくてたまりません」という歌である。
3080 わたつみの沖に生ひたる縄海苔の名はかつて告らじ恋ひは死ぬとも
(海若之 奥尓生有 縄乗乃 名者曽不告 戀者雖死)
「わたつみの」は前歌参照。「縄海苔」は「縄のように長い海苔」。縄海苔(名は告(の)り)にかけた言い方。「かって」は「曽て」で「決して」という意味。「大海の沖に生える縄海苔のように、決してあなたの名をもらすことはしません。たとえ恋はやんでも」という歌である。
3081 玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも
(玉緒乎 片緒尓搓而 緒乎弱弥 乱時尓 不戀有目八方)
「玉の緒を片緒に縒(よ)りて」は1937番歌に「片縒りに糸をぞ我が縒る我が背子が~」という例がある。「片緒(一本)」では紐(緒)は縒(よ)れないので具体的にはよく意味が分からない。が、縒り合わせようにも出来ない「片思い」の意と解すれば歌意はすっきり通る。
「玉を通した緒を片方の緒だけで縒(よ)り合わせようとしても弱いので(出来ないので)片思いに心が乱れる。今こそ恋わずにいられようか」という歌である。
(海若之 奥尓生有 縄乗乃 名者曽不告 戀者雖死)
「わたつみの」は前歌参照。「縄海苔」は「縄のように長い海苔」。縄海苔(名は告(の)り)にかけた言い方。「かって」は「曽て」で「決して」という意味。「大海の沖に生える縄海苔のように、決してあなたの名をもらすことはしません。たとえ恋はやんでも」という歌である。
3081 玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも
(玉緒乎 片緒尓搓而 緒乎弱弥 乱時尓 不戀有目八方)
「玉の緒を片緒に縒(よ)りて」は1937番歌に「片縒りに糸をぞ我が縒る我が背子が~」という例がある。「片緒(一本)」では紐(緒)は縒(よ)れないので具体的にはよく意味が分からない。が、縒り合わせようにも出来ない「片思い」の意と解すれば歌意はすっきり通る。
「玉を通した緒を片方の緒だけで縒(よ)り合わせようとしても弱いので(出来ないので)片思いに心が乱れる。今こそ恋わずにいられようか」という歌である。
3082 君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
(君尓不相 久成宿 玉緒之 長命之 惜雲無)
前半の「君に逢はず久しくなりぬ」と後半の「長き命の惜しけくもなし」を結ぶ歌意が判然としない。すっきり歌意が通るようにするには意訳的解が必要となる。
「あなたに逢わないまま随分久しくなりました。本来玉の緒のように長いこの命、けれど、もういつ死んでも惜しくありません」という歌である。
(君尓不相 久成宿 玉緒之 長命之 惜雲無)
前半の「君に逢はず久しくなりぬ」と後半の「長き命の惜しけくもなし」を結ぶ歌意が判然としない。すっきり歌意が通るようにするには意訳的解が必要となる。
「あなたに逢わないまま随分久しくなりました。本来玉の緒のように長いこの命、けれど、もういつ死んでも惜しくありません」という歌である。
3083 恋ふることまされる今は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほゆ
(戀事 益今者 玉緒之 絶而乱而 可死所念)
「恋ふることまされる今は」は「恋心が募って頂点に達した今は」という意味である。
「恋心が募って頂点に達した今、玉の緒が切れて(玉が)乱れ飛ぶように死にたく思います」という歌である。
(戀事 益今者 玉緒之 絶而乱而 可死所念)
「恋ふることまされる今は」は「恋心が募って頂点に達した今は」という意味である。
「恋心が募って頂点に達した今、玉の緒が切れて(玉が)乱れ飛ぶように死にたく思います」という歌である。
3084 海人娘子潜き採るといふ忘れ貝世にも忘れじ妹が姿は
(海處女 潜取云 忘貝 代二毛不忘 妹之容儀者)
「海人娘子(あまをとめ)」は海女(あま)(漁民)のこと。「潜(かづ)き採る」は「潜って採る」という意味。「世にも」は「けっして」という意味である。
「海女が潜って採るという忘れ貝。が、決して私は彼女の姿を忘れたりしない。」という歌である。
(海處女 潜取云 忘貝 代二毛不忘 妹之容儀者)
「海人娘子(あまをとめ)」は海女(あま)(漁民)のこと。「潜(かづ)き採る」は「潜って採る」という意味。「世にも」は「けっして」という意味である。
「海女が潜って採るという忘れ貝。が、決して私は彼女の姿を忘れたりしない。」という歌である。
3085 朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
(朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓)
2394番歌と重出。朝影は朝日にあたって長く伸びた影。「玉かきる」の「玉」は美称。「かぎる」は陽炎。
「朝影のように私はやせ細ってしまった。陽炎のようにほのかに逢っただけで立ち去ってしまったあの子が忘れられないゆえに」という歌である。
(朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓)
2394番歌と重出。朝影は朝日にあたって長く伸びた影。「玉かきる」の「玉」は美称。「かぎる」は陽炎。
「朝影のように私はやせ細ってしまった。陽炎のようにほのかに逢っただけで立ち去ってしまったあの子が忘れられないゆえに」という歌である。
3086 なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり
(中々二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許)
「なかなかに」は12例にわたって使われている。一例として大伴旅人の「なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ」(343番歌)を挙げておこう。「いっそのこと」ないし「なまじっか」という意味である。桑子(くはこ)は蚕のこと。「玉の緒ばかり」は「飾り紐のようにいっとき」という意味である。
「いっそのこと人ではなく、もの思わなくてよい蚕にでもなりたい、たとえいっときでも」という歌である。
(中々二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許)
「なかなかに」は12例にわたって使われている。一例として大伴旅人の「なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ」(343番歌)を挙げておこう。「いっそのこと」ないし「なまじっか」という意味である。桑子(くはこ)は蚕のこと。「玉の緒ばかり」は「飾り紐のようにいっとき」という意味である。
「いっそのこと人ではなく、もの思わなくてよい蚕にでもなりたい、たとえいっときでも」という歌である。
3087 真菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは
(真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者)
「真菅(ますげ)よし」。現在でも曽我川のほとりに真菅駅がある。菅が美しい原だったようだ。曽我(宗我)川は奈良県御所市から大和高田市等を通って北流し、大和川に注ぐ川。真は美称。
「菅の美しい曽我の川原に鳴く千鳥のようにのべつまくなしに私は、あなたを恋い焦がれています」という歌である。
(真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者)
「真菅(ますげ)よし」。現在でも曽我川のほとりに真菅駅がある。菅が美しい原だったようだ。曽我(宗我)川は奈良県御所市から大和高田市等を通って北流し、大和川に注ぐ川。真は美称。
「菅の美しい曽我の川原に鳴く千鳥のようにのべつまくなしに私は、あなたを恋い焦がれています」という歌である。
3088 恋衣着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし我が恋ふらくは
(戀衣 著楢乃山尓 鳴鳥之 間無時無 吾戀良苦者)
「着奈良(きなら)」は「着慣れている」にかけている。前歌と同趣旨の歌。
「恋の着物に身を包み慣れている奈良山に鳥がひっっきりなしに鳴く、そんな風に私も時無しに恋しくてなりません」という歌である。
(戀衣 著楢乃山尓 鳴鳥之 間無時無 吾戀良苦者)
「着奈良(きなら)」は「着慣れている」にかけている。前歌と同趣旨の歌。
「恋の着物に身を包み慣れている奈良山に鳥がひっっきりなしに鳴く、そんな風に私も時無しに恋しくてなりません」という歌である。
3089 遠つ人狩道の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ
(遠津人 猟道之池尓 住鳥之 立毛居毛 君乎之曽念)
「遠つ人」は、871番歌に「遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名」という例があるように「遠い人」の意味で使われている。「狩道(かりじ)の池」は地名で奈良県桜井市鹿路の池だという。
「遠くにいる人、鹿路の池に住んでいる鳥が飛び立つように、いても立ってもいられないほどあなたを強く思っています」という歌である。
(遠津人 猟道之池尓 住鳥之 立毛居毛 君乎之曽念)
「遠つ人」は、871番歌に「遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名」という例があるように「遠い人」の意味で使われている。「狩道(かりじ)の池」は地名で奈良県桜井市鹿路の池だという。
「遠くにいる人、鹿路の池に住んでいる鳥が飛び立つように、いても立ってもいられないほどあなたを強く思っています」という歌である。
3090 葦辺行く鴨の羽音の音のみに聞きつつもとな恋ひわたるかも
(葦邊徃 鴨之羽音之 聲耳 聞管本名 戀度鴨)
「音のみ」は通常「噂のみ」を意味している。「もとな」は40例近くにわたってでてくる。「無性に」ないし「しきりに」という意味である。
「芦辺を行く鴨の羽音がするが、姿は見られないように、噂ばかりが耳に入ってくる。無性にお逢いしたくて恋続けています」という歌である。
(葦邊徃 鴨之羽音之 聲耳 聞管本名 戀度鴨)
「音のみ」は通常「噂のみ」を意味している。「もとな」は40例近くにわたってでてくる。「無性に」ないし「しきりに」という意味である。
「芦辺を行く鴨の羽音がするが、姿は見られないように、噂ばかりが耳に入ってくる。無性にお逢いしたくて恋続けています」という歌である。
3091 鴨すらもおのが妻どちあさりして後るる間に恋ふといふものを
(鴨尚毛 己之妻共 求食為而 所遺間尓 戀云物乎)
「妻どち」の「どち」は仲間同士を呼ぶ呼び方。
「鴨ですらお互いの妻たちと共に餌をあさっている時、少しでも遅れると恋しがる(探す)というのに、(人間である私が相手を恋しがるのは)当たり前です」という歌である。
(鴨尚毛 己之妻共 求食為而 所遺間尓 戀云物乎)
「妻どち」の「どち」は仲間同士を呼ぶ呼び方。
「鴨ですらお互いの妻たちと共に餌をあさっている時、少しでも遅れると恋しがる(探す)というのに、(人間である私が相手を恋しがるのは)当たり前です」という歌である。
3092 白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる
(白檀 斐太乃細江之 菅鳥乃 妹尓戀哉 寐宿金鶴)
「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のこと。決まった語にかかるわけではないので枕詞(?)。「斐太」は「飛騨」のこと。1173番歌に「飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ」とある。2648番歌に「かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に」という礼がある。細江は地名か谷川のことか不詳。「菅鳥((すがとり」はどんな鳥か不明。「菅鳥の妹に恋ふれか」を「我が妹に恋ふれか」にかけている。
「白真弓の産地である飛騨の国の谷川の菅鳥が妻を求めて鳴くように、この私も彼女が恋しくてなかなか寝付かれません」という歌である。
(白檀 斐太乃細江之 菅鳥乃 妹尓戀哉 寐宿金鶴)
「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のこと。決まった語にかかるわけではないので枕詞(?)。「斐太」は「飛騨」のこと。1173番歌に「飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ」とある。2648番歌に「かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に」という礼がある。細江は地名か谷川のことか不詳。「菅鳥((すがとり」はどんな鳥か不明。「菅鳥の妹に恋ふれか」を「我が妹に恋ふれか」にかけている。
「白真弓の産地である飛騨の国の谷川の菅鳥が妻を求めて鳴くように、この私も彼女が恋しくてなかなか寝付かれません」という歌である。
3093 小竹の上に来居て鳴く鳥目を安み人妻ゆゑに我れ恋ひにけり
(小竹之上尓 来居而鳴鳥 目乎安見 人妻姤尓 吾戀二来)
「小竹」は篠(しの)のこと。「目を安み」は下二句を導く。「人妻ゆゑに」は「人妻なのに」という意味である。
「篠の上にやってきて鳴く鳥を見ていると目が休まる。そのように彼女の姿を眺めていると目が休まるので人妻だと分かっているのに恋してしまう」という歌である。
(小竹之上尓 来居而鳴鳥 目乎安見 人妻姤尓 吾戀二来)
「小竹」は篠(しの)のこと。「目を安み」は下二句を導く。「人妻ゆゑに」は「人妻なのに」という意味である。
「篠の上にやってきて鳴く鳥を見ていると目が休まる。そのように彼女の姿を眺めていると目が休まるので人妻だと分かっているのに恋してしまう」という歌である。
3094 物思ふと寐ねず起きたる朝明にはわびて鳴くなり庭つ鳥さへ
(物念常 不宿起有 旦開者 和備弖鳴成 鶏左倍)
平明歌。
「物を思って寝られず起きた朝明けはわびしいが、庭の鳥さえわびしく鳴いている」という歌である。
(物念常 不宿起有 旦開者 和備弖鳴成 鶏左倍)
平明歌。
「物を思って寝られず起きた朝明けはわびしいが、庭の鳥さえわびしく鳴いている」という歌である。
3095 朝烏早くな鳴きそ我が背子が朝明の姿見れば悲しも
(朝烏 早勿鳴 吾背子之 旦開之容儀 見者悲毛)
「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「朝明の姿」は「朝になると帰っていく男の姿」を意味している。
「朝のカラスよ、そんなに早いうちから鳴かないでおくれ。いとしいあのお人が朝帰りするのを見るのが哀しいから」という歌である。
(朝烏 早勿鳴 吾背子之 旦開之容儀 見者悲毛)
「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「朝明の姿」は「朝になると帰っていく男の姿」を意味している。
「朝のカラスよ、そんなに早いうちから鳴かないでおくれ。いとしいあのお人が朝帰りするのを見るのが哀しいから」という歌である。
3096 馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど猶し恋しく思ひかねつも
(柜楉越尓 麦咋駒乃 雖詈 猶戀久 思不勝焉)
「馬柵(うませ)越しに」は「馬の柵越しに」という意味。「罵(の)らゆれど」は「叱られても」ないし「罵(ののし)られても」という意味である。「思ひかねつも」は「思いかねている」すなわち「~しかねる」という意味である。
「馬柵越しに麦を食べる馬は叱られてもやはり麦が恋しくじっと待ちかねる」という歌である。
(柜楉越尓 麦咋駒乃 雖詈 猶戀久 思不勝焉)
「馬柵(うませ)越しに」は「馬の柵越しに」という意味。「罵(の)らゆれど」は「叱られても」ないし「罵(ののし)られても」という意味である。「思ひかねつも」は「思いかねている」すなわち「~しかねる」という意味である。
「馬柵越しに麦を食べる馬は叱られてもやはり麦が恋しくじっと待ちかねる」という歌である。
3097 さ桧隈桧隈川に馬留め馬に水飲へ我れ外に見む
(左桧隈 <桧隈>河尓 駐馬 馬尓水令飲 吾外将見)
「さ桧隈桧隈川(ひくまひくまがわ)」の「さ」は意味を強める接頭語。奈良県明日香村檜前(ひのくま)を流れる檜隈川(ひのくまがわ)のこと。「水飲(か)へ」は「水を飲ませて下さい」ということ。「外(よそ)に見む」は「離れてこっそり見る」という意味。「桧隈(ひくま)の桧隈川(ひくまがわ)のほとりに馬をとめ、馬に水をお与え下さい。そのお姿を私は横からこっそり見させていただきます」という歌である。
(2015年11月27日記、2019年3月18日)
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(左桧隈 <桧隈>河尓 駐馬 馬尓水令飲 吾外将見)
「さ桧隈桧隈川(ひくまひくまがわ)」の「さ」は意味を強める接頭語。奈良県明日香村檜前(ひのくま)を流れる檜隈川(ひのくまがわ)のこと。「水飲(か)へ」は「水を飲ませて下さい」ということ。「外(よそ)に見む」は「離れてこっそり見る」という意味。「桧隈(ひくま)の桧隈川(ひくまがわ)のほとりに馬をとめ、馬に水をお与え下さい。そのお姿を私は横からこっそり見させていただきます」という歌である。
(2015年11月27日記、2019年3月18日)