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そ の 198 へ
万葉集読解・・・197(3230~3238番歌)
3230番長歌
みてぐらを 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石走る 神なび山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば いにしへ思ほゆ
(帛叨 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念)
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万葉集読解・・・197(3230~3238番歌)
3230番長歌
みてぐらを 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石走る 神なび山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば いにしへ思ほゆ
(帛叨 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念)
この長歌は特異な長歌である。前半部の短い部分「みてぐらを~神なび山に」になんと4句も枕詞が入っているという説がある。「みてぐらを」、「水蓼(みづたで)」、「鳥網(となみ)張る」、「石(いは)走る」の4句である。しかも前の3句は3句ともこの長歌だけに使われている。ただの一例をもって枕詞ときめつけるのはいかがであろう。枕詞(?)。
「みてぐらを」は「幣帛(へいはく)を」のことで神前に供えるお供え物。「水蓼(みづたで)」は蓼科の一種。蓼科は広辞苑に「双子葉植物の一科」とある。「鳥網(となみ)張る」は「鳥網を張る」。坂に張るので坂手に続くというが、坂に張るとは限らないので(?)。「石走る」は8例あって何にかかるか一定しない。「岩を走る」という意味で、「激しい」川のこと。穂積(ほづみ)は奈良県天理市新泉町のあたり、坂手は奈良県磯城郡田原本町あたりという。そうだとすれば、一行は奈良市(平城京)から天理市新泉町、田原本町、明日香村そして吉野へとまっすぐ南下したことになる。「神なび山」は神宿る山のことで三諸の山。三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のこと。4句は各々地名や場所についていて、場所の指定句か。
「みてぐらを」は「幣帛(へいはく)を」のことで神前に供えるお供え物。「水蓼(みづたで)」は蓼科の一種。蓼科は広辞苑に「双子葉植物の一科」とある。「鳥網(となみ)張る」は「鳥網を張る」。坂に張るので坂手に続くというが、坂に張るとは限らないので(?)。「石走る」は8例あって何にかかるか一定しない。「岩を走る」という意味で、「激しい」川のこと。穂積(ほづみ)は奈良県天理市新泉町のあたり、坂手は奈良県磯城郡田原本町あたりという。そうだとすれば、一行は奈良市(平城京)から天理市新泉町、田原本町、明日香村そして吉野へとまっすぐ南下したことになる。「神なび山」は神宿る山のことで三諸の山。三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のこと。4句は各々地名や場所についていて、場所の指定句か。
(口語訳)
「幣巾(へいはく)を手向けて神聖な奈良の都を出発し、水蓼(みづたで)草の生い茂る穂積(ほづみ)に至り、鳥網を張るので有名な坂手を過ぎ、激しい明日香川の流れる三諸の山を遙拝する離宮(朝宮)で仕えまつり、吉野へとお入りになるのを見ると、昔がしのばれる」という歌である。
「幣巾(へいはく)を手向けて神聖な奈良の都を出発し、水蓼(みづたで)草の生い茂る穂積(ほづみ)に至り、鳥網を張るので有名な坂手を過ぎ、激しい明日香川の流れる三諸の山を遙拝する離宮(朝宮)で仕えまつり、吉野へとお入りになるのを見ると、昔がしのばれる」という歌である。
3231 月は日は変らひぬとも久に経る三諸の山の離宮ところ
(月日 攝友 久經流 三諸之山 礪津宮地)
「変(かは)らひぬとも」は「月日は経って変わっていっても」という意味である。「久に経る」は「久しく経たる」、すなわち「長く変わらない」という意味。
「月日は経って変わっていっても、長く変わらない三諸の山を拝むここは離宮」という歌である。
以上、長反歌二首
(月日 攝友 久經流 三諸之山 礪津宮地)
「変(かは)らひぬとも」は「月日は経って変わっていっても」という意味である。「久に経る」は「久しく経たる」、すなわち「長く変わらない」という意味。
「月日は経って変わっていっても、長く変わらない三諸の山を拝むここは離宮」という歌である。
以上、長反歌二首
3232番長歌
斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 磯漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波
(斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作 二梶貫 礒榜廻乍 嶋傳 雖見不飽 三吉野乃 瀧動々 落白浪)
「丹生(にふ)の桧山(ひやま)の」は「吉野川上流丹生のヒノキの山」。「真楫(まかぢ)貫(ぬ)き」(原文:二梶貫)は「両側に梶を取り付けて」という意味である。
斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 磯漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波
(斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作 二梶貫 礒榜廻乍 嶋傳 雖見不飽 三吉野乃 瀧動々 落白浪)
「丹生(にふ)の桧山(ひやま)の」は「吉野川上流丹生のヒノキの山」。「真楫(まかぢ)貫(ぬ)き」(原文:二梶貫)は「両側に梶を取り付けて」という意味である。
(口語訳)
「斧を取って丹生の桧山の木を伐りとってきて筏に作り、両側に梶を取り付け、磯を巡りつつ島伝いに吉野を見れども見れども飽きない。滝からごうごうと轟いて落下するその白波を」という歌である。3233 み吉野の瀧もとどろに落つる白波留まりにし妹に見せまく欲しき白波
(三芳野 瀧動々 落白浪 留西 妹見<西>巻 欲白浪)
前半の「~落つる白波」でいったん切れる。「留(と)まりにし」は「都に留まっている」という意味。旋頭歌。
「吉野のごうごうと音を立てて落下する滝の白波。都に留まっている彼女に見せてやりたいこの白波」という歌である。
以上、長反歌二首
(三芳野 瀧動々 落白浪 留西 妹見<西>巻 欲白浪)
前半の「~落つる白波」でいったん切れる。「留(と)まりにし」は「都に留まっている」という意味。旋頭歌。
「吉野のごうごうと音を立てて落下する滝の白波。都に留まっている彼女に見せてやりたいこの白波」という歌である。
以上、長反歌二首
3234番長歌
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子の きこしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海もゆたけし 見わたす 島も名高し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に うちひさす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地 日月とともに 万代にもが
(八隅知之 和期大皇 高照 日之皇子之 聞食 御食都國 神風之 伊勢乃國者 國見者之毛 山見者 高貴之 河見者 左夜氣久清之 水門成 海毛廣之 見渡 嶋名高之 己許乎志毛 間細美香母 挂巻毛 文尓恐 山邊乃 五十師乃原 尓内日刺 大宮都可倍 朝日奈須 目細毛 暮日奈須 浦細毛 春山之 四名比盛而 秋山之 色名付思吉 百礒城之 大宮人者 天地 与日月共 万代尓母我)
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子の きこしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海もゆたけし 見わたす 島も名高し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に うちひさす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地 日月とともに 万代にもが
(八隅知之 和期大皇 高照 日之皇子之 聞食 御食都國 神風之 伊勢乃國者 國見者之毛 山見者 高貴之 河見者 左夜氣久清之 水門成 海毛廣之 見渡 嶋名高之 己許乎志毛 間細美香母 挂巻毛 文尓恐 山邊乃 五十師乃原 尓内日刺 大宮都可倍 朝日奈須 目細毛 暮日奈須 浦細毛 春山之 四名比盛而 秋山之 色名付思吉 百礒城之 大宮人者 天地 与日月共 万代尓母我)
「やすみしし」は枕詞。儀式歌の用語であろう。「やすみしし」の原文は八隅知之。その意味を取って「八方隅々まで之を知らす」と解することが出来そうである。「知らす」は「治める」という意味である。
「やすみしし」を安見知之ないし安美知之と表記している例が7首見られるので微妙。「高照らす」も枕詞。「やすみしし」と同様儀式歌の用語だろう。
「きこしをす」は「お治めになる」という意味である。「御食(みけ)つ国」は「大君(天皇)の食料を奉る国」のこと。「神風の」は枕詞。「水門(みなと)なす」の「なす」は「~を形作る」という意味。「まぐはしみかも」は「目に麗しい」という意味。「かけまくも」は「口に掛ける(出す)」という意味である。「山辺(やまのへ)の五十師(いし)の原」は伊勢神宮の境内にあった原のことか?。「うちひさす」と「ももしきの」は枕詞。「まぐはしも」は「麗しい」という意味。「うらぐはしも」は「心麗しい」という意味。「しなひ栄えて」の「しな」は「しなだれかかる」や「しなをつくるの」の「しな」。「様が美しく」という意味である。
「やすみしし」を安見知之ないし安美知之と表記している例が7首見られるので微妙。「高照らす」も枕詞。「やすみしし」と同様儀式歌の用語だろう。
「きこしをす」は「お治めになる」という意味である。「御食(みけ)つ国」は「大君(天皇)の食料を奉る国」のこと。「神風の」は枕詞。「水門(みなと)なす」の「なす」は「~を形作る」という意味。「まぐはしみかも」は「目に麗しい」という意味。「かけまくも」は「口に掛ける(出す)」という意味である。「山辺(やまのへ)の五十師(いし)の原」は伊勢神宮の境内にあった原のことか?。「うちひさす」と「ももしきの」は枕詞。「まぐはしも」は「麗しい」という意味。「うらぐはしも」は「心麗しい」という意味。「しなひ栄えて」の「しな」は「しなだれかかる」や「しなをつくるの」の「しな」。「様が美しく」という意味である。
(口語訳)
「やすみしし我れら大君は高照らす日の御子でいらっしゃいます。その大君のお治めになっている食料を司る国、すなわち神風の吹く伊勢の国は美しい国、山は高く貴い、川は清くさわやか。海に通ずる港の先の海も豊かなり。見わたすかぎりに見える島も名高い島々。ここ伊勢のことを目に麗しいというのであろう。まことに恐れ多い境内の山辺の五十師(いし)の原の大宮にお仕えする宮は朝日を受けて麗しく、夕日を受けて心麗しく、春の山のようにしなよく栄え、秋の山のように景色麗しく栄えようではないか。我ら大宮人は天地のように限りなく、月日とともに万代(よろづよ)までも」という歌である。3235 山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
(山邊乃 五十師乃御井者 自然 成錦乎 張流山可母)
「山辺の五十師」は前歌参照。「御井」は伊勢神宮の境内の御井のことと思われる。山の麓の宮を御井に見立てたか。
「山辺の五十師(いし)の原の御井は自ずから彩なす錦で飾られた山」という歌である。
以上、長反歌二首
(山邊乃 五十師乃御井者 自然 成錦乎 張流山可母)
「山辺の五十師」は前歌参照。「御井」は伊勢神宮の境内の御井のことと思われる。山の麓の宮を御井に見立てたか。
「山辺の五十師(いし)の原の御井は自ずから彩なす錦で飾られた山」という歌である。
以上、長反歌二首
3236番長歌
そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
(空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山遠)
そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
(空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山遠)
「そらみつ」、「あをによし」、「ちはやぶる」は共に枕詞。奈良山はは奈良と京都の県境の山。「山背(やましろ)の管木(つつき)の原」は、京都(山背(やましろ)の国)綴城郡のことのようだが、具体的な場所は不詳。大和に近い京田辺市から木津川市の一帯と見られる。「瀧つ屋」と「阿後尼(あごね)の原」は未詳。「山科の石田の杜」は京都市伏見区石田町の社(やしろ)。「すめ神」は皇室の祖先神。逢坂山は京都府と滋賀県の県境の山。
(口語訳)
「大和の国の奈良山を越えて京都の筒木の原の宇治川を渡り、 瀧つ屋の阿後尼の原の道を、千年に一度として欠けることなく、万代(よろずよ)までも通い続けんと、京都は伏見の石田の杜(もり)の皇祖神にお供え物を手向け、お供えして私は越えて行く逢坂山を」という歌である。 或る本の歌として次歌を紹介している。
3237番長歌
あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向け草 幣取り置きて 我妹子に 近江の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り
(緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 未通女等尓 相坂山丹 手向草 絲取置而 我妹子尓 相海之海之 奥浪 来因濱邊乎 久礼々々登 獨曽我来 妹之目乎欲)
3237番長歌
あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向け草 幣取り置きて 我妹子に 近江の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り
(緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 未通女等尓 相坂山丹 手向草 絲取置而 我妹子尓 相海之海之 奥浪 来因濱邊乎 久礼々々登 獨曽我来 妹之目乎欲)
「あをによし奈良山過ぎて」は前歌参照。「もののふの」の後に「八十(やそ)うぢ」が省略された形。宇治川を引き出すための序歌。「幣取り置きて」は前歌の「幣取り向けて」とほぼ同意。神にお供えをすること。「近江の海」は通常「淡海の海」と表記され、琵琶湖のこと。「くれくれと」は「とぼとぼと」ないしは「しょんぼりと」といった意味。「妹が目を欲り」は「彼女に逢いたくて」という意味である。
(口語訳)
「あをによし奈良山を過ぎて宇治川を渡り、娘子らに逢うとされる逢坂山に彼女に逢えるようにとお供えものを供え、沖の方から波が寄せてくる琵琶湖の浜辺をたった独りでとぼとぼと行く、彼女に逢いたくて」という歌である。
「あをによし奈良山を過ぎて宇治川を渡り、娘子らに逢うとされる逢坂山に彼女に逢えるようにとお供えものを供え、沖の方から波が寄せてくる琵琶湖の浜辺をたった独りでとぼとぼと行く、彼女に逢いたくて」という歌である。
3238 逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる
(相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡)
白木綿花(しらゆふばな)は真っ白な白木綿の布。1735番歌に「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」とある。真っ白に波立つ様子。
「逢坂を通り過ぎんとして見下ろすと、琵琶湖が白木綿花のように真っ白に波立っていた」という歌である。
以上、長反歌三首
(2016年1月25日記、2019年3月21日)
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(相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡)
白木綿花(しらゆふばな)は真っ白な白木綿の布。1735番歌に「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」とある。真っ白に波立つ様子。
「逢坂を通り過ぎんとして見下ろすと、琵琶湖が白木綿花のように真っ白に波立っていた」という歌である。
以上、長反歌三首
(2016年1月25日記、2019年3月21日)