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万葉集読解・・・198(3239~3246番歌)
3239番長歌
近江の海 泊り八十あり 八十島の 島の崎々 あり立てる 花橘を ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け 汝が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひ居るよ 斑鳩と比米と
(近江之海 泊八十有 八十嶋之 嶋之埼邪伎 安利立有 花橘乎 末枝尓 毛知引懸 仲枝尓 伊加流我懸 下枝尓 比米乎懸 己之母乎 取久乎不知 己之父乎 取久乎思良尓 伊蘇婆比座与 伊可流我等<比>米登)
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万葉集読解・・・198(3239~3246番歌)
3239番長歌
近江の海 泊り八十あり 八十島の 島の崎々 あり立てる 花橘を ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け 汝が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひ居るよ 斑鳩と比米と
(近江之海 泊八十有 八十嶋之 嶋之埼邪伎 安利立有 花橘乎 末枝尓 毛知引懸 仲枝尓 伊加流我懸 下枝尓 比米乎懸 己之母乎 取久乎不知 己之父乎 取久乎思良尓 伊蘇婆比座与 伊可流我等<比>米登)
「近江(あふみ)の海」は琵琶湖のこと。「泊り八十(やそ)あり」は舟着き場。八十は数多くという意味。「八十島の島の崎々」を各書とも「多くの島々の岬々に」と解している。どこか奇妙である。ご承知のように、琵琶湖には竹生島(ちくぶしま)、沖島、多景島(たけしま)、沖の白石島の四島しかない。しかも多景島と沖の白石島は舟着き場など作れそうにない小島。本歌での島は「とりつく島がない」というときの島で「泊り八十」のこと。「あり立てる」は「そのまま変わらず立っている」という意味。「ほつ枝に」は「枝の先に」という意味である。「もち引き懸け」の「もち」は鳥を捕まえる粘着性の鳥もちのこと。斑鳩(いかるが)はイカルという鳥。イカルはスズメ目アトリ科の鳥。スズメより一回り大きくムクドリくらい。比米はシメで、イカルと同様スズメ目アトリ科の鳥。イカルより小型の鳥。「いそばひ居るよ」は「戯れているよ」という意味。
(口語訳)
「琵琶湖には数多くの舟着き場がある。その多くの舟着き場の岬には花橘が立っていて、枝先には鳥もちを引きかけ、中程の枝にはイカルの子(鳥かご)を引きかけ、下の枝にはシメの子を引きかけて親鳥の飛来を待つ。鳥の子たちはわが母や父が捕らえられるのも知らないで、戯れているよ」という歌である。
「琵琶湖には数多くの舟着き場がある。その多くの舟着き場の岬には花橘が立っていて、枝先には鳥もちを引きかけ、中程の枝にはイカルの子(鳥かご)を引きかけ、下の枝にはシメの子を引きかけて親鳥の飛来を待つ。鳥の子たちはわが母や父が捕らえられるのも知らないで、戯れているよ」という歌である。
3240番長歌
大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの たきつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて
(王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 <竿>刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山<文>越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而)
大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの たきつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて
(王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 <竿>刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山<文>越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而)
奈良山は奈良市北方の山。木津川は京都府木津市や京田辺市を流れる川。木材を伐りだして運ぶ川。「真木積む」の真は美称。材木を積み込むこと。「ちはやぶる」は枕詞。「志賀の唐崎」は滋賀県大津市北部の琵琶湖沿岸。逢坂山は京都府と滋賀県の県境の山。「道の隈(くま)」は「道の曲がり角」のこと。「伊香胡山」は滋賀県長浜市木之本町あたりの山とされる。
(口語訳)
「大君の恐れ多い仰せを賜って、見飽きることのない奈良山を越えて木材を運ぶので名高い泉川に至る。その流れの早い泉川を棹さして渡り、宇治川のたぎりだつ瀬を見ながら渡る。近江道にある逢坂山にお供えし、越えていくと琵琶湖沿岸を見渡せる地点に至る。もしも無事であればまた帰りに見ようと、道を急ぐ。道の曲がり角、数多くの曲がり角を嘆きながら通りすぎてゆく。ああ、故郷から遠くやってきたもんだ。さらに高い山も越えてやってきた。剣太刀を鞘から抜いて威嚇する伊香胡山ではないが、我はいかにしよう。行方も分からずに」という歌である。
「大君の恐れ多い仰せを賜って、見飽きることのない奈良山を越えて木材を運ぶので名高い泉川に至る。その流れの早い泉川を棹さして渡り、宇治川のたぎりだつ瀬を見ながら渡る。近江道にある逢坂山にお供えし、越えていくと琵琶湖沿岸を見渡せる地点に至る。もしも無事であればまた帰りに見ようと、道を急ぐ。道の曲がり角、数多くの曲がり角を嘆きながら通りすぎてゆく。ああ、故郷から遠くやってきたもんだ。さらに高い山も越えてやってきた。剣太刀を鞘から抜いて威嚇する伊香胡山ではないが、我はいかにしよう。行方も分からずに」という歌である。
3241 天地を嘆き祈ひ祷み幸くあらばまたかへり見む志賀の唐崎
(天地乎 歎乞祷 幸有者 又<反>見 思我能韓埼)
「天地(あめつち)を嘆き祈(こ)ひ祷(の)み」は「天地の神が下されたこの罰を嘆きつつ、こい願い祈り」という意味である。佐渡に流されていく途次の歌である。
「天地(あめつち)の神にこい願って無事にここまで帰ってくることが出来れば、もう一度見たいこの美しい志賀の唐崎を」という歌である。
左注に「右二首長短歌。ただし此短歌は、或書に穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が佐渡に配流されるとき作った歌」とある。
(天地乎 歎乞祷 幸有者 又<反>見 思我能韓埼)
「天地(あめつち)を嘆き祈(こ)ひ祷(の)み」は「天地の神が下されたこの罰を嘆きつつ、こい願い祈り」という意味である。佐渡に流されていく途次の歌である。
「天地(あめつち)の神にこい願って無事にここまで帰ってくることが出来れば、もう一度見たいこの美しい志賀の唐崎を」という歌である。
左注に「右二首長短歌。ただし此短歌は、或書に穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が佐渡に配流されるとき作った歌」とある。
3242番長歌
ももきね 美濃の国の 高北の くくりの宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
(百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 三野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山)
ももきね 美濃の国の 高北の くくりの宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
(百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 三野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山)
「ももきね」は美濃の枕詞というが、本歌の一例しかなく、枕詞(?)。「くくりの宮」は岐阜県可児市久々利で、かっては久々利村であった。『日本書紀』景行紀4年春2月の条に景行天皇が美濃に行幸とある。くくりの宮におられて弟媛(おとひめ)の現れるのを待たれたとある。その宮の跡もあるという。「日向ひに行靡闕矣」は諸説あって一定しない。が、後に「奥十(おきそ)山美濃(みの)の山」とある所を見ると美濃の代表的な山の形容と思われる。可児市久々利から御嶽山は東北にある。まさに「日向ひに」にぴったり。そこで、私は「行靡闕矣」は「行く日隠すや」と読み、その客体は「奥十山美濃の山」である御嶽山と解したい。御嶽山に隠された太陽が登ってくる様子はさぞかし荘厳であろう。
(口語訳)
「美濃の国の北方高くにあるくくりの宮から東北方に背後に日を抱く山があると聞いた。私が行く道の先にある御嶽山は美濃の山。それをならそうと人が踏みつけようと、あちらに寄せようと突き押そうと、びくともしない無情の山よ。御嶽山は美濃の山」という歌である。
「美濃の国の北方高くにあるくくりの宮から東北方に背後に日を抱く山があると聞いた。私が行く道の先にある御嶽山は美濃の山。それをならそうと人が踏みつけようと、あちらに寄せようと突き押そうと、びくともしない無情の山よ。御嶽山は美濃の山」という歌である。
3243番長歌
娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うながせる 領布も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも
(處女等之 麻笥垂有 續麻成 長門之浦丹 朝奈祇尓 満来塩之 夕奈祇尓 依来波乃 彼塩乃 伊夜益舛二 彼浪乃 伊夜敷布二 吾妹子尓 戀乍来者 阿胡乃海之 荒礒之於丹 濱菜採 海部處女等 纓有 領巾文光蟹 手二巻流 玉毛湯良羅尓 白栲乃 袖振所見津 相思羅霜)
娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うながせる 領布も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも
(處女等之 麻笥垂有 續麻成 長門之浦丹 朝奈祇尓 満来塩之 夕奈祇尓 依来波乃 彼塩乃 伊夜益舛二 彼浪乃 伊夜敷布二 吾妹子尓 戀乍来者 阿胡乃海之 荒礒之於丹 濱菜採 海部處女等 纓有 領巾文光蟹 手二巻流 玉毛湯良羅尓 白栲乃 袖振所見津 相思羅霜)
「娘子ら」のらは親愛の「ら」。「麻笥(をけ)に垂れたる」の麻笥は紡ぎ取った麻を入れる容器。「続麻(うみを)なす」は「長い麻状になる」という意味。ここまで次句の「長門の浦に」を導く序歌。
「しくしくに」は2427番歌「宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも」の例があるように「しきりに」という意味である。「長門の浦」は広島県倉橋島のことという説があるがはっきりしない。「阿胡(あご)の海」は三重県英虞湾のことという。「うながせる」は「首から肩にかける」という意味である。「領布(ひれ)」は首から肩に垂らした布。
「しくしくに」は2427番歌「宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも」の例があるように「しきりに」という意味である。「長門の浦」は広島県倉橋島のことという説があるがはっきりしない。「阿胡(あご)の海」は三重県英虞湾のことという。「うながせる」は「首から肩にかける」という意味である。「領布(ひれ)」は首から肩に垂らした布。
(口語訳)
「娘子(おとめ)が桶に垂らした長い麻ではないが、長門の浦に、朝なぎ時に満ちてくる潮、また、夕なぎ時に寄せてくる潮のように、ますます、あるいはしきりに募る思いを抱いて彼女を恋ながらやってきた阿胡の海。その荒磯の上で海藻を摘むあの海人娘子が首から肩にかけた布がきらきら輝いている。また手に巻いた玉もゆらゆら揺れるほど真っ白な袖を振っているのが見える。彼女の方も相思ってくれているのだろうか」という歌である。
「娘子(おとめ)が桶に垂らした長い麻ではないが、長門の浦に、朝なぎ時に満ちてくる潮、また、夕なぎ時に寄せてくる潮のように、ますます、あるいはしきりに募る思いを抱いて彼女を恋ながらやってきた阿胡の海。その荒磯の上で海藻を摘むあの海人娘子が首から肩にかけた布がきらきら輝いている。また手に巻いた玉もゆらゆら揺れるほど真っ白な袖を振っているのが見える。彼女の方も相思ってくれているのだろうか」という歌である。
3244 阿胡の海の荒磯の上のさざれ波我が恋ふらくはやむ時もなし
(阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無)
平明歌。
「阿胡の海の荒磯の上に寄せ来るさざれ波のように私の恋心はやむ時がありません」という歌である。
右長反歌二首。
(阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無)
平明歌。
「阿胡の海の荒磯の上に寄せ来るさざれ波のように私の恋心はやむ時がありません」という歌である。
右長反歌二首。
3245番長歌
天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
(天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之旱物)
天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
(天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之旱物)
「天橋」は「天に登る橋」。「~もがも」は「~であったら」という願望。「をち水」は「若返りの水」のことで、月を数える「つくよみ」の神が持っていると考えられていた。「い取り来て」のいは強意の「い」。「をち得てしかも」の「をち」は「をち水」の「をち」で若返り水。
(口語訳)
「天へと通じる橋がより長く、高い山もより高くあったらいいのに。月読みの神様がお持ちの若返りの水をいただいてきて、君に奉り、若返っていただくのに」という歌である。
「天へと通じる橋がより長く、高い山もより高くあったらいいのに。月読みの神様がお持ちの若返りの水をいただいてきて、君に奉り、若返っていただくのに」という歌である。
3246 天なるや月日のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも
(天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文)
「天(あめ)なるや」は「大空に輝いている」という意味である。「日に異(け)に」は「日々に」という意味。
「大空に輝いている月や太陽のように私には輝いていると思われる君が日々老いてゆかれるのは惜しくてならない」という歌である。
右長反歌二首。
(2016年1月29日記、2019年3月21日)
(天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文)
「天(あめ)なるや」は「大空に輝いている」という意味である。「日に異(け)に」は「日々に」という意味。
「大空に輝いている月や太陽のように私には輝いていると思われる君が日々老いてゆかれるのは惜しくてならない」という歌である。
右長反歌二首。
(2016年1月29日記、2019年3月21日)
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